日本歴史時代作家協会 公式ブログ

歴史時代小説を書く作家、時代物イラストレーター、時代物記事を書くライター、研究者などが集う会です。Welcome to Japan Historical Writers' Association! Don't hesitate to contact us!

『映画に溺れて』第195回 フローズンタイム

第195回 フローズンタイム

平成二十年八月(2008)
高田馬場 早稲田松竹

 

 時間の感覚は個人的なもので、実際に同じ時間を過ごしていても、楽しいとあっという間に過ぎてしまったり、退屈だとなかなか進まなかったりする。それが極端になると、この映画のようなことが起きるかもしれない。
 主人公は美大で絵を学ぶ男子学生。ガールフレンドとの破局がもとで不眠症に陥り、別れた彼女を思い、眠れない日々。
 夜中の眠れない時間を持て余し、スーパーマーケットの夜間従業員のアルバイトを始めるのだが、そこで不思議な体験をする。
 周囲が急にスローモーションになったように感じるのだ。そしてとうとう、ある日、すべてが停止してしまう。
 動かなくなった深夜スーパーの買い物客と従業員たち。その間をゆっくりと歩く主人公。
 彼はどうするのか。そう、男なら考えつきそうなこと。美人客が多かったので、その服を脱がして全裸にする。そして、裸体の写生をするのだ。彼は画学生だから。
 もちろん、それ以上の行為には及ばない。
 そうこうするうち、やがて、新しい恋が、彼に訪れる。
 美しい女性の裸体に対する強い憧れをファンタジックなコメディとして描いた小品であり、裸になるのは、もちろん美女ばかり。
 監督は写真家のショーン・エリス。映像は美しく、見ているだけでうっとりする。まさに芸術写真。というか、昔から美術の世界では、絵画も彫刻も、美しく描かれた裸婦こそ、真の芸術であった。
 思い出したが、私が子供の頃、『不思議な少年』というTVドラマがあり、主人公の少年が「時間よ止まれ」と唱えると、周囲が動かなくなってしまう。子供たちの間で「時間よ止まれ」という呪文が流行った。原作は手塚治虫だった。

 

フローズンタイム/Cashback
2006 イギリス/公開2008
監督:ショーン・エリス
出演:ショーン・ビガースタッフ、エミリア・フォックス、ショーン・エヴァンス

 

『映画に溺れて』第194回 サロゲート

第194回 サロゲート

平成二十二年二月(2010)
新宿 新宿ピカデリー

 

 テクノロジーの進歩した近未来、身障者用に人工の腕や足が開発される。脳からの信号で、実際の手足と同じように動かせるマシーン。それが進歩すると、今度は全身に活用。やがて戦争用に人間が遠隔操作する兵士ロボットが開発され、それが一般用に普及する。
 町を歩いているのは、みな分身のマシーンたち。本人は家にいながら、ベッドに横たわり、外のマシーンを自分の肉体同様に動かしている。マシーンの目で見、マシーンの耳で聴き、マシーンの口でしゃべり、マシーンの手で触り、マシーンの足で走る。機械の肉体が事故にあって壊れても、家にいる本人は平気なのだ。絶対に安全な理想社会。しかも分身ロボットはみな一様に本人を美化してデフォルメされた美男美女ばかり。
 ところが、ここで殺人事件が起きて、FBIの捜査官が乗り出してくる。現場で活躍する捜査官もみな分身ロボットである。
 事件の裏にはロボットを捨てて、人間らしく生きようというスローガンを掲げた人権団体が動いていて、ロボットを開発した企業とFBIとの癒着も影を落とす。
 マシーンの分身を壊され、謹慎処分となった捜査官、今度は生身の本人が町に出て捜査を続けようとするが、これが禿げ頭でしょぼくれた中年男。素顔のブルース・ウィリス
 何年も家から出ないで寝たまま分身を操作していただけだった。美男美女が闊歩する町中で、よろよろと歩くのもおぼつかない様子。はたして事件を解決できるのか。
 ジャンルとしてはSFとミステリとがうまく融合されており、俳優たちのロボット演技も凝っている。

 

サロゲート/Surrogates
2009 アメリカ/公開2010・1・22
監督:ジョナサン・モストウ
出演:ブルース・ウィリスラダ・ミッチェル、ロザムント・パイク

 

『映画に溺れて』第193回 トゥルーマン・ショー

第193回 トゥルーマン・ショー

平成十年十二月(1998)
新宿 新宿ピカデリー1 

 

 このアイデアだけで観たくなった。
 ひとりの赤ん坊が生まれる。名前はトゥルーマン。そして彼の主演するTVドラマ『トゥルーマン・ショー』が始まる。母親も父親も友人もすべてが役を演じるプロの俳優。巨大なセットの町で無数の隠しカメラで撮影されながら、トゥルーマンの人生が即興のドラマとして描かれ、全国に放送される。知らないのは本人だけ。虚構のドラマが彼にとっては現実の人生そのものなのだ。
 全国の視聴者は彼のすべてを知っている。が、彼は自分を平凡な保険会社の社員だとしか知らない。彼の生活の一部始終、友人や妻との会話、悩みまでが視聴者を楽しませる。当然スポンサーがあるので、会話の途中でも妻が商品をそれとなく紹介するコマーシャルが入る。
 即興だから何が起こるかわからない。プロの俳優と現場のスタッフがこれをうまく切り抜けてきた。セットの町を覆うドームの頂上で、それを指揮しているのが、神になったつもりのプロデューサー。
 トゥルーマンは、やがてこの不自然さに気がつき、町を出ようとする。様々な妨害が仕組まれる。その裏をかき、彼はついに世界の果ての壁に辿り着く。長寿番組は終わりを告げ、視聴者はトゥルーマンに拍手を送る。
 これだけのすごいアイデア、もっと時間と予算をかけて凝った作りにすれば、文句なしによかったのに。そこがちょっと惜しい。
 昔、アメリカのTVの単発ドラマの中に出てきたシーン。主人公がヒッピーの上演しているミニシアターを観にいく。舞台の上で若い夫婦が会話しているのだが、実はそれは現実の夫婦で、夫婦生活そのものを二十四時間、観せているだけとのこと。ふとそんなことを思い出した。

 

トゥルーマン・ショー/The Truman Show
1998 アメリカ/公開1998
監督:ピーター・ウィアー
出演:ジム・キャリーローラ・リニーノア・エメリッヒエド・ハリスナターシャ・マケルホーン

新書専門書ブックレビュー8

『戦況図解 信長戦記』(小和田哲雄監修、サンエイ新書)

戦況図解 信長戦記 (サンエイ新書)

戦況図解 信長戦記 (サンエイ新書)

 

  来年のNHK大河ドラマの主人公は、明智光秀だそうです。明智光秀といえば、年配の方は「三日天下」でお馴染みでしょう。本能寺に主君織田信長を屠りますが、毛利と和睦し、中国大返しという離れ業で駆けつけた羽柴秀吉豊臣秀吉)に、山崎の合戦で敗れ、安土に向かう途中、小栗栖村で土民に殺されるという、波瀾万丈の人生を生きた武将です。

 元来、日本人は、下が上を制す(下剋上)や、謀叛、主殺しは好まない民族だったはずです。しかしながら、主殺しで有名な明智光秀が、お茶の間に主人公として登場するというのは、大きな時代の変化なのかもしれません。
 それは、年功序列が崩壊し、終身雇用が薄れ、労働の流動化が進み、実績を上げれば年齢に関係なく抜擢を受ける、自分の実力が活かせないなら活かせる会社を探す等、現代社会の反映と考えることもできるでしょうか。

歴史は安寧と動乱を繰り返します。第二次大戦後の日本は、安寧の時代でした。次は動乱の時代ですが、それはもう始まっているのかもしれません。室町時代にいつしか下剋上の風潮が広まっていったように。

 日本人は織田信長豊臣秀吉徳川家康の戦国の三英雄、特に信長が大好きです。小説ばかりでなく、映画、マンガ、アニメ等で、今までも多くの作品が世に出ています。これを機に、さらに出てくるかも知れません。また、信長を絡めた作品も登場し、それなりの人気を得ています。
 そう考えると、来年の大河ドラマも、光秀が主人公といいながらも、信長との関わりで理解しようという流れなのかもしれません。

 さて、今回の作品は、織田信長の生涯に渡る合戦を取り上げて、文章とビジュアルで解説したものです。
 全体は五章構成で、序章が信長以前の尾張情勢、第一章が信長の尾張統一戦、第二章が美濃攻略から安土築城まで、第三章が石山合戦から本能寺の変まで、第四章が信長没後の戦国情勢が合戦を中心に紹介されます。
 ビジュアル面は、城と砦の配置、そして兵と武将の動きが図解で示されるため、いつ、どのように戦いが流れたのかが視覚的に分かって面白いです。
 なかには、「あれ、この武将だれ?」というような人物も登場して、自分の知識の浅さを認識し直したり、敗将の逃走路を見て、「こんなルートで逃げたんだ!」というような新しい発見があったりして、なかなか面白いと思います。

 私としては、第一章の信長の尾張統一戦をお勧めします。ここのところは、織田氏の研究と共に、近年大分明らかになってきました。改めて読むと、信長の勢力拡大の流れが確認できて面白いです。
 ところで、桶狭間の戦いは、織田軍3千(2千とも)が、今川軍4万5千(2万5千とも)に勝利した戦いでもあります。圧倒的な兵力差をひっくり返したわけです。
 しかしながら、尾張の石高(当時は貫高)、信長の統一状況を考えれば、3千の軍勢は余りにも少ないのではないでしょうか。丹下砦や鷲津砦の守備兵を考慮しても少ないような気がします。こうした疑問を持ちながら、あるいは通説を疑いながら、読むのもまた楽しいのではないでしょうか。

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第39回 懐かしの満州

 昭和36年(1961)。古今亭志ん生ビートたけし)は病室で寝ています。家族には意識が戻らないことにして、こっそりとお酒を飲んでいたのでした。弟子の五りん(神木隆之介)が酒を買って病室に入ってきます。買ってきたのはウォッカでした。
「これは駄目だよ。俺はこれで昔、ひどい目に遭ったんだから。満州で」
 と、まくしたてる志ん生。五りんは恋人の知恵(川栄李奈)に絵はがきを見せます。それは満州にいた、亡くなった五りんの父が送ってきたものでした。
志ん生の『富久』は絶品」
 と、父の字で書かれています。志ん生は話し始めます。
「あれなあ、戦争が終わる三ヶ月前ぐらいのことだな」
 時は昭和20年(1945)の3月にさかのぼります。若き日の古今亭志ん生山本未來)は、三遊亭圓生中村七之助)と共に、満州に慰問に行って欲しいと誘われていました。圓生は、空襲で寄席も駄目だし、行ってもいいといいます。志ん生は気が乗りません。しかし酒が飲めると聞いて、行くことに決めるのです。
 志ん生は家族と食卓を囲んでいました。長男と志ん生が同時に話し始めます。志ん生は長男に譲ります。
「僕、少年飛行兵に志願するよ」
 と、長男はいい出します。この間、父ちゃんに弟子入りしたばっかりじゃないか、と驚く母親のおりん(夏帆)。
「俺は反対だな」と志ん生は立ち上がります。「呼ばれてもねえのに兵隊さんいくなんざ、人が良すぎら。やめとけ、やめとけ」
 そして志ん生の話す番になります。
「ちょっくら、満州行ってくらあ」
 慰問で行くことを家族に説明します。
「酒が飲めるからだろう」とおりんに怒鳴られます。「女房子供を置き去りにして、自分だけ安全な場所に逃げるんだね」
「行かせてあげようよ」というのは長女でした。「だってお父ちゃん。いてもちっとも頼りにならないもん」
 あっけにとられる志ん生。次女もいいます。
「そうね、空襲警報鳴ると真っ先に逃げちゃうし」
 末っ子もいいます。
「お父ちゃんは、いくじなしだ」
 怒り出す志ん生。しかしその時空襲警報が鳴り出すのです。志ん生は真っ先に逃げ出します。
 空襲が終わった後、見てみると、志ん生の家は燃え落ちていました。長女が志ん生にいいます。
「いっといでよ。お父ちゃん。住むところはなんとかする」
 次女もいいます。
「そうよ。私たちはならどうやっても生きていけるんだから。父ちゃん、満州で好きなだけ飲んできなよ」
 末っ子もいいます。
「いっといで」
 おりんか防空頭巾をとります。
「達者でね」
 こうして志ん生はその年の5月、満州の大連にいました。そこは空襲もなく、戦時中ということが信じられないようなところでした。
 病院にいる志ん生は当時のことを語ります。
「初めのうちは極楽だったよ。軍隊の慰問と、日本人相手の興業、どこに行っても大ウケで、ひと月って約束だったが、気がついたらふた月たっていたよ」
 五りんのお父さんとは会ったことがあるのかと、病室の志ん生に聞く知恵。志ん生はいいます。
「変なのがなあ、訪ねてきたことがあったな」
 突き飛ばされた写真売りの、散らばった写真を拾ってやる兵隊がいます。彼はその一枚を手に取ります。五りんの持っていた絵はがきと同じものです。
 志ん生圓生の楽屋に兵隊の客がやってきます。それは金栗四三中村勘九郎)の弟子で、オリンピックを目指していた小松 勝(仲野太賀)でした。小松は圓生の落語を盛んにほめ始めます。
「それにひきかえ、こっちん人は」
 と、小松は志ん生を振り返ります。小松は志ん生の走る場面の描写が気に入らないといいます。呼吸法もなっていない。二つづつ、吸って吐く。
「それをいうためにわざわざ来たのかい」
 と聞く志ん生。そうだと答える小松。志ん生は怒って小松を追い出すのです。
 7月に志ん生圓生奉天に来ていました。そこで放送局から来た、若い社員の世話になります。彼は芸人顔負けで、歌もうまければ、話もうまかったのです。名前を森繁久彌といいました。圓生は酒の席で思わずいいます。
「どうなっているんだ。日本は」
 森繁は志ん生圓生に、顔を寄せるようにいいます。
「ついに、沖縄の日本軍は全滅したそうですよ」と、小声で言う森繁。「アメリカだけじゃないですよ。ソビエト軍が中立条約を破って、北から日本世攻め込むって噂もある」
 そうなると満州が最前線ということになります。
 病室の志ん生は語ります。
「それでもまだ、神風日本が戦争に負けるわけやねえや、なんて思っていたが、それからしばらくして、広島と長崎に変ななもんが落っこったって噂が流れたんだ」
 それは原子爆弾のことでした。
 満州の通りでは、日本人たちが逃げ惑っています。背広着た男を捕まえて聞くと、
ソビエト軍が攻めてくるんだってよ」
 との答え。とまどう志ん生圓生。その時、志ん生の巾着袋をひったくる男がいます。志ん生は男を追います。路地に逃げ込んだ男は、笑顔で振り返ります。それは前に楽屋に訪ねてきた小松 勝だったのです。
 小松はいきさつを話し始めます。分隊長が「日本はもう駄目だ」といいだしました。死にたい奴は行け、妻子を内地に残してきたものは、今すぐ逃げろ。そうして分隊長は、ふんどし一枚になって走り去って行ったのでした。
 志ん生圓生が大連に行くときいて、自分も連れて行って欲しいと頼む小松。敵味方に追われている逃亡兵を連れてはいけないと、圓生は断ります。しかしその時、銃撃が起こるのです。中国人が日本人たちを撃っていました。その銃口は、志ん生たちにも向けられます。その中国人は、写真売りでした。突き飛ばされて散らばった写真を小松が拾ってくれたことを覚えていました。次は殺す。との捨て台詞を残し、その中国人は去って行くのです。病室のむ志ん生がいいます。
「危ねえとこだった」志ん生は五りんにいいます。「お前の親父さんのおかげで、命拾いしたよ」五りんは魂の抜けたようにうなずきます。「そのままな大連に戻って、そこで終戦を迎えたんだ」
 満州志ん生たちはスピーカーから流れる玉音放送を聞きます。
「日本は負けたんだ」
 という圓生。信じられない志ん生。通りに騒ぎが起こります。爆竹を鳴らして、中国人たちが喜び合います。病室の志ん生が解説します。
「日本が負けたとたん、中国人が、あっという間に豹変して。日本人のやっていたところは、どこもしっちゃかめっちゃかにされちまった」
 破壊された劇場に逃げてきた三人。
「ここから仕返しが始まるとですね」
 という小松。ウォッカを見つけてきた圓生がいいます。
「しばらくはここに住んで、様子見ましょう」
 小松はウォッカの瓶をラッパ飲みしてから叫びます。
「日本に帰りたか。リクに会いたか。金治と遊びたか。金栗先生と走りたか」
 三人はすることもなく酒を飲みます。小松はオリンピックを目指していたことなどを二人に話します。そして思いついたようにいうのです。
「金栗先生と出会わんかったら、熊本におったとに。あーっ、そしたらリクとも出会えんばい」小松は完全に酔っ払っています。「いだてんか、さぼてんか、知らんばってん。あぎゃん身勝手な男はおらん。働いとるとこ、見たことなかけんね。走っとるか、笑っとるか、飯くっとるかだけんね。どうしょうもなか」
 思わず笑い出す志ん生。小松は悔しがります。
「走りたか」膝を叩きます。「戦争は終わったばってん、日本は負けたけんね、オリンピックには出られん。永久に出られんけんね」
 小松は二人に家族の写真を見せます。息子について語ります。
「泣いとるか、笑っとるか、食っとるかだけん」小松は笑います。「金栗先生と変わらん。ばってん会いたかね」
 志ん生もいいます。
「俺んところは、上のせがれが跡継いで、噺家になったよ」
「嬉しかったですか」
 と、聞く小松。
「照れくさくってたまんないや」と、志ん生は答えます。「引き上げたら、奴の高座、聞くのが、何よりの楽しみだな」
 小松も話します。
「息子がオリンピック選手になったら、嬉しかでしょうね」
 圓生がいいます。
「その前に、お前さんがオリンピックでなくっちゃ」
 小松は泣いて笑います。
「そぎゃんたいね」
 小松は寝てしまうのです。
 翌日の演友会。客など来ないと思っていたのが、何と百人ぐらいやってきます。
「せめて笑って死にてえもんだな」
 の、声が聞こえます。たじろぐ志ん生に対し、圓生はやる気です。先に出て客をわかせます。志ん生はあせり、何をやろうかと迷います。走る奴屋って下さい、と頼む小松。その通り志ん生は「富久」を演じ始めるのです。前に小松に聞いた走り方を描写します。ふたつすってふたつ吐く。それを見ていた小松は、涙を流し、足踏みを始めます。鬼気迫る志ん生の落語。圓生が振り返ってみると、小松がいません。小松はこらえきれなくなり、夜の街を走り始めていたのです。立ち止まって
「気持ちよか」
 と、叫びます。鞄から絵はがきを取り出します。
志ん生の『富久』は絶品」
 と書き記すのです。それをポストに投函しようとします。ライトが小松を照らします。ソビエト兵が車から降りて、小松に銃を向けます。小松はソビエト兵に背を向けて走り始めるのです。銃口が火を噴きます。小松は倒れるのです。
 倒れた小松を見つける志ん生圓生志ん生は小松を抱き起こそうとします。ロシア兵の声が聞こえ、圓生は小松から志ん生を引き剥がすのです。
 やがて東京にいるリクのもとに、小松の遺品が届きます。絵はがき、金栗の書いた「マラソン」の本。そしてマラソン足袋(たび)。すり切れていて、いっぱい走ったことがわかります。リクは息子を抱いて泣き崩れるのでした。
 満州にいる志ん生圓生は、ようやく引き揚げ船に乗ることが出来ました。満州に来てから、二年近く経っていました。
 病室にいる志ん生を訪ねる人物がいました。家族とともに入ってきます。それは満州で生死を共に圓生でした。狸寝入りを続ける志ん生でしたが、圓生に耳元でささやかれて飛び起きます。
「よっ」
 満州から帰ってきた志ん生がおりんにいいます。
「よっ」
 病室の志ん生圓生にいいます。
「ひさしぶり」
 おりんにいう過去の志ん生
「ひさしぶり」
 圓生にいう病室の志ん生
 両の志ん生に家族が駆け寄るのでした。
 過去の志ん生がいいます。
「また貧乏に逆戻りか。なあに、今は、俺たちだけの貧乏じゃねえや。今度は日本がとびっきりの貧乏だ」過去の志ん生は空を見上げます。「みんなでそろって上向いて、這い上がっていきゃいいんだからわけねえや」
 そして志ん生は大声で笑うのです。

 

『映画に溺れて』第192回 マトリックス

第192回 マトリックス

平成十一年九月(1999)
錦糸町 楽天地シネマ1

 

 この映画を観たあと、私は周囲を見回した。私が今、見ている景色、触ったり、音を聴いたり、食べたり飲んだり、人と会って話をしたり、それは本当のことなのか。
 私は全然別の場所に眠っていて、経験していると思い込んでいることは、すべて脳に直接送られている信号に過ぎないのだとしたら。
 これは記憶についての物語なのである。近未来SFアクションと思われがちだけれど、それは付け足しであって、テーマは現実と区別のつかない仮想現実なのだ。
 主人公は、コンピュータソフトの会社に勤めているサラリーマンだが、裏ではネオと呼ばれるハッカーでもある。
 ある日、不可解なメールを受け取り、不思議の国のアリスよろしく指示通り白いウサギのあとをつけると、そこに待っていたのが謎の男モーフィアス。
 彼は言う。われわれが現実だと信じているこの世界は、本当は存在しない。コンピュータが作り出し、人間の脳に直接送り込んでいる偽の記憶に過ぎないのだと。
 では、本当の世界とは。
 かつて人間は自ら開発した高度なコンピュータとの争いに敗れた。世界はコンピュータが支配し管理しており、人間の思考が動力源となるため、生かさず殺さず。人々は養鶏場の鶏のように、カプセルの中で飼われている。工場にずらりと並ぶ卵型のカプセル。その中で丸まって、眠り続ける人々。生まれたときから偽の記憶を植え付けられて、実際には経験していない人生を生きているのだ。
 現実を知らされたネオはカプセルから出され、レジスタンスの仲間となって、やがて救世主として、コンピュータと戦い続ける。
 スタイリッシュなアクションシーンばかりが話題になり、続編がただの大味なドンパチ映画で終わったのは実に残念ではある。

 

マトリックスThe Matrix
1999 アメリカ/公開1999
監督:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
出演:キアヌ・リーブスローレンス・フィッシュバーンキャリー=アン・モスヒューゴ・ウィービングジョー・パントリアーノ

『映画に溺れて』第191回 トータルリコール

第191回 トータルリコール

平成二年十二月(1990)
新所沢 レッツシネパーク・レッド

 

 フィリップ・K・ディックの短編が好きで、以前、ずいぶんと読んだものだ。
 記憶にまつわる物語が多かったように思う。人間の記憶は曖昧であり、われわれは自分の都合のいいようにしばしば過去を創り変えたりもする。科学が進歩して脳の仕組みが解明され、認識を植えつける装置が開発されれば、いやな出来事は消し去って、経験していない幸福な思い出を残せる。あるいは人工生命体に人間そっくりの記憶を植え付けたり。
 近未来、現実の旅行よりもはるかに安全で低料金の快適な旅を売る観光会社ができる。売るのは旅行したという記憶だけ。普段着で旅行社の椅子に座り、機械の中に頭を突っ込むだけで世界中どこでも、いや遠い火星までも、実際に行ったのと区別のつかない体験が可能なのである。乗り物はファーストクラス、ホテルは一流、脳に直接鮮明な臨場感を植えつける「リコール」社の記憶マシン。
 平凡な肉体労働者ダグは記憶だけの火星旅行を申し込む。諜報部員となって地球を危機から救うというオプションの設定も付ける。
 だが、機械は作動中に故障し、仮想の旅行は取りやめとなり、その後、ダグは何者かに命を狙われる。なにゆえに機械が故障したのか。実はダグという人間は存在せず、彼は事情があって記憶を消された火星の諜報部員であることがわかる。妻と信じていた女は、監視員であり殺し屋であった。
 ダグは失われた記憶を求めて実際に火星へ行き、そこで悪の支配者を倒し、人々に平和をもたらす。めでたし、めでたし。なのだが、果たしてこれは、現実か、それとも肉体労働者が椅子にじっと座ったまま見続けている「リコール」社の偽の記憶なのか。
 いずれにせよ、アーノルド・シュワルツェネッガーの人間離れした肉体を抜きにしては成立し得ない映画である。一瞬にして数名の敵を殴り倒し、鋼鉄製の椅子の腕を引きちぎっても嘘に見えないのはたいしたものだ。
 観客は映画館の椅子に腰掛け、画面の中のシュワルツェネッガーに感情移入し、二時間ほどの夢を体験することになる。本当らしい夢、映画という仮想現実を。

 

トータルリコール/Total Recall
1990 アメリカ/公開1990
監督:ポール・バーホーベン
出演:アーノルド・シュワルツェネッガーシャロン・ストーン

『映画に溺れて』第190回 ヒッチコック

第190回 ヒッチコック

平成二十五年三月(2013)
六本木 20世紀フォックス試写室

 映画監督のアルフレッド・ヒッチコック、私は子供の頃からその容貌はよく知っていた。TVの『ヒッチコック劇場』で最初と最後に解説をするのがヒッチコックだったのだ。熊倉一雄の声の吹き替えも懐かしい。
 このヒッチコックアンソニー・ホプキンスが演じたのが『ヒッチコック』、映画は懐かしの『ヒッチコック劇場』のスタイルで始まり、テーマ曲も同じである。が、ホプキンス、あんまり似てないな、と思いながらも観ていくうちに、どんどんヒッチコックそのものになってしまう。ベテランの演技力もあるだろうが、これこそ映画の魔法であろう。
 時代背景は『北北西に進路を取れ』がヒットした直後。次の作品に選ばれたのが『サイコ』だった。実在の連続猟奇殺人事件を題材にしたロバート・ブロックの小説。
 映画会社はそんなゲテモノに金は出さないと言う。ヒッチコックはホラーを超一流の監督が撮ったらどうなるか、やってみたい。そこで自費での『サイコ』撮影が始まるのだ。
 ヒッチコックがホラー映画を作り上げていく過程も面白いが、作品を売る工夫、有能な脚本家であり編集者である妻の働きも見逃せない。
 配役がきめ細かく、妻がヘレン・ミレンジャネット・リースカーレット・ヨハンソンアンソニー・パーキンス役のジェームズ・ダーシーがあまりにパーキンスそっくりなので驚いた。そして、ヒッチコックの妄想に現れる実在の猟奇殺人鬼エド・ゲインは悪役俳優のマイケル・ウィンコット
 この映画、最初と最後が『ヒッチコック劇場』のスタイルなので、ラストの解説に思わずにやり。『サイコ』の次は『鳥』
 ちなみにTVの『ヒッチコック劇場』でどんでん返しの脚本をたくさん書いていたのが私の大好きなミステリ作家のヘンリー・スレッサーである。

 

ヒッチコック/Hitchcock
2012 アメリカ/公開2013
監督:サーシャ・ガヴァシ
出演:アンソニー・ホプキンスヘレン・ミレンスカーレット・ヨハンソンジェシカ・ビールジェームズ・ダーシー

 

『映画に溺れて』第189回 ダイヤルMを廻せ!

第189回 ダイヤルMを廻せ!

平成八年四月(1996)
銀座 銀座文化

刑事コロンボ』がTVで放送されたとき、驚いたのは、ミステリなのに最初から犯人がわかっていることだった。それをコロンボがじわじわと追い詰める。倒叙ミステリである。
 ヒッチコック監督の『ダイヤルMを廻せ!』がこれ。
 ロンドンに住むトニーは、元はテニスの花形選手だったが、今は引退して財産家の妻マーゴのおかげでなんとか暮らしが立っている。
 ところが、そのマーゴがアメリカ人の推理作家でTV脚本家のマークと浮気していることに気づく。金持ちの妻と別れることになれば、今の贅沢な暮しは消えてなくなる。そこで妻の殺害を計画するのだ。妻が死ねば、その財産は自分のものになる。たまたま見かけた大学時代の先輩スワンが今は落ちぶれて小悪党になっている。それを呼び出し、大金で妻を殺してくれるように持ちかける。
 妻ひとりを残してマークと共にクラブのパーティに出かける。その間にスワンが忍び込み、トニーの電話で起きてきた妻を殺すという段取り。
 ところが現実は、計画通りにはいかない。トニーの腕時計が止まっていて、あわてて電話ボックスへ行くと先客がいて長電話していたり、ようやく電話で妻を起こすが、それを殺そうとしたスワンが逆に妻に殺されてしまう。そこで計画変更。
 浮気した妻が悪党のスワンに強請られ、これを呼び出して殺害したように見せかける。妻を法的に死刑にするために。状況は妻に不利であり、判決は死刑。が、そこに思わぬ落とし穴が。
 嫉妬から殺すのではなく、あくまでも財産欲しさで殺すというところが、かえって現実的。トニーの主観で物語が進むので、つい感情移入し、この計画殺人の成功を願ってしまう自分がいる。浮気した妻とその恋人が大きな顔をしているのはどんなものかと。

 

ダイヤルMを廻せ!/Dial M for Murder
1954 アメリカ/公開1954
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:レイ・ミランドグレイス・ケリー、ロバート・カミングス、ジョン・ウィリアムズ、アンソニー・ドーソン

 

『映画に溺れて』第188回 見知らぬ乗客

第188回 見知らぬ乗客

令和元年五月(2019)
池袋 新文芸坐

 ガイは列車で乗り合わせた男から愛想よく話しかけられる。ガイ・ヘインズさんでしょう。テニスの花形選手の。
 親切そうな男なので、行きがかり上、同じコンパートメントで食事をして酒を飲むことに。ブルーノと名乗る男はゴシップ通で、ガイが上院議員の娘のアンと親しいこと、ガイの悪妻が浮気を繰り返していることなど、いろいろ詳しい。ガイは別居中の妻と離婚について話し合うため、今、列車で妻の住む町に向かっているのだ。
 ブルーノはいきなり提案する。あなたは奥さんに悩まされて困っている。私には邪魔な父親がいる。たとえば、私があなたの奥さんを殺す。あなたは私の父を殺す。あなたと私にはなんの接点もないので、だれにも疑われない。犯行時にアリバイがあれば、完全犯罪が成立します。いかがですか。
 あまりのことに、ガイは驚き、相手にせず彼と別れる。
 が、ブルーノは実際に実行するのだ。ガイの妻が男友達と遊んでいるのを尾行し、遊園地であっけなく絞め殺す。
 そしてガイに電話してくる。あなたの奥さんを殺してさしあげたので、今度はあなたが私の父を殺す番です。警察へ訴えたりしたら、あなたも共犯で同罪になりますよ。
 断っても断ってもつきまとう。人当りがよく、アンや彼女の父の上院議員にまで馴れ馴れしく接触してくる。
 ガイが出場しているテニスの試合、満席の観客がボールを追って首を右に左に振っている。その真ん中でブルーノだけが顔を動かさずにじっとガイを見つめている。滑稽でありながら、ぞっとするほど不気味な場面。やがてクライマックスの回転木馬へと一気に進む。
 馴れ馴れしく近づいてくる他人にはくれぐれも注意を。変質者のストーカーかもしれない。

 

見知らぬ乗客/Strangers on a Train
1951 アメリカ/公開1953
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:ファーリー・グレンジャーロバート・ウォーカールース・ローマンレオ・G・キャロルパトリシア・ヒッチコック、ケイシー・ロジャース