日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第五回 伊平次を探せ

 天文十七年(1548年)、秋。美濃の稲葉山城では、斎藤道三(この時は利政)(本木雅弘)が、明智十兵光秀(長谷川博己)から鉄砲の説明を受けていました。光秀の指導もと、鉄砲を撃ってみてその威力に驚く道三。
「これを将軍家は手に入れておるのか」
 と、うめく道三。
「確かに恐ろしい威力があります」と光秀はいいます。「しかし、いくさで使えるかどうかとなると」
 いぶかしげに光秀を見る道三。光秀は続けます。
「撃つまでに手間がかかりすぎます。一度、撃って次にまた撃つまでに、敵は斬りこんでくる」光秀は懐疑的です。「これをいくさ道具として将軍家が手に入れているのだとは、考えにくうございます」
 道三はたずねます。
「では、本能寺に命じてまでつくらせようとしているのは、なにゆえじゃ」
 明智の館で鉄砲を研究していた光秀は、家臣の藤田伝吾(徳重聡)を呼び寄せて相談します。鉄砲をもっと早く撃つために、分解して中を見てみたい。そして藤田の口から伊平次の名を聞くのです。以前この近くに住んでいた。刀鍛冶になろうとしたが、どこも長続きせず、近江の国友村へ流れていった。そこで京のある筋から頼まれ、鉄砲を修理している、あるいはつくっている。
 光秀は国友村に行ってみることにします。
 その頃、医者の望月東庵(堺正章)の助手である駒(門脇麦)が、明智の館を訪ねようとしていました。東庵が尾張から帰ってきたこともあり、京に戻ることにしたのです。そのあいさつのため、駒は光秀に会いに来たのでした。しかし明智の館に到着してみると、光秀は国友村に行ってしまっていません。がっかりして館をあとにする駒。一緒についてきた菊丸(岡村隆史)に
「もう会えないかもしれないのに」
 と、いわれてしまいます。
 国友村に着いた光秀は、鍛冶師に、鉄砲について口外してはならぬとの沙汰を受けているといわれます。その沙汰はどこから、とたずねる光秀。将軍家から、と鍛冶師は答えます。光秀は伊平次に会わせて欲しいと頼みます。その願いも断る鍛冶師。帰ろうとする光秀に、鍛冶師の一人が声をかけてきます。伊平次の居場所を教えるというのです。光秀は金を払い、伊平次が京の本能寺にいることを聞き出します。
 光秀は美濃に帰り、道三から京に行く許可を取り付けます。
 京は度重なる戦火に街を焼かれ、公家や僧侶、将軍さえも逃げ出す都と化していました。近江にいた将軍足利義輝を、京に戻したのは細川晴元(国広富之)という有力大名でした。しかしその晴元も家臣たちの内部抗争に手を焼いていました。とりわけ強力な軍事力を持った三好長慶(山路和宏)と、長慶を支える松永久秀(吉田鋼太郎)は、すでに主君晴元をおびやかす存在になっていました。
 光秀は京に来て、本能寺を前にしていました。しかし本能寺の中は侍だらけでは入れないということでした。足利将軍が来ているらしいのです。光秀は背中に背負った鉄砲を怪しまれ、ある侍に刀を向けられます。刀を抜いて応戦する光秀。そこへ斬り合いをやめるようにと声がかけられます。馬上本能寺を出てきた、将軍足利義輝(向井理)でした。
 光秀が将軍を見送ると、親しく声をかけてくる者がいます。堺で会っていた、将軍奉公衆の三淵藤英(谷原章介)でした。光秀に斬りかけてきたのは、同じく将軍奉公衆で三淵の弟である細川藤孝(眞島秀和)でした。三淵は光秀の持っている鉄砲は、堺で松永久秀に頼んで手に入れたのだろうと言い当てます。三淵は松永に会いに行こうとしているところでした。一緒に行かないかと光秀を誘う三淵。光秀は伊平次に会いに、本能寺にやってきたことを話します。実は三淵も伊平次の行方を捜していたのです。どこへ行ったのか不明でした。
 三淵と光秀は、松永久秀の陣所にやってきます。侍たちは殺気立っています。家臣たちを下がらせて三淵に会う松永。光秀もいることに松永は気づきます。光秀も伊平次を探していると、松永に告げる三淵。松永は斎藤道三もいくさで鉄砲を使おうとしているのだと合点します。松永はいいます。
「わしも、この三淵様も、できるだけ多くの鉄砲をそろえて、敵に備えようと考えておるのじゃ。そこで腕利きの伊平次につくらせようとおもったのだが、その伊平次がつかまらんのだ」
 三淵は、松永一派と、互いに譲り合い、共に生きていく道を見つけようとやってきたのでした。しかし話し合いはうまくいかず、三淵はまた出直すことにします。
 光秀も三淵とともに帰ろうとしますが、松永に呼び止められます。
 光秀は松永と話す中、考えていた疑問を投げかけます。
「鉄砲がさほど大事でしょうか。これをこのままいくさで使えるとは思えませぬし、なにゆえ公方様(将軍)が本能寺を通してまで鉄砲を集めようとしておられるのか、腑に落ちませぬ」
 それを聞いて松永は自分の所有する鉄砲を光秀に向けるのです。
「どうだ、動けるか」と松永は叫びます。「銃口を向けるだけで相手の動きを封じることができる。弾が当たるかどうかではない」
 鉄砲を下げ、松永はさらにいいます。
「鉄砲の怖さをお互い知っていれば、気楽に攻め込むことはできん。いくさのありようは変わるぞ。わしならば、戦う前にこう考える。敵は鉄砲を何挺持っている。こちらの三倍持っているのか。ならばいくさはやめておこう。いくさは減るぞ」
 松永は光秀に伊平次に会いに行くことを提案します。実は松永は、伊平次の居所を知っていたのです。
 松永は光秀を連れて遊郭にやってきます。松永はこのようなところに慣れているようなのです。しどろもどろとなる光秀。ついに光秀と松永は伊平次と対面します。伊平次は松永にいいます。
「何度来られても、できないものはできない」
 松永は伊平次の鉄砲をほめます。渡来のものに勝るとも劣らないできばえだ。しかも値段が安い。伊平次はできない理由を話します。松永に二十挺つくったとする、すると細川晴元は三十挺つくれといってくるだろう。それを知った将軍は五十挺つくれと命じてくる。そのような政治のゴタゴタに巻き込まれたくないのだ。光秀は思い出します。
「あの伊平次だな」
 光秀は暴れ者の伊平次が井戸に落ちたところを、縄を投げて助けていたのです。伊平次もそのことを思い出します。伊平次は光秀の持っていた鉄砲に気がつきます。光秀は伊平次にそれを分解してくれるように頼みます。伊平次はそれを請け合います。
 道具を取りに行くために着替えようと部屋を出る伊平次。松永と光秀は階段に出ます。光秀は謝ります。
「私の都合を先にいってしまい、申し訳ありませぬ」
 松永はむしろ機嫌がいいようです。
「気にするな。よいよい。よいぞ、おぬしたちにそういうえにしがあったとはな。これは天が与えた僥倖じゃ。あの様子では、おぬしが頼めば鉄砲二十挺、用意するのではないか」
 松永は光秀に強引に頼み込んで去って行くのでした。
 伊平次と通りを歩く光秀。その後ろ姿を見た者がいます。東庵に連れられた駒でした。東庵にたずねられ、駒がいいます。
「あのお一人が、十兵衛(光秀)様によく似ていらっしゃったので」
「ここは京だぞ」と、駒は東庵にたしなめられます。「十兵衛様がいるわけがあるまい」
 光秀も何かを感じて後ろを振り返るのです。

 

『映画に溺れて』第316回 デカメロン

第316回 デカメロン

昭和四十七年五月(1972)
大阪 千日前 東宝敷島

 

 私が初めて観たピエル・パオロ・パゾリーニ監督の作品は『デカメロン』だった。ボッカチオ原作のセックスコメディである。
 まだ十代の私はパゾリーニの作品が気に入って、その後、『カンタベリー物語』『アポロンの地獄』『王女メディア』『テオレマ』『豚小屋』『アラビアンナイト』などを観たが、最初に観たのが『テオレマ』や『豚小屋』だったら、この監督にはまったく興味が持てなかったかもしれない。遺作の『ソドムの市』も全然好きになれなかった。
 最初に出会ったのが『デカメロン』でほんとによかった。百話ある原作のうちの八話を映画化し、そこに十四世紀当時の画家ジョットーが登場するが、これを演じているのがパゾリーニ本人なのだ。
 どの話もセックスにまつわるもので、たとえば、尼僧院の風紀の乱れを耳にした若者が、聾唖者をよそおって下男として住み込む。すると尼さんたち、夜毎にこの男のところへ忍んでいく。聾唖者なら秘密が外に漏れないということで。ところが、あまりに尼さんたちの攻撃が激しすぎるので、最初は喜んでいた男もとうとう「もうやめてくれ」と声を出す。と尼さん、奇跡が起きて聾唖者がしゃべれるようになったと叫び、この若者を聖者にしてしまう。
 たとえば、ある極悪非道の無法者、旅先で病気になって死期を悟る。さんざん悪の限りをつくした男の懺悔を聞くために病床に神父が呼ばれる。このやくざは自分がどんなに誠実で質素で善良で潔癖あったかという嘘を並べる。神父は感動して、この無法者が死ぬと聖者にしてしまう。
 たとえば、旅の神父がある農家に泊めてもらい、農夫に自分は女をロバに変身させる秘術を知っていると嘘をいい、まんまと農夫の妻を犯してしまう。
 十四世紀に教会の腐敗と堕落を面白おかしく艶笑譚に仕上げたボッカチオの手腕。それを二十世紀に映像化したパゾリーニ。どちらも大いに通じるところがある。

 

デカメロン/Il Decamerone
1971 イタリア/公開1972
監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ
出演:ニネット・ダボリ、アンジェラ・ルーチェ、フランコ・チッティ、エリザベッタ・ダボリ、ジャンニ・リッツォ、シルヴァーナ・マンガーノ

『映画に溺れて』第315回 王女メディア

第315回 王女メディア

昭和四十九年五月(1974)
大阪 中之島 SABホール

 

 小学生の時に観た『アルゴ探検隊の大冒険』はイアソンとメディアが結ばれハッピーエンドだったが、その後のふたりは決して幸福ではなかった。
 イアソンは幼時、半人半馬ケンタウロスの賢者によって育てられ、やがてアルゴナウタイの旅。金羊毛の入手。この大冒険の部分はエウリピデスギリシャ悲劇にも、それを映画化したパゾリーニ作品にもない。
 イアソンとメディアの間には子供もでき、今はコリントの地で静かに暮らしている。コリント王はイアソンの素性と人柄を見込んで自分の娘の婿に望み、イアソンもこの申し出に心動かされる。
 妻のメディアは夫の花嫁になるコリントの姫に花嫁衣装を贈るが、この衣装には呪いがかかっていて、花嫁は焼け死ぬ。メディアは自分を捨てた夫への腹いせに、子供も殺す。メディアはもともと異郷コルキスの魔女なのだ。イアソンは花婿にもなれず、自分の愛しい子供まで妻に殺され、やがては野垂れ死に
 主演のメディアはオペラ歌手のマリア・カラスが演じている。
 坂東玉三郎主演の舞台『王女メディア』を日生劇場で観たのは、一九八三年の二月。
 パゾリーニの映画も、玉三郎の舞台もすさまじかったが、この物語、どこかで知っているような。そう、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』に似ているのだ。
 イアソンが伊右衛門で、メディアがお岩。
 若い頃、パゾリーニの映画はけっこう好きだった。『デカメロン』や『カンタベリー物語』のようなセックスコメディもいいが、おどろおどろしい『王女メディア』や『アポロンの地獄』ももう一度、観てみたいと思う。

王女メディア/Medea
1969 イタリア/公開1970
監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ
出演:マリア・カラス、ジュゼッペ・ジェンティーレ、マルガレート・クレメンティマッシモ・ジロッティ、ルイジ・バルビーニ

『映画に溺れて』第314回 マイ・フェア・レディ

第314回 マイ・フェア・レディ

昭和四十九年十一月(1974)
大阪 堂島 大毎地下

 

 音声学の教授が、友人の退役大佐と賭けをする。きついロンドン下町訛りの花売り娘に、音声学の手ほどきで上流婦人のような話し方をさせることができるかどうか。
 十九世紀末のイギリスでは身分によって話す言葉が違っていた。日本でも江戸時代は武士と町人とでは別の言葉だったから、似たようなものか。ジョージ・バーナード・ショーの舞台劇『ピグマリオン』である。
 このコメディがブロードウェイでミュージカルになったのが『マイ・フェア・レディ』で『踊りあかそう』『運がよけりゃ』『君住む街』『スペインの雨』などなど、名曲ぞろい。ヒットするミュージカルは、『サウンド・オブ・ミュージック』にしろ『ラ・マンチャの男』にしろ、曲が後世まで歌いつがれる。
 これが後にハリウッドで映画化され、花売り娘のイライザにオードリー・ヘップバーン、ヒギンズ教授がレックス・ハリソン。実はこのとき、オードリーは歌わず、吹き替えだった。後にTVのシャーロック・ホームズで人気の出るジェレミー・ブレットが、イライザに思いを寄せる青年貴族フレッドの役で、やはり本人は歌っていない。
 舞台版は日本でも繰り返し上演されており、私は一九九〇年に帝劇で観た。イライザが大地真央、ヒギンズ教授が細川俊之、ピカリング大佐が益田喜頓だった。
 余談だが、ニコラス・メイヤーに『ウエストエンドの恐怖』というホームズパロディがある。バーナード・ショーの依頼でホームズとワトスンがロンドン演劇界の怪事件に挑み、耽美派詩人オスカー・ワイルドやドラキュラの作者ブラム・ストーカーも登場する。ちょっとした観察で相手の素性を言い当てるホームズに驚嘆したショーが、自作の戯曲で相手のちょっとした訛りから出身地や階級を言い当てるヒギンズ教授を創作したという設定が面白かった。

マイ・フェア・レディ/My Fair Lady
1964 アメリカ/公開1964
監督:ジョージ・キューカー
出演:オードリー・ヘップバーン、レックス・ハリソン、スタンリー・ホロウェイ、ウィルフレッド・ハイド・ホワイト、ジェレミー・ブレット、セオドア・バイケル

『映画に溺れて』第313回 驟雨

第313回 驟雨

平成四年十一月(1992)
早稲田 ACTミニシアター

 

 若いころ、演劇の勉強をしていた関係で、古い戯曲をずいぶん読んだ。
 演劇の権威ある賞に岸田戯曲賞があり、劇作家岸田國士の名を冠している。國士の長女が詩人の岸田衿子、次女が女優の岸田今日子、國士の弟の息子が俳優の岸田森、國士の妹の夫がシャーロック・ホームズ全訳で有名な翻訳家の延原謙。芸術家の家系である。
 岸田國士の短編戯曲は新劇の養成所や演劇学校などの試演会で上演されることがあり、いくつか観ている。
 その岸田戯曲を集めて映画にしたのが成瀬巳喜男監督の『驟雨』で、表題作の他、『紙風船』『ぶらんこ』『隣の花』『犬は鎖につなぐべからず』などをうまくつなぎあわせて脚色している。脚本は水木洋子
 佐野周二ふんする夫と原節子ふんする妻、世田谷の梅ヶ丘に住んでいて、子供はいない。夫は中小化粧品会社の社員で、近く会社の合併で人員整理が行われるため、不安になっている。
 夫婦は日曜日になると、会話もなく、退屈している。
 隣に引っ越して来るのが小林桂樹と根岸明美の若夫婦。すらりとした長身美人の隣の若奥さんに、つい見惚れてしまう夫にあきれる妻。
 新婚旅行先から逃げ帰って来る姪が香川京子。さんざん新郎の愚痴をいう。
 近所で悪さをする野良犬。市場で財布をすられる妻。
 そんな夫婦の日常生活をスケッチしたもので、これといって劇的な盛り上がりはないが、悲劇的でもなく、夫婦の倦怠感を微笑ましく見せている。岸田戯曲のせりふの魅力。
 同じ年に作られた『のり平の三等亭主』も東京郊外に住む夫婦の物語なので、見比べるのも一興かもしれない。

驟雨
1956
監督:成瀬巳喜男
出演:佐野周二原節子香川京子小林桂樹、根岸明美加東大介、伊豆肇、塩沢登代路、長岡輝子

『映画に溺れて』第312回 熱海殺人事件

第312回 熱海殺人事件

昭和六十一年六月(1986)
大阪 梅田 三番街シネマ1

 

 私がつかこうへいの舞台を初めて観たのは一九七五年の初夏、タイトルは『ストリッパー物語』だった。たしかポスターに小沢昭一撮影の写真が使われていたように記憶する。出演は根岸とし江三浦洋一平田満、知念正文。
 同じ年の秋、今度は『熱海殺人事件』を観た。大阪の島之内小劇場。満員でぎゅうぎゅう詰めの観客、その笑い声が怒涛のように劇場を揺らした。『熱海殺人事件』の評判はすさまじく、新潮社から戯曲が出て、角川文庫から舞台のノベライズが出て、つかこうへいは一躍売れっ子作家となり、三浦洋一平田満もTVや映画の人気者になっていった。三浦洋一ふんする部長刑事。井上加奈子の婦人警官。富山県警から赴任してきた平田満の熱血刑事。これに殺人容疑で逮捕された九州出身の工員、加藤健一。工員が熱海の海岸で恋人を腰紐で絞め殺す。これを部長刑事が自分の美意識に合わないからと、無茶苦茶な理屈を並べて尋問していく。こんな演劇、今まで観たことなかった。だれも思いつかなかったようなスタイル。機関銃のように飛び出すせりふ。一歩間違うと寄席のコントのようになりそうで、そうならない節度。まさに天才である。
 新劇の老舗である文学座がつかこうへいの戯曲『戦争で死ねなかったお父さんのために』を上演したのもその頃で、主演の高原駿雄は『七人の侍』で三船にあっさりと殺される気のよさそうな野武士や『競輪上人』の小沢昭一の寺の弟子など、昔の映画でよく見かける名脇役。アングラとは対極の文学座までがつかこうへいを上演したのだ。
 つかこうへいに心酔する演劇青年は多く、当時、若手劇団の公演など観に行くと、ああ、またつかこうへいの模倣かとがっかりすることも多かった。
 八〇年代に入っても、つかこうへいの人気は続き、小説、エッセイ、映画シナリオなど書き続けて、とうとう『熱海殺人事件』まで自作シナリオで映画化。
 部長刑事くわえ煙草の伝兵衛を仲代達矢、熊田留吉刑事を風間杜夫、婦人警官を志穂美悦子、工員を竹田高利。舞台の映画化というのは、小説の映画化よりもはるかに難しいのではなかろうか、と思わせる一本であった。

熱海殺人事件
1986
監督:高橋和男
出演:仲代達矢風間杜夫志穂美悦子竹田高利三谷昇

 

『映画に溺れて』第311回 上海バンスキング

第311回 上海バンスキング

昭和五十九年十一月(1984)
錦糸町 キンゲ

 

 今では映画ばかり観ているが、私は若い頃、演劇が好きだった。いろんなジャンルを観たが、一九七〇年代は小劇場ブームといわれるほど、無数の小劇団が活躍していた。その中でも特に心に残るであろう一本が、自由劇場の『上海バンスキング』だった。忘れもしない一九七九年の二月、六本木のオンシアター自由劇場
 上海を舞台に、ジャズを背景にした珠玉の名作。金持ちの娘マドカとバンドマンの波多野が駆け落ちし、フランスへ行く途中で立ち寄った上海にずっと居続け、日中戦争から戦後を迎えるまでの退廃的な音楽劇である。
 主題歌の『ウェルカム上海』から始まって、『月光価千金』『ダイナ』『セントルイスブルース』『リンゴの木の下で』など、懐かしい曲の数々が劇中歌として使われている。歌は吉田日出子、演奏するのは実際の自由劇場の俳優たち。優れた生の舞台は観客を酔わせる。帰りの地下鉄でも、まだ夢が覚めなくて、ずっとぼおっとしていたのを今でも思い出す。
 二年後に吉田日出子が歌う劇中歌のアルバムが出たので、ずっと聴いていた。その後、博品館での再演も観た。配役はマドカが吉田日出子、波多野が初演は真名古敬二、博品館串田和美、バクマツが笹野高史、リリーが初演が田辺さつき、博品館余貴美子だった。他にも小日向文世、大谷亮介、鶴田忍といったその後も活躍する人たち。
 深作欣二監督の映画は舞台とはまったく違う。あの素晴らしい名舞台に感激した者としては、ちょっと乗れなかった。六本木の地下の閉鎖的な空間で、ひしめきあう観客といっしょになって観た舞台の熱狂。あの凝縮感は商業映画にはない。映画『上海バンスキング』はあまりに大味で薄味だった。
 でも、今にして思うと、そもそも映画と舞台は別物である。あれはあれでよかったのかな、という気もする。
 それはそうと、激動の歴史と音楽を組み合わせたあたり、ライザ・ミネリの『キャバレー』が影響しているのだろうか。

上海バンスキング
1984
監督:深作欣二
出演:松坂慶子風間杜夫、宇崎竜童、志穂美悦子平田満、夏木勲

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第四回 尾張潜入指令

 文久十七年(1548)、春。街道一の弓取りといわれた駿河今川義元片岡愛之助)が軍を動かしました。目的は三河の制圧と、尾張への進出でした。織田信秀高橋克典)の軍は、三河の小豆坂でそれを迎え討ちます。両軍は譲らず、決着がつきませんでした。この戦いは痛み分けに終わりましたが、織田軍は激しく消耗してしまいました。
 美濃の明智荘では、明智光秀十兵衛(長谷川博己)が、鉄砲の試射をしていました。的にした鎧になかなか当たらず、家臣の藤太伝吾(徳重聡)に笑われる始末。そこへ知らせがやってきます。叔父の明智光安とともに稲葉山城に参上せよと、斎藤道三(この頃は利政)(本木雅弘)が命じてきたとのことでした。
 道三の妻である小見の方はだいぶ病状が回復しており、医者の望月東庵(堺正章)が京に帰ろうとしていました。
 光秀は光安と共に、東庵が道三と別れを交わすところに同席していました。
「途中、どこかにお寄りになるおつもりは」
 道三は東庵にたずねます。
「真っ直ぐ京に戻ります」
 と答える東庵。
「この利政(道三)に嘘は通りませぬぞ。ここから尾張に向かわれるのではないかな」
 実は道三は東庵のことを調べていたのです。東庵は織田信秀と親しく、双六をする仲で、三年前には十貫の大敗をしていたのです。東庵は白状します。
「仰せの通り。これより尾張に参り、双六の借金を返そうかと」
「それだけではあるまい」
 道三はいいます。先の今川との戦いの折、信秀は城に戻るなり寝込んだという噂がある。病を診て欲しいと信秀に頼まれたのではないか。
「もし、そうであったら」
 東庵は道三に聞きます。道三はいいます。どんな病なのか、自分に教えて欲しい。東庵は断ります。
「医者は脈をとった者の病については、秘して表に出さぬのが習い」
 道三は請います。信秀は道三にとって、不倶戴天の敵。病の重い軽いかを知っておけば、策略のたてようがある。東庵ははっきりといいます。
「お断りをいたします」
 激高するでもなく、道三はいいます。
「ならば御身の首をはねるまで」
 道三は刀をとってきて光秀に差し出します。光秀に東庵の首をはねるように命令します。躊躇する光秀。東庵は慌て、ついにいいます。
「あいわかりました。織田様のご様子、お伝えいたしましょう」
 東庵は厚顔にも道三に条件をつけます。秀信に借りていた双六の借金十貫を代金に上乗せして欲しい。
 道三は座を立ち去り、光秀を呼びます。面白い男を連れてきた。あちこちの大名や公家衆とつながりのある不思議な医者だ。使い道がある。織田のもとに行かせてどれほど役に立つか、興味のあるところだ。光秀はいいます。
「しかし、織田方へ行かせて、戻って参るかどうか」
 道三はいいます。
「一緒につれて参った娘を人質に取り、戻らねば殺すといえ」
 翌朝、出発する東庵を光秀は見送ります。駒(門脇麦)をよろしく頼みます、と東庵はいいます。お任せ下さい、光秀はといい、
「万事、東庵殿しだいですゆえ、くれぐれも手はずをお間違えなきよう」
 と、念を押します。東庵は光秀に頭を下げて、出発してゆきます。
 東庵は尾張の古渡城に到着していました。秀信は元気そうに蹴鞠を行っています。東庵は織田の家老から、秀信が敵の矢を受けたことを聞きます。東庵は秀信を双六に誘います。
 その頃、農民に変装した光秀は、農民の菊丸(岡村隆史)と共に、尾張の国境を抜けていました。二人は兄弟ということにしていました。
 秀信と双六をする東庵。東庵は秀信の矢傷を調べます。
 光秀と菊丸は織田の屋敷の中庭で待っていました。東庵に薬草を届ける手はずになっていたのです。長く待たされる二人。そこへ子供が逃げてやってきます。自分を三河に連れて行って欲しいと頼みます。母に会いたいというのです。侍たちが子供を探してやってきます。光秀はかごから薬草を出し、その中に子供を隠します。侍たちがいってしまうと、光秀はかごの中に子供に話しかけます。
「私にできるのはここまでです。この館は守りが固い。内も外も、大勢の者が目を光らせています。抜け出すのは無理です」
 その子の名前は竹千代(後の徳川家康)でした。人質として、尾張に置かれていたのです。光秀は竹千代にいいます。
「今はつらくとも、日が変わり、月が変われば、人の心も変わります。いずれ母上に会える日が来ます。無理をせず、待つことです」
 竹千代は納得して戻ってゆきます。
 思い詰めたような顔で菊丸がしゃべり出します。
「わしは百姓じゃが、同じ三河の者。あのお方の気持ちはようわかります。三河は今川駿河と、この尾張に挟まれて、年中田畑を、両方から荒らされて、どちらかの力を借りなければやっていけない。そんな国ですから。今は我慢して、尾張に頭を下げて、若君を人質に差し出して。くやしいけど、そうやって」
 二人のところへやっと東庵がやってきます。東庵は光秀に薬草の代金の袋を渡すのです。
 秀信は何か感づいた様子でした。家来に命令します。
「東庵殿に薬草を届けた者を捕えよ。怪しいものなら斬れ」
 光秀は山道で、紙片を取り出していました。それは東庵が袋に入れて、光秀に渡したものでした。光秀と菊丸は、前後を侍たちに挟まれます。身元を改めるため、同道するように命じます。光秀は侍たちを投げ飛ばし、菊丸に逃げるようにいいます。敵の刀を奪い、奮戦する光秀。しかし光秀の持つ刀が折れてしまいます。土手を駆け上がる光秀。そこに助けが入るのです。木に隠れた誰ともわからない者たちが、侍たちに石つぶてを投げつけたのです。こっちこっち、と菊丸が光秀を誘導します。侍たちをやり過ごすことに成功するのです。
 美濃にたどり着いた光秀は、道三に報告をしていました。紙片の内容を話します。
「矢の根が取りきれておらず、そこから体内に毒が回り、すでにわずかに発熱があると。あれではいつ倒れても不思議はないと。もろもろ勘案してすでに手遅れとのお見立て。重篤であると」
 今度はわしが攻める番だ、見ておれ、と道三は笑い声をたてるのです。駒を解放してもよいとの許しを光秀に出します。そして翌朝、再び登城するようにいうのです。常在寺の和尚、日運が、鉄砲の話をしたがっているというのです。
 光秀は駒のもとに向かいます。いつでも京に戻ってよいと告げます。駒は喜ぶ様子がありません。
「十兵衛(光秀)様は私が京へ戻るのがそんなに嬉しいのですか」
 光秀はいぶかしがります。
「いや、駒殿は、京に戻りたいのではないのか」
「そりゃあ戻りたいですよ、でも、そんなによかったといわれると、ちょっと、さみしゅうございます」
 駒は東庵も帰らないことだし、まだ滞在することを宣言するのです。
 翌朝、登城する光秀。日運と話をする道三のところに同席します。日運は、幕府が本能寺を通じて鉄砲をつくらせていると告げます。光秀は日運に問います。
「あのような難しい物を、誰がつくっているのでしょうか」
 日運はそれを知らない様子でした。

 

『映画に溺れて』第310回 フィラデルフィア・エクスペリメント2

第310回 フィラデルフィア・エクスペリメント

平成六年十月(1994)
池袋 シネマセレサ


 低予算、B級映画である。前作『フィラデルフィア・エクスペリメント』も低予算だったが、アイディアをいろいろ出して面白く作っていた。が、この2は超B級。
 第二次大戦当時の防衛システム実験の副作用で現代にタイムスリップしたアメリカの海軍兵士ハーデックが、あれから八年、一九九三年のアメリカで、今は妻にも死なれ仕事もうまく行かず、幼い息子とふたりで細々と暮らしている。
 ちょうどその頃、軍の秘密研究所でドイツ系科学者のマーラー博士がかつてのレーダー消去装置の実験を再開し、上層部の反対を押し切って実験を行う。
 そのとたん、ハーデックは苦しみだして、世界が歪み、気がついたら、廃墟にいて兵士たちに追われ、ゲリラ風の連中に助けられる。その世界は一九九三年のアメリカには違いないのだが、第二次大戦でドイツが連合国を敗った過去を持つ別世界だった。
 第二次大戦時にドイツで新型戦闘機が発明され、それが搭載していた新型爆弾によってワシントンは一瞬にして滅んだのだった。
 全世界はナチスによって支配され、アメリカはその傘下の弱体国家にすぎない。
 ハーデックひとりが、このパラレルワールドに紛れ込んだ原因は、どうやら前作のタイムスリップと関係あるらしい。この世界のマーラー博士もまた、時間移動の実験を行っていた。そこでハーデックは再び過去へ戻り、歴史を修正しようとする。
 とにかく予算がないから、ドイツが戦勝した別世界の一九九三年というのが、安っぽい三流SFの型通りの独裁国風、セットも限られているので、リアリティがまるでない。第二次大戦の場面など、そこらへんの倉庫で軍服を着た数人の俳優がうろうろしているだけという寂しさ。ストーリーも矛盾だらけだが、私はこういう映画もけっこう嫌いではない。


フィラデルフィア・エクスペリメント2/Philadelphia Experiment II
1993 アメリカ/公開1994
監督:スティーブン・コーンウェル
出演:ブラッド・ジョンソン、マルジーン・ホールデン、ゲリット・グレアム

『映画に溺れて』第309回 キャバレー

第309回 キャバレー

昭和四十七年十月(1972)
大阪 難波 南街シネマ


 第二次大戦前夜のベルリンに、作家志望のイギリス青年がやって来て、ライザ・ミネリ扮する歌手サリー・ボウルズと知り合い、恋仲になる。が、彼女は男に縛られない自由な女で、他の男とも奔放な恋をし続ける。彼は裕福なユダヤ人の家に英語の家庭教師として雇われ、やがてナチスが台頭する。作家としてカメラのようにそれらを見続け、彼はイギリスへ帰り、彼女はベルリンのキャバレーに残る。
 原作はクリストファー・イシャーウッドの小説『さらばベルリン』、それを戯曲化したジョン・ヴァン・ドルーテンの『私はカメラ』、さらにそれをミュージカル化したブロードウェイの舞台『キャバレー』、それらを踏まえた映画化である。
 映画はライザ・ミネリの魅力全開で、彼女の歌う『Mein Herr』『Cabaret』、ミネリとジョエル・グレイの『Money, Money』など、歌も振り付けも堪能させるが、ほとんどはキャバレーキットカットクラブでのショーの場面となっており、ショー以外の現実の場面では歌わない。形式としては、登場人物がせりふを歌うミュージカルではなく、ショーの場面がふんだんに入ったストレートプレイである。
 ヴァン・ドルーテンの戯曲をそのまま映画化した『嵐の中の青春』をその後、京橋のフィルムセンターで観る機会があったが、ライザ・ミネリの素晴らしい歌と踊りを観たあとでは、サリーを演じたジュリー・ハリスが全然印象に残らなかった。
 日本では舞台を戦前の中国に変えた翻案劇のミュージカル『洪水の前』が作られ、秋川リサが主演だった。


キャバレー/Cabaret
1971 アメリカ/公開1972
監督:ボブ・フォッシー
出演:ライザ・ミネリマイケル・ヨーク、ヘルムート・グルーム、ジョエル・グレイ、マリサ・ベレンスン

 

嵐の中の青春/I Am a Camera
1955 イギリス/公開1957
監督:ヘンリー・コーネリアス
出演:ジュリー・ハリス、ローレンス・ハーヴェイ、シェリー・ウィンタース