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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十七回 長良川の対決

 弘治二年(1556年)春。斎藤道三本木雅弘)は大桑城を出、南の鶴山に向かいました。嫡男の高政(伊藤英明)と戦うためでした。
 明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、叔父の光安(西村まさ彦)に合流し、道三方について戦うつもりでした。
 尾張清洲城では、織田信長染谷将太)が落ち着きません。帰蝶にいいます。
「むざむざ見殺しにするつもりか」
 帰蝶川口春奈)は振り向きもしません。
「負けとわかったいくさに巻き込まれるのは、愚かというもの」
 いくさはやり用だという信長に対して、帰蝶はいいます。
「たった二千の兵で。兄は一万二千の兵を集めたと申します」
「わしは行くぞ。鶴山へ行く。親父殿を助ける」信長は帰蝶をのぞき込みます。「親父殿にはいくさの借りがあるのじゃ。助けてみせるぞ」
 信長が立ち去ると、帰蝶は記していた紙を握りしめます。
「皆、愚か者じゃ」
 長良川の北岸に道三は陣を築きました。南岸には高政の陣があります。
 高政は先陣の次に、自分が行くといい出します。国衆の稲葉良通(村田雄浩)がいいます。
「敵とはいえ、向こう岸にいる面々は、昨日まで酒を酌み交わした仲じゃ。殿のお顔を拝すれば、皆、早々に降参する」稲葉は高政を振り返ります。「で、道三殿の始末はいかがいたします」
 高政は答えます。
「殺すな。生け捕りせよ」
 稲葉がさりげなくいいます。
「親殺しは外聞が悪うございますからなあ」
 高政は稲葉をにらみつけるのでした。織田信長が国境(くにざかい)に来ています。高政は早く勝負をつけなければなりませんでした。
 いくさは早朝に始まりました。川の中で激しい戦いが繰り広げられます。
 光秀は道三の陣に向かおうとしていました。しかし戦いは激しさを増しており、光秀は容易に進めません。
 戦いは一進一退の攻防を繰り返していましたが、高政がみずから大軍を率いて押し寄せると、勝敗は決定的なものとなります。
 霧に紛れて一騎、道三が高政の前に現れます。高政に一騎打ちを申し出ます。高政は兵に周囲を囲ませた上で、一騎打ちを受けます。互いに馬を下り、槍で戦う二人。つばぜり合いの状態になり、高政は叫びます。
「負けを認めよ。命までは取らぬ。わが軍門にくだれ」
 道三は静かにいいます。
「己を偽り、人をあざむく者の軍門にはくだらぬ」
 高政は吠えます。
「誰が己を偽った」
「ならば聞く。そなたの父の名を申せ」
 二人は離れ、間合いを取ります。高政は槍を地に突いて叫びます。
「わが父は、土岐頼芸様。土岐源氏の頭領ぞ」
 道三は笑い出します。
「我が子よ。高政よ。この後に及んでまだ己を飾ろうとするか」道三は兵たちを見回します。「その口で皆をあざむき、この美濃をかすめ取るのか。おぞましき我が子。醜き高政」
「黙れ」
 と、思わず叫ぶ高政。
「そなたの父は、この斎藤道三じゃ」道三はいい切ります。「成り上がり者の、道三じゃ」
「討て。この者を討て」
 と、命令する高政。兵たちが迫ります。
「高政」
 と叫び、突撃する道三。しかし兵にその脇腹を刺されるのです。おぼつかぬ足取りで、道三は高政に近づきます。そして高政に抱きつくのです。
「我が子、高政。愚か者。勝ったのは道三じゃ」
 そういって首の数珠を引きちぎり、道三は崩れ落ちるのでした。高政も目に涙を浮かべます。兵たちの鬨(とき)の声にも会わせることをしません。そこに光秀がやってきます。光秀は道三の遺骸を見て呆然となります。高政は光秀を責めます。自分の所に来ず、道三に味方した。しかし今一度、機会を与えるといいます。自分の所に来て、まつりごとを助けろ。そうすれば今度のあやまちは忘れる。光秀は聞きます。道三は高政の父親ではなかったのか。自分の父は土岐頼芸だと言い張る高政。光秀はいいます。
「わしは、土岐頼芸様にお会いして、一度たりとも立派なお方と思うたことはない。しかし道三様は立派な主君であった。己への誇りがおありであった。揺るぎなき誇りだ」光秀は高政を振り返ります。「土岐様にもおぬしにもないものだ。わしはそなたには与(くみ)せぬ。それが答えだ」
 高政はいいます。
「次、会(お)うた時には、そなたの首をはねる。明智城は即刻攻め落とす。覚悟せよ」
 光秀はきびすを返します。片膝(ひざ)を突いて、道三に礼をするのでした。
 明智城は、いくさ支度をしています。光秀は叔父の光安に会います。光安は光秀を無理矢理、上座に座らせようとします。
「わしは今日、この場で、明智家のあるじの座を、そなたに譲りたい」
 光安は自分の座っていた場所に光秀を座らせます。この城もまもなく、高政の軍に攻められる、と光安はいいます。敵は三千。こちらには三百しかいない。戦ったとしても、いずれ皆、討ち死にする。
「我らが討たれれば、明智家は途絶える。わしはそなたの父上から、家督を継いだ折、ゆく末そなた立て、明智家の血は決して絶やさぬと約束した」光安は光秀に明智家の旗印を渡します。「これはそなたの父上の声と思って聞け。いったん城を離れ、逃げよ。逃げて、逃げて、生き延びよ。明智家のあるじとして、再び城を持つ身になってもらいたい。そなたには、それがやれる」
 光秀は聞きます。自分は逃げるとして、皆は、(藤田)伝吾(徳重聡)たちはどうなるのか。光安はいいます。伝吾たちはもともと農民だ。刀を捨て、田畑を耕せば、高政も斬り捨てはしない。その時、敵が押し寄せてきている、という知らせが入るのです。光安はこの城の最後を見届け、後を追う、と光秀を促します。光秀は光安と抱き合い、自分の館に戻るのでした。
 光秀の館では、皆が戦い準備をしていました。光秀が城に行かぬというのを聞き、母の牧(石川さゆり)は驚きます。
「逃げまする」と、光秀は宣言します。「それか叔父上のご命令です。落ち延びよと」
 伝吾たちが村人を連れてやってきます。お別れをいいたいというので、連れてきたというのです。伝吾がいいます。
「今日(こんにち)まで、長々とお世話になりました」皆も頭を下げます。「わたくしも、村の者も、何もお助けできず、口惜しい限りでございます」
 村人たちが泣き出します。伝吾は続けます。
「お供をして、お守りしたくとも、田や畑は持って歩けませぬ。ご一緒にと思うても、できませぬ」
「かたじけない。そう申してくれるだけで」光秀は皆にいいます。「我ら明智家こそ、長きにわたり、皆に支えてもらい、世話になり。それが、こうして出て行くことになろうとは。無念というよりほかは」
光秀は思わず伝吾の所に座って、その肩を持ちます。
「伝吾。すまぬ。無念じゃ」
 と、頭を下げるのです。光秀は立ち上がって皆にいいます。
「皆のこころざしはまことにありがたい。だが、早々に立ち帰れ。皆、達者でおれよ。また会おう。また会おうぞ」
 皆が帰ろうとすると、光秀の母の牧が、ここを動かぬといいだします。ここで死ねれば本望、と。伝吾が戻ってきていいます。
「大事な、田や畑や、山や川や」伝吾は無理に笑顔を作ります。「この先、十年、二十年、皆で守っていこうと思っておりまする。いつの日か、お方様が、またお戻りになられたとき、何も変わらず、この先も、村はあります。それを、また見ていただくために、今日は、旅に出てくださりませ」
 伝吾は牧に笑いかけるのでした。
 敵の声が聞こえてきます。光秀の館の門には、火矢が打ち込まれます。山の方を光秀が見てみると、明智の城が燃えているのが見えるのでした。

 

書評『武士の流儀(三)』

書名『武士の流儀(三)』
著者 稲葉念
発売 文藝春秋
発行年月日  2020年4月10日 
定価  ¥680E

武士の流儀(三) (文春文庫)

武士の流儀(三) (文春文庫)

  • 作者:稔, 稲葉
  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: 文庫
 

 

 江戸の人々の人情の機微、息遣いまで聞こえてくる余韻。「優しさ」は生半可な優しさではない。自己を厳しく律しているからこそにじみ出る優しさが全編にあふれる。行きつくところは平易でなじみやすい文章力であるが、江戸の世界に惹きこまれるように遊んだ。

『武士の流儀』は2019年6月にスタート。本作は第三巻目である。
 主人公の桜木(さくらぎ)清兵衛(せいべえ)は52歳、元は北御番所(ごばんしょ)の風烈廻(ふうれつまわ)り与力ですでに隠居の身である。北町奉行所のことを当時の人々は北御番所と呼んだ。また風烈廻り与力の役儀は火事を防ぐことを第一とするという。
 清兵衛の父・清三郎(せいざぶろう)は文化2年(1805)他界し、倅・真之(しんの)介(すけ)は23歳、北町奉行所(奉行は榊原主計頭忠之)の当番方与力である、とあるから、将軍家(いえ)斉(なり)の治世下の江戸が舞台背景である。
 清兵衛が50歳の若さで隠居したにはある事情があった。当時、死病であった労咳とされ、それで御番所から身を引いたのだが、医者の誤診で咳気(気管支炎)と判った。が、今更隠居を取り下げるわけにはいかない。家督と八丁堀の組屋敷を倅に譲り、今は妻の安江と鉄砲(てっぽう)洲(てっぽうず)の本湊町(ほんみなとちょう)に移り住んでいる。妻と二人暮らし隠居の身は池波正太郎の『剣客商売』の秋山小兵衛を連想させる。
若隠居生活を送る清兵衛は暇をつぶすのに往生している。妻と朝から晩まで顔を突き合わせていれば、諍いも生じる。終日一緒にいることに息苦しさを感じるのは当然で、われわれ現代人と同様である。

「日々是好日」、平穏が一番と思って日々を過ごす。何か趣味でもと思い、俳句を一ひねりするもその才能なしと自覚するや、勢い、外に出て町を歩く他ない。清兵衛の性格は人一倍正義感が強く、曲がったことが大嫌い。照れ屋であり、お節介なほどに世話好きでもある。「弱き者、困っている者には慈悲の心をもって接するのが武士の習いである」を信条としている。書名はこの信条に由来するのか。本シリーズは「事件」の展開を〈捕物帖もの〉のようにひたすら追うのではなく、とりとめのない日常の中で、外歩きをする清兵衛が市井の揉め事に首を突っ込み「事件」と遭遇するという舞台装置での展開である。
 退屈しのぎの町歩きだから、歩く範囲は限られる。小網町、本所亀沢町、真福寺、江戸橋、一石橋などなど江戸の町、橋が数多く登場。良質な時代小説にはまると、読者はいつしか小説に登場してくる町名や大名家の下屋敷などの位置を確認したくなるものだが、私もいつしか江戸の古地図を片手に現代の場所を確認するという作業に没入していた。

 本巻第四章の「別れの涙」を読み解きたい。
 その朝、清兵衛は木挽町一丁目から紀伊国橋を渡った時、「銀さん……」と声をかけられる。お節との30年ぶりの再会であった。若い頃は、花村(はなむら)銀蔵(ぎんぞう)という二つ名で浅草界隈をならした清兵衛であるが、その頃、お節は浅草並木町の「白浪」という小料理屋の女主だった。花村銀蔵の清兵衛は岡場所の女に惚れられ、逃げ回ったこともある(第1巻)ところは池波の『鬼平犯科帳』の「本所の鐵(てつ)」を彷彿させるが、お節は、清兵衛にとってどんな昔の女であったのか。「亭主に死なれたが、小金を残してくれた。倅が孝行者で助かっている」「今日はこれから手伝いにいかなきゃいけない店がある」と一人語りするお節。幸せそうに暮らしていると聞いて、清兵衛は安心するが、一方に、「本当は銀さんに口説かれたかったのよ」と打ち明けたお節の声に思わずにやける清兵衛がいる。
 お節が手伝いにいく店、木梚町の「狸」の女主おたえ(………)は、お節が店をたたむ少し前までお節の店を手伝っていた。清兵衛は隠居の身で、稼ぎもなく、夜な夜な小料理屋に酒を呑みに行く余裕はないが、若い頃の自分を知るお節とは愛嬌もあり客あしらいがうまいおたえの女ふたりのいる店は「居心地の良い店」となり足しげく足を運ぶ。安江には隠し事はできないので、お節のことを話すも、安江は焼けぼっ杭に火でもついたかと女の嫉妬まじりに受け流す。
 ほどなく、「狸」からお節が消えた。おたえに商売のイロハを教えたお節は、もう教えることはないと太鼓判を捺しつつ、身を引いたというのだ。
 九尺三間の小さな店「狸」は出来の悪い亭主と別れたおたえが小金を溜めてたちあげた小料理屋である。お節がいなくなってしばらくしたある日。その日の仕事を終え、店を閉めて、帰ろうとしたとき、「やっと探したぜ」と5年前に別れた元の夫の吉松35歳があらわれる。「事件」の発生である。
 おたえは大工の吉松とは2、3年は夫婦仲良くやっていたが、酒と博打が好きな吉松の家庭内暴力に耐えかね、親戚と相談して離縁。悪夢のような生き地獄の日々から脱したのだった。
「なかなかいい店だな、一杯もらおうか」「一杯だけですよ」。
 昔別れた亭主がいつも店をしまう時間を見計らってやってくる。強引に押し入って、「三行半(みくだりはん)をだしてねえから、いまでもおめえはおれの女房だ」と抱きすくめ、肉置きのよい尻をつかむ。ひとしきり乱暴した後には、ご機嫌を取るように、土下座して、「一からやり直す、頼むから元のさやに納まってくれ」泣きつく。「もう来ないでくれ」とその日の売上の入った財布を叩きつけるようにわたしたこともあるが、吉松はよりを戻したいとあの手この手でしつこく迫る。
 贔屓の客もつき始めた。繁昌しはじめた店。「せっかく一人でやっていけると思ったのに、お節さん……どうすればいいの、助けて」我が身に降りかかる不幸を嘆き、おたえはちいさな嗚咽を漏らす。吉松の呪縛から逃れられたと安心しきっていただけに、不安はいや増すばかりだ。
 思い余ったおたえは相談したいことありと元与力の清兵衛にすがりつく。
 清兵衛はいかにして、おたえの「事件」を解決したか。清兵衛が風烈廻りだったころの手先であった粂次(くめじ)が清兵衛の意を受けて活躍する。元は質の悪い与太者だったが清兵衛のお蔭でまともな人間に立ちかえったという粂次は清兵衛の周囲を影のように彩る常連の一人として今後も登場すると思われる。
 清兵衛の策が功を奏し、吉松を厄介払いすることができ、おたえの「事件」がやっとかたづいた時、おたえの店に、お節が現れる。
 表題に「別れの涙」とあるように、〈市井もの〉の人情話が末尾を語る。
 行徳の塩問屋の後添いになるときまり別れに来たお節を清兵衛は温かく包み込む。清兵衛は知っていた。お節が亡くなった亭主の借金を返すために、どれだけ苦労したか。長男の行状の悪さにどれだけ振り回されたかを。
「礼などいらぬさ」清兵衛のこの一言に、二人の女が泣く。読者も泣く。
 南八丁堀5丁目の外れに架かる稲荷橋南詰にある甘味処「やなぎ」の看板娘おいとはシリーズの冒頭から登場する。清兵衛は人当たりの良いふっくらした顔にいつも笑みを浮かべている町娘おいとと会うと、特別感情というのではなく、心が和むのを隠せない。おいとも常連のひとりとなろう。

 清兵衛は時代小説にしばしば登場する難事件をわけなく解決してしまうヒーロー的な与力ではない。人生の機微を知り、与力時代から培った知恵と勘を働かせ、自らの意志と正義を敢然と貫き、責任ある温情で「事件」を斬る。
 花村(はなむら)銀蔵(ぎんぞう)こと桜木(さくらぎ)清(せい)兵衛(べえ)。新たな時代小説のヒーローの今後の活躍が愉しみである。
             (令和2年5月8日 雨宮由希夫 記)

 

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十六回 大きな国

 弘治元年(1555年)、秋。斎藤道三本木雅弘)は二人の息子を失いました。殺害したのは嫡男(ちゃくなん)の高政(伊藤英明)でした。道三は直ちに稲葉山城を出て、美濃の北にある大桑城に向かいました。国を二分するいくさの前触れでした。
 明智荘では、明智光安(西村まさ彦)が、光秀(長谷川博己)を前に苦悩していました。いくさになってもおかしくはない。われらはどちらについたら良いのか。大桑城の道三か。稲葉山城の高政か。光秀はいいます。そうならぬよう手を尽くすしかない。
「私を尾張に行かせてください。いくさになるかならぬかは、信長様、いや、帰蝶様しだいかもしれませぬ」
 光秀は尾張清洲城を訪ね、帰蝶川口春奈)に面会します。
「今日は誰の使いで参った」と、帰蝶は光秀に聞きます。「孫四郎を殺した、高政殿の使いか」
 高政の使いなら、帰蝶は会わないだろう、という光秀に対し
「いや、会(お)うてののしってやるのじゃ。弟たちを元通りにして返せ。高政殿にそう申し伝えよ、と。憎きは高政。もはや兄とは思わぬ」
 それに対して光秀はいうのです。
「高政様も高政様なれど、高政様をそこに追い込んだのは、帰蝶様ではありませんか」光秀は穏やかに話します。「孫四郎様に、高政様に変わって家督を継げと、密かに後押しをされ、われら明智の者も味方につくはずなどと、高政様に敵対するよう様々に言い含められた」光秀は座り直します。「こたびのことで、高政様にお怒りを覚えられるのはやむを得ません。しかしだからと申して、道三様の後押しをし、高政様とのいくさをもくろまれるのはおやめください。美濃のことは美濃にお任せいただき、外からの手出しはおひかえ願いたいのです」
 帰蝶はいいます。
「そうは参らぬ。この尾張は、海に開けておる。手を組めば諸国とのあきないも盛んになり、美濃も豊かになる。父上はそう思われて織田と手を組まれた。しかし高政殿は違う。信長様と手を切り、あろうことか殿を敵視する」
 信長は隣の部屋でこのやりとりを聞いていました。光秀が帰った後、信長は帰蝶にいいます。
「わしが美濃に放った間者どもの知らせでは、親父殿(道三)はいくさのために兵を集めても、せいぜい二千から三千。高政殿は多くの国衆を味方につけ、一万以上の兵になるそうじゃ。親父殿がいくらいくさ上手でも、その数の差ではまず勝てぬ」
 信長も今は動けません。敵に背後を突かれる恐れがあるからです。信長は帰蝶に向き直ります。
「親父殿は、今、いくさをなさるべきではない。明智の申す通りじゃ。まず、御身を守られることが肝要ぞ」
 帰蝶は信長のもとを去り、城の者にいいます。
「そなた、旅の一座の伊呂波太夫を覚えているか。今、どこにいるか調べてもらいたい。急ぎじゃ」
 光秀が稲葉山城に来てみると、道三が使っていた天守閣から、にぎやかな声が聞こえてきます。光秀の叔父の光安が高政や国衆たちの前で、おどけた舞を踊っていたのです。光秀は高政に目で合図をします。高政は宴を抜け出します。光秀と武器庫で話をします。
尾張へ行ったそうだな」
 と、高政は切り出します。
帰蝶様にお会いして参りました」
 光秀はいいます。
「どういう話をした」
「美濃の国に、手をお出しにならぬようにと申し上げました」
 高政は光秀をほめようともしません。光安の話をし出します。明智の荘を引き続き領地として安堵(あんど)してもらえるかとたずねてきた。しかし高政は領地変えを考えていました。美濃は国衆がおのおのの田畑を抱え込み、どれほどの石高があるのかわからない。国を新たにし、大きな力を持つためには、すべてを明らかにし、領地の洗い直しをやることが肝要だ。光秀には今の領地を出て、もっと良いと土地を与えてやるといいます。
 光秀が館に戻ってみると、光安の息子、明智左馬助(間宮祥太郎)がやってきます。
「大桑城からの知らせでございます。道三様が高政様と一戦交えるお覚悟をされ、志(こころざし)を同じゅうする者は大桑城へ参集せよとのこと」
 光秀は光安の様子を聞きます。左馬助は、光安が様子がいつもと違い、尋常ではないといいます。光秀は急いで光安のもとに向かうのです。
 光秀がたどり着いてみると、光安は大事にしていたウグイスをカゴから逃がしてやるところでした。光安は領地のことを聞いていました。
「兄上からお預かりしたこの領地を、守れそうにない」光安は涙声です。「わしが非力ゆえ、手を尽くしたが、そなたにも、牧(光秀の母)(石川さゆり)殿にも、面目がない。美濃が新しい国になるという。それも良かろう。しかし、あの高政ごときに、わしの命を預けようとはゆめゆめ思わぬ」光安は激高して立ち上がります。「わしは大桑城に行く。道三様のためなら、心置きなく、ひと踊りできる。行かしてもらうぞ」
 光秀は光安の前に立ちふさがります。
「お待ちください。大桑城に兵は集まりませぬ。道三様は勝てませぬ。無駄な踊りとなりますぞ」光秀は体勢を低くします。「事は、明智家の存亡に関わりまする。これはわが父の声とおぼしめし、ご決断の猶予を願います」
 光秀は二日待ってくれと頼みます。
 光秀は大桑城に向かいます。仏壇を前にする道三と話します。
「ご出陣をお止めするため参りました」
 道三は声に力なくいいます。帰蝶が奇妙な女をよこした。隣国越前に話をつけ、逃げ道を用意したので、ついてきてくれといっている。いくさをしても勝てないといっている。
「わしはこの鎧(よろい)を脱ぐ気はない。そういって追い返した」
 そういう道三に対して、光秀はいいます。
「今、勝ち負けは申しませぬ。ただ、いくさとなれば国が割れ、国衆どうしの殺しあいとなります。それだけは何としても」
 道三は光秀を振り返ります。
「高政はのう、わしがまことの父親だとわかっておる。されど、土岐頼芸様が父だといいふらし、己もそうありたいと思うてきた。高政は人をあざむき、みずからを飾ろうとしたのだ。十兵衛(光秀)。人の上に立つ者は、正直でなくてはならぬ。いつわりを申す者は、必ず人をあざむく。そして、国をあざむく。決して国は穏やかにならぬ」
 道三は語ります。自分は老いぼれた。もはやこれまでと、家督を譲ろうと思った。しかし
「譲る相手を間違えた。間違えは正さなくてはならん」道三は声を上げます。「皆の者、ついて来い。城より打って出る」
 兵たちが集まってきます。道三は槍を手に、爽やかな表情を見せます。
「十兵衛。わしの父親は山城国から来た油売りで、美濃に居着き大(だい)を成した。わしによう申しておった。美濃も尾張もない。皆、一つになれば良い。近江も大和も。さすれば豊かな大きな国となる。誰も手出しができぬ。わし一代ではできなかったが、お前がそれをやれ、と」朝日が道三を照らし出します。「わしも美濃一国で終わった。しかしあの信長という男はおもしろいぞ。あの男から目を離すな。信長となら、そなたやれるやもしれん。大きな国をつくるのじゃ。誰も手出しのできぬ、大きな国を。さらばじゃ」
 道三は庭を駆けていきます。
 明智荘に帰ってみると、光秀は家臣の藤田伝吾(徳重聡)から、光安が道三の陣に向かったことを知らされます。光安は「武士の意地」といっていたのでした。伝吾は、自分たちも光秀の命令次第で、いつでも立てるように準備している、といいます。
「わしは行かん」と、光秀はいいます。「道三様の陣にも、高政様の陣にも」
 光秀は部屋に戻ります。妻の熙子(ひろこ)(木村文乃)がいいます。
「皆、すでに覚悟を。後は、十兵衛様のお心のままに
 光秀はしばし考えていました。床の間に立てかけてある鉄砲を手に取ります。構えてみます。
「熙子」
 と、光秀は叫びます。鎧の用意をさせるように命じます。立ち上がって光秀は大声を上げます。
「いくさじゃ。いくさに参る」
 鎧を身にまとった家臣たちが集まってきます。いくさ支度の光秀は皆の前に立ちます。
「叔父上の後を追う。敵は」光秀は空を見上げます。「高政様」

 

明治一五一年 第12回

明治一五一年 第12回

いくつかの背骨を
拾うためつづく並木は
いくつかの不明の
内にまだ洗われていく
人たちの歩く道筋の彼方
明治元年の帰らない
には深深とした
逃げいく足が
平坦にならされ静かになる
風向きに弱まる土
に重なりつづく痛みだ
明治二十八年の帰らない
と揺らぐ多くの影が誰かの
夢の中に集う
感触に響く違う乱雑が
呼ばれる耳の深さ
水辺にも記憶する在りし日
明治三十八年の帰らない
の残光を放つ
積み重なる悲しみ
は終りのない言伝なら
はるかな道の先で無数の
人も繋がり並ぶ
大正九年の帰らない
いくつかの心音が足元の
囁きにも響けば
いくつかの断ち切れた
名残の触感を繋ぐ
もう知らない人
大正十二年の帰らない
の朽ちかけた掌の内側が
飛び散りきらめく
無数の命の欠片を零す
留まる嘆息が緩やかに漂う
今日の日付か
昭和二十年の帰らない
と長く洗われていく弱まる
面影は届かず
さらに遠くから
低く聞こえくる声や足や
細胞がひそかに
平成十一年の帰らない
方方に拡散する終わらぬ
一瞬にさらされる
巻き戻される鮮やかな
末期を断つために
高い青空の滲みを望む
令和二年の帰らない

 

頼迅庵の新書専門書レビュー12

『江戸の小判ゲーム』(山室恭子講談社現代新書

江戸の小判ゲーム (講談社現代新書)

江戸の小判ゲーム (講談社現代新書)

  • 作者:山室 恭子
  • 発売日: 2013/02/15
  • メディア: 新書
 

 

 本書の奥付を見ると、2013年2月20日第1刷発行となっています。
 発行後しばらくして買ったのですが、積ん読ままになっていました。それをなぜこの時期に読んだのかというと、江戸の北町奉行から勘定奉行に役替え(現代でいう人事異動)となった柳生主膳正久通のことを調べていたからです。
 本書は以下の4章構成となっています。
第1章  お江戸の富の再配分
第2章  改革者たち
第3章  お江戸の小判ゲーム
終章  日本を救った米相場

 このうち、「第2章 改革者たち」にその柳生久通が登場します。そこでの久通は、北町奉行から左遷されてふて腐れた姿はありません。章題にある通り、まさに改革者として「未来の江戸を築くため、プロフェッショナルなチーム」の一員として、「プロジェクトX」(注1)しているのです。(4ページ)
 今回は特に久通の関わる第2章の「プロフェッショナルなチーム」について述べることによって、本書の紹介に代えたいと思います。
 本書は4つの章の斬新なタイトルのように、「支配-被支配という上下関係の構図に狎れ過ぎてしまった嫌いのある」歴史学の「タテの支配関係でなくヨコの均衡という構図を持ち込んだ」という著者の意欲作であり、そのために著者が持ち込んだ理論は「ゲーム理論」(注2)です。(3ページ)

 松平定信の行った寛政の改革の目玉政策はいくつかありますが、第2章で述べられているのは、棄捐令と江戸市中での七分金積立の2つです。
 棄捐令とは、簡単に言えば旗本・御家人の「借金を棒引きにする」政策です。著者はこれを「棄捐令プロジェクト」と命名しています。(46ページ)
 江戸市中での七分金積立とは、地主が負担している町入用費を節減し、その節減額のうち七分(割)を積み立てて、町民救済に充てようというものです。積立の事務を行う会所を浅草向柳原に設置したことから、著者はこれを「会所プロジェクト」と命名しています。(47ページ)
 そしてこの二つのプロジェクトをずばり「チーム定信」と名付けています。

 棄捐令プロジェクトのリーダーは、もちろん松平定信です。「30歳にしていきなり老中首座に任じられるという破格の昇進を遂げ、颯爽と政治改革に邁進中」と紹介されています。(46ページ)
 メンバーは、まず久世広民(勘定奉行)、「武家と商人の双方の得失に目配りできる視野の広いプランナー」で「プロジェクト成功の立役者」です。(46ページ)
 ついで、久保田政邦(勘定奉行)、「経済畑ひとすじ。米価政策の失を問われて失脚するなどの経歴を重ねた苦労人」のようです。(同上)
 そして、初鹿野信興(江戸町奉行)は、「札差全員を招集して、極秘に準備した驚天動地の棄捐令を申し渡す大役を果たす」こととなります。(同上)
 最後に、山村良旺(江戸町奉行)、「町方行政を歴任」し、「豊富な経験を活かして法案作成に参画」しますが、「棄捐令発布の直前に転勤を命ぜられ戦列を離れる」悲運な人です。(同上)
 その無念、いかばかりだったことでしょう。その気持ち察するに余りあります。仕事でプロジェクト経験のある方なら共感できるのではないでしょうか。
以上4人が正式なメンバーですが、もう一人、業務委託した人物として樽屋与左衛門(町年寄)が紹介されています。
 樽屋は、「市井の裏事情に通暁した実務家」で、「奉行衆の机上プランを実行可能なかたちに落とし込むとともに、定信が原則論に傾いて計画が頓挫しかかった際には裏ルール設定で回避するなど」「しばしばプロジェクトの窮地を救った」人物のようです。(47ページ)

 もう一つの町会所プロジェクトのリーダーは、当然のことながら松平定信です。
メンバーは、こちらも4人。まずは久世広民(勘定奉行)で、前回からの留任です。今度は「担当奉行のひとりとして合議の一角を占めるにとどま」ったようです。「後進を育てようという意図」があったのではないかと著者は推測しています。(48ページ)
次ぎに、柳生久通が登場します。当然勘定奉行で新任です。「職務遂行のためには残業も地方出張もものともしない情熱家」として紹介されています。(同上)
 勘定奉行に異動になって、夜遅くまで居残って部下の不興を買っていた久通ですが、残業をものともしない「情熱家」とは、私にとっては嬉しい評価です。
 さらに、初鹿野信興(江戸町奉行)で、こちらは留任です。「前回のプロジェクトの経験者として町方の調査とファンド設立に尽瘁し」ますが、「プロジェクト成功を目前にして無念の病没」。(同上)さぞや悔しかったことでしょう。
 最後に、山村の後任池田長恵(江戸町奉行)。当然新任です。「プロジェクト終盤に『芥銭』=ゴミ回収費の調査にまで踏み込んだ仕事の鬼ぶりは、まさに元祖・どぶ板行政」と紹介されています。(同上)
 そして今回も樽屋が登場しますが、今回は具体的に関与した形跡は見いだせないようです。(同上)

 棄捐令プロジェクトが、寛政元年(1789)3月立案、同年9月実施。そして、町会所プロジェクトが、寛政2年(1790)3月立案、寛政3年12月実施。山あり、谷あり、無念のリタイアあり。まさに、「プロジェクトX」ではないでしょうか。
 具体的にどのように進展し、実施にこぎつけたのか、現代のプロジェクトとどう違って何が同じなのか、中島みゆきの『地上の星』(注3)を聞きながらお読みいただければ、さらに興味深いのではないでしょうか。(ちなみに、本作は小説ではなく、あくまでも新書専門書の類ですので、ドラマは読者の想像力をフルに使ってください。))

 なお、「第1章 お江戸の富の再配分」では、武家と商人が「win-winの間柄だったこと」、「第3章 お江戸の小判ゲーム」では、貨幣の改鋳(小判の劣化改鋳)がないと江戸の経済が回らなかったことの「なぜ」について述べられています。こちらも斬新な視点が興味深いです。

(注1) 正式名称は、『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』、NHK総合テレビで2000年3月28日~2005年12月28日まで放映されたドキュメンタリー番組。
(注2) 社会や自然界における複数主体が関わる意思決定の問題や行動の相互依存的状況を数学的なモデルを用いて研究する学問。といってもちんぷんかんぷんなので、著者の「はじめに」から引用すると、「それぞれのプレイヤーなりの行動の選択肢=戦略があって、個々のプレイヤーが自分の利得を最大化するように行動したら、どんな均衡が導かれるのだろうかという問題の立て方」をする理論だと述べています。
(注3) 中島みゆきの37作目のシングル。2000年7月19日発売。

 

『映画に溺れて』第371回 一度死んでみた

第371回 一度死んでみた

令和二年二月(2020)
築地 松竹試写室

 

 この世に生まれた以上、人は必ず一度は死ぬ運命である。生まれてすぐに亡くなる赤子もいれば、九十、百まで長生きし天寿を全うする老人もいる。死に方も病気、事故、犯罪、戦争など様々。今は新型コロナウィルスが世界で蔓延しており、毎日多くの人々が亡くなっている。感染者や死亡者が日に日に増える状況はまるでSF映画の悪夢のよう。
 人口の過密する東京も外出の自粛で映画館も試写室も上映はない。今年の三月以降はほとんど映画を観ていないが、二月にはまだ普通に試写があったのだ。その一本がコメディの『一度死んでみた』である。
 いきなり「死ね、死ね、死ね、死ね」を連発するデスメタルバンド。ボーカルの七瀬は大学の薬学部に通う女子学生で、製薬会社の社長の娘。父親と二人暮らし。父が死ぬほど大嫌いで、ステージで歌う「死ね、死ね、死ね」は、病気の母の臨終にも立ち会わず会社で仕事をしていた憎い父親に向けたものなのだ。
 父の野畑は会社で若返り薬を開発中だが、その副産物として二日間だけ完全な仮死状態となる薬ができてしまう。それをジュリエットと名づけ、自分で試す。すると実際にあの世からお迎えが来て三途の川を渡りそうになる。父の急死を知らされ驚く七瀬。
 野畑製薬に潜入しているライバル会社のスパイがこの事実を知り、野畑が蘇る前に急遽葬儀を行い火葬してしまおうと企む。さらにそれを知った若手社員が七瀬と協力して火葬を阻もうとする。それを半分幽霊となった父が横から見てあたふたする。ドタバタである。
 娘が広瀬すず、父親の社長が堤真一、若手社員が吉沢亮、あの世からの案内人(死神?)がリリー・フランキー、死んだ母親が木村多江、産業スパイが小澤征悦、ライバル会社の社長が嶋田久作、仮死薬を開発した研究員が松田翔太、その他、小さな役も豪華で妻夫木聡佐藤健、でんでん、池田エライザ古田新太竹中直人らがちらっと出てくる。
 今のような時期はこういう映画で大いに笑うことが大事なのだが、三月二十日の公開後、すぐに自粛が始まって、はなはだ残念。一日も早いコロナ禍の収束を願うばかりである。

 

一度死んでみた
2020
監督:浜崎慎治
出演:広瀬すず吉沢亮堤真一リリー・フランキー小澤征悦嶋田久作木村多江松田翔太

書評『明治零年』

書名『明治零年』
著者 加納則章
発売 H&I
発行年月日  2020年4月24日
定価  各 本体1800円(税別)

 

明治零年 サムライたちの天命

明治零年 サムライたちの天命

  • 作者:加納則章
  • 発売日: 2020/05/16
  • メディア: 単行本
 

 

 激動の幕末の諸藩。北陸の大藩である加賀藩も例外ではなく、尊王と佐幕で揺れた。元治元年の禁門の変に際しての退京事件で、攘夷派を粛清してしまった加賀藩は維新の波に乗れなかった。鳥羽伏見の戦いでは、幕軍として戦う予定で出兵するが、上京途中で幕軍の敗北を知り撤兵。慌てて新政府への恭順を表明すべく混迷した。
 幕末維新ものの歴史小説といえば薩長土肥などの藩を舞台とするのが常だが、百万石の雄藩であった加賀藩が主役になっているところがまず珍しい。
「昨年末に突然、王政復古が宣せられて、鳥羽伏見での幕軍敗北、つい先ごろの江戸城明け渡しと、この4カ月で徳川政権は完全に消滅した」ところが物語の時代背景である。
 西郷(さいごう)隆盛(たかもり)(1828~1877)は江戸無血開城後の芝増上寺で、「加賀、越中能登の三州にて前田家が朝廷方、旧幕方に与せず、独立国の宣言をする」との噂を耳にする。
 加賀藩年寄で佐幕派の首領の長連(ちょう)恭(つらやす)は、前年の慶応3年10月14日に発せられた倒幕の密勅は偽勅であるとの証拠をつかみ、「薩長こそ天下の逆賊である」として割拠論を唱えていた。その長も口止めのため暗殺されたとの疑いがあるとの情報をも、西郷は掴んでいた。「三州割拠」の噂の真相をただすべく、西郷が行動を開始する物語のスタートはなにやらサスペンス推理小説の趣がある。

 慶応4年4月15日付、王政復古で誕生した新政府より加賀藩に「官軍へ加賀藩から兵を出すように」との命が下っているが、薩長側では、加賀藩はもしや奥羽越列藩と同盟を組むつもりかと疑っている。普通であれば、幕府が瓦解消滅した現在、加賀藩に官軍に敵対する力などないと見るのが常識であろう。
 幕末の西洋式軍隊としては河井継之(かわいつぐの)助(すけ)(1827~1868)の長岡藩が有名だが、加賀藩も、大規模な西洋式軍隊を有していたことはあまり知られていない。加賀藩主・前田慶(よし)寧(やす)(1830~1874)は慶応2年に襲封するや、自立割拠の方針の下、内治に励み、藩兵の西洋化に取り組み、将兵総数は1万人を超え、海軍も備えていたのである。
慶応4年4月29日、品川沖を出発する薩摩藩蒸気船豊瑞丸に、西郷隆盛長州藩士の山県(やまがた)有(あり)朋(とも)(1838~1922)を乗せている。東征大総督府参謀(参謀総長)の西郷は、4月23日に北陸道鎮撫総督兼会津征討総督参謀に就任したばかりの山県に向かって、「もし奥羽越列藩と官軍が本気の戦をしてしまえば、いたずらに侍が同士討ちになるだけ。そうなれば、この国が危うい」と語りかける。ここで語られる西郷の「侍(さむらい)」が本作のキーワードになっていることに先ず読者は留意することになろう。
 豊瑞丸にはもう一人の客が乗っている。「侍」斎藤弥九郎(さいとうやくろう)(1798~1871)である。
「不抜(ぬかず)の剣」を極意とする神道無念流幕末江戸三大道場と呼ばれた「練兵館」の斎藤弥九郎は単なる剣一筋の剣客「侍」ではない。徳川斉昭にみとめられ、高島秋帆に砲術を学び、品川沖お台場を建設した江川太郎左衛門英龍や藤田東湖渡辺崋山、桂(かつら)小五郎(こごろう)らといった幕末のキーマンと深く関わった人物である。
能登半島の付け根の越中国射水(いみず)郡仏生(ぶっしょう)寺(じ)村(現・富山県氷見市仏生寺)の郷士の家の長男として生まれた弥九郎は何十年も故郷に戻らなかったが、帰省するに際し、練兵館の塾頭であった愛弟子の桂小五郎(木戸孝允1833~1877)の口利きで豊瑞丸に乗船することができた。かくして、急に官軍の山県参謀と一緒に金沢に赴くことになるところは面白くかなりの脚色を施しているところである。まさに「三州割拠」の真相を探るに、加賀藩ゆかりの斎藤弥九郎ほどにうってつけの人物はいない。

 閏4月6日、弥九郎は官軍参謀補佐の肩書で山県とともに加賀に向かう。同行者は田邊伊兵衛なる弥九郎の従者と小川誠之助(京詰家老前田内蔵太の側近)である。 閏4月15日、前田慶寧金沢城二の丸御殿に官軍参謀山県を迎える。
「加州の正規軍を早く官軍に出していただきたい。奥州の戦が終わってしまう」との山県の要求を慶寧は拒否する。徳川慶喜大政奉還と同日に発せられた倒幕の密勅は偽勅であると知る慶寧は、北陸道の諸藩がすべて恭順しているとはいえ、自藩内の意見が恭順で統一できているわけではない現実を踏まえ、閏4月の現段階で、「恭順」とは本当に帝の意に従うということになるのかと疑っていた。「私欲のために朝廷を乗っ取ったような輩、そんな奴らの作る時代に本当の侍が生きていけるものか」と。ここに慶寧の「侍」の矜持がある。「三州割拠」を唱えるのはもはや新しい時代を築くという目的からではなくなっているのである。
 閏4月16日、談判決裂をやむなしとする山県は金沢を離れる。
 西郷の言葉を一応は胆に銘じた山県は「東北諸藩との戦争をできるだけ小さくしよう」とは考えていたが、避けられない戦争だと決めている。
 慶寧には、官軍参謀の要請を拒否したことへの後悔はなかった。

 物語の最終盤で、弥九郎の従者・田邊伊兵衛の素性が明らかになる。本名を皆井十蔵という彼は、「藩の命令でも朝廷の命令でもなく、今の時勢を作り上げてきた薩摩藩の大物」大久保(おおくぼ)利通(としみち)(1830~78)の企ててきた陰謀のためのみに動く大久保の密偵であった。皆井の自白により、慶寧は重大な事実を知る。大久保は「日本のため」ではなく、「自分(大久保)の頭の中にある新しい日本のため」のみを考えており、西郷の「侍」を全く否定している、と。同じ官軍でありながら、西郷と大久保の違いを知った慶寧は大久保の「侍」に異を唱えるべく、とりあえず「三州割拠」の旗を引き下ろす決断をする。そうさせたのは斎藤弥九郎の「不抜の剣」であった。西郷の「侍」に共鳴する弥九郎は、「藩主(慶寧)の無謀な決意」を翻意させたのである。ここに、一介の剣客として一人の人間として異色の人生を歩んだ斎藤弥九郎の〈真実〉があるといえよう。いうまでもなく、本作のクライマックスシーンである。
「西郷と大久保」の造形も秀逸である。明治維新を成し遂げた盟友だが、討幕後の明治新国家建設を巡って対立、大久保が西郷を死地に追いやるのは周知の如くであるが、戊辰戦争の前段で、すでに、大久保は西郷を見限っていたとする。
 山県が官軍の越後征伐の根拠地となっていた高田(榊原氏15万石)に到着した閏4月20日は、仙台藩士が世良修蔵を斬った日でもあった。これにより、戊辰戦争は引き返すことのできない悲惨な戦争へと突き進むことになる。
 5月3日には、東北諸藩による列藩同盟が成立。加賀藩は官軍の主力として北越戦争に出兵、多くの血を流した。
 慶応から明治への改元は、慶応4年の9月。よってこの時期は「明治零年」に当たるというのが、書名の由来である。
 あの時点で、前田家が薩長の主導する官軍に反旗を翻せば、天下の趨勢が逆転する可能性があったことは〈真実〉であろう。
 加賀百万石=日和見とのラベリングがなされてきたが、〈勝者の歴史〉に対する無条件降伏でもなく、〈勝者の歴史〉に対して〈敗者の美学〉でもって異を唱えるのでもない前田慶寧の〈真実〉があったことを知った。
 西郷、大久保、木戸、山県など明治の元勲たちの戊辰戦争時の群像劇としても刺激的で、以後の西南戦争までの明治の風景すら浮かび上がってくる。
 明治2年版籍奉還明治4年廃藩置県で、藩は消滅。明治9年廃刀令秩禄処分。新政府による士族すなわち「侍」締め付け政策が次々に施行され、「侍」の旧来の特権が奪われた。「侍」の多くは「侍」を置き去りにした西欧化を強行する新政府に強い不信感と裏切られた思いを抱くのであった。
 精密に練られた構図の中に見事に描き切った「明治零年」である。

            (令和2年4月25日  雨宮由希夫 記)

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十五回 道三、わが父に非(あら)ず

 天文二十三年(1554年)。斎藤利政(本木雅弘)は仏門に入り、道三と号し、家督を嫡男(ちゃくなん)の高政(伊藤英明)に譲りました。道三は家臣や国衆たちの前で話します。
「今朝、わしは、見ての通り頭を丸め、仏門に入り、世俗の塵(ちり)を払うた。ついては後事を高政にゆだね、国のまつりごとを万事託そうと思う。古きを脱し、新しき世をつくるのは、新しき血じゃ。このことはわしの頭から一時たりとも離れることはなかった」道三は宣言します。「以後は、高政の声を、わしの声と思うてしたごうてもらいたい」
 明智光秀十兵衛(長谷川博己)は夜更けに叔父の光安に呼び出されます。光秀が光安の屋敷に来てみると、そこに道三の次男である斎藤孫四郎が来ていました。孫四郎は高政の家督相続に、不満を持っていたのです。尾張の信長(染谷将太)のもとに嫁いだ帰蝶川口春奈)も、心配して孫次郎に手紙を出していました。孫四郎はいいます。
「このまま兄上に、美濃を任せておくわけには参らぬ。志(こころざし)を同じゅうする国衆とはかり、兄上に退いていただく道を探るべしと。その先陣に、明智殿に立ってもらいたいのじゃ」
 光秀はいいます。
「その義、お断りいたします。道三様は、誰よりも高政様のことをご存じのはず。その道三様が、髪をおろして譲られた家督。ご思慮の末のご決心と推察いたすところ。わずか二月(ふたつき)、三月(みつき)で、さような断は下せませぬ」
 孫次郎は怒って帰って行ってしまいます。
 稲葉山城の政孝のもとに、光秀は呼び出されました。光秀は世間話に切り出します。
「他国といくさなど、している暇はありませぬな」
 高政は応じます。
「その通りだ。わしは父上がやってきたようないくさは好まぬ。日々、平穏がよい」
 高政は本題に入ります。弟の孫四郎のことでした。高政は孫四郎が明智の城に行ったことを知っていました。孫四郎をそそのかしているのは、尾張帰蝶だ、と、高政はいいます。さかんにやりとりをして、高政に敵対する国衆をまとめようとしている。信長との盟約はどうするつもりかと、光秀は聞きます。
「いずれ、見直さざるを得まい」
 と、高政はいいきります。高政は不満を漏らします。
帰蝶も信長も、今日までわしに何のあいさつもない。この城を継いだわしに、文(ふみ)ひとつよこさぬ。そこへもってきて孫四郎」高政は光秀を振り返ります。「尾張へ行き、帰蝶に釘を刺してきてもらいたい。孫四郎日近づくな。さもなければわしにも覚悟がある」
 光秀は斎藤道三の館を訪ねるのでした。
「高政様に、尾張帰蝶様のところに行けと命じられました」と、光秀は打ち明けます。「私が帰蝶様にお会いしても、丸く収めることはできまいと存じます。高政様の使いで行くとなればなおさらです。追い返されるに決まっています」光秀は進み出ます。「恐れながら、かかる混乱は、殿がはっきりと後の道筋をつけずに、家督をお譲りになられたからと存じます。皆、とまどうておるのです。私がお聞きしたいのは、殿が、信長様との盟約をどうなさるおつもりだったのか。高政様のお考えをお認めになり、すべてをゆだねられたのか。そうではなく、高政様のご様子次第で、再びご自分が……」
「それはない」道三は光秀の言葉をさえぎります。「わしはおのれが正しい道の上を歩いてきたとはみじんも思わぬ。いくさも勝ったり、負けたりじゃ。無我夢中で、この世を泳ぎ渡ってきた。高政もそうするほかあるまい。力があれば、うまく生き残れよう。非力であれば、道は閉ざされる。わしの力でどうこうできるものではない」
 尾張清洲で異変が起きました。尾張守護である斯波義統が織田彦五郎の家老、坂井大膳によって暗殺されたのです。斯波義統の嫡男である斯波義銀は、織田信長に保護を求めてきました。
 数日後、信長の叔父である織田信光(木下ほうか)と、帰蝶は話をしていました。清洲の彦五郎から囲碁の誘いを受けている信光に対し、帰蝶は決意を促します。
 清洲城にて孫次郎と囲碁を打っていた信光は、突然、脇差しを抜いて孫次郎を刺し殺します。城のあるじを失った清洲方は、たちまち崩壊してゆきます。そして信長は戦うことなく、清洲城に入城するのです。反信長の牙城は、あっけなく信長の手に落ちたのでした。この事実は、周辺の国々に衝撃を与えました。
 美濃では、高政が国衆の稲葉良通(村田雄浩)から報告を受けていました。稲葉は高政ににじり寄ります。
「用心なされた方がよい。尾張の後押しで、孫次郎様が、この城のあるじに取って代ろうとされるやも知れません」稲葉はさらにいいます。「ほかの国衆の中には、道三様の正室のお子は孫次郎様で、高政様は側室のお子だとはっきり申す者もおりますぞ」
 駿府では太原雪斎(息吹吾郎)が望月東庵(堺正章)から治療を受けようとしていました。雪斎は東庵にいいます。
織田信秀のせがれは、大うつけといわれておったが、そのうつけが尾張をほぼ手中に収めんとしておる」
 駒は東庵の使いで、薬草を買いに外に出ます。するとわらじ売りの藤吉郎(佐々木蔵之介)が駒を待っていたのです。相手にせずに歩き出す駒を追う藤吉郎。薬屋にいた菊丸(岡村隆史)に藤吉郎はいわれます。
「物売りなら、さっさと市へ行って、あきないをしていれば良いのだ」
 自分はあきないはやめたといいだす藤吉郎。
「侍になるのだ」
 と、いいだします。今川の家来がいいと思っていたが、近頃は、尾張織田信長様の評判がいい。
「わしのような者でもどんどん召し抱えてくださり、なかなかの上り調子と聞く」藤吉郎は尾張に旅立つつもりです。「一緒に行かぬか」
 と、藤吉郎は駒を誘います。慌てて止める菊丸。一緒に行こうといったのは冗談だ、という藤吉郎。しかしあと三日で旅立たなければならない。その間に駒に字を教わりたいというのでした。
 美濃では孫次郎と三男の喜平次が高政を訪ねようとしていました。高政が体がしびれて寝込んでいると聞いたので、見舞いにやってきたのでした。しかし寝ている高政の部屋に入ろうとしたとき、孫四郎と喜平次の目前で戸が閉じられるのです。高政の家臣が刀を抜いて二人に斬りかかります。目を開けてその様子を聞く高政でした。
 道三は骸(むくろ)となった孫次郎と喜平次を前にします。
「美濃を手に入れた褒美がこれか」と道三は叫ぶのです。「わしがすべてを譲ったわが子。すべてを突き返してきたのじゃ。かように血まみれにして」道三は歩き出します。「高政。わしの手を汚しよったな。出てきてこの血のにおいを嗅ぐがよい。高政。許さんぞ」
 道三は稲葉山から脱出し、美濃の北、大賀城を目指しました。国を二分するいくさの前触れです。
 高政は国衆たちの前で発言します。
「皆に申しておく。わしは弟を斬ったのではない。斎藤道三の子を斬ったのだ。道三はわが父にあらず。わが父は、土岐源氏の頭領であり、美濃の守護におわした、土岐頼芸様である。道三の子、孫次郎と喜平次は城を乗っ取り、美濃を混乱に落とし入れるくわだてを巡らせていた。悪しき芽はつんだ。これを機に、美濃は皆の力を結集し、揺るぎのない国を目指す」

『映画に溺れて』第370回 アウトブレイク

第370回 アウトブレイク

平成七年九月(1995)
池袋 文芸坐

 

 未知の伝染病が広がって、人がばたばたと死んでいく。という映画はいくつかある。マイケル・クライトン原作の『アンドロメダ…』は宇宙から帰還したカプセルに付着していた病原体があっという間にアメリカの田舎町を死の世界に変えるというものだった。
 ダスティン・ホフマン主演の『アウトブレイク』もリアルで怖い。
 アフリカで恐ろしい伝染病が発生し、ひとつの村が全滅する。未経験の若い医者が現地でのあまりにひどい現状に吐き気を催すが、防疫服を着ているために吐けない。それでも服を脱いで吐いてしまうファーストシーン。
 その地域で捕獲された猿がアメリカに密輸入され、ある町のペットショップで売られるのだが、その直後から、死の病が町を襲う。
 悪性の伝染病が進化し、空気感染の特徴が加わり、あっという間に広がるのだ。映画館で咳をするカップルがいて、たちまち集団感染。軍隊が町を鉄条網で囲み、他の地域への感染を防ぐため、銃を持った兵士が住民をひとりも外へ出さないよう監視する。発症したら家族から引き離されて、軍の車で隔離場所へ。そこからはだれも生きて帰れない。
 ダスティン・ホフマンふんする軍の予防医の大佐と、彼と離婚して民間の防疫施設に勤める元妻。二人が喧嘩したり協力したりしながら、この伝染病に取り組む。
 大佐の同僚で優秀で論理的な軍医が大量の感染者を不眠不休で治療する途中、疲れ切ってうっかりと自分の防疫服に瑕をつけ、空気感染してしまう場面。ああ、こんなこともあるだろう。この軍医を演じたのがケビン・スペイシーだった。今いずこ。
 細菌兵器への利用を考える悪役の将軍がドナルド・サザーランド
 シリアスな設定でかなりリアリティもあるのだが、最後は免疫のある猿を捕まえて血清を作り、病気が治まるなど、御都合主義も目立つ。現実は残念ながら、映画のようにはうまくいかない。

 

アウトブレイク/Outbreak
1995 アメリカ/公開1995
監督:ウォルフガング・ペーターゼン
出演:ダスティン・ホフマンレネ・ルッソモーガン・フリーマンケビン・スペイシーキューバ・グッディング・Jrドナルド・サザーランドパトリック・デンプシー

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十四回 聖徳寺の会見

 天文二十二年(1553年)二月。斎藤道三(この時は利政)(本木雅弘)は織田信長染谷将太)のやってくるのを盗み見ていました。信長の顔を知っている明智光秀十兵衛(長谷川博己)に、彼がやってきたら自分の肩を叩くように命じます。三百の鉄砲を持った兵のあとから、信長はやってきます。奇抜な庶民の服を身につけて、馬に乗っています。信長は道三が盗み見ていることを気づいているようでした。道三の隠れている小屋を見つめて笑顔を見せます。さすがの道三も困惑し、光秀にいいます。
「寺へ行くぞ。あの男の正体が見えぬ。奇妙な婿殿じゃ」
 聖徳寺では家臣を引き連れた道三が信長を待っています。信長はなかなかやってきません。道三は立ち上がって歩き出す始末。信長は正装に衣装を整え、一人で道三のもとにやってきます。礼儀正しく振る舞い、道三の向かいに腰を下ろしてていねいなあいさつをします。信長は話します。
「今日、わたくしが、山城守(やましろのかみ)様に目通りいたすのを最も喜んだのは、帰蝶でござります。また、最も困り果てたのも、帰蝶でござります」
 道三は問います。
帰蝶が何を困り果てたのじゃ」
 信長はおどけたようにいいます。
「わたくしが、山城守様に、討ち取られてしまうのではと」
 座が沈黙します。声を出せる者は誰もいません。道三はいいます。信長は三百の鉄砲を持った兵を連れてきている。それだけの備えをしている信長をどうやって討ち取れるのか。信長はいいます。あれはただの寄せ集めで、帰蝶が道三に侮(あなど)られることがないよう用意した。
「今日のわたくしは、帰蝶の手の上で踊る、尾張一のたわけでございます」
 それを聞いて道三を笑い出します。
「それならばたわけじゃ」
 と、家臣たちを振り返ります。共に笑う家臣たち。道三は問います。この大事な席に、誰も連れてこなかったのはどういうわけなのか。たわけなら重臣たちに守ってもらわなければならないのではないか。信長は二人の若者を招き入れます。
「この両名、尾張の小さき村から出て参った、土豪の三男坊。四男坊。すなわち、家を継げぬ食いはぐれ者にござります」信長の目は鋭くなります。「されど、いくさとなれば無類の働きをいたし、一騎当千の強者(つわもの)でござります。食いはぐれ者は、失うものがござりませぬ。戦こうて家をつくり、国をつくり、新しき世をつくる。その気構えだけで戦いまする。父、信秀がよう申しておりました。織田家は、さしたる家柄ではない。もとは越前の片田舎で、神主をやっていたとか。柴家の家来であったとか。それが、尾張に出てきてのし上がった、成り上がり者じゃと。よろず、おのれであらたにつくるほかない。それをやった男が美濃にもおる。そういう男は手強いぞ、と。家柄も血筋もない。鉄砲は、百姓でも撃てる。その鉄砲は、金で買える。これからは、いくさも世の中もどんどん変わりましょう。われらも変わらねば」
 そういって信長をわずかに微笑むのです。道三はいいます。
「信長殿はたわけじゃが、見事なたわけじゃ」
 それは褒め言葉なのかと聞く信長に、帰って誰かに聞いたらいいという道三。場が和み、道三が笑い、信長が笑います。
 光秀は帰ってその顛末(てんまつ)を母の牧(石川さゆり)に報告します。妻の熙子(ひろこ)(木村文乃)もやってきて、心配していたことを告げます。牧は織田といくさになって、帰蝶が帰ってきてこの家にやってきたら、大変なことになるといいだします。いぶかる光秀。妻の熙子が答えます。
帰蝶様は十兵衛(光秀)のことがお好きですからね。昔から妻木でもよく母が申していました。帰蝶様がいつも明智の荘においでになるのは、十兵衛様に会いたいからだと」
 光秀はしどろもどろになってしまいます。
 駿河の街に、医者の望月東庵(堺正章)と、その助手の駒(門脇麦)が歩いていました。当てにしていたお金がもらえなかったとこぼす駒。東庵は駒が薬を買い忘れたことを指摘します。慌てて薬を買いに戻る駒。駒はそこで菊丸(岡村隆史)に出会うのです。菊丸と歩いていると、荷物を背負った男が乱暴をされているのに行き会います。よそものがここで商売をしたいなら、それ相応のあいさつをしろ、といわれています。乱暴されていたのは、以前、駒が出会っていた藤吉郎(のちの豊臣秀吉)(佐々木蔵之介)でした。藤吉郎はいいます。
「どこへ行ってもああいうやからがいるんだ。場所代を払えだの、手間賃を納めろだの。人が働いた上前をはねてのうのうと暮らしてやがる。わしはな」と、藤吉郎は駒にいいます。「ああいう奴を許さん。いつかきっと懲らしめてやる。字を読めるようになって、出世して、このかたきをとってみせる。必ず」
 藤吉郎は駒に薬を塗ってもらうのでした。
 臨済寺では、望月東庵が今川義元の軍師である大原雪斎(伊吹吾郎)に治療を施していました。自分はどれほどもつかと東庵に訪ねる雪斎。自分をあと二年生かして欲しい、と頼みます。
「二年あれば、尾張の織田を討ち果たせる。織田信秀は消えたが、跡継ぎの信長は油断がならぬ。うつけ者と噂されたが、美濃の蝮(まむし)は娘を与えた。あれを滅ぼしておかねば、駿河の者は枕を高くして眠れん。織田を潰すのが、わしに課せられた仕事だ」
 今川軍は織田方の緒川城を攻略するため、その隣に村木砦を築きました。緒川城は孤立したため、信長の助けを求めました。信長は尾張の内紛のため、身動きがとれません。そこで斎藤道三に信長の居城である那古野城を守って欲しいと求めました。
 道三は稲葉山城に、光秀の叔父である明智光安(西村まさ彦)と光秀を呼んでいました。二人の前で道三は、那古野城に援軍を送ることを宣言します。そこへ道三の側室の子である、斎藤高政(伊藤英明)がやってきます。国衆の稲葉良通(村田雄浩)を従えていました。高政は道三を問い詰めます。
「うつけ者の信長を助け、今川と戦うおつもりですか」
 稲葉も同意しかねると発言します。道三はいいます。
「口惜しいが、信長を甘く見ると、そなたも稲葉も、皆、信長にひれ伏す時が来るぞ。今はまだ若い。しかし信長の若さの裏に、したたかで無垢(むく)で、底知れぬ野心が見える。まるで昔のわしを見るようだ」
 高政は目を伏せます。
「さほどに、信長を気に入られましたか」
 気に入ったと笑顔を見せる道三。
「援軍を送らねば、明らかに信長は不利になる。見殺しにせよと申すか」道三は立ち上がります。「敵は今川じゃ。その今川に、信長が立ち向かおうとしておる。放っておけるか。わしはやる。わしは誰がなんといおうと、援軍を出す」
 道三は光安と共に、その場を去るのです。稲葉が高政にいいます。
「もはやぐずぐずできません。高政様が家督を継ぎ、まつりごとを執(と)るべきじゃ。このままでは国衆が治まらぬ」
 高政がいいます。
「わしが家督を継げば、国衆はついてくるか」
「わしが請け負う」と、答える稲葉。「急ぎ国衆を集め、家督を譲れと殿に迫るほかない」
 村木砦の戦いにおいて、織田信長の鉄砲隊が、今川軍に向かって火を噴きます。信長がいくさで、初めて鉄砲を使いました。鉄砲を使い、用意周到に攻め込んだ信長の軍勢が、砦から、今川勢を一掃しました。
 高政が母の深芳野を訪ねてみると、その姿が見えません。手分けして母を探す高政。深芳野は川縁に倒れ、死んでいました。
 夜に道三は深芳野の遺体と対面します。嘆き悲しむ道三。
「わしは心の底から芳野を大事に思うて、慈しんできたのじゃ」
 それに対して高政が声を荒げます。
「では、なにゆえ母上の望みを絶たれた」
 高政は母が自分を守護代につくことを望んでいたといいます。
「わしは、そなたに継がせるつもりじゃと、芳野に申したはず」
 高政は道三に迫ります。では今、誓ってくれ。母の望みを叶えると。自分に家督を継がせると。道三はついにいいます。
「よかろう。家督を、そなたに」