日本歴史時代作家協会 公式ブログ

歴史時代小説を書く作家、時代物イラストレーター、時代物記事を書くライター、研究者などが集う会です。Welcome to Japan Historical Writers' Association! Don't hesitate to contact us!

『映画に溺れて』第398回 殺人狂時代(1967)

第398回 殺人狂時代(1967)

平成二年十二月(1990)
池袋 文芸坐

 

 池袋文芸坐2での岡本喜八特集では、ずいぶんといろんな喜八映画を堪能したが、『ああ爆弾』と並んで忘れられないのが仲代達矢主演の『殺人狂時代』で、これもまた客席は爆笑の渦であった。
 とある精神病院、天本英世ふんする院長はかつてドイツへ留学していたことがあり、当時の友人でゲシュタポの生き残りであるドイツ人の訪問を受ける。ここは表向きは精神病院だが、患者を殺人マシンに育成して、殺しを請け負う犯罪組織「人口調節審議会」なのである。院長はおそらくドイツ時代に生体実験などに手を染めていたのだろう。
 元ゲシュタポは手元の電話帳から適当に三人の名前を選び出し、三日以内に殺せるかどうかをテストする。間もなく二人の死体が病院に運び込まれるが、もうひとりがなかなか仕留められない。
 場面は変わって薄汚いアパート。ほとんど壊れかけた中古車に乗ってひとりの風采のあがらない三十男が帰宅する。牛乳瓶の底のような眼鏡、よれよれの背広、ぼさぼさの頭髪に、むさ苦しい無精髭。大学で犯罪心理学を教える助教授。ふんするは仲代達矢
 助教授は極度の近眼で、部屋に「人口調節審議会」から差し向けられた殺し屋がいるのにも気づかず、インスタントラーメンを食べようとして、ぬらりくらり、偶然にも殺し屋を殺してしまうことに。
 助教授はたまたま知り合った団玲子の婦人記者と砂塚秀夫のチンピラをともなって、次から次へと襲いかかる殺し屋たちを逆にやっつけ、ついに、本拠地の病院へ乗り込み、院長と対決。
 若い頃の仲代のおとぼけぶりに大笑い。黒澤の『乱』あたりから、目を剥いてのシリアスな大芝居ばかりが目立つようになったが、この『殺人狂時代』の軽妙な演技、コメディアンとしても最高だった。

 

殺人狂時代
1967
監督:岡本喜八
出演:仲代達矢、団令子、砂塚秀夫、天本英世江原達怡、川口敦子、沢村いき雄、二瓶正也

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三十一回 逃げよ信長

 永禄十三年(1570年)四月。織田信長染谷将太)は、諸国の兵を従え、朝倉義景の待ち受ける越前を目指しました。信長の呼びかけに応じて、三河徳川家康風間俊介)、摂津の池田勝正、大和の松永久秀吉田鋼太郎)などが集結し、琵琶湖の西岸を北上し、若狭の国、佐柿にある国吉城に入りました。

 松永久秀明智光秀十兵衛(長谷川博己)に声を掛けてきます。

「久々の大きないくさじゃ。血が騒ぐのう。この佐柿に入るまでの間にも、近隣の国衆や地侍たちが、手勢を率いて我も我もと参陣してきた。信長殿の名前がこの若狭にまでもとどろき渡っているということじゃ」

 光秀は微笑みます。

「心強き限りにござります」

「やはり信長殿、これまでの大名とは違う。このわしがにらんだ通りじゃ」

 武将たちが勢揃いし、やってくる信長に一斉にひれ伏します。

「我ら、これより越前へ向かう」信長は叫びます。「朝倉を討つ」

 信長はさらに、東に位置する越前、敦賀(つるが)に兵を向けました。朝倉軍は防戦しますが、わずか二日で手筒山城と金ケ崎城を捨てます。信長は敦賀郡全域を占領したのです。

 勢いに乗った信長は、背後を妹、市(いち)の嫁ぎ先である小谷城浅井長政に守らせ、一気に一条谷の朝倉義景を討つ策を立てました。

 酒の席を離れた光秀は、庭に徳川家康がたたずんでいるのを見つけます。家康は光秀に問います。

「我々武士は何のために戦うのでしょうか」

「それは」

「笑われるかも知れませぬが、私は、争いごとのない、いくさのない世をつくり、そのために戦うのだと、禅坊主の問答のようなことを時々本気で考えていることがあります」

 近江の小谷城では、浅井長政が妻の市に話していました。

「兄、信長殿に槍を向けることは、この長政の本意ではない。それだけは言うておきたかった。そなたの輿入れの折、信長殿は申された。我が浅井と長年のよしみを通じてきた越前朝倉には手は出さぬと。しかし此度(こたび)の越前攻め。万が一朝倉殿が討ち果たされるようなことがあれば、次はこの……」

 市が立ち上がります。

「兄上はそのようなことは……」

「弟を己の都合で殺した男ぞ。市。もはやそなたは信長の妹ではない。この長政の妻じゃ。よいな。今宵(こよい)これより出陣いたす。見送りを」

 敦賀の金ケ崎城に光秀のいとこである、明智左馬助間宮祥太朗)が訪れます。軍議に参加している光秀に合図します。光秀は席を立ち、左馬助から畳んだ書面を受け取ります。

「まさか」

 と、つぶやく光秀。光秀は軍議の席に戻り、信長に目配せします。信長も席を立ち、部屋に入って光秀と二人きりになります。光秀は報告します。

「近江の浅井長政、兵を挙げ、小谷城を出たとの知らせにございます」

 信長は困惑します。

「わしは援軍など頼んではおらぬ。何が狙いじゃ。長政には近江にとどまり、南への備えを……」ここで信長は気付くのです。「まさか、わしを」

 信長の言葉に光秀がうなずきます。

「なぜじゃ。なぜ長政が」

「理由は分かりませぬが、浅井の狙いが信長様にあることは明らか。一刻を争います。手立てを考えませぬと。このまま峠越えで一条谷に押しだし、一気に朝倉を潰すか。ここに陣を据え、浅井を迎え撃つか。しかし、いずれもいくさになれば、背後を突かれるのは必定。南北を浅井と朝倉の挟み撃ちにあえば、我らがいかな大軍といえども、勝ち目はございませぬ。事と次第では、お命、危のうございます。やはり信長様、一刻も早くここを」

「逃げよと申すか」

「ほかに道はなしと存じまする」

「わしは帝(みかど)にほめていただいた。当代一の武将だと」信長は激高し始めます。「そして託された。天下静謐(せいひつ)のため、励(はげ)めと」信長は叫びます。「逃げることなどできぬ。ただちに一乗谷へ攻め込む」

 その信長の前に光秀が立ちふさがります。怒りにまかせて光秀を蹴りつける信長。光秀は倒れます。しかし立ち上がって、再び信長を阻止します。二人はしばらくにらみ合います。光秀は声を絞ります。

「帝がそのようにおおせになられたということは、信長様のお命、もはや信長様お一人のものではございませぬ。天下静謐という大任を果たされるまで、何としても生きていただかなければなりませぬ」光秀は声限りに叫びます。「織田信長は、死んではならんのです」光秀は床に額をつけて声を張り上げます。「お願い申し上げまする」

 信長はゆっくりと向きを変えます。座り込んでつぶやくようにいいます。

「一人で考えたい」

 光秀は信長を残して部屋を後にします。軍議の席に光秀は戻ってきます。そこに激しいうなり声が聞こえてくるのです。信長が涙を流して声を出していたのでした。やがて信長が皆の前にやってきて、座におさまります。信長は落ち着いた声を出し、浅井が兵を挙げたことを皆に説明します。動揺する武将たち。信長は一喝します。

「退(ひ)きいくさは、明智、その方らに任せる」信長は立ち上がります。「わしは、逃げる」

 そう宣言して信長は皆の前から去って行くのでした。光秀は皆に呼びかけます。

「ご一同、迷うている暇はありませぬぞ。信長様には急ぎ、お立ち退きいただく。続いて本軍。采配は、柴田殿に」

「承知」

 柴田勝家安藤政信)は返事をします。

「私はこの金ケ崎に残り、時を稼ぎ、後を追います。おのおのお支度を」

 駆け回る武将たちの中で、木下藤吉郎佐々木蔵之介)は庭に膝をそろえて座り、光秀を待っていました。自分も殿(しんがり)に加わりたいというのです。信長の家臣たちは誰もが、藤吉郎をひとかどの武将と認めていないと語ります。光秀はいいます。

「殿の役目をご存じであろう。わずかな手勢で敵を食い止め、本軍を守る。危うき時にも味方の助けはない」光秀は一段下りて声を張ります。「命と引き換えになりますぞ」

 藤吉郎は顔を上げます。

「死んで名が残るなら、藤吉郎、本望でござる」

 信長は浅井の領地を避けながら、若狭街道を退却します。光秀と藤吉郎は本隊の最後尾に陣取り、追撃してくる朝倉、浅井軍を必死に打ち払います。

 殿で疲れ果てた光秀は、左馬助に話しかけます。

「わしは今まで、なるべくいくさをせぬ。無用ないくさをさせぬ。そう思うてきた。しかし、此度(こたび)のいくさではっきりと分かった。そんな思いが通るほど、この世は甘くはない。高い志があったとしても、この現(うつつ)の世を動かす力がともなわねば、世は変えられぬ。いくさのない世をつくるために、今はいくさをせねばならぬ時なのだと。今は、いくさを重ねるしかないのだ」

 京の妙覚寺に光秀が帰ってきました。途中、別々に行動した藤吉郎と無事を喜び合います。しかし藤吉郎は光秀に嘆くのです。

「誰も信じてくれませぬ。わしが、この藤吉郎が殿をつとめたことを。お前ごときに殿がつとまるわけがない。どうせどこかに身を隠し、頃合いを見て逃げ帰ったのであろうと」

 それを聞いた光秀は怒ります。酒を飲んでいる柴田勝家たちの部屋に踏み込みます。

「木下殿は立派に殿をつとめられた。敵をあざむくため、二手に分かれ、京へ入る折には別々となったが、いくさ場での働き、実に見事であった。誰のおかげでその酒が飲めるとお思いか」

 信長は寝所に引きこもったまま誰とも会わないということでした。光秀は信長に会いに行きます。信長は光秀を部屋に導き入れます。

「生きて戻ったか」

「信長様は無事にお帰りとうかがい、胸をなで下ろしました」

「殿、大儀であった」

 信長は苦しんでいました。帰蝶から文(ふみ)が届き、いくさの勝敗はどうなったかと聞いてきています。御所にも行かなくてはなりません。帝に何といえばよいのか。光秀は座り直し、いいます。

「信長様。この十兵衛、此度(こたび)のいくさ、負けと思うてはおりませぬ。信長様が生きておいでです。生きておいでなら、次がある。次がある限り、やがて大きな国が作れましょう。大きな国ができれば、平穏が訪れ、きっとそこに、麒麟が来る」光秀は思い出すよう語ります。「追手から逃れ、この京に向けて夜通し馬を走らせおる時、ふと、その声を聞いたような気がいたしました」

麒麟の声が、か。どのような」

「信長には、次がある、と」

 信長は笑い出します。光秀も笑います。光秀はいいます。

「明日、二条城へおもむき、公方様へ、ご報告なされるのがよかろうと存じます。浅井の思わぬ裏切りに遭うても、三万という大軍をほぼ無傷で退いてみせた。その結束の強さは、信長様以外、誰もまねできぬと。そのことをしかと奏上なされませ。帝へも、帰蝶様へもご報告なされるのがよかろうかと。信長は生きて帰った。次がある。と」

  

明治一五一年 第18回

明治一五一年 第18回

夕日の裏側をすり抜けて
いく幾つもの囁きに
ちいさく縮まっていく足の
裏側の痛い感触は
静かに海面を
渡り佇む賑やかな午後の浜辺へ
嘉永六年の夕暮れ時
の静まり返る三号台場の
江戸湾の入り江に
進む亜米利加艦隊の船尾の
裂きいく空気の方位
のそれぞれの思いに這う
剥落はいく重にも
重なりながら波の音に淀み
形になることなく
終りなく先端まで捻じれた
樹樹の繁茂する六号台場
へと飛翔する意識の
時代の終わりに
響きわたる血の揺れと穢れの
裂けていく光に流されて
いく形のままに解け
海辺に戯れる人たちの明るい
首筋にまで嵩む
掠れる背中に小さな
声で呼ばれ波の間を伝い
すでになき二号台場
へと暮れる足裏の感触の
文明開化というやや
金属的に響く低音の声の
悲鳴はまだ途絶えることも
ないままに朽ちた
切り口は解けるそばから海面
の揺らぎを支え
頽れる瞬間に
問われながら遥かな果てに続く
見えない浜辺の五号台場から
の砲撃の振動の
霞む水平線のさらに
遠くに消えていった影の
名残になるならば
建ち並ぶビル群の壁に届き
囁かれる兆しとして
剥き出しになる薄い骨や
なお打ち上げられ弱まる足腰
の汀まで追われ
なおも地面を這い近づく
一号台場の幻の頂の
一面に燃えあがる朧な東京
の街路の連なりの
日ごとに歪になるすり減る
中指の先端を継ぐ
ため語られる
本当に静かなだけの一日を綴り
たどり着く滲む日没
の煌めきはより鮮やかな
ビルの間を抜ければ現れる
4号台場の輪郭の
めくれ散り散りになり落ちて
いく東京の空の
さざめく人の名残
を暮れていく瞼の内に捧げ
まだ誰も踏み込んだことのない
土地に刺さる
声たちの汀を遍く
行き交いに途切れなく晒し
誰も見なかったさらなる台場
を踏む足の指の
一五一年からの還り得ない
無数の魂の行方の
端々を絡める滑らかな音階
の消えゆく方角が
たゆたう階まで繋ぐと意識
のほころびを細め
記憶にも忘れさられた地層の
奥底にまで萌す

 

『映画に溺れて』第397回 ああ爆弾

第397回 ああ爆弾

平成二年十二月(1990)
池袋 文芸坐

 新文芸坐に建て替わる以前の池袋の文芸坐には、実に足繁く通ったものである。当時は三館あって、主に洋画の話題作二本立てが一階の文芸坐、古い日本映画などの特集上映が地下の文芸地下、そして演劇や落語やちょっと変わった映画をやるのが別棟の文芸坐ルピリエだった。
 文芸地下は文芸坐2と名を変えたが、ここで観た岡本喜八特集は忘れがたい。全作品の日替わり上映で連日超満員、とても全部は無理だったが、喜八作品、かなりの数を観ることができた。
 中でももっとも異色なのが、伊藤雄之助主演の『ああ爆弾』で、実に馬鹿馬鹿しいというか、悪ふざけもここまで徹底的に真剣にやれば素晴らしい名作である。
 いきなり、刑務所で出所間際のやくざの親分、大名大作が能狂言風にせりふを謡う。立ち見まで出ている満員の客席がこれには大爆笑であった。最初に笑わせてくれたので、あとはもう次から次へと笑える場面が続く。
 いざ出所してみると、留守中に組は乗っ取られ、女房と息子は裏長屋で貧しい暮らしぶり。新しい親分は社長を名乗って、市会議員に立候補中である。大作は刑務所で知り合ったチンピラ太郎の助けを借りて爆弾を作り、悪徳社長に復讐しようとする。
 が、万年筆に仕掛けた爆弾がなかなか社長の手に渡らず、結局、まわりまわって自分の息子の手に。はらはらどきどきのギャグが続く。
 親分大作に伊藤雄之助、チンピラ太郎に砂塚秀夫、大作の留守中に新興宗教にのめりこんで太鼓を叩き続ける女房に越路吹雪、悪徳社長に中谷一郎、銀行支店長が有島一郎といった配役も絶妙である。
 随所に歌があり、ミュージカルとも言える作品なのだ。原作がコーネル・ウールリッチというのも驚きであった。

 

ああ爆弾
1964
監督:岡本喜八
出演:伊藤雄之助越路吹雪、砂塚秀夫、中谷一郎、沢村いき雄、北あけみ、二瓶正也天本英世、重山規子、有島一郎桜井浩子、高橋正、本間文子、長谷川弘、丘照美

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三十回 朝倉義景を討て

 永禄十二年(1569年)、夏。明智光秀十兵衛(長谷川博己)は京の二条城から、美濃に出発しようとしていました。木下藤吉郎(のちの秀吉)(佐々木蔵之介)見送りにやってきます。木下は探りを入れるようにいいます。

「こたびは岐阜城に、松永久秀吉田鋼太郎)様や奉公衆の三淵藤英(谷原章介)様なども信長様に招かれておいでと、密かに聞いております。明智様も行かれるとなると、やはり次のいくさのお話でもあるのですかなあ」

 とぼける光秀。木下は立ち上がって障子戸を閉めます。

「この幕府には、越前の朝倉義景ユースケ・サンタマリア)とつながりのある者があまたおります。成り上がり者の織田に支えられるより、由緒正しき大大名、朝倉あたりに支えてほしいといろいろ企てをいたす者がおる。かかる輩を一掃せねば幕府は新しくなりませぬ。そのためには、朝倉を倒すのが一番。そう思われませぬか」

 光秀は木下にいいます。

「私は十年もの月日を、越前で過ごした。朝倉様といくさをするには、相当の兵の数と、銭がいる」

 木下と別れ、光秀は城中で駒(門脇麦)と会います。駒は将軍足利義昭滝藤賢一)に会いに行くところでした。

 駒は義昭に銭を届けに来たのでした。義輝は貧しい者、病に苦しむ者を救う館を造ろうとしていました。駒はそのための資金を持ってきたのです。

 光秀は美濃の岐阜城に到着していました。松永久秀と出会います。松永はいいます。

「今の信長殿の勢いをもってすれば、例え相手が誰であろうと、負けることはあるまい。朝倉は、上洛を果たした信長殿が憎いのだ。隙あらば、取って代わろうと思っておるのだ」

 そこへ三淵藤英がやってきます。松永が聞きます。

「信長殿とは、どのような話になったのじゃ」

 三淵は答えます。

「信長殿ははっきりとおおせられた。朝倉と一戦交えたいと」

「それで良いのじゃ」

 という松永。

「しかし私は申し上げた」三淵は冷淡に話します。「公方様は、朝倉にお世話になったことがあるゆえ、共に戦うわけには参りますまいと。いくさに加わるには大義名分が必要」

 そして光秀は信長に呼ばれるのです。

 しかし部屋に信長はいませんでした。子供が座っています。信長の嫡男である奇妙丸(のちの織田信忠)でした。帰蝶川口春奈)がやってきて奇妙丸を下がらせます。帰蝶は光秀に信長の様子を話します。

「こたびも、ずいぶんお悩みのご様子。いくさをしてよいものかどうか、お集まりになった方々の話を聞き、さらに迷うておられる。今、庭におられる。お話しすれば、お聞き入れになるはず。なにとぞ、よしなに」

 帰蝶は光秀に頭を下げるのでした。光秀は立ち上がり、振り返ります。

帰蝶様は、朝倉とのいくさをどう思われますか」

 帰蝶も立ち上がります。

「我が兄の子、斎藤達興は、朝倉をそそのかし、この美濃を取り返そうと企んでおる。国境(くにざがい)ではすでに、朝倉方と小競り合いが続いておる。京は一時(いっとき)穏やかになったとて、足下の美濃に火がつけば、すべてまた一から始めねばなりますまい。それゆえ私は申し上げました。朝倉をお討ちなされと」

 光秀は庭にいる信長に会います。信長は鷹を前にし、光秀に背中を向けたままいいます。

「朝倉相手に、一人では勝てぬ。何かよい手はないか」

 光秀は話し始めます。

「こちらへ参る日、京の御所の前を通りました。崩れていた塀が、いつの間にか、見事に修繕されておりました。聞けば、信長様が命じられ、塀と南の御門をお直しになったと」

「昔、父上が、荒れ果てた御所の話を聞き、帝(みかど)の御座所がそれでは、武士の面目が立たぬと、お直ししたのだが、今また、見る影もないと、公家たちが嘆くのを聞いた」信長は光秀に振り返ります。「父上への、供養と思うてな」

 光秀はうなずき、前に出ます。

「昔、読んだ書物に、八歳の子が、父親に問う話がありました。尊い仏は、誰から仏の道を教わったのか、と。一番尊い仏から教わったのだ、と父親が答えると、その一番尊い仏は、誰から教わったのかと問われ、父親は答えられず、空より降ってきた者から、と答えたという話です」

 信長も話します。

「以前話した父上の話とよう似ておるな。この世で一番えらいのはお天道様で、その次は、都におわす帝(みかど)。将軍は、その帝の門を守るものであると。その将軍が帝の門を守る役目を放り出し、門は破れ、世が乱れた」そして信長は気付くのです。「帝は、このいくさをどう思われるかお聞きしてみたいものだな。このいくさが、天下を平らかにするための、避けて通れぬ道であると申し上げ、それをお認めいただければ大義名分が立つ。違うか」

 光秀は態勢を低くします。

「そうなれば、諸国の大名たちも納得いたし、兵も集まりましょう。しかし、お認めにならねば、信長様お一人のいくさとなります」

「賭けだな。帝は拝謁(はいえつ)を許されると思うか」

「あのように南の御門をお直しになったのです。叩けば、門は開くやも知れません」

 信長は城に光秀の妻子を呼んでいました。喜んで光秀は家族と会います。妻の熙子(ひろこ)(木村文乃)はいいます。これは娘たちの願いであるし、自分の願いでもある。自分たちを京に呼んではもらえないか。父の苦労をしのぶのではなく、目の当たりにしたいと娘がいっている。

「いくさにおいでになるのなら、お見送りしたいと。それが、美濃ではかなわぬと。私も、十兵衛様のご出陣を、お見送りしとうございます」

 ついに光秀はいうのです。

「来るか、京へ」

 医師の長谷川東庵(堺正章)は、謎の人物と囲碁を打っていました。その人物は信長と会うことを迷っていました。東庵は、お会いになってはいかがかと、といいます。信長はどんな武将なのかとたずねる謎の人物。東庵は答えます。

「越後の上杉輝虎も上洛し、天下に平安と静謐をもたらせて見せると胸張っておりましたが、今日まで音沙汰はなし。信長はそれを曲がりなりにも果たした。見るべき所はあるかと」

 謎の人物はうなずくのです。

 永楽十三年(1570年)二月。上洛した信長は、直ちに参内し、帝に拝謁しました。信長は、昇殿を許される身分ではありませんでしたが、帝は破格の扱いをしたのでした。

 戻った信長を、光秀が待っていました。

「帝は。どのような」

 と、問う光秀。信長は満面に笑みを浮かべます。

「帝はわしをようご存じであった。今川義元とのいくさ。美濃とのいくさ。将軍を擁(よう)しての上洛。いずれも見事なりとおおせになり、武勇の誉れを天下に示したと。当代一の武将なりと、お褒めいただいた。帝が、わしを」信長は光秀の前に座ります。「御所の修復も、ありがたしとの言葉をたまわり、さらにこうおおせになられた。天下静謐のため、いっそう励むようにと。この都。この機内を平らかにすべし。そのためのいくさならば、やむなしと。勅命をいただいたのじゃ。いくさの勅命を」

 越前の一乗谷では、朝倉義景ユースケ・サンタマリア)が家臣の山崎義家(榎本孝明)から文(ふみ)を受け取っていました。それは幕府政所(まんどころ)頭人である摂津晴門片岡鶴太郎)からのものでした。山崎がいいます。

織田信長が上洛し、諸国の大名を集めいくさの用意を始めたよし。紛れもなく、この越前をにらんでの動きだと」

 朝倉義景は摂津からの文を読みます。

「幕府は、あくまでわしや上杉輝虎殿に将軍を支えて欲しいとある。摂津殿はわしの古き友じゃ。織田ごとき成り上がり者になにができる、との思いが、ひたひたと伝わる文ではないか。幕府はわしが織田を討ち、上洛する日を待ち望んでおるのじゃ。これはわしに立てという文ぞ」

 京の二条城では、足利義昭に光秀が謁見していました。光秀は信長の言葉を伝えます。

「帝の勅命は、天からのご命令であり、幕府も総出で、若狭の武藤を討つべきと」

 義輝はいいます。

「いくさがあれば和議の仲立ちをいたすのが将軍の務めと思うておる。この都にとどまり、吉報を待つ」

 若狭の武藤を討つとは、白々しい口実だ、というのは摂津晴門でした。

「はっきり申されればよいのじゃ。上杉まで足を伸ばして朝倉義景を討つつもりじゃと」

 同席していた三淵藤英(谷原章介)がいいます。

明智殿。以前に申したとおり、公方様は朝倉と戦うつもりはない。多くの大名に支えられることを望んでおられる。朝倉様もそのお一人じゃ。それを織田様も、わきまえるべきと存ずる」

 光秀は間も開けずにいいます。

「お言葉なれど、朝倉様にこの京都、機内を守り、天下を静めんとする気概はありませぬ」

 摂津が話し出します。

明智様も、よくよくお考えいただきたい。大事は、皆の力で成すのじゃ。どなたかお一人の力で天下を支えられるとお思いになられるのは、思い上がりというもの。幕府は、この都を守らねばならん。織田様が、いくさをおやりになろうとも、我らは京の外へ一歩たりとも出るつもりはない」

 妙覚寺では信長が家臣らと、杯を交わしていました。信長は立ち上がって叫びます。

「出陣じゃ」

 

書評『絵ことば又兵衛』

『絵ことば又兵衛』
著者 谷津矢車
発売 文藝春秋
発行年月日  2020 年9 月30 日
定価  ¥1750E

 

絵ことば又兵衛 (文春e-book)

絵ことば又兵衛 (文春e-book)

 

 

 2013年『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビューした谷津矢車の最新作である。ほぼ同時期に文庫化された『おもちゃ絵芳藤』で、谷津は幕末から明治へと価値観が移り変わる時代の過渡期を生きた浮世絵師をさらりと描いているが、本作では、浮世絵の元祖ともいわれ、〈浮世又兵衛〉と綽名された伝説の画家・岩佐又兵衛勝以(いわさまたべえかつもち)(1578~1650)の半生を安土桃山時代から徳川時代へと、同様に価値観の移り行く時代を背景として、斬新な解釈で描く尽くしている。

 岩佐又兵衛の、京都・福井・江戸へと流浪した生涯は多くの謎に包まれている。又兵衛の父の荒木村(あらきむら)重(しげ)(1535~1586)や明智光秀など信長への反逆者を主人公とした歴史小説『反逆』(講談社 1989年)を著わした遠藤周作は、又兵衛が村重の遺児だという説があるが、村重の有岡城落城の折、乳母が西本願寺の寺院に隠した遺児が後の岩佐又兵衛だとは断定しがたいとしているほどである。
 では、乳呑み児の又兵衛が誰に育てられ、どのように成人したのか。いつ、誰について絵の手法を学んだか。谷津の描くストーリーを追ってみたい。

 乳母のお葉(よう)は乳呑み児の又兵衛を背負い、命がけで有岡城を脱出して、ただ一人織田勢の囲みを抜ける。又兵衛は物心の着いた頃より、お葉とともに泉州堺のある寺で下働きをしていた。その寺で、又兵衛は最初の師、大和絵土佐派の絵師・土佐光吉(みつよし)に出会う。半年ほど経った冬、信長の追手が迫り、又兵衛はお葉と共に京に逃げ、本能寺の変で信長が斃れるまで二条油小路の笹屋という商人の家で逼塞していた。5歳の又兵衛に画才ありとみた笹屋は知り合いの狩野松栄(永徳の父)に頼み込み、又兵衛は狩野工房の外弟子となる。狩野工房に入って数カ月たった冬のある日、京の二条油小路近くで、武士を捨て茶人になって秀吉に仕え道薫と名を変えていた父村重と出会うが父との邂逅はそれきりであった。文禄元年(1592) 15歳の又兵衛は10年の間世話になった狩野工房を去り、狩野家の斡旋により、織田(おだ)信(のぶ)雄(かつ)に近習として仕える。  

 信雄は又兵衛の母だしを無惨にも京の六条河原で処刑した信長の次男である。自らの母を殺した信長の子に仕えるとは! 慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後、信雄は改易となるまで、約8年、信雄に仕えたことになる。戦国無情の世とは言え、こうした凄まじい人間ドラマの現出に読者は驚愕するであろう。

 信雄の人物造形が秀逸である。又兵衛同様、吃(ども)に苦しんだ信雄は又兵衛を慈しみ、又兵衛が信雄の家中を離れる寸前に、又兵衛の出生の秘密を打ち明ける。かくして、「灰色の武家勤めの記憶の中、信雄との思い出は今でも極彩色の錦として胸を彩どっている」。絵師としての苦悩や葛藤とともに、歴史上の人物が構築された描写の中に浮かび上がるのも本書の読みどころ。弟秀(ひで)忠(ただ)に将軍職を奪われ、父家康(いえやす)にも疎んぜられた松平(まつだいら)秀(ひで)康(やす)(1574~1607)もそうした人物である。
 物語前半の見せ場はその秀康との運命的な出会いのシーンである。
 福井時代の又兵衛のパトロン松平忠直だが、京都時代の又兵衛に忠直の父秀康との人的つながりがあったとするのは作家の造形である。天正15年(1587)10歳の又兵衛は秀吉の北野の大茶会に出席していた秀康に巡り合う。時に秀康は豊臣家(後には結城家)に養子に出されながらも、威風堂々と「羽柴三河守秀康」と名乗る青年であった。茶会で絵を描くように命じられた又兵衛は「天下人の茶会」ともいうべき北野茶会を茶化しているようにも見られかねない絵を描く。それを見た秀康は「世の静謐を乱す絵だ」としながらも、一介の工房絵師に過ぎない又兵衛の稚気を諫めつつ赦すのである。
 朝鮮出兵、秀吉の死、関ヶ原の戦いと時は巡って、北野の大茶会より凡そ20年後の慶長10年(1605)、又兵衛は伏見城で秀康と再会するも、秀康のあまりの変わりように絶句する。「制外の御家」として幕府から疎遠な扱いを受け続けたことによる心の憤懣が因であろうか、かつての覇気ある姿は消えていた。
「わしの似絵を描いてくれ」。流転に次ぐ流転の人生の果てに、30数歳にして死出の旅に出ようとする秀康は又兵衛に肖像画を描くよう頼む。「心残りは一つだけ。あの息子はこれからやってくる時代の激変に耐えられるか。絵を通じて息子を見守ってやりたい」と。

 元和2年(1616)40歳を目前とした又兵衛は越前北之庄(福井市)に移り住み、藩主松平忠直のもとで絵画制作を行う。又兵衛が京を離れたかった本当の理由は「自分の宿業から逃れたかった。村重の子ではなく、ただの岩佐として、まっさらに生きてみたかった」からだが、「又兵衛にとって懐かしき京とは、豊臣と徳川が共存していた姿だった」とも。そもそも、「豊臣と徳川が共存していた姿」とは秀康の姿そのものではなかったか。が、その秀康はすでにいない。
 元和9年(1623)30にも満たぬ男盛りの忠直は改易を命じられる。父秀康を上回る反骨と奇矯の人であった忠直の行状は菊池寛の『忠直卿行状記』に詳しいが、大坂の陣により、すでに、豊臣氏は滅び、世は徳川へと移行。秀康の予言通り、武将が武功によって栄進し名を残す世は終わろうとしていたのである。
 豊後国萩原に配流されることになる忠直は5歳の次女鶴姫のために、「物語をくれてやりたい。届けたいのだ、わしの思いを」と又兵衛に絵巻物を描くよう命じる。又兵衛がこの時描いたのが、義経(よしつね)の母・常盤(ときわ)御前(ごぜん)主従が夜盗にあって裸に剥かれ殺される残酷な死の場面で有名な『山中(やまなか)常盤(ときわ)絵巻』で、忠直との約定通り、又兵衛は全12巻の絵巻を鶴姫に献上する。

 忠直が抜き差しならない両親の不和に悩んだであろう己の子に伝えたかった思いとは何か。忠直の思いは人の子の父となって初めて知る又兵衛の思いにつながる。血みどろの復讐絵巻の中に、又兵衛は母だしの六条河原での処刑シーンなど自らの生い立ちの幽かな記憶を落とし込んでいるやもしれない。
 父の思いを知りたい鶴姫が「わらわに、絵を教えてくれ、いつか父上に贈りたい」と涙ながらに又兵衛に訴える感動的なシーンで物語は終わっている。
『山中常盤絵巻』は牛若伝説にちなむ御伽草子を題材としているが、絵巻を制作するにあたり、作家は又兵衛に、かく言わしめている。「なにがしかの物語を絵に落とし込むとは、存在する多くの解釈からたった一つの、もしかしたら間違いかも知れぬ解を選び取る、傲慢な行いそのものだ。これくらいの重さがなければ嘘だ」と。
又兵衛を主語とする「なにがしかの物語を絵に」を、作家矢車を主語とする「又兵衛の物語を歴史小説に」と置き換えれば、作家の意図は明かであろう。

 物語は嘘である。本書は小説であるから、もちろん、一つの仮説にすぎない。美作津山松平家に伝わり、複数の所有者を経て、現在MOA美術館に所蔵される『山中常盤絵巻』(国の重要文化財指定)制作の背景がかくのごとくであったことはもちろん物語(嘘)であり、谷津の「傲慢な行い」なのである。
「ひょんなことから絵を知り、人の縁によって絵師の道に至っただけ」の又兵衛は、長谷川等伯から「奇妙の絵師」と称されるほどの絵師になっても、「浮世とは憂世。よろずにつけて心にかなわぬ憂きことの多い世。その憂世で、己は今まで、浮世に舞う蝶のごとく、筆を動かしていただろうか、無様と人に笑われようが己のしたいことを果たそう」と思っていたという。岩佐又兵衛の壮大にして稀有な一代記の誕生である。

             (令和2年10月31日  雨宮由希夫 記)

『映画に溺れて』第396回 ナイトメア・ビフォア・クリスマス

 第396回 ナイトメア・ビフォア・クリスマス

平成六年十二月(1994)
日比谷 日比谷映画

 ティム・バートン原案、ストップモーションアニメの名作だが、子供向きというよりは大人が楽しめる内容になっている。
 祝日の森の中にあるハロウィンタウン。不気味で恐ろしいオバケたちの世界。カボチャの王ジャックは、このところなんだか虚しさで胸がいっぱいになっている。年に一度のハロウィンが終わると、翌日からさっそく、次のハロウィンの準備に取りかかるのだ。それがこの町の宿命である。
 ジャックは町を抜け出し、祝日の森までやってくる。一本の木の扉に誘われるように入って行くと、そこは一年中雪におおわれたしあわせそうな町。みんなが明るく楽しげに笑い、おもちゃやお菓子で溢れている。ジャックは生まれて初めての変な気分に感動さえする。その町の名はクリスマスタウン。
 ハロウィンタウンに戻ったジャックはさっそく新しい計画を練りはじめる。今度はハロウィンではなく、自分たちでクリスマスを実行しよう。ハロウィンタウンの住人たちもジャックの提案を喜んで受け入れ、クリスマスの準備を始める。彼らの奏でるジングルベルは哀調を帯びた薄気味悪い音楽。彼らの作るプレゼントは人を怖がらせる生首や怪物やびっくり箱。マッドサイエンティストが骸骨のトナカイを用意し、棺桶のソリがつながれる。
 仕上げはクリスマスを支配する人物、トナカイを鞭で打ちつける真っ赤な巨人サンディ・クローズを誘拐し、ジャックがその代わりを務めることだ。
 サンタクロースはハロウィンの三人小僧に連れ去られ、ジャックがハロウィン感覚でクリスマスをやるので、世界中がパニックとなり、贋のサンタクロースを追い払うために警察や軍隊が出動する。大切なクリスマスをだいなしにした傷心のジャックに立ち直るチャンスはあるのか。
 マッドサイエンティストフィンケルスタイン博士に作られたつぎはぎだらけの女の子サリーは、フランケンシュタインの花嫁か。
 ミュージカルとしても、すばらしい出来栄え。

 

ナイトメア・ビフォア・クリスマス/The Nightmare Before Christmas
1993 アメリカ/公開1994
監督:ヘンリー・セリック
アニメーション

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第二十九回 摂津晴門の計略

永禄十二年(1569年)。将軍足利義昭(遠藤賢一)の御座所、二条城の築城が、着々と進んでいました。織田信長染谷将太)は、近隣の国々から、人や物をかき集めた。京のめぼしい屋敷や、寺社からも庭石や、調度品などを差し出させ、みずから陣頭に立ち工事を進めました。

 明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、細川藤孝眞島秀和)と共に、届けられた品々を調べていました。藤孝がいいます。

「見たことのあるふすま絵だと思うたら、我が館の隣の寺の物だ。驚き入った」

 光秀は答えます。

「仕方がありますまい。四月までにこの城を作り上げるとなると、出来合いのものを使うほかありません」

「しかしいささかやり過ぎなような気もする」藤孝は光秀に近づきます。「幕府の中には、信長様は将軍の名を借りて、京中の金目の物をかすめ取っていると、陰口を叩く者もいるそうだ」

「いいたい者にはいわせておけばよろしいのです。将軍をお守りする城を造ろうとしなかった者たちが、あれこれ申すことなどもってのほか」

「それはそうだが」

「幕府の中には、寺や神社と、深く関わり、寺社が営む金貸しに食い込んで、利を得ている者もいます。調べれば調べるほど、幕府の内は醜い。今日も、これらの物を持ち出された寺の者が集まり、幕府に返納を迫るつもりだと聞き及んでおります。政所(まんどころ)の摂津殿が、どう裁かれるか、よく見る必要があります」

 足利義昭は駒(門脇麦)を呼んでいました。医療施設のある、貧しい者のための館を造ろうとしていたのです。しかし金がないと義昭は嘆きます。少しずつでも造ったどうかと提案する駒。それでも一千貫はいる、と義昭はいいます。

 駒は治療院に帰ってきて、今まで貯めてきていたお金を確かめます。二百貫あることが分かりました。

 光秀は城普請の指揮をとっていました。そこに子供が結んだ紙を押しつけてくるのです。それは伊呂波太夫尾野真千子)からの手紙でした。

 光秀は伊呂波太夫をたずねます。会わせたい人がいるとのことでした。その人物は関白の近衛前久本郷奏多)でした。大夫がいいます。

「三好の一党とのつながりを疑われて、公方様のご上洛以来、都から追われ、姿を消しておられましたが、密かにお戻りになられているのです」

 その場で鼓(つづみ)を打っていた者が頭巾を外します。近衛前久その人でした。近衛は光秀に打ち明けます。

「私は摂津たちから追われている。三好たちと、先の将軍足利義輝の暗殺に関わったという理由じゃ。それをいいふらしたのは、近衛家を毛嫌いする二条春良じゃ。春良は、足利義昭が将軍になったのをいいことに、摂津と幕府を味方につけ、私を都から追いはろうた。目当てははっきりしておる。近衛の領地を奪い、摂津たちと、我が物にするということだ。以前、越後の上杉輝虎と話したことがある。立派な武将じゃ。その上杉がいうた。今の幕府は、おのれの利しか頭にない。天下をにらみ、天下のために働く者がおらん。それゆえ、いつまでも世は治まらぬと。私は今、それができるのは織田信長かと思うておる。あの上洛ぶりを見てそう思うた。今、幕府を変えられるのは信長じゃ。それをそなたに申しておきたかった」

「なにゆえわたくしに」

「将軍の側に居て、信長にもはばかりなく物申せるのは、明智十兵衛と聞いた。摂津を嫌っているという噂も耳にした」

 近衛は立ち去ろうとします。太夫が問いかけます。

「もっとお話しがおありだったのでは」

 振り返らずに近衛はいいます。

「命乞いまでしたくはない」

 近衛が出て行くと大夫がいいます。

「本当は(近衛)前久様は、こういうこともおっしゃりたかったのです。この都には、公家や、武家や、私のような街衆がいて、そして、帝(みかど)がおいでだと。帝もご領地を奪われ、たいそうお困りと聞きます。今の帝のひいおじい様は、崩御されてもお弔(とむら)いの費用がなく、二月(ふたつき)、放っておかれたと申します。それを助けるべき幕府は、手も差し伸べず、見て見ぬ振りをした。御所をご覧になればよく分かります。帝がどれほどお困りか」

 光秀は妙覚寺の信長の寝所をたずねます。

「その幕府ですが」

 と光秀が言いかけると、

「腐り果てているのであろう」

 と、信長が言葉を継ぎます。

「良くお分かりで」

「皆、口をそろえて幕府の非道を攻め、わしに何とかしろという。しかし、わしは将軍ではない。幕府のやることにいちいち口出しはせん」

 光秀はいいます。

「口をお出しになるべきかと存じまする。城だけ造れば都は安泰という訳ではありません。四月に、岐阜へお帰りになるとうかがいましたが、その前に幕府の方々をすべて入れ替えるべきと存じます」

「それは、将軍のおそばにおる、そなたの役目であろう。越前の朝倉義景のもとに、三好の一党が出入りし、わしの留守の間に美濃を攻めようと企てているとの知らせが届いた。美濃を失えば、この京も危ない。帰っていくさ支度をせねばならぬ。そのために、そなたや、権六や、藤吉郎を京の奉行にするよう幕府に飲ませたのだ。やり方は任せる」

 信長は立ち去ろうとします。しかし歩みを止め、いいます。

「昔、幼い頃、父にたずねたことがある」信長は振り返ります。「この世で一番えらいのは誰かと。それはお日様じゃといわれた。その次にえらいのは、とたずねると、都におわす天子様、帝(みかど)じゃ、と申された。わしには帝というものが分からなかったが、その次はとたずねると、帝をお守りする将軍様じゃと」信長は笑い出します。「なんだ、将軍は帝の門番かと思うたが、我らはその門番をお守りするため、城を造っておるのだが」

 数日後、光秀のいる本国寺に、藤孝がやってきます。光秀が横領の罪で訴えられているというのです。それは妻子と共に住むようにと、将軍義昭にもらった土地でした。光秀は摂津晴門片岡鶴太郎)のもとに向かいます。

「まさか横領した土地とは思いもしませんでした」光秀は摂津を問い詰めます。「この手はずをつけたのは、政所(まんどころ)ではありませんか」

「それで」

 摂津に悪びれた様子は見られません。

「誰が横領した土地で、政所がいかにして手に入れたのか、教えていただきたいのです」

 光秀が迫ると、いちいち覚えていないなどと摂津はとぼけます。光秀は摂津の耳元に口を寄せていいます。

「そうやって帝の丹波のご領地も、お仲間の武家に与えられたのか」

 さすがの摂津も取り乱します。光秀はさらに追求します。

「誰が横領したのか、幕府内に不正があるならそれを正し、処断するのが私の務めです」光秀は摂津に訴えの文書を押しつけます。「この訴え、見逃すわけにはいきません」

 光秀が立ち去ると摂津は一人いいます。

「困ったお方じゃ。世の仕組みを教えて差し上げたのじゃが」

 摂津は訴えの文書を引き裂くのでした。

 光秀は伊呂波太夫をたずねます。

「帝の御所を拝見いたそうかと」

 と、光秀はいいます。

 太夫の案内で光秀は御所にやってきます。大きく塀が崩れています。子供が入り込んでいたずらすることもあると大夫は話します。

 四月になりました。信長が総力をあげた二条城は、約束に違わず、二ヶ月あまりで完成しました。各地の大名たちに、織田信長の底力を示す出来事でした。

 二条城に入った足利義昭は感激し、信長に

「かたじけない」

 と、繰り返します。義昭が室内に入ると、信長は光秀に浅井長政を紹介します。浅井が去ると、信長は光秀にいいます。

「二、三日でよい。わしの後から、美濃へ戻って参れ。越前の、朝倉義景の件で、そなたの話を聞いておきたい」

 

『映画に溺れて』第395回 モンテーニュ通りのカフェ

第395回 モンテーニュ通りのカフェ

平成二十一年五月(2009)
飯田橋 ギンレイホール

 

 パリの賑やかな大通りの喫茶店で、ささやかながらもゆったりとすごす時間。そんな贅沢な気分が味わえる映画である。
 田舎からパリに出てきた若い女ジェシカがモンテーニュ通りでカフェの給仕の仕事につく。短髪のセシール・ド・フランスのギャルソン姿はなかなかキュート。
 ジェシカはこのカフェに出入りする三人の人物とかかわることに。コンサートを目前に控えた一流ピアニスト。舞台初日を目前に控えたTVの人気女優。生涯かけて集めた美術品のオークションを目前に控えた老コレクター。
 ピアニストは地位や名声よりも、音楽会に来ないような広く一般の人たちに音楽のすばらしさを伝えたいと願い、有能なマネージャー役の妻と不和。
 人気女優はハリウッドから新作「サルトルボーボワール」のキャスティングに来ている巨匠の前で自分を売り込もうとして失言ばかり。巨匠役がなんとシドニー・ポラック
 老コレクターは妻の死後、若い愛人を作って、息子との仲がぎくしゃくしている。
 ピアニストに朝食を配達に行ったジェシカはだれでも知っている「きらきら星」の作曲がモーツァルトだと知って驚く。
 ハリウッドの巨匠の前では女優のTVドラマを褒める。
 そして親しくなったコレクターの息子にはこんなことを言う。
「世の中には二種類の人がいる。電話が掛かってくると、チクショウ、だれだと悪態をつく人と、だれからかしらと胸ときめかせる人と」
 そして、コンサートと舞台初日とオークションが同じ日に重なり、カフェは大賑わい。
 音楽にも演劇にも美術にも疎い田舎出の彼女がみんなを幸福にし、観ている観客もいい気分になれるおしゃれなフランスコメディである。

 

モンテーニュ通りのカフェ/Fauteuils d'orchestre
2006 フランス/公開2008
監督:ダニエル・トンプソン
出演:セシール・ド・フランス、ヴァレリー・ルメルシエ、アルベール・デュポンテルクロード・ブラッスールクリストファー・トンプソン、ダニ、ラウラ・モランテシドニー・ポラックシュザンヌ・フロン