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書評『橋場の渡し 名残りの飯』

書名『橋場の渡し 名残りの飯』

著者 伊多波 碧
発売 光文社
発行年月日  2021年9月20日
定価  ¥680E

 

 4つの短編連作の「市井人情もの」時代小説集。
 伊多波碧(いたばみどり)は1972年 新潟県生まれ、信州大学人文学部卒。2001年作家デビューで、最近は『リスタート!』(2019)、『父のおともで文楽へ』(2020)と「現代もの」が続いているが、主戦場は「江戸市井もの」で、本書は久々の本家帰りの作品といえる。

 千住大橋から目と鼻の先にある橋場の渡し(別名「白髭(しらひげ)の渡し」とも)の側に「しん」という一件の一膳飯屋が舞台である。目の前には奥州街道水戸街道佐倉街道が拡がる。そこで繰り広げられる人間模様がまぶしい。
「しん」はおしげとおけいの飯屋の女将母娘、それに勝手場を一手に担う平助(へいすけ)なる老人の三人で切り盛りしている場末の飯屋なのだが、橋場に立ち寄る旅人相手の店である。近所でも二人は仲の良い母娘で通っているが、おしげは53歳、日本橋の飛脚問屋「藤吉屋」の女将だった。35歳のおけいは細面の痩せ形の母に似ず丸型のお多福で、見かけは愛想のいい若女将で通っているが腹の中に澱を持つ出戻り女でもあった。嫁ぎ先から離縁され、一人息子の佐太郎(さたろう)と引き離され今は会うこともできないのだ。
 おけいには三つ下の弟新吉(しんきち)がいる。飯屋の屋号の「しん」は新吉に由来する。
「しん」の白きの看板は、新吉の帰りを待つ母おしげが遠目からも見えるようにとの思いを込めて書いたものである。
 新吉は7年前の天明4年(1784)冬、姉おけいが婚家を追い出された原因をつくり、江戸十里四方払いとなり、橋場の渡しから去っていった、とあるから、物語は寛政3年(1791)を背景としてスタートしていることがわかる。
 寛政3年はオットセイ将軍の異名を持つ家斉(いえなり)の治世下、山東京伝(さんとうきょうでん)が手鎖50日の刑を受け、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)の美人大首(おおくび)絵が発表されて人気を呼んだ年であり、江戸大相撲興行が深川富岡八幡宮から本所回向院に移され、上覧相撲が吹上御所で行われた年でもある。
 とかく、時代小説というと、時代背景を曖昧にしたまま、物語が展開されることが多いが、このように年代が明確であることは、読者に物語の背景に「歴史」そのものを思い浮かべさせ、物語に入ることを容易にする。
 新たなシリーズの開始である本書の主人公たちは渡し場に立ち寄る旅人を主とし、「しん」で交錯する様々な人々である。第一話の元相撲取りから、恋人の本心も知らずに逢瀬を楽しむ若い芸者(第二話 梅雨明け)、医者を目指して母親と離れ遠く長崎で暮らしてきた息子(第三話 親孝行)、可愛い一人娘を嫁に出すも婚家にいびり殺された父親と母親(第四話 豆餅)まで、年齢、職業と幅広い。そうした主人公たちと「しん」で働く三人のもう一つの主人公たちと、全く住む世界を異にするそれぞれの生き方が重なりあって、何とも言えない人生ドラマが展開される。作者の人間観察のたしかさに読者はひきこまれていくことであろう。

 第一話の主人公の佐千夫(さちお)は25歳、元相撲取り。相撲部屋を飛び出した佐千夫は行く当てのない旅に出るべく、橋場の渡しにやってきて、「しん」で江戸最後の食事をとる。注文したのは天婦羅である。副題に「名残りの飯」とあるように、本書は料理小説でもある。全4話の背景は春、夏、秋、冬と物語の進行に合わせ、順序良く配置されている。季節に合わせた料理の品々が紹介されるのも読みどころである。
 5歳の時、実の父親に捨てられた佐千夫は「親方と女将さん」に拾われ、相撲取りとして育てられた。一人前の相撲取りになって恩返ししたい一心でやってきたが、さて、これからという時、ぶつかり稽古で怪我をしたのがもとで幕内から陥落、後は下がる一方。医者からは完治はむずかしいと宣告された。勝てなければ勝負ごとに生きる相撲取りはおしまいだ。無駄飯を喰わせてもらうわけにはいかないと、部屋にいるのがつらくなり、相撲部屋を出る決心をするのだが、要するに、親方から引導を渡されるのが怖くて逃げてきた、人生の負け組なのであった。
 季節は春。もうじき春場所である。
「しん」に居合わせた客のひとりが佐千夫を相撲取りの嵐山(あらしやま)だと知る。面が割れた佐千夫は相撲取りを辞めたことを伝えると、客たちは興味半分の同情心から余計なおせっかいを言い出す。佐千夫がそれを不快に思うのは当然だろう。
大関にはなれなかったが、谷風(たにかぜ)の預かり弟子にとの話が出るほどの将来有望な幕内力士であった佐千夫には力士としての自負があり、客たちのお節介を不快に思うのだ。気まずい雰囲気が店内に漂い、勘定を済ませ店を出ようとして立ち上がる佐千夫。そこへ、親方と女将さんがやって来る……。
 向かう先などなく、ともかく江戸から離れようとしている佐千夫の出奔は親方夫妻に見破られていたのである。必死の思いで佐千夫を引き留めようとする夫妻。「親子の間でそういう遠慮は無用だ」と親方の一言。このときになってはじめて身寄りのないただの大男にすぎない佐千夫は、親方夫妻が単に目を掛けてくれているばかりでなく、ずっと以前から自分のことを本当に息子だと思っていてくれたこと、端からそのつもりで拾ってくれたことを思い知る。
 「生きることの苦しさに慣れ、それでもやっていこうと思える日が来たら、二人のもとに帰ればいい」と佐千夫は育ての親たる親方と女将さんとの別れを前にして決意する。五つの時に出会い、20年経ってようやく親子となれた三人は橋場の渡しで、再会を誓いつつ、別れる……。
黄昏時にふと思い浮かべるあの郷愁に似た何とも言えない情景描写が醸し出されているこのシーンは感動的である。 その三人を見守る、おしげ、おけい、平助の「しん」の三人。
「生きてくってのは楽じゃねえ」と呟く平助。まもなく還暦を迎える白髪頭の老人の独り言が胸に沁みる。7年前までは魚河岸で仕事をしていたということまでしかわかっていない平助の来し方も平坦なものではなかったであろうと推測される。おけいの弟の新吉は姉が婚家を追い出される原因をつくったとされるが、その詳細もこれからひとつづ明らかになるのであろう。 
 人生、出逢いもあれば別れもある。親子の別れには生き別れと死に別れがある。おしげと新吉、おけいと佐太郎の再会までに、「しん」に立ち寄る旅人との間にいかなる物語がつむがれるか、はやくも続刊が待ち遠しい。

 物語の進展に沿って次第に浮かび上がってくるものは女という性、女という生き方そのものであり、揺れ動く女心の細やかな心理描写が作家伊多波碧の世界そのものといえる。光文社時代小説文庫の一冊として刊行された本書の帯に、「ほろ苦さの後に、爽やかな味が残る人情物語」とあるが、まさにいい得て妙、ほろ苦さと共に爽やかな読後感を与える作品である。

              (令和3年10月11日  雨宮由希夫 記)

 

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第30回 渋沢栄一の父

 西郷隆盛博多華丸)を東京に連れ戻すために、岩倉具視山内圭哉)は鹿児島に向かいました。鹿児島城で島津久光池田成志)に対面し、「要(かなめ)の者」を差し出すようにと申し入れます。

 求心力を失っていた政府にとって、軍を束ねる西郷は、頼みの綱でした。

 渋沢栄一吉沢亮)はそろばんをいじりながら、ぼんやりと廊下を渡っていました。すると向こうから西郷がやってくるのです。西郷は一橋家で働いていた栄一を覚えていました。栄一は西郷に話します。

「国を守りたい一心で、静岡藩から出仕して参りましたが、この政府は、八百万の神どころか、いたずらに争って威信をなくしてる」

「相変わらず正直なお人じゃ。ほうか、おはんが願っちょったような、徳のあるもんはおらんかったか」

「はい、この先は、西郷様に国を一つにまとめていただきたい」

「天下統一か」西郷は顔をしかめます。「おいが来たところでどげんなる。かえって」西郷はサーベルごしらえの刀を鳴らします。「ぶっこわすことになっかもしれんど」

 笑い声を上げて西郷は去って行きます。

 栄一は、新しく流通させる硬貨の品質を確認するため、大阪の造幣局(ぞうへいきょく)に出張していました。そこへ五代友厚ディーン・フジオカ)がやってくるのです。

「もしかすっと、おはんが渋沢さんか」

 と、五代の方から話しかけてきます。五代は大阪の地で、実業家として活躍していました。そこへ顔を出す老人がいました。三井組番頭の三野村利左衛門(イッセー尾形)です。上方が三井の本拠地だったのです。三野村は新政府の役人たちに、歓迎の宴を用意したと告げます。井上馨福士誠治)は大喜びです。気がすすまないながらも、栄一も宴に参加します。

 栄一は料亭の席を一人抜けだし、外の風に当たります。そこに誤ってぶつかってくる給仕の女性がいたのです。女性は驚いたように栄一の顔を見上げます。

「じゃまかのう」

 と、そこへ五代が話しかけてきます。栄一と五代は二人で話し合います。親しく話しかけてくる五代に栄一は言い放ちます。

「あなたが好きではない」栄一は低い声で話します。「徳川は、鳥羽や伏見のいくさで負けたんじゃない。あのバリですでに、薩摩に負けてたんだい」

「ほうか。そいはうれしか言葉じゃ。薩摩っぽより、よっぽどおはんの方が、おいの働きを分かってくれちょう」

 五代は話します。自分も、国を思ってやった。西洋を見たなら分かるだろうが、日本も変わればならなかった。しかし、今もまだ、変わらない。世は変わっても、商人がお上(かみ)の財布がわりとなる、古いシステムは何も変わっていない。上が徳川から、新政府に変わっただけだ。金は政府や大商人の間だけ出回るものではない。もっと広く、民(たみ)を豊かにしなくてはならない。自分はこの商(あきな)いの街(大阪)で、カンパニーをつくって、日本の商業を、魂から作り替えようと思っている。栄一は同意します。

「それがしも、この先は府県におおいにカンパニーをつくるべきだと……」

「おお、やっぱり気が合うのう。おはんを知ったときから、気が合うんじゃなかかち思うちょった」

 先ほどの女性が、井上が呼んでいると、栄一を迎えに来ます。行こうとする栄一に五代は声をかけます。

「じゃっどん、おはんのおる場所も、そこでよかとか」

 宴の席に向かう途中、栄一と女性は会話をします。女性は、栄一が戊辰の戦いから帰ってこない夫に似ているような気がしたといいます。行こうとする女性の腕を栄一は思わずつかむのです。女性は、穴の空いた栄一の靴下をつくろう事を申し出ます。

 栄一は料亭の一室で、一人仕事をしています。そこへ先ほどの女性が、つくろった靴下を届けにくるのです。栄一は行こうとする女性を呼び止めます。そして部屋に引き込んでしまうのでした。

 明治四年(1871)の七月になります。政府の中枢が議論を重ねていました。西郷が東京に戻って三ヶ月が経ちましたが、相変わらず政府の内部は混乱しています。書記を務める栄一と杉浦譲(志尊淳)は、堂々巡りの問答が続くことにあきれていました。突然、西郷が声をあげるのです。

「こげな話し合いに、ないの必要があっとじゃ」西郷は間を開けてからいいます。「まだいくさが足りん」

 そういうと西郷はサーベルを鳴らして席を立つのでした。

 評議がおわり、杉浦は栄一にいいます。

「さっきの西郷さんのはどういう意味だ」

 栄一は、頼もしげにしゃべります。

「西郷さんは、まことに新政府をぶち壊す気かもしれねえ。こんなだらだらと何も決められねえ政府なら、いくさでもう一度すべて壊してしまえと、そう思うのも当然だ」

 二人の後ろから、井上が声をかけてきます。

「いいや、わかった。ありゃ西郷は、廃藩をやれというとるんじゃ」

 井上は二人を部屋に入れます。藩をなくし、県にしてこそ真の御一新。今それもできずに中途半端に策をこねくり回している間に、日本はどんどん弱っている。それなら、いくさ覚悟で「廃藩置県」を断行しろと、西郷はそういっている。さっそく実行に移そうと飛び出していこうとする井上を栄一は引き止めます。

「お待ち下さい。廃藩となれば、各藩の士族たちはどうなりますか。士族たちは藩を失いどう録を得るのです。これを明確に提示せねば、暴動となります」

「いくさの覚悟じゃ。武力で押さえつけりゃええ」

「すすんでいくさを起こしてどうするんです。上に立つ者は命を下すとき、まずそれを受ける民のことを考えねばなりませぬ。各藩の負債や、藩札はどうなりますか」

「藩札は、廃藩と同時に、なくするしかない。すべて太政官札に取り替えよう」

「それも簡単にはできません。今、世には、様々な藩札と、政府がつくった太政官札とが出回っている」栄一は説明します。「この交換の割合を決めておかねばなりますまい」

「おーし。おぬしらのいうとおりじゃ」井上は分かったようでした。「そしたら、そこんとこの、手はずを改正掛(かいせいがかり)でやっちょってくれ」

 江戸時代から居座る、旧藩主を廃し、国が直接、税を取り立て、命令をする体制をつくる。これは新政府の悲願でした。

 改正掛に井上がやって来ます。四日後に廃藩置県を布告する、と告げます。栄一に反発されて井上は、

「やはり無理か」

 と机に突っ伏します。しかし栄一は気合いの声を放つのでした。

「おかしれえ。やってやりましょう」栄一は叫びます。「いいかみんな。あと四日でこの作業を終えることができなければ、日本はまた必ずいくさになる」

 杉浦がいいます。

「逆に終わることができれば、明治になって初めて、新政府の基礎ができるんだな」

「そうだ」栄一がいいます。「真に強い日本をつくるためだ。やるしかねえ」

 改正掛の皆も、やり遂げよう、気勢を上げます。

 栄一たち改正掛は、ここから四日間、寝る間も休む間もなく、働きに働いて、藩札をなくするにあたり、人々が生活を維持するためには、いくら補償すればよいかを、すべての藩について洗い出しました。

 明治四年(1871)。七月十四日。全国に二百六十あった、藩は廃止。代わって府と県が置かれると周知されました。廃藩置県は、世界に類を見ない無血革命として、欧米の新聞によって、驚きをもって伝えられました。

 栄一は疲れ切った様子で廊下を歩きます。向こうから西郷がやってくるのです。西郷は不満げにいいます。

「無事に終わってしもうたのう」

 それだけいって西郷は行ってしまうのでした。

 活躍が認められ、栄一は「大蔵大丞」に出世しました。

 大久保利通石丸幹二)が改正掛にやって来て、陸軍の歳費は八百万円、海軍は二百五十万円に定めることになった、と宣言します。

「おはんは、どげん思う」

 と、栄一は大久保に意見を求められます。

「承服できませぬ。国にまだ金のない中、そのような巨額な支出を決めるのははなはだ危険です。入る金の額も分からぬうちに、出る方を安易に……」

 大久保は栄一をさえぎります。

「じゃっどん、廃藩置県によって、税が見込むっことになった。そいが必要な費用に充てられんわけがなかとか」

「民の税を、振れば出てくる打ち出の小槌(こづち)と同じにされては困る。せめてあと一年経ち、全国の歳入額がおおかた明らかになってから立てるべきでありましょう。急に八百万円などと、高額な金を出せといわれても、それは不当だ。承服しかねる」

「軍事の金は何としてでも必要じゃ。おはんは、陸海軍運用費を立てられんちゅうとか」

「一切出さぬとは申しておりません。今すぐ決めるのは、いかがなものかと申しておるのです」

「八百万は太政官が決めたこっちゃ。そいをおはんが、どうにもならんちゅうとは、どけんこっちゃ」

「どうにもならん。どう聞けばそう聞こえるのですか。ご質問を受けたからお答えしただけだ。それがしの意見に賛成かどうかは、大蔵卿ご自身がお考えになることでしょ」

「よう分かった」大久保は辺りを見回します。「改正掛は、今日、今期限りで解散とする」

 大久保は去って行きます。

 大久保は岩倉の前に座ります。

「こい以上、大隈らに好き勝手させんためには、西洋を直(じか)に見る必要があります」

 気のすすまない岩倉具視を全権大使とする使節団が、アメリカ、ヨーロッパに向けて出発しました。

 栄一は邸宅に帰って来ます。妻の千代は、赤い糸でつくろいをされた靴下を見つけるのでした。そこに栄一の父の市郎右衛門(小林薫)が危篤(きとく)だとの知らせが入ります。栄一は雨の中、人力車を走らせ、血洗島に向かいます。

 市郎右衛門は眠っていました。栄一の声を聞いて目を覚まします。

「家のことで話してえと思ってな」

 市郎右衛門は妻のゑい(和久井映見)の手を借りて起き上がります。栄一の妹の、てい、が婿を取ってくれることになった。これて中の家(なかんち)も安心だ、と市郎右衛門は笑顔を見せます。

「いや、困る」栄一は小声でいいます。「俺はまだ何も孝行できてねえ。長い間、迷惑ばっかりかけて、いい歳になっても、とっさまに孝行してもらっていた始末だ」

「そうだった、そうだった」

「頼む。元気になってくれ。やっと孝行できるようになったって時に、いなくならねえでくれ」

「なにを。俺は、もう、心残りはねえ。俺は、この」市郎右衛門は栄一の手を取ります。「渋沢栄一の、父だ。こんな、田舎で生まれ育ったおのれの息子が、天子様の、朝臣になるとは、誰が思うもんか。お前を、誇りに思ってる」

 その二日後、市郎右衛門は、家族に囲まれて息を引き取りました。

 葬儀か終わり、栄一は千代にいいます。

「とっさまは、俺が家を出てからの長い間も、畑を耕し、藍やお蚕(かいこ)様を売って、村のみんなと共に、働いてきたんだな」

「へい」千代がいいます。「まことに、尊いお姿でございました」

 栄一は市郎右衛門の書き記した帳簿をながめます。

「なんと美しい生き方だ」

 栄一は微笑みながら涙を流すのでした。

 

『映画に溺れて』第451回 偽りの隣人 ある諜報員の告白

第451回 偽りの隣人 ある諜報員の告白

令和三年八月(2021)

新橋 TCC試写室

 

 これはふたりの男の友情の物語である。

 ユ・デグォンは正義感の強い愛国者であり、国家安全政策部の諜報員として活動している。

 イ・ウィシクは現政権に批判的な民主化運動の指導者であり、次期大統領選挙への出馬を目指している。

 時代は一九八五年、韓国は長年にわたる軍事独裁政権下であった。アメリカから帰国したばかりのウィシクは国家安全政策部によって空港で拉致され、その後、自宅に家族とともに軟禁される。家の入口や周囲に警官隊が配置され、家政婦以外は外出禁止となる。

 ウィシクの隣の民家には国家安全政策部の諜報員二名がすでに潜伏して監視と盗聴を行っていた。国家安全政策部のトップであるキム室長はウィシクを共産主義者に仕立てるよう、新たにデグォンをチーム長に任命する。デグォンは潜入先の民家にイ家の配置を再現し、各部屋の様子を録音盗聴しながら、徹底的な調査を開始する。

 ある日、屋上で煙草を吸っているデグォンに隣家からウィシクが親し気に声を掛けてくる。あわてて引っ込むデグォンであったが、今度はウィシクの娘が庭で穫れた野菜を持って挨拶に来る。

 不当な迫害にもめげず、家族を愛するウィシク、仲のいい一家。隣人として自然な交流を装ううち、いつしか、デグォンはウィシクの人柄に惹かれていくのだった。

 事態が進展せず、業を煮やしたキム室長は次々に卑劣な計略でウィシクを追い詰め、葬り去ろうとする。任務に躊躇するデグォンに、その正体を薄々察したウィシクは言う。私には私の仕事があり、君には君の仕事がある。いつかいっしょに食事しよう。

 韓国の現代史を背景に、社会派でありながらユーモアとサスペンスを盛り込んだ娯楽作である。

 

偽りの隣人 ある諜報員の告白/이웃사촌

2020 韓国/公開2021

監督:イ・ファンギョン

出演:チョン・ウ、オ・ダルス、キム・ヒウォン、キム・ビョンチョル、イ・ユビ、チョ・ヒョンチョル、チ・スンヒョン、キム・ソンギョン、ヨム・ヘラン

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第29回 栄一、改正する

 渋谷栄一(吉沢亮)は大隈重信(大蔵孝二)に「改正掛(かいせいがかり)」を提案します。今、すでにある部署とは別に、大蔵省や外務省などの垣根を越え、広く日本に必要な物事を考え、決定事項を即実行できるようにしたい、と栄一は説明します。静岡藩から、さらに人材を召しかかえたい、とも要求します。急ぎ入り用なのは、経済や、外交や、技術の新しい知識を持つ者だが、今の新政府にはそういった人材がいない。伊藤博文(山崎育三郎)も大隈にいってくれます。

「わしはもう長州じゃ薩摩じゃいうくくりはどうでもええよ」伊藤は栄一の隣に座ります。「もう藩も藩主も無用と思うちょる。あげなもんがあるけ、よけいに手間も金もかかるんじゃ。年寄り連中のうだうだした話し合いも馬鹿らしい。一個も新しくない」

 大隈もいいます。

「確かに。公家や大名はだいぶ削られたとはいえ、あがん気長では何年たってもなんも変わらん」

 伊藤がいいます。

メリケンはいくつもの州が境(さかい)を超えて、ユナイテッド・ステイトっちゅうでっかい政府を開いたんじゃ。わしゃ感心した。しかるにいわんや、この日本が神より連綿と続く天子様をいただきながら、藩やら徳川やらにとらわれて、人心を一致できんのは、いよいよ恥ずかしい」 

「然(しか)り」と、栄一は叫ぶのです。「出自にかかわらず、人心一致し、新しき日本を打ち立てねばなりません」

 こうして、大隈重信伊藤博文の賛同を得て、明治二年(1869)十一月に改正掛が設置されます。栄一は大蔵省に勤めながらそれをまとめることになりました。

「納得できんのう」と声を出したのは岩国藩出身の玉之世覆(高木渉)でした。「なんで掛(かかり)をまとめるんが旧幕臣なんじゃ」

 静岡藩から杉浦(志尊淳)をはじめとする旧幕臣らがやってきます。栄一が議長となり、改正掛会議が始まります。

「さっそく始めたいが、ここにいる全員が、天子様に仕える者として、上下の別なく、闊達(かったつ)に意見を交わしたいと思っている。そのことは、どうかご理解いただきたい」

 と、栄一が述べます。この国に急ぎ要りようなものは何かと栄一は意見を求めます。

「第一は税のことじゃ」と、伊藤が発言します。「新政府はとにかく金がない。税を正しく確実に集めるすべを作らにゃならん」

「そんためには今のばらばらの貨幣(かへい)ばまとめんばならん」

 と、大隈がいいます。丈量。度量衡(どりょうこう)。駅逓(えきてい)。戸籍。殖産など、おのおのが主張しはじめ、会議は収拾がつかなくなっていきます。

「おおいいぞ、もっとだ。もっと来い」

 と、栄一はそれを喜ぶのでした。

 会議の後、玉之世覆らが大隈に掛け合います。あの会議はなんだ。自分たちが命をかけ、死ぬ思いで幕府を倒したというのに、なぜ幕臣などを。あんな男の下では金輪際働けない。そこへ栄一がやって来ます。栄一は男たちに囲まれてもひるみもしません。大隈に会議のまとめを報告すると、すぐに去って行きます。

「さてと、時が足んねえ」

 と、張り切った様子で、歩きながらつぶやくのです。

 栄一たち家族は、元旗本屋敷に引っ越します。栄一の娘のうたが、女中に水を持ってくるように命じます。それを見ていた千代が、うたをとがめます。

「うた。傲(おご)ってはなりませんよ。うたはお姫様でもなんでもねえ。百姓の娘ではありませんか。それがとっさまのご威光で、あのように立派な輿(こし)で箱根の山を越えておきながら、疲れたとは何事です」千代はうたの手を取ります。「私たちは、つらい思いを飲み込んで、お役につかれた父上を守り、支えるのが務めです。傲るような態度をとって、とっさまに恥をかかせてはなりません」

 うたは千代の言葉に、はっきりと返事をするのでした。

 栄一は改正掛で、次々と皆のアイデアを実行していきます。改正掛は、夜も大隈邸に集まり、意見を交わしました。そこで栄一は、大隈が日本の生糸についてこぼしているのを聞きます。驚いたことに大隈や杉浦などの元侍は、どのようにして絹ができるのかを全く知らなかったのです。養蚕にくわしい渋沢に、工場の設立が任されることになりました。

 しかしある日、改正掛に大久保利通(石丸幹二)が乗り込んでくるのです。大久保は大隈にいいます。

「おいが東京を離れちょった間に、太政官に十分に話し合うこともせず、ほんなこて勝手なことをしちょったようだな。しかも、それをやっちょっとは、旧幕臣とは、たまがった」

 大久保は改正掛が政府の和を乱すと怒っていたのでした。そこに栄一がいいます。

「しかし政府に金がないのは周知の事実。天子様の御世となって、二年が経ちましたが、税収は安定せず、頼みの太政官札は信用がうすい。わずか三年で瓦解した、建武(けんむ)の中興(ちゅうこう)の二の舞とならぬためにも、新政府の懐を守るのが肝要。我らはそのために粉骨砕身しておるのでございます」

「こい以上、出過ぎたまねはすな」

 と、大隈に言い捨てて、大久保は去って行きます。

 明治三年(1870)の春になります。栄一の父の市郎右衛門と母のゑいが、江戸の邸宅を訪ねてきます。尾高の家では、惇忠が養蚕に熱意をもって挑んでいました。武州の良い生糸で国を富ませたいと考えていたのでした。

 大隈が政府中枢から追い出されていまいます。大久保に、にらまれたためと考えられました。

 栄一の邸宅に、惇忠が訪ねてきます。

「いやあ、驚いたぞ。お前が新政府に出仕したと聞いて」

 惇忠はすぐ村に戻らなければならないといって立ち上がります。

「兄ぃも」栄一も立ち上がります。「新政府に来てくれないか」

「平九郎は新政府に殺されたんだ」振り向きもせずに惇忠はいいます。「首を切られ、さらされ、いまだ亡骸(なきがら)も見つからねえ」惇忠は栄一を振り返ります。「その政府に手を貸すなど、平九郎にどう顔向けしろというんだ。お前は良くても、俺にはそんなことはできねえ」

「俺たちだって」栄一の口調は静かです。「異人を焼き殺そうとしたじゃねえか。いくさは、一人ひとりは決して悪くねえ人間も、敵だと思い込めば簡単に憎み、無残に殺してやりてえという気持ちが生まれちまう。もう、侍の世はごめんだ。壊すんじゃねえ。つくるんだよ。俺は、平九郎に顔向けできなくても、できることをする。おのれの手で、この国を救えるんなら、なんだってやる」

 大隈の後釜に座ったのは、井上馨(副士誠治)という癖の強そうな人物でした。

「おぬしが渋沢か。くわしいことは大久保さんから聞いとる。この先」井上は栄一の肩をつかみます。「わしがおぬしの上役じゃ」

 井上は笑い声を上げるのでした。

 そして年が明け、明治四年(1871)。ついに改正掛の念願だった。郵便が開始されます。三日後に返事が届き、郵便制度が成功だったことが証明されるのでした。

 ある日、玉之世覆が栄一の席にやって来ます。

「認めとうなかったが、認めざるをえん。貴公は、仕事の速さにしろ、気概にしろ、実に得がたい徳川秘蔵の臣じゃ。今まで、無礼もあったかもしれんが、実に相済まぬと謝りに参った」玉之は頭を下げます。「「これからは力を合わせたい」

「それをわざわざ。ありがとうございます」

 栄一も頭を下げます。

「百姓上がりとみくびっちょったが、貴公の親族である尾高殿とて、才もあり、学もあり、登用するのにふさわしいお方じゃ」

 栄一が振り返ると、惇忠が立っていたのです。

 栄一は惇忠を製糸工場顧問のブリュナに引き合わせます。惇忠はブリュナと、しっかりとした握手を交わすのでした。

 栄一の知らないところで、大久保が話していました。

「改正掛は、つぶしてしまわねばなりもはん。国家の大事を、ほんの一握りの若手が勝手に立案し、勝手にすすめております。ほいでよかはずがありもはん」

 岩倉具視がいいます。

「それより、西郷はまだ出てけえへんのか。薩摩しかり、長州しかり、はあー、武士というのはこれほどまとまらへんものとはあきれたことや。それを思えば徳川はよくもまあ、あんなに長いことやっていたもんです」

「いんやあ、我らも必ずやまとまって見せます」

「いや、今度はわしも参りまひょ。これ以上ずるずるとまとまらへんかったら」岩倉は大久保を振り返ります。「お上(かみ)の世はまたつぶれてしまう」

 

『映画に溺れて』第450回 アナザーラウンド

第450回 アナザーラウンド

令和三年九月(2021)
新宿 新宿武蔵野館

 

 酒好きにとっては酒は百薬の長である。が、下戸にとっては百害あって一利なし、命を削る鉋とも言われる。なにごともほどほどがいいのだが、一線を越えると後戻りできなくなり、一気に破滅に向かうのが酒である。
 最初の場面は高校生たちのビール飲み大会。ケースを抱えて湖の周りを走り、一気飲み競争。デンマークでは十六歳から合法的に酒が買えるそうで、つまり飲酒可である。
 高校の歴史教師マーティンは退屈でひとりよがりな授業が生徒たちの批判を受け、保護者たちから大学受験に大丈夫なのかと追及される。家庭では妻とほとんど会話がなく、ふたりの息子からも無視されがち。地味で面白みのない中年男なのだ。
 同僚の心理学教師ニコライの誕生日を祝うため、音楽教師のピーター、体育教師のトミーとともにレストランで食事する。妻とは会話のないマーティンもこの三人とは仲がいい。
 車だからと最初のうち炭酸水を飲んでいるマーティンだが、三人に勧められ、とうとうシャンパンを口にする。ああ、うまい。
 ニコライが言う。ノルウェイの哲学者によれば、血中のアルコール濃度を〇・〇五パーセントに保っていると、ほろ酔いで気分が高揚し、自信が持てて前向きになり仕事の効率が上がるとの理論がある。ヘミングウェイは昼から飲み続け、夜八時から執筆を開始し、たくさんの名作を残した。
 そこで四人は実験することに。学校内に酒を持ち込み、飲んで授業するとどうなるか。マーティンの歴史の授業が突然楽しくなり、生徒たちの成績も上がる。家庭では妻との間の壁が徐々に取り除かれる。他の教師三人もみな上々である。
 〇・〇五パーセントでこれだけ成果が上がったのだからと、四人はさらに酒量を増やすことに。酒飲みは結局そうなるのだ。羽目を外すのは楽しい。泥酔して後悔先に立たず。
 うまそうに酒をあおるマッツ・ミケルセンを見ていると、つい飲みたくなるが、『失われた週末』にならぬよう用心しなくては。

アナザーラウンド/Druk
2020 デンマーク/公開2021
監督:トマス・ビンターベア
出演:マッツ・ミケルセン、トマス・ボー・ラーセン、マグナス・ミラン、ラース・ランゼ、マリア・ボネビー、ヘリーヌ・ラインゴー・ノイマン、スーセ・ウォルド

 

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第28回 篤太夫と八百万(やおよろず)の神

 明治二年(1869)の夏。全国の藩が、領地と領民とを天皇に返還する「版籍奉還」が行われ、篤太夫吉沢亮)のいる駿府藩は、静岡藩となりました。慶喜(草彅剛)は謹慎(きんしん)を解かれ、一年半ぶりに自由を得ることになりました。

 篤太夫は東京に呼び出しを受けます。静岡藩家臣の平岡準がいいます。

「おぬしに新政府への出仕を求めているらしい」

「出仕」篤太夫は鼻を鳴らします。「冗談ではありません。それがしは、先様(慶喜)のおられるこの静岡に、骨をうずめる覚悟。それをなぜ、憎き新政府とやらに出仕せねばならんのか、どうか、藩から、ご免を願っていただきたい」

 篤太夫の部屋に、仲のいい者たちが集まっています。新政府の懐を整える大蔵省は、佐賀の大隈重信、長州の伊藤博文が切り盛りしているとの情報が明かされます。篤太夫はいいます。

「よし、一度、東京に出向き、その、佐賀の大隈殿とやらに、お受けできぬと、直(じか)に返答して参ります。藩から断れば藩に迷惑がかかるが、直にいって、きちんと道理を通せば、断れぬことはあるまい」

 こうして篤太夫は、新政府に乗り込むため、東京へと向かいました。

 かつて徳川幕府の象徴だった江戸城は、皇城と名を改め、新政府の拠点として使われていました。伊藤博文(山崎育三郎)が篤太夫を案内します。

「おぬしは大隈さんとわしのもとで働くことになる。わしもエゲレスで学んだが、おぬしはパリと聞いたぞ。その西洋の知識をこの新政府で生かす時……」

「否」篤太夫は伊藤をさえぎります。「それがしは御一新があり、多く学べぬまま帰国しました。また、洋行前は、異人商館の焼き討ちを企(くわだ)てていた身。そんな己(おのれ)が、新政府様などで働くとは恐れ多いこと……」

「おい、どこをやった」今度は伊藤が篤太夫をさえぎります。「焼き討ちじゃ。そうか、君もやったんか。すっとしたじゃろ。どこをやった」

「どこ」篤太夫は面食らいます。「まあ、横浜を、焼き討ちにしてやろうと……」

「そりゃ剛毅なもんじゃ。わしは品川じゃ。御殿山のエゲレス公使館に、焼玉をぶちこんじゃった」

 二人は意気投合しそうになります。

「いや、違う」篤太夫は厳しい表情に戻ります。「大隈様は、いずこに」

 篤太夫は築地の大隈邸にやって来ます。実は大隈(大倉孝二)の方も、篤太夫をのぞき見て、斬られるかもしれない、と恐れていたのです。緊張感のある自己紹介が終わると篤太夫がいいます。先程、太政官にて、大蔵省の職を仰せつけられたが、さっそく辞任いたしたく、こちらに参りました。と、篤太夫は辞令書を大隈の前に置くのでした。自分には静岡での勤めがある。また、大蔵省とやらに、一人の知人もおらず、仕事のしかたも少しも知らない。この任はお門違いだ。大隈が何かいおうとするところに篤太夫は大声を出します。

「また本音を申せば、先の上様から卑怯にも政(まつりごと)を奪った薩長の新政府に、どうしてもと幕臣のそれがしが勤めることができましょうか」

 大隈が口を開きます。

「渋沢君。君は、それがしは少しも知らぬというとうばってん。ふと、おいがなんでん知っとうと思うとるのであるか。それこそお門違いばい。おいもなんも知らん」

 困惑する篤太夫にかまわず、大隈は続けます。それはそうだろう。徳川が二百六十年続く間に、世界はあまりにも変わり、ヨーロッパやアメリカばかり栄え、唐土(もろこし)もあのありさまだ。そんな中、全く新しい世を始めようとするのに、そのやり方を知るものなど自分も含めて一人もいない。知らないから辞めろというなら、皆が辞めなければならない。皆が辞めてしまったらこの国はどうなる。誰かがやらなければならない。新政府においては、すべてが新規に、種のまき直しなのだ。

「なんと、そんなありさまで御一新をしたとは」

 と、篤太夫は正論で責め立てます。まくしたてる篤太夫をさえぎって大隈は机をたたきます。

「さもありなん。だがしかし、それについてはおいの預かり知る所ではないのである」

 自分は長崎にいた。何か奉行所が騒がしいと思ったら、京で幕府と薩長がいくさをしたということだったので、自分も異人たちもびっくりした。

「何という責任逃れ」

 という篤太夫にもひるまず、大隈は続けます。あれは長州と薩摩が勝手に始め、勝手に慶喜公が逃げたのだ。いくさは自分の領分ではない。とにかくいろいろあって、今、王政は復古した。それはめでたい。佐賀で自分は、とにかく今の世を壊さねばならないと思っていた。それが本当に壊れてしまった。しかし壊しただけでは駄目だ。さらに先に進み、真(しん)に新しい国家をつくらねばならない。大隈は篤太夫の方に身を乗り出します。

「君は、新しか世ば、つくりたいと思うたことは、なかか」

 今、国は荒れ、各地で百姓の一揆が起き、各国大使も「これが新しい日本か。全く信用できん」といっている。君のいうとおり、岩倉さんや大久保さんがいくら張り切ろうとその実、新政府はまことに名ばかり、恥ずかしい限りだ。御一新は終わりではない。国を一つにまとめるのはこれからだ。法律、軍事、教育。我ら大蔵省においては、貨幣の制度、税の取り立て、通信、度量の単位の制定や制度もまだだ。全て古い因習を打破し、知識を海外に求め、西洋にも負けない新しい制度をつくらなければならない。そのためには、外国の事情に通じた優秀な者を、一刻も早く政府に集め、それぞれ非常な努力をして、協力、同心するほかはない。すなわち、日本中から、八百万(やおよろず)の神々を集めるのと同じ。

八百万の神

 と、思わず篤太夫は口に出します。

「さよう、君も神。おいも神ばい」

 日本を思う神々が寄り集まり、これからどうするかと、新しい国をつくるために思案する。君もその一人だ。

八百万の神の、ひと柱ばい」

 大隈はさらに言葉を重ねます。皆で骨を折り、新しい国をつくろうではないか。

「ひと柱として、日本をつくる場に、立って欲しいのであーる」

 篤太夫は圧倒されます。胸を押さえ、口を開くことすらてきませんでした。

 篤太夫は静岡に帰ってきます。妻の千代にいいます。

「完全にいい負けた」

「お前様より口の立つ方がおられるとは」

「すぐに荷物をまとめて、一家で東京に来いといわれた」

 篤太夫は畳に倒れ込みます。

「喜作(高良健吾)も生きていた」

 篤太夫は座り直して千代にいいます。投獄され、このまま打ち首の可能性もある。自分もあの時、日本にいれば同じ目に遭っていてもおかしくない。喜作はもう一人の自分だ。

 篤太夫は謹慎の解けた慶喜に会います。

八百万の神とは恐れ多いことを」

 と、慶喜はつぶやくようにいいます。

「新しき政府は、思い描いていた以上に混乱の極み。むちゃくちゃなありさまでございました。それがしは、新政府はそう遠くない未来、必ず崩れると考えております。第一に、人財がおりません。薩長の政権下と思えば、島津や毛利の殿様に力がなく、世間知らずの公家や田舎侍、草莽の成り上がりなんかが威張るばかり。大隈という方もおっしゃっていたが、新政府とは名ばかり。御一新は始まってもおりませぬ」篤太夫は背筋を伸ばします。「この上は、この静岡で力を蓄え、新政府が転覆したその時こそ、我らで、新しい日本を守るべきだと存じます」

「そなたもとやかくいわず、東京に行ったらどうだ」慶喜は篤太夫を振り向きます。「まだ日本は、危急存亡の時だ。こうなってつくづく思う。東照神君は偉大であった。二百六十年だ。あのような国づくりのできるお方は、千年に一人もおらぬであろう。東照神君なくして国をつくるなら、八百万とはいわずとも、多くが力を合わせるしかない」

「承服できませぬ」と、篤太夫はいいます。「それがしには、上様が何をお考えなのか分かりません。人ごとのよういわれては困る。上様ならできた。上様は消えるべきではなかった。あなたこそが、朝廷や、大名たちをまとめ、新しい日本をつくるべきだった……」

 慶喜は篤太夫をさえぎります。

「行きたいと思っておるのであろう。日本のため、その腕を振るいたいと。ならば私のことは忘れよ」沈黙の後、慶喜はいいます。「これが最後の命だ。渋沢。この先は日本のために尽くせ」

 篤太夫はゆっくりと頭を下げます。

「では、士分となった際に、平岡様からいただいた、篤太夫の名をお返しし、もとの名に戻したいと存じます」

「もとの名とは何だ」

渋沢栄一と申します」

 慶喜の心に、栄一と初めて出会ったときのことが思い出されます。

「そんな名であったかな」

「今までありがとうございました」

渋沢栄一。大儀であった。息災を祈る」

 栄一は深く頭を下げ、慶喜のもとから辞すのでした。

 栄一は商法会所の皆に、別れのあいさつをします。

「後ろ髪を引かれますが、この先は皆さんにお願いするよりほかはありません」

 平岡準が慌ててその場に飛び込んできます。

「聞いたぞ渋沢。渋沢がおらねば困る」

「何を困っておられる」と、川村恵十郎(波岡一喜)が立ち上がります。「もうここは、静岡藩の手を離れた、立派なコンパニーだ」

「さよう」商人の萩原四郎兵衛もいいます。「これからも我々が、静岡を盛り上げていかないや」

 その言葉に皆がうなずくのでした。

 慶喜は妻の美賀君(川栄李奈)と再会していました。美賀君は、あまりにも久しぶりに会うので、このようなお顔だったかと、といって慶喜に近づきます。美賀君は慶喜の頬をさわり、涙を流します。

「よく、生きていてくださりました」

 慶喜の部屋にした後、美賀君は猪狩勝三郎(遠山俊也)らに話します。

「わらわはどうしても、御前の子が欲しい。天璋院様や、静寛院宮は、何度もわらわに、慶喜に腹を切るようすすめろ、とおっしゃった。それでも御前は今、こうして生きおおせたのじゃ。わらわは何としてでも、御前の御子を残してみせる。そして、立派に育ててみせる」

 大久保利通岩倉具視など、新政府の要人が話し合っているところに、栄一が乗り込んできます。

「本日より出仕し、江戸城、いや、皇城をぐるりと回り、政(まつりごと)をつぶさに観察しておりましたが、これは駄目でございます。あまりに何もできていない。むちゃくちゃだ。城にいる者は確かに皆、励んではいます。しかし目の前のことをこなすのに精一杯で、東照大権現様のように、この先五年、十年、百年先の日本がどうなるかを考えて励んでいる者が一人もいない。このままでは、新政府はあっと今に破綻します」

 栄一は大蔵省と間違えて、政府の中枢にて、大演説をぶったのでした。

『映画に溺れて』第449回 フリー・ガイ

第449回 フリー・ガイ

 

令和三年八月(2021)

立川 シネマシティ2

 

 フリーシティの銀行員ガイの一日は判で押したように規則正しい。朝、ベッドで目覚め、飼っている金魚に挨拶し、青いシャツに着替えて、出勤前にいつものコーヒーショップでいつものコーヒーを買う。同じ銀行の警備員バディと道々話しながら職場に入り、窓口業務に就くと、いつもながら銀行強盗に襲われ、床にうつぶせになり、顔を踏まれる。毎日が同じ繰り返しであるが、そのことに疑問を抱くことはない。

 実のところ、フリーシティは仮想現実の世界なのだ。プレイヤーがサングラスの犯罪者になってやりたい放題の悪事を楽しむコンピューターゲームであり、盗んだり暴力をふるったりすれば、それが得点として加算され、使用武器や戦闘能力が増大する。ガイはコンピューターでプログラムされた背景キャラクターに過ぎなかった。

 ゲーム「フリーシティ」は現実世界でミリーとキーズが共同開発した思考するAIが活用されている。ゲーム会社の社長アントワンはそれを認めず、ミリーはプレイヤーとして、ゲームの世界に入り込み、隠された盗作の証拠を探し求めている。

 ある日、フリーシティのガイはバディと道を歩きながら、路上で理想の女性を見つけ、規則正しい日常から逸脱して、あとを追ってしまう。モロトフガールと名乗るサングラスの女性こそ、ゲーム内に隠された謎を探すミリーのアバターだった。

 モロトフガールに恋したガイは彼女に協力するため、銀行業務はそっちのけで大奮闘。ゲーム上に新しく現れた青シャツのヒーロー、ガイの活躍で「フリーシティ」の人気が高まり、アントワンはこのプレイヤーを突き止めるよう社員に命じる。

 アントワンの下で雑用係に甘んじていたキーズは青シャツのヒーローがプレイヤーのアバターではなく、背景キャラクターが自ら思考し行動していることを知る。しかも恋まで。これこそ、自分とミリーが共同開発した考えるAIをアントワンが盗用した証拠だった。

 考えるAIは日進月歩で開発され、様々な分野で活用されている。いつかAIが人類と対立する時代がくれば、『ターミネーター』や『マトリックス』は現実になるだろう。

 

フリー・ガイ/Free Guy

2021 アメリカ/公開2021

監督:ショーン・レビ

出演:ライアン・レイノルズ、ジョディ・カマー、リル・レル・ハウリー、タイカ・ワイティティ、ジョー・キーリー、ウトカルシュ・アンブドゥカル

 

 

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第26回 篤太夫、駿府で励む

 明治元年も暮れになります。篤太夫吉沢亮)は駿府藩庁にいました。

「渋沢篤太夫に、駿府藩の、勘定組頭を申しつける」

 といったのは、駿府藩中老の大久保一翁(いちおう)(木場勝己)でした。

「いえ、お受けできません」

 と、篤太夫は断り、理由を語ります。自分は民部公子から頼まれ、慶喜の返書を受け取りに来ただけだ。駿府藩の家臣である平岡準がいいます。

「その御返書なら、当方から直(じか)に差し出すゆえ、そなたが持参する必要はなくなった」

「それは異な」篤太夫は納得できません。「民部公子は必ず届けよと仰せになられた。上様のご様子を直に聞きたいという兄弟の情さえ叶えていだけぬとは、なんたる非情」

 それについて大久保が説明します。これは慶喜の取り計らいだ。水戸は情勢不安定で、危険な場所だ。篤太夫が水戸に行けば、民部公子に重く用いられる。そうすれば必ず妬まれ、平岡円四郎のように斬られることが予想される。慶喜の心を知り、篤太夫は頭を下げます。

「それがしの思慮が足りず、お恥ずかしい限り。しかし」と、篤太夫は顔を上げるのです。「勘定組頭への仕官は、辞退させていただきたい。今や、駿府徳川家は七十万石の大名に過ぎず、そこに八百万石の頃からの家臣たちが、養って欲しいと押し寄せている。それがしは、一時(いっとき)でも幕臣としていただいた、百姓の矜持(きょうじ)として、録(ろく)をいただくことなく、この地で百姓か、あるいは商(あきな)いをして、心穏やかに、余生を過ごしたく存じます」

 篤はパリで一緒だった杉浦愛藏(志尊淳)と話をします。杉浦は今、学問所で漢学や洋学を教えているとのことでした。二人は大勢の武士たちが列を作っているのを見ます。杉浦はいいます。

「僕は洋行できたから良かった。録もなく、扶持(ふち)米で食いつないでいる元幕臣の方がずっと多い。駿府に流れてきたものの、空き家や馬小屋に泊まるほか無く、民からお泊まりさんと呼ばれ、厄介者扱いだそうだ」

 武士たちは金を受け取るために並んでいたのでした。篤太夫は列の中に、慶喜が将軍になる前からの家臣であり、篤太夫とも共に働いていた川村恵十郎(浪岡一喜)の姿を見つけます。そこへ大久保一翁と共にいた平岡順が、勘定組頭になるように熱心に口説いてきます。断る篤太夫でしたが、平岡の「太政官札」の言葉に反応します。

「その太政官札、見せてもらえますか」

 篤太夫は山と積まれた太政官札を前にします。平岡順がいいます。

「これだ。新政府が諸藩の財政を救うため、石高に応じて一石一両の割で各藩に貸し付けたのだ」

「いや、財政を救うというのは新政府とやらの建前で、これはただの借金です。もしうっかり使い、返すことができなければ駿府は破産しますぞ」

 と、いう篤太夫に、平岡順は、もう半分ほど使ってしまったといいます。篤太夫は驚きます。

「なんと、それだけ多くの金を使い、この先、駿府に金が入ってくる確かな見込みはあるのですか」

 平岡順はうなだれ、いいます。

「頼む渋沢、駿府を救ってくれ」

 篤太夫は多くの家臣たちと、商人たちの前で語ります。

「これ以上、藩の借金を増やさぬためにはこの先、太政官札はもう藩の費用とは思わず、別会計とされたほうがよい。そして、残りの二十五万両分の拝借金である太政官札を、この渋沢に預けていただきたい」篤太夫は、後ろに居並ぶ商人に近づきます。「それがしは、この駿府藩の預かり金と、ここにおられる商人の皆様の金をできるだけ多く集め、新しきこと、始めたいと思っております」篤太夫は、図面を皆の前に広げます。「西洋でいうところの、コンパニーを始めさせていただきたい」

 篤太夫は説明します。西洋では、商人は自分の金だけでなく、民から金を集めて商売をしている。一人ひとりの金は小さくても、集めれば大きな金になる。一人ひとりの力が小さくてできないことも、皆の力を合わせることでそれが可能になる。その商売が大きくなれば、利益が大きくなる。利益で貸借金を返納し、元手を出したものに、利が出た分の、配当金を支払う。ここで川村恵十郎が発言します。

「待て。我らに、商人と共に働けというのか」

 篤太夫は答えます。

「そうです。西洋では、商人と武士は共に働き……」

 篤太夫をさえぎり、家臣の一人がいいます。

「ふざけるな。さようなことができるか」

 他の家臣たちも同意します。商人の方もいいます。

「渋沢様、お言葉ではございますが、商人もなんとも懐が厳しく」

 家臣たちが去り、話はまとまりませんでした。

 篤太夫はその後も旧幕臣や商人らの説得を続け、ついに銀行と商社を兼ね備えた「商法会所」を設立するのです。

 篤太夫は東京に行くことにします。三井組事務所に番頭の三野村利左衛門(イッセー尾形)を訪ねます。

「ついては」と、篤太夫は切り出します。「三井が作られたというこの太政官札を、正金に替えていただけぬかと、ご相談に参りました」

 しかし三野村が用意した正金は、札の額面より二割も安かったのです。

「今はそれぐらいが相場でござんしょ」

 と、いってのける三野村。篤太夫は食い下がりますが、結局は引き下がるしかありませんでした。東京で干鰯(ほしか)や油かすなどを購入している時、篤太夫はザンギリ頭の男に話しかけられます。この辺りは荒っぽい官軍崩れが多い。新政府が官軍の兵に録を払えないため、商人や町人へのゆすり、たかりを黙認している、とのことでした。そして篤太夫は、その男が五代才助(ディーン・フジオカ)であることを知るのです。パリで公儀の一行を苦しめた薩摩の代表でした。しかし篤太夫は五代を見失ってしまいます。

 篤太夫駿府に妻子を呼び寄せます。篤太夫たちの暮らす部屋は、商法会書の中にありました。娘のうたは

「小せえ」と文句をいいます。「じいさまのとこのお蚕様のお部屋よりも小せえに」

 その後、三人は楽しく夕食をとるのでした。

 商法会所に入ろうとする武士に、篤太夫は刀を外すようにいいます。武士の一人が食ってかかります。

「なぜじゃ。なぜそれがしが商人の様な格好をせねばならぬ」

「私も商人です。それに、武士も商人も、上も下もない。むしろここでは、商人の皆さんの方が手練(てだ)れだ」篤太夫は今度は商人に向けて話します。「そしてあなた方も、商人だからと卑屈になられては困る。金だけ儲ければいいと、道理に背くようなことがあってはなりませぬ」

 商人の側から萩原四郎兵衛(田中要次)が話します。

「ほりゃほうだね。駿府にお武家様がたんとおいでになった際は、おいらも頭、抱えました。今まで以上に御用金を頼りにされちゃ、たまらんわと。ほいでも、合本(がっぽん)がええ塩梅(あんばい)に転がりゃ、きっと日本中がまねすることにならあ。おもろい。渋沢様。この茶問屋、萩原四郎兵衛。この先は、矜持をもって協力いたしまする」

 萩原が頭を下げ、商人たちも共に頭を下げるのでした。感激する篤太夫。武士たちの中にいた川村恵十郎が、刀に手をかけるのです。川村は篤太夫に近づき、二本の刀を渡すといいます。

「何から始めればよいのか教えよ」

 そして机の前に腰を下ろすのでした。他の武士たちも次々と刀を外していきます。篤太夫は宣言します。

「我ら駿府が、新しき商(あきな)いの、先駆けとなりましょう」

 こうして、篤太夫が手がけた商法会所は軌道に乗り、順調に利益を出すようになっていきました。

 一方、函館では、土方歳三(町田啓太)が、自分の髪を故郷の日野に届けるように命じていました。そこへ成一郎(高良健吾)がやって来ます。

「俺はこれ以上死に遅れるわけには行かぬ」土方がいいます。「この勢いでは遅かれ早かれ我らは負ける。だとすればせめて、新撰組の名に恥じぬよう潔く散り、胸を張って、あの世で共と酒を酌み交わしたい」

「それならば俺も」

 という成一郎を土方はさえぎります。

「おぬしの友は生きるといったぞ。おぬしも俺とは違う。生のにおいがする。おぬしは生きろ。生きて日の本の行く末を見届けよ。ひょっとすると、その方がよほどつらいかもしれぬ」

 土方は成一郎を落ち延びさせるのでした。

 この数日後、五稜郭が開城します。全ての徳川の戦いが終わったのでした。

 商法会所で一人そろばんをはじく川村を篤太夫は見つけます。

「函館が、降伏したと」

 と、篤太夫は知らせます。

「知っておる」川村は作業をやめません。「俺は、平岡様の命も守れず、いくさでも死に損ない、徳川に捧げられなかった命を持て余してここに来た。皆、そうだ。ただ録が欲しくて流れてきたのではない。徳川のために、何かできぬかと」

 築地の大隈邸では、函館陥落の知らせに、伊藤博文大隈重信などが喝采を上げていました。そこに五代才助が入って来ます。大隈は五代に、フランスから来た民部公子の旅館の賃料などの払い戻しの書類を見せます。大隈は新政府の国庫に入れようとしましたが、その一行の会計係が、民部公子のために徳川が出した金のため、全部駿府藩に引き渡すのが筋だといってきた、と述べます。その財務担当の名前は「渋沢」でした。五代は別の記事を確かめます。駿府藩の渋沢篤太夫は、民部公子の一行に随行した際、自分一個の才覚で四万両の利益を蓄え、この四万両を、駿府藩内に配布……。

「フランスで四万両の利ば蓄えた」

 と、大隈重信は仰天します。

「渋沢」

 と、五代はつぶやきます。

 

『映画に溺れて』第448回 レッド・ドラゴン

第448回 レッド・ドラゴン

 

平成十五年三月(2003)

所沢 シネセゾン所沢

 

羊たちの沈黙』がヒットし、続編の『ハンニバル』が作られ、そして『レッド・ドラゴン』である。これは続編というより『羊たちの沈黙』以前の物語となっている。

 FBI捜査官グレアムは犯罪心理学レクター博士に猟奇殺人事件の助言を求めるが、レクターこそが犯人だと気づき、その瞬間に刺され、自分も相手を拳銃で撃つ。グレアムもレクターも共に重症を負うが、回復したレクターは異常犯罪者を収監する精神病院へ。グレアムは辞職し、妻子と海辺でのんびり暮らしている。

 そこへかつての同僚クロフォードが訪ね、一家皆殺しの猟奇殺人についての助言を求める。五人家族の夫と子供たちが殺され、その死体の前で妻が強姦され惨殺される事件が二件、満月の夜に発生した。

 クロフォードに懇願されたグレアムは再び捜査に加わる。次の満月までに真相を究明しようとし、精神病院に隔離されているレクターに助言を求めるため再会する。レクターは自分を撃って逮捕したグレアムにどんな助言を与えるのか。

 大ヒットした二作に続いて、ハンニバル・レクターアンソニー・ホプキンスが演じ、グレアム捜査官にエドワード・ノートン、元同僚クロフォードにハーヴェイ・カイテル、無残に死ぬ記者がフィリップ・シーモア・ホフマン。そして猟奇殺人鬼にレイフ・ファインズ。名優たちの演技合戦が見ものである。

 実は『羊たちの沈黙』以前に『レッド・ドラゴン』は『刑事グラハム』というタイトルで映画化されていたが、たいして話題にならなかった。レクターがブライアン・コックス、犯人がトム・ヌーナン。同じ原作が予算や配役でこうも違うという見本として、両方見比べるのも面白いかもしれない。ブライアン・コックスもトム・ヌーナンも私は決して嫌いではないが、グラハム役のウィリアム・L・ピーターゼンが今ひとつだった。

レッド・ドラゴン』のラスト、精神病院のレクターを女性のFBI実習生が訪ねてくる。

 

レッド・ドラゴン/Red Dragon

2002 アメリカ/公開20

監督:ブレット・ラトナー

出演:アンソニー・ホプキンスエドワード・ノートンレイフ・ファインズハーヴェイ・カイテルエミリー・ワトソン、メアリ・ルイーズ・パーカー、フィリップ・シーモア・ホフマン、アンソニー・ヒールド

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第26回 篤太夫、再会する

 篤太夫吉沢亮)は、桑畑を抜けて、故郷の血洗島に帰ってきます。辻に長七郎(満島真之介)が座っていました。

「出迎えに来てくれたのか」

 と、篤太夫はたずねます。長七郎は笑い声をたて、いいます。

「どうした、その頭は」

 篤太夫も、髪の毛をさわりながら、複雑な表情で笑います。

「俺も変わっちまったが、日本も変わっちまった。なんと多くの命が奪われたんだ。まさか、平九郎が」篤太夫は声を荒げます。「俺はいったい何なんだ。幕府を倒そうとしたはずが、逆に幕府に仕え、あげく、幕府が倒され、世話になった者の多くが死に、離散し、いまはもう主(あるじ)もいねえ。喜作は今も……」

「相変わらずよくしゃべるのう」長七郎が篤太夫をさえぎります。「栄一、それを俺にいうか。悔しいのは俺だ。俺こそ何も成し遂げられなかった」

 篤太夫は長七郎に近づきます。

「そんなことねえ。俺も喜作もお前を追って、お前を目指して。横浜焼き討ちの時もお前の言葉がなければ、皆、死んでいた」

「だが、お前は生きておる」長七郎は立ち上がります。「生き残った者にはなすべき定めがあると、お前がいったんだ」

 ここで篤太夫は目を覚まします。長七郎とのやりとりは夢だったのです。篤太夫はまだ血洗島に着いていませんでした。

 篤太夫が血洗島に帰ってきます。辻に長七郎はいません。篤太夫は菜の花の咲き乱れる向こうに生家を見るのでした。篤太夫はつぶやきます。

「国破れて山河ありか。何もかも変わっちまったかと思ったら、ここはなんも変わらねえ」

 篤太夫の父の市郎右衛門(小林薫)は、待つことに我慢できず、篤太夫の妻の千代(橋本愛)と、子の、うた、共に道に出ます。市郎右衛門は、うたを抱き上げます。菜の花畑の向こうに篤太夫を認めたうたは、市郎右衛門にたずねます。

「あれはどこかのお殿様ですか」

 市郎右衛門は答えます。

「いや、うた。あれがお前のとっさまだ」

 うたは恥ずかしがって、市郎右衛門の方に顔をうずめるのでした。

 篤太夫が千代とうたに気がつきます。

「おいで」

 と、篤太夫はうたに向かって手を広げます。うたは千代の表情を確認した後、篤太夫の胸に飛び込んでいくのでした。篤太夫はうたを抱き上げます。やがて千代にいうのです。

「みっともねえか」 

「いいえ」千代は嗚咽しながらいいます。「お帰りなさいまし」

「ただいま」

 といい、篤太夫は千代とうたを抱きしめるのでした。家の方では女たちが歓迎の声をあげています。

 しかし篤太夫は歓迎ばかり受けたわけではなかったのです。篤太夫の妹のてい(藤野涼子)がいいます。

「なんだい、自分だけ、けえってきて。兄様が、平九郎さんを見立て養子になどしなければ、今頃、平九郎さんは、村で普通に暮らしてたんだに」

 市郎右衛門がいってくれます。

「おてい。それは栄一(篤太夫)もようく分かってる」

 篤太夫は尾高の家に行こうとします。しかし止められるのです。尾高の家には今、誰もいないというのです。先月、長七郎が亡くなっていたのでした。

 夜、篤太夫の話を聞きに、村の者たちが集まります。篤太夫は面白おかしく、パリで見てきたことなどを語るのです。

「何棟も連なった長屋にそれぞれ車輪が付いてて、それが蒸気機関の仕組みで黒い煙を吐きながら、鉄の道をダダダダダって進むんだ。壁一面には障子ではなく、透き通ったガラスがはめ込んである。あまりに透き通っているもんで、民部公子のお供の者が、何度も頭をぶつけておった」

 翌日、篤太夫に会いに、成一郎の妻である、よし(成海璃子)がたずねてきます。篤太夫はよしに、徳川方が五稜郭を攻め落としたことを知らせます。よしは喜びます。

「そうですか。よかった。では喜作(成一郎)さんたちは函館に新しい国を作れるんだいね」

 その成一郎(高良健吾)は土方歳三(町田啓太)と共に函館にいました。敵も治療するのかと医師の高松凌雲(細田善彦)に、いぶかしげにたずねます。

「怪我人に敵も味方も、富豪も貧乏人もない。私はそれを、もう一人の渋沢とパリで学んだ」

 凌雲は忙しげに治療しながら語るのでした。

 篤太夫は尾高の家を訪ねます。誰もいないはずのそこには、尾高惇忠(田辺誠一)がたたずんでいたのです。惇忠は篤太夫を避けるように、出て行こうとします。

「待ってくれ。兄ぃ」

 篤太夫は呼び止めます。

「俺とて、お前と話がしたい」惇忠は背中を向けたままいいます。「しかしもう、誰にもあわす顔がねえ。いくさで死ぬことも、忠義を尽くすこともできず、ひとりおめおめ生き残るとは」

 篤太夫は惇忠の言葉をさえぎります。

「いいや。兄ぃはいくさで死なねえで良かった。生きててくれて良かった。合わせる顔がねえのは俺だ。パリまで行ってようやく分かったんだ。銃や剣を手に、いくさをするんじゃねえ。畑を耕し、藍を売り、歌を詠み、皆で働いて励むことこそが、俺の戦い方だったんだ。ようやく気付いて、お千代にも、平九郎にも、とっさまにも、かっさまにも、本当に申し訳ねえ。俺は、この恥を胸に刻んで、今一度前に進みたい。生きている限り」

 篤太夫は泣き崩れるのでした。

 篤太夫は長七郎の出てきた夢を思い出していました。長七郎はいいます。

「さあ、前を向け、栄一。おれたちがかつて悲憤慷慨(ひふんこうがい)していたこの世は崩れたぞ。崩しっぱなしでどうする。この先こそが、おぬしの励み時だろう」

 篤太夫は答えます。

「そうだいな。そうだい。生きていれば、新しい世のためにできることはきっとある」

 篤太夫は笑い声をたてるのでした。

 篤太夫は姿勢を正して市郎右衛門に対します。

「喜作を追って、函館の軍に加わる気はありません。知り合いに、パリの知識があれば、新しい政府で勤め先があると勧められましたが、それも断りました。まずはすぐにでも、駿府で謹慎なさっている先の上様にごあいさつにうかがいたいと思っております。その先のことはまだ。商売を始めるか、百姓をするか、先の上様にお会いした後に、自身の方針を定める所存です」

 市郎右衛門は篤太夫に向き直ります。

「それでこそ俺の栄一だ。お前が、この家を出て行くとき俺は、あくまでも、道理は踏み外さず、真(まこと)を貫いてくれといったが、お前はそれを、きちんと守り通してくれた。おかげで俺は、お前の父親だと、胸張っていられる」

 篤太夫は市郎右衛門の前に包みを置きます。篤太夫は家を出るとき、市郎右衛門に百両をもらっていたのでした。おこがましいながら、その金額を「土産」として受け取って欲しい、と差し出したのです。

「せっかくのことだ。ありがたくいただいておこう」市郎右衛門は包みを受け取ります。「ただ、こうなったからにはこの金子は俺のものだ。俺の好き勝手に使わせてもらうで」市郎右衛門は立ち上がって、千代の前に包みを置きます。「お千代。お前は、六年もの間、つらいことにも耐え忍んで、実にまめやかにこの家のために尽くしてくれた。こんなことは、ふだん、恥ずかしくていえねえが、ずっとうれしく思ってた。これはその褒美と思って、取っといてくんない」

 栄一の母のゑい(和久井映見)もいいます。

「ずっとさびしかったんべ。なのに、ちっとも不服もいわねえで。よく耐えてくれたね」

「ありがとうございます」

 と、千代は涙を流して頭を下げるのでした。

 篤太夫は、慶喜のいる駿府に向かいました。幕府の直轄領だった駿府は、慶喜、そして江戸を追われた徳川家家臣たちの受け皿になっていたのです。

 篤太夫駿府藩庁にて、駿府藩中老の大久保一翁(いちおう)に述べます。

「拙者は、このたびの洋行の報告書と、民部公子のため買い求めた、物品調度の目録、そして費用の余り金、一万両でございます」

「一万両」

 と、大久保は聞き返します。篤太夫は続けます。

「また、こちらは、民部公子から、先の上様への御直書(じきしょ)でございます。上様にお目通りがかなわぬゆえ、これをお渡しし、お返事を、必ず水戸へ届けるようにと、申しつかりました」

 数日後、篤太夫慶喜のいる法台院に呼ばれました。部屋で待っていると寺の者らしい服装の男が入って来ます。それが慶喜(草彅剛)だったのです。慶喜を目の前にした篤太夫は感情があふれ出します。

「なぜ、こうなってしまわれたのか。政(まつりごと)の返上はともかく、鳥羽や伏見のいくさにしても、なんとか他に、手の打ちようが」

 慶喜は篤太夫をさえぎります。

「今さら過ぎ去ったことを、とやかく申しても、詮方(せんかた)ないことではないか。私は、そなたの嘆きを聞くために会ったのではない。そなたが、昭武(あきたけ)のフランスでの様子を、告げ知らせに来たと聞き、それで会おうと参ったのであるぞ」

 篤太夫はひれ伏します。打って変わって面白おかしく、パリでの出来事を語るのでした。慶喜は一通り聞くといいます。

「渋沢よ。万里の異国にあって、さぞ苦しく、骨を折ったことであろう。このたび、昭武がさわりなく帰国できたのも、ひとえにそなたのおかげだ。礼を申す」

 そういうと慶喜は篤太夫に向かって頭を下げるのでした。慶喜は部屋を出て行こうとします。

「上様」篤太夫は絞り出すような声を出すのです。「どんなにご無念だったことでございましょう」

 慶喜は何もいわずに去って行きます。篤太夫はいつまでもひれ伏し続けるのでした。