大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第17回 助命と宿命
源義経(菅田将暉)は、後白河法皇(西田敏行)に呼ばれ、一ノ谷の合戦についてほめられます。
鎌倉では、頼朝が側近たちに話しています。
「義仲を討った今、片付けておかねばならぬことがある。一つは、甲斐の武田信義(八嶋智人)。奴に、誰が源氏の棟梁か分からせてやる」
「武田殿は近々、嫡男、一条忠頼(前原滉)を伴って、こちらに参る由(よし)にございます」
「いずれ信義には消えてもらう。もう一つは、木曽のせがれ。あれにとってわしは父の敵(かたき)。義高(市川染五郎)が生きている限り、枕を高くして眠ることができぬ。小四郎」と、頼朝は義時にいいます。「お前に任せた。三日やろう。義高を討て」
義時は義高を牢に閉じ込めます。
義時に父の時政(坂東彌十郎)が話します。
「つらい役目をおおせつかったもんだなあ。上総介の一件で、鎌倉殿は腹をくくられた。あの方に逆らっては、この鎌倉で生きてはいけん」
「命は助けるとおっしゃったではないですか」
「考えるといっただけだ」
「まだ年端のいかぬ子供です」
「わしのの父、義朝は、平家に殺された。その怒りの炎は、二十年以上経っても消えることがない。そしてわしは今、平家追討に、この身のすべてをかけておる。武士にとって、父を殺された恨みはそれほど深いのだ」
「義高もそうだとは限りません」
「あやつの恨みは必ず万寿にふりかかる」
頼朝を説き伏せられなかった政子は、牢にいる義高に会いに行きます。政子は、義高を伊豆山権現に匿(かくま)ってもらうことを思いつきます。しかし義高はいうのです。
「御台所(みだいどころ)は一つ、考え違いをされております。私は鎌倉殿を決して許しはしない。機会さえあれば、軍勢を率いて鎌倉を襲い、あのお方の首をとるつもりでいます。そしてその時は」義高は義時を振り返ります。「小四郎殿。あなたの首も。あなたは父の思いを分かっていると思っていた。しかし何もしてくださらなかった。私を生かしておいても、皆さんのためにはなりません。こうなってしまった以上、一刻も早く、この首をとることをおすすめいたします」
その頃、京では、義経が後白河法皇より検非違使(けびいし)の役目を与えられていました。
「わしの思いを、形で示したかったのだ」後白河法皇は述べます。「検非違使になって、京の安寧(あんねい)を守ってくれ」
義経には、頼朝からの任官推挙が出ていません。しかし後白河法皇はいうのです。
「頼朝は忘れて良い」
頼朝は仲間たちのもとに戻ってきて、喜びを表現します。
「法皇様は、私のことが大好きだとおおせられた。こうなったらどんどん偉くなって、いずれは清盛を超えてやる」
任官の前祝いにと、法皇がよこした一人の白拍子に、義経は見とれるのでした。
鎌倉では、捕えられた巴御前(秋元才加)が、義時と会っていました。巴は女の格好をしています。
「義仲様より文(ふみ)を預かっております。義高様宛にございます。お渡し願いますでしょうか」
義時は「無礼者」と、怒る巴にかまわず、文を広げて書いてあることを確かめます。
義時は、牢いる義高に会いに行きます。
「木曽殿は、鎌倉殿を敵(かたき)と思うな、諭(さと)されておられます。これ以上、源氏どうしで争ってはならぬと」
義時はしゃべり終えると、巴に合図します。巴が話します。
「義仲殿は申されました。自分が亡き後、平家討伐を成せるのは鎌倉殿しかいない。義高様には生きて、源氏の悲願成就を見届けてほしい、と」
義高がいいます。
「父の思い、しかと受け止めた」義高は政子に呼びかけます。「御台所(みだいどころ)、私が間違っておりました。改めて、父の大きさを知ることができました」
政子が問います。
「生き延びてくれますか」
義高はうなずくのでした。
義高を女人(にょにん)に化けさせて、御所を抜けることにします。その後、三浦義村(山本耕史)の手引きで寺で一泊し、三浦から船で伊豆山権現に向かうことになります。
武田信義(八嶋智人)の率いる甲斐源氏。頼朝と義仲の対立の際には、頼朝側に付いていました。信義は嫡男の一条忠頼(前原滉)を伴い、頼朝に会いに来ていました。自分たちが法皇に恩賞をもらえないことに、抗議にやって来たのです。頼朝はとぼけます。
頼朝を必ず潰してやると怒る信義に、息子の忠頼が情報をもたらします。義仲の息子の義高が、幽閉されているというのです。
「使えるな」
と、信義は喜びます。
信義は牢にいる義高に訴えます。
「わしらは、頼朝のやり方にはついていけんのだ。源氏どうしで力を合わせることがなぜできない」
しかし義高は信義を責める口調です。
「武田殿の軍勢も、九郎殿に従って父と戦ったと聞いています」
忠頼がいいます。
「鎌倉殿に強いられたのだ。共に頼朝を倒そう」
信義が熱弁します。
「おぬしが立てば、散り散りになった信濃の者たちも戻ってくる。我が兵と合わせれば必ず勝てる」
義高は信義たちに背を向けます。
「お断りします。父は、鎌倉殿を恨むなと書き残しました。お引き取りください」
このことが頼朝の耳に入ってしまったのです。
「武田が義高と何の話を」
「しばらく部屋から出てこなかったようです」
と、義時が報告します。
「信義め、義高を連れて行く気か」
と、頼朝はつぶやくようにいうのでした。
政子たちは義高を女人の服に着替えさせ、牢から連れ出すことに成功します。危ない場面もありましたが、頼朝の古くからの側近である、安達盛長(野添義弘)も協力してくれます。曰く、
「御家人たちの心がこれ以上、鎌倉殿から離れていってほしくはござらん」
しかし夜には義高が逃げたことが露見するのです。頼朝は立ち上がり、命じます。
「義高を捕えるよう御家人たちに伝えよ。見つけた者には褒美(ほうび)をとらす」
「冠者殿(義高)は」
と、恐る恐る義時が聞きます。
「見つけ次第、首をはねよ」
義時は御家人たちが見当違いの西を探すように細工します。
しかし寺に隠れていたはずの義高が逃げたのです。義時に文を残しています。
「小四郎殿。私はやはり、あなたを信じることができません。御台所から遠ざけた上で、私を殺す気ではないのですか。鎌倉は恐ろしいところです。私は、故郷(ふるさとの)の信濃で生きることにします」
義高が逃亡した西の方角には、御家人たちがひしめいています。
政子と、大姫が頼朝の所にやって来ます。大姫は自分の喉に刃物を突きつけ、義高を救ってくれるように迫ります。
「わしの負けじゃ」頼朝は義時にいいます。「捕まえても殺さぬよう、皆に伝えよ」
しかし頼朝のもとへ、桶(おけ)を持った御家人が現れるのです。
その夜、時政が、頼朝からという文を義時に渡します。時政はいいます。
「あのお方は試しておられる。お前を、いや、北条を」
義時は立ち上がり、父の時政に文を突きつけます。
「これはできませぬ」
時政がいいます。
「覚悟を決めるんじゃ。小四郎」
翌朝、武田信義の嫡男である、一条忠頼が頼朝に呼び出されます。義時の手の者が、忠頼の背後に立ちます。義時が告げます。
「一条忠頼。源義高をそそのかし、鎌倉殿への謀反をたくらんだ。その咎(とが)によって、成敗いたす」
忠頼の体に、刃が振り下ろされるのでした。
義時は義高の首を持ってきた、御家人をも殺します。これにて事件は幕を閉じたのでした。
武田信義は、義時に起請文(きしょうもん)を渡します。
「この武田信義、頼朝殿に弓引きつもりなど、微塵(みじん)もなかった。息子は死ぬことはなかったのだ」
義時は静かにいいます。
「これは警告です。二度と、鎌倉殿と競い合おうなどと、お思いになりませぬよう」
信義はいいます。
「お前たちはおかしい。狂っておる」
義時が去った後、信義は床に崩れるのでした。
『映画に溺れて』第487回 ボン・ヴォヤージュ
第487回 ボン・ヴォヤージュ
第二次大戦時のパリ陥落を背景にしたイザベル・アジャーニ主演のコメディ。厳しい戦時下が題材ながら、エスプリたっぷりのおしゃれなウェルメイドプレイになっており、これぞフランス喜劇である。
ドイツ軍によるパリ陥落の直後。銀幕スターのヴィヴィアンヌはつきまとうパトロンを射殺し、その始末を幼なじみで昔の恋人だった小説家志望のオジェに頼む。が、発覚して彼は犯人として刑務所に。
ヴィヴィアンヌはオジェを見捨てて、自分のファンの大臣ボーフォールとともにパリからボルドーに逃れる。
オジェはヴィヴィアンヌに裏切られたことを悟り、空襲のどさくさにまぎれ、囚人ラウルと脱獄しボルドーへ。
このふたりに物理学専攻の女子学生カミーユと彼女の師である教授が同行する。教授は秘密裡に原子爆弾を開発しているらしい。それを狙うのが英国のジャーナリストを装うドイツのスパイ。
ボルドーの大混乱の中で登場人物たちが五目飯のように混ぜ合わされ、いい味になる。イザベル・アジャーニをはじめ、ジェラール・ドパルデュー、グレゴリ・デランジュール、ヴィルジニー・ルドワイヤン、イヴァン・アタル、ピーター・コヨーテ、俳優たちもみな個性的。純情青年と大臣とスパイを手玉に取る悪女は果たして戦時下を乗り切るのか。
ヴィヴィアンヌがわがままぶりを発揮し、無理やり乗せてもらう官房長官の車の後ろの席にいるのがシャルル・ドゴールというあたりもまた心憎い。戦争そのものは悲劇だが、その裏側で、こんな喜劇も繰り広げられていたのだろう。
それにしても、イザベル・アジャーニはこの映画の当時五十歳手前。息子ほどの青年の恋人役を演じてまったく不自然さを感じさせない。というより、妖艶さが加わって、トリュフォーのアデルに出ていた二十歳の頃よりもずっと美しい。
ボン・ヴォヤージュ/Bon voyage
2003 フランス/公開2004
監督:ジャン=ポール・ラグノー
出演:イザベル・アジャーニ、ジェラール・ドパルデュー、グレゴリ・デランジュール、ヴィルジニー・ルドワイヤン、イヴァン・アタル、ピーター・コヨーテ
大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第16回 伝説の幕開け
義時(小栗旬)と八重(新垣結衣)の子に、頼朝(大泉洋)は「金剛」の名を贈ります。その席には義時の父、北条時政(坂東彌十郎)の姿もありました。頼朝が時政にいいます。
「よう帰って来てくれた。おぬしが一向に戻ってくれんので、藤九郎(安達盛長)を遣(つか)わせたぞ」
「お手間を取らせました」
と、時政。安達盛長(野添義弘)がいいます。
「やはり鎌倉に、北条殿はなくてはなりません」
「このたびのこと、一切を、小四郎(義時)から聞いております」
頼朝がいいます。
「この先、御家人たちを束ねていけるのは、舅(しゅうと)殿しかおらんのだ」
時政は頭を下げます。
「ありがたいお言葉。粉骨砕身、務めまする」
帰りに、廊下を歩きながら、時政と義時は話します。
「鎌倉は変るな」
「あれ以来、御家人たちは、次は我が身と、すっかりおびえています」
と、義時は上総広常が、殺された事件のことをいいます。
「しかも今度の一件で分かったことがある。誰かに落ち度があれば、その所領が自分のものになる」
「御家人たちがなれ合うときは終わりました」
「だから戻って来たのよ」時政は柱を叩きます。「いつ誰に謀反の疑いを掛けられるか、分かったもんじゃねえ」
「これから、どうなっていくのでしょうか」
「わしにもさっぱりだが、北条が生き抜いていく手立てはただ一つ。源氏に取り入り、付き従う。これまで以上に。それしかないて」
義時はうなずくのでした。
御家人たちは義経(菅田将暉)の兵と合流し、木曽義仲(青木崇高)を討つことを命じられます。総大将は頼朝の弟である、源範頼(迫田孝也)です。そしていくさ奉行には、上総広常を討った、梶原景時(中村獅童)が任命されます。頼朝は鎌倉に残り、北から攻めてくるかもしれない、藤原秀衡に備えます。鎌倉には比企能員(佐藤二朗)と、北条時政も残ります。大江広元(栗原英雄)が御家人たちに伝えます。
「義仲を滅ぼせば義仲の所領を、平家を滅ぼせば平家の所領を、皆に分け与えると、鎌倉殿はおおせでございます」
その言葉を聞いて御家人たちは張り切ります。
鎌倉を出発した範頼の本軍は、墨俣(すのまた)で義経の先発隊と合流します。範頼の陣に梶原景時が座ると、和田義盛(横田栄司)と土肥実平(阿南健治)が立ち上がります。二人は上総広常を斬った梶原を、許すことができなかったのです。そこへ義経がやって来ます。
義経はすでに義仲軍と小競り合いをしていました。
京の義仲の宿所にて、義仲の側近である今井兼平(町田悠宇)がいいます。
「鎌倉の本軍が近江に迫ってきております」
「我らと手を組むつもりはないのか」
「残念ながら、すでに小競り合いが」
義仲は巴を振り返ります。
「文(ふみ)を送れ。我らは盟約を結んだはずだ。共に平家を討とうと伝えよ」
鎌倉軍の陣では、義経が地図を見ながら範頼にしゃべっていました。
「明日には近江。兄上はこのまま勢多を通り、正面から京へ攻め込んでください。私は南へ下って、宇治より京へ」
梶原景時が坂東武者に配置を命じようとしますが、和田たちは聞きません。義時が思わずいいます。
「方々、大いくさの前に、仲間内のいさかいはやめていただきたい。梶原殿は、鎌倉殿の命で上総介殿を斬られたのです。恨むのなら、鎌倉殿を恨むのが筋。道理の分からぬ者は鎌倉へお帰り願いたい」
そこへ義仲からの文が届きます。義経はそれを読み、激怒します。恐る恐る義時が聞きます。
「返事は何とします」
「文を持ってきた奴の首をはねて、送り返せ」
という義経に梶原がいいます。
「使者を殺すのは武士の作法に反します」
義経は梶原にいいます。
「義仲の頭に血を上らせるんだ。いくさは、平静さを失った方が負けだ」義経は歩きながらしゃべります。「そうか、義仲はまだ、我らを敵とは思っておらぬのか。敵ならば、兵の数を躍起となって知ろうとするが、今はまだ、それもつかんではいないと見た。小四郎」と義経は義時に呼びかけます。「我らの軍勢を一千と少なく偽って、噂を流せ」
義仲のもとへ、使者の首が送り届けられます。今井兼平がうめくようにいいます。
「これが義経の答えです」
義仲は立てかけてある弓を引き倒し、文机を投げ捨てて暴れます。巴御前がいいます。
「今すぐ、いくさの支度を」
しかし義仲は、意外にも冷静でした。
「挑発に乗ってはならん。我らを挑発するということは、向こうに小細工があるということだ。攻め手を分ける気か」義仲は地図を出させます。「大手が勢多なら、からめ手は宇治」
そこへ知らせが入るのです。義経率いる一団が、南へ下ったとのことでした。
「数は」
と、義仲は聞きます。わすか一千とのことでした。頼朝は鎌倉に大半の兵を残したのか、と義仲は理解します。義仲は地図を持ち上げます。
「鎌倉方、恐るるに足らぬ。このいくさ、勝った」
義経は宇治川のほとりに兵を集結させます。物見にやって来た義仲は、その数が万を超えていることを確認するのです。義仲勢の倍以上です。義仲は京を捨てることを決意します。
義経は、義仲勢が橋を壊し始めたのを見て、畠山重忠(中川大志)に川を渡るように命じます。味方が派手な先陣争いを演じている隙に、背後に回り込もうというのです。
京の院御所にやってきた義仲は、後白河法皇(西田敏行)を探します。隠れる法皇にかまわず、義仲は声をあげます。
「本日をもって、この源義仲、この京の地を離れ、北陸へ戻りまする。力及ばず、平家追討を果たせずに、この地を去るのは、断腸の思い。いっそ法皇様を道連れに北陸へ、そう考えもしましたが、その策に義はござらん。義仲の果たせなかったこと、必ずや、頼朝が引き継いでくれると信じております。法皇様の御悲願成就。平家は滅び、三種の神器が無事戻られることを心よりお祈りたてまつる次第。最後にひと目、法皇様にお目通りしとうござったが、それもかなわぬは、この義仲の不徳のいたすところ。もう二度と、お会いすることはございますまい。これにてごめん」
義仲は頭を下げると去って行きます。
義仲は近江へ去り、宇治川を突破した鎌倉軍は、京へ入ります。
「もそっと近う」
という法皇の言葉に、義経は階段を上ります。しばらく体を休めよという法皇の言葉に、義経はいいます。
「それはできません。九郎義経、これより義仲の首を落とし、その足で西へ向かって、平家を滅ぼしまする。休んでいる暇はございません」
あっけにとられる後白河法皇でしたが、やがて笑い出します。
「よう申した」
京を出た義仲は、近江に向かいますが、そこに範頼の軍勢が待ち構えていました。
義仲は巴御前に、息子への文を託し、一人落ち延びるように命じます。わざと捕えられて鎌倉へ行け、というのです。
義仲は自害する場所を探していました。義仲はいいます。
「やるだけのことはやった。何一つ悔いはない。一つだけ、心残りがあるとするならば」
といいかけたところに、一本の矢が義仲の額に突き刺さるのでした。
鎌倉にいる頼朝は、京から来る知らせに目を通していました。そのなかで、義経の文が簡潔に事実を伝えていました。義仲を討ち取った。北条時政たちは、
「おめでとうございます」
と、声を合わせるのでした。
京にある範頼の陣で、梶原景時が話していました。
「平家の軍勢は福原に集まっています。攻めるならば、東の生田口か西の一ノ谷。されど真っ向から攻めれば、こちらも大きな痛手をこうむるのは必定」
「ではどうする」
と、範頼が聞きます。
「下から攻め入りまする」
「山を下るのか」
と、土肥実平。
「軍勢を二つに分け、蒲殿(範頼)が、生田口に攻める。敵を引き付けている間に、九郎殿は、山側から敵の脇腹を突く」
「いかが思われますか」
と、義時が義経にたずねます。
「山から攻めるのはいい。あとは、駄目だな」義経は梶原を見すえます。「話にならない」
「訳をうかがいましょう」
と、梶原。
「私の策だ」義経は地図の前に片膝を立てます。「まず、福原の北にある、三草山の平家方を攻める」
梶原がいいます。
「それでは、山側から攻めるのを、相手に知らせるようなもの」
「意表をついて、山から攻める。そんなのは子供でも思いつく。ということは敵も思いつく。だったらいっそのこと、手の内を見せてやる」
「何のために」
と、和田が質問します。
「全部説明させるのか」と、不機嫌そうな態度を義経はとります。「敵を散らすんだよ。今は東西を固めている軍勢が、北も守ることになるだろう。その上で、我々は裏をかく。予想外の所から攻める」
梶原がたずねます。
「どこから攻めるおつもりか」
「考え中である」と、義経はいってのけます。「その時その場をこの目で見て、決める」
皆が騒然とする中、梶原がいうのです。
「九郎殿が、正しゅうござる。すべて、理にかなっておりまする」
一人夜空を見上げる梶原に、義時は話しかけます。
「先ほどは、ありがとうございました」
梶原がいいます。
「九郎殿が申されたことは、本来ならば、わしから思いつくべきこと。その手前で止まってしまっていた自分が腹立たしい」
「いくさをするために生まれてきたお人です」
「いくさ神、八幡大菩薩の化身のようだ」
そこに義経がやって来て、義時にいうのです。
「法皇様に、文をお届けしろ。平家に対して、和議をお命じいただきたい。源氏とのいくさを避けるよう、法皇様にお指図いただく。明後日六日には、先方に伝わると嬉しい。我々は法皇様のお言葉は知らなかったことにして、七日に攻め込む。敵はすっかり油断している。こっちの勝ちだ」義経は義時を振り返ります。「だまし討ちの何が悪い」
文を受け取った後白河法皇は乗り気になります。
「こういうことは大好きじゃあ」
と、声に出すのです。
三草山で平家軍に夜討ちをかけた義経勢は、福原に向かって、山中を進みます。梶原が策を話します。
「鵯越(ひよどりごえ)。あそこならば、馬に乗って駆け下りることも可能でしょう」
義経がいいます。
「なだらかなところを駆け下りても、出し抜くことにはならぬ」
その先にある鉢伏山に義経は注目します。あの山を降りる、と宣言します。まず馬を行かせ、その後に人が続きます。
二月七日の早朝、義経は、七十騎の武者と共に、鉢伏山に到着します。
福原の東、生田口で「一の谷の戦い」といわれる、源平合戦最大の攻防が始まります。
油断した平家の本陣の背後から、義経たちが姿を現すのです。
正面から攻めていた義時たちは、戦う義経の姿を見つけます。梶原がつぶやくようにいいます。
「八幡大菩薩の化身じゃ」
大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第15回 足固めの儀式
源義経(菅田将暉)は木曽義仲(青木崇高)を討つために、近江国にまで来ていました。
京で義経の軍勢が迫っていることを知った義仲は、後白河法皇(西田敏行)を捕え、御所に火を放ちます。
その頃、義時(小栗旬)は、父の北条時政(坂東彌十郎)のところへ、八重(新垣結衣)との結婚のあいさつに訪れていました。義時はしばらく時政のところで、八重を預かってもらうことにします。
御家人たちが集まって話しています。千葉常胤(岡本信人)が発言します。
「御所に攻め入り、頼朝の首をとる」
三浦義澄(佐藤B作)が反対します。
「あまり手荒なことをしとうない」
岡崎義実(たかお鷹)が声をあげます。
「わしらの本気を示すんじゃ」
上総広常(佐藤浩市)がいいます。
「あるじを殺した奴に、人はついてこねえ。この坂東を、源氏から取り戻す。大事なのはそこじゃねえのか」
結局、頼朝の嫡男である、万寿を連れ去り、これと引き換えに頼朝を出て行かせることにします。万寿は生まれてから五百日に、初めて立ったという「足固めの儀式」を行うことになります。これは計画のために文覚(市川猿之助)でっち上げた儀式でした。そこを狙うことにします。
梶原景時(中村獅童)が、話し合いの場を離れようとします。和田義盛(横田栄司)に呼び止められるのです。梶原は、頼朝に通じていることを感づかれていたのです。梶原は厩(うまや)に閉じ込められることになります。
五百日の儀式の当日になります。千葉常胤、岡崎義実、三浦義澄の三人は、木曽義仲の息子である、源義高(市川染五郎)と話をします。事が成った暁(あかつき)には、自分たちの旗頭になって欲しいと頼みます。
「しばらく時が欲しい」
といって、義高は去って行きます。
御殿で義時は、頼朝の側近たちに話します。
「本日、三浦殿を中心とした、大がかりな鹿狩りが催されるようです。万寿様のお祝いと、同じ日というのが気になります」
頼朝の弟の範頼(迫田孝也)がたずねます。
「鹿狩りは見せかけというのか」
「鹿狩りと称せば、御家人が弓矢を携え集(つど)っていてもおかしくありません」
義時は土肥実平(阿南健治)から、謀反の企てを聞き出すのでした。
集合した御家人たちに、千葉常胤が呼びかけます。
「八幡宮で儀式が始まった。終わる頃を見計らって、和田殿が軍勢を率いて押し寄せ、万寿様の身柄をおさえる。時を同じくして三浦勢は江ノ島へ向かい、全成(新納慎也)を捕える。仕上げは全軍で御所を囲み、頼朝に鎌倉を去るよう迫る」
御家人たちが声をあげます。
安達盛長(野添義弘)が頼朝に報告します。
「文覚の件、土肥殿の言葉、梶原殿の居所が分からないのが気になります。すべてが謀反の企てを示しております」
頼朝は各所の守りを固めるように命じます。義時は抗議します。
「力と力がぶつかれば、鎌倉は火の海となります。まずは、話し合うことが肝要かと」
「話して分かる奴らか」
「その時は、上総介(佐藤浩市)殿が力になってくれます」義時は大江広元(栗原英雄)とうなずき合います。「上総介殿は、我らと通じております。あのお方と私で、必ずや御家人たちを説き伏せて見せます」
頼朝が義時にいいます。
「必ず御家人たちを説き伏せよ。今、兵を引けば、すべてなかったことにしてやっても良い」
儀式を終えた八幡宮に、御家人たちが押し寄せます。和田義盛が片膝を突いていいます。
「若君、一緒においでいただきましょう。御台所(みだいどころ)も」
しかしここで木曽義仲の息子の義高が、刀を抜いて前に出るのです。
「万寿様は私がお守りいたします。あるじに刃を向ける者は、許すわけにはいかぬ」
そこへ、手勢を率い、義時が駆けつけるのです。
「お待ちください。すでにたくらみは暴かれました。御所は守りを固めております。刀を納められよ。これ以上の争いは無駄でございます」義時は和田に呼びかけます。「石橋山の戦いに敗れ、先がないところまで追いつめられた時、あなたはいわれた。我らは源氏のために戦っているのではない。これからは坂東武者の意地にかけて、平家を倒すのだと」
木曽義仲が法皇を人質に、京を手中に治めた、との情報に、和田の心は動きます。そういうことならばいたしかたない、と、皆に刀を収めるようにいうのです。
「小四郎、よう気張った」
と、義時をほめさえします。
義時は御家人の集合する中に乗り込みます。
「無駄死にするだけです」
上総広常が発言してくれます。
「これまでということだな、小四郎」
「無念じゃ」
と、千葉が座り込み、脇差しを抜き出します。
「よさねえかじいさん」
と、上総広常が止めます。千葉は聞きません。
「すべてわしが考えたこと、わし一人の首でおさめる」
三浦義村(山本耕史)が千葉の脇差しを取りあげます。義時が話します。
「鎌倉殿は、兵を引けばすべて許すとおおせられました。御家人あってのご自分であることを、よく分かっておいでです」
上総広常がいいます。
「あとは小四郎に任せよう。そうと決まったら、解散だ」
頼朝は今回の乱に加わった者たちの名を見て、改めて驚きます。
「こんなにおるのか」
比企能員がいいます。
「奴らは御所に攻め寄せるつもりだったのだぞ。厳罰に処さねば、示しがつきませぬ」
義時が発言します。
「考えがあります。平家を倒した暁には、その所領を御家人たちに分配すると約束なさるのです。皆、我先にといくさに向かうはず」
大江広元がいいます。
「しかしながら、やはり御家人たちが何一つおとがめなしというのでは、示しが付きません」
「それもそうだ」
と、頼朝が同意します。
「この際、誰か一人に見せしめとして罪を負わせるというのはいかがでしょう」
「誰かに死んでもらうと」
義時が抗議します。
「お待ちください。一人を選んで首をはねるなど、馬鹿げております」
「やはりあの男しかおらんだろう」
と、頼朝がいいます。大江がその名を口にします。
「上総介広常殿」
義時はあっけにとられます。実は頼朝は、上総広常を排除する機会をうかがっていたのです。あえて謀反に加担させ、責めを負わせる。頼朝は今回の事件を利用したのでした。御家人たちを御所に集め、皆の前で斬り捨てることにします。討ち手に梶原景時を選びます。
御所に御家人たちが集められます。梶原景時は、上総広常をすごろくに誘います。上総がよそ見をした瞬間、梶原は、息子が持つ刀を抜き出して斬りつけます。皆が驚く中、梶原が呼ばわります。
「上総介広常は、法皇様、並びに、鎌倉殿にたてついた大悪人なり。御所に攻め入り、鎌倉殿を亡きものにせんとたくらんだ。その咎(とが)によって、ここに成敗いたす」
上総介は、一刀では死にませんでした。義時に声を掛け、頼朝の前に膝を突きます。上総介は、梶原に背中から貫かれるのでした。頼朝は皆に宣言します。
「謀反人、上総介広常を成敗した。残党を討ち、その所領は一堂に分け与えよう。西にはさらに多くの所領がある。義仲を討ち、平家を討ち、おのれの力で我が物にせよ。今こそ天下草創(そうそう)の時」頼朝は御家人たちを見回します。「わしに逆らう者は何人(なんぴと)も許さん。肝に銘じよ」
御家人たちは声をあげるのでした。
義時は、父、時政の館にやって来ます。預けていた妻の八重が、子を産んでいました。
大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第14回 都の義仲
「正式に夫婦(めおと)となること、鎌倉殿(源頼朝)(大泉洋)と御台所(みだいどころ)(北条政子)(小池栄子)に申し上げたいのですが」
と、義時は八重の表情をうかがいます。八重は少し複雑な表情です。
「行って参ります」
と、義時は八重に背を向けるのでした。
木曽義仲(青木崇高)の息子、源義高(市川染五郎)が鎌倉へ入りました。表向きは大姫(頼朝と政子の娘)の許嫁(いいなずけ)としてでしたが、実質は人質でした。
「大姫がかわいそう」
と、政子がいいます。頼朝は立ち上がります。
「わしだって、好き好んで、木曽の山猿の息子なんぞに、くれてやりとうはない」
義時が政子に、なだめるようにいいます。
「すべては、いくさを避けるため」
頼朝と政子は、義高と対面します。その端整な顔立ちと、礼儀正しい振る舞いを、政子はすっかり気に入ります。義高が席を立った後、政子はにこやかに頼朝にいいます。
「よろしいのではありませんか」
寿永二年(1183)五月。木曽義仲は兵たちを前に声をあげます。
「俺は、悪逆非道の平家を決して許さない。これは正義のいくさである。怖れるな。義は我らにあり」
義仲は拳を突き上げます。兵たちもそれに習うのです。
倶利伽羅(くりから)峠で、平家軍を撃退し、勢いに乗った義仲は、京へ向かって突き進みます。
義仲軍を怖れた平家は、京を引き上げます。平宗盛(小泉孝太郎)は、幼い安徳天皇に呼びかけます。
「帝(みかど)。都は危のうございます。これより皆で、もっと良いところに参ります」
平家一門は、帝と三種の神器と共に、都を落ち延びたのでした。
鎌倉では頼朝が嘆いていました。
「義仲に先を越された。平家を滅ぼされたら、わしの出る幕がなくなる」
「ご心配には及びませぬ。法皇(ほうおう)様と義仲は、いずれ必ずぶつかります」
義時は質問します。
「なぜ分かるのですか」
大江は答えます。
「木曽の荒武者と法皇様が、合うわけがございません。しばらくは様子を見ましょう」
京では木曽義仲が、後白河法皇(西田敏行)に謁見していました。法皇は義仲に声を掛けます。
「よくぞ平家を追い出してくれた」
法皇の側近である平知康(たいらのともやす)(矢柴俊博)が義仲にいいます。
「平家を追討し、これを滅ぼせ。法皇様の思し召し(おぼしめし)である」
法皇がいいます。
「何よりも急ぐは、三種の神器の奪還」
三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)のことで、帝が受け継いできた宝物です。木曽義仲はその存在を知りませんでした。義仲は、毛皮に包まれた刀を差し出します。
「法皇様。この太刀をふるい、連戦連勝。我が軍勢の守り神にございます。その三種の神器、を、取り戻し奉(たてまつ)るまでこちらを、法皇様にお預けいたします」
義仲は階段を上がり、直接法皇に手渡ししようとします。それを平友康に叩き落とされるのです。
「三種の神器を何と心得る。この無礼者が」
その頃、鎌倉では、義仲の息子の義高が、義経に話しかけられていました。
「もし鎌倉殿が、義仲と戦うことになったら、お前は殺されるんだぞ」
「いくさにはなりません。父がそう申しておりました」
義経は義高の肩を叩きます。
「めでたいな、全く」
義高はセミの抜け殻を集めるのが好きだ、と、義経に話します。義経はあきれ、あまり人にいわない方がいいぞ、と忠告するのでした。
平家の都落ちから五日後、頼朝、義仲、行家の三人に、勲功(くんこう)が与えられます。頼朝は密かに法皇に文を送っていました。今後は朝廷の指図のもと、西は平家、東は源氏が治めるよう、定められてはいかがか、との内容です。源氏のことはすべて頼朝が決めていると勘違いさせようという策略でした。
「恩賞など俺にはどうでもいい」と、京にいる義仲はいいます。「平家を滅ぼすことができれば、俺はそれでいい。褒美なんぞは、頼朝にくれてやるわ」
巴御前の兄であり、義仲の側近の今井兼平(町田悠宇)がいいます。
「それでは、家人(けにん)どもがおさまりません。命がけでここまでやって来たのですぞ」
義仲は頼朝の叔父である源行家(杉本哲太)と共に、法皇のところに向かいます。
「頼朝は棟梁ではないのか」
と、後白河法皇はたずねます。行家が答えます。
「大間違いにございます」
義仲がいいます。
「まことに血を流し、戦ってきた家人どものために、なにとぞふさわしい恩賞を、お願いいたします。これでは兵たちがおさまりません」
法皇はいいます。
「仕方ない。頼朝への恩賞は、一旦、忘れよう」
鎌倉の御所では、義仲の息子、義高が、大姫と耳相撲をして遊んでいました。政子も義高をすっかり気に入っています。
京の街で、頼朝に情勢を伝えている三善康信(小林隆)が兵たちから乱暴を受けます。木曽義仲がその者たちを払いのけ、殴りつけます。
「すまぬ。怖い思いをさせてしまった」
義仲は謝ります。三善は頭を下げつつ、義仲にいいます。
「京に住む者は、皆、おびえております」
「今のは俺の手勢ではない。我らは、攻め上るうちに膨れ上がった寄せ集め。今後はもっと引き締めてかかるつもりだ。許せ」
法皇は、平家に連れ去られた安徳天皇をあきらめ、後鳥羽天皇を即位させました。この時、わずか四歳でした。
後白河法皇は、義仲を呼び出し、命じます。
「これ以上、猶予はならん。今すぐ、西国へ出陣せよ。平家を滅ぼし、三種の神器を取り戻せ」
義仲は顔を上げます。
「平家討伐は、頼朝を待ってからと思っております。平家と互角に戦うには兵が足りませぬ」
平知康がいいます。
「そなたには、勇猛果敢な兵が山ほどおるではないか」
「平家をあなどってはなりませぬ。いくさに出たこともないお人が、口を出さないでいただきたい」
すると上皇が声を張るのです。
「義仲、わしに申しておるのか」
義仲は困惑し、頭を下げます。
「申し訳ございませぬ」
後白河法皇はいいます。
「頼朝を待っておってはいつになるかわからん。今すぐ発(た)て。今すぐじゃ」
義仲は、出陣した備中(びっちゅう)で、苦戦を強いられました。
鎌倉では頼朝が、大江広元に伝えます。
「義仲が京を離れた」
大江が顔を上げます。
「いよいよ出番でございますぞ」
頼朝はこの時とばかり、後白河法皇に莫大な引き出物を送ります。法皇は、頼朝に、東海道、東山道の軍事支配権を認めます。上洛のお膳立てが整ったのでした。
戦陣にて、今井兼平が義仲に伝えます。頼朝に東山道が与えられた、と。義仲の本拠地である信濃が頼朝の手に渡ったのも同じでした。義仲は怒ります。そしてつぶやくのです。
「法皇様はなにゆえこのような仕打ちを」
今井がいいます。
「頼朝と法皇様の間で、何やらやりとりが」
巴御前(秋元才加)が悔しさをあらわにします。義仲はいいます。
「京へ戻るぞ」
法皇に会おうとする義仲の前に、行家が立ちふさがります。
「法皇様はおぬしにはお会いにはならん」
「なぜでございますか」
「おぬしは法皇様の信を失った。取り戻すには、いくさに勝つしかなかった。それもできぬおぬしに、もう先はない」
義仲はかまわず法皇のもとに向かおうとします。その背に行家が呼びかけます。
「謀反の疑いがある。平家と密かに和睦を結んだという噂はまことか」
義仲は笑い出します。
「馬鹿な」
義仲は顔色を変え、法皇の下に急ぎます。途中、義仲は平知康に制せられます。それを殴りつけ、義仲は御所を進みます。平知康に様子を聞いた法皇は叫びます。
「謀反じゃ」
鎌倉の頼朝は文(ふみ)を読みます。
「法皇様が救いを求めておられる。義仲が平家と通じておるらしい。もう猶予はならん。出陣する」
義時はいいます。
「すぐには難しゅうございます」
「兵糧(ひようろう)は十分だと申しておったではないか」
「御家人たちです。あの者たちは、源氏どうしの争いに加わるのを嫌がります」
まずは先陣を向かわせ、本軍は後からゆっくりと向かうことにします。先陣の大将は義経です。
その命を受け、義経は感激します。ひと月のうちに平家を滅ぼすといきり立つ義経に、その前に木曽義仲を討つように頼朝は命じます。
義時は義高と話します。
「お父上は、我らとのいくさを、決して望んでおられませんでした」
「そう申されていました」
「そのことを文(ふみ)にしたため、鎌倉殿に送るよう、お伝えくださらないでしょうか」
「父は、義に、もとることは、決して許しませぬ。鎌倉殿に義がなければ、必ず受けて立たれます。このいくさに、義はございますか」
義時は答えられませんでした。
三浦の館に、坂東武者たちが集まっています。千葉常胤(岡本信人)が発言します。
「此度(こたび)の件で、よう分かった。わしらはもう、鎌倉殿に付いていくつもりはない」
岡崎義実(たかお鷹)が、三浦義澄(佐藤B作)にいいます。
「次郎。わしらの仲間に加わってくれ」
「その後は」
義澄が聞きます。千葉が答えます。
「わしらの手で、坂東を治める」
旗頭を義仲の子の義高にしようというのです。義澄の息子の義村(山本耕史)は鼻で笑います。
「それでは鎌倉殿と、同じことになりませんか」
義澄は断ろうとします。千葉たちの手勢が流れ込んできて刀を抜くのです。土肥実平(阿南健治)がそれを止め、義澄に仲間になってくれるように頭を下げます。義澄は仲間になるに当たっての条件を出します。北条を助けるとの約束を千葉に取り付けるのです。
義経の先発隊が、鎌倉を発とうとします。義経は義高に箱を与えるのです。箱の中には、セミの抜け殻が入っていました。義経一行を義高は義時と共に見送ります。
「残念です。九郎殿(義経)が不憫(ふびん)でなりません。父にいくさでかなうわけがありません。もはや再びお会いすることもないでしょう」
と、いって義高は、義経にもらったセミの抜け殻を握りつぶすのです。
義時は上総広常(佐藤浩市)を訪ねていました。
「御家人たちに、不穏な動きがあります」義時は上総の隣に座ります。「お願いがございます」
「だからいったろう。俺を味方にしたけりゃ……」
「そうではなく。もし、あの方潟から誘われたら、乗ってやって欲しいのです」
「どういう了見だ」
「鎌倉殿のことは気になさらず、御家人たちの味方に」
『映画に溺れて』第486回 わが教え子、ヒトラー
第486回 わが教え子、ヒトラー
総統アドルフ・ヒトラーに演説の指導者がいたという事実を膨らませて、コメディ風に仕立てたのが『わが教え子、ヒトラー』である。
大戦末期、一九四四年の年末、ベルリンは瓦礫の山と化し、ヒトラーは弱気になっていた。
ゲッベルス宣伝相は国民の士気を高めるため、新年のパレードと式典での総統の大演説会を企画し、ヒトラーの演説指導者として、ひとりの俳優を選ぶ。
収容所の作業場からベルリンへ移送されたのは、ドイツを代表する高名な俳優であり、演劇学の権威であるアドルフ・グリュンバウム教授。ユダヤ人である。
教授は五日後の記念式典でヒトラーが堂々と演説できるように演技指導を要請される。断れば収容所での死。ガス室に送られる寸前の家族を解放するという条件で、教授はこの難役を引き受ける。
家族と再会し、年末を官邸の一室で過ごしながら、彼はヒトラーに自信を取り戻させるための演技指導を行う。
弱気のヒトラーはこのユダヤ人が気に入り、内面まで打ち明ける。意味もなく父親に殴られ、侮辱され続けた少年時代。そして全ドイツを支配した今の孤独。女性を前にしての不能。
ヨーロッパを戦禍に巻き込み、ユダヤ民族の大虐殺を決行したこの独裁者に対して、教授はいったいどうやって立ち向うのか。
ユダヤ人と個人的に打ち解けた総統を目の前にして驚くゲッベルスは民族浄化政策とのつじつまをどうやって合わせようとするのか。
弱気のヒトラーに暗殺計画を絡ませた辛口コメディである。
わが教え子、ヒトラー/Mein Führer – Die wirklich wahrste Wahrheit über Adolf Hitler
2007 ドイツ/公開2008
監督:ダニー・レヴィ
出演:ウルリッヒ・ミューエ、ヘルゲ・シュナイダー、ジルベスター・グロート、アドリアーナ・アルタラス、シュテファン・クルト、ウルリッヒ・ノエテン
大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第13回 幼なじみの絆
政子(小池栄子)の父である北条時政(坂東彌十郎)が伊豆へ帰ることになります。義時(小栗旬)や政子たちの前で、時政はいいます。
「やんなっちまったんだよ。何もかもが。悔やんではおらん」
頼朝のもとへ源行家(杉本哲太)がやって来ます。行家は所領をくれ、といいだします。平家とたびたび戦ってきたのがその理由です。頼朝はいいます。
「金輪際、この鎌倉に足を踏み入れないでいただきたい」
行家は食い下がります。
「良いのか。木曽の所に行っても。わしが義仲と組んだらどうなるか」
頼朝はきっぱりといい切ります。
「痛くも痒(かゆ)くもなし」
「行家殿はああ見えて、公家とのつながりも深い。木曽殿と組めば、思わぬ力となります」
頼朝は聞きます。
「木曽は今どうしておる」
「信濃に留まったままです」
と、義時が答えます。
「なぜ動かん」
今度は大江が答えます。
「木曽殿は北陸からの食糧を押さえております。都の平家を干上がらせるおつもりでは」
「かなりの強者(つわもの)のようでございますなあ」
頼朝がいいます。
「このままでは、木曽に手柄を奪われてします。兵糧(ひょうろう)は」
と、頼朝は義時にたずねます。
「京へ攻め上るまでの蓄えはこざいますが、その先、都で持ちこたえるのは、難しいかと」
大江がいいます。
「奥州の動きも気になります」
頼朝が義時の方を向きます。
「秀衡(ひでひら)が会津まで南下してきたという噂はどうなった」
「真偽(しんぎ)はつかめておりません」
大江がいいます。
「秀衡殿のことがある以上、たやすく鎌倉を離れるわけにはいきません」
頼朝は秀衡を呪い殺すために、弟の阿野全成(新納慎也)に、祈祷をさせていました。大江が、清盛を呪い殺したとされる男が京にいると述べます。
「すぐに呼び寄せろ」
と、頼朝は命じます。
信濃国に木曽義仲(青木崇高)がいます。頼朝にとっては従兄弟に当たります。この時、義仲は源氏の一門の中で、頼朝に勝るとも劣らない勢力を持っていました。信濃にやって来た行家がいいます。
「今すぐ京に攻め上るのだ」
義仲は落ち着いた声を出します。
「叔父上。なにゆえ急がれる」
「あの糞生意気な頼朝に、先を越されたくないのじゃ」
「平家は潰す。俺がこの手で。しかし今ではない」
行家は身を乗り出すようにします。
「義仲、そなたこそが源氏の嫡流(ちゃくりゅう)。わしと共に京へ上り、平家を倒し、源氏の世をつくろうぞ」
義仲は返事をしませんでした。
伊豆の北条館に三浦義澄(佐藤B作)と、その息子の義村(山本耕史)がやって来ます。
「わしは帰らん」
と、時政は義澄にいいます。
「そういうな。御家人の間じゃあ、鎌倉殿に物申したお前の人気がうなぎ登りだ」
と、義澄にいわれ、時政は悪い気がしません。
「そうなのか」
「逆に鎌倉殿は、亀の一件で、すっかり味噌をつけちまった。上洛どころではない」
江間の館にいる八重(新垣結衣)に、義時が魚や海老を手に持ち、会いに来ていました。
「ちょっと寄っただけですから。これ、置いときます。焼いて食べたらうまいです。お口に合わなかったら、誰かにあげてください。では」
義時は立ち去ります。
甲斐から、武田信義(八嶋智人)が鎌倉にやって来ていました。頼朝にいいます。
「木曽義仲の事じゃ。近頃ようその名を聞く。どういうわけか、源行家を預かっておるそうだ。その行家の入れ知恵で、義仲は平家に近づこうとしているという噂だ。いずれ、平家と組んで、この鎌倉に攻め入るとか来ないとか。面倒になる前に、義仲を何とかなされよ。わしは東海道に巣くう平家の残党が暴れて動きが取れん。頼みましたぞ」
信義が帰った後、頼朝はつぶやきます。
「どこまで信じて良いものか」
義時がいいます。
「あの方の言葉に、まことはありませぬ。武田殿は、一門の姫を木曽殿の嫡男に嫁がせようとして断られたとか。恐らくその腹いせかと」
比企能員が発言します。
「木曽殿は同じ源氏。よもや攻めてくるとは思えません」
大江広元がいいます。
「ここは木曽殿に、じかに真偽を確かめましょう」
「どうやって」
と、頼朝が大江に聞きます。
「軍勢を信濃に送るのです。平家との噂が偽りなら、その証(あかし)に、人質を出せと迫ります。断れば噂はまこと。そのまま攻め込んで、木曽殿の首をとる」
そこへ、京から呼び寄せていた祈祷師が到着したとの知らせが入ります。会ってみると、以前、頼朝がインチキだと追い払った、文覚(もんがく)(市川猿之助)でした。文覚は張り切って祈祷に励みます。
義時は三浦義村に、
「まあ、あいつらの話も聞いてやってくれ」
と、呼び出されます。義時は坂東武者たちに囲まれ、その不満を聞くことになります。和田義盛(横田栄司)が叫びます。
「解(げ)せねえんだよ」
和田を押しのけて、野村義澄が発言します。
「平家討伐は良い。この坂東に攻めてくるなら受けて立とう。でもな、今度のは違う。源氏どうしのいさかいだ」
和田が義澄を押しのけます。
「なんで俺たちが付き合わなきゃならねえんだ」
岡崎義実(たかお鷹)がいいます。
「わしらは鎌倉殿のためなら、何でもするって訳じゃねえんだ」
義時が皆に話します。
「このたびの一件、軍勢を率いていくのは、あくまで形だけです」
「軍勢を率いていけば、向こうは攻めてきたと思います。いくさにならないと約束できますか」畠山は義時に近づきます。「小四郎、このままでは皆の心は、鎌倉殿から離れていきます」
和田が義時に迫ります。
「もう、うんざりなんだよ」
千葉常胤(岡本信人)がいいます。
「そばめにうつつを抜かし、舅(しゅうと)にも愛想を尽かされるようでは、坂東武者のあるじとはいえん」
自分たちの思いを、頼朝に伝えてくれと義澄が訴えます。
義時はこのことを頼朝に報告します。
「勝手なことばかり抜かしよって」
と、頼朝は嘆息します。話題は木曽の件に移ります。大江が発言します。
「ここは使者を送り、木曽殿の本意を問うだけにいたしましょう。いくさをするかどうかは、その先の話」
頼朝がいいます。
「仕方ないな」
義時が問います。
「使者にはどなたが」
頼朝が答えます。
「身内に行かせよう。蒲冠者(かばのかじゃ)(源範頼)(迫田孝也)がよい」
夜、謹慎中の義経が、連れて行けとせがんできます。根負けした義時は、出発の日時を伝えてしまいます。
江間の八重のもとを義時はまた訪れていました。今回は山菜を携えています。立ち去ろうとする義時に、八重がいいます。
「小四郎殿、私、つらいです」八重は抗議します。「勝手すぎます。あなたはそれで良いのかも知れないけど」
義時は八重を見つめます。
「鎌倉殿の命で、信濃に行きます。なるべく早く戻ります」
「小四郎殿」
「私は好きなんです。八重さんの、笑っている姿が」
「笑えないです」
「いつか、八重さんに笑いながら、お帰りなさい、といって欲しい」
「笑いながらいう人なんていません」
「だから、また来ます」
義時は八重のもとを後にします。
義経は兄の範頼に、信濃行きに加えてもらえることになったと報告します。その場に、比企能員が、娘たちを連れてやってくるのです。比企は娘たちを通して、源氏に近づこうとしていました。
「鎌倉殿のお許しもなく、このようなことは困ります」
と、範頼は席を立ってしまいます。義経も立ち去ろうとしますが、娘の一人から目を離すことができませんでした。
翌朝、信濃行きの一行は、義経が来ないため、置いて出発することにします。
義経は比企の娘と朝まで過ごしていたのでした。約束の時間が過ぎたことに気付き、義経は悔やみます。
範頼や義時は、信濃の木曽義仲(青木崇高)の陣にやって来ていました。そこへ源行家が顔を出すのです。
「義仲はどこぞの誰かと違って、わしのの事を大事にしてくれる。逃がした魚は大きいぞ」
笑い声をたて、行家は去って行きます。木曽義仲が戻ってきます。客人に振る舞うために、川魚を釣りに行っていたのでした。宴の席で、義仲はいいます。
「源氏が一つになり、平家を滅ぼす。これが俺の望みだ」
義時は疑いをぶつけます。
「平家と通じているという噂が流れています」
「俺が北陸に兵を進めたのは、東海道へ向かえば、頼朝殿や、甲斐武田とぶつかる。それを避けるためだ。答えになっているか」
腹を痛めて厠に立った範頼にかわり、義時が切り出します。
「鎌倉殿は、平家と通じてはおらぬ証(あかし)に、人質を差し出すようにと申しております。行家殿ではどうでしょう」
「叔父上は渡せん。どんな男かは関わりない。俺は自分を頼ってきた者を、追い出すようなまねはできぬ、ということだ。息子でいい」
「御嫡男を」と、義時は驚きます。「引き換えに何を」
「何も要らん。これが俺のまことだ」
その頃、頼朝は、亀のいる小屋を訪ねていました。
「久しぶりである」
しかし小屋の隅には、政子が腰を下ろしていたのです。頼朝は黙って引き上げます。
頼朝が行った後、亀は政子にいいます。
「家まで焼き払って、まだ足りない」
「足りません」
亀は政子の正面に座ります。
「では私、手を引きます」
「そうして下さい」
亀は歌を朗じ始めるのです。
「伊豆の小さな豪族の家で育った行き遅れがさあ、急に御台所(みだいどころ)、御台所って。勘違いしてもしょうがないけど。大事なのはこれから。自分が本当に鎌倉殿の妻としてふさわしいのか、よく考えなさい。足りないものがあったら、それを補(おぎな)う。あたしだって文筆を学んだのよ。あなた、御台所と呼ばれて恥ずかしくない女になんなさい。憧れの的なんだから。坂東中の女の。そんな風に考えたことあった」
「考えたことありませんでした」
「では、よろしくお頼み申します」
亀は深く頭を下げるのでした。
頼朝は今度は八重を訪ねます。しかし迫ろうとして、噛みつかれるのです。実はその光景を、義時は隠れて見ていました。頼朝が去ると、信濃土産を持って、八重に近づきます。
「なぜです」
と、八重はいいだします。頼朝と何があったのかとなぜ問い詰めないのか。義時はキノコをすすめた後、いいます。
「どちらでも良いのです。ここに鎌倉殿を招き入れたとしても、私はかまいません」義時は改めて座ります。「私と八重さんは、幼なじみ。私の想いは、あの頃からずーっと変りません。私はそれを大事にしたい。八重さんに振り向いてもらいたい。そんな大それた事はもう、考えません。振り向かなくてもかまわない。背を向けたいのなら、それでもいい。私はその背中に尽くす。八重さんの後ろ姿が幸せそうなら、私は満足です。しばらくここには戻りません。八重さんはどうか、ここにいてください。あなたはやっぱり、伊豆の景色がよく似合う。伊東の館にアジサイを届けたあの日から、ずっとそう思っておりました。帰ります」
義時は立ち上がろうとします。そんな義時に八重は声を掛けます。
「待って。小四郎殿」八重は義時に対して三つ指をつきます。「お役目、ご苦労様でございました」そして微笑むのです。「お帰りなさいませ」
義時はどぎまぎした表情で、八重の前に座ります。目に涙を浮かべ、いいます。
「ただいま帰りました」
『映画に溺れて』第485回 ヒトラーの贋札
第485回 ヒトラーの贋札
第二次大戦中のナチス・ドイツの犯罪は様々な映画で描かれており、とりわけユダヤ人に対する大虐殺はドキュメンタリー『夜と霧』をはじめ、スピルバーグの『シンドラーのリスト』やポランスキーの『戦場のピアニスト』など多くの名作を生み、悲劇を後世に伝えている。
戦争末期、ドイツが連合国側に経済的打撃を与えるため、大量のポンド紙幣、ドル紙幣を偽造していたという事実。『ヒトラーの贋札』は実話がもとになっている。
贋札作りで逮捕されたサリーは、ユダヤ人であったので強制収容所へ送られる。そこで絵の才能を発揮して、看守の似顔絵を描いたり、看板を描いたりして生き延びていたが、ある日、別の収容所へ移される。
集められたのは画家、写真家、印刷技師、銀行家、その道のプロであるユダヤ人たち。
彼等が命じられたのは本物そっくりのポンド紙幣を作ること。そこは収容所内の贋札工場だった。
サリーは贋札作りの腕を買われ、最終チェックの責任者となる。衣服が与えられ、充分な食事と柔らかいベッドのある宿舎。
やがてポンド紙幣は成功し、ドイツスパイの手でイギリス国内に持ち込まれる。次はドル作り。本物そっくりの大量のドルをドイツ軍が握れば、戦況はドイツに有利となる。
ドルを作らなければ処刑。作ればドイツが勝利し、世界は大ドイツ帝国の支配下に。贋札工場のユダヤ人技術者たちのジレンマ。
この映画は当時印刷工であったアドルフ・ブルガーの著書をもとにしており、ブルガーは映画公開時に九十歳で存命、二〇一六年に九十九歳で亡くなった。
ブルガーを演じたアウグスト・ディールは『イングロリアス・バスターズ』のナチ将校、『復讐者たち』の収容所から生還者など、他のナチス映画にも出演。
ヒトラーの贋札/Die Fälscher
2006 ドイツ・オーストリア/公開2008
監督:ステファン・ルツォヴィッキー
出演:カール・マルコヴィクス、アウグスト・ディール、デーヴィト・シュトリーゾフ
『映画に溺れて』第484回 ソハの地下水道
第484回 ソハの地下水道
平成二十四年八月(2012)
京橋 テアトル試写室
第二次大戦中、ナチスドイツ占領下のポーランド。ユダヤ人たちはゲットーと呼ばれる居住区に閉じ込められ、外へは出られない。いずれ収容所へ送られ虐殺される運命なのだ。一部のユダヤ人たちがゲットーの地下に穴を掘り、下水道に逃れる計画を立てる。
下水の検査係をしているソハは相棒とふたりコソ泥を副業に、盗品を勝手知ったる地下に隠している。ゲットーから下水道へ逃げ出したユダヤ人と小悪党のソハが出会う。ソハは、彼らを見逃す代わりに、金を要求する。地下を知りぬいたソハが安全な場所へ案内し、食糧調達も引き受ける。通報はいつでもできる。今はユダヤ人から搾れるだけ金を取ってやろうという魂胆で。
結婚をひかえた若い相棒は危険なまねに加担できないと去っていく。
急に羽振りのよくなったソハ。夫が昇進して給料が増えたとだまされていた妻はソハがユダヤ人か金をもらって助けていたとわかり、顔色を変え夫を非難する。ユダヤ人を匿ったりしたら家族もろとも極刑は免れない。それでも、やがて妻は言う。
ユダヤ人の迫害は間違ってる。キリストもユダヤ人だったんですもの。
地下のユダヤ人たちの間でも確執があったり、仲間を裏切る者が出たり、金持ち一家もだんだんと手持ちの資金が乏しくなったり。ソハは、何度も手を引こうとするが、彼らを助けるうちに、いつしか、利害を捨てて親身になっていく。そして、最後には命がけで下水道のユダヤ人たちを守ろうとする。
粗野で下品なコソ泥。この男の中に人間愛が芽生えたとき、彼はだれよりも気高く、立派な人物に見える。
実話に基づいたストーリーで、実在のソハは戦後、ソ連兵の運転する暴走自動車から子供を助けようとし、轢かれて亡くなったとのことである。
ソハの地下水道/W ciemności
2011 ドイツ・ポーランド/公開2012
監督:アグニェシュカ・ホランド
出演:ロベルト・ヴィエンツキェヴィチ、ベンノ・フユルマン、アグニェシュカ・グロホフスカ、マリア・シュラーダー、ヘルパート・クナウプ、キンガ・プライス
大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第12回 亀の前事件
義時(小栗旬)は八重(新垣結衣)に、八重の父である伊東祐親と兄である伊東祐清が死んだことを伝えます。そして義時が新しい領主となった、もとの伊東の領地、江間に来てくれるように八重に頼みます。八重は承諾するのでした。
義時の妹である実衣(宮澤エマ)は、頼朝(大泉洋)の弟の阿野全成(新納慎也)と結婚することになります。
頼朝の乳母(めのと)である比企尼(草笛光子)が、比企能員(佐藤二朗)に連れられて、頼朝のもとにやって来ました。
頼朝は御家人たちに、都からやってきた大江広元などを紹介します。頼朝は政子との間に生まれてくる子の乳母に比企能員を指名します。安産を祈願するために、鶴岡八幡宮に馬を奉納することになります。その馬引きの役に、義経(菅田将暉)と、畠山重忠(中川大志)が選ばれるのです。義経は気に入りません。
「そんなことをするために、私はここにいるのではありません」
その義経の言葉を聞いて、頼朝も怒ってしまいます。
政子と義時のいる場所で、義経はこぼします。
「平家と戦えぬ私は、ただの役立たず」
政子が頼朝についていいます。
「あの方は、お身内を失い、一人で生きてこられたの。血を分けた兄弟ほど、心強い味方はおりませんよ」政子は義経に近づきます。「必ず、鎌倉殿のお役にたつ時が来ます。九郎殿、どうか」
義経がいいます。
「御台所(みだいどころ)(政子)は、おのこ、か、おなご、どちらがいいのです」
政子が答えます。
「丈夫ならどちらでもいいわ」
義経は政子の腹を触ります。
「いい子が、生まれますように」
出産が近づいた政子は、鎌倉にある比企の館へ移ることになります。
寿永元年(1182)八月十二日。政子は男子を出産します。万寿と名づけられたその子が、後の二代将軍、源頼家でした。
義時はある館に案内されます。そこは頼朝が亀(江口のりこ)と会うための隠れ家でした。頼朝がうそぶきます。
「お前もいずれ分かる。妻というものは、子ができたら、夫のことなどそっちのけ。政子は、比企の所に行ったままじゃ。さびしいぞ」
江間の館に行くと、義時は八重から、鎌倉の御所に戻りたいといわれます。頼朝の側にいたいというのです。義時はいいます。
「うすうす気づいているとは思いますが」義時は八重に近づきます。「あなたの父上のお命を奪うよう命じたのは、鎌倉殿です。じかに聞いたわけではありませんが、間違いない。あの方は、恐ろしい人です」
八重が口を開きます。
「それを私に伝えてどうしたいのですか。私が何といったら、あなたは喜ぶのですか。頼朝は許さぬ。そんなこというと、あなたは思ったのですか。分かっていました、それくらいのこと。あのお方は、千鶴のかたきを取って下さったのです。ありがたいことではないですか。違いますか。答えなさい、小四郎」
義時は下がり、頭を下げます。
「余計なことを申しました」
万寿の息が一時止まったと、実衣が全成に伝えます。全成はいいます。
「親の不徳が、子に禍(わざわい)をもたらす、といってね。決して誰にもいってはいけないよ。兄上には、御台所とは別に、想い人がおられる」
そのことを時政の妻である、りく(宮沢りえ)が耳にしてしまうのです。りく、は政子にいいます。
「あなたも気が気ではありませんね。あれやこれやと」
あくまで噂だと断りつつ、りく、は頼朝と亀のことを政子に伝えてしまうのです。
政子は義時を呼び出して怒ります。
「許せない。みんな知っていたんですね。ひどすぎます」
りく、がいいます。
「都では、高貴なお方が、そばめを持つことは良くあることです」
「ここは都ではありません」
「あなたからお心が離れた訳ではないのですから」
「坂東のおなごをみくびらないで下さい」
政子は義時に、相手は誰なのかと問い詰めます。義時はいってしまうのです。
義時が去ると、りく、は政子に知恵を授けます。
「こうしましょう。鎌倉殿が都をまねて、そばめをつくったのなら、こちらは後妻(うわなり)打ちで仕返しするのです。都にはそういう習わしがあるんです。前妻はね、後妻の家を打ち壊してもかまわないの」
「打ち壊すの」
と、政子は聞きます。
「形だけね。ここは鎌倉殿に、肝を冷やしていただきましょう」
「面白くなってきました。そんなことをしたら、鎌倉殿が黙っているわけがありません」
「こじれるで」
と、牧は楽しそうにいいます。
「いい薬です。御台所にとっても、鎌倉殿にとっても」
義時は三浦好村(山本耕史)と共に、亀を館から連れ出します。
同時に義時は、義経に館の見張りに立ってくれるように頼みます。
夜、牧が亀の館を壊しに来ます。ちょっと壊すだけのつもりだった牧でしたが、館を守るはずだった義経が弁慶などに命じて派手にやり始めます。
頼朝は亀の館の焼け跡を見て、呆然となります。義時が頼朝に、亀の無事を伝えます。梶原景時(中村獅童)が、一部始終を見ていた者がいるといいます。頼朝は想わず声をあげます。
「恐ろしすぎる。ここまでするか」
頼朝は調べを行います。りくの兄の牧が怪しいと思い当たります。梶原がいうのです。見ていた者によると、火をつけたのは義経であったと。
詮議の席に、牧と義経が呼び出されます。二人はやったことを認めます。頼朝は義経にいいます。
「九郎。政子のためにやったのであろうな。これを許せばほかの御家人に示しが付かん。謹慎を命じる」
牧は罰として、髻(もとどり)を切られます。
りくは怒って、頼朝に抗議をしに行きます。
「あまりといえばあまりでございます。すべては鎌倉殿の、おなご癖の悪さが引き起こしたことではありませぬか。八つ当たりされた兄が不憫でなりません」
頼朝がいいます。
「源氏の棟梁が、そばめの一人や二人、持ったところで文句をいわれる筋合いはない。都育ちのお前なら分かるであろうが」
「なんと、よう申されますね。夫に、そばめがいて、それを心より許せるおなごなど、都にだっておりませぬ。そばめが当たり前と、開き直られてはたまりません」
「下がれ」
「下がりません。夫がそんな物いいとは、懸命に御台たろうと励んでいる政子が哀れでなりませぬ」
そこへ政子がやってくるのです。りくにいいます。
「母上、今のお言葉、かたじけのうございます」政子は頼朝に対して座ります。「肝心なのは夫の裏切り」
りくもいいます。
「とがめるべきは、夫のふしだら」
政子が言葉を重ねます。
「我が子を放って、そばめと会っていたなんて、許せることではございませぬ」
りくが頼朝に迫ります。
「今すぐ御台に頭をお下げ下さい」
政子もいいます。
「さあ」
頼朝はやっと声を出します。
「黙れ。わしに指図するとはもってのほか。源頼朝を愚弄すると、たとえお前たちでも容赦はせぬぞ。身の程をわきまえよ。下がれ」
その時まで黙っていた北条時政(坂東彌十郎)が立ち上がるのです。
「源頼朝が何だってんだ。わしの大事な身内に、よくもそんな口を叩いてくれたな。たとえ鎌倉殿でも許せねえ」
時政はつぶやくようにいいます。
「いっちまった」時政は笑い声を上げます。「どうやら、ここまでのようだ。小四郎(義時)、わしゃ降りた。伊豆へ帰る。やっぱり鎌倉の暮らしは窮屈で性に合わん。伊豆へ帰って米を作っておる方がいい。小四郎、後は任せた」
義時は上総広常(佐藤浩市)の館を訪ねていました。思わずこぼします。
「何もかもが嫌になりました。私も父上のように、すべてを放り出して、伊豆に帰りたい」
そこに亀が顔を出します。
「まだお休みにならないの。お忙しいこと」
義時は、亀を上総に預かってもらっていたのです。
「いつまで預かってりゃいいんだよ」上総は迷惑顔です。「俺に色目使ってきやがった。ああいう女は好かねえ」