日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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書評『新中国論 台湾・香港と習近平体制』

評書 名   『新中国論  台湾・香港と習近平体制』
著 者   野嶋 剛
発行所   平凡社
発行年月日 2022年5月13日
定 価    ¥960E

 今年、「高度な自治」を約束させた香港の「一国二制度」が50年間の折り返し点を迎えた。当初から「主権」と「治権」の境界の曖昧さ、矛盾が指摘され、その実行が危ぶまれたが、やがて中国は香港の返還を決めた1984年の中英共同声明を「歴史上の文書であり、現実的な意義はない」とあからさまに否定。ついに「一国二制度」は露と消えた。中国にとって「歴史」は体制の道具に過ぎない。中国は国際的な孤立を何とも思わぬ異形の国家と成り果てた。
 日米安保体制を容認し、対日賠償請求を放棄した周恩来尖閣諸島には触れないとしたが、台湾だけは譲らなかった。台湾併合はアジアの盟主をめざす中国にとって「天下総仕上げ」の一大イベントなのである。台湾有事は日本有事であり、日中間で戦争状態になった場合、あらゆる局面で日本の不利であるが、「台湾問題」でも、最悪のシナリオを想定しておかねばならない。
 中国の脅威をどの国、どの地域よりも感じてきた台湾、香港。台湾と香港で起きている事態は日本人にとって決して他人事ではない。
 本書はその台湾・香港を通じて、「中国という国家の本質」を深く知るべく、気鋭のジャーナリスト・野嶋(のじま) 剛(つよし)によってものされた。

 著者の提言はきわめて明快である。当然ながら、異論も反論もあるだろうが、この夏この時、是非、多くの人々に読んで欲しい“この一冊の本”である。
 著者の野嶋 剛は68年、福岡市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。1992年朝日新聞社入社、2016年4月新聞社を退社後は台湾、香港、中国問題などのルポや評論を精力的に発表している。

 著者の問題意識がはっきりしていて分かり易く読みやすい。
 中国はなぜ台湾と香港に対して、一切の妥協を拒むばかりの強硬な行動をとるのか、香港が中国化され、米国が台湾関与を強めている新冷戦の転換期の今こそ、台湾や香港に関する「中国の思考方法」の分析こそ重要であると説き、分析のための最初の一歩は、「大きな中国」と「小さな日本」という関係性に自らを落とし込むことだとする著者の思考・視点は独創的である。
 中国が人民公社の解体に始まる「改革開放政策」を開始してから、すでに40年余りが過ぎた。目覚ましい躍進を続ける一方で、軍事力増強をはかり、主権も領土も一歩たりとも譲らない「大きな中国」に対して、「小さな日本」は隣人であるが故に、拒否反応と脅威を感じるとともに、大方の日本人がこんなはずではなかったと後悔しているのも現実ではあるまいか。
 米国はイデオロギーや価値観の違いを認めつつ、中国との「共存」を摸索し、中国の実態を知らずに中国への接近を始めた。キッシンジャーニクソンが中国を見誤ったと同様に、アメリカにはない中国文明への憧憬、幻想がある日本も同様に中国を見誤った。
 80年代の中国では「日本の今日は中国の明日、日本を中国近代化のモデル」にしようという「向日本学習(日本に学べ)」の考えが支配的だったが、90年代の江沢民の時代になって「歴史問題」が急速に深刻化した。中国は、近代百年の中で日本から受けた屈辱の恨みを晴らし、アジアの覇者となることのみが国内の不満を抑え、共産党政権の正当性を保持する唯一の道だと思い定めた。そうした独善的な歴史観を振りかざして、日本に謝罪を要求してきた。
 いったい戦後77年間の「日中友好」とは何であったか。日本の外交はひたすら謝罪を繰り返すばかりか、国民の血税をただ金として中国にばら撒いた。中国は日本の政府開発援助(ODA)最大の受益者であったのである。
 ふりかえってみるに、2001年の中国のWTO世界貿易機関)加盟が情報公開、法制度の整備につながり、「人治」から「法治」へと政治システムの転換を促す可能性があると期待されたが、残念ながら、中国はそうした民主化の道を選ばなかった。それどころか、中国は2010年を境に、「東アジア共同体」構想を放棄し、「中華文明の復興」「大中華圏」構想を掲げて大国主義へと突き進みはじめた。背景にはアジアの盟主となることのみが国内の不満を抑え、共産党政権の正当性を保持する唯一の道だと思い定めた中国共産党の政策により偏狭なナショナリズムが台頭して「大国意識」が生まれたことである。
 中国は江沢民胡錦濤国家主席が二代続けて、「歴史問題」に軸足を置いた激しい反日政策をとったが、胡錦濤まで「鄧小平の時代」は続いたとする著者が、「習近平の時代」がはじまった2012年以降、香港情勢は悪化の一途をたどったとし、2020年末に、香港人の頭越し、北京の主導で導入された「香港国家安全維持法(国安法)」の制定をひときわ重要視するのは当然である。著者は歯に衣着せず述べる。「その前の江沢民胡錦濤体制で、香港情勢が良かったとは言い切れないが、少なくとも、それなりにうまく回っていたのではないだろうか。香港市民がはっきりと対立面に動いたのは、《香港の現実をちゃんと見つめる能力のない》習近平体制になってからのことである」と。

 台湾政策について著者は2016年が分水嶺で、「平和的統一」から「武力行使」をちらつかせる「習近平スタイル」に切り替えたとする。朝日新聞社シンガポール支局長や台北支局長などを歴任し、つぶさに中国を見つめた著者ならではの卓見である。思えば、2016年は台湾では蔡英文が総統に就任し、香港では立法会選挙で民主派や本土派が大きく議席を伸ばした年であった。
 総体としての台湾・香港について、「国安法以降、台湾と香港は完全に分断され、別世界となった」と著者は観るが、では、別世界となった台湾・香港の今後をいかに展望するかには、「台湾化」と「香港化」という概念で整理する。台湾化とは、中国と本質的には合流せず、一線を画して生き続けること。香港化とは、中国に飲み込まれ、その影響下に置かれ。日々北京の意向に服従するしかない状況に置かれることであると。

 では、日本の未来はどうなるか。結局のところ、「大きな中国」の現在のありようが続く限り、「小さな日本」の我々には、香港のように飲みこまれる「香港化」と、リスクを承知で自立の道を歩んでいく「台湾化」の二つしか、究極的には選べない、という現実が突きつけられている、と著者は観る。まさしく、著者の指摘通り、「価値観を共有する」米国などとの同盟・連携を強化し「対中包囲網」に加わらざるを得ないところへ日本人はすでに追い込まれていることを自認すべきであろう。
 本書より教えられたことは傍観者で終わってはならないとの著者の誡めである。私は著者の言う「かつて中国を支持した人々、中国を好きだった人々」のひとりであった。「中国は強大になっても、絶対に覇権を求めない」とかつての「人民中国」は非同盟を掲げて第三世界の連帯を謳いあげ、「人民中国」に理想を求める人の共感を得たものだが、そうした人々の多くが「人民中国」の四文字になんらの希望も光明も見出せなくなった、有体に言えば「中国嫌い」になったきっかけの一つは1989年の天安門事件に対する北京政府の決着のつけ方を見てのことであろう。

「中国はこの3年間に起きたことを改めて振り返ってほしい。世界がどれほど中国に失望し、中国から離反し、中国と距離を置こうとしているか」の今後の展望の図示、提言からも、著者の切実な問題意識、著者の立つ位置の確かさが読みとれるが、私は、なにより著者の冷静かつ柔軟な思考に恐れ入り、好き嫌いではなく、一個の日本人としてまさに中国に正面から向き合わねばならないことを知らされた。
 民間人としてできることは限られているが、中国はどのような世界をつくりたいと思い、そこでどのような役割を果たそうとしているのか、日中両国民はこれらのことを語りあう、互いに異文化であることを認識したうえで価値観の相対化をはかる、それしか日中の衝突を避ける道はないのではないかと思う。

         (令和4年7月8日  雨宮由希夫 記)

 

【略年譜】

1984年 中英共同声明
1988年 李登輝 総統に就任(~2000年)し、民主化を推進
1989年6月4日 天安門事件
1992年10月 日中国交正常化20周年を記念した天皇の初の訪中
1/18~2/21「社会主義市場経済」を提唱した鄧小平の「南巡講話」
2月 領海法(中華人民共和国領海及び接続水域法)を制定、
尖閣諸島を中国の領土とする」と一方的に宣言
1995年 この年を境に江沢民を中核とする集団指導体制になる
1996年  台湾海峡危機
     李登輝 総統直接選挙を台湾において初めて実施
日米安保再定義
11月 宋強他『ノーと言える中国』
1997年2/19 鄧小平 没(1904~)
7月 香港返還。「一国二制度」が始まる
1998年 江沢民 国家元首としてはじめて日本を訪問
1999年 李登輝 「二国論」を公表
2000年  陳水扁、総統に当選(台湾、民主化を経て初の政権交代を成し遂げる)
4月 石原都知事 「シュピューゲル」のインタビュー
2001年 1月9日 戴國煇 没
李登輝元総統の訪日に中国の反発抗議
年末 中國のWTO加盟 決まる
2002年11月 胡錦涛 総書記に選出される
2003年春  胡錦涛政権発足
9月 西安にて日本人留学生寸劇事件
2005年3月 台湾に向けての「反国家分裂法」を中国が制定
      4月 中国各地で猛烈な反日暴動・デモ
       中国は在外公館への破壊行為への謝罪要求を拒否
      8月18日 中ソ 一万人の大規模軍事演習
      10月17日 小泉首相 靖国神社の秋の例大祭に参拝
2006年 このころ 日中関係は国交回復以来、最悪で「氷河期」にあると言われた。
      8月15日 小泉首相 靖国神社参拝
      9月26日 安倍普三 日本国首相に就任、翌月 訪中
2007年1月9日 防衛庁 省に昇格
  春 温家宝首相 来日
      9月26日 福田康夫内閣成立
2008年8月  北京オリンピック開催
この年 歴史上初めてアジアで日中の「二強時代」を迎える
      3月 台湾総統選挙 国民党系候補の馬英九 勝利、総統に就任
      12月 劉暁波 「08憲章」起草、発表
2010年  上海万博
3月 尖閣諸島が含まれる南シナ海を「核心的利益」に加える
劉暁波 ノーベル平和賞を受賞
2011年 中華民国百年、辛亥革命より百年の年
2012年  日中国交正常化40周年の記念の年
新年を台北で過ごした。
9月 日本政府「尖閣国有化」の宣言
「和諧(調和のある)社会」実現を掲げた胡錦涛温家宝体制おわる
11月 習近平が総書記に就任(習近平体制のはじまり)
2014年3月18日~23日 台湾でヒマワリ運動(中台サービス貿易に反対する学生たちが立法院を占拠)
     秋 香港で民主化要求の雨傘運動
     11月 オバマ米大統領 訪中
2016年5月 台湾 民進党蔡英文 初の女性総統の誕生
香港の書店関係者が中国に連行される
春 日本の書店の店頭には、中国経済の崩壊を告げる本が平積み

2019年1月 習近平が台湾政策「習五点」を発表
      米中新冷戦が本格化
2020年6月30日 全人代で香港国家安全維持法案(国安法)可決(香港人の頭越し、北京の主導で導入される)
2021年6月 リンゴ日報 廃刊
     10月 香港「電影(映画)検閲条例」の改正案を可決
     12月 安倍元首相「台湾有事は日本有事」と発言
2022年7月 香港「一国二制度」25年、「中国化」すすむ

 

日本刀講座開催のお知らせ

日本刀講座開催のお知らせ

 きたる8月12日午後6時より、埼玉県さいたま市大宮区にある「あさひ刀剣」店様のご協力を得て、日本刀講座を開催する運びとなりました。

 また、日本刀講座を第二部として、第一部で午後3時から「大宮見物会」を開催する運びとなりましたのでお知らせい致します。

※会員限定です

講座は先着10名です

 参加希望者は当会ホームページの右上にある「お問い合わせ」から連絡をお願い致します。

ホームページはこちら↓↓

日本歴史時代作家協会 Japan historical writing association JHWA

 

第一部

■日時 2022年8月12日 午後3時集合

■費用 博物館入館料、お賽銭

■コース

大宮駅→東武野田線にて大宮公園駅に移動→県立博物館にて展示物見学→大宮公園から武蔵一之宮氷川神社参拝→氷川参道→(時間があれば市立博物館見学)→第二部へ

第二部

■日時 2022年8月12日 午後6時「あさひ刀剣」前に集合

■内容 店主による日本刀の講座

■費用 受講料1000円

『映画に溺れて』第499回 ミッション・インポッシブル

第499回 ミッション・インポッシブル

平成八年九月(1996)
渋谷 渋東シネタワー2

 

 一九六〇年代の東西冷戦時代、TVドラマ『スパイ大作戦』の人気は高かった。
 チームのリーダー、ジム・フェルプスが毎回「おはよう、フェルプス君」ではじまる指令を受ける。そして「君もしくは君のメンバーが捕えられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しない」の言葉とともに、テープは証拠を残さず自動的に消滅する。マッチが擦られ、導火線に引火する映像とともにわくわくする主題曲が流れる。
 フェルプスがピーター・グレイブス、変装の名手ローランがマーティン・ランドー、美女シナモンがランドー夫人だったバーバラ・ベイン、技術者バーニーがグレッグ・モリス、力持ちウィリーがピーター・ルーパス
 毎回、びっくりするような作戦で敵を欺き、出し抜き、被害を与える。敵はたいてい東側の共産主義国家。あるいは南米や中東の独裁政権だった。
 冷戦が終わった一九九〇年代、『ミッション・インポッシブル』のタイトルで映画化、主演はトム・クルーズ、監督はブライアン・デ・パルマである。
 ジョン・ヴォイトふんするジム・フェルプスが指令を受ける。各所に潜入させているCIAの工作員のリストがプラハで敵の手に渡った。相手を突き止め捕らえるのが今回の任務である。フェルプスのもと、プラハに集結したチームが作戦を練り、敵に迫る。
 ところが作戦が失敗し、味方が次々と死んで行く。エレベーターに仕掛けたコンピューターの制御が利かずに串刺しとなったり、何者かに刺されたり、待機中の車で爆死したり、こちらの動きが敵に読まれていたのだ。
 実は今回の作戦は内部に潜入する二重スパイをあぶりだすためのおとり捜査であることがわかり、ひとり生き残った変装の名手イーサン・ハントが当局から疑われる。新たな仲間を集め、イーサンはCIAの追跡をかわして、真犯人に迫る。
 情報屋の女ボスを演じたヴァネッサ・レッドグレイヴの貫禄たるや、すごい。

 

ミッション・インポッシブル/Mission: Impossible
1996 アメリカ/公開1996
監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:トム・クルーズジョン・ヴォイトエマニュエル・ベアールエミリオ・エステベスクリスティン・スコット・トーマス、インゲボルガ・ダクネイト、ジャン・レノヴィング・レイムスヴァネッサ・レッドグレイヴ、ヘンリー・ツェニー

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第26回 悲しむ前に

 頼朝(大泉洋)は伏したまま、目覚める様子はありません。しかし、うっすらと汗をかいており、まだ死んだわけではないことを示しています。

 嫡男の源頼家(金子大地)はまだ帰って来ません。

 義時(小栗旬)は密かに比企能員佐藤二朗)を呼び出し、頼朝が誰にやられたというわけではなく、落馬して頭を打ったのだと説明します。

 りく(宮沢りえ)は北条時政坂東彌十郎)に話します。

「鎌倉殿は、もう助かりません。あのお方が亡くならない限り、この北条は安泰だとあなたは申された。その鎌倉殿が亡くなられるのですよ。比企にすべてを持っていかれても良いのですか。私たちの子らに、みじめな思いをさせても良いのですか。この鎌倉は、あなたがおつくりになられたのです。あなたがいなければ、頼朝様は挙兵できなかった。人にとられてはなりません」

「何をすればいいんじゃ」

 と、時政は苦悩の表情で聞きます。

 翌日、時政は実衣(宮澤エマ)の夫ある阿野全成新納慎也)にいいます。

「鎌倉殿の後を継いでくれ」

「私が」

 と、全成は驚きます。りくがいいます。

「今や鎌倉殿の実の兄弟といえば、あなただけ」

「しかし若君(頼家)が」

 という全成に時政はいいます。

「あの若さでは、御家人はついて来ん」

 実衣が口を出します。

「信頼のないことでは、私の夫も良い勝負だと思うんですが」

 時政は立ち上がって全成の腕を叩きます。

「全成殿なら大丈夫」

「私は仏の道に」

 という全成に

「還俗(げんぞく)なさい」

 と、りくが迫ります。 

 義時が考え込んでいる所へ、親友の三浦義村山本耕史)がやって来ます。

「頼朝、死ぬらしいな」

 義時はため息をついてからいいます。

「お前に、話そうと思っていたことがある。つつじ殿の件だ」

「若君の妻にする話か」

「この先、若君とつつじ殿の間に男子が生まれたとする。源氏の跡継ぎだ。その乳母(めのと)、三浦から出して欲しい」

「そうきたか」

「これから北条と比企のいさかいはさらに大きくなる。その時、その間に三浦に立って欲しいんだ。これからの鎌倉は、お前が支えていく」

「条件次第だな。乳母の件、頼朝が考えたことにしてくれ。それなら、どこからも文句が出ない。ようやく三浦にも、出番が回ってきたか」

 実衣が、仏像の前に座る全成にいいます。

「あなた様の身が心配です。引き受けて、命を狙われたりはしないの」

 振り返りもせずに、全成は述べます。

「命を守るために、力を持つんだよ。お前は、御台所(みだいどころ)になる覚悟はあるのか」

「姉上にできたんですから、私だって」

 義時の所に八田知家市原隼人)がやって来ます。都で貴人のために行われている、火葬の打ち合わせをします。

「燃え残っては困るのだ」

 と、義時はいいます。

「風の通り道をつくったので、かなり燃えるはずだ」

 時政と全成がいるところに、義時がやって来ます。次の鎌倉殿を全成にする、と時政が宣言します。

「腹をくくったよ」と、全成は義時にいいます。「髪も伸ばし始めている」

 時政が義時に、にじり寄ります。

「御台所は北条から出してえんだ。頼むよ」

 義時は時政を見すえます。

「それは、父上のお考えですか」

「何がいいたい。りくの考えは、わしの考えじゃ」

 義時は眠る頼朝の前で、妻の比奈(堀田真由)に打ち明けます。

「全成殿が上に立てば、それこそ鎌倉は二つに割れる」

「北条と比企は競い合ってばかり」

 比奈は比企の出身なのです。

「この先、お前が板挟みにならないようにしなければな」

 比奈は義時に近づきます。

「ご心配なく。私は北条のおなごですから」

 頼家がやっと帰って来ます。眠り続ける頼朝と対面します。

 庭に出て、頼家は義時と話します。

「あれは助からぬ。このこと、誰が知っている」

 義時は答えます。

「ごく少数にとどめておりましたが、すでに、噂は広がり始めている様子」

「こういったことは隠しきれるものではない。いっそのこと、公(おおやけ)にしてしまえ」

「いえ、朝廷への文書(もんじょ)が完成するまでは」

「わしが跡を継ぐことは決まっておるのだから、隠すこともなかろう。御家人どもを集めて、何が起こったのか知らしめよ」

 しかし集まった御家人たちは恐慌を来たし、収拾がつかなくなります。

 三善康信小林隆)の進言により、頼朝を臨終出家させることにします。いよいよ死が近づいた時、必ず極楽往生できるようにと行われる儀式です。

 儀式の際、髪の毛を切ってみると、小さな観音像が出てきます。頼朝が子供の頃、比企の尼からもらったものです。

 政子は、頼朝と初めて会ったときに出した木の実などを、その枕元に置くことを思いつきます。置いておけば、何かのきっかけになるかも知れないと考えます。

 政子が気がついてみると、なんと頼朝が日の当たる場所に座っているのです。木の実を持って政子に聞きます。

「これは、何ですか」

 それは当時の頼朝が政子に発した言葉でした。政子は驚いて人を呼びます。振り返ると、頼朝は倒れていました。政子は頼朝に呼びかけ、涙を流すのでした。

 頼朝の遺体が焼かれます。

 頼朝の骨は、御所の裏にある持仏堂に納められました。 

 北条時政と、比企能員が言い争っています。頼家はまだ若すぎると時政は主張します。大江広元栗原英雄)は折衷(せっちゅう)案を出します。ひとまず全成に任せ、頼家が十分成長したところで、鎌倉殿の座を譲ることにしてはどうか。比企は納得しません。そこへ義時がやって来て叫びます。

「我らの誰にも決めることはできませぬ。あとは、御台所のお裁きにゆだねるしかない」

 義時は政子の所にやって来ます。

「わたくしに決めろというのですか」

 と、政子は義時を振り返ります。

「姉上は、鎌倉殿の後家でございます」

「政(まつりごと)には口を出すなと、鎌倉殿にきつくいわれておりました」

 義時は政子に近づきます。

「これからは、姉上のご沙汰で事が動くことが、多々ございましょう。そういうお立場になられたのです。好むと、好まざるとに関わらず。悲しむのは、先にとっておきましょう」

 政子は、息子の頼家と話します。頼家はいいます。

「正直に申し上げて、私には自信がありません」

 政子が話します。

「初めて鎌倉にやって来たとき、佐(すけ)殿とわたくしは二人でここに立った。あなたの父上は、自分の思いを語ってくださいました。坂東をまとめ上げ、いずれ平家を滅ぼすと。そして、自分の後を継ぐ、立派な男子を産むようにと。あなたはまだ若い。けれど、わたくしと小四郎(義時)は、あなたの才を信じます。鎌倉を混乱から守れるのはあなただけ」政子は頼家を見つめます。「新しい鎌倉殿になるのです」

「かしこまりました、母上」

 と、頼家は返事をします。

 頼家は密かに梶原景時中村獅童)と話をします。

「いわれたとおり、一度は断った」

「それで良いのです。むしゃぶりついては、節操がないと思われますゆえ。これからは、若君の思った通りにすすめてゆけば良いのです。鎌倉殿」

 頼家ははっきりとうなずくのでした。

 頼家は御家人たちの前で述べます。

「我らは大きな柱を失った。このままでは、日の本中で再び戦乱の嵐が吹き荒れかねん」頼家は声を張ります。「我らは偉大なる先の右近衛の大将、征夷大将軍の死を乗り越え、前へ進むのだ」

 御家人たちは一斉に頭を下げるのでした。

 政子と義時は、時政に責められます。裏切りやがったな。頼家はもう、比企にとられてしまっている。義時は時政にいいます。

「北条を思う気持ちは、私とて同じ。しかし父上は、北条あっての鎌倉、とお考えですが、私は逆」義時は立ち上がります。「鎌倉あっての北条。鎌倉が栄えてこそ、北条も栄えるのです」

 しかし時政は

「意味が分かんねえ」

 と、いい残して行ってしまいます。政子も立ち上がって全成に声をかけます。

「頼家を助けてやってください。鎌倉のために」

 全成は返事をして頭を下げます。しかし実衣はいうのです。

「だまされちゃ駄目よ」実衣は政子の方を向きます。「すべてお見通しですから。結局、姉上は、あたしが御台所になるのがお嫌だったんでしょ」

「何をいっている」

「そうに決まっている。私が自分に取って代わるのが許せなかった。悲しい。そんな人ではなかったのに。力を持つと人は変ってしまうのね」

 実衣は全成と共に去って行きます。

 りくが時政に話します。頼家は気性が荒く、おなご癖が悪い。いずれ必ずぼろを出す。その時が本当の勝負。

「ぼろを出さなかったら」

 と、捨て鉢な様子で時政がいいます。

「そう仕向けるだけのこと」

 りくは含み笑いをするのでした。

 義時は政子を訪ねます。政子は義時をねぎらいます。

「いろいろご苦労様でした」

「私のやるべきことはすべて終わりました。長い間、ありがとうございました」

 と、義時は頭を下げるのです。

「とういうこと」

「私はこれで、鎌倉を離れます」

 義時は立ち去ろうとします。

「待ちなさい」

 政子が引き止めます。義時は振り返ります。

「姉上。私は頼朝様のためにこの身を捧げて参りました。頼朝様が亡くなった今、ここにいる意味はありません。頼朝様に、憂い無く旅立っていただくことが、私の最後の仕事と思っておりました」

「馬鹿なこといわないで」

「政所(まんどころ)は文官の方々に、侍所は、梶原殿や、和田殿に任せておけばいい。平六もおります。それぞれが私欲に走らず、頼家様をお支えすれば、この先も安泰。北条もしかりです。五郎もいれば、息子、太郎もいる。皆で父上を支えていくのです。そして、鎌倉の中心には姉上が。誰とでも隔(へだ)てなく、接することのできる姉上がいる」

「あなたは」

「私は伊豆へ帰ります。米の勘定をしながら、ゆっくりと過ごします」

「なりませぬ」

「姉上。これからの鎌倉に、私はいらぬ男です」

「頼家を助けてやってちょうだい」

 義時は首を振り、立ち上がります。政子の声がその背に放たれます。

「あなた、卑怯よ。わたくしにすべて押しつけて、自分だけ逃げるなんて。あなたにいわれて腹をくくったんですから。少しは責任を持ちなさい。これまで頼朝様を支えてきたように、これからは、わたくしを支えてください。お願い」 

 政子は、頼朝の形見である、小さな観音像を、義時に握らせるのでした。

 

第11回日本歴史時代作家協会賞候補作発表‼

決定! 第11回日本歴史時代作家協会賞 各賞候補作(2022年度)

1)文庫書き下ろし新人賞

(デビューから3年以内の作家で、2021年6月から2022年5月刊行までの文庫書き下ろし作品が対象)
[候補作]
進藤玄洋『鬼哭の剣』ハヤカワ時代ミステリ文庫22年4月

筑前助広『谷中の用心棒 萩尾大楽:阿芙蓉抜け荷始末』アルファポリス文庫22年2月

 

柳ヶ瀬文月『お師匠様、出番です! からぬけ長屋落語人情噺』ポプラ文庫22年3

 

2)新人賞

(デビューから3年以内の作家で、2021年6月から2022年5月刊行までの四六判作品が対象)
[候補作]
稲田幸久『駆ける 少年騎馬遊撃隊』角川春樹事務所21年10月

小栗さくら『余烈』講談社22年4月

千葉ともこ『戴天』文藝春秋22年5月

 

夜弦雅也『高望の大刀』日本経済新聞出版22年2月

 

3)作品賞

(2021年6月から2022年5月刊行までの刊行作品が対象)
[候補作]
矢野 隆琉球建国記』集英社文庫22年4月

吉川永青『高く翔べ 快商・紀伊国屋文左衛門中央公論新社22年5月

 


4)シリーズ賞(非公開審査)
5)功労賞(非公開審査)


※選考会は8月6日、午後3時から新宿の四谷の貸会議室にて行います。受賞作が決定しましたら担当編集者にお知らせします。

 

 選考委員長 三田誠広
 選考委員  菊池 仁  雨宮由希夫  理流  加藤 淳

 

書評『柔術の遺恨 講道館に消された男』

書 名  『柔術の遺恨 講道館に消された男 田辺又右衛門口述筆記』
著 者   細川呉港
発行所   敬文舎
発行年月日 2022年6月23日
定 価    ¥2400E

 「田辺(たなべ)又右衛門(またえもん)口述筆記」は不遷流(ふせんりゅう)柔術第四世・田辺又右衛門(明治2年(1869)~昭和21年(1946))が晩年、自分の生涯の試合を弟子に口述して記録させていた「柔術一代記」であり、本書は口述筆記を元にその裏に隠れたドラマを再現したノンフィクションである。
 田辺又右衛門は、嘉納(かのう)治五郎(じごろう)の講道館(こうどうかん)柔道が江戸時代から伝わった多くの柔術の流派を淘汰してのし上がっていく中で、たったひとり講道館に抵抗し続け、ついには、世の中から抹殺された一人の柔術家である。
又右衛門の時代、柔術は時間制限なしのエンドレスで心行くまで戦う時代であった。したがって、本当の意味での実力勝負だった。格闘技は本来そう言うものであろうが、明治になって講道館柔道の出現により「スポーツ化」の名の下に柔術は多くの技を禁止された。嘉納治五郎の柔道というのは柔術の一部を使ってそれも途中段階だけで成立した精神修養も合わせ目指したスポーツなのである。明治中期から後期にかけて、世の中の流れが柔道に味方し、そのほかの流派(「他流」といった)をすべて排除してしまい、大正8年(1919)にはさまざまな流儀の柔術のすべてが「柔道」という名前に統一される。

 黒澤明監督の映画「姿(すがた)三四郎(さんしろう)」(昭和18年3月封切り)のみならず、少年誌で柔道漫画が全盛期であった昭和20、30年代、多くの柔道漫画では常に柔術家は「古くて乱暴で卑劣な柔術と、清く正しい正義の柔道」という同じ構図の中に「悪役」として登場させられ、ストーリー展開がなされていることを少年時代の評者(私)も著者同様に味わい、それを当然と思い疑いもせずに読み耽ったものだが……。本書によって知らされることはまさに目から鱗の連続であった。
 「田辺又右衛門口述筆記」には嘉納治五郎が、講道館派が試合で負ける度に、又右衛門の柔術の技を次々に禁止していったこと、又右衛門優勢の試合も講道館の息のかかった審判によって強引に引き分けにされたこと、挙句に審判法が講道館の匙加減で「改正」されたことなどが又右衛門と嘉納との直接のやり取りなどを通じて、生々しく描かれ、柔道創設時のさまざまな隠された歴史を具体的に伝えて、あわせて、現代に通ずる多くの問題を浮かび上がらせている。

 著者が又右衛門の末の娘・田辺久子さんが所持していた口述筆記を託されたのは昭和62年(1987)1月のことであるという。当時69歳の久子さんは、初めて会った見ず知らずの著者に総ページ546頁、4冊からなる手書きの口述筆記をある思いを籠めて著者に託した。
 又右衛門が死して41年の歳月が経っていた……。
 講道館の猛者どもを悉く斥け、一度も敗れたことがなかった、あれほど強かったのに報われなかった父。巧妙なる講道館の嫌がらせ、組織的な排除の中で損得を考えず、武骨に、ひたすら自分の信じる道を歩むべく孤軍奮闘し、そして逝った父。若いころの父たちは、圧倒的な組織力で自分たちに有利な取り決めをする講道館のやり方に歯ぎしりし、嘉納治五郎講道館の柔道が次第に全国の統一ルールを決めていく中で、何としても自分たちの武道としての柔術を守っていこう、寝技の滅亡、古流柔術の廃滅を阻止しようと、盟友・片岡仙十郎らと共に誓いをたてる。「他流の誓い」である。
 娘久子の悲願は父親のほぼ生涯を描いた「口述筆記の公開」であった。この一代記を何とか世に出したいとの娘の、運命に振り回されながらたくましく生きた父への思いに、読者は胸を熱くするであろう。
 又右衛門の郷里の倉敷市玉島善昌寺の墓の傍に建てられた顕彰碑には「一代記未刊行」の文字が刻まれているという。それを目の当たりにした著者は久子の生前に果たせなかった思いに思いを重ねると共に、

「世間」という大衆は、必ずしも賢くない。むしろ愚かな場合が多い。この愚かな大衆が、歴史を動かす場合も多いのである。動き出したらなかなか止められないのだ。

 と「世間」という大衆の愚かさに怒りを隠さない。

 「講道館柔道の創始者嘉納治五郎は、武術に教育的価値を見出し整備した武道のパイオニアであり、講道館柔道の完成と普及に尽力する一方、他流の技法の保存と伝承に力を入れていた」(ウキペディア)と「世間」では評価されているが、又右衛門という男の存在、生きざまを知ることによって、著者は「人間、嘉納治五郎」の実像、「講道館柔道」の本質に迫り、「嘉納治五郎が最初から柔道のスポーツ化を目指し、青年の精神の鍛錬としての柔道を目指していたかは疑わしい」と断じているのは痛快きわまりない。
 隠されていた多くの柔道史の本当の姿が発見されたことを契機に、嘉納による「柔道への統一」が行われた柔道創成期に立ち戻り、柔道が試合のやり方や技をもう一度再考すべきこと、つまり原点に立ち帰って嘉納の都合で、講道館の都合で、消えていった技を考え直してみることが必要なのではないかと著者は提唱している。
 現代の柔道の試合は「差し手争い」「組み手争い」ばかりが延々と続き、やがて時間が来てしまう。
 又右衛門は現代の柔道の試合の行き詰まり、柔道の限界を早くから予言し、「私は講道館柔道が、結局私どもと同じ柔術に戻らなければいけないことを、堅く信じております」と述べている。柔道が高度な柔術の寝技や絞め技を禁止したことによって、逆に武道として敵と戦う柔術本来の技を排除し自らの技を狭めて行ったことを目の当たりにした又右衛門ならではの確信であった。
 柔道界の構造は21世紀に入った今も、嘉納・田辺の時代と変わらないものがあるとの警鐘もある。
 近年、柔術が日本で、米国で、かなりの勢いで普及しつつあるという。柔術の復活はよろこばしいことである。
 これまで又右衛門について書かれたものはほとんどなく、武術界によほど通じた人を除いては、又右衛門を知る人はいないといってよい現状において、口述筆記の記述は「類例がない記述」であり、口述筆記の発見は講道館神話を根底から覆す「世紀のスクープ」と言える。
 著者は20年来、歴史上の名もない人物を見つけて掘り起こす作業を続けている。『草原のラーゲリ』では日本の高等教育を受けた満洲蒙古の一人のモンゴル人を、『舞鶴に散る桜――進駐軍と日系アメリカ情報兵の秘密』では真珠湾に日本軍の攻撃をしけた一人の日系二世を活写している。併せ読みたい。

              (令和4年7月1日  雨宮由希夫 記)

『映画に溺れて』第498回 キャメロット

第498回 キャメロット

昭和五十四年十一月(1979)
築地 銀座ロキシー

 

 ブロードウェイのヒットミュージカルはたいてい映画化されている。
『ウエストサイド物語』『マイ・フェア・レディ』『サウンド・オブ・ミュージック』『ラ・マンチャの男』『レ・ミゼラブル』『オペラ座の怪人』『キャッツ』などなど。そして、それらの作品は翻訳され日本人キャストでわが国の舞台でも演じられている。
 そんな中で、ハリウッドで映画化されながら、日本版が上演されていないミュージカルがあるのだ。アーサー王と円卓の騎士を描いた『キャメロット』である。
 私が小学生のときに観たディズニー映画『王様の剣』では、少年アーサーが石に刺さったエクスカリバーを引き抜くところまでだったが、ミュージカル『キャメロット』は晩年のアーサー王が不毛な戦闘を前にして、なにゆえこんなことになったのかと苦悶する場面から始まる。
 王は楽しかったあの頃を思い出す。王妃となるグウィネビアとの森での甘い出会い。相手を許婚者のアーサーとは知らず、王に嫁ぎたくないと不満を言うグウィネビアを前にして、アーサーはキャメロットの素晴らしさを歌って聞かせる。そして、ふたりは愛し合う。理想家のアーサーは各地の騎士をキャメロットに招き、上下の差別のない円卓を囲んで、剣や槍での勝敗ではなく、法と理性による秩序を説く。
 アーサーの名声に憧れ、フランスから湖の騎士ランスロットが訪れる。やがて、ランスロットと王妃の道ならぬ恋。アーサーの不義の息子モードレットが王妃の不貞を訴え、やがて国は分裂し、平和な理想世界は崩壊する。
 ケネディ大統領は、このミュージカルがお気に入りだったそうだ。
 なお、ブロードウェイの舞台版ではアーサー王リチャード・バートンが、王妃をジュリー・アンドリュースが演じたとのこと。映画版のヴァネッサ・レッドグレイヴは歌は吹替だが、ぞくぞくするほど美しい。

 

キャメロットCamelot
1967 アメリカ/公開1967
監督:ジョシュア・ローガン
出演:リチャード・ハリスヴァネッサ・レッドグレイヴフランコ・ネロデヴィッド・ヘミングス、ライオネル・ジェフリーズ、ローレンス・ネイスミス

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第25回 天が望んだ男

 頼朝(大泉洋)は夢を見ていました。お経が聞こえるので行ってみると、遺体を囲んで、政子をはじめとする北条の者たちが座っていました。そして遺体は、頼朝自身だったのです。

 建久九年十二月二十七日。頼朝に死が迫っていました。

 頼朝は弟で僧侶である阿野全成新納慎也)に相談します。

「毎晩同じ夢を見る。今日も、昨日も、おとといも」

「気にされることはないかと」

 と、全成はいいます。

「まだ死にとうない」頼朝はすっかり気落ちした様子です。「どうすれば良い」

 全成は語り始めます。平家の使っていた赤は遠ざける。久方ぶりの者が訪ねてくるのは良くないことの兆し。ご自分に恨みを持つ縁者には気をつける。昔を振り返るな。仏事神事は欠かさぬこと。赤子を抱くと命を吸い取られる。頼朝は全成ににじり寄って、それらを聞くのでした。

 しかし全成は妻の実衣(宮澤エマ)に、でまかせだったことを打ち明けます。

「何かいわないと、兄上も引き下がらないだろう」

 北条一門は、相模川で供養を行おうとしていました。

「わしも行かねばならんのか」

 と、頼朝は乗り気ではありません。しかし頼朝は「仏事神事は欠かさぬこと」との全成の言葉を思い出すのです。頼朝は義時(小栗旬)を見つめます。

「小四郎、北条は信じて良いのか」

「もちろんです」

 と、義時は答えます。頼朝は苦悩の表情で義時から視線をはなします。

「近頃、誰も信じられん。比企のこともある。範頼を焚きつけたのは、比企という噂も聞いた。もう誰も信じられん」

 比企能員佐藤二朗)や大江広元栗原英雄)らが、これからの鎌倉について話し合っていました。大江が、頼朝は、代々源氏の血筋で鎌倉殿を継がせていくつもりのようだ、と、発言します。比企がいいます。次は若君(源頼家)(金子大地)。その次は一幡(いちまん)様か。頼朝が元気なうちに決めておいた方が良い。

 そこへ頼朝が入って来ます。

「何の話だ」

 と、問う頼朝に、三善康信小林隆)が答えます。

「鎌倉殿を先々、どなたが継いでいかれるか」

 頼朝は声を荒げます。

「わしに早くあの世へ行けと申すか」

 義時は頼朝の息子である頼家に相談を受けます。頼家は比企の一族である、せつ、との間に、一幡という男子をもうけていましたが、ほかに妻として迎えたい女性がいるというのです。つつじといって、源氏の血を引いています。

 この場に義時は頼朝を連れてきます。

 怒鳴りつけるのかと思いきや、相手が源氏の血を引いていると知った頼朝は、

「それが真(まこと)なら、まさに好都合。その娘を、そなたの妻とし、比企の娘を、側妻(そばめ)とする」

「よろしいのですか」

 と、問う安達盛長(野添義弘)に、頼朝はいい放ちます。

「相手は源氏の血筋。比企に文句はいわせん」頼朝は頼家に向き直ります。「おなご好きはわが嫡男の証(あかし)だ。頼もしいぞ」

 頼朝は頼家の肩を叩くのでした。

 稲毛重成(村上誠基)の妻は北条時政の四女でした。三年前に病でこの世を去っていました。相模川にかかるこの橋は、重成が亡き妻の供養のために造ったものでした。

 北条の者たちを迎えようと準備をする畠山重忠中川大志)に、義時の息子である頼時(坂口健太郎)がいいます。

「考えたんです。御家人の中で一番は誰なんだろうって。腕っ節の強さでは、和田義盛横田栄司)殿。知恵が回るのは、梶原景時中村獅童)殿。人と人をつなぐ力は、私の父。しかし、すべてを兼ね備えているのは、畠山殿だと私は思います」

 どうやら頼時は、畠山に心酔しているようです。

 橋の供養に、頼朝もやって来ます。

 北条の一族は餅を丸め始めます。仏事で皆が集まると、いつもすることでした。

 頼朝はぼんやりと庭をながめていました。そこへ時政の妻である、りく(宮沢りえ)がやって来ます。りくは聞きます。

「鎌倉殿は、いずれ京へ戻られる」

「そう思ったこともあった。しかし朝廷は、いつまで経っても我らを番犬扱い。顔色をうかがいながら、向こうで暮らすより、この鎌倉を、京に負けない都にすることに決めた」

 しかし、りくはいうのです。

「いけません。あなた様は今や、日の本一の軍勢を持つお方。そのお力を持ってすれば、朝廷だっていうことを聞きましょう」

「そうたやすくはいかん」

 りくは、着物の袖(そで)で口元を隠し、ささやきます。

「臆病なこと」

「今、何と申した」

「野山の鹿を追うのに、足が汚れるのを嫌がる犬のよう」

 りくが笑い、頼朝も笑います。

「都人(みやこびと)は脅しだけでは動かぬ。あなたもご存じではないか」

 頼朝が、りくを見つめます。りくはなんと、頼朝に手を重ねるのです。

「りくは、強いお方が好きなのです」

 頼朝はあたりを見回してからたずねます。

「時政は、わしのことをどう思っておる。わしを殺して、鎌倉をわがものにしようと考えておるのではないか」

「そんな大それたこと、考えてくれたらうれしいのですが」

 りくは手を放します。そこへ時政がやって来ます。りくは立ち去るのでした。時政は酒を持っています。出来上がったばかりの餅を頼朝に勧めます。時政はしゃべります。

「政子に感謝しとるんです。いい婿と縁づいてくれたなあって」

 頼朝は餅をのどに詰まらせるのでした。慌てた時政は人を呼びます。皆が駆け付けます。義時が背中を強く叩くと、頼朝は餅を吐き出します。

「死ぬかと思った」

 と、頼朝は声を出すのでした。

 頼朝は政子と森の中にやって来ます。

「時政がいなければ、どうなっておったか」

 そういう頼朝に、政子が話します。

「父はいざという時に役に立つんです」

「持つべきものは、北条だな」

 義時が水を持ってやって来ます。

「良い折りだ。お前たちにいっておくことがある」頼朝は立ち上がって、義時と政子を見つめます。「頼家のことだ。わが源氏は、帝(みかど)をお守りし、武家の棟梁(とうりょう)として、この先百年も、二百年も続いていかねばならん。その足がかりを頼家がつくる。小四郎、お前は常に、側(そば)にいて、頼家をささえてやってくれ。政子も、これからは鎌倉殿の母として、頼家を見守ってやって欲しい。お前たちがいれば、これからも鎌倉は盤石(ばんじゃく)じゃ」

 政子がいいます。

「まるでご自分はどこかへ行かれてしまわれるような」

 頼朝は微笑んで歩き出します。

「わしは近々、頼家に、鎌倉殿を継がせて、大御所となる」

「大御所になられてどうされるのですか」

 と、義時が聞きます。

「さあ、どうするかのう」頼朝は振り返ります。「船でも造って、唐(から)の国に渡り、どこぞの入道のように、交易に力でも入れるかのう」

 頼朝は笑い声を上げます。政子が去って行きます。頼朝は義時にいいます。

「小四郎。わしはようやく分かったぞ。人の命は定められたもの。抗(あらが)ってどうする。甘んじて受け入れようではないか。受け入れた上で、好きに生きる。神仏にすがって、おびえて過ごすのは時(とき)の無駄じゃ」

 義時がいいます。

「鎌倉殿は、昔から、私にだけ、大事なことを打ち明けてくださいます」

 頼朝は大きく息を吐きます。

「今日は疲れた。わしは先に御所に戻る」

 頼朝は安達盛長と二人、森の中の道を行きます。安達がいいます。

「こうして、鎌倉殿の馬を引いて、歩いておりますと、伊豆の頃を思い出します。いろいろございましたな」

 頼朝は馬上から声をかけます。

「そなたといると、いつも心が落ち着く」

 安達は馬を止めて頼朝を見上げます。

「何よりの、お褒めの言葉にございます」

 頼朝は思い出話をしようとしますが、体が硬直してうまくいきません。やがて木々が迫ってくるように感じ、馬から落ちるのでした。

 

『映画に溺れて』第497回 リトルニッキー

第497回 リトルニッキー

平成十三年六月(2001)
有楽町 日劇プラザ

 

 最初の場面はバードウォッチングならぬ覗き魔。木の枝に腰掛け、窓越しに女性の着替えを覗いていた男、気づかれて落下し、そのまま落命、地獄へ真っさかさま。次々と落ちてくる死者たちを鬼が追い立てている。
 そろそろ一万年の任期が切れる地獄の大魔王サタン。三人の息子のうち、だれを次の魔王に選ぶか。長男のエイドリアンは冷酷で邪悪、次男のカシウスは粗暴、三男のニッキーは気弱で間抜け。結局もう一万年任期を務めることにする。
 魔王の地位をあてにしていた長男と次男は共謀して、地獄の門を凍らせ、人間界へ逃亡。地上を生き地獄にしようと企む。門を閉ざされた地獄では、死者の魂が入ってこなくなり、魔王は瀕死の重体。
 そこで、三男ニッキーが地上へ出向き、ふたりの兄を地獄に連れ戻す役目を託される。地上は恐ろしいところだが、死んでもここへ戻るだけだからと。着いたところが地下鉄の線路。あっという間に電車にひかれて地獄へ舞い戻るニッキー。もう戻ったのかとあきれる地獄の悪鬼たち。
 再び地上へ行き、悪魔犬ビーフィの案内で、売れないゲイの役者とルームメイトになり、デザインを学ぶ女子学生と仲良くなったりしながら、兄を探すニッキー。
 司祭と市長に憑依した兄たち、秩序を無視し、悪事を奨励、地上はさながら生き地獄となる。
 魔王の息子のくせに、なにゆえニッキーは心優しいのかという種明かしもあり。ふたりの兄を瓶に吸い込ませるのは『西遊記』の金角銀角の瓢箪を思わせる。
 際限なく続くギャグ。ニッキーのアダム・サンドラーをはじめ、魔王のハーヴェイ・カイテル、エイドリアンのリス・エヴァンスなど、ベテランのコメディ演技が楽しい。

 

リトルニッキー/Little Nicky
2000 アメリカ/公開2001
監督:スティーヴン・ブリル
出演:アダム・サンドラーパトリシア・アークエットハーヴェイ・カイテルリス・エヴァンス、トム・“タイニー”・リスター・Jr、ロドニー・デンジャーフィールド、アレン・コヴァート、リース・ウィザースプーン、ケヴィン・ニーロン、ジョン・ロヴィッツクエンティン・タランティーノ