日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第532回 下妻物語

第532回 下妻物語

平成十六年十二月(2004)
飯田橋  ギンレイホール

 嶽本野ばらの原作小説が面白く、中島哲也監督の映画がさらに面白かったのが『下妻物語』である。
 茨城県下妻に住む十七歳の少女桃子。三時間かけて東京の代官山ベイビーにひらひらのおフランス風お姫様洋服を買いに行くのが趣味。
 この主人公を紹介するのが、例えば寂れた下妻駅の待ち合い室にあるTV画面。そこでは尼崎で父親のちんぴらが偽ブランドのテキヤとして一時羽振りがよくなるが、身辺が危なくなって郷里の下妻に逃げて来るまでが語られる。
 高校生の桃子はフランスのロココ調に憧れているが友達はいない。それがスピードと暴力に生きる同世代の暴走族少女イチゴと親しくなる。
 下妻の八百屋が大手スーパーのジャスコを賛美する最初の場面から、フランスロココの紹介、父と母のなれ初め、全体がほとんどギャグ、ギャグ、ギャグ。だが、そこに自己中心的な少女が友情を育むという大きなテーマが隠されている。
 桃子を演じる深田恭子とイチゴを演じる土屋アンナの馬鹿馬鹿しい出会い。この映画の成功は出演者たちの個性と演技力であろう。
 深田は主人公の雰囲気にぴったり嵌まっている。土屋アンナの暴走族がまた凄まじい。最後の乱闘場面で、主人公が尼崎のチンピラの娘という生い立ちが活かされる。
 そして脇を固める偽ブランド商売の父の宮迫博之、中年で美容学校に通う母の篠原涼子、田舎の老婆である祖母の樹木希林、パチンコ屋で知り合う極端なリーゼントのチンピラ阿部サダヲ、八百屋の荒川良々、コンビニの水野晴郎など申し分のないキャスティング。
 私がこの映画を観たのは飯田橋ギンレイホールだった。あまりに面白かったので、当時ギンレイパスポート会員だったから、会期中、二回通った。そのギンレイホールが老朽化のためこのほど閉館とのことで、とても悲しい。この映画館で私は何百本観たことだろう。

 

下妻物語
2004
監督:中島哲也
出演:深田恭子土屋アンナ宮迫博之篠原涼子樹木希林阿部サダヲ荒川良々矢沢心本田博太郎

 

『映画に溺れて』第531回 アヒルと鴨のコインロッカー

第531回 アヒルと鴨のコインロッカー

平成二十三年一月(2011)
恵比寿 恵比寿ガーデンシネマ

 

 非常によくできた小説をわくわくしながら読み終わり、その後、映画化作品を観て、がっかりすることがある。小説はあんなに面白かったのに、どうしてこんなつまらない最低の映画になってしまうのだろう。そこまでひどくなくても、やはり原作に追いつかない映画というのはたくさんある。
 が、逆に見事に映画として成功している作品もあり、これはうれしい。
 伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』は、読み始めたら、引き込まれ、一気に読み終えた。小説ならではのびっくりするようなトリック、そのトリックについては詳しくは言えない。絶対にネタバレ厳禁のトリックだから。
 映画化されたことは知っていたが、なかなか観る機会がなかった。果たして映画化は可能なのだろうか。映画になったとして、あのトリックはどうなるのだろう。
 二〇一一年に恵比寿ガーデンシネマが休館する際、これまでに封切られた名作話題作の特集があり、ようやく映画『アヒルと鴨のコインロッカー』を観ることができた。
 なるほど、小説もうまかったが、映画もまたうまい。原作のトリックが損なわれずに巧みに映画化されていた。
 東京から仙台の大学に入学した新入生の椎名はアパートに引っ越して早々、隣の部屋の河崎から本屋襲撃を持ちかけられる。恋人をなくして落ち込んでいるブータン人の留学生ドルジのために広辞苑を盗むのが目的だと。椎名はいやおうなく巻き込まれていく。
 そこに語られるのが、ドルジとペットショップに勤める琴美との恋物語。河崎は琴美の元ボーイフレンドで、女好きのプレイボーイ。が、結局ドルジと友達になり、日本語を教える。町で繰り返される残忍で下劣な虫けらのごときちんぴらグループによるペット殺し事件と恋人たちの悲劇。そして、河崎と椎名の奇妙な友情にボブ・ディランの名曲が流れる。
 当時若手だった濱田岳瑛太。実に見事な役作り。

 

アヒルと鴨のコインロッカー
2007
監督:中村義洋
出演:濱田岳瑛太関めぐみ田村圭生、松田龍平、大塚寧々、関暁夫キムラ緑子なぎら健壱岡田将生平田薫

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第45回 八幡宮の階段

 健保(けんぽう)七年一月二十七日。

 夕方から降り続けた雪は、強さを増していました。

 警護の詰め所にいる三浦義村(山本耕史)の肩を、北条義時(小栗旬)が叩きます。三浦は驚きます。

「どうしてここにいる」

「外されてしまった」

 と、義時は答えます。源仲章(なかあきら)(生田斗真)が、義時から太刀持ちの役を取り上げたのです。義時は三浦に問います。

公暁(こうぎょう)殿はどこに潜(ひそ)んでいる」

「なぜ俺に聞く」

「察(さっ)しはついている」

「では聞こう。それが分かっていながら、お前はなぜ動かぬ」

「思いは同じ。鎌倉殿は私に憤(いきどお)っておられる。もし公暁殿が討ち損(そん)じたなら、私は終わりだ」

 そこへ北条泰時(やすとき)(坂口健太郎)がやってきます。

「父上、どうしてここに。父上はここから動かぬよう。公暁殿は、父上の命も狙っております」

 それを聞いて、泰時は顔をこわばらせます。

 儀式が終わり、鎌倉殿である源実朝(さねとも)(柿澤勇人)たちが石段を下りて行きます。公暁は、イチョウの木に隠れてそれを見ています。

 護衛の詰め所では、泰時が公暁を阻止しに行こうとします。泰時の腕をつかみ、義時がそれを止めるのでした。

 公暁イチョウの陰から刀を抜いて飛び出します。

「覚悟、義時」

 しかし公暁が義時だと思って斬ったのは、源仲章でした。仲章にとどめを刺すと、公暁は実朝に向かいます。実朝は短剣で対抗しようとしますが、やがて思い直し、公暁に向かってうなずくのです。実朝は斬られ、倒れこみます。公暁は、階下に駆け付けた御家人たちに対して、自分の正当性を訴える口上を読み上げようとします。しかしそれは、血に染まってしまいます。義時の号令で、御家人たちは公暁を討ち取ろうと、石段を駆け上がっていきます。

 義時と三浦は、現場に立ちます。仲章の骸(むくろ)を前に、三浦がいいます。

「笑えるな。お前の代(か)わりに死んでくれた」

 北条時房(ときふさ)がいいます。

「兄上は天に守られているのです」

 公暁は逃げ延びます。

 義時は大江広元らと話します。急ぎ跡継(あとつ)ぎを決めなければならない。京に対しては、鎌倉殿は失ったが、動揺はない、と知らせることにします。

 三浦義村は、弟の三浦胤義(たねよし)(岸田タツヤ)に命じます。

「早く若君(公暁)を見つけ出せ。ほかの奴らに先を越されるな」

 胤義が聞きます。

「見つけたら、ここにお連れしてよろしいか」

「見つけ次第(しだい)、殺すんだ。分からんのか。我らが謀反に加担していたことをしゃべられたら、三浦は終わりなんだ」

 北条政子(小池栄子)は外で物音を聞きます。見てみると、公暁がいました。政子は公暁を部屋に招き入れます。

「こんなことをして、鎌倉殿に、本気でなれると思っていたのですか。謀反(むほん)を起こした者に、ついてくる御家人はいません」

「たぶんそうでしょう」

「分かっていたならどうして」

「知らしめたかったのかもしれません。源頼朝(よりとも)を祖父に持ち、源頼家を父に持った、私の名を。公暁。結局、わたしには武士の名はありませんでした」

 公暁は政子に髑髏(どくろ)を見せます。実朝の部屋から持ってきたものです。公暁はいいます。

「これぞ、鎌倉殿の証(あかし)。四代目は私です。それだけは、忘れないでください」

 公暁は立ち上がり、去っていきます。

 義時は三浦義村を問い詰めます。

「どこまで知っていた」

公暁から相談は受けた。しかし断った。信じてもらえそうにないな」

「無理だな」

「では、正直にいう事にする。確かに一時は考えた。公暁を焚きつけて実朝を殺し、てっぺんに上り詰めようと思った。だがやめた。なぜだか教えてやろうか」

「聞かせてもらおうか」

「お前のことを考えたら嫌になったんだよ。今のお前は、力にしがみついて恨みを集め、おびえ切ってる。そんな姿を見ていて、誰が取って代わろうと思うんだ」

「私にはもう、敵はいない。天も味方してくれた。これからは、好きにようにやらせてもらう」

「頼朝(よりとも)気取りか。いっとくが、これで鎌倉はガタガタだ。せいぜい、馬から落ちないように気を付けるんだな」

「私が狙われていたことは、公暁が私を殺そうとしていたことは、知っていたのか。私に、死んでほしかったのではないのか」

公暁がお前も殺そうとしていると知ったら、俺はその場であいつを殺していたよ」

 公暁は、三浦の館に逃げ込んできます。奥の間で飯を食います。京に戻って再起を図ることを語る公暁を、三浦義村は刃(やいば)で貫(つらぬ)くのでした。

 三浦義村は、宿老たちの居並ぶ部屋に、首桶を置きます。奥の屏風の前には、義時が座っています。三浦は、義時に見分を頼みます。義時は確かめ、三浦が公暁を討ち取ったことを宣言するのです。三浦は姿勢を正します。

「この先も三浦一門、鎌倉のために身命(しんめい)を賭(と)して、働く所存にございます」

 義時は立って三浦を見下ろします。

「北条と三浦が手を携(たずさ)えてこその鎌倉。これからもよろしく頼む」

 三浦は義時に深く頭を下げるのでした。

 渡り廊下を歩く義時を、泰時が呼び止めます。

「父上、先ほどは、人目があったのでお話しできませんでした。あの時、なにゆえ私の腕をつかまれたのですか。父上は、鎌倉殿の死を望んでおられた。すべて父上の思い通りになりました。これからは、好きに鎌倉を動かせる。父上はそう、お思いだ。しかし、そうはいきませぬ」

「どういう意味だ」

「私がそれを止めて見せる。あなたの思い通りにはさせない」

「面白い」義時は泰時の着物を直します。「受けて立とう」

 義時は泰時に背を向けて去っていくのでした。

 京では、後鳥羽(ごとば)上皇(じょうこう)(尾上松也)が、実朝の殺されたことを聞いて驚きます。

「つくづく鎌倉とは、忌(い)まわしいところだ」

 と、吐き捨てます。そんなところに親王を行かせる訳にはいかない。今回の話はなかったことにする。慈円僧正(じえんそうじょう)(山寺宏一)が、それでは鎌倉はますます、北条のやりたい放題になる、と語ります。

 そのころ鎌倉では、宿老たちに義時が話しています。

「これを機会に断ってしまえ。そして、別の方を推挙していただく。もっと我らに扱いやすいお方を」

 泰時たちが考え直すように述べます。朝廷の信用を失ってしまう。義時はいいます。

「確かに、こちらから断ればそうなるな。ならば、向こうから断ってくるように仕向けたい」

 義時は、一日も早く親王に来てもらいたいと強く催促することを思いつきます。

 実衣(みい)(宮澤エマ)は息子の阿野時元(森優作)を焚きつけます。

「ここが正念場ですよ。鎌倉で、源氏嫡流(ちゃくりゅう)の血を引くのは、全成(ぜんじょう)様の子である、あなただけなのですよ。必ず、鎌倉殿にして見せます。この母に任せておきなさい」

 義時は政子の前に髑髏(どくろ)を置きます。

公暁が持っておりました」

 政子はいいます。

「もうよい。どこかに丁寧に埋めてしまいなさい」

「かしこまりました」

「小四郎(義時)、わたくしは鎌倉を去ります」

「なりません」

「伊豆へ帰ります」

「できませぬ」

「もうたくさんなんです。なぜ止めるのですか」

「姉上が頼朝様の妻だからです。頼朝様のご威光(いこう)を示すことができるのは、あなただけだ。むしろ立場は、今まで以上に重くなります。今こそ、北条の鎌倉をつくるのです。邪魔する者はもう誰もいない」

「勝手にやりなさい」

「姉上にはとことん付き合ってもらう」

「放っておいて」

「鎌倉の闇を忌(い)み嫌うのは結構。しかし、姉上は今まで何をなされた。お答えになってください。闇を断つために、あなたは何をなされた。頼朝様から学んだのは、私だけではない。我らは一心同体。これまで、そしてこの先も」

 義時は運慶(うんけい)(相島一之)に、仏像を作るよう依頼します。自分に似せた仏像です。

「天下の運慶に、神仏と一体となった己の像をつくらせる。頼朝様が成しえなかったことがしたい」

 

『映画に溺れて』第530回 未来惑星ザルドス

第530回 未来惑星ザルドス

昭和四十九年十月(1974)
大阪 梅田 OS劇場

 

未来惑星ザルドス』を観たのは学生時代、大阪の梅田にあったOS劇場で、ここはシネラマを売り物にした巨大スクリーンの大劇場だった。
 いきなり空を飛ぶ荒々しい石の顔。未来を描いたSFでありながら、宗教的なファンタジーの色合いが濃かった。
 科学技術の進歩は人間の不老不死を可能にしたが、それはごく少数の特権階級に独占される。不死者たちは巨大なバリアに覆われた理想郷ボルテックスに住み着き、変化のない生活を三百年以上も続けている。不死の世界には生殖は不要で、子供は存在せず、永遠に時が止まっている。無気力に取りつかれた者はただ一日中、棒のように突っ立っているだけ。ボルテックスの秩序を乱す者は罰として加齢され、老人として生き続ける。
 理想郷の外は文明の退化した獣人たちの世界。獣人たちはボルテックスから飛来する石像の頭部ザルドスを崇める。ザルドスは口から銃器を吐き出し、貢物の穀物を飲み込んでボルテックスへ飛び去る。獣人の中の選ばれた殺戮者たちがザルドスから得た銃で、外界の人口を調節している。
 殺戮者のひとりゼッドが貢物の穀物に紛れてボルテックスに侵入する。不死者たちは獣人ゼッドを珍しがる。ゼッドの正体はボルテックスの不変に退屈した不死者の科学者アーサーによって遺伝学的に作られた突然変異種だった。ザルドスとオズの魔法使いの関連を示唆されたゼッドは欺瞞に満ちたボルテックスを終わらせる。
 老化はするが死なない世界はガリバーが旅行した不死の国へのオマージュか。
 ジョン・ブアマンの映画は、現実離れした比喩的なものが多い。私が封切りで観たのは『脱出』と『未来惑星ザルドス』だけで、それ以後の作品は二本立て二番館の世話になった。『エクソシスト2』は池袋文芸坐、『エクスカリバー』は大塚名画座、『エメラルドフォレスト』は新宿ローヤル、『戦場の小さな天使たち』は三鷹オスカー。町の名画座の充実している幸福な時代だったが、それは永遠には続かなかった。

 

未来惑星ザルドス/Zardoz
1974 アイルランドアメリカ/公開1974
監督:ジョン・ブアマン
出演:ショーン・コネリーシャーロット・ランプリング、セーラ・ケステルマン、ジョン・アルダートン、サリー・アン・ニュート、ナイオール・バギー

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第44回 審判の日

 髪の伸びた公暁(こうぎょう)(寛一郎)がいいます。

「明日(みょうにち)、実朝(さねとも)を討つ。右大臣の拝賀式(はいがしき)。実朝が八幡宮で拝礼(はいれい)を終えた帰りを襲う」

 三浦義村(山本耕史)がいいます。

「鎌倉殿の首を討てば謀反人。御家人たちの心が離れないようにすることが肝心かと」

「事を成したあと、集まった御家人たちの前で、これを読み上げる。北条が我が父を闇討ちしたこと、実朝がひどい謀略(ぼうりゃく)によって、鎌倉殿になったことを知らしめ、本来、鎌倉殿になるべきは誰なのかを示す」

「そこで、わが三浦の兵がすかさず、打倒北条を叫ぶことにいたしましょう。ほかの御家人たちは必ず付いて来ます」

「すべては、明日(あす)じゃ」

 建保七年(1219)一月二十七日になります。

 源仲章(みなもとのなかあきら)(生田斗真)は、北条義時(よしとき)の妻の、のえ(菊地凛子)と、貝合(かいあ)わせを楽しんでいました。仲章は、のえ、から、頼家(よりいえ)の死んだいきさつを聞き出そうとします。いえないという、のえ、に仲章は迫ります。のえ、の耳元に口を近づけ、

「聞きたいなあ」

 と、ささやくのです。

 北条義時(よしとき)(小栗旬)は、妻の、のえ、が、源仲章の部屋から出てくるのを目撃してします。そのことを問いただします。

「申し訳ありませんでした」

 と、謝る、のえ。

「あの男は私を追い落とそうと躍起(やっき)なのだ。なぜ御所まで来た」

「あのお方が、貝合わせをしたいとおっしゃるので」

「お前に近づいたのも、魂胆(こんたん)があってのこと。なぜそれが分からぬ」

「それ以上のことは何もありませんでした。手も握ってません」

「そんなことはどうでもいい。何を聞かれた。正直に答えろ。余計なことをしゃべってはいないだろうな」

「あたしを、見くびらないで」

 義時の息子である、北条泰時(やすとき)(坂口健太郎)は、公暁の動きを怪しんでいました。公暁が、雪に備えて蓑(みの)を用意していることを知ります。三浦の館でも、武装した兵たちが集まっています。泰時は義時に訴えます。

「父上、京の拝賀式は取りやめた方がいいかもしれません」

 義時は確認します。

公暁殿が、鎌倉殿を襲うと」

 それを確かめるために、義時は三浦義村と話をします。

「若君が」と、三浦は驚きます。「冗談じゃない」

「信じていいんだな」

「今は千日の参篭(さんろう)の真っ最中だ。若君には、鎌倉殿に取って代わろうなんてお気持ちは、これっぼっちもない。俺が誓ってやるよ」

 三浦は昔から、言葉と思いが別の時、襟(えり)を直す癖があります。今も襟を直していたのでした。

 義時は、鎌倉殿である源実朝(さねとも)(柿澤勇人)に会いに行きます。そばにいた源仲章がいいます。

「今更(いまさら)中止になど、できるわけがなかろう」

 義時がいいます。

「何かあってからでは遅いのだ」

「京から、上皇様が遣(つか)わされた方々が、すでに鎌倉にお入りになっておられる。馬鹿も休み休み申されよ」

「ならばせめて、警護の数を増やしていただきたい」

「式に関しては、この源仲章がすべてを任(まか)されておる。余計な口出しは無用。警護のことは考えておく」

 実朝がいいます。

「しかし分からぬ。なにゆえ公暁が私を」

 義時が答えます。

「鎌倉殿の座を狙ってのことかと」

「それより小四郎(義時)。よい機会だ。お前に伝えたいことがある」実朝は立ち上がって庭を見ます。「いずれ私は、京へ行こうと思う。ゆくゆくは御所を、西に移すつもりだ」

 義時は声がうわずります。

「お待ちください。頼朝様がおつくりになったこの鎌倉を、捨てると申されるのですか」

「そういう事にはなるが」実朝は義時の前にしゃがみます。「まだ先の話だ。今日は太刀持ちの役目、よろしく頼む」

 一人たたずむ義時に、源仲章が呼びかけてきます。

「北条殿。奥方から面白い話を聞きましたぞ。頼家様が身まかった真相。おぬしが、一幡(いちまん)様に対して何をしたか」

 義時は振り返ることなくいいます。

「鎌(かま)をかけても無駄だ。妻は何も知らん」

「ほう、まるで知られてはならぬことがあるような物いいだ。あとはとことん調べるのみ。主(あるじ)殺しは、最も重い罪。鎌倉殿にも、お知らせせねばなるまい」

「そなたの目当ては何だ。何のために鎌倉にやって来た」

「京でくすぶっているよりは、こちらで思う存分、自分の腕を試したい。望みは、ただの一点。人の上に立ちたい。それだけのことよ。やがて目障(めざわ)りな執権(しっけん)は消え、鎌倉殿は大御所となられる。新たに親王様を将軍にお迎えし、私がそれを支える」

「お前には無理だ」

「血で汚(けが)れた誰かより、よほどふさわしい」

 仲章は去っていきます。

 義時は大江広元(栗原英雄)に話します。

「今にして思えば、私の望んだ鎌倉は、頼朝(よりとも)様が亡くなられたときに終わったのだ」

 大江がいいます。

「あなたは、頼朝様より鎌倉を託された。放り出すことはできませぬ。あなたの前に立ちはだかるものは皆、同じ道をたどる。臆(おく)することはございません。それがこの鎌倉の流儀。仲章には死んでもらいましょう」

 義時は殺し屋のトウに命じるのでした。

 三浦の館を泰時が訪れます。式に来ないようにと告げます。三浦は息子の胤義(たねよし)にいいます。

「感づかれた。今日は取りやめだ。若君にお伝えしろ」

 公暁は少数の手下とのみ、事を実行しようとします。

 義時は異母弟の時房(ときふさ)(瀬戸康史)に話します。

「五郎(時房)、お前だけには伝えておく。ここからは修羅(しゅら)の道だ。付き合ってくれるな」

 時房は落ち着いています。

「もちろんです」

源仲章には死んでもらう」

「鎌倉殿にはどうご説明を」

公暁が、その鎌倉殿を狙っておる。恐らく今夜、拝賀式の最中(さいちゅう)」

「すぐに公暁殿を取り押さえましょう」

「余計なことをするな」義時はため息をつきます。「もはや、愛想(あいそ)が尽(つ)きた。あのお方は、鎌倉を捨て、武家の都を別のところに移そうと考えておられる。そんなお人に鎌倉殿を続けさせるわけにはいかん。断じて」

 その頃、実朝は三善康信(小林隆)を問い詰めていました。

「確かに私は、兄上の跡を継いで鎌倉殿になった。公暁が、恨みに思うのもわからないではない。しかし、どうにもおかしいのだ。幼くして仏門に入った公暁が、なぜそこまで鎌倉殿にこだわるのか。あの頃のことを知っている者は、数少ない。本当は、何があった。私が問うておるのだ」

 あたりが暗くなってきます。自室に一人座る源仲章のもとへ、刃を抜いたトウが近づこうとしていました。

 実朝は北条政子(小池栄子)と話します。

「兄上は突然の病で亡くなった。私はそう聞いていました。生き返ったらしいではないですか。生き返っても、居場所のなくなった兄上は、伊豆へ追いやられ、挙句(あげく)。なぜ黙っていたのですか」

 政子はやがていいます。

「あなたが知らなくてもよいことだから」

公暁が、私を恨むのは、当たり前です。私は、鎌倉殿の座を、返上しなければなりません」

公暁は出家しました」

「それも母上が無理やりさせた」

「あの子を守るため」

「いいえ、兄上が比企と近かったからです」

「北条が生き延びるには、そうするしかなかった」

「すべては、北条のため」

「そんなふうにいわないで」

「私は、鎌倉殿になるべきではなかった」

「何を考えているのですか」

「もちろん、親王様はお迎えします。今やめれば、上皇様に顔向けできません。だからこそ、公暁が哀れでならないのです。教えてください。公暁をないがしろにして、なぜ平気なのですか。兄上がそんなに憎いのですか。私と同じ、自分の腹を痛めて生んだ子ではないの…」

「実朝、やめて」

「私は、母上が分からない。あなたという人が」

 実朝は政子の前から去っていきます。

 実朝は公暁のところにやってきます。床にひれ伏すのです。

「すまぬ、公暁。今となっては、親王様の一件、どうしても断るわけにはいかないのだ。どうか、許してくれ」

「お顔をお上げください」

「さぞ、私が憎いだろう。許せぬだろう。お前の気持ちは、痛いほど分かる」

「あなたに、私の気持ちなど分かるはずがない。幼いころから回りから持ち上げられ、何一つ不自由せず暮らしてきたあなたに、志(こころざし)半(なか)ばで殺された父や、日陰でひっそりと生きてきた母の悔しさが分かるはずがない。私はただ、父の無念を晴らしたい、それだけです。あなたが憎いのではない。父を殺し、あなたを担ぎ上げた、北条が許せないのです」

「ならば、我らで力を合わせようではないか。父上がおつくりになった、この鎌倉を、我ら源氏の手に取り戻す。我らが手を結べば、必ず、勝てる」

 公暁は黙ってうなずくのでした。式が始まろうとするので、実朝は去っていきます。残された公暁はつぶやくのです。

「だまされるものか」

 義時は時房にいっていました。

「今夜、私は太刀持ちとして従う。公暁が鎌倉殿を斬ったら、その場で私が公暁を討ち取る。それで終わりだ」

 式に向かおうとする一行に、源仲章が加わります。トウは仲章を殺すことに失敗したのでした。

 式の警護に当たる泰時は、公暁がいなくなっていることを知ります。公暁のいた場所に、図面が残されていたのです。それは、式の終えて帰る行列の並びでした。大銀杏(いちょう)陰は、公暁が潜むところだと思われました。黒丸は鎌倉殿と思われ、朱で印がつけられています。そしてもう一つ、朱をつけられていたのは、義時の場所でした。

 粉雪は、戌の刻を過ぎたあたりから、ボタン雪となっていきます。

『映画に溺れて』第529回 脱出

第529回 脱出

昭和四十七年十月(1972)
大阪 難波 なんば大劇場

 

 ジョン・ブアマンの初体験は十代の終わりに観た『脱出』で、最初から最後まで緊張感の絶えない映画だった。
 ダム建設が始まり、水没予定の山奥の渓流に都会から四人の男がやってくる。こんなところに何しに来たんだと、彼らを胡散臭そうに見る村人の目は冷たい。
 四人の目的はほとんど人の手の入っていない自然の中の川下り。乗ってきた車を麓まで運んでほしいと村人と交渉する場面からして、ひやひやする。厳しい山村の暮らしを横目で見ながら、車に積んだ二艘のカヌーを川まで運び、いよいよ川を下る。
 温厚なエドと気性の荒いルイスは親友同士。これに横柄なボビーとインテリのドリューが加わり、二人一組でカヌーを漕ぐ。持参のアーチェリーで川の魚を獲って焼いて食べたり、テントで野宿。四人は大自然の危険な冒険を謳歌する。
 二日目、川岸に降りたエドとボビーが銃を持ったふたりの山男に襲われる。エドを拘束し、ボビーを弄ぶ山男。そこにルイスが到着し、山男のひとりをアーチェリーで射殺する。警察への通報を主張するドリューに反対し、結局、死体を埋めて隠蔽することに。どうせこのあたりはダムで沈んで証拠は残らないからと。
 川下りを続ける途中、ドリューがいきなり激流に飲みこまれ、ルイスは重症を負う。仕返しに来たらしい山男をエドが射殺する。が、ただの猟師かもしれない。
 ようやくたどり着いた下流の町で、警察が待っており、事情聴取される。都会人が遊び半分で自然をなめるな。とでも言いたいような警官の応対。
 エドが『真夜中のカウボーイ』のジョン・ヴォイト、ルイスがタフガイのバート・レイノルズ、どちらも当時三十過ぎの若手スターだった。知的で良識派のドリューがロニー・コックス。コックスはその後、『ロボコップ』でロボット企業の悪重役を憎々しく演じていた。
 山男に凌辱される太ったボビーがネッド・ビーティ。男が男に犯される場面、十代の私にはそれがなによりショックで、忘れられない。

 

脱出/Deliverance
1972 アメリカ/公開1972
監督:ジョン・ブアマン
出演:ジョン・ヴォイトバート・レイノルズネッド・ビーティ、ロニー・コックス

 

書評『家康が最も恐れた男たち』

書名『家康が最も恐れた男たち』
著者名 吉川永青
発売 集英社
発行年月日  2022年10月25日
定価    本体840円(税別)

 

 家康には二つの像がある。狸親父のイメージの如く忍従の長い年月で培った老獪さを持つ稀代の策謀家としての像と、平和国家建設のために邁進する卓絶した国家経営者としての家康像である。いずれにせよ、戦乱の世に終止符を打った武将であることには相違ないが、本書を手にした読者の期待の一つは2022年度の日本歴史時代作家協会の作品賞を受賞した斯界のホープ・吉川永青(よしかわながはる)がいかなる家康像を造形するかにある。
 家康は『東照宮御遺訓』の中で、「人の一生とは、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし、急ぐべからず」と述べている。この「遺訓」は後世の創作という説もあるが、75歳の家康が自分の死を前にして、過去を回想しつつ「遺訓」を書き、側近の儒者林羅山(はやしらざん)を召して「遺訓」の真意を語る形式で物語は進行する。
 家康には「最も恐れた男たち」がいた。武田信玄に始まり、真田信繁に終わる八人の男たちで、彼らは家康の生涯の時系列に即して登場し、短編8編が構成されている。家康は彼らの何に恐れ、彼らから何を学んだのか。

 巻頭を飾る一篇は「武田信玄」――。元亀3年(1572)、時に家康30歳。信玄はすでに晩年で、その52歳の生涯の総仕上げとして上洛を目指す。家康は敢然として浜松城から打って出て、信玄の大軍と対決するも、信玄の思うがままに踊らされ、遠江の三方ヶ原で完膚なきまでの大敗を喫する。
 家康は信玄の「周到、慎重、大胆不敵、さらにその上を行く深慮遠謀」に息が詰まるほどの恐れを抱き、「大業を成すには、ことを急ぐべからず。周到に慎重に、幾重にも罠を張るべし」と悟る。作家は家康の「勝つべくして勝つ男」未来の天下人の基礎がここに形作られたとする。
織田信長」――。信長像は、中世的権威の破壊者としてみるもの、狂人じみた魔王であるとみるものと振幅が激しいが、作家は「家康は信長を永劫に満たされぬ望みを持て余し、胸中に毒を生んで怪物と化した男」と観る。
 家康は桶狭間の戦い後、今川氏を見限り、永禄5年(1562)信長と同盟する。時に家康(当時は元康)21歳、信長29歳。信長の同盟者として「天下布武」実現の先兵となって家康は戦うが、作家は、「家康は信長の力と鬼気に恐れをなし、何を求められても諾々と従う他になかった」と観る。信長との同盟は信長が死ぬまで続くが、武田氏滅亡後、「徳川は織田と対等の盟友ではなくなった」とも。かくして、信長の生涯を「他人から《認められること》で大業を成し、そして行き過ぎて身を滅ぼした」と締めくくる。信長の軛から解き放たれた家康が信長から学んだことは「常に上を見て、どれほどを得ても満ち足りず、なお多くを求めては、周りを引いては世を不幸にする」ことであり、かくて、家康は信長の手法とは違う地道なやり方で、国造りを目指すこととなる。

真田昌幸」――。信長の死。武田氏の故地甲州、信州には北条氏、上杉氏の強大な戦国武将が乱入した。武田の臣であった小領主の昌幸は武田氏の滅亡後、北条、織田、徳川、上杉と目まぐるしく主君を変えざるをえなかった。昌幸は家康が天下を睨んでいることを承知しながら、北条との諍いを起こして家康の足元を危うくした」。昌幸は上杉氏と結ぶことで家康を袖にする。 

 家康は、信玄に「才気絶倫」と称賛され、秀吉より「表裏比興の者」と評された男・真田昌幸の「寒気を覚えさせる眼光」と「人としての素直な情け」、この二つがどうしてもかみ合わないことに身震いするとともに激怒する。
惨敗を喫した第一次上田合戦で、家康が学んだことは、「怒りは万事に於いて人の敵。堪忍ならぬ話も曲げて堪忍する。そうやって心を平静に保てば、自ずと道は拓けよう」(150頁)ことであった。

豊臣秀吉」――。家康が甲信の経営を進めているうちに、秀吉は驚くべき速さで天下人への道を駆けあがっていた。天正12年(1584)の小牧(こまき)長久手(ながくて)の戦いは秀吉と家康43歳が激突した最初にして最後の戦いであるが、秀吉は翌年には人臣最高の位である関白の座に就き、翌々年には朝廷より豊臣姓を下賜されている。信長亡き後のわずか3年余のことである。「家康は秀吉の力を見くびっていたと反省。あやつは既に信長殿の残した力を握っておる」。
 天下統一を果たした秀吉は、やがて、破天荒なまでに栄耀栄華に耽り、晩年には、前後7年にも及ぶ朝鮮半島での戦争に国民を駆りたてるが、家康は羅山に打ち明けている、「秀吉は、実は天下を取る前のほうがよほど恐ろしかった。まごうかたなき恫喝に寒気を覚えた」と。秀吉の強かな政略で追い込まれ、その配下となる。「秀吉に従う以外の道を知らぬうちに塞がれていた」のである。
 家康の秀吉観は「常に上ばかり見てきたという、その一点において、信長と秀吉の二人はよく似ている」。「ゆえに、秀吉が世の中を良く導くとは思えん。故に諦めぬぞとな」。

前田利家」――。秀吉の死、享年63。時に家康57、利家61歳。天下取りを目指す家康にとって、秀吉と共に信長麾下の宿将であり、今や秀頼の後見人として家康の専横を譴責し、豊臣家中で“人望”を集める利家は「家康の最も煙たい存在」であった。「家康以上の凡物・前田利家にさえ、人望という形に於いて全くかなわなかった」ことを家康は認めていたとする。

石田三成」――。秀吉の死の翌年、利家の死。慶長5年(1600)の「関ヶ原」が一気に動き出す。豊臣政権の苛烈な政策で人心が離れるなかで、豊臣恩顧の武将が豊臣氏に見切りをつけ、家康になびく者が増えていくが、三成はただ一人、秀吉の遺言を守り、秀頼のため豊臣のために、家康の前に立ちはだかった。はたして、三成は凡将であったのか。家康は三成が挙兵しても人は集まらないとみていたのか。「恐れるに足らず――その油断を誘うべく、三成はずっと死んだふりをしていた。三成はつくづく恐ろしい奴だった。三成が12万も束ねるとは。もし三成が秀頼の出馬を勝ち取って東下していたら……」。齢59の今まで、みずからの非才を痛感し続けてきた家康は三成に「恐れを抱かされたこと」そのものを噛み締めている。

黒田如水」――。秀吉を天下人にした天才軍師の官兵衛孝高(如水)は秀吉の智嚢だった男。秀吉は如水の智謀を恐れていたが。家康も「如水がいかなる時も平らかな眼差し、面差しをしているが肚の底が見えない。得体の知れぬ恐ろしさに、身震いしている」。
 如水は関ヶ原の戦いが終わったと知りつつ、九州を平らげて回った。「三成に与して大敗した西国衆の多くを併呑して力に変えるのは如水には容易な話。そうなっていたら関ヶ原を超える苦難の一戦が強いられたはず」。「奇異な恐怖。あるいは秀吉も同じ思いを抱き、如水を遠ざけていたのか」と。しかし、家康が如水の才能に嫉妬することはなかったとする。

 掉尾を飾るのは幸村の名で遍く知られる名将「真田信繁」――。大坂夏の陣。幸村は家康本陣に突入し、旗本を蹴散らす。家康の金扇の馬印が砂塵にまみれ、家康が自害を口走ったと言われるほどの壮絶果敢な追撃であった。が、家康は懸命に力を尽くして生きのびる。
「やはりわしは凡夫よな。非才ゆえにひとを恐れ、恐れたからこそ生き延びた。生き続けた末に、世の頂にという座に就いた。すべては自分の生を慈しんできたがゆえなのだ」……。
「齢75を数える今まで、多くの者を恐れてきた。そして恐れた相手からおしなべて何かを学んできた。天下をこの手に握ったのは、いうなれば自分の怖がりだったからこそ」……。

 家康の生涯のその時々の生きざまに注目し、短編という限られた紙幅の中に、従来の諸作とはまったく異なった視点で、人間家康の素顔を活写している。短編小説技巧の冴えわたる作品で、読みどころ満載である。読者諸氏は自らひもといて吉川流戦国史観を堪能していただきたい。

          (令和4年11月17日  雨宮由希夫 記)

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第43回 資格と死角

 京から、頼家(よりいえ)の残した子、公暁(こうぎょう)(寛一郎)が鎌倉に戻ってきています。三浦義村(山本耕史)が公暁にいいます。

「明日は御所(ごしょ)におもむいて、鎌倉殿(かまくらどの)と尼御台(あまみだい)にご挨拶を」

「例の件はどうなっておる」

 と、公暁はたずねます。

「若君は、鎌倉殿が、お子にも等(ひと)しいとした唯一(ゆいいつ)の男子。鎌倉殿の跡を継ぐのは、若君のほかはございません」

「必ず、鎌倉殿になってみせる。私は、そのために戻ってきた」

「必ずその願い、叶(かな)えてごらんに入れます」

 と、三浦義村は頭を下げるのでした。

 三浦義村は、渡り廊下で北条義時(よしとき)(小栗旬)と話します。

「小四郎(義時)、鎌倉殿の跡継ぎのことなんだが、いまだにお子ができず、鎌倉殿は側室(そくしつ)を持とうとされない。だったら、若君で決まりではないのか」

「来てくれ」

 と、義時は人目をはばかり、三浦をいざないます。

 公暁北条政子(小池栄子)と会っていました。政子がいいます。

公暁、今のわたくしは、息子と孫の成長を見守る、それだけが生きる縁(よすが)なのですよ」

 公暁がいいます。

「尼御台のお計(はか)らいで、私は出家し、おかげさまでこの通り、心身を鍛えました。いずれは亡き祖父、亡き父の願いに添(そ)う、立派な鎌倉殿になる所存です」

 政子は驚きのあまり口がきけません。

 一方、義時と話す三浦義村も動揺しています。

「ちょっと待ってくれ。どういうことだ」

 義時が話します。

「だから、次の鎌倉殿は、京よりお招きする」

 三浦は大声になります。

「若君は」

「頼家様は、鎌倉の安寧(あんねい)を脅(おびやか)かされた。公暁殿は、その子。跡を継がせるべきではない、という鎌倉殿のお考えだ」

「おかしいだろう」

「私だって、それでいいとは思っていない」

「いずれ鎌倉は、西の奴らに乗っ取られるぞ」

 そこへ政子がやってきます。

公暁には話していないのですか」

 義時は聞きます。

「何か申されてましたか」

「あの子は鎌倉殿になるつもりです。なぜきちんと説明しておかないのです」

「そもそも、話すいわれはありません」

公暁は還俗(げんぞく)する気になっています」

 義時は三浦に向き直っていいます。

「許されるはずがないだろう」

 三浦はいいます。

「そこまで覚悟を決めておられるのだ」

 公暁は、鎌倉殿である源実朝(さねとも)(柿澤勇人)に会っていました。実朝がいいます。

「この度(たび)、京より養子をとることにした。いずれはその子に、跡を継いでもらうつもりだ。私は大御所となり、そなたは、鶴岡(つるがおか)別当として、新しい鎌倉殿の良き相談相手になってもらう」

 暗い部屋で、公暁は、三浦義村を怒鳴りつけます。

「話が違う」

 三浦はいいます。

「鎌倉殿が、勝手にいわれているだけです」

「京へ帰る」

「とりあえず若君には予定通り、千日の参篭(さんろう)に入っていただきます。その間に、私が」

「鎌倉殿を説き伏せられるのか」

「お任せください」

 千日参篭とは、外界との交流を断ち、堂内にこもって、神仏に祈る行為です。出入りできるのは、世話役の稚児(ちご)のみです。

 京の上皇(じょうこう)の文(ふみ)が、実朝に届けられます。実朝はその内容を、皆に伝えようとします。

「かねてより進めていた、京より養子をとるという話だが」

 義時が話をさえぎります。

「かようなことを、ごく一部の者で決めれば、やがて、御家人たちが騒ぎかねません」

 実朝が声を張ります。

「大事なことだからこそ、自分で決めたいのだ」

「ご先代の頃より、大事なことは評議で決めるのがこの鎌倉の習(なら)わし」

 ここで三善康信(小林隆)が口を挟みます。

「しかしながら、ご先代の時より評議で話がすんなりまとまったことはございませんぞ」

 気を取り直して義時がいいます。

「ここはもう一度、我ら宿老が時(とき)をかけて話し合うべきではないでしょうか」

 実朝が穏やかに話します。

「申し訳ないが、これはもう決めたことなのだ。かねてより、上皇様には、ふさわしいお方をお選びいただきたいとお願いしていたのだが、そのお返事が届いた。上皇様は、親王(しんのう)様の中から、誰かを遣(つか)わしてもよいとおおせだ」

 親王とは、上皇の子のことです。実朝は続けます。

「これ以上ことはあるまい。義時、これならば、反対する御家人はいないと思うが」

 義時はいいます。

「実現すれば、これに勝る喜びはございません」

 実朝は上洛して、話を固めたいと話します。義時は、鎌倉殿の上洛を軽く考えてはならないと語ります。ここで申し出たのが、北条政子でした。京に行って、話をまとめてくるというのです。これで話が決まります。政子は実朝にいいます。

「この母に、お任せあれ」

 三浦義村は、暗い部屋で、弟の三浦胤義(たねよし)(岸田タツヤ)と話します。

「このままでは若君は、一生、鎌倉殿にはなれん」

 胤義が悔しがります。

上皇様のお子となれば。あきらめるしかないですね」

「いや、俺はあきらめん。三浦が這い上がる最後の好機なんだ。何とかしなければ」

 北条政子は、京の院御所に到着していました。後鳥羽上皇の乳母(めのと)である藤原兼子(ふじわらのかねこ)と対面します。

「卿二位(きょうのにい)兼子様。この度(たび)は、息子、実朝の跡継ぎの件で骨を折っていただき、誠にありがとうございます」政子は持ってきた箱を開けます。「つまらないものですが、干し蛸(たこ)にございます。お口汚(よご)しにございますが、お納(おさ)めくださいませ」

 兼子が口を開きます。

「ほう、坂東の習(なら)わしでは、口が汚れるものを差し出されるか」

 政子はひるみません。蛸の入った箱を持って進み出ます。

「たまには、汚れたものを口にするのも、ようございますよ。日々の食事がいかにおいしいか、改めて思いをいたすことができます」

「政子殿、はるばるようこそ、遠い坂東からおこしになった」

「地の果ての鎌倉から参りました」

「さっそく本題に入りましょう」

親王様のどなたかを、鎌倉にお遣(つか)わし下さるとのこと。感謝しております」

「実は悩んでいるのよ。上皇様と鎌倉殿は、和歌を通じて、ご昵懇(じっこん)の仲」

「ありがたいことにございます」

「鎌倉殿の力になりたいと、上皇様は申されるのですが、わたくしとしては、やはり、何かと不穏(ふおん)な鎌倉に、大事な親王様を送り出すというのはねえ」

「このところ鎌倉は、ようやく落ち着きましてございます」

「ようやく、でしょ」

 政子は出家していない二人の親王の名前を挙げます。このうちで兼子が育てた親王を鎌倉に遣わすことを提案します。帝(みかど)の妃(きさき)が子を宿している。兼子の育てた親王に帝の目はない。ならば代わりに鎌倉殿になってくれれば、これほどうれしいことはない。この後、兼子と政子はすっかり打ち解けるのです。

 鎌倉に遣わされる親王が決まります。実朝は「左大将」に任じられます。「右大将」であった、頼朝(よりとも)を、ある意味、超(こ)えたのです。政子は「従三位(じゅさんみ)」に叙(じょ)されることになります。実朝は、泰時(やすとき)(坂口健太郎)も、何かの官職に推挙(すいきょ)してやりたいといい出します。源仲章(なかあきら)(生田斗真)がいいます。菅原道真(すがわらのみちざね)公と同じ、讃岐守(さぬきのかみ)はどうか。

 帰ろうとする義時は、廊下で源仲章に呼び止められます。親王が鎌倉殿になった暁(あかつき)には、自分は関白(かんぱく)として支え、政(まつりごと)を進めていく。義時は伊豆に帰り、そこで余生を過ごすといい。自分が執権(しっけん)になってもいい。

 義時が泰時の館を訪れます。

「単刀直入にいう。讃岐守のこと、断ってもらいたい」

 間を置いた後、泰時がいいます。

「訳をうかがってもよろしいですか」

「お前は私を良く思っておらぬ。しかし私はお前を認めている。いずれお前は執権になる。お前なら、私が目指していて成(な)れなかったものに成れる。その時、必ずあの男が立ちはだかる。源仲章の好きにさせてはならぬ。だから今から気を付けよ。借りを作るな」

「ご安心ください。私も讃岐守は、ご辞退しようと思っていたところです。気が合いましたね」

 義時は立ち去り際にいいます。

親王を将軍に迎える件、受け入れることにした。つまり親王は、こちらにとっては人質だ」

 泰時は義時を追って聞きます。

「父上が、目指していて成れなかったものとは何ですか」

 義時はそれには答えませんでした。

 義時の妻の、のえ(菊地凛子)は、源仲章と良い雰囲気になっていきます。

 千日の参篭を行う堂内に、三浦義村は呼ばれます。公暁が問います。自分が鎌倉殿になる可能性はなくなったのか。

「無念にございます」

 と、三浦はいいます。公暁は嘆きます。

「いったい私は、何のために戻ってきたのだ」

「若君が鎌倉殿になれば、必ず災いが降りかかる。これでよかったのです」

「どういう意味だ」

「お母上から何も聞いていないのですか」

「何のことだ」

「お父上の、死に至るまでのいきさつを」

「父は、志半(こころざしなか)ばで病に倒れたと」

 三浦は公暁の父、頼家(よりいえ)が、北条の手によって殺されたと告げます。北条は頼家とその家族を皆殺しにした。本来ならば跡を継ぐべきあなたの兄も、義時によって殺された。三浦は公暁に向かって立ちます。

「北条を許してはなりませぬ。そして、北条にまつりあげられた源実朝もまた、真(しん)の鎌倉殿にあらず」

 三浦は公暁のもとを去っていきます。

 政子が鎌倉に戻ってきます。事の成功を実朝と喜び合うのでした。

 実朝は義時たちの前でいいます。

「一日も早く、鎌倉殿の座を、親王様にお譲りし、父上も見ることのなかった景色を見てみたい」 

 七月八日、直衣始(のうしはじめ)の儀式が執(と)り行われます。左大将となった実朝が、初めて直衣(のうし)をまとって、参拝する行事です。半年後、この鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)で、惨劇が繰り広げられるのです。

 

『映画に溺れて』第528回 アメリカの夜

第528回 アメリカの夜

昭和四十九年十二月(1974)
大阪 北新地 梅田東映ホール

 

 フランス版の『キャメラを止めるな!』を見ていて、連想したのがフランソワ・トリュフォー監督の『アメリカの夜』である。特殊レンズを使って昼間に夜の場面を撮影する手法のことをアメリカの夜というらしい。
 最初の場面は町の広場。人々が行き来し、自動車やバスが通る。地下鉄の出口からひとりの若者が現れて町を歩く。反対側から初老の男がやってくる。ふたりは立ち止まり、向き合う。いきなり若者が相手の頬を叩く。
「カット」の声で、動きはストップ。町と思われたのは撮影所のセット、建物は表側だけで裏は張りぼて、歩く人々はエキストラ。見事な出だしである。これは映画の様々な撮影現場を描いた映画なのだ。トリュフォー監督自身が監督フェランを演じる。
 撮影中の映画のタイトルは「パメラ」、主人公パメラ役のジュリーがハリウッドからニースのスタジオにやってくる。若い夫を演じるのは神経質なアルフォンス。母を演じるのがイタリアの名女優セブリーヌ。父を演じるのがハリウッドでも鳴らしたアレクサンドル。内容は初老の父親が息子の妻パメラと愛し合う不倫物語である。
 日数と予算は限られ、フェラン監督は次々と浮上する難題に対処しながら、撮影を進める。
 ジュリーは精神的な病気を克服したばかりの病み上がり。セブリーヌは年齢を気にして、酒を飲みすぎ、何度も段取りを間違える。アルフォンスはスクリプターのリリアーヌと恋仲だが、浮気症の彼女に振り回され、いらいらしている。さらに大きなトラブルがあり、それでもカメラは止められない。
 映画はこうして作られるというトリュフォー自身の内幕ものでもある。
 ジュリーを演じるジャクリーン・ビセットをはじめ、ヴァレンティナ・コルテーゼ、ジャン=ピエール・オーモン、ジャン=ピエール・レオ。スターがスターを演じ、名優が名優を演じ、監督が監督を演じる。これ以上のリアリティはないだろう。

アメリカの夜/La Nuit américaine
1973 フランス/公開1974
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャクリーン・ビセット、ヴァレンティナ・コルテーゼ、ジャン=ピエール・オーモン、ジャン=ピエール・レオ、アレクサンドラ・スチュワルト、フランソワ・トリュフォー、ジャン・シャンピオン、ナタリー・バイ、ダニ、ベルナール・メネズ

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第42回 夢のゆくえ

 鎌倉殿である源実朝(みなもとのさねとも)(柿澤勇人)は、北条義時(よしとき)(小栗旬)の息子である北条泰樹(やすとき)(坂口健太郎)に宣言します。

「父上がつくられた、この鎌倉を、源氏の手に取り戻す」

 泰時が確かめます。

「北条から取り戻すということですか」

 実朝は直接には答えません。

上皇様を手本としたい。あのお方は、何事も人任せにせず、ご自分でお裁(さば)きをなされる」実朝は泰時を見つめます。「お前の力を借りたい」

「私も、北条の者ですが」

「義時に異(い)を唱えることができるのは、お前だけだ」

 泰時は頭を下げます。

「鎌倉殿のために、この身を捧げます」

 実朝は、義時をはじめとする宿老たちの前で話します。

「今年は日照りが続いた。将軍家領だけでも、秋から年貢を、去年の三分の一にしたい」

 宿老たちが口々に反対します。やがて泰時が話し始めます。

「一度にすべての領地で年貢を減らすわけではありません。御所領をいくつかに区切り、年ごとに、年貢を減らす土地を変えていく」

 義時が泰時を怒鳴りつけます。

「お前はどういう立場でそこにいるのか」

 実朝がいいます。

「太郎(泰時)は私が頼んで、ここにいてもらっている」 

 泰時もいいます。

「父上が、義理の弟というだけのことで、頼朝様のそばにお仕えしたのと同じです。私も、鎌倉殿の従弟(いとこ)ということで、ここにおりますが、何か」

 義時は泰時をにらむのでした。

 義時は、父の時政の印象の強い、執権(しっけん)になることをためらっていましたが、ついにそれを名乗ることにします。

 執務(しつむ)を行う実朝のもとへ、訴えが読み上げられます。米の取れ高が、半分で苦しいところに、近くの将軍家領が年貢を三分の一に引き下げた。農民たちが不公平だと怒っている。義時が泰時を見据えて発言します。

「将軍家領だけ年貢を減らしたら、こういうことになる」

 執務が終わった後、泰時は実朝に謝ります。

「私の考えが甘かったのです。申し訳ございませんでした」

 実朝は、上皇から贈られた絵を泰時に見せます。

「世を治めるためには、私自身が慈悲深い名君とならねばならぬ。聖徳太子様は、尊(とおと)いお生まれに満足されることなく、功徳(くどく)を積まれた。私の、道しるべだ」 

 源仲章(なかあきら)(生田斗真)が、宋(そう)の技術者、陳和卿(ちんなけい)(テイ龍進)を伴って京から戻ってきます。実朝は陳和卿との出会いの場面を、夢に見ていました。夢日記にそのことが記してあます。実朝は陳和卿を信頼する気になります。陳和卿は実朝にいいます。

「大きな船をつくりましょう。誰も見たことのない、大きな船。それで宋へ渡り、交易(こうえき)をおこなうのです」

「船は作れるか」

 と、実朝は聞きます。

「もちろん」

 と、陳和卿は返事をします。実朝は目を輝かせます。

「すぐにとりかかってくれ」

 義時たちは、船の建造について話していました。泰時が発言します。

「ひとつ、気がかりなことが。陳和卿は、鎌倉殿の夢を当て、信頼を得ました。しかしながら、鎌倉殿の夢日記は、あの部屋に出入りする者なら、いつでも見られます」

 陳和卿は、前もって夢日記の内容を知っていたのです。源仲章なら、それを見ることが可能でした。義時がいいます。

「つまり、西のお方が糸を引いているということか。この船は坂東のためにはならぬ。完成させるわけにはいかんなあ」

 八田知家(市原隼人)が現場を仕切り、船造りは進められます。

 義時は北条政子(小池栄子)と話します。

「頼朝様は西と一線を画(かく)し、鎌倉を武家の都にと考えておられました。されど鎌倉殿は今、上皇様のいいなりです。頼朝様のご意思に反します。誤ったものは改(あらた)めなくてはなりません。鎌倉殿には、表(おもて)から退(しりぞい)いていただきます。以後、政(まつりごと)は我ら宿老が」

 実朝は、建造中の船に乗って、自分も宋へ渡りたいと夢を口にします。泰時も千世(ちよ)(加藤小夏)も連れて行きたいというのです。

 執務の場で、北条時房(瀬戸康史)が実朝に述べます。

「船の建造を中止していただきたいのです。御家人の間からも不満が出ております」

 実朝がいいます。

「私は父上と違い、何の苦労もなく、この座についた。人心をつかむためには、功徳(くどく)を積むよりない」

 義時が声を張ります。

上皇様にそそのかされて作る船など、必要ござらぬ」

「母上の考えをうかがいたい」

 と、弱々しく実朝がいいます。政子はいます。

「徳を高めるのも大事かもしれません。でもそればかりを求めていると、疲れてしまいませんか。生き急ぐことはない。ゆっくりと時をかけて、立派な鎌倉殿になれば良いのです」

「結局、兄上と同じではないか」実朝は立ち上がります。「もうよい。船は中止だ」

「お待ちください」と、三善康信(小林隆)が呼び止めます。「今やめては、御家人たちの苦労は水の泡」三善は政子に頭を下げます。「どうか、船の建造は続けさせてください。鎌倉殿の思いがこもっておるのです」

 結局、造船は、政子の決断で続けられることになります。

 実朝は、船の建設現場を訪れます。そこで八田知家に質問します。

「どうやって、海まで運ぶ」

 八田は答えます。

「よくぞ聞いてくれました。船の下に、丸太のコロが敷いてあります。完成したところで支えを外し、コロに乗せて、引き潮の間に、皆で引っ張る。

 夜中、皆が寝静まったころ、時房はトウ(山本千尋)を連れて、図面の数字に細工するのでした。

 建保(けんぽう)五年(1217)四月十七日。船の出航を見ようと物見台に集まった実朝らのもとへ、八田がやってきます。

「えらいことになった。支えを外して、コロに乗せたまではよかったが、引き始めたら、船が浜にめり込んじまった」

 皆で船を引きますが、一向に動く様子は見られません。重さの計算が間違っていたのです。ついにコロが折れてしまいます。船を海に浮かべることは、とうとうできませんでした。

 その後、船は、浜辺で朽ち果てた姿をさらし続けます。

 政子が実朝に発破(はっぱ)をかけます。

「これくらいでくじけて、どうするのですか。やるならとことんやりなさい。自分の政(まつりごと)がしたければ、もっと力をつけなさい。御家人たちが束になってかかっても、跳ね返すだけの大きな力を」

 力なく実朝は聞きます。

「しかし、どうすれば」

 政子は立ち上がります。

「母は考えました。あなたが鎌倉の、ゆるぎない主(あるじ)となる手を」

 執務の場で、実朝は宣言します。

家督(かとく)を譲る。鎌倉殿を辞(じ)し、大御所となる。外から養子をとることにした」

 義時が発言します。

「お待ちください。嫡流(ちゃくりゅう)であれば公暁(こうぎょう)殿がおられます」

 実朝が返答します。

「あれは、仏門に入った。おいそれと還俗(げんぞく)はできぬ。朝廷に連なる、特に高貴なお血筋の方をもらい受ける。上皇様にお願いしてみるつもりだ」

 義時がいいます。

「鎌倉殿は、源氏の血筋から代々出すことになっております」

「誰が決めた。文書(もんじょ)は残ってなかろう。すぐに仲章(なかあきら)と話を進めろ」

 義時が声を張ります。

「鎌倉殿とは、武士の頂(いただき)に立つ者のことでございます」

 実朝も負けじと、大声で義時をさえぎります。

「その鎌倉殿を、今後は私が、大御所として支えていく」

「どなたの入れ知恵かは分かりませぬが、そのようなこと、お一人で決めてしまわれてはならない」

 ここで政子が発言します。

「鎌倉殿の、好きなようにさせてあげましょう」

 義時が言葉に力を込めます。

「鎌倉殿は、源氏と北条の血を引く者がつとめてきました。これからもそうあるべきです」

 政子が声を上げます。

「北条が何ですか。小四郎(義時)、あなたがいったのですよ。北条あっての鎌倉ではない。鎌倉会っての北条、と。まずは鎌倉のことを考えなさい」

 泰時が義時の背後からいいます。

「執権殿は、ご自分の思い通りに事を動かしたいだけなのです。鎌倉は、父上一人のものではない」

 結論を出すように政子がいいます。

「都(みやこ)の、やんごとなき貴族から養子をとる。実現すれば、これ以上の喜びはございません」

 六年ぶりに、公暁(寛一郎)が京から戻ってきます。