『映画に溺れて』第538回 ナイトメア・アリー
第538回 ナイトメア・アリー
令和四年三月(2022)
立川 TOHOシネマズ立川立飛
ナチスがポーランドに侵攻した一九三九年、アメリカでは大恐慌の影響で失業者が溢れ、禁酒法のせいで酒にも不自由していた。
無職の浮浪者スタンはたまたまカーニバルに紛れ込む。そこでは生きた鶏をむしゃむしゃ食う獣人ギークが見世物になっていたが、逃亡した獣人を取り押さえたおかげで、スタンは座長のクレムに気に入られ、一座に雑用係として加わる。
獣人の正体は酒浸りで理性を無くした浮浪者のなれの果てだった。
スタンは読心術夫妻に取り入り、トリックを習得する。やがてカーニバルの電気発光少女モリ―と恋仲になり、彼女を口説いて駆け落ちし、都会でモリーを助手に読心術を披露し名声を得る。
華やかなショービジネスの世界で成功したスタンとモリーの間に女性心理学者リッター博士が割り込み、彼のトリックを利用し、権力者に紹介して死者との交信を実現させる。
欲をかいたスタンはおかげで恋人モリーを失い、多額の報酬もリッターに騙し取られ、最後はどん底に落ち込む。そして酒浸りで理性を無くしたスタンの行く末はカーニバルの見世物小屋だった。
原作はウィリアム・リンゼイ・グレシャムの一九四〇年前後のパルプフィクションであり、一九四七年にタイロン・パワー主演で『悪魔の往く町』として映画化されており、今回のギレルモ・デル・トロ監督作品は二回目の映画化で、一九三二年の『怪物團/フリークス』を思わせる。
主演はブラッドリー・クーパー、リッター博士がケイト・ブランシェット、モリーがルーニー・マーラ、座長がウィレム・デフォー、読心術夫婦がトニ・コレットとデヴィッド・ストラザーン。渋い配役である。
ナイトメア・アリー/Nightmare Alley
2021 アメリカ/公開2022
監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:ブラッドリー・クーパー、ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラ、トニ・コレット、ウィレム・デフォー、リチャード・ジェンキンス、ロン・パールマン、デヴィッド・ストラザーン、メアリー・スティーンバージェン
大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 最終回 報いの時
「みんなやる気になっている。勝つかもしれないな」
三浦がいいます。
「分からんぞ。今は盛り上がっているが、本気で上皇様と、戦うつもりがあるのか」
二人は侍たちが話すのを聞きます。守りを固めるのが一番ではないか。京まで攻め込むのはどうかと思う。
「あれが本音だ。できれば皆、戦いたくないんだ」
と、三浦は決めつけます。
のえ(菊地凛子)、は父の二階行政(野仲イサオ)に叱責(しっせき)されます。
「どうして婿殿(むこどの)をお止めしなかった。このままでは朝敵だぞ」
のえ、は鏡を見ながら、髪を梳(す)いています。
「良いではないですか。太郎(泰時)殿や次郎(朝時)殿に、いくさでもしものことがあればですよ、北条の跡取りは我が息子になるんですから」
「馬鹿者、その時は鎌倉が、灰になっておるわ」
北条義時(よしとき)(小栗旬)たちが、朝廷と戦う戦略を練っています。早く兵を出さなければならないという大江広元(栗原英雄)に対して、御家人を集めるには時間がかかると泰時(やすとき)(坂口健太郎)が述べます。義時は自分が総大将になって、今すぐ兵を出すといい出します。結局、泰時が総大将になり、先陣を切って京に向かうことになります。泰時を入れて十八人で出発します。義時は泰時の肩を叩いていいます。
「鎌倉の命運、お前に託した」
いくさの準備をする侍たちの中で、長沼宗政が三浦義村に話しかけます。
「泰時が鎌倉を発(た)ったぞ」
三浦はいいます。
「まあ、兵は二千も集まればいいところだろう」
「どうする」
「俺たちも出陣する。合流すると見せかけて、木曽川の手前で背後から攻め込む。泰時の首を手土産に、そのまま京へ入る」
京に向かう泰時に次々と御家人が合流し、その数は一万を超えるまでになりました。
京にいる後鳥羽上皇(尾上松也)に、義時からの書面が届けられます。十九万の軍勢を上洛(じょうらく)させるので、西国武士との合戦を、御簾(みす)の隅(すみ)からご覧あれ、と書かれています。後鳥羽上皇は、藤原秀康(ひでやす)(星智也)に、今すぐ動かせる兵はどれくらいか、とたずねます。一万余り、と藤原は答えます。後鳥羽上皇は、相手の十九万を、まやかしの数と決めつけます。
六月五日。泰時率いる軍勢は、藤原秀康率いる官軍と、木曽(きそ)川で衝突します。圧倒的な兵力で官軍を打ち破りました。勢いに乗った泰時軍は、さらに京へ向かって進撃します。
宇治(うじ)川は、京の最終防衛線です。官軍は、橋板を外し、ここを死守する構えを見せます。
宇治の平等院で、泰時たちは策を練ります。いかだを作って兵を乗せ、向こう岸まで渡す方法が考えられます。
いかだを使った渡河作戦が敢行されます。官軍から、おびただしい数の矢が放たれます。
「ひるむな。そのまま進め」
と、泰時は兵たちに叫びます。犠牲を出しながらも、いかだは川を渡り切ります。官軍がそれを迎え撃ち、激闘が展開されます。乱戦の中で野村義村が長沼宗政にいいます。
「こりゃ勝つな」
「どうするんだ」
「上皇様がご出陣されれば、いくさの流れは一気に変わる」
その頃、後鳥羽上皇は慌てふためいていました。
「攻めてくるぞ。義時の首をとるだけでよかったのだ」
後鳥羽上皇は、官軍の陣頭(じんとう)に立とうとします。しかし藤原兼子(かねこ)(シルビア・グラブ)に諭されて、あきらめるのです。
勝利の祈願を行い、疲れて眠り込む北条政子(小池栄子)に、義時が話しかけます。
「姉上。宇治川を越えたわが軍は、ついに京に入りました。太郎(泰時)が、やってくれました」
「あの子はそういう子です」政子は義時を見上げます。「おめでとうございます」
「しかし、私はこれまでの歴史で、初めて朝廷を裁(さば)くことになります」
北条時房(ときふさ)(瀬戸康史)が後鳥羽上皇に会うことになります。
「上皇様。このような形でまたお会いするとは、無念です」
後鳥羽上皇は、時房の言葉をさえぎります。
「此度(こたび)の大勝利、見事であった。私を担(かつ)ぎ上げて世を乱そうとした奸賊(かんぞく)どもを、よう滅ぼした」上皇は時房の前にしゃがみます。「義時には、そこのところ話しておいてくれ。お前が頼りぞ」
鎌倉で義時が、あきれたような声を出します。
「後白河法皇様も同じことを仰(おお)せだったな」
大江広元がいいます。
「お許しになりますか」
京で、後鳥羽上皇に、泰時が対します。
「わが父、北条義時より、上皇様に対し、沙汰(さた)が届きました。隠岐(おき)へお移りいただく。逆輿(さかごし)をもってお送りするものとする」
「待て、私は上皇なるぞ」
「期日は七月十三日。以上にござる」
立ち去る泰時に上皇は言葉を浴びせます。
「このようなことをしてどうなるか思い知るがよい。幾(いく)たび生まれ変わっても呪ってやるわ。義時」
上皇は頭をそり上げられ、逆輿に乗せられます。逆輿は、罪人が運ばれるときのしきたりで、屋根のようなものはついていません。後鳥羽上皇は、死ぬまで隠岐を離れることはありませんでした。
義時は、泰時たち共に食事をしています。
「先のいくさの采配(さいはい)、見事だったそうだな」
「ありがとうございます」
と、泰時はいいます。義時は泰時の態度を気にします。
「どうした。浮かない顔だな」
「上皇様の件は、あれで良かったのですか」
「世の在(あ)り方が変わったことを、西の奴らに知らしめるのは、これしかなかった」
「しかし我らは、帝(みかど)のご一門を流罪にした、大悪人になってしまいました」
「大悪人になったのは私だ。お前たちではない。案ずるな」
話しながら、義時は突然、杯を落とすのです。泰時が心配して聞きます。
「父上、どうしました」
義時はそのまま倒れこむのでした。
義時は、仕事の場に現れます。
「もう大丈夫なのですか」
と、聞く泰時に、義時は答えます。
「歳をとるというのは、こういうことなのか」
大江広元が報告します。京で、廃位された先の帝(みかど)を、復権させようとする動きが起こっている。これを許せば、上皇も復権してしまう。義時がいいます。
「懲りぬ奴らよ」
災いの芽は摘(つ)むのみ、と大江がいいます。そうしろ、と義時が命じます。しかし泰時が声を上げるのです。
「お待ちください。幼い先帝の命を奪うおつもりですか」
義時はいいます。
「我らはこれまでもそうやって来た」
「父上は考えが古すぎます」
「何をいうか」
「そのような世ではないことが、どうしてわからないのですか。そのようなことは、断じて許されません。都(みやこ)のことは、私が決めます。父上は口出し無用。新しい世をつくるのは、私です」
そう告げると、泰時は立ち去っていきます。残された義時は大江にいいます。
「きれいごとだけでは、政(まつりごと)は立ちゆかぬというのに。腹の立つ息子だ」
「先の帝(みかど)の件、いかがいたしますか」
「死んでもらうしかなかろう」
運慶(うんけい)(相島一之)は、義時に頼まれていた像を完成させます。それは醜く、小さなものでした。義時はいいます。
「さんざん待たせた挙句、これは何だ」
運慶はあざ笑います。
「今のお前に瓜二(うりふた)つよ」
義時は像を斬ろうとして、倒れこむのでした。
医者が見立てをし、義時に告げます。
「毒」
毒消しを届けると述べ、医者は去っていきます。
義時は妻の、のえ、にいいます。
「医者がいうには、誰かが毒を盛ったらしい」
「誰が盛ったのですか」
「お前だ」
「あら面白い」
「お前しか思い当たらぬ」
「あら、ばれちゃった」
「そんなに政村に家督を継がせたいか」
「当たり前でしょ」
「跡継ぎは太郎と決めておる」
「そう思っているのはあなただけ。北条義時の嫡男(ちゃくなん)は政村です」
「馬鹿を申せ」
「八重は、頼朝様と戦った伊東の娘。比奈は、北条が滅ぼした比企の出。そんなおなごたちが生んだ子が、どうして後を継げるのですか」
義時は笑い声を立てます。
「もっと早く、お前の本性を見抜くべきだった」
「あなたには無理。私のことなど、少しも見ていなかったから。だからこんなことになったのよ」
「執権が妻に毒を盛られたとなれば、威信(いしん)に傷がつく。離縁はせぬ。だが、二度と私の前に現れるな。出ていけ」
「もちろんそうさせていただきます。息子が跡を継げないなら、ここにいる甲斐もございませんし。死に際(ぎわ)は、大好きなお姉さまに看取(みと)ってもらいなさい」
「行け」
「そうだ。私に頼まれ、毒を手に入れてくださったのは、あなたの、無二(むに)の友、三浦平六(義村)殿よ。夫に死んでほしいと相談を持ち掛けたら、すぐに用意してくださいました。頼りになるお方だわ」
夜、義時は三浦と向かい合って座ります。
「まあ、一杯やってくれ」と、三浦の椀に義時は注ぎます。「のえ、が体に効く薬を用意してくれてな。それを酒で割って飲むとうまい」
「俺はいい。元気がありあまっている。普通の酒にするよ」
「一口だけでも飲んでみろ」
「いや、いい」
「長沼宗政が白状したぞ。また裏切るつもりだったらしいな」
「そうか。耳に入ったか」
「お前という男は」
「もし裏切っていたら、こっちは負けていた。つまり勝ったのは俺のおかげ。そういうふうに考えてみたらどうだろう」
「飲まないのか」
「匂いが気に入らん」
「濃くしすぎたかな。うまいぞ。それとも、ほかに飲めない訳でもあるのか」
「では、いただくとしよう」
と、野村は一気に飲み干します。
「俺が死んで、執権になろうと思ったか」
「まあそんなところだ」
「お前には務まらん」
「お前にできたことが、俺にできないわけがない。俺はすべてにおいてお前に勝(まさ)っている。子供のころからだ。頭は切れる、見栄えはいい、剣の腕前も俺の方が上だ。お前は何をやっても不器用で、のろまで。そんなお前が今じゃ天下の執権。俺はといえば、結局、一介(いっかい)の御家人にすぎん。世の中不公平だよな。いつか、越えてやる、お前を越えて、越えて……いかん、口の中がしびれてきやがった。これだけ聞けば満足か」
「良く打ち明けてくれた。礼に俺も打ち明ける。これはただの酒だ。毒は入っておらん」
「ほんとだ、しゃべれる。俺の負けだ」
「平六、この先も太郎(泰時)を助けてやってくれ」
「まだ俺を信じるのか」
「お前は今、一度死んだ」
三浦は義時の前に座り直します。
「これから先も、北条は三浦が支える」
「頼んだ」
泰時は文書を記しています。ところどころに訂正の跡が見られます。泰時は妻の初(福地桃子)を呼び止めます。
「見てくれ。書いてみた。御家人たちの中には、学のない者たちもおり、彼らにも読めるようなやさしい言葉で、武士が守るべき定めを書き記そうと思う」
初は笑います。
「まじめ」
「何が悪い」
「悪いとはいってない。えらい、といっています」
「初めてほめられた」
と、泰時は嬉しそうにするのでした。
やがて泰時は、江戸時代まで影響を及ぼす法を制定します。御成敗式目(ごせいばいしきもく)です。これにより、泰時が政治を行う間は、鎌倉で御家人の粛清は、一切起こりませんでした。
義時は衰弱しています。政子が義時にいいます。
「たまに考えるの。この先の人は、わたくしたちのことをどう思うのか。あなたは上皇様を島流しにした大悪人。わたくしは身内を追いやって、尼将軍に上り詰めた稀代(きだい)の悪女」
「それはいいすぎでしょう」
「でもそれでいいの。わたくしたちは、頼朝様から鎌倉を受け継ぎ、次へつないだ。これからは争いのない世がやってくる。だからどう思われようが気にしない」
「姉上は、たいしたお人だ」
「そう思わないと、やってられないから」
「それにしても、血が流れすぎました。頼朝様が亡くなってから何人が死んでいったか」義時はその名前を挙げていきます。「これだけで十三。そりゃ、顔も悪くなる。姉上、今日はすこぶる体が悪い。あそこに薬があります。取っていただけませんか。医者にいわれました。今度、体が動かなくなったら、その薬を飲むように、と。私にはまだやらねばならぬことがある。隠岐の上皇様の血を引く帝(みかど)が、返り咲こうとしている。何とかしなくては」
「まだ手を汚すつもりですか」
「この世の怒りと呪いをすべて抱えて、私は地獄へもっていく。太郎(泰時)のためです。私の名が、汚れる分だけ、北条泰時の名が輝く」
「そんなことしなくても、太郎はきちんと新しい鎌倉をつくってくれるわ」
「薬を」
「わたくしたちも、長く生きすぎたのかもしれない」
そういって政子は薬を床に流すのです。
「姉上」
「さみしい思いはさせません。私もそう遠くないうちにそちらへ行きます」
「私はまだ死ねん」
と、泰時は、こぼれた薬をなめとろうとします。すかさず政子がそれを拭(ふ)き取るのです。
「太郎は賢い子。頼朝様やあなたができなかったことを、あの子が成し遂げてくれます。北条泰時を信じましょう。賢い八重さんの息子」
義時は息も絶え絶えにいいます。
「確かにあれを見ていると、八重を思い出すことが」
「でもね、もっと似ている人がいます。あなたよ」
「姉上。あれを太郎に」
義時が指さした先には、頼朝が持っていた、小さな観音像がありました。
「必ず渡します」
義時は息絶えるのです。政子は泣きながらいいます。
「ご苦労様でした。小四郎」
『映画に溺れて』第537回 フリントストーン モダン石器時代
第537回 フリントストーン モダン石器時代
平成七年七月(1995)
池袋 文芸坐
ラクエル・ウェルチ主演の『恐竜100万年』は一九六〇年代半ば、映画館で見逃し、一九七〇年にTV放送でようやく観られた。その後、同じ英国ハマーフィルムの『恐竜時代』は一九七二年に映画館で観た。どちらも美女が露出度の過激な毛皮の衣装で暴れ回るセクシー映画だった。だが、果たして恐竜と人類は地球上で共存していたのだろうか。
アニメーションの原始家族はTVで子供の頃から見ている。背景は恐竜の生存する太古だが、そこは一九六〇年代風のアメリカのサラリーマン社会であり、マイカー、マイホーム、会社のオフィス、ボーリング場、マクドナルドやコーラの自動販売機など、石器時代なのに存在しており、多くの動力は恐竜のパワーによる。新聞は石の板、冷蔵庫は石室で、石のドアには石のメモ用紙が止めてある。
主人公の名前もフレッド・フリントストーンというアメリカ人そのもの。今回の実写版では破壊的な存在感のあるジョン・グッドマンが間抜けぶりを強調して演じている。まるで漫画から抜け出てきたよう。恐竜のクレーンで岩石を運ぶのが仕事。腹黒い悪重役クリフの陰謀で副社長に抜擢され、金使いの荒い横柄でいやな男になってしまうが、隣人との友情が壊れ、妻子が家を出てしまったあげく、横領の罪を着せられ警察に追われる内に、元の善良な自分を取り戻す。
最後はクリフをやっつけ偶然にコンクリートを発明してしまうが、重役の椅子を蹴って、労働者仲間の元に戻る。
親友のバーニーがリック・モラニス、フレッドの愛妻がエリザベス・パーキンス、ラクエル・ウェルチほどの弱小毛皮ではないが、美人のパーキンスはなかなかセクシーなのがいい。色っぽい副社長秘書がハル・ベリー。娘の夫を出世と無縁なぐうたらと馬鹿にする意地悪な姑がなんと老いたエリザベス・テーラーというのもすごい配役である。
この原作のアニメは日本では消費者金融のコマーシャルにも使われていたようだが、やはり実写版がよくできている。
フリントストーン モダン石器時/The Flintstones
1994 アメリカ/公開1994
監督:ブライアン・レヴァント
出演:ジョン・グッドマン、リック・モラニス、エリザベス・パーキンス、ロージー・オドネル、カイル・マクラクラン、ハル・ベリー、エリザベス・テイラー
『映画に溺れて』第536回 ロボコップ
第536回 ロボコップ
一九七〇年代以降、アメリカでの凶悪犯罪は増加をたどる。
近未来、犯罪増加にともない、警察の民営化が進められる。この映画が公開された八〇年代後半、日本でも国鉄や郵便局が民営化されつつあり、サービス低下の弊害も取りざたされていた。
邪悪な犯罪都市となったデトロイトで警察がコンピュータ企業オムニ社に委託され、金のかかる警察官を人員削除するためロボット警官を採用する。
ただし融通のきかないロボット警官は些細な違反だけで市民を虐殺したりする。そこでサイボーグ研究班が殉死した優秀な警官アレックスの脳を利用したロボコップを実用化する。まるでフランケンシュタインである。
アレックスの脳を持つロボコップはサイボーグでありながら、もともと優秀な警官であった人間らしさを備えており、研究班のリーダー、モートンは社内で出世する。
初期のロボット警官を推し進める悪徳副社長ジョーンズはモートンを憎み、犯罪組織の卑劣なボス、クラレンスを手先にモートン殺害を諮り、サイボーグのロボコップを抹殺しようとする。
アレックスを殉死させた凶悪な犯罪者がクラレンスであり、ロボコップは生前の妻子の夢を見ながら、クラレンス一味を追い詰め、オムに社重役ジョーンズの悪事を暴く。
主演はロボコップ、アレックス・マーフィ役にピーター・ウェラー、相棒の婦人警官にナンシー・アレン、悪重役に『脱出』のロニー・コックス、サイボーグ開発班長にミゲル・フェラー、そして卑劣で邪悪なクラレンスがその後も数々の悪役を演じ続ける悪相のカートウッド・スミスだった。
これは三鷹オスカーの三本立てで観た。あとの二本は『ターミネーター』と『ブレードランナー』という夢のような未来SFプログラムだった。
ロボコップ/RoboCop
1987 アメリカ/公開1988
監督:ポール・バーホーベン
出演:ピーター・ウェラー、ナンシー・アレン、ロニー・コックス、カートウッド・スミス、ダン・オハーリー、ミゲル・フェラー、ロバート・ドクィ、フェルトン・ペリー、レイ・ワイズ、ポール・マクレーン
大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第47回 ある朝敵、ある演説
廊下を渡る北条義時(よしとき)(小栗旬)に、御家人の一人である長沼宗政(むねまさ)(清水伸)が話しかけてきます。最近火事が多い、尼将軍の名前で炊き出しをしたらどうか。義時は怒鳴ります。
「そんなことまで私を頼るな」
それを見ていた三浦義村がいいます。
「お前も変わったもんだな。昔は誰かれ構わず、頼みを聞いてやっていた。立場は人を変えるな」
義時は思い出します。
「そんな時もあったな」
北条義時に、人生最大の試練が近づいていました。
それは源頼茂(よりもち)より始まります。
後鳥羽上皇(尾上松也)に藤原秀康(ひでやす)(星智也)が報告します。
「頼茂は、いまだ内裏(だいり)に立てこもっております」
「あの者は源氏の端くれ。三寅(みとら)様が次の将軍に決まったので、腹を立てたようです」
後鳥羽上皇は二人にいいます。
「知らん」
藤原兼子がいいます。
「もとはといえば、源氏の跡目(あとめ)争い。何故(なにゆえ)、朝廷が巻き込まなければならんのです」
この一件が、朝廷方と、鎌倉方の命運を決める大(おお)いくさ、承久(じょうきゅう)の乱を引き起こすのです。
源頼茂の謀反は、あっという間に鎮圧されます。しかし朝廷の象徴である内裏は、焼け落ちてしまいます。
「費用は、いかがいたします。途方(とほう)もないものになりまするぞ」
後鳥羽上皇は答えます。
「日の本(ひのもと)中の武士から、財を取り立てる」
「義時が認めるでしょうか」
「それが狙いよ。御家人たちもわしの命(めい)は断れまい。しかし義時はそれを良しとしない。義時は孤立。どうじゃ、この策は」
「上皇様は鎌倉をどうされたいのです」
「そなたはかつて申した。鎌倉は、壇之浦(だんのうら)に沈んだ宝剣の代わり。大事にせよと」
「鎌倉が上皇様をお守りいたしますゆえ」
「その鎌倉のせいで内裏を失ったではないか。これを何とする」
「しかし鎌倉なしで、今やこの日の本は治まりません」
「私には、日の本を治められぬと申すか。私は鎌倉を決して許さん」
鎌倉で、義時たちが政務を行っています。北条時房(ときふさ)(瀬戸康史)が報告します。
「上皇様より、焼け落ちた内裏再建の費用を出せと、御家人に命が下っております」
義時はいいます。
「放っておけ」
「しかし御家人たちにとって、朝廷との縁は大切です」
義時は静かに述べます。
「もはや西の顔色をうかがう時は終わった、いつもそういっておるではないか」
泰時は食い下がります。
「上皇様と争うのは、神仏を恐れぬに等(ひと)しいこと、皆おびえておるのです。父上は恐ろしくないのですか」
「私は神仏など恐れぬ」
「だから父上は人に好かれぬのです」
「ここは、尼将軍に決めていただきましょう」
「このところ火事も多く、痛手を受けた御家人や百姓も多い。都をお助けするのは、鎌倉の立て直しがすんでからにいたしましょう」
政務が終わり、帰ろうとする義時を、泰時が呼び止めます。
「これは父上にお返しします」
泰時がとりだしたのは、頼朝(よりとも)がいつも身に着けていた、小さな観音像でした。
「お前にやったものだ」
「父上こそ持っているべきです」
「頼朝様を裏切った私には、持つに値(あたい)しない。そういったはずだ」
「父上を必ず、お守りくださいます」
義時は館に帰ってきます。妻の、のえ(菊地凛子)と、その父の二階堂行政(野仲イサオ)が出迎えます。義時は疲れたから休むと、館の奥に入って行きます。のえ、が二階堂行政に話します。
「(義時と、のえ、の子である)政村を跡継ぎにしていただかなければ、意味がありません」
「婿殿(むこどの)は、太郎(泰時)殿と折り合いが悪いそうではないか。跡継ぎは政村じゃ」
「ところが、あの方と太郎殿は、ぶつかればぶつかるほど、心を開き合っている風に見えるんです。私には」
「そりゃいかんな」
「薄気味悪い親子なんですよ。もう悠長(ゆうちょう)にはしていられません」
御所(ごしょ)にいる義時に、時房が報告します。
「義兄(あに)上、御家人たちがまた来ております」
「今度は何だ」
「例の内裏の修復の件です」
「取り立てには応じるなと命じたはずだ。腹の座らない奴らだ」
押し寄せる御家人たちに、泰時が対応します。御家人の代表として、長沼宗政が述べます。
「俺たち、上皇様とはもめたくねえんだよ」
泰時がいいます。
「ではこうしましょう。上皇様に従いたい者は、それぞれの考えで、好きにしていいことにするというのは」
長沼は納得しません。
「ちょっと待てよ。そんなの、体(てい)よく俺たちを、放り出すってことじゃねえか。こういうことは、執権殿(しっけんどの)が上皇様とうまく話をつけてくれないと困るんだよ」
泰時は義時に報告します。
「こんなことなら、むしろ上皇様におすがりしたいといわれてしまいました」
「すがってどうする」
「取り立てを免除してもらうそうです」
「愚かな。上皇様とて、免除するなら最初から取り立てなどするはずもなかろう」
「父上、もしかしたら、上皇様の狙いは、そこだったんではないでしょうか。父上と御家人たちの間を裂こうという腹では」
京では、後鳥羽上皇が、慈円に、義時を呪詛(じゅそ)するよう命じます。その噂が広まれば、御家人たちの心はますます義時から離れる。藤原秀康が上皇に述べます。京の武士たちを、鍛えておきたい。
「それは良い考えじゃ」
と、満足そうに上皇はいうのでした。それを聞いた慈円が狼狽(ろうばい)します。
「鎌倉にいくさを仕掛けるおつもりか」
鎌倉で着袴(ちゃっこ)の儀が行われます。義時が三寅(みとら)に袴をつけさせ、最高指導者であることを、御家人たちに改めて見せつけます。
京では後鳥羽上皇が、京都守護を討ち取るように命じます。
「これをもって、北条義時追討(ついとう)の狼煙(のろし)とする」
鎌倉では、三浦義村が長沼宗政に話しています。
「上皇様が、私に味方につけといってきた」
「帝(みかど)の兵が、鎌倉に攻めてくるのか」
「密命に従わなければそうなる」
「密命とは」
「義時追討」
「義時殿の首を差し出せと」
義時は上皇が挙兵したことを知ります。
「攻めてくるぞ」
と、義時はいいます。
三浦は上皇からの院宣(いんぜん)を受け取ります。三浦は喜びます。上皇が自分の名指ししてきたからです。しかし院宣を受け取っていたのは、三浦だけではなかったのです。
計八通の院宣が送られていました。それを見た泰時がいいます。
「こうなったらからには道は一つ。上皇様相手に、一戦交(いっせんまじ)えるより道はないかと」
義時は声を張ります。
「官軍と戦うというか」
「鎌倉を守るためにございます」
「お前は、いつも私と逆のことを考えるなあ」
「いくさはしないおつもりですか」
「この院宣をよく見ろ。これは、鎌倉に攻め込むためのものではない。私を追討せよという院宣だ。太郎(泰時)、私は、お前が後を継いでくれることを、何よりの喜びと感じている。お前になら安心して北条、鎌倉を任せることができる」
「どういう意味ですか」
「私一人のために、鎌倉を灰にすることができんということだ。すぐに御家人たちを集めろ。私から話す」
「鎌倉のために、命を捨てるおつもりですか」
「いくさを避けるには、ほかに手はない」
義時は政子に会いに行きます。政子がいいます。
「なりません」
「上皇様は私が憎いのです。私が京に行けば済む話」
「向こうへ行けば、首をはねられてしまうでしょう」
「それは行ってみなければ分かりません」
「わたくしは承服(しょうふく)できません」
「姉上、これは執権としての最後の役目にございます。鎌倉を守るためには、ほかに手はございません。頼朝様から引き継ぎ、何とかここまでやってまいりました。多少手荒なこともしましたが、いささかの後悔もございません。私を憎む御家人たちも多い。よい頃合い(ころあ)いかもしれません。あとは、太郎(泰時)に託します」義時は立ち上がります。「これから、御家人たちと話してまいります」
立ち去ろうとする義時を、政子が呼び止めます。
「もう一度よく考えて小四郎(義時)」
義時は立ち止まります。政子の方を振り返らないまま話します。
「もとはといえば、伊豆の片田舎の小さな豪族の次男坊。その名を、上皇様が口にされるとは。それどころか、この私を討伐するため、兵を差し掛けようとされる。平相国(へいしょうこく)清盛(きよもり)。源九郎判官(ほうがん)義経(よしつね)。征夷大将軍源頼朝(よりとも)と並んだのです。北条の四郎の子せがれが。おもしろき人生でございました」
御家人たちが、御所の中にも、外にも勢ぞろいしています。そこへ義時が姿を現します。
「すでに耳に入っている者もあると思うが……」
と、義時は話し始めます。
「待ちなさい」
と、それをさえぎり、政子がやってきます。政子は義時にいいます。
「鎌倉の一番上にいるのは、このわたくしです。あなたは下がりなさい」政子は御家人たちに語り掛けます。「わたくしが皆にこうして話をするのは、これが最初で最後です」やがて政子は草稿を捨てるのです。「本当のことを申します。上皇様が狙っているのは、鎌倉ではない。ここにいる、執権義時の首です。首さえ差し出せば兵を治めると院宣には書かれています。そして義時は、おのれの首を差し出そうとしました。鎌倉が守られるのならば、命を捨てようとこの人はいった。あなたたちのために犠牲になろうと決めて。もちろんわたくしは反対しました。しかしその思いは変えられなかった。ここで皆さんに聞きたいの。あなた方は本当にそれで良いのですか。確かに、執権を憎む者が多いことは、わたくしも知っています。彼はそれだけのことをしてきた。でもね、この人は生真面目(きまじめ)なのです。すべてこの鎌倉を守るため。一度たりとも私欲に走ったことはありません。鎌倉始まって以来の危機を前にして、選ぶ道は二つ。ここで上皇様に従って、未来永劫、西のいいなりになるか。戦って坂東武者の世をつくるか。ならば答えは決まっています。すみやかに、上皇様を惑(まど)わす奸賊(かんぞく)どもを討ち果たし、三代にわたる源氏の遺跡(ゆいせき)を守り抜くのです。頼朝様の恩に今こそ応えるのです。向こうは、あなたたちがいくさを避けるために執権の首を差し出すと思っている。馬鹿にするな。そんな卑怯者は、この坂東には一人もいない。そのことを上皇様に教えてやりましょう」
御家人たちは雄たけびで応えます。泰時が発言します。
「今こそ、一致団結し、尼将軍をお守りし、執権殿のもと、敵を打ち払う。ここにいる者たちは皆、その思いでいるはずです。違うか」
御家人たちに、さらに大きな雄たけびが起こるのです。泰時は義時にいいます。
「執権殿。これが上皇様への我らの答えです」
『映画に溺れて』第535回 A.I.
第535回 A.I.
平成十三年七月(2001)
新宿歌舞伎町 ミラノ座
『シックス・センス』で脚光を浴びた子役のハーレイ・ジョエル・オスモントが主演の未来SF。人を愛し、人間になりたいと願うロボットの物語。
難病で不治の息子を凍結入院させている夫婦が新型ロボットのモニターに選ばれる。これが人間そっくりの子供ロボット。ロボットのデビッドを迎え入れた夫婦。妻がデビッドに自分が母親だとセットすると、そのとたん、少年は母を人間のように慕うようになる。
やがて、医学の進歩で実の子の難病が治り、家に戻って来る。そうなると、ロボットは邪魔な存在。非情にも廃品として捨ててしまう。
ここから捨てられたロボット少年の旅が始まる。なぞられるのは少年が愛読していた『ピノキオ』の物語。人間になりたいピノキオは女神と出会い、願いを叶えてもらう。デビッドも女神を求めてさまよう。
そしてロボット狩りの一団に捕まり、破壊ショーに出される。人間は人間そっくりのロボットを憎み、破壊して楽しんでいる。ここでデビッドが出会うのがジュード・ロウのジゴロロボット。ジゴロはデビッドほど精巧にできていないので、顔がコンピューターグラフィックスで描かれたように作りものめいている。
デビッドとジゴロはここを脱出し、女神を求めて旅に出る。
そして行き着いたのがデビッドを作った博士の研究所。ここでも彼は人間にはなれない。ロボット破壊のための警察がやって来て、ジゴロはデビッドを逃がして自分は捕らわれ破滅する。
デビッドを乗せた車は海に沈んだ遊園地の前で停止するが、たまたまそこに女神の人形があり、デビッドは動力が切れるまで人間になりたいと願い続ける。果たしてピノキオのように願いが叶えられるのだろうか。
デビッドを創造したウィリアム・ハートの博士は『鉄腕アトム』の天馬博士を思わせる。
A.I. /A.I. Artificial Intelligence
2001 アメリカ/公開2001
監督:スティーブン・スピルバーグ
出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント、ジュード・ロウ、フランセス・オコナー、サム・ロバーズ、ジェイク・トーマス、ウィリアム・ハート、ブレンダン・グリーソン
『映画に溺れて』第534回 アイ、ロボット
第534回 アイ、ロボット
平成十六年十月(2004)
渋谷 渋東シネタワー2
アイザック・アシモフの『われはロボット』を原作としたSFミステリーであり、ロボット三原則が謎解きの手がかりとなる。ロボット三原則とは、簡単に言えば、
一、ロボットは人間に危害を加えてはならない。
二、ロボットは人間の命令に従わねばならない。
三、ロボットは以上のふたつに反しない限り自分を守らねばならない。
ロボットが新しい家電製品として普及しつつある近未来、躍進するロボット製造企業で開発者のラニング博士が社内の研究室の窓から落下して死亡する。
事件を担当するスプーナー刑事はロボットを敵視している。かつて融通のきかないロボットのせいで、目の前で少女が溺れ死んだことが、彼のトラウマになっているのだ。
ロボット企業の研究室には博士しかいなかった。他殺の線は薄いが、強化ガラスの窓を老人である博士が叩き割って外へ落ちたとも考えにくい。自殺とすればどうやって。すると、室内に置かれていた一体の最新型ロボットが突然動き出し、逃亡する。
博士はこのロボットに殺されたのか。が、ロボットは人間を傷つけることはできないはずだ。逃げた最新型ロボットに欠陥があったのか。
ロボット嫌いのスプーナーは逃げたロボットを疑い、ラニング博士の助手だった美人心理学者とともにロボットを追う。
会社は大々的に新型ロボットを売り出す直前で、ロボットの欠陥は認めず、スプーナーの捜査を妨害する。自殺か、他殺か、ロボット三原則に矛盾せずロボットが博士を殺すことは可能だろうか。派手なSFアクションでありながら、論理的な推理が楽しめる。
そして、この映画で描かれる未来像。コンピュータグラフィックスの進歩あればこその完成度である。
アイ、ロボット/I, Robot
2004 アメリカ/公開2004
監督:アレックス・プロヤス
出演:ウィル・スミス、ブリジット・モイナハン、ブルース・グリーンウッド、シャイ・マクブライド、アラン・テュディック、ジェームズ・クロムウェル
『映画に溺れて』第533回 ロボジー
第533回 ロボジー
平成二十三年十二月(2011)
日比谷 東宝試写室
かつてのSFの世界に頻繁に登場するのがロボットで、現実には工業用ロボットが実現化しているが、『鉄腕アトム』や『AI』のような人間の形をして二本足で歩くロボットは二十一世紀になってもまだまだ難しい。
地方都市にある家電メーカー。社長命令で三人の社員がロボットを作っている。一週間後のロボット博覧会に出品する二足歩行型のロボット「ニュー潮風」。ロボット博の様子はTVで放送されるので、社名を大きく描いたロボットが画面に出れば、会社の宣伝になる。
ところが、これが不注意から壊れてしまい、窮地に立った三人が考えたのが、ロボット博当日だけ中に人間を入れてごまかすということ。
着ぐるみショーのキャラクターアルバイト募集と偽って、ロボットに入る人間をオーディションしたら、ぴったりだったのが鈴木さん。定年退職した七十三歳。妻とは死別、娘は東京に嫁いでいるので、独り暮らしの暇な老人。新聞の折込チラシを見てオーディションを受け、合格。
ロボット博には全国から様々なロボットが集まったが、鈴木さんの人間らしい動きで「ニュー潮風」は大評判、その後、各地の余興に呼ばれ、一日だけでは済まなくなる。老人クラブの演芸会では小さな役しかつかなかった鈴木さん、大人気で脚光を浴びるロボット役に大はりきり。
どう考えてもばれそうなのだが、ばれない。まさか中に人が入っているなんて誰も思いもしないのだ。理工系大学のロボット研究部が「ニュー潮風」に興味を持ち実用化に協力する。
鈴木さんを演じるのが五十嵐信次郎という俳優。すばらしい名演技。でも、そんな人いたのだろうか。知られざる新劇のベテランかなにか。と思って、よく観たら、これがミッキー・カーチスだった。うまいのは当たり前。大ベテランだから。
ロボジー
2012
監督:矢口史靖
出演:五十嵐信次郎(ミッキー・カーチス)、吉高由里子、濱田岳、川合正悟、川島潤哉、田畑智子、和久井映見、小野武彦
大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第46回 将軍になった女
義時(よしとき)(小栗旬)の妹でもある実衣(みい)(宮澤エマ)は、息子の阿野時元(ときもと)(森優作)を、次の鎌倉殿にしようと画策します。戯言(ざれごと)と称(しょう)し、まずは三善康信(小林隆)に相談します。三善は、朝廷が任じたという証(あかし)である「宣旨(せんじ)」が必要だと述べます。次に美衣が相談したのは、三浦義村(山本耕史)でした。三浦は、宣旨をもらうには、こちらから願い出るしかないと話します。普通は無理だが、鎌倉殿がいないこの時期に、もう時元に決まってしまったと申し出れば、朝廷は宣旨を出さないわけにはいかない。
しかし美衣の企(くわだ)てを、義時は感づいていたのです。
「食いついてきた」と、三浦は義時に告げます。「あとは時元を挙兵に追い込むだけだ」
「それでよい」顔も上げずに義時はいいます。「災いの火種は放っておけば、いずれ必ず、燃え上がる。公暁(こうぎょう)のようにな。鎌倉は、誰にも渡さん」
京では、後鳥羽上皇(尾上松也)が、鎌倉からの文(ふみ)を放り投げていました。
「始末を詫びて、辞退してくるかと思ったら、ぬけぬけと催促してきよった」
「あくまでも我らの側から断らせようとしているようで」
「慈円僧正(そうじょう)。決して向こうの思い通りにさせるな」
「何か手を考えましょう」
「こうなったら化(ばか)し合いよ」
実朝暗殺から、ひと月も経たない二月二十二日。阿野時元は挙兵を目前に、義時の差し向けた兵に囲まれ自害します。
「みんないなくなって」
と、政子を責めるのでした。政子はいいます。まもなく詮議(せんぎ)が始まる。何をいわれても、決して認めてはいけない。
「ではあくまでも関わっていない、と申されるのですな」
「はい」
と、美衣は力なく返答します。大江は三善康信に尋(たず)ねます。
「以前、美衣殿から、朝廷の宣旨について聞かれたと申されておりましたな」
三善は覚えていないと、とぼけます。そこへ時元がこもっていた寺から、文書が見つかったとの知らせが入るのです。そこには、宣旨をもらえれば、あなたが鎌倉殿になる。挙兵すれば、御家人はみな従うはずだ、と書かれていました。しらを切る実衣でしたが、ついにいいます。
「もう結構。認めます。私が書きました」
政子は捕えられている美衣を訪ねます。美衣はいいます。
「首はどこにさらされるのかしら。きちんとお化粧してもらえるんでしょうね。だいたいみんな、顔色悪いから。かわいく、頬紅(ほおべに)つけてあげて」こらえきれなくなった美衣は政子に抱き着きます。「死にたくない」
政子も強く美衣を抱きしめるのでした。
京より返事が来ます。約束通り、親王を下向(げこう)させたい。が、それは今ではない。鎌倉側から断るのを、待つつもりのようでした。三善康信がいいます。
「都人(みやこびと)のやりそうなことにございます。自分から断ると、相手に借りを作ってしまうので、あえて相手に断らせる。姑息(こそく)なやり口にございます」
政子が大江広元に相談します。
「御所の外に出てみたいの。外の者たちと話がしたい。どのような暮らしをしているのか、この目で確かめたい。つらい思いをしている人がいたら、励ましてあげたい。わたくしは、わたくしの政(まつりごと)がしてみたいのです。駄目かしら」
「では、施餓鬼(せがき)を行うのはいかがですか。民と触れ合うには、よい機会かと」
施餓鬼とは、法要の後、供え物を貧しい人にふるまうことです。政子は訪れた人々に声を掛けます。励まそうと考えていた政子でしたが、逆に人々に励まされることになります。民は三人の子を亡くした政子に、深い同情を寄せていたのです。
夜、食事をする義時に、妻の、のえ(菊地凛子)が話します。泰時がまた歯向かったそうではしないか。跡継ぎのことを考えてもいいのではないか。義時がいいます。
「嫡男(ちゃくなん)は太郎(泰時)だ。確かにあいつは出過ぎたことをいうが、父親に平気でたてつくぐらいがちょうどよい」
「でもね、昔のことをほじくり出すのは気が引けるけど、あの子の母親は訳ありだったんでしょう」
「八重は、私も周りも大事にしていた」
「太郎では、世間が納得しません。そもそも、八重さんの比奈さんも、北条にとっては仇(かたき)の血筋ではありませんか」
義時は膳(ぜん)に箸を投げ出します。
「何がいいたい」
「政村(まさむら)も、十五歳になりました。あなたと、私の子が、跡を継ぐべきです」
「私はまだ死なん。今する話ではない」
「こういうことは、元気なうちにしておいたほうが良いのです」
義時は立ち去ってしまうのでした。
京から、実朝弔問(ちょうもん)の使者が訪れます。上皇は、二つの荘園について、地頭の任を解くようにいってきました。その地頭は義時です。上皇は嫌がらせをして、事を有利に運ぼうとしているようでした。義時は要求を突っぱねることにします。しかし上皇は、また次の手を打ってくることが考えられます。
義時は、政子とところへ話をしに行きます。
「上皇様は試しておられるのです。実朝様亡き後(あと)、この鎌倉がいう事を聞くかどうか。下手に出れば、この先、我らは、西に頭が上がらなくなります」
「ではどうするのですか」
「強気でいきます。親王の下向のため、あくまで向こうが断ってくるのを待つ」
「大事なのは、一日も早く新しい鎌倉殿を決めることではないのですか」
「五郎(時房)が軍勢を率いて京へ参ります。その数一千。今すぐ返事をするように、脅しをかける。上皇様は、非を詫(わ)び、泣きついてくる。我らはそれを飲む。代わりに、新たな方をお選びいただく。こちらの意のままになるお方を」
「ほかの宿老たちも、同じ考えなのですね」
「私の考えが、鎌倉の考えです」
三月十五日。北条時房(瀬戸康史)が上洛します。京の院御所に入り、後鳥羽上皇と対面します。上皇は、時房に蹴鞠(しゅうぎく)の勝負を迫ります。百近くまで蹴りあう二人でしたが、結果は引き分けとなります。疲労困憊の上皇は時房にいうのです。
「本音をいう。親王を鎌倉にやる気はない。代わりのものを出す。これで手を打て」
慈円が、極秘に鎌倉へやってきます。寅の年、寅の月、寅の刻の生まれのため、三寅(みとら)と呼ばれる人物を下向させるようとしていることを伝えます。摂関家の流れをくみ、なおかつ源氏の血を引く人物。その歳は二歳でした。
京で、後鳥羽上皇が酒を飲みほしています。
「結局は鎌倉の思いのまま。腹の虫がおさまらないのう」上皇は階下に降ります。「どう思う。秀康(ひでやす)」
藤原秀康(星智也)は答えます。
「私が気になるのは、慈円僧正。此度(こたび)の件、お一人で話を進められ、いささか図に乗っておられるようにお見受けいたします」
藤原兼子(かねこ)(シルビア・グラブ)がいいます。
「確かに、新しく将軍になられる三寅様は、僧正のお身内」
藤原秀康がいいます。
「これ以上、僧正の好きにさせてよいものか」上皇の前に膝をつきます。「この藤原秀康にお任せいただければ、ひと月で鎌倉を攻め落としてごらんに入れます」
上皇が頷(うなず)きます。
「頼もしいな。秀康」
七月十九日。三寅が鎌倉に到着します。義時の館に入りました。実朝が殺されてから、半年が過ぎていました。
義時は政子と話します。
「三寅様はまだ幼く、元服されるのを待ってから征夷大将軍となっていただきます」
「それまではどうするのですか」
「私が執権として政(まつりごと)を執(と)り行いますので、不都合はないかと」
「なりません。あなたは自分を過信しています。三寅様はまだ赤ん坊ですよ。御家人たちがおとなしく従うはずがない。また鎌倉が乱れます。わたくしが鎌倉殿の代わりとなりましょう」
「姉上が」
「もちろんです。鎌倉殿と同じ力を認めていただきます。呼び方はそうですね、尼将軍(あましょうぐん)にいたしましょう」
その日の夕刻に行われた、政所(まんどころ)始め。それは、三寅のお披露目と同時に、尼将軍政子のお披露目でもありました。
義時と政子は、廊下を歩きながら話します。
「姉上にしては珍しい」
「あら、そうですか」
義時は政子の前に立ちふさがります。
「随分と前に出るではないですか。私への戒(いまし)めですか」
政子は微笑みます。
「すべてが自分を軸に回っていると思うのはおよしなさい。どうしてもやっておきたいことがあります。よろしいですね。尼将軍のいう事に、逆らってはなりませんよ」
政子は美衣の捕えられている部屋を訪ねます。
「放免(ほうめん)になりましたよ。もう大丈夫。誰もあなたをとがめはしません。わたくしは、尼将軍になりました。誰もわたくしには歯向かえない。小四郎(義時)もね」政子は美衣を抱きしめます。「みんないなくなっちゃった。とうとう二人きり」
政子は大姫の唱えていた呪文を唱えてみせます。やがて美衣も和し、笑顔を見せ、そして涙を流すのでした。
書評『尚、赫々たれ 立花宗茂残照』
書名『尚、赫々たれ 立花宗茂残照』
著者 羽鳥好之
発売 早川書房
発行年月日 2022年10月25日
定価 ¥2000E
関ヶ原の合戦の後日談として、徳川家康が「立花宗茂が関ヶ原に参加していれば、負けていた」と語ったというものが伝わっている。文禄の役、碧蹄館の戦いで明の大軍を破るなど、当時「西国無双」と讃えられた勇猛な武人であった立花宗茂(たちばなむねしげ)(1567~1642)は関ヶ原で西軍に与した。が、敗戦で柳川13万石を没収され廃絶の憂き目にあったが、2代将軍秀忠の寵遇を得て、大名に復帰した。宗茂は改易されながらも、後に旧領に復活を果たした唯一無比の武将である。
本書は第一章「関ケ原の闇」、第二章「鎌倉の雪」、第三章「江戸の火花」の3章構成である。「第一章」では、寛永8年(1631)、江戸城内において、3代将軍家光に伺候した御伽衆(おとぎしゅう)の宗茂が家光から関ヶ原の戦いにおける神君家康の深謀遠慮を問われるという形で物語は進行する。なぜ家光は今この時期に「関ヶ原」を持ち出してきたのか? 家光は家康に対して異常と思えるほどの崇敬の念を抱いていたと史家は評する。家光はそうした家康に敵対し大坂方に与して敗れた将たちの、生の声による関ヶ原を知りたがっていた、との設営である。
が、家光の真の願いがそこにあるとしても、諸大名、特に外様大名は家光の諮問には大名取り潰しの意図が潜んでいるのではないかと、神経をとがらせ戦々恐々とならざるを得ない。将軍の代替わりごとに、難癖をつけて目障りの大名を改易に処することは幕府の常套手段であった。秀忠の死は翌寛永9年正月のことであり、加藤(かとう)肥後守(ひごのかみ)忠広(ただひろ)が改易され、同腹の舎弟駿河(するが)大納言(だいなごん)忠長(ただなが)が幽閉やがて自刃に追い込まれるのは、同年のことである。ゆえに、関ヶ原で西軍に与した宗茂は家光の剣呑な下命に強い不安を募らせる。代替わりを予知した不穏な世情の許に身を晒していた宗茂は時期が時期だけに、ある覚悟を決めて、自ら知る「天下分け目」を語り出していく。
ついで、家光の御前に召し出されるのは同じく御伽衆の毛利(もうり)甲斐守(かいのかみ)秀元(ひでもと)(安芸宰相)である。関ヶ原で歯向い勝敗の鍵を握ったとみなされる戦国大名の雄・毛利氏こそが“代替わり改易”の格好の餌食にふさわしい。物語のスタートから、読者はその後の息詰まる展開に名状しがたい緊張と興奮を味わうことであろう。「関ヶ原」について、徳川家に都合の悪いこと、神君家康を軽んじるような失言などをすれば、答え如何によっては、「生まれながらの将軍」を自任する家光の勘気に触れる恐れもあった。下手をすれば宗茂もただではすまない。宗茂と秀元はかつて豊臣恩顧の一将として在り、今は共に将軍家の御伽衆として格別の扱いを受ける者として、この剣呑な動きに巻き込まれていく。
秀元は思いのところを率直に開陳すべきか逡巡するが、真実を話さねばなるまいと、肚を括る。
「関ヶ原」の解釈は多種多様だが、毛利家一統の一連の動きこそが雌雄を決する鍵となったとすることは異論がないであろう。
関ヶ原の戦いでは、西軍の諸侯の中には参戦はしたものの、傍観的な態度をとる者も少なくなかった。
毛利(もうり)輝元(てるもと)の甥で毛利本家を継いだが、輝元に男児が生れるや本家を廃嫡され別家を強いられた毛利秀元の思惑。それに吉川(きっかわ)広家(ひろいえ)(民部少輔)の思惑、本家輝元の思惑もあった。毛利は東西どちらに与すべきか合意に至らぬまま西軍に合流したのである。
よく言われるように、西軍は関ヶ原に於いて、先に布陣を終え、絶対優位な陣形で戦いに臨んだ。では、なぜ西軍は敗れたのか?
あの日、関ヶ原の両軍対峙の戦場を目の当たりにはしていない宗茂は、南宮山(なんぐうざん)(東軍の本営岡山の西方に位する西軍の陣地)に布陣した毛利家一統の陣中で何が起こったか、かねてより疑問視していた。時に、宗茂自身は東軍方の京極(きょうごく)高次(たかつぐ)が籠る近江大津城を攻め落とす軍勢の中にあった。大津城が落ちたのは慶長5年(1600)9月15日。関ヶ原での勝負はわずか半日、宗茂の手のとどかぬところで終わっていた。宗茂は関ヶ原の決戦には間に合わなかったのだが、30年前の「あの日」の毛利の布陣は宗茂にとって「(寛永8年の)いまも理解に苦しむ布陣」であり、積年の疑念であった。
極めて重要な局面で、一進一退の攻防が繰り広げられた。石田三(いしだ)成(みつなり)は狼煙を上げ、松尾山の小早川隊、南宮山の毛利隊に参戦を促すも、彼らは動かない。南宮山の毛利隊が一転、山を降りて家康の背後に迫っていたら、勝敗は全く測りがたいものとなっていたことだろう。「刻一刻と変わる情勢の中、一時でも天が三成に味方したならば、関ヶ原は別の結果になっていたろう」(106頁)。
宗茂は「宰相(さいしょう)の空弁当(からべんとう)」という後日談に深い疑問を抱いていた。毛利の表裏比興の動きがすべてを決した――との解釈には与しない。なぜ、あのような無様な結末でおわったのか――それが知りたい宗茂は家光御前で端座する秀元が真実を語ることを固唾をのんで見守っている。
小早川(こばやかわ)秀秋(ひであき)の裏切りほど決定的ではなかったとはいえ、南宮山の毛利隊の動向は東軍の勝利に大きく貢献したことになる。ならば、吉川広家が内府家康に通じたことを、秀元はいつ知ったのか? それを知った時の秀元の驚きと怒りはいかばかりか。広家は早くから黒田(くろだ)長政(ながまさ)を通じて家康に内通し、表面上は西軍側を偽装した。広家は毛利隊の先鋒として南宮山の麓に陣することにより、秀元を山頂に押し上げた。よって、山頂の秀元は麓の広家が動かない限り動けなかった。
加えるに、輝元は西軍の総大将でありながら、最後まで戦おうとせず、戦場どころか大坂城を一歩も出ることはなかった。欺瞞に満ちた戦いであった。
秀元は関ヶ原の戦場で戦うことができずに、敗軍の将となる。不運の部将となったのは宗茂とおなじだが、秀元には「戦況を日和見して実戦に参加しなかった怯懦者」のレッテルが加味され嘲笑された。これに過ぎる屈辱はあるまい。
南宮山では「攻め際を誤った」とする秀元の限りない悔恨は「吉川家は毛利であって毛利でない」の一言に集約されている。「毛利一統の進退は私の判断にあったが、広家を甘く見て、その独断を許し、最後の局面で優柔不断に終始した」との秀元の率直な述懐に宗茂は心打たれる。秀元はどうしても語れないこと「あの日の絶望と決意を」(63頁)をあえて語ったのだ。「最大の謎は方針の変更、ここだったのか!やはり秀元は決戦を望んでいた!」と宗茂は思い知る。
「毛利氏と関ヶ原」を作家はあざやかに描く。宗茂にとって「本当に初めて聞かされる話」(133頁)は読者にとっても同様であろう。
宗茂を主人公とした歴史小説には海音寺潮五郎の『剣と笛』や八尋舜右『立花宗茂』、上田秀人『孤闘 立花宗茂』、葉室麟『無双の花』などがあるが、本作が先行作品と著しく趣を異にするのは戦国の世を武勇で生き抜いてきた男・宗茂の晩年に焦点を当てていることである。
戦乱の世の残り火など微塵もない家光の時代である寛永年間を舞台に、慶長年間の「関ヶ原」を体験した戦国の世の生き残りである主人公が、将軍の絶対権の確立を目指す3代将軍家光を前にして、将軍家になにがしかを伝えることが戦国生き残りとしての務めであるとする「尚、赫々たれ」との矜持で、「関ヶ原」の真実を述べるという手法には心底感動させられ、歴史小説の醍醐味を味わった。立花宗茂という男の出所進退の清潔な人柄、歩んできた人生の重み、そこから来る人間的な魅力が余すところなく描かれている。なお、本作は作者の歴史小説のデビュー作であるという。これまた驚くべきことである。
(令和4年12月6日 雨宮由希夫 記)