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『映画に溺れて』第551回 カレンダーガール

第551回 カレンダーガール

平成六年九月(1994)
高田馬場 早稲田松竹

 

 英国ヨークシャー州の町で、白血病医療に寄付するため、婦人会に属する中年や初老の女性たちが自らモデルとなりヌードカレンダーを作って販売した事実を映画化した『カレンダー・ガールズ』はその後、演劇となり、日本で公開されたものを観劇した。
 実は観劇時、ほぼ同じタイトルのアメリカの青春映画『カレンダーガール』があったことを思い出したのだ。カレンダーガールとは水着やヌードのカレンダーに登場するピンナップガールのことである。
 一九六〇年代初頭、アメリカの田舎町に住むロイ、ネッド、スコットの三人は子供の頃から仲良し三人組で、そろそろ大人になろうとしている。
 母親が駆け落ちし、ボクシングジムのトレーナーの父とふたり暮らしのロイは、地元のごろつきの使い走りをしているツッパリ青年。
 死んだ父の玩具店を継ぐことになったネッドは純情青年。
 片足の不自由なスコットは真面目青年で映画館の映写技師を目指している。
 現状に不満なロイは軍隊へ志願することになり、入隊を前にネッドとスコットを誘い、三人で記念にハリウッドへ遊びに行き、憧れのアイドルスター、マリリン・モンローに会う計画を立てる。ロイの叔父は売れない俳優だが、冷戦時代なので核シェルターのセールスで荒稼ぎしており、ハリウッドでいい暮らしをしている。三人はそこへ転がりこんで、なんとかモンローに会う手立てを考え、とうとう、ロイがモンロー本人とデートする約束を取りつける。
 だが、彼はその権利をネッドに譲る。ロイにとって、モンローは自分と父親を捨てて出ていった母親のイメージが強かったのだろう。ネッドは憧れのモンローとデートし、三人は田舎に帰り、ロイは父親と和解して軍隊に入り、善良なスコットは映写技師となり幼なじみと結婚し、ネッドは都会の大学へ行く。

 

カレンダーガール/Calendar Girl
1993 アメリカ/公開1994
監督:ジョン・ホワイトセル
出演:ジェイソン・プリーストリー、ジェリー・オコンネル、ガブリエル・オールズ、ジョー・パントリアーノ、スティーブ・レイルズバック、カート・フラー、スティーブン・トボロウスキー

 

『映画に溺れて』第550回 ベティ・ペイジ

第550回 ベティ・ペイジ

平成二十年四月(2008)
飯田橋 ギンレイホール

 マリリン・モンローはスターとして売り出す前、ヌードモデルをしており、映画『ノーマ・ジーンとマリリン』に、そのあたりのことが描かれている。
 一九五〇年代は、さほど性が開放的ではなく、そんな時代に水着モデル、下着モデル、果てはヌードや緊縛写真まで撮った実在の女性ベティ・ペイジが主人公となるのが、グレッチェン・モル主演の『ベティ・ペイジ』である。
 最初の場面、小さなアダルト向けの書店、そこにひとりの客がおどおどしながら入ってくる。他の客も男ばかり。水着や下着の雑誌をちらちら眺めているのを横目にして、男は恥ずかしそうに気後れしながら、レジの店員にささやく。
「あのー、もっと変わったの、ないかな」
「なんですか」とけげんそうな店員。
「たとえば、編み上げタイツでハイヒールのやつとか」
 心得て、そっと引き出しから出す店員。
「わあ、すごい。こんなのもっとある」
「ええ、倉庫にたくさんありますよ」
 少女時代のベティ。彼女が結婚に失敗し、都会に出て、女優を目指しながら、モデルになり、水着からどんどんエスカレートしていく半生。まるでドキュメンタリーのように当時の性風俗の再現がよくできている。ベティはモンローのような女優にはなれなかったが、ピンナップの女王として売れ、ある日、ぷっつりと姿を消す。
 芸能界に憧れて、都会に出てきて、性風俗業界に入っていく女性は、昔も今もたくさんいたのだろう。中には娼婦になったり、客に惨殺されたり。そのあたりの暗部を描いているのがブライアン・デパルマ監督の『ブラックダリア』だった。実在のベティ・ペイジはエロ映画にも出演し、二〇〇八年に八十五歳で亡くなったとのこと。

ベティ・ペイジ/The Notorious Bettie Page
2006 アメリカ/公開2007
監督:メアリー・ハロン
出演:グレッチェン・モル、クリス・バウアー、ジャレット・ハリス、デヴィッド・ストラザーンリリ・テイラー

 

『映画に溺れて』第549回 クイズ・ショウ

第549回 クイズ・ショウ

平成七年四月(1995)
日比谷 みゆき座

 

 私が子供の頃、家にはTVが一台しかなく、夕食時などは家族そろって、つけっぱなしのTV番組を見ていた。その頃、多かったのが各種のクイズ番組だった。偉そうな司会者が解答者の席に並んだ著名な芸能人や文化人たちの珍解答をこきおろす。
 あまり賢そうにも見えない芸人が難問に次々正解を出すと、わが茶の間では母がはしたない喝采を下品に叫ぶ。私はなによりもそれが嫌でたまらなかった。母のようなTVを盲信する愚劣な視聴者が増えると視聴率は上がる。私は子供ながら、そのクイズ番組に胡散臭さを感じていたのだ。
 そんな一九五〇年代のアメリカのTVクイズ番組の内幕を描いたのが、ロバート・レッドフォード監督の『クイズ・ショウ』である。
 クイズ番組で勝ち続けるユダヤ系の庶民ハービーは、ディレクターに呼ばれ、チャンピオンとしてマンネリになったから、わざと答えを間違えるよう要請され、番組を下ろされる。新チャンピオンに選ばれたのが名門の大学講師チャールズ。美男のチャールズには非常に難しいクイズの答えが予め教えられており、次々にすらすら答えて、スターとなり、雑誌の表紙を飾り、大学でも講師から助教授に推薦される。
 ゴミのように番組から捨てられ、不満を持ったハービーはユダヤ系の若手弁護士グッドウィンに内幕を暴露する。
 グッドウィンは番組の歴代のチャンピオンに会い、彼らの中に答えを教えられた証拠を持つ男を見つけ、徐々にチャールズや番組プロデューサーを追い詰めて行く。チャールズにも良心があり、委員会で番組が仕組まれたことを告白する。その潔さに拍手が起こるが、彼は番組を下ろされ、大学からも追放される運命となる。
 が、TVそのものは本質が作りものの嘘なのだということになり、スポンサーもTV局も追及されることなく、そのTVの欺瞞と嘘臭さが現代の日本でもまだ続いているのだ。

 

クイズ・ショウ/Quiz Show
1994 アメリカ/公開1995
監督:ロバート・レッドフォード
出演:ジョン・タトゥーロレイフ・ファインズ、ロブ・モロー、ポール・スコフィールド、デヴィッド・ペイマー、ハンク・アザリア、クリストファー・マクドナルド、エリザベス・ウィルソン、ミラ・ソルヴィノ、ヨハン・カルロ、マーティン・スコセッシ

 

『映画に溺れて』第548回 十二人の怒れる男

第548回 十二人の怒れる男

平成八年九月(1996)
有楽町 シネラセット

十二人の怒れる男』は最初、レジナルド・ローズの脚本によるTVドラマとして一九五〇年代半ばにアメリカで放送された。
 それが話題作となり、シドニー・ルメット監督、ヘンリー・フォンダ主演で映画化される。
 私がこの映画を観たのは最初の封切りから三十七年後、有楽町の駅前にあったシネラセットである。レジナルド・ローズの脚本は劇書房から額田やえ子の翻訳で出ていたので、映画より先に読んではいた。
 十二人の陪審員を演じる俳優たちが、どのひとりを取っても見せてくれる。個性というのは決してあざとく派手なスタンドプレーではなく、地道な計算によるものだとわかる。これだけ地味な人たちを集めて、飽きさせないのだからすごい。
 不良少年による父親殺しの裁判。証人もいて、状況証拠もそろっている。少年は犯行時間には映画館にいたと言うが、立証できない。
 少年は否認し続け、情状酌量の余地はなく、有罪になれば死刑は確実である。
 そこで十二人の陪審員による審議だが、誰が見ても有罪だと思われるので、挙手の投票で決めることになる。みんなが有罪に手を揚げるが、ひとりヘンリー・フォンダが無罪に投票。全員一致でなければ評決はできない。たぶん有罪かも知れないが、確信の持てない部分があり、人の命を五分で決めずに、もっと話し合いたいとフォンダは主張する。で、結局、最後には全員一致で無罪となるのだが、この暑苦しい密室で行われる話し合いの面白いこと。十二人の人物を巧みに描き分けた作者の功績は大きい。
 日本でも舞台劇として上演されて、その後、筒井康隆の『十二人の浮かれる男』や三谷幸喜の『12人の優しい日本人』などの作品も生まれた。

 

十二人の怒れる男/12 Angry Men
1957 アメリカ/公開1959
監督:シドニー・ルメット
出演:ヘンリー・フォンダ、リー・J・コッブ、エド・ベグリー、E・G・マーシャル、ジャック・ウォーデンマーティン・バルサム、ジョン・フィードラー、ジャック・クラッグマン、エドワード・ビンズ、ジョセフ・スウィニー、ジョージ・ヴォスコヴェク、ロバート・ウェバー

 

『映画に溺れて』第547回 遊びの時間は終らない

第547回 遊びの時間は終らない

平成四年四月(1992)
池袋 文芸坐

 

 本木雅弘はかつてシブがき隊に属するアイドルだったが、その後ベテラン俳優として『おくりびと』などで風格ある演技を見せるようになった。
 私が最初に観た本木の映画が『遊びの時間は終らない』であり、当時二十代半ばで堂々たる主演俳優であった。
 最初の場面、若い男が銀行強盗の計画を綿密に練っている。彼は交番勤務の警官だとわかる。つまり、現役警察官によるシリアスな犯罪映画であろうか。そう思わせて、実は違うのだ。
 地方都市の警察署が地元の銀行を舞台に本格的な防犯訓練を行なうのだが、その犯人役に指名されたのが本木ふんする若い平田巡査なのだ。真面目な好青年ながら、少々融通のきかないタイプである。訓練は型通りの段取りではなく、打ち合わせなしで、実際の事件と同じように対処し、警察の力を市民に誇示しようというものである。
 リアルなぶっつけ本番で、地元のTV局が生中継する。銀行員はすべて本物の行員で、客は警察官が演じる。そこへ平田巡査ふんする強盗が乗り込んで、これをエリートの警部補が取り押さえるという場面が想定されている。
 ところが用意周到な犯人像を作り上げた平田巡査は、客を装って逮捕に来た警部補をあっけなく射殺する。つまり隙を見て銃を向け、口で「バン」と言うのだ。警部補は役割通り、首から死体と書かれたプラカードを下げ、その場に横たわる。銀行員と客は「拘束」のプラカードをさげ隅に集められ、銀行における強盗の立てこもり事件へと発展するのだ。
 思わぬなりゆきにTV局は大喜びで、実況を続ける。いきりたった警察側は、威信をかけて強盗に対処するが、融通のきかない強盗役の平田巡査は手強く、事件はどんどんエスカレートする。さて、この防犯訓練、どういう結末を迎えるのだろう。犯人役の平田巡査は警官隊の包囲網を無事に突破できるのか。

 

遊びの時間は終らない
1991
監督:萩庭貞明
出演:本木雅弘石橋蓮司西川忠志伊藤真美原田大二郎萩原流行斎藤晴彦

 

書評『鬼女』

書名『鬼女』
著者 鳴海 風
発売 早川書房
発行日 2022年9月25日
定価  本体2900円(税別)

 

 大岡昇平に「母成(ぼなり)峠の思い出」という戊辰戦争の本質を突いた短いが味わい深いエッセイ(『太陽』昭和52年6月号所収)がある。

 「私の戊辰戦争への興味は、結局のところ敗れた者への同情、判官びいきから出ている。一方、慶応争間からの薩長の討幕方針には、胸糞が悪くなるような、強権主義、謀略主義がある。それに対する、慶喜のずるかしこい身の処し方も不愉快である。その後の東北諸藩の討伐は、最初からきまっていたといえる。北越河井継之助が長州に一泡吹かせたけれど、結局そこまでであった。多くの形だけの抵抗、裏切りがでる。あらゆる人間的弱さが露呈する。
  戊辰戦争全体はなんともいえず悲しい。その一語に尽きると思う。」

 “朝敵”とされた会津藩主松平(まつだいら)容保(かたもり)は、国許に帰って謹慎し、謝罪を申し出たにも拘らず、薩長政権はそれを無視して、容保の斬首、会津若松の開城、領地没収の三点を要求して譲らず、会津藩を徹底抗戦の途へと追い込む。東北諸藩による列藩同盟は仙台・米沢両藩の主導で、当初、会津藩救済を目的として結成された。しかし、白河口の戦いに敗れてからは奥羽越列藩同盟は崩壊したも同然の状態となり「母成峠」を迎えるのである。

 本書の主人公というべきは作家が造形した会津藩士木本(きもと)新兵衛(しんべえ)の妻・利代(りよ)で、物語のスタートは文久2年(1862) 3月半ばの会津若松である。その2年前の万延元年(1860)には江戸で「桜田門外の変」が起きている。
 その後の幕末維新史を知る後世の我々から見れば、その時すでに尋常一様ではない空気がすでに日本全土を覆い尽くしていると思いがちだが、本書に描き出される会津は幕末の風雲など無縁とばかりにのびやかで、初代藩主保科正之(ほしなまさゆき)の文武にわたる厳しい教えを愚直に守る会津藩独特の風習などが丹念に記述されている。また、作者は蘆名氏、伊達氏、上杉氏、蒲生氏、保科氏らが統治した戦国期の会津の変遷、会津の尋常ならざる歴史への奥行きの深さをも記している。あたかも幕末の会津の悲劇は戦国の会津に起因するかのごとくに。

 さて、本書に立ち戻る。利代(32歳)には一人息子で木本家の跡取り息子の駿(しゅん)(10歳)がある。利代の務めは会津藩の藩校日新館(にっしんかん)入学を目前に控える駿を、強靭な身体を持ち文武両道にすぐる夫新兵衛同様の立派な会津武士に育てることである。姑の多江(66歳)は木本家が槍一筋でご奉公してき家柄であることを誇りにしている。いまや楽隠居の身の舅の三郎右衛門(69歳)はかつて勘定頭を務めていたことから、藩財政に明るいが、このころは物忘れが目立つようになった。
 会津武士にとって武芸と素読が最も大切であると思う利代の悩みは駿が素読に身が入らず数学に興味を示していることである。そうこうしているうちに物語は急展開。「生きている間に戰などないだろう」と思っている木本家の人々の周囲に、「会津の悲劇」は忍びよる。その年のうちの12月24日に、「後戻りできない運命の職務」(90頁)である京都守護職に就任した(というか、させられた)藩主松平容保は上洛する。
 夫が容保に従って京へ行くこととなって、視界に駿しかなかった利代は「何をしにいつまで行くのだろうか」とはじめて不吉な想像に駆られる。やがて新兵衛は藩の極秘の任務を帯びているのだとわかるのだが。
 木本家も京を中心とする時代の流れの中に巻き込まれていく。一方、会津戊辰戦争に欠かせない、実在の人物たる西郷頼母(さいごうたのも)、梶原平馬山川大蔵佐川官兵衛、横山主税(よこやまちから)といった会津藩の上層部の面々がそれぞれの局面において登場するが、木本家の関わりの中、駿が「理想の会津武士」として憧れる人物は文武両道に秀でる横山主税である(331頁)。歴史上の横山主税は 5月1日の「白河城の戦い」で戦死してしまう。22歳の若さであった。若年寄の横山主税は副総督として出陣。会津の総督は家老に復帰したばかりの西郷頼母であった。

 この物語ではまた、横山主税が横浜のフランス語学校を通じて、勘定奉行小栗上野介忠順を知り、忠順が悲劇の死を遂げたときには会津に落ち延びてきた小栗上野介の奥方を横山家に引取ったとしている。
 慶應4年1月3日の「鳥羽伏見の戦い」から、会津城下が戦火に包まれる日まで長い時間を必要とはしなかった。
 利代は京大坂で起きていることがとてつもなく大きな事件だとは知らなかったし、依然として過去の出来事にしか感じられなかった。「まさか、そういった時代の流れが、ある日突然、自分と駿のいる時間と場所に追いついてくるとは」(264頁)。  
 藩主松平容保の謹慎――。木本家の人々は謹慎する理由が分からない。
「父上、戦うべきです。朝敵の誹りを受けたままでは、新しい時代を迎えたくはありません」と駿は父を鼓舞する。成長した駿の姿を目の当たりにした利代は、武家の母としての信念というより意地を通さねばと覚悟する。耄碌の症状が顕著になってきた優しい舅も老骨に鞭打って「こうなれば戦うしかあるまい。会津武士らしく」と立ち上がる。15歳以上60歳以下の家臣全員に対する登城命令が出され、駿は16歳と17歳で組織された白虎隊に配属される。白虎隊の本来的な役割は容保の護衛であったが、「ご老公」(容保)の楯になるどころか、前線で戦うことになる。

 駿の初陣は官賊を懲らしめるこの時であった。暇乞いする駿に、利代は「行ってらっしゃい。本当に死ぬ覚悟はできましたか」と声をかける。
 駿を送り出したら次は女の戦である。利代自身も薙刀の達人であり、会津若松は女たちで守るしかない。
 会津戦争は一カ月に及び、若松城下は戦火に包まれ、焼け野原となり、「其の悲惨凄愴の光景、名状すべからず」(『会津戊辰戦争史』)。
 利代は新兵衛と駿の安否を尋ねるべく、城下を彷徨(さまよ)い歩く中に,一人の農民に出会う。毎日を懸命に生き、武士の世を支えながら、否応なく戦いに巻き込まれたその農夫は利代が死ねと言って息子を送り出したことを知るや、「あんた、本当に母親か。鬼女ではないのか」と唖然とする。
 利代は自答する。「良人と同じ優れた武士に育て上げること。しかしそれは何のためだったか。誇りこそが最後の寄り道であるとした舅も姑も死んだ。駿は白虎隊として戦い死んだ。戦って死ぬと決意したはずの自分は生きている。なぜだ」と。

 会津戦争は婦女子や白虎隊として戦った若者など少年兵が多数戦闘に参加した点が特徴的である。また、戦争に巻き込まれて殺害された農夫の数も夥しいとの説がある。
ある一つの東北戊辰戦争を活写した歴史小説『鬼女』は〈勝者の歴史〉に対する無条件降伏でもなく、〈勝者の歴史〉に対して〈敗者の美学〉でもって異を唱えるのでもない。また民衆史観に迎合しているわけでもない。作家は恐るべき流血を伴った戊辰の内乱という歴史的な事実について、如何なる変更も加えず、戊辰戦争の時代と会津に生きた人々の「なんともいえず悲しい」実態を描いている。

         (令和5年1月18日  雨宮由希夫 記)

『映画に溺れて』第546回 狼たちの午後

第546回 狼たちの午後

昭和五十五年七月(1980)
大塚 大塚名画座

 

 間抜けな銀行強盗を描いた実録もの。監督が『十二人の怒れる男』のシドニー・ルメット、主演が『ゴッドファーザー』のアル・パチーノ。一九七〇年代の半ばに作られたので、アメリカン・ニューシネマの雰囲気が漂っている。
 ニューヨークにある小さな銀行の閉店間際にスーツ姿の三人の若者が入っていくが、彼らの狙いは銀行内の金庫の大金を奪うことである。が、逃亡用自動車運転を受け持つ男が気後れして逃げ出してしまう。
 銀行内に残ったソニーとサルは銃を手にしており、行員と客を人質にして、支店長を脅して金を出させようとする。
 ところが、地元の巡査部長モレッティの知るところとなり、警官隊が銀行を取り囲む。
 モレッティは電話でソニーとやりとりし、犯行をやめさせようとするが、うまくいかない。銀行には大金がなく、金を奪えないふたり組とモレッティは電話で取引し、飛行場まで車で逃がすので、人質を解放するよう説得する。
 だが、FBIのベテラン捜査官が現れ、ソニーとサルは窮地に追い込まれる。
 実際に起きた強盗事件を題材にしており、ソニー役のアル・パチーノは実在の犯人にそっくりだったという。巡査部長モレッティ役のチャールズ・ダーニングは喜劇調で演じており、『スティング』の悪徳刑事や『メル・ブルックス大脱走』のゲシュタポ、エアハルト大佐に通じる。サル役のジョン・カザールは、俳優として運が向いてきたのに、この映画の次回作『ディアハンター』に出演中、病死する。
 日本での封切りは一九七六年だが、私は四年後の一九八〇年に大塚名画座で観ることができた。あの当時はまだビデオもインターネットも普及しておらず、数年前の映画を二本立てで上映してくれる名画座が東京中にたくさんあるいい時代だったのだ。

狼たちの午後/Dog Day Afternoon
1975 アメリカ/公開1976
監督:シドニー・ルメット
出演:アル・パチーノジョン・カザールクリス・サランドンチャールズ・ダーニング、ジェームズ・ブロデリック、ランス・ヘンリクセン、サリー・ボイヤー、ペネロープ・アレン、スーザン・ペレッツ、キャロル・ケイン

 

『映画に溺れて』第545回 暴力脱獄

第545回 暴力脱獄

令和五年一月(2023)
立川 キノシネマ立川

 

 私がポール・ニューマンを初めて観たのは一九七〇年代、『明日に向って撃て』が一番最初で、その次が『スティング』だった。どちらの役柄も美男でタフでダンディで、しかもユーモアがあり、ポール・ニューマンそのもののような気がした。
 ポール・ニューマンが反骨精神を体現した一九六〇年代のアメリカンニューシネマ『暴力脱獄』は『俺たちに明日はない』と同じ年に作られたが、長らく観る機会がなく、立川キノシネマのポール・ニューマン特集でようやく出会えた。
 真夜中、酔っぱらって路上のパーキングメーターを次々に壊している男。その場面に合わせて、タイトルや配役が流れる。原題「クール・ハンド・ルーク」は主人公のあだ名である。
 次が刑務所。炎天下の路上で草刈りをしている囚人たち。そこへ新入りの囚人を乗せた車が到着する。人数は六人以上か、あるいは未満かで賭けをする囚人。降りてきたのは四人だった。そのうちのひとりがパーキングメーターを壊して二年の実刑をくらったルーク・ジャクソン。ポール・ニューマンである。
 戦地で勲章をいくつか貰ったのに除隊後は定職に就かず、酔っぱらってふらふらと生きている。所長の訓示や看守のルール説明に、新入りのくせに一言多い生意気な態度。囚人の中で幅を利かせる喧嘩っ早いドラグラインに目をつけられて、いじめられるが平気で、へらへらしている。だからクールなのだ。
 囚人たちの日常は昼間の重労働、楽しみはちょっとした賭け事、看守に逆らうと過酷な独房に入れられ、脱獄すれば射殺。ボクシングやポーカーで打ち解けたドラグラインはルークがゆで玉子を一時間に五十個食べられるかの賭けの胴元になる。苦しみながらも平気で食べ続けるルーク。囚人たちに一目置かれるようになるルークだが、脱獄して逃亡し、逮捕されてまた舞い戻る繰り返し。後の『ロンゲストヤード』のバート・レイノルズや『ショーシャンクの空に』のティム・ロビンスに通じる刑務所のヒーローである。

暴力脱獄/Cool Hand Luke
1967 アメリカ/公開1968
監督:スチュアート・ローゼンバーグ
出演:ポール・ニューマンジョージ・ケネディモーガン・ウッドワード、J・D・キャノン、ルー・アントニオ、ロバート・ドライヴァス、ストローザー・マーティン、ハリー・ディーン・スタントン、ルーク・アスキュー、デニス・ホッパー

 

『映画に溺れて』第544回 ローマの休日

第544回 ローマの休日

昭和四十八年九月(1973)
京都 祇園 祇園会館

 

 オードリー・ヘプバーンといえば、長身で清純派、世界的な映画スターとして有名だが、一九二九年、ベルギー生まれでオランダ育ちである。父は放浪の英国人、母はオランダ貴族、英国籍だが第二次大戦中は食糧難のオランダで苦労した。
 少女時代はバレリーナを目指し、ロンドンで舞台女優となり、やがて映画に出演。ハリウッドで抜擢された『ローマの休日』のアン王女役でアカデミー主演女優賞を獲得し、映画も大ヒットしてスターへの道が広がる。その後、『麗しのサブリナ』『昼下がりの情事』『ティファニーで朝食を』『噂の二人』『シャレード』『パリで一緒に』『マイ・フェア・レディ』『おしゃれ泥棒』『暗くなるまで待って』『ロビンとマリアン』など主演作が続く。
 中でもオードリーをスターにした『ローマの休日』が私は一番好きだ。
 ヨーロッパ某王家のお姫様であるアン王女が、各国を旅行し、最後にローマにたどり着くのだが、外交訪問のあまりの退屈さに嫌気がさして、大使館を抜け出す。
 睡眠薬を飲んでいたために路上のベンチで寝てしまい、通りがかった親切なアメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレーに助けられる。
 ブラッドレーは彼女の正体に気づき、自分が新聞記者である身分を隠し、カメラマンのアービングに連絡して、王女がトレヴィの泉や真実の口などを訪れる実録ローマ滞在記を写真入りで執筆することにする。
 そうこうするうちにアン王女とブラッドレーの間に恋心が芽生え、彼はスクープで一山当てることを諦める。
 このストーリー展開はフランク・キャプラ監督の『或る夜の出来事』に通じる。ブラッドレー役がグレゴリー・ペックアービングエディ・アルバート。『ローマの休日』の名脚本を書いたのは当時、マッカーシー赤狩りでハリウッドで失業中のダルトン・トランボであった。

 

ローマの休日/Roman Holiday
1953 アメリカ/公開1954
監督:ウィリアム・ワイラー
出演:グレゴリー・ペックオードリー・ヘプバーンエディ・アルバート、ハーコート・ウィリアムズ、マーガレット・ローリングス、パオロ・カルリーニ

 

 

『映画に溺れて』第543回 或る夜の出来事

第543回 或る夜の出来事

昭和五十六年十一月(1981)
新宿 新宿ビレッジ2

 

 私が一番大好きなクリスマス映画といえば、フランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』である。キャプラ監督はコメディの名匠として一九二〇年代から六〇年代まで数多くの恋愛喜劇や人情喜劇を発表し続けた。
 大恐慌禁酒法の時代、バロウズギャングのボニーとクライドが警官隊に射殺されたのが一九三四年五月、その三か月前の二月にキャプラ監督の『或る夜の出来事』がアメリカで公開され、同じ年の昭和九年八月には日本でも封切られた。
 主演はクラーク・ゲイブルとクローデット・コルベールで、ゲイブルは戦前の日本でも人気があったのだ。
 大富豪の令嬢エリーはプレイボーイとの結婚を父親のアンドリュースに反対され、ヨットに閉じ込められる。腹を立てたエリーは父に反発し、海に飛び込み失踪する。
 マイアミの海岸に流れついたエリーは所持金はほとんどなく、ニューヨーク行きの深夜バスに乗る。
 バスの指定席でエリーとトラブルを起こして喧嘩となるのが、新聞記者のピーターだった。ピーターは高慢なエリーに腹を立てるが、彼女が失踪した大富豪の娘と知り、新聞記者の身分を隠して、彼女を取材し、記事にして売り込もうとする。
 大雨でバスがストップし、ピーターとエリーはバスを降りて、近くのモーテルへ仕方なく宿泊することになる。お互い所持金が少ないので、夫婦を装って同じ一室に泊まり、ただし、部屋を毛布で仕切っていっしょに寝ないようにし、毛布を聖書のジェリコの壁と呼ぶ。
 その後、ふたりの間に恋が芽生えるが、果たしてジェリコの壁は角笛で崩れるのであろうか。
 新聞記者が失踪中の著名女性と出会って記者と名乗らず内緒で取材しようとするが、恋に落ちてスクープを諦める設定はその後、『ローマの休日』に活かされている。

 

或る夜の出来事/It Happened One Night
1934 アメリカ/公開1934
監督:フランク・キャプラ
出演:クラーク・ゲーブルクローデット・コルベール、ウォルター・コノリー、ロスコー・カーンズ、ジェムソン・トーマス、チャールズ・C・ウィルソン