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頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー18

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー18

江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩『江戸日記』」 (久住裕一郎、インターナショナル新書)

 

 寛政の改革を主導した松平定信が、幕閣を去ったのは寛政5年7月です。しかしながら、その後の幕政に大きな変化はありませんでした。
 それは、後を引き継いだ老中松平信明(のぶあきら)、牧野忠精等が、定信の政治方針を守ったからです。「寛政の遺老」と呼ばれる彼らのうち、松平伊豆守信明が、本書で取り上げられている三河国吉田藩主です。信明はその名の通り、知恵伊豆と異名を取った松平伊豆守信綱の子孫で、代々伊豆守に任じられてきました。
 三河国吉田とは、現在の愛知県豊橋市です。松平伊豆守家は、紆余曲折を経て、寛延2年(1749)以降明治維新まで吉田城主でした。
 松平伊豆守家は、初代信綱、四代信祝(のぶとき)、七代信明、八代信順(のぶより)と4人の老中を輩出していますので、その間上屋敷は西丸下にあります。老中を退くと引っ越しますので、上屋敷の変遷は延べ12回に及びます。谷中、北新堀、深川の下屋敷には大きな変動はなかったようです。
 江戸の藩邸は、「御殿空間」と「詰人空間」というエリアに分かれていたようです。「御殿空間は、政務や儀礼の場である表御殿(表向)と当主や妻子が日常生活を営む奥御殿(奥向)、「詰人空間」は藩士とその家族等が暮らす長屋群、藩の公的施設がありました。本書では、柳原柳川町時代の吉田藩上屋敷が紹介されています。併せて、谷中の下屋敷も。
「火事と喧嘩は江戸の華」といいますが、とにかく火事は多かったようです。吉田藩江戸藩邸の火災記録が紹介されていますが、なんと42回にものぼります。避難や消火、再建にと、当時の藩邸に務める人たちは大変だったことと思います。
 そんな吉田藩江戸藩邸ですが、当然事件も起きます。本書では「江戸藩邸事件簿」(第三章)として紹介されています。いくつかあげてみましょう。
吉田藩では、約59年の間に184件の脱藩が記録されているようです。内訳は江戸が143件、吉田が41件。圧倒的に江戸が多いですね。江戸脱藩者の内訳は、士分87件、徒士39件、足軽17件となっています。
 うち、明和元年(1764)11月馬廻の海法沙門は、一家全員で脱藩しています。記録がないのでその理由は不明ですが、筆者は経済的な理由とみているようです。
 宝暦10年、松下四嘉右衛門の息子妻治(27歳)は、江戸で武家奉公の経験を積みたいと江戸へ出てきますが、不良行為が目立つようになり同12年脱藩します。後に許されて帰参し、藩主にお目見えしますが、そのときは43歳になっていたそうです。
 文化元年(1804)5月、藩邸の土蔵から174両という大金が紛失しました。さて、犯人は誰だったでしょうか? 鼠小僧ではなさそうです。興味深いのは、留守居が南北町奉行所へ盗難届を出していることです。

 本書はその他にも、藩邸で働く武士の実態(第二章)、藩邸の奥向きのこと(第四章)、明治になって藩邸から子爵邸へ変わったときの逸話(第五章)等々藩邸を巡る様々なことを取り上げています。
 江戸の大名屋敷がどうなっていたのか、併せて、そこに暮らす人たちへの思いを馳せるのも面白いのではないでしょうか。

 

『映画に溺れて』第557回 ニッポン無責任時代

第557回 ニッポン無責任時代

平成五年八月(1993)
早稲田 ACTミニシアター

 一九六〇年代、小学生の私がもっとも好きなスターはクレージーキャッツ植木等だった。当時、青島幸男作詞の「スーダラ節」が大ヒットし、植木等主演の『ニッポン無責任時代』が公開された。
 図々しさと調子のよさだけで、努力もせずに出世してしまうサラリーマンの夢物語は、あまりにも現実離れしているので、かえっていいのだろう。
 植木等扮する平等(たいらひとし)は失業中だが、口から出まかせで洋酒会社の社長ハナ肇の氏家勇作に取り入り、社員となって接待ばかりしている。接待とは会社の金で飲み食いすること。
 会社はやがて田崎潤黒田有人に乗っ取られるが、今度は部長にまで出世し、親会社の社長の娘と氏家の息子を結婚させ、会社を去って行く。
 そして、一年後、乗り込んで来る取引先の社長に治まっており、重山規子の社長秘書と最後は結婚するという荒唐無稽さ。
 クレージーキャッツの面々は社長のハナ肇、部長の谷啓、他に犬塚弘石橋エータロー桜井センリ安田伸が平社員を演じている。
 バーの場面や宴会場面などが続き、サラリーマンは気楽なものだと思える。
 主題歌の「無責任一代男」をはじめ、劇中歌の「スーダラ節」「ハイそれまでョ」「ドント節」「五万節」が植木等クレージーキャッツで歌われるが、すべて作詞は青島幸男であった。

ニッポン無責任時代
1962
監督:    古澤憲吾
出演:植木等ハナ肇谷啓、中島そのみ、重山規子、団令子、藤山陽子、峰健二、稲垣隆、田崎潤由利徹松村達雄、清水元久慈あさみ中北千枝子犬塚弘石橋エータロー桜井センリ安田伸、田武謙三、人見明

 

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー17

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー17

「お白州から見る江戸時代 『身分の上下』はどう可視化されたか」
(尾脇秀和、NHK出版新書678)

 

 江戸時代は身分制社会です。一般的には「士農工商」として区分されたとされていますが、内実はもっと複雑だったようです。
士である武士においても幾多の階層に分かれていました。大名、旗本、御家人だけでなく、大名、旗本の家臣などもいます。さらには、その大名の家臣にも家臣がいます。
 例えば、江戸城の数寄屋坊主は武士なのでしょうか。代官は旗本ですが、その下役である手代は武士ではありません。羽織を着て、両刀を指しますが、正確には武家奉公人です。
 武家奉公人といえば、若党や中間は「士農工商」のどの身分に属するのでしょうか。神官、坊主は、どうでしょう。等々江戸時代は、様々重層する身分社会でした。
 そんな彼らが、犯罪を行ったり、訴えられたりした場合、幕府で裁きをする人々はどのような対応をとっていたのでしょうか。
 江戸時代のお裁きの場というとすぐに町奉行所の御白州が思い出されます。南北両町奉行所にそれぞれ設けられていましたが、他にも辰の口の評定所代官所寺社奉行所(役宅がないので、寺社奉行に任命された大名は、自らの上屋敷に設けていました。)にもありました。
 御白州というと砂利を敷いた庭をイメージしますが、その庭のみではなく、裁きをする空間全体のことも御白州と呼んだようです。
 御白州という空間は、「座敷、上縁、下縁、砂利という段差のある構造からなって」いました。座席は奉行などの裁く側の席ですが、上縁以下は裁かれる側の席です。
 ではなぜ、裁かれる側の席が、上縁、下縁、白州という三段に分かれていたのでしょうか。ここに江戸時代という身分制社会の特徴があります。身分に応じて席に着く場所が分かれたのです。つまり、「上縁・下縁・白州は、江戸時代の身分秩序を可視化するための構造」、つまり目に見える形で示す空間だったのです。
 しかしながら、最初に述べたように武士といえども多くの階層に分かれています。区分は三つしかありません。どうやって三つに納めたのでしょうか。複雑な階層というけれどもどのような事例があったのでしょうか。その際何を基準にAは上縁、Bは下縁、Cは白州と判断したのでしょうか。そんな疑問に応えるのが本書です。
 単なる席次の問題ですが、それを真剣に議論し、実施したところに江戸時代の特徴があるということでしょう。振り返って、例えば現代でも、セレモニーや諸儀式などで来賓の席次をどうするか、主催の側は悩むことが多いように思います。時を過ぎても席次の問題は変わらぬ課題といって良いのかもしれません。

 本文では、実際の豊富な事例を紹介していますが、ここでは一つだけ紹介しておきます。
 熨斗目とは、「腰まわりのみ、または腰と袖下とに縞や格子の模様を織り出した、絹の小袖のこと」です。江戸時代は、一定の身分以上の者にしか許されていませんでした。そのため、熨斗目着用以上なら上縁、熨斗目以下なら下縁という指標ができあがりました。
 文政8年4月、町奉行所は小石川伝通院の裏門番小笠原七兵衛を公事に出廷させようとしました。いわゆる寺侍の七兵衛は、給金は金3両4人扶持ですが、本人は熨斗目着用だと主張しました。さて、町奉行所は七兵衛をどこに座らせたのでしょうか?

 ところで、本書では町奉行所の明和7年に扱った裁判件数が紹介されています。
「公事」とは、今日で言う民事事件のことで、原告・被告が出廷して初回の審理が行われたもののことです。「訴訟」とは、その民事事件の訴状が受理されたものの、棄却や取り下げなどにより「公事」までいかなかったもののことです。「吟味物」とは、刑事事件のことです。
 面白いので、少し分析してみましょう。
奉行所は南北二つありますので、二で除して、さらに12月で除して見ると、
 訴訟:17,292件 ÷ 2奉行所 ÷ 12月 ≒ 720.5件
 公事:7,961件 ÷ 2奉行所 ÷ 12月 ≒ 331.7件
 吟味物:2,043件 ÷ 2奉行所 ÷ 12月 ≒ 85.1件
 一月あたりの各奉行で扱う件数の平均が出てきます。やはり、当時も民事が圧倒的に多いですね。
 当時の奉行所は、南北それぞれ与力25人、同心100人が配置されていました。もちろん、当時の同心も分掌はありましたが、単純計算すると、
 ( 720.5件 + 331.7件 + 85.1件 ) ÷ 100人 ≒ 11.3件
同心は一月一人当たり11.3件(与力は上司になりますので、直接は担当しません。)を担当したこととなります。
 私は裁判所の実務はわかりませんので、現代に比較して、これは多いと見るべきでしょうか。それとも……。

『映画に溺れて』第556回 八十日間世界一周

第556回 八十日間世界一周

昭和四十三年八月(1968)
大阪 上六 上六映劇

 子供の頃、映画館へは祖母か父に連れられて行っていたが、中学三年生になって、友人たちだけで『猿の惑星』を観た。それから二か月後、生まれて初めてたったひとりでどきどきしながら映画館へ入ったのが『猿の惑星』と同じ上六映劇、大阪では近鉄本町駅を上六という。そこの近鉄百貨店に隣接した映画館が上六映劇だった。
 映画は『八十日間世界一周』のリバイバル上映である。どうしても観たいというわけではなく、夏休みで、父から招待券を渡されたのだ。ジュール・ヴェルヌの原作は少年向きの本を読んで知っていた。
 一八七二年、ヴィクトリア朝のロンドンで、典型的な英国紳士のフォッグ氏が社交クラブの仲間と賭けをする。八十日で世界一周ができるかどうか。几帳面で時間に正確なフォッグだが、賭けに負けると全財産を失う。前日に雇った召使のパスパルトゥとともにロンドンからパリへ。そこから気球でマドリードまで。気球の場面で流れる曲はTVの旅行番組「兼高かおる世界の旅」で使われていたテーマ曲と同じだった。
 インドで助けるお姫様が若き日のシャーリー・マクレーン。日本の場面では鎌倉の大仏が出てきて、男はほとんどがチョンマゲだった。明治五年の日本にはチョンマゲはそんなにいないはず。アメリカの西部ではインディアンの襲撃があり、大西洋では乗っている蒸気船の石炭が不足して船を買い取り備品や木材を壊して燃料にする。観客はデヴィッド・ニーヴンのフォッグやカンティンフラスのパスパルトゥとともに十九世紀の地球を一周した。
 賭けの結果はわかっていても、はらはらする場面が続く。おしゃれで几帳面で気取った英国紳士のデヴィッド・ニーヴンに当時少年だった私は大いに憧れたが、その後の『ピンクの豹』のニーヴンはあまり好きになれなかった。大人になってから古書店で初公開時のハードカバーのパンフレットを購入したが、配役の凄さに驚くばかり。

 

八十日間世界一周/Around the World in 80 Days
1956 アメリカ/公開1957
監督:    マイケル・アンダーソン
出演:デヴィッド・ニーヴンカンティンフラスシャーリー・マクレーン、ロバート・ニュートンノエル・カワード、トレバー・ハワード、フェルナンデル、マルティーヌ・キャロル、シャルル・ボワイエロナルド・コールマンマレーネ・ディートリッヒジョージ・ラフトフランク・シナトラバスター・キートン

 

書評『異状死』

書名『異状死』   
著者 平野久美子
発売 小学館
発行年月日  2022年10月4日
定価  ¥900E

 

「異状死」とは聞きなれない奇妙な言葉である。はじめ「イジョウシ」と聞いて、「異常死」という漢字を思い浮かべたものだ。そもそも「異状」とは「異常な状態」意味するから「異常死」でもいいわけだが。言葉は大切である。一般の人々が抵抗なく受け入れられる呼び名があればいいと思う。わたしは「イジョウ死」で本稿を綴りたい。
施設など病院以外での死亡(自宅であっても)の、持病ではなかった死因の場合、基本的に《異状死》とされるが、具体的にはどんな死をさすのか。
「イジョウ死」扱いされる範囲はとてもひろく、災害死から自殺、子どもの虐待死 多岐にわたる。風呂場での溺死、感染病にかかっての突然死、ディサービスやショートステイ先の些細な事故の原因での死も「イジョウ死」である。 独居孤独死が「イジョウ死」であるとされるのは理解できるが、自宅での老衰で眠るような大往生でも、かかりつけ医が死後診断をしてくれなければ「イジョウ死」とされてしまうとのことである。
それに加えて、「イジョウ死」と「正常死」との決定的な違いは、警察が介入してくることだという。「イジョウ死」扱いになると犯罪を疑う警察が介入し、遺族は事情聴取され、遺体は検視、検案を受けるのである。
 警察がやって来て何が起こるのか?親族が「イジョウ死」となった場合、遺族の貴方にはどういう事態が待ち構えているのか?
 故人の年金額、貯蓄残高、金融資産、保険加入の有無などが「事情聴取」され、「検視(検死)」が執行される。「検死」というと、殺人事件や事故死、医療ミスによる死亡などの「事件」の話に聞こえがちだが、実態は“ごく普通の死”での検視が大半だということである。事件性が確認できず、それならあえて解剖はしなくてもよいことになるがその判断は医師ではなく、警察の手に委ねられている。要するに、貴方は被疑者のような扱いを受けるのである。
 こうした驚きの事実を淡々と、そしてこれでもかこれでもかと記すのは平野久美子である。

 平野久美子と言えば、日本とアジア、とりわけ台湾との関係を問い、「台湾の心」を描く作品が多いことで知られるノンフィクション作家である。主な作品としては、『テレサ・テンが見た夢・華人歌星伝説』(晶文社 1996年5月刊)、『淡淡有情 日本人より日本人』(小学館 2000年3月刊)、『トオサンの桜―散りゆく台湾の中の日本』(小学館 2007年2月刊)、『牡丹社事件 マブイの行方 日本と台湾、それぞれの和解』(集広社 2019年5月刊)、『トオサンの桜―台湾日本語世代からの遺言』(潮書房光人新社 2022年6月刊)などがある。
 私は『テレサ・テンが見た夢・華人歌星伝説』以来の読者であるが、平野が「イジョウ死」をテーマにした作品を上梓すると聞いた時、少なからぬ“違和感”を覚えたものである。「平野さんが「イジョウ死」とはなぜ」と。
それまでは「イジョウ死」について、一般人同様、死因究明とか解剖という単語は犯罪に限ったことでテレビドラマや小説の中のものくらいにしか思っていず、何の知識もなかった平野が「イジョウ死」にのめり込み執筆に至る動機は2年前の御母堂の死がきっかけであったという。
 2020年(令和2年)、この年、平野は一年間に御母堂、御子息の義父、従兄弟の伴侶の御3方を亡くし、皆が「イジョウ死」扱いにされたということである。
 家族、親族の死亡から火葬までの間に理解に苦しむことにいくつも遭遇し、犯罪捜査に居合わせたような違和感、恐ろしい犯罪や冤罪とは異質のある種の怖さを感じたという。「分からないことだらけで、真っ暗闇を手探りで進むような体験をする。唖然、呆然の日々を送った」とある。著者が大いに衝撃を受けたことは想像するに難くない。
が、ここで終わらない、終わらせないのが平野の平野たるゆえんである。
 なぜ警察が最初にやってきて捜査の対象として事情聴取や検視をするのか?
「何か変だ」との己に根ざした疑問が、これは見過ごせない問題だと気づくにさしたる時間は要らなかった。
 世の中の問題に斬りこんでいく平野のジャーナリスト魂が疼き始めるのである。自分の体験から出発したごく一般人であるの目線から疑問はやがて遺族や法医学者、医師、警察の嘱託医、在宅看取りを行う医師、命の最後の現場に関わっている専門家たちへのきめ細かい取材となっていく。
 取材の過程で浮上したもう一つのテーマは日本の死因究明制度で、日本の死因究明がいつまでも警察主導で行われることは、それこそ「何か変」ではなかろうかと、摩訶不思議な制度の現状究明に挑んでいる。
「イジョウ死」は、いつ、誰の身に降りかかっても不思議ではないほど日常生活に潜んでいる「一つの死の様態」であるにもかかわらず、「イジョウ死」の現状について国民もほとんど無関心で、知らないことが多すぎるということを私は初めて知った。身につまされ絶句した。他人事では済まされない。
 「イジョウ死」どころか、「多死社会」、「同居孤独死」についても無関心、無頓着であった。
 2030年問題とされる多死社会。戦後のベビーブーマー(団塊の世代=1947年~49年に生まれた戦後世代)たちが80歳代後半となり次々に亡くなり人口減少が加速する2030年代の状況は「多死社会」と呼ばれる。1949年(昭和24年)生まれの私にとっては他人事どころか我が身の問題である。
 本書を脱稿して、著者は「イジョウ死」について関心が低い現状を踏まえ、他人事と思わずに、介護している人、されている人も読んで欲しいと訴えている。
本書は「イジョウ死」の遺族となると、どれほど面倒なことが待ち受けているかという体験談から入っているから、読み応え十分である。
 御両親がどちらも「イジョウ死」と診断された著者自身が遺族として体験したことをもとにしたリポートであるから、自身や家族が「異状死扱い」されないためにはどうすればいいのかその対策も案じられている。「イジョウ死」扱いになるかならないかの分岐点は、第一報を「どこに入れるか」によってほぼ決まるという。そのために大切なことは、かかりつけ医に日ごろから定期検診をお願いし、家族と見守ってもらうことであると。
 人生最後に「異状死」という結末が待っているとしたら、目も当てられない。
 自分が亡くなる時のことも事前に打ち合わせをして、どんなふうに“人生を卒業したいか”、自分が人生の終末期にどんなケアを望むのか、日頃から遺志をしっかり伝えあうことは大切だ。日頃の心構えとして、元気なうちに自分や家族の死に対して、心の準備や覚悟を養ったおくことを本書より学んだ。平野さん、ありがとう!
 
             (令和5年2月18日 雨宮由希夫 記)

『映画に溺れて』第555回 フレンチ・コネクション

第555回 フレンチ・コネクション

昭和四十七年四月(1972)
京都 三条河原町 東宝行楽

 

 ジーン・ハックマンは名優だが、昔はあまり好きではなかった。一番最初に観たのが一九七一年公開の西部劇『さらば荒野』で、粗野で下品で横暴な差別主義者の田舎の金持ち。あの当時、私の周囲にうっとうしい中年親父たちがいたが、ハックマンは連中のイメージに近かったのだ。その後、『フレンチ・コネクション』『俺たちに明日はない』『ポセイドン・アドベンチャー』『スケアクロウ』と観たが、映画はどれも面白いのに、相変わらずうっとうしいハックマンを好きにはなれなかった。
 一九七〇年代の初期、イーストウッドの『ダーティハリー』がヒットしたので、その人気にあやかるためか、スティーヴ・マックィーンの『ブリット』やジーン・ハックマンの『フレンチ・コネクション』が作られた。
 ハックマン演じるニューヨーク市警のドイル刑事は仲間からポパイと呼ばれ、麻薬捜査が専門。相棒のルソーがロイ・シャイダー
 アメリカでマフィアの資金源となっている違法のヘロインがフランスのマルセイユに本拠のある組織から大量に流れ込むことを知ったドイルとルソーはフランス組織の殺し屋から命を狙われる。
 殺し屋が乗るニューヨークの高架電車を自動車で追跡するドイル刑事のカーアクションが見事。一般市民が銃弾に次々と倒れる場面の悲惨さ。
 フェルナンド・レイ扮する上流紳士風の麻薬組織のボスを地下鉄で追い詰めるシーンも忘れられない。あのステッキで地下鉄の扉を開ける場面がかっこよかった。
 ジーン・ハックマンは歳をとっても嫌な役が多かったが、『ミシシッピー・バーニング』『カナディアン・エクスプレス』『エネミー・オブ・アメリカ』などでは、少しは魅力的な善人役も演じている。

 

フレンチ・コネクション/The French Connection
1971 アメリカ/公開1972
監督:ウィリアム・フリードキン
出演:ジーン・ハックマンロイ・シャイダーフェルナンド・レイ、トニー・ロビアンコ、フレデリック・ド・パスカル、マルセル・ボズフィ

 

『映画に溺れて』第554回 ダーティハリー3

第554回 ダーティハリー

平成二年三月(1990)
池袋 文芸坐

 

ダーティハリー2』と『ダーティハリー3』は池袋文芸坐クリント・イーストウッド特集の二本立てで観た。当時の文芸坐文芸坐、文芸地下、ルピリエと三館あり、新作を少し遅れて二本立てで上映するか、かつての古い話題作の特集上映を行うかで、名画の宝庫であったのだ。その頃、私は文芸坐の会員になっており、ほぼ毎週のように通って安い料金で大量に観ていた。
ダーティハリー3』ではハリーの相棒に女性刑事が選ばれる。
 サンフランシスコ市では、女性の社会進出に力を入れ、警察内部でも人事課の事務職の女性職員ケイトを刑事に推薦する。が、その採用面接に同席したハリーは現場に疎い女性の刑事進出に反対する。
 だが、上司に反感を持たれてハリー自身が人事課の事務職に異動させられる。
 その頃、兵器工場の軍事トラックが、路上で超ミニスカートの美人ヒッチハイカーに呼び止められ、結局、彼女を乗せたことで、その仲間に襲われ、殺害されて特殊兵器を奪われる。
 兵器を奪った一団はテロリストを名乗り、市を脅迫する。
 警察はハリーを現場に復帰させるが、その相棒に選ばれたのが、ハリーが難癖をつけたケイトであった。
 だが、いっしょに捜査するうちに、ハリーはケイトの生い立ちを知り、その有能さを認めることになる。ふたりは力を合わせて、金目当てのインチキ革命組織と戦うことになるのだが、このシリーズでは毎回ハリーの相棒が殉職することになっている。ケイトの運命はいかに。

ダーティハリー3/The Enforcer
1976 アメリカ/公開1976
監督:ジェームズ・ファーゴ
出演:クリント・イーストウッド、タイン・デイリー、ハリー・ガーディノブラッドフォード・ディルマン、ジョン・ミッチャム、デヴァレン・ブックウォルター、ジョン・クロウフォード、サマンサ・ドーン

 

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー16

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー16

松平定信」(人物叢書)(高澤憲治、吉川弘文館

 

 江戸時代の三大政治改革といえば、「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」ですが、その中で「寛政の改革」を主導した人物が松平定信です。本書はその定信の評伝です。
 吉川弘文館刊、日本歴史学会編集の人物叢書の一巻ですが、この人物叢書の歴史は古く、本書も新装版となります。
 松平定信といえば、8代将軍徳川吉宗の子田安宗武の子(吉宗の孫)で、将軍職を継ぐ可能性もありました。しかしながら、田沼意次の策謀で、奥州白河藩松平定国の養子となり、後、白河藩政の手腕を買われて、いきなり老中首座となり、改革に着手したといわれています。
 そのため、田沼意次と田沼家に対して執拗な報復を行ったとみられがちですが、本書では田沼意次との確執については、ほとんど触れられていません。事実関係を述べるだけです。避けたのか、それとも史料から確認できないからでしょうか。
 むしろ、定信の事績や行動とそのことに対する周りの評価を織り込みながら、定信という人物について書かれているというべきでしょうか。
 例えば定信は、天明の打ち壊しの影響で、一揆等民衆反乱を恐れて農村復刻に努めたようです。そのことが農政を重視する政策につながったと筆者は見ています。田沼意次重商主義への単なる反発ではなかったということでしょう。
 この農村復興政策は、寛政の改革の中心の一つでもあり、有能な代官の起用、御家人の手付起用等につながっていきます。
 代官を描いた小説を私は知りませんが、最近は新書、専門書も出版されており、モチーフとして面白いのではないでしょうか。今後、機会があれば、代官について書かれた新書、専門書についても取り上げてみたいと考えています。
 また、この頃は、農村の荒廃による歳入不足、生活の華美等からくる財政難にどこの藩も農民もあえいでいました。そのため、農村復興による年貢増加(収入強化)を図ったという側面もあるようです。
また定信は、質素倹約を奨励するのですが、当然、家臣たちは反発します。誰よりも定信は、そうした家臣たちの反発を恐れていたようで、そのための種々の施策を行っていくのですが、それは本書をお読みになっていただければと思います。なるほどと思うのかそれとも……。為政者という存在の苦悩と栄光等人物理解に役立つことでしょう。
ちなみに定信は、藩政の改革に服部半蔵という人物を月番(家老のことを白河藩ではそう称した)に抜擢して行うのですが、この人物は名の通り、かつての伊賀忍者の総帥服部半蔵の子孫です。それだけでも興味深いところがあります。(ただし、本書は定信の評伝ですので、服部半蔵について深く触れているわけではありません。)
 寛政の改革は、天保の改革と異なり、幕府の延命につながったという評価があります。政治の改革とは、昔も今も、要するに保守回帰なのですが、田沼時代の開明性が強烈だったために余計そのように感じるのでしょうか。
 定信は迫り来るロシア等の外国からの脅威に対して、「鎖国」」は「祖法」であるとして、開港の要求を退けるのですが、この「祖法」という考え方は、その後、幕末まで維持することとなります。しかしながら、定信自身は、外国の脅威(圧倒的な武力差)を認識していたようです。そのため、江戸湾の防備を担うのですが、いかんせんそのための財政捻出に苦しむこととなります。本書では、そのこともよく描かれています。
 同じ接続詞が多く、別章で同じことを繰り返したりと文章は決して読みやすいとは言えませんが、それゆえに章ごとに日にちを分けて読んでも大丈夫だろうと思います。

(追記)
松平定信が、柳生久通を江戸町奉行から勘定奉行に起用し、勘定所改革等を断行しようとしたことは間違いないようなのですが、残念ながら本書では、そこまで触れられていませんでした。勘定奉行就任後の柳生久通については、なお、調査中です。

 

『映画に溺れて』第553回 ダーティハリー2

第553回 ダーティハリー

平成二年三月(1990)
池袋 文芸坐

 

 クリント・イーストウッドがサンフランシスコの凄腕暴力刑事ハリー・キャラハンを演じるダーティハリーは人気があり、シリーズ化された。
 第二作『ダーティハリー2』の冒頭ではギャングのボスの裁判場面がTV放送されている。殺人、脅迫、横領、汚職、あらゆる凶悪事件に関わりながら、証人が死亡し、悪徳弁護士の力で証拠不十分の無罪となるボスがTVでうれしそうな場面が写る。それを苦々しい顔で見ている初老の男。部屋には警官の制服が掛かっている。
 裁判所を意気揚々と出てくるボスと弁護士。取り巻くマスコミ記者たちを追い払う用心棒の子分。
 マスコミを避け、子分の運転する車に乗り込むボスと弁護士。道路を走る。それを密かに追う白バイ警官。車に追いつき、交通違反で路上に停止させる。
 警官を見下す弁護士。俺たちを停めたりしたら、出世はできないぞ。とでも言いたげである。突然、白バイ警官は銃を取り出し子分、弁護士、ボスを射殺する。
 その後、官憲の力の及ばない犯罪組織のトップたちが次々と殺される。
 警察幹部から暴力刑事として現場から遠ざけられていたハリー・キャラハンが上司から現場復帰を命じられ、悪人抹殺の犯人を捜査するよう命じられる。
 ハリーは警察内の射撃大会でいつも優秀な成績だったが、今回の大会では銃の腕の優れた若手白バイ警官たちと知り合う。
 そして、彼らこそが、悪人狩りの警官グループだと目星をつける。
 今回もまた、ハリーの相棒の黒人警官が殉職する。
 ハリーは悪人狩り警官のリーダーを推定し、逆に追い詰められるが反撃に出る。
 この映画が公開された一九七〇年代、日本ではTV時代劇『必殺』シリーズに人気があり、白バイ警官の悪人狩りは『必殺』に通じていたように思う。

 

ダーティハリー2/Magnum Force
1973 アメリカ/公開1974
監督:テッド・ポスト
出演:クリント・イーストウッドハル・ホルブルック、フェルトン・ペリー、デヴィッド・ソウル、ロバート・ユーリック、キップ・ニーヴェン、ティム・マシスン、ミッチェル・ライアン、クリスティーン・ホワイト

 

森川雅美詩集のクラウドファンディング

森川雅美さんの新詩集『疫病譚』のクラウドファンティングが始まりました。

https://motion-gallery.net/projects/morikawa-poets?fbclid=IwAR0KWdBB6O-vXWHxMDeknAMLudUzYZMqUwQ2lHo_HUiiKMMaPPhSlN5jACg

上記リンク先にて購入&応援よろしくお願い致します。