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書評『たらふくつるてん』

書名『たらふくつるてん』
著者 奥山景布子
発売 中央公論新社
発行年月日  2015年9月10日
定価  ¥1700E

たらふくつるてん

たらふくつるてん

 

 

江戸落語の始祖」といわれた鹿野武左衛門(しかのぶざえもん1649~1699)の謎と波乱に満ちた半生を描いた歴史時代小説である。
 本書によって武左衛門の存在を初めて知ったという読者も多かろうが、かくいう評者もそのひとりで落語に関しては全くの門外漢であることを断っておきたい。そもそも「たらふくつるてん」とは何の言いぞやと、首をかしげながら読みはじめたものである。
 ものの本によれば、芸能としての落語が形を整い始めるのは室町後期から江戸初期の頃。もっとも「落語」という漢語風の呼び方が定着したのは明治になってからで、それ以前は「おどけばなし」「落としばなし」などと称されたという。寄席と呼ばれる常設の演芸場が定着したのは寛政年間(1789~1801)といわれ、武左衛門はそれより100年ほど前に生きた。元禄文化の担い手である井原西鶴(1642~1693)や松尾芭蕉(1644~1694)とほぼ生没年がかぶり、元禄14年(1701)の赤穂事件を観ることなく逝去している。
 上方落語の原型を作ったといわれる「京の露の五郎兵衛」、「大坂の米沢彦八」とともに、江戸落語の始祖である「江戸の鹿野武左衛門」は、<草創期三都の演者の一人>と数えられるが、そもそも武左衛門個人については謎が多く、京または難波(大坂)の生まれであること、京の塗師(ぬし)であったこと、芝居がかりの座敷仕方小咄を得意としたこと、伊豆大島に遠島となり6年後に帰ってきたことなどが断片的にわかっているだけだという。
 一般になじみの薄い人物を取り上げることについて、作家奥山景布子は、想像力を働かせる余地を多く孕んだ人生だからこそ、逆に小説として書くべきテーマなのではないか、と思い至ったと語っている。
 もともと上方の人であった武左衛門がなにゆえに江戸に出て来て、また上方に帰っていったか。先ず、この間の事情を作家はサスペンス仕立てにして物語っていることに注目したい。
 京の塗師(ぬし)である武平は職場にも家庭にも居場所がなく、芝居や噺といった見世物を観ることを唯一の楽しみとして日々をやり過ごす、うだつの上がらない男だが、ある日、武家の奥方と下僕を殺害したというる事件に巻き込まれ濡れ衣を着せられて、京を追われてしまう。逃れた先の江戸で、絵師の石川流宣(とものぶ)と古山師重(もろしげ)に出会ったことから、武平は咄家の道を進むこととなる。浅草聖天町の長屋を住まいとした武平は流宣ら周囲の人々の助けを借りて話芸のスタイルを構築していく。流宣と師重は浮世絵の元祖・菱川師宣(ひしかわもろのぶ ?~1694)門下の絵師で武左衛門の咄本の挿画を手がけている実在の人物である。
 上方で覚えた辻噺を披露し噺家として人気が出、贔屓と呼べる客が幾人かできたころ、鹿野武左衛門と名乗り、お屋敷に招かれて演じる「座敷噺」でますます人気を得てゆく。
 座敷で三味線を弾いてくれる仲であったお咲を妻とし、子宝にも恵まれて、一見、順風平穏で安定したと思われる武左衛門の暮らしだったが、気がかりなのは自分を敵と思い込み迫りくる侍の存在である。何年もの間、自分の命を狙い続けている人がいるという恐ろしさ、女に騙されて京を追われた悔しさ、そうした因果の果ての噺家稼業であった――と物語っている。こうしたストーリーの構成と展開はまことに玄妙で、落語に造詣の浅い読者を程よい緊張の下いとも簡単に落語の世界に誘っている。
 <芸道もの>歴史小説では、時の権力者との対峙を題材とすることは一つの定番である。歌舞伎、能など古典芸能に造詣が深い作家にはすでに名作『太閤の能楽師』があるが、本作では、生類憐みの令をはじめとする徳川綱吉による言論統制の波が武左衛門の身にかかる。
 元禄6年(1693)馬が人語を発するという流言が江戸市中に流れ、流言の張本人として捕らえられた浪人筑紫園右衛門なるものが武左衛門の噺より示唆を得たと白状したため、武左衛門は噺本焼却の上、伊豆大島に遠島になるという事件が起こる。物語はこの事実を踏まえている。
 貞享2年(1685)7月に発令された生類憐みの令は以後頻発され、しだいに犬、猫から牛馬にまで及び、馬を噺のネタにした武左衛門の語りが当局から目を付けられる。花の元禄、外敵の脅威もなく、天下泰平と言われるが、世相を嘆くとそれが命取りになる綱吉の時代、芸能のなんと大変な事か。
「口から出る噺はしょせん噺だが、面白いのが一番」で世直しとはかかわりないとやり過ごしていた武左衛門だが、仲間が死罪となり江戸処払いとなるに及び、権力者の顔色ばかり窺っているのはどうにも我慢できなくなる。お上に異を唱えるに際し、気がかりなのは恋女房お咲きと一人娘のお花の存在である。江戸の刑罰には連座制があった。もし自分が独り身だったら、ちょっとくらい危ない橋を渡ることに躊躇しないのだがと苦悩する武左衛門を見て、お咲きは「お前さんの思うようにやったらいい」と、離縁状を書くよう武左衛門に迫り、その離縁状をお守り代わりに身に着ける。どこに離縁状をお守り代わりにする女房殿がいようか。思わずほろりはらりとさせられるシーンである。
「生き死にに関わりのねぇもの、腹にたまらねぇものに執着して身を立てようなんて者がいるのは、この世で人間だけだ。これは人間の業(ごう)なんだ。噺家だの、絵師だのってのは、業が深ぇんだ」とある。これは作家自身の芸能観の表明でもあろう。噺家に絵師。現代では作家も書評家も。物書きは所詮虚業なり、である。
 武左衛門とお咲きの夫婦愛とともに、武左衛門を陰ながら支え助ける甲府宰相綱豊の登場も物語に花を添えている。綱豊は綱吉の秕政を正すことになる後の6代将軍家宣である。錚々たる文化人である芭蕉西鶴も登場し、当時の時代背景が書き込まれることで、いやがうえにも武左衛門の生きた時代の空気が浮き彫りになってくる。
 小説はラストの部分で作品の真価が問われるものだが、読者は人情がじわっと感じさせられるラストシーンで何とも言えない愉楽を体験することになる。
 実在の人物はなぞだらけの生涯であったにもかかわらず、本書に描かれる武左衛門の人生は落語さながらにおもしろい。鹿野武左衛門という男の人間像がしっかり見えるほどに描かれているからである。
 作家奥山景布子(おくやまきょうこ)は1966年愛知県生まれ。2007年「平家蟹異聞」(『源平六花撰』所収)でオール讀物新人賞を受賞し、デビュー。『太閤の能楽師』は今年度の第4回歴史時代小説作品賞にノミネイトされた。
      (平成27年11月23日  雨宮由希夫 記)