日本歴史時代作家協会 公式ブログ

歴史時代小説を書く作家、時代物イラストレーター、時代物記事を書くライター、研究者などが集う会です。Welcome to Japan Historical Writers' Association! Don't hesitate to contact us!

書評『刀と算盤』

書名『刀と算盤 馬律流青春雙六』
著者 名  谷津矢車
発  売  光文社 
発行年月日 2018年10月30日
定価   ¥1500E

 

刀と算盤 馬律流青春雙六

刀と算盤 馬律流青春雙六

 

 

 作家の谷津(やつ)矢車(やぐるま)は1986年 東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科卒。2013年、狩野永徳を主人公とした歴史小説『洛中洛外画狂伝』でデビュー、27歳だった。その後、『蔦屋』(主人公・蔦屋重三郎 2014年)、『曽呂利! 秀吉を手玉に取った男』(主人公・曽呂利新左衛門 2015年)、『信長さまはもういない』(主人公・池田恒興 2016年)などと、毎年、歴史小説の話題作を上梓。今年、幕末明治を生きた浮世絵師・歌川芳藤を主人公とした歴史小説『おもちゃ絵芳藤』で、第7回歴史時代作家クラブ賞作品賞を受賞している。
「戯作者」を自称する才能あふれる若き書き手が谷津矢車である。その注目の若き作家の最新作が5年ぶりの時代小説の本書、「こんさる侍」が活躍する「江戸のお仕事小説」である。

 時代相を窺うに、「尚武の風が吹いた享保の空気を受け継ぎながらも、商いが隆盛している当世」とあり、また「最近は武家も零落、己の地位を金で譲り渡すということをするようになった」ともある。武家社会の堕落とみられる傾向にある武家株の売買が一般化したのは江戸時代中期以後のことであるから、本書の時代背景は、“田沼時代”と比定してよいであろうか。
 時代小説には実在の人物は登場しない。それだけに登場人物の造形には工夫がある。

 主人公の紗六新右衛門は、小普請・紗六家の当主。元々は馬を律する馬子のための武術であるという「馬律流」の宗家で、道場主でもあるが、世間知らずの20代の若い貧乏御家人である。
 一瀬唯力は両国東河岸の小普請・一瀬家の養子。新右衛門に付きまとい、その紗六家の長屋に「唯力舎」を構え、経営指南を生業としている。窮之のどん底にある新右衛門に、「私の仕事を手伝うつもりはないか」と持ち込み、紗六家の立て直しを指南する。一年間の経営がうまくいったら、礼金として、あがりの一割を唯力の懐に納められるという約束であった。唯力の容姿は「黒い着流しに赤い角帯、朱鞘の大小を挿した総髪の優男で、引き込むような眼の色、男から見てもほれぼれするほどの男ぶり」とある。読者は、主人公の新右衛門より、黒い影を背負っている唯力に惹きつけられるのではないか。
 小兵ながら馬律流手練れの又三(またぞう)は紗六家の譜代中間で、新右衛門に忠義を誓う。22歳。商家や武家の再見を生業にする男がいると、唯力の存在を新右衛門に教えるのは又三である。経営指南役を名のる唯力との出会いが、新右衛門の運命を変えることになっていく。


 筋骨隆々で身の丈6尺の武芸者の近藤助次郎は、やくざの用心棒から唯力舎の用心棒になった男。剛直さと繊細さを兼ね備えた心根の優しさの持主で、「近藤さん、出番ですよ」というと力こぶを作り楽しそうに笑うという造形に、読者は幕末の新選組局長近藤(こんどう)勇(いさみ)を連想することであろう。五条(ごじょう)智(ち)佐(さ)は両国西河岸の小普請組御家人五条家の娘。馬律流の門人であるが、武術以外にお茶などの稽古事に通っている。飛車の四平は吉原の元幇間。賭け将棋で身を立てようとした過去もある洒落者である。
 揃いも揃った才ある若者たちがお江戸の経営コンサル所「唯力舎」を手伝うことによって、“事件”がおこる。

 ところで、本書は、作家の前作である『ふりだし 馬律流青春雙六』(2014年)が元になっている。副題(シリーズ名)が同じで、「馬律流」を看板とした経営指南所「唯力舎」を舞台にしたコンサルティングの話であることも同じだが、登場人物には繋がりが見られない。
 特筆すべきは、『ふりだし』の夏島丈衛門が「俺の人生を変えてほしい」と叫び、本書『刀と算盤』の新右衛門が「平穏無事で、いつ終わるとも知れない、この退屈な日々から抜け出したい」と願っていることである。
 本シリーズのテーマは、若者の生きざまにあろう。江戸の安定期を背景にしながらも、描かれるのは、江戸に生きる主人公たちのおのれの人生に満足して生きるその生きざまなのである。


 江戸は武家の都である。が、ぬるま湯につかっている武士には到底わからず、町人だけが知っている本当の江戸がある。自分の知らない江戸、江戸の町の本性を知ってハッとする武家の新右衛門がいる。
 商いというものはその人の人生を支えるものであることを知った新右衛門は、だからこそ、経営指南は難しいと知る。


 人間は一人で生きている存在ではないので、必ず誰かに寄りかかっている。その誰かが喪われるのはいつだって唐突である、とも。
 かくして、また一つ、また一つと雙六が上がっていくように、世の中の道理を知った新右衛門は責任と向かきあいながら生きていく……。

 


          (平成30年11月22日 雨宮由希夫(あまみやゆきお) 記)