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大河ドラマウォッチ「西郷どん」 第44回 士族たちの反乱

 今週も軽くツッコんでいこうと思います。
 明治6年、東京から鹿児島に戻った西郷は、畑仕事や狩りなどの静かな毎日を過ごしていました。しかし桐野たちも次々と政府を辞め、鹿児島に戻ってきてしまいます。
 西郷の意に反して、西郷を追って鹿児島に帰ってきた士族たちの数は増え続け、街には不穏な空気が満ちるようになりました。
 その頃、大久保は、参議兼内務卿となり、強大な権力をにぎるようになっていました。そこへ岩倉具視が刺客に襲われるという事件が起ります。岩倉は命を取り留めたもの、政府への士族の不満は抑えきれないまでになっていたのでした。
 鹿児島で大久保の留守を守る家族にも危害が加えられます。「奸臣」「国家之大敵」などの紙に包まれた石が、家に投げ込まれたのです。結局、大久保の家族は東京に移ることになります。
 明治7年には江藤新平率いる佐賀の乱が起ります。
 夜中、西郷の家の門をたたく者がいます。なんと戦に敗れた江藤が少数の部下と共に逃げてきたのです。西郷に立つように頼む江藤。それを断る西郷。江藤らは去って行きます。
 この後、江藤は政府軍に捕えられ、大久保によって処刑されます。その首はさらし首にされました。さらし首はやり過ぎじゃないのか、という木戸に大久保は答えます。すべてはこのようなことを二度と引き起こさぬためです。
「江藤さんの最後のお役目でございます」
 その言葉を聞いて岩倉は不気味に微笑むのでした。
「さらし首が怖くて、だまっておれるか」
 と鹿児島では士族たちがいきり立っていました。大久保の家族が去った屋敷に、銃弾を撃ち込みます。
 西郷は県令の大山を訪ねます。金を出して欲しいと頼みます。士族たちの暴発を止めるため、学校をつくろうというのです。その席に村田新八が現れます。西郷を驚かそうと隠れていたのでした。新八によれば、イギリスやフランスは、鉄道が走り、工場から煙が出ている。しかし人々はネズミのように暮らしている。青白い顔をして、誰も笑っていない。大久保はそんな国を目指している。新八は西郷の学校を手伝いたいと申し出ます。
 学校は完成します。私学校と名付けられました。士族たちは働く場所をあたえられ、県から給付金ももらえるのです。アメリカからは西郷の息子の菊次郎も戻ってきました。
 私学校で剣術の稽古が行われているとき、乱入している者がいます。帽子と手ぬぐいで顔を隠していました。暴漢は稽古を行っている者たちを、次々になぎ倒していきます。けがはさせないように注意している様子がうかがえます。覆面をとると、その正体は桐野利秋でした。桐野は私学校への協力を西郷に申し出るのです。
 私学校は西郷が相撲をとったり、楽しい雰囲気でした。しかし西田敏行のナレーションがいいます。
「これがやがて西南戦争の火種になるとは。今宵はここらでよかろうかい」