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大河ドラマウォッチ「西郷どん」 第46回 西南戦争

 今週も軽くツッコんでいこうと思います。
 西郷は士族の窮状を政府に訴えるため、私学校生徒一万三千人と共に東京を目指しました。
 東京では大久保が、天子に西郷討伐の勅を出してくれるよう、岩倉や三条に頼んでいました。
 明治十年、西郷たちは熊本城の手前にたどり着いていました。すると熊本城から火の手が上がり、さらに街の各所でも火災が発生していました。熊本は西郷たちを通さないようにしていたのでした。
 西郷たちは夜襲を仕掛けられます。政府軍の兵のひとりを捕えてみると、西郷たちが国家に弓引く賊軍となっていることを知らされます。尋問のために上京するという名目は崩され、戦わずして熊本を通ることはできなくなりました。西郷は皆に、今後どうするかを問われます。西郷はいいます。
「もはや進むべき道はただひとつじゃ。行く手をはばむちいうなら押し通る。引きとどめるもんは振り払う。それしか道はなか」
 桐野が皆に叫びます。
「おいたちが西郷先生の矛となり盾となり、なんとしてでも東京にいくど」
 西田敏行のナレーション。
「こうして後に、西南戦争と呼ばれる戦いに突入していきました」
 西郷軍は吉次峠田原坂を守る作戦に出ます。このまま進めば、熊本城にいる兵に、背後を突かれる恐れがあるからです。
 田原坂では激戦がつづき、十数日が過ぎていきました。警視抜刀隊による斬り込みをきっかけに、政府軍の圧倒的兵力と、最新式の銃や大砲による攻撃に押され始め、西郷軍は田原坂を突破されます。
 田原坂での敗戦をきっかけに、窮地に立たされた西郷軍は、北上することを断念し、「人吉」へと逃れていきました。
 この頃県令の大山は、西郷軍に加担したということで、東京に投獄されていました。大山のもとを大久保が訪れます。大山はいいます。西郷はお前と直接、話したいだけだ。大久保はいいます。
「西郷が立てば、多くの不平士族が共に立つ。西郷が生きている限り、日本はおさまらん」
 西田敏行のナレーション。
「西郷軍は戦い続けました。が、圧倒的な兵力を擁する政府軍を前に、当初、二万いた兵の数は、三千五百二までになっていました」
 残りわずかとなった西郷軍は、ついに俵野にまで追いつめられました。ここで西郷は解散命令を出すのです。
「もう東京へは行けん。皆わかっちょるじゃろが。生きたかもんは降伏してでん生きろ。死にたかもんは死にゃんせ。皆自分の欲するところに従ってくれ」
 そして西郷は自分の軍服を焼くのでした。
 負傷して足を失った菊次郎は、西郷についていくといいます。
「父上と一緒に死にもす」
 他の負傷兵も口々に自分も行くと言い出します。
「ならん」と西郷は一喝します。「おはんらの頭には新らしか事が詰まっちょる。おはんらは投降せい。生きてこいからの日本国をつくってくれい」
 今宵はここらでよかろうかい。
 しかし現実にあんなだったとしても、あまりにも悲惨な描写だな。視聴者が引かないか心配だな。特に女性や子どもが。西郷を書いてきて、中園ミホはあそこまで踏み込まなければならなくなったということかな。