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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第14回 新世界

 金栗四三(中村勘九郎)はオリンピックでの戦いを終え、ストックホルムから帰国しました。日本では明治天皇崩御し、元号が大正に変わっていました。四三はオリンピック土産に、ヤリ投げのヤリや砲丸、円盤などを持ち帰ってきました。
 高等師範学校に戻ると、四三によるオリンピック報告会が催されました。敗北を告げる四三でしたが、その努力を身近に見てきた学友たちは結果を責めるはずもありません。しかし一人の女性が
「敗因は何だと思われますか」
 と四三に詰め寄るのです。その女性は永井道明(杉本哲太)の弟子であり、東京女子師範学校助教授である二階堂トクヨ(寺島しのぶ)でした。敗因は一つではないという四三。食事、練習法、天候。しかしどれも言い訳にしかすぎないから、胸の奧にしまって、ただもくもくと、と言いかけたところに永井が吠えます。
「それじゃ駄目なんだよ」
 永井は言います。敗北から学ばなければ意味はない。10年後、50年後、欧州人と肩を並べるために今何をすべきか。しかし四三は叫びます。
「俺には四年しかなかです」
 次のベルリンオリンピックまで四年しかない。四年後も出るつもりなのかとあきれる永井。しっかりと返事をする四三。
「ベルリンのスタジアムの旗竿に、必ず日の丸ば、あげたかです。ストックホルムの悔しさ、恥ずかしさを晴らすため、明日から粉骨砕身してマラソンの技を磨こうと思っちょります」
 部屋に帰ると、四三は「今度こそ勝つために」とノートの表紙に書き記します。四年後のベルリン大会に向けて、対策を練ろうというのです。舗装路対策、出だしのスピード。
 この頃、東京には、電話の普及によって電信柱が各所に立てられるようになりました。電柱は40,50メートル間隔で立っています。四三はこれに目をつけました。四三の練習方法はこうです。まず電柱の最初の五本を軽く流し、次の五本を全力疾走。次の五本は流します。これを何度も繰り返し、速度の変化に体を慣らしていきます。名付けて「電信柱練習法」です。
 そのころ美濃部孝蔵(山本未來)、後の古今亭志ん生は師匠の円喬に稽古をつけてもらっていました。
「旅に出てみないか」
 と円喬は言います。ほかの師匠について、地方を回るという話でした。
「お前さんにはフラがある」
 と円喬は孝蔵に言います。フラの意味は、ちょうど底に汽車が通りかかったため、聞き取れませんでした。
 孝蔵が新橋から汽車に乗ろうとするところに、円喬は忙しい寄席の間に、走って駆けつけます。汽車が発車する間際、円喬は孝蔵を預かる小円朝に訴えかけます。
「フラがあんだよ。こいつは大化けするんだからよ。立派に育ててくんないと、あたしゃしょうちしないよ」
 四三と共にオリンピックに参加していた三島弥彦(生田斗真)が半年ぶりに帰国しました。女性記者に初めて負けた感想を尋ねられます。
「すっきりしたよ」
 と、弥彦は答えます。
 弥彦は天狗倶楽部の面々と酒を飲んでいました。
「久しぶりに野球でもやるか」
 と、誘いますが、皆は乗ってきません。皆は落ち着き先を考え始め、天狗倶楽部を解散しようと考えていたのです。
「それなら僕はアメリカへ渡ろう」
 と弥彦は言います。兄に頼んで銀行のアメリカの支店に就職し、アメリカの(スポーツの)強さを見極めてやる、と宣言します。これには仲間たちも感服。
「我らは、スポーツを愛し、スポーツに愛され、ただ純粋にスポーツを楽しむ。元気の権化、T・N・G。奮え、奮え、天狗」
 と、気勢を上げるのでした。
 四三は弥彦と話していました。四三は言います。
「俺たちは精一杯やりましたよね。一回りも二回りも大きな西洋人に混じって、へこたれんで戦いましたよね。日の丸とニッポンのプラカードを持って堂々と歩きましたよね。あれは嘘じゃなかですよね」
「ああ、まぎれもない現実さ」
 と、答える弥彦。
「よかった」と安心する四三。「誰も証明してくれんけん、今こうして東京で暮らしとる自分は嘘の自分で、本当の自分はまだストックホルムにいるのじゃなかて」
「確かめに行くかね」
 という弥彦。弥彦が四三を連れて行ったのは映画館でした。ストックホルムオリンピックの記録映画が上映されていたのです。映画を見ながら二人は笑い合うのでした。
 そして四三は兄の命令で熊本に呼び戻されます。悪いようにはしないという兄に連れられ、四三は見合いをさせられます。そしてなんと見合いの相手はあのスヤ(綾瀬はるか)だったのです。