日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第15回 あゝ結婚

 兄の実次(中村獅童)に呼ばれて金栗四三(中村勘九郎)は熊本に帰ってきました。そこで四三に見合いの席が用意されてあったのです。相手はなんと幼なじみのスヤ(綾瀬はるか)でした。スヤは地主の池部家に嫁に行ったはず。訳のわからない四三でした。
 スヤの夫は病弱で、四三がオリンピックで走っていた頃、亡くなっていたのでした。
 スヤの夫の母、池部幾江(大竹しのぶ)は、実次に四三を養子にしてはと勧められたというのです。四三がオリンピックの渡航費の捻出に苦しんでいたとき、田んぼを担保に池部家が金を貸してくれた、という弱みもありました。幾江は言います。
「地主ばい。スヤと祝言ばあげて庄屋の旦那さんになるとばい。なんが不服ね」
 しぶる四三。四三は四年後のオリンピックのことを考えていたのです。そこへ幾江が言います。
「のぼせなさんなよ」
 自分が必要としているのはスヤである。四三ではない。スヤを嫁にしないなら養子にはしない。
 実家に帰った四三は、家族に
「まだ結婚はせんけん」
 と宣言します。四三は家族を説得します。ストックホルムでの屈辱的な敗北。四年後のドイツ、ベルリンで日の丸を掲げるという決意。
「ようわかった」と実次は言います。「お前の好きにようにせい」
 胸をなで下ろす四三。実次は言葉を継ぎます。
「そのためにスヤさんと結婚ばせい」
 なぜ自分の話を聞いてくれないのか、と抗議する四三。実次は説きます。教員の給料などたかがしれている。池部家に養子に入れば、金の心配はしないですむようになる。思う存分走れる。まだしぶる四三に実次は問い詰めます。
「四三。お前はスヤさんのこつ、好かんとか」
 場面はスヤと幾江のいる池部家に移ります。幾江はスヤに言います。
「もうよか。あんたさえ来てくれたら。おらはよかけん。あとつぎはこっちで探すばい」
 しかしスヤは言うのです。
「いえ、私は四三さんがよかです」
 四三でなかったら、この話は終いです。
「好いとっとね」
 と聞く幾江。
 そして、四三とスヤの祝言が行われるのです。
 四三とスヤの初めての夜が訪れます。二人は布団を並べて横になります。スヤの話をさえぎって、四三は跳ね起きます。
「俺には、四年後がありますけん」そしてスヤに向かいます。「オリンピックに出るっちゅう大志のありますけん。日本スポーツの向上のために雪辱ば果たさんといかん。そんためには脇目もふらんで。何はさておきオリンピックだけ」
 それを聞いてスヤは言います。
「だったら私も、何はさておき、お母さんです」
 四三は言います。
「では、お互い、がんばりましょう」
 二人は再び寝床に入るのでした。
 翌日には四三は東京に帰ります。硬い表情のまま別れをかわす二人でした。
 その頃、美濃部孝蔵(山本未來)、後の古今亭志ん生は、浜松の地にいました。三遊亭小円朝の一座の一員として寄席に出ていました。しかし若い衆は貧しく博打好きで、着るものも売ってしまう始末。交代で孝蔵の着物を着て舞台に出ていました。そして孝蔵は師匠の小園朝と喧嘩をして、一座を追い出されてしまうのです。
 浜松の海には泳ぐ集団がいました。旧制中学の彼らは自らをカッパと名乗りました。速く泳ぐことが目的ではありません。鎧姿でも泳げるような、戦国節の修練を受け継いでいました。そしてこのカッパ軍団のなかから、金栗、三島に続くオリンピック選手が生まれるのです。
 東京に帰ってきた四三は、東京高等師範学校の校長である嘉納治五郎に結婚のことも報告できません。季節は夏になります。四三は灼熱の浜辺を走り始めます。「耐熱練習」です。日射病で負けた雪辱を晴らすために訓練を続けます。倒れない工夫をするのではなく、倒れても起き上がって走る練習をしようというのです。
 やがて秋になり、冬が来て、東京高等師範学校を卒業する日が近づいてきます。学校を卒業した者は、教師になることが当たり前でした。四三は同級生にこれからどうするのかと尋ねられます。
「教員にはならん。マラソン一本でいこうと思っとる」
 と四三は答えます。四三は熊本のスヤにも手紙を送っていました。養子話も縁談も破談にしていただいて構いません。
 校長の嘉納は四三の考えを認めてくれます。職にも就かず、マラソンばかりやっているようなやつのことを何というか知っておるかね。と、質問する嘉納。嘉納は答えます。
「プロフェッショナルだよ」
 スヤから手紙が来ます。進路の件、マラソンにかける思い、私は理解しました。スヤは二年後のオリンピックまで、四三を待つ決意をするのです。