日本歴史時代作家協会 公式ブログ

歴史時代小説を書く作家、時代物イラストレーター、時代物記事を書くライター、研究者などが集う会です。Welcome to Japan Historical Writers' Association! Don't hesitate to contact us!

頼迅庵の歴史エッセイ5

5 柳生久通の前妻と後妻

寛政重修諸家譜』(以下『家譜』と略します。)によれば、久通の妻は二人います。一人が安部式部信満の女。そして後妻が新庄能登守直宥(なおすみ)の女です。この場合の女は「むすめ」と読むようです。

 安部式部の……。あれ、どこかで聞いた名前だな、と思われた方は、かなりな池波正太郎ファンですね。そうなんです。池波の小説『雲霧仁左衛門』に出てくる敵役の火付盗賊改方の長官の名前なのです。小説とはいえ、実在の人物だったのですね。
 そして実は、前回書評でご紹介した、その名もズバリ『火付盗賊改』(高橋義夫中公新書)では、わざわざ一節を立てて、小説に出てくるその安部式部の実像に迫っています。
 しかしながら、『火付盗賊改』で取り上げられた安部式部の諱は信旨(のぶむね)となっていて、柳生久通の妻の父信満とは異なります。

 そこで系図を調べてみると、どうやら信満の祖父のようです。信満の父信之も式部と名乗っているようですので、代々〈式部〉を通称としていたのでしょう。これは、信旨の父信成が従五位下式部少輔(後伊勢守)に任じられていることから〈式部〉を通称にしたと思われます。旗本にとって、任官することすなわち諸大夫(しょだいぶ)になることは、たいへん名誉なことだったのです。そして、諱は〈信〉を通字としていたようです。
 さて、閑話休題――。
 安部式部の子は、『家譜』によれば、男は信録(のぶよし)と信延(のぶひさ)の二人、女子は三人が掲げられています。(女子二人に名はないのか、と怒らないでくださいね。この頃は系図には、名を掲載しないのが普通なのです。)
しかしながら、よく系図を読むと、信録と信延は養子、女子一人も養子であることが分かります。実子は信録の妻となった女性と柳生久通の妻となった女性の二人のようです。ちなみに、久通の妻となった女性は、「のち離婚す」とあります。

では、後妻の新庄能登守直宥の女はどうでしょうか。同じく『家譜』によれば、男は直清、直剛(なおかた)と某(重次郎)の三人、女子は四人。特段の注書きがありませんので、七人とも実子と思われます。こちらは〈直〉が通字のようです。
女子四人のうち、次女が「柳生主膳久通が妻となり」とあります。安部式部の女は「柳生主膳正久通が妻となり」となっています。〈正〉の有無は、気になるところですね。
ところで、新庄能登守の子で久通の妻となった女性ですが、上記に続けてこちらも「のち離婚す」とあります。
うーむ。さらに、気になる……。