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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第24回 種まく人

 東京は、関東大震災にて壊滅的な被害を受けました。余震も続き、人々を不安に落とし入れます。この地震による死者行方不明者は約十一万人。全壊家屋十一万棟、火事で燃えた家二十一万棟。
 有楽町の東京市庁舎も罹災し、外に張ったテントにて震災対策を行っていました。東京に残った罹災者のために、バラックと呼ばれる仮設住宅が大量に必要でした。忙しく指示を出す市長のもとへ、面会人が訪れます。嘉納治五郎役所広司)でした。嘉納は神宮外苑、および競技場を提供することを申し出ます。建設用の資材も残っているし、バラックを建設すれば、五千人は収容できると見積もります。
 直ちに建設された外苑バラックには、六千四百人の罹災者が収容されました。
 シマ(杉咲花)を探す夫の増野(柄本佑)と金栗四三中村勘九郎)。外苑バラックにて、清さん(峯田和伸)と出会います。清さんの妻、小梅(橋本愛)はすいとんを売る商売を始めていました。小梅の所に増野と四三を連れていく清さん。小梅は、増野に、奥さんは里に帰ったのではないか、といいます。鉄道が復旧し、そのような人もたくさんいたのです。同時に小梅は、四三に対して、家族が心配しているのではないか、と問います。
 四三は熊本の池部家に帰ります。夫の無事を喜ぶ妻のスヤ(綾瀬はるか)。四三にとって四年ぶりの帰宅でした。東京にて、地震に屈せず、助け合って人の姿を見てきたと報告する四三。
「したらなんし帰ってきた」
 と問うのは四三の養母の幾江(大竹しのぶ)でした。東京が大変なときに、なぜ帰ってきた。逃げてきたのか、東京を捨てて。妻の上は抗弁します。大地震です、逃げて何が悪いのですか。幾江は四三をなじり続けます。
「そぎゃん時こそ東京に残って踏ん張らんでどぎゃんする。弱っとる人に手ば差し伸べんでどぎゃんする」
 四三は目を覚まされます。東京が大変なときに俺は何もできない。自分の無力を痛感して勝手にしょげかえっていたが、今まで通りに走れば良いのだ。東京に出発しようとする四三。引き止める幾江。どうせ走るなら、これを持って行け、と用意した救援物資を四三に見せます。
「ぬしはいだてんが何の神様か知らんとか」と問う幾江。「人々のために、走って、食いもんば集めて、運んだ神様たい」
 スヤも共に東京に行くことにします。後からまだまだ救援物資を送ることを約束する幾江。
 東京に戻ってみると、熊本から大量の物資が四三の下宿する播磨屋に届いていました。四三はスヤに冷水をかけてもらい気合いを入れます。大量の物資を背負い、困っている人たちに届けるべく走り出します。夜も昼も走り続ける四三。やがて弟子たちも合流し、救援物資を東京の各所に届けます。
 避難所では、女学生も活躍していました。竹早の生徒たちに声をかける四三。
 後の古今亭志ん生である美濃部孝蔵山本未來)は自宅で腐っていました。
「こんな時にネタやったって受けるわきゃねえよ」
 一杯引っかけてくる、と家を出る孝蔵。しかし銭もない孝蔵の足は寄席に向かっていました。するとがれきの中に舞台を作り、寄席は営業していたのです。孝蔵はがれきの高座に座っていました。芸を披露する孝蔵。孝蔵は被災地をまわり、外苑バラックでも落語を披露していました。人々を笑顔にします。子供たちも大喜びです。その場にも、四三は救援物資を届けに来ます。
 夜、孝蔵は清さん夫婦のバラックにいました。
「あんなにうれしがるとは思わなかったぜ」
 と清さんに言う孝蔵。耳を澄ますと、あたりのバラックからすすり泣きが聞こえるのです。小梅が説明します。
「みんな大人だから昼間は無理して笑ってるけどさ、身内に死なれて、家もなくしてんの。つらくないわけないもんね」
「気がすむまで泣いて、こっちは聞こえねえふりして、また明日、何食わぬ顔で、おはよう、ってんだ」清さんは孝蔵を見つめます。「孝ちゃんにはよ、そういう落語をやって欲しいな。笑っても、泣いても、いいじゃねえかってやつをさ」
 そして地震発生から一ヶ月。神宮競技場の一室に、大日本体育協会の面々が集まっていました。このご時世、我々にいったい何ができるのか、と言う意見が出る中、嘉納は三つの提案をします。一つ、来年バリで開催される第八回オリンピック大会に、選手を派遣する。二つ、全国陸上競技大会を開催し、これを予選とする。ここで口を挟んだのが、二階堂トクヨ(寺島しのぶ)でした。
「時局を見てみてください。いまスポーツだの体育だのと、言ってられる状況ですか」
「私は、嘉納先生のご提案を支持します」と発言したのは四三の後輩の野口でした。「非常時こそ、強国日本、屈しない東京を世界にアピールすべきです」
 そして嘉納は三つ目を発表します。
「運動会だ」
 それは四三のアイデアでした。復興運動会を、この外苑バラックでやってはどうか、というのです。四三は嘉納に言いました。バラックや避難所を回っていると、最初の頃こそにぎやかだったが、今はみんなふさぎ込んでいる。不安でたまらないのだと思う。この暮らしが一体いつまで続くのか。
「そこで、運動会だ」
 嘉納は言います。男女問わず、子供から大人まで、誰でも参加できる、復興運動会を、この外苑競技場でやる。これこそスポーツによる復興じゃないか。
 こうして復興運動会が行われることになりました。運動会には懐かしい顔も訪れます。ストックホルムオリンピックの時に四三たちに同行した安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)がやってきました。夫、大森兵蔵の亡くなった後、彼女は私財をなげうって作った児童福祉施設で活動していました。地震で親を亡くした子供たちを連れてきて、参加して良いかと四三に聞く安仁子。
「もちろんウェルカムです」
 と答える四三。
 競技は子供たちのかけっこで幕を開けます。復興運動会の競技数は四十種目にのぼり、四十歳以上の男子による百メートル走。親子競走など、家族対抗の競技。球技も行われました。子供からお年寄りまで、腹の底から大笑いして、にぎやかに楽しみました。
 忙しい四三を呼び止める声がします。以前、竹早の村田富江黒島結菜)たちをテニスで圧倒した人見絹枝が岡山からやってきたのです。シマからもらった手紙に少しずつ心を動かされて競技会に出場し、走り幅跳び日本新記録を出したと語ります。シマに礼を言いたくてやってきたというのです。シマを探す増野を見て事を悟る絹枝。四三は増野に絹枝を紹介します。絹枝に宛てて書かれたシマの手紙を読む四三。手紙には次のように書かれていました。
「私は金栗先生に憧れ、走ることに夢中になりました。女子スポーツの普及が、今の私の生きがいです」絹枝も競技に参加し、絹枝たちと走り始めます。シマは書いています。「女子の陸上はまだ世界でも認められていません。だけど私は、あなたの走る姿を、世界中に見せたい。私が金栗先生に憧れたように、あなたの走る姿を見て、あなたのようになりたいと思う女の子が一人でも現れたら、それこそが、女子スポーツの未来を開くのです」
 怪我や病気で参加できなかった人のために、復興寄席も開かれました。張りきって演じる孝蔵。客の反応も上々です。
 ラストを飾るのは、オリンピック出場選手による徒競走です。そこにはなんと、四三と共にストックホルム大会に参加した三島弥彦生田斗真)の顔もありました。
「君と走るのはストックホルム以来だね」
 という三島。
「いや、真剣勝負は初めてばい」
 と答える四三。天狗倶楽部の応援も始まり、スタートの合図が行われます。
 ゴールに最初に飛び込む三島。しかし四三はその後も走り続けます。孝蔵の舞台を横切る四三。人々は四三の後を追って走り始めるのでした。