日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第26回 明日なき暴走

 大日本体育協会(体協)は、アムステルダム・オリンピックに参加するための費用の捻出に苦しんでいました。押し寄せる選手たちに第二代会長の岸誠一(岩松了)は言います。
「金も自分で集めてきたらどうだ。渡航費、国からぶんどってきたら二十人でも三十人でも連れていくさ」
 朝日新聞の記者であり、大日本水上競技連盟(水連)を創設した田畑政治阿部サダヲ)は、その言葉を本気にします。大蔵大臣の高橋是清萩原健一)に会いに行きました。オリンピックに関心がないという高橋を、猛烈に口説きます。スポーツと政治は無関係だという高橋に田畑は言います。
「富める国は、スポーツも盛んで国民の関心も高いんです。先生方も、スポーツを政治に利用すりゃあいいんですよ。金も出して、口も出したらいかがですか」
 そのオリンピックというものは、お国のためになるのかね、と高橋は問います。なりません。と、田畑は答えます。
「しかし若い者には励みになります。日本の若者が、世界の舞台で跳んだりはねたり泳いだりして、西洋人を打ち負かす。その姿を見て、俺も、私も、彼らのようにがんばろうと立ち上がる。その若者の力を、国を豊かにするために、生かすも殺すも先生方次第でしょうな」
 こうして田畑は、高橋是清から金をもらい、体協に持ち帰るのです。
 朝日新聞に帰った田畑は、オリンピックに行く許可を上司の緒方竹虎リリー・フランキー)に願い出ます。しかし許可をされるわけもありません。そしてその場で田畑は、故郷の浜松からの電報を受け取るのです。
「アニ キトク」
 の文字がそこには記されていました。
 一方、東京府立第二高等学校(通称・竹早)の教師であったシマ(杉咲花)にスカウトされた人見絹枝(菅原小春)は、岡山から東京に来て、二階堂体操塾に入学していました。そしていくつもの陸上競技で記録を打ち立てます。
 絹枝は二階堂体操塾の一室にて、校長の二階堂トクヨ(寺島しのぶ)と話していました。トクヨは絹枝に問います。
「あなた、ご幸福ですか」
「幸福とはほど遠い気分です」と、絹枝は答えます。「私が走ると、バケモノとヤジが飛びます。跳ぶとバッタと呼ばれ、何にもしないで立っていると、六尺さんと笑われます。女子はスポーツなどやるべきではない。さっさと結婚して、子を産むこと。それを幸福というならば、私は幸福などなれないし、ならなくて結構です」
「それは違うわよ、絹枝さん」校長のトクヨは言います。「あなたはメダルもとり、結婚もする。そうでなくてはいけません。どちらか片方では駄目。どっちも手に入れて、初めて、女子スポーツ界に革命が起きるんです。私は競技スポーツが好きじゃない。オリンピックもしかり。平和や平等をうたいながら、女は陸上競技に出場すら許されない。言語道断。でもあなたは応援したい。あなたには品がある。女性らしい恥じらいがある。笑われて悔しいと思う負けん気もある。だから出るべきよ。変えるべきよ、女子スポーツの未来を」
 絹枝は国際大会に出場します。そして総合優勝を果たすのです。国内大会の百メートル走で、絹枝は世界記録を出します。
 ストックホルム・オリンピックでは、女子の陸上が正式種目になることが決まります。絹枝は日本選手団の中で、たった一人の女性としてオリンピックに参加することになります。
 絹枝は再び二階堂トクヨと話します。トクヨは絹枝にヘアピンをプレゼントします。精一杯、あくまで女性らしく戦ってきなさい、というトクヨ。絹枝は、はい、と返事をします。
 そうして日本選手団アムステルダムに向けて出発するのです。
 男たちがはしゃぐ中、シベリア鉄道の中で絹枝は縫い物をしていました。絹枝は男子選手からアネゴと呼ばれ、縫い物や洗濯を任されていたのです。
 アムステルダムに着き、オリンピックは開始されます。監督の野口は絹枝に言います。
「君がメダルをとれば、皆の士気が上がる。しっかり頼むぞ」
 記者も絹枝に言います。
「全国民が期待してますよ」
 絹枝は競技場にあがっていくのです。
 しかし結果は惨敗。百メートルで四位。プレッシャーのため、実力を発揮することができなかったのです。
「私、このままじゃ日本に帰れません」絹枝は監督の野口に言います。「明日、八百メートルに出てもよろしいでしょうか」
 絹枝をなだめる野口。君は八百メートルを一度も走ったことがないだろう。ほかの選手たちも口々に言います。百メートルと八百メートルは走り方が全く違う。絹枝は泣きながら訴えます。
「男は負けても帰れるでしょ。でも女は帰れません。負けたらやっぱり女は駄目だ、男のまねして走っても役に立たないと笑われます。日本の、女子選手全員の希望が、夢が、私のせいで断たれてしまう。お願いします。やらせてください」
 絹枝は何度も何度も頭を下げるのです。野口は受けざるを得ませんでした。作戦会議をする、と協力する姿勢を見せるのです。
 絹枝はその胸の内を、こんな言葉で表わしています。
「私の体に、どうか明日一回走る力を、与えてくださいませ」
 女子八百メートル走の決勝が行われます。短距離のクラウチングスタートで走り始める絹枝。トップに躍り出ます。しかし野口たちのアドバイスに従い、力を抜いて六番目につけます。二週目に入り、順位を上げようとする絹枝ですが、足が思うように動きません。そこに野口たちの声が聞こえてきます。腕だ。腕を振れ。腕を振れば足が動く。五位、四位、三位と順位を上げる絹枝に歓声が降り注ぎます。絹枝は速度を上げていきます。そして最終コーナー。ついに絹枝は二位につけます。トップとの差を縮めていきます。そしてゴールを目前にして、絹枝の意識は遠のいていきます。
 絹枝は二着でゴールに入ります。銀メダルです。
 絹枝の活躍に奮起した男子選手も活躍し、日本にメダルをもたらします。
 田畑が心配した水泳においても、日本選手は活躍し、メダルを次々にとっていきます。
 日本はアムステルダム大会において、五つのメダルを獲得したのです。
 オリンピックの終わる頃、日本では田畑が上司の緒方に、バーに誘われていました。そこで田畑は、兄が危篤になって故郷の浜松に帰ったときのことを語るのです。
 なくなった兄に代わり、次男の自分が家業の酒蔵を継ぐと宣言する田畑。しかし母は許しません。お前は一度死にかけている。神様に生かしてもらった。
「拾いもんの人生。お国のために馬鹿でっかいことをやらにゃあ、もったいなくてバチが当たるえ」
 帰国した絹枝たちは、熱烈な歓迎を受けます。
 絹枝はラジオでしゃべります。
「バケモノ、六尺さんと笑われた私も、世界へ出れば何ら特別ではありませんでした。私に走ることを勧めてくださった増野シマ先生が、手紙の中でこうおっしゃいました。あなたに対する中傷は、世界へ出れば賞賛に代わるでしょう。本当にその通りでした。だからみなさん、勇気を出して走りましょう。跳びましょう。泳ぎましょう。日本の女性が世界へ飛び出す時代がやってきたのです。みなさんは幸福なことに、大和魂を持つ日本の女性なのです」
 絹枝は二階堂トクヨにメダルを見せに行きます。
「あなた、ご幸福ですか」
 トクヨは再び問います。
「はい」
 と返事をする絹枝。
「では、次は結婚ね」
 というトクヨ。微笑みながら絹枝は首を振ります。
「もうしばらく走ります。私は走ることが大好きです。私の走る姿を見て、勇気づけられる人がいる限り、人見絹枝は世界中を駆け巡ります」
 三年後、人見絹枝は二四歳の若さでこの世を去るのです。