日本歴史時代作家協会 公式ブログ

歴史時代小説を書く作家、時代物イラストレーター、時代物記事を書くライター、研究者などが集う会です。Welcome to Japan Historical Writers' Association! Don't hesitate to contact us!

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第29回 夢のカリフォルニア

 満州事変、五・一五事件などが起こった昭和七年夏、日本選手団はロサンゼルス・オリンピックに参加するために日本を出発します。131名の選手は、開催国アメリカに次いで二番目に多い数でした。
 太平洋を船で横断し、ロサンゼルスに着いた一行は、ダウンタウンにあるリトルトーキョーで熱烈な歓迎を受けます。
 歓迎パレード終えた一行は、選手村に入ります。選手村という制度は、このロス五輪から正式に導入されました。世界37カ国、2千人がここで生活を共にします。選手たちが国境や文化を越え、自由に交流できる。まさにスポーツの楽園です。
「これ、理想郷じゃんねー」
 と水泳の総監督である田畑政治阿部サダヲ)は叫びます。そして皆で踊り始めるのです。田畑は再び叫びます。
「オリンピック最高」
 複雑な思いを抱く男が一人いました。百メートルの高石勝男(斎藤 工)です。高石は日本を出発する前、田畑に言われていました。勝ち負けがすべてだよ。これはアメリカとの戦争だ。高石は言います。勝ちますとも。練習不足は現地で挽回します。しかし田畑は言います。
「君を試合には出さん。今の君には、メダルは取れない。日本が一つでも多く、メダルをとるためだ。
 ロサンゼルスでの現実は、甘いことばかりではありませんでした。張りきってプールに練習に来た水泳選手団でしたが、アメリカの選手が次々と水から出てしまうのです。日本人と同じ水に入りたくないということのようでした。
「いいじゃんねー」田畑はいきり立って叫びます。「貸し切りだ。存分に使わせてもらおう」
 こうして大会が始まるまでの一ヶ月の現地練習が始まったのです。
 リトルトーキョー日本食レストランで、歓迎会が開かれました。日系人の料理人が嘆きます。
「私たち日系人は、プールには入れないんですよ」
 理由を聞く田畑に料理人は説明します。有色人種は白人と一緒に泳ぐことすら許されない。そんなに迫害されているのか、と驚く選手団。満州の件でも、アメリカは日本を非難していました。
 夕方の練習で、アメリカの選手たちが日本選手の泳ぎを見ていました。何やらヤジのようなものを飛ばしているものもいます。
「もう我慢ならん」
 田畑はアメリカの選手たちに詰め寄ろうとします。そこで田畑を呼び止めたのは、以前日本で行った日米対抗戦で出会っていた、アメリカ水泳チームの監督、キッパスでした。キッパスは言います。あれは日本の水泳スタイルを研究しているのだ。この一年、アメリカは日米対抗戦の敗因を徹底的に分析し、死ぬ気で鍛えてきた。合い言葉は打倒・日本。メダルは一つも譲らない。我々の前に平伏し、屈辱を手土産に日本へ帰るがいい。しかし田畑はキッパスの闘志の言葉を、半分も理解していませんでした。
「お土産をくれるって」
 と、仲間に話す始末です。
 田畑は取材陣の質問に答えます。
「オールメダル・フォー・ジャパンだ」
 中途半端な英語力で記者の質問に答える田畑に、仲間たちが感心します。そんな中で、朝日新聞の記者が日本語で質問します。一番の敵はアメリカと見て間違いないですか。田畑は言います。
「四の五の言わずに一言こう書け。米国恐るるに足らず」
 その新聞記事を日本で大日本体育協会の面々が見ていました。嘉納治五郎役所広司)が話します。アントワープでは、日本古来の泳法が笑いものにされた。わずか十二年でアメリカに研究される立場になった。不屈の大和魂のなせる技だよ。そこへ嘉納宛てに手紙が届きます。アメリカ、フランス、ドイツのIOC委員が、もし東京がオリンピックに名乗りを上げたら、必ず支持するとの声明を出した、と記されていました。嘉納は喜びのあまり、ロサンゼルスに行くことを決意します。
「来るぞ。オリンピックが。東京に」
 と嘉納ははしゃぎ回ります。
 ロサンゼルスにいる選手たちは、食後に反省会をします。昼間の練習を撮影した映写機の画像を見て、各自、フォームを確認するのです。
 田畑は蓄音機の音楽に合わせて、各国選手と踊ったりしていました。それを見る水泳監督の松澤一鶴皆川猿時)。いらついています。高石勝男たちと、作戦を練っていました。練習メニューを減らしてはどうかという提案に、松澤は、一度徹底的に疲れさせ、少しずつ回復して、一番いい時に本番を迎えるよう調整しよう。
「ごめんね、かっちゃん」
 と松澤は高石に言います。
「自分は出ないのに、ですか」
「もちろん選考会まではわからんが」
「タイムを見れば、自分の限界も、一目瞭然ですわ」
 と、高石は微笑みます。
 しかし高石はあきらめてはいなかったのです。夜半に選手村を抜け出し、一人でプールに来て練習を行っていたのでした。屈強な黒人の守衛は、それに気づいていましたが、見逃してくれていました。
 女子選手もロスに到着し、選手団に加わります。ただし女子はホテルに泊まり、練習だけを男子と合同で行います。女子たちに見られ、張りきる男子選手たち。
 女子選手たちの人気は相当なもので、和服を着た彼女たちはパーティーにかり出され、花を添えます。彼女たちも悪い気はしません。
 日本では嘉納治五郎東京市長から招請状を受け取り、ロスに向けて出発しようとしていました。IOC総会に出席するためです。
 ラジオ番組の出演の要請を受けた田畑は、高石を出席させようとします。
「あれはノン・プレイング・キャプテンですから」
 そしてその頃、選考会に向けて、高石は夜の特訓に励んでいたのです。黒人の守衛もその音を耳で聞き、感心する様子。
 選手たちは高石がこっそりと練習していることに気がついていました。特に若い宮島と小池は気にしています。
 夜のプールでは高石が荒れていました。
「何がノン・プレイング・キャプテンや。そんなもん、補欠の大将やんけ」
 そのとき宿舎では、宮島や小池が監督の松澤に頭を下げていました。
「どうか高石さんに有終の美を」
 僕らは四年後もある。高石さんが出ることは、メダル以上の価値があります。
 松澤は田畑に掛け合います。
「何も意地悪してんじゃないんだ、鶴さん」と田畑は言います。「出さんと言って連れてきたのも、それで奮起してくれると期待してのことだ。しかしかっちゃん(高石)は」
 その会話を高石は廊下で聞いていました。田畑は話しています。メダルを狙える若手を落として、かっちゃんを出す余裕はない。松澤は叫び出します。
「メダル一枚ぐらいくれてやったっていいじゃないか」
 なぜそんなにメダルにこだわるんですか、と田畑に問い詰めます。
「日本を明るくするためだ」と、田畑はこたえます。「犬養さんが撃たれてから、新聞の紙面が暗い。不況、失業、満州問題。朝から暗澹たる気持ちになる。これじゃ駄目だ。言論の自由が奪われつつある今、誰かが明るいニュースを書かなきゃ駄目なんだよ。で、考えたんだ。もし、水泳が全種目制覇したらさ、オリンピックの期間だけでも、明るいニュースを一面に持ってくることができるじゃんねー」田畑は続けます。「スポーツが日本を明るくするんだよ。たった数日間だけど、スポーツで国を変えることができるじゃんねー」
 高石はそれを聞いて涙ぐむのでした。
 そして選考会の日になりました。自由形百メートル。高石の番になります。心配した黒人の守衛までも見物人に加わります。高石は若い宮崎と並びます。スタートの前、宮崎は高石に声をかけます。
「よろしくお願いします」
 スタートの合図が撃ち鳴らされます。選手たちが一斉に飛び込みます。先頭を切るのは宮崎、高石は一番最後でした。しかし選手たちは口々に高石を応援し出すのです。
「いけ、かっちゃん、いけ」
 田畑もいつの間にか叫んでいました。高石は懸命に泳ぎます。声をからして高石を応援する選手たち。しかし差は縮まりませんでした。高石が勝てないことは明らかでした。田畑は顔をくしゃくしゃにして叫ぶのです。
「かっちゃん、ありがとう。お疲れ」
 田畑は水からあがろうとする高石に手を差し伸べます。高石もその手をしっかりと握り、フールからあがります。素っ気ない態度のようにも見える二人。高石に向かって、選手たちは惜しみない拍手を送るのでした。
 選考選手が発表されます。もちろん高石の名前はありません。高石にラジオの取材があることを伝える田畑。高石はこたえます。
「行きますよ。ノン・プレイング・キャプテンですから」
 そして立派に高石は取材をこなすのです。
 そしてその頃、IOC総会に出席するために、体協の名誉会長、嘉納治五郎がロサンゼルスに到着しました。総会の席で嘉納は、東京市長から預かった招請状を読み上げました。これで東京は正式にオリンピック招致に名乗りを上げたことになります。嘉納は結びに言います。オリンピックの聖火が、東洋に導かれますように。
 そしてついに七月三十日、ロサンゼルス・オリンピックが華々しく開幕するのです。