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書評『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 名月怪談』

書 名  『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末 名月怪談』
著者名  平谷美樹
発 売  大和書房
発行年月日 2019年9月15日
定 価   ¥680E

草紙屋薬楽堂ふしぎ始末5 名月怪談 (だいわ文庫)

草紙屋薬楽堂ふしぎ始末5 名月怪談 (だいわ文庫)

 

 寛政・天保の二つの改革に挟まれた文化文政は町人を中心とした化政文化が花開いた時代で、川柳や戯作が流行り、出版業界も活況を呈していた時代である。多くの読者を魅了した娯楽小説の戯作は知識階級の余技的な遊びとして書かれ始められたがために、自嘲的に「戯作」と呼ばれたが、娯楽のための著作物が出版を通じて世に流布することも、近世に始まり、現代に続いている文化なのである。また、戯作は幕府政治の現実を戯画化したり、「禁忌」つまりタブーに触れたために絶版を命じられるなど、たびたび取り締まりの対象となった。代表的な作家として、寛政の改革における洒落本の山東京伝黄表紙恋川春町天保の改革における ・人情本為永春水らがある。

 平谷美樹の『草紙屋薬楽堂ふしぎ始末』は2016年10月にスタートしたシリーズものの時代小説で、本作の「名月怪談」はシリーズ第5作目である。
 時は文政、将軍徳川家斉の治世下。舞台が江戸時代の出版社で、登場人物はその出版社の専属作家という設定である。本作で推当物(おしあてもの)(推理)という謎解き戯作を得意としている女戯作者(今でいう女流作家)鉢野金魚(はちのきんとと)と同じく戯作者の本能寺無念(ほんのうじむねん)の二人を中心に、一流版元が建ち並ぶ通油(とおりあぶら)町(現在の中央区日本橋大伝馬町の一部)に店舗を持つ地本屋・薬楽堂(やくらくどう)に集う金魚一派が、現実に起きた不可思議な謎を解き、厄介事を解決していく。
主な登場人物を紹介しておきたい。
 鉢野金魚(はちのきんとと)。安永年間に活躍した洒落本作家に田螺金魚(たにしきんぎょ)なる人物がいるが、本シリーズの「金魚」は金魚(きんとと)で本名はたえ。父は川魚師。7歳の頃、吉原の女郎となった。シリーズの巻数が増えるたびに、彼女の過去、前身が少しづつ明らかになるが、いまだ故郷は明らかではない。
 本能寺無念(ほんのうじむねん)。薬楽堂に居候する甲斐性なしとされるが、鎌倉時代を舞台とした活劇物を得意とする戯作者。本名は進藤重三郎で下谷仲御徒町御家人の家に三男坊として生まれた。
 只野真葛(ただのまくず)は工藤平助の娘綾子。実在の人物である。奥州仙台在住の思想家にして随筆家。薬楽堂の面々とは昵懇の間柄で、金魚に負けず劣らず頭の切れる老女。薬楽堂の大旦那・長右衛門の初恋の人とされる。
 他に、薬楽堂に関わる面々は以下の如し。
 薬楽堂の大旦那にして隠居身の長右衛門。旦那の短右衛門。「けい」は短右衛門の娘、こましゃくれた小娘である。番頭の清之助、普段は大人しいが木刀を持つと人が変わり、「狂犬の清之助」の二つ名がある。六兵衛は清之助の父、薬楽堂の元番頭、今は隠居の身。小僧の竹吉と松吉。通いの下女の「はま」と「みね」。読売屋の北野貫兵衛と又蔵は元駿河国池谷藩の御庭番、又蔵は貫兵衛の配下であった。
 本書の読みどころは、奇妙な出来事に遭遇した金魚が何か裏があると閃く鋭い洞察力と論理的な思考で快刀乱麻の如く謎を解くにあたり、先に紹介した薬楽堂に関わる面々が金魚の謎解きに関わり手助けをしていく精緻で堅固な筋立てにある。また、それとともに、戯作者の生きざま、江戸の出版事情が現代との相似で語られ、近世という窓から現代を考えさせられること、かつ、四季折々の江戸の風物が描かれることで、江戸情緒や景色がまるで目の前に見えるように展開され、庶民の日常生活や生態が再現されることでもある。
 第一話は「縁側の亡魂 菓子舗異聞」。本石町一丁目の老舗菓子舗・壱(いち)梅堂(うめどう)で、一人息子の梅太郎をめぐって幽霊騒動が起きているという奇妙な出来事に、金魚は興味を示す。
 この時代の庶民の多くはあの世も幽霊の存在も信じていたが、「この世の中に物の怪も幽霊もいやしない」と、前身は女郎で神も仏もない苦界の悲惨さを嫌というほど見てきた金魚は狐狸妖怪の類はむろんのこと、冥府、幽霊、神仏さえも信じていない。
はたして金魚はいかにこの幽霊騒動を収めていくか……。
 本巻の表題作である第三話は「名月怪談 百物語の夜」。本石町の古本屋・紅梅堂の久右衛門は大坂から来た怪談好きの世利子(本屋仲間に属さず本を商いする人)の市之助を接待するため百物語を開く。怪談会に怪異はつきものだが何か裏があるとにらんだ只野真葛と金魚は三度目の百物語に参加することになった……。
 第四話「絵描き冥利 媼の似姿」。北斎の娘で葛飾応為(かつしかおうい)の画号を持つお栄のもとに、死んだ者の似姿絵を描いてほしいと依頼する「津軽屋仙太郎」なる男が現れた。お栄と馴染みの金魚は依頼の背後に何かがあると察知する。はたして男の正体は……。
 金魚の武器は人の心の機微を読み解くところにある。人の心情から人と人との関係を知り、事件の解決に結び付けていく。
 一見、ごく普通の時代ミステリのように見える事件もあるが、ミステリとして、当たり前の結末が待っているわけではない。現実を正面から取り上げず、一ひねりひねるのがそもそもの戯作の発想なのであるから、それは当然の結末かもしれないが、未読の読者のために、各話はそれぞれ一ひねりした綺麗な結びが待っているとのみ言っておこう。
 登場人物が皆、個性豊かで存在感に溢れ生き生きとしているが、金魚と無念の関係がこれまでの巻とはおもむきが異なっていくのが今回の読みどころであろう。
 シリーズの冒頭で、薬楽堂に推当の戯作を持ち込んだ金魚が最初に出会った人物が無念であった。以後、二人は薬楽堂に集う同業者として日々、顔を合わせ、謎解き事件を解決するごとに、二人の距離は徐々に縮まってきた。薬楽堂の面々の中では、無念は金魚が幼い頃、親の手で遊郭に売られたことを知っている唯一の人物とされている。相互に、唯一、心を開くことができる異性として意識するようになってきた二人。果たして、二人の未来に待ち受けるものは何か。早くも、次巻が待ち遠しい。


         (令和1年10月24日  雨宮由希夫 記)