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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第41回 おれについてこい

 昭和34年(1959)。東京にオリンピックがやってくることが決まり、日本は祝福ムードに包まれていました。
 敗戦から立ち上がり、ついに田畑政治阿部サダヲ)は夢を叶えました。国立競技場にほど近い、古い洋館に、組織委員会事務局を開設しました。田畑は事務総長となり、運営責任者にして、オリンピックの司令塔となりました。渉外担当には岩田幸彰(松坂桃李)が就任し、式典担当は松澤一鶴皆川猿時)が任されます。帝国ホテル料理長の村上信夫黒田大輔)が選手村の食事を作ることになります。
 ところがオリンピックに一枚噛もうという政治家が、乗り遅れまいと殺到したのです。自民党幹事長の川島正次郎(浅野忠信)は、馴れ馴れしく田畑の肩を抱きます。元大蔵大臣の津島寿一(井上 醇)は組織委員会会長になります。彼ら政治家と田畑は、記者会見を受け、記念写真に収まるのです。しかし記者に質問された田畑は、政治家たちを無視してしゃべりまくります。
 組織委員会の会議の席において、田畑たちはバレーボールのすごい連中が大阪にいることを耳にします。日防貝塚という会社が持っているチームでした。田畑たちは日防貝塚を訪れます。そこではすさまじい特訓が行われていました。
「立て。死んでも立て。立って死ね」
 と叫ぶのは、監督の大松博文でした。戦時中はビルマに出征し、インパール作戦に従事した人物です。大松は女子選手たちをあだ名で呼びます。「ウマ」「パイスケ」「力道山」「アチャコ」「フグ」「オチョコ」。田畑たちは抗議します。強くなるのは結構だが、今時軍隊式はいただけない。田畑は大松を柔道場に連れて行きます。大松のような指導方法などしてはいない、と伝えます。大松は田畑の話など聞いてはいません。バーレーボールにおける「回転レシーブ」のヒントをそこで得るのでした。
 料亭にて、自民党幹事長の川島は東京都知事東龍太郎と会食をしていました。川島は東にいいます。
「それにしてもあの田畑という男、どうにかならんかね」
 川島は田畑が気に入らないのです。半年前に事件がありました。東が東京都知事に立候補しているときのことです。
「党が全面的に支援するから」
 といって、川島は東に風呂敷に包んだものを渡すのです。それを見た田畑は、風呂敷に包んだものを取りあげます。
「今さらこれっぽっちの金持ってきて、何様のつもりだよ。手弁当でやってんだよ、こっちは。貴様らが無能だからだぞ。百万や二百万の金も集められないくせに。それでよく幹事長がつとまるもんだね」
 料亭で川島は田畑を評します。
「田舎根性丸出しでね、粋じゃないんだよ」
 東はいいます。
「しかし若い連中の信頼は絶大なんです。まーちゃんのためなら一肌脱ごうって自然と集まってくる。まさに、オリンピック男で」
 組織委員会で選手村の場所が話し合われます。アメリカの進駐軍のキャンプ地を返還してもらうつもりでした。
「代々木でしょ、代々木」
 と、田畑はいいます。そこは敗戦以降、米軍将兵とその家族が実際に暮らす町でした。明治神宮に隣接する92万平米の広大な敷地は、いわば日本の中のアメリカでした。元大蔵大臣で組織委員会会長の津島がたずねます。
アメリカはなんといってきているのかね」
「朝霞のキャンプ・ドレイクでどうか、と」
 東は答えます。田畑は朝霞のことを知りません。競技場から25キロ離れており、埼玉にあります。
 記者会見にて津島は発表します。
「選手村は朝霞に建設いたします」
 そして「東京オリンピック」と聞いて、黙っていられない男がもう一人いました。日本人初のオリンピック選手である金栗四三です。68歳になっていました。嘉納治五郎と交わした約束、聖火リレーの最終ランナーになるべく熊本から上京してきたのでした。
 組織委員会にて、田畑は頼りになる助手である岩田幸彰に商社を辞めるようにいいます。岩田は40年の幻のオリンピックを目指していたヨットの選手でした。戦時中は上海にいて、軍艦への特攻を研究していました。
「第一号は、自分と決めてたんですが」
 という岩田。戦後にヘルシンキ・オリンピックを目指しましたが、健康診断で肺に影が見つかり、代表から外されてしまいました。
「会社辞めて、専属になってくれ」
 と、田畑は岩田に頼みます。一年間ローマに行って、今度のオリンピックを視察してきて欲しい。そして岩田はローマに旅立つのです。
 ローマ・オリンピックの視察から帰ってきた岩田は取材映像を上映して皆に披露します。岩田は特にマラソンアベベに感銘を受けていました。練習中にシューズが破れ、足に合うものが見つからず、アベベは裸足で走りました。岩田はローマのオリンピックの予算について報告します。イタリア政府は全く出していませんでした。サッカーくじトトカルチョの売り上げによってまかなったということでした。田畑たちもそれをやろうと盛り上がります。
 しかし「トトカルチョ」案は、政治家たちに激しい反発を受けます。記者たちを入れた会議の席で、津島が発言します。
「神聖なるオリンピック大会の費用を、バクチのテラ銭のごとく、汚い金でまかなうとは」
 田畑は政治家たちに啖呵を切ります。
「あんたらは少しでも安くあげれば手柄だと思ってんだろ。違う、違う、違う。画期的のものをやってんだ、こっちは。お役人風情が口をはさむんじゃないよ」
 会議は紛糾します。話題を変えるように、津島がたずねます。
「選手村の件は、その後どうなりましたかな」
 朝霞の方向で建設省と埼玉県と最終的な交渉に入りました、という東。遠い。代々木がいいって、という田畑。津島が言います。
「朝霞なら金はかからんのだろう」
 それを聞いて田畑が爆発します。
「二言目には金、金、金。あんたら、選手のこと、なんにもわかってないね」
「貴様のオリンピックではない」田畑をよく思っていない川島が叫びます。「いいか田畑、はき違えるなよ。これは日本のオリンピックだ。国民の、といってもいい。変わるんだよ日本は。このオリンピックで」
 あっけにとられる田畑。やがて言い始めます。
「国民のオリンピックとおっしゃいましたな。幹事長、大いに結構。大賛成」田畑は一人、拍手をします。「だったら渋滞なんとかしてくれよ。国民の生活、もっと豊かにしてくれよ。国民の一人一人がさ、俺のオリンピックだって思えるように、もりあげてくれよ先生方。功名心で組織委員会に名を連ね。記者が集まる公開討論にしか顔を出さん。そんな役立たずの役人や、政治家は出てってくれ」
 ギリシャアテネで開かれたIOC総会に、田畑は出席していました。日本では、建築家の丹下健三松田龍平)とデザイナーの亀倉雄策前野健太)が話していました。
「なんなんだろうね、あの田畑さんて人は。ガキ大将とも違うし。ただのワンマンというわけでもない」
 と、丹下。
「でも田畑さんのためならと、まわりをその気にさせてしまう何かがあるんだよな。引力のようなものが」
 田畑は東京の組織委員会に帰ってきていました。
「もう勘弁してください」
 ジャーナリストで、スピーチを務める平沢和重(星野 源)がいいます。平沢が壇上に立ったアテネIOC総会は、大紛糾したのです。
「もう一回だけ」
 田畑はいいます。水面下で代々木のアメリカ軍キャンプの返還を要求しようというのです。なぜそこまで代々木にこだわるのかと聞く平沢。田畑はいいます。
「スタジアムの興奮が、冷めない距離でないと駄目なんだ。ロスの選手村は最高だった。さっきまで戦ってた選手同士が芝生に寝っ転がって、レコードかけて踊って。オレンジ食いすぎて腹壊した。嘉納さんに白人がぶん投げられて、みんなへらへら笑ってたよ。混沌だよ。カオスだよ。選手の記憶に刻まれるのは、選手村で過ごした時間なんだ」田畑は続けます。「名もなき、予選で敗退する選手ですら、生涯自慢できるような大会にしたい」田畑は地図の上に競技場の模型を置きます。「共産主義、資本主義、先進国、途上国、黒人、白人、黄色人種。ぐっちゃぐちゃに混ざりあってさ、純粋に、スポーツだけで勝負するんだ。終わったら、選手村でたたえあうんだよ。そういうオリンピックを東京でやりたい。あくまで俺は代々木にこだわる。代々木でなきゃ駄目なんだ」
「私に考えがあります」
 と、平沢がいうのです。