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書評『忠臣蔵の姫 阿久利』

書名『忠臣蔵の姫 阿久利』
著者 佐々木裕一
発売 小学館
発行年月日  2019年12月14日
定価  ¥1500E

忠臣蔵の姫 阿久利

忠臣蔵の姫 阿久利

 

 
 大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)ら赤穂浪士四十七士が主君の仇・高家肝煎吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)の邸に討入ったのは今を去る三百余年も前の元禄15年(1702)12月14日のことであった。
“さまざまなる忠臣蔵”がある。家を捨て、故郷を捨て、浪人に身をやつして討ち入りを果たした者たちの「正伝」があり、討ち入りに参加しなかった者たちに焦点を合わせた「異伝」があれば、浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)の後室・瑤泉院(ようぜいいん)、内蔵助の妻リクなどをヒロインとした「女忠臣蔵」もある。多くの者たちが運命に翻弄され、妻や恋人が絶望や悲嘆の淵に沈まねばならなかった。
 師走となると、令和の世となった今も、日本人の血をかきたてる国民的ロマンである忠臣蔵のことが思い起こされる。

 本書『忠臣蔵の姫 阿久利』。阿久利(のちの瑶泉院)は浅野長矩正室である。
 阿久利を活躍する主な作品をふりかえる。まず、湯川裕光の『瑶泉院』(新潮社 1998年)は題名そのもの瑶泉院が主人公で、瑶泉院は大石内蔵助らを陰になり日なたになって支え一党の企てに関与したとする大作である。諸田玲子の『おんな泉岳寺』(集英社 2007年)は高輪泉岳寺を舞台とし、瑶泉院と吉良上野介未亡人富子の二人が交錯するというショートストーリー。夫の運命に翻弄される二人がついに相名乗りあうことはないが、浅野家と吉良家の未亡人を対峙させた作品は秀抜で、しみじみとした人生観照を味わうことができる。また、諸田玲子の『四十八人目の忠臣』 (毎日新聞社 2011年)はかつて瑶泉院に仕えた『きよ』を主人公としている。磯貝十郎左衛門(いそがいじゅうろうさえもん)正久(まさひさ)の恋人のきよは、後に6代将軍徳川家宣の側室で7代将軍家継の生母となる月光院である。「四十八人目の忠臣」は他ならぬ瑶泉院であるとする。

 さて、本書『忠臣蔵の姫 阿久利』。
 備後国三次(みよし)藩5万石藩主の浅野(あさの)長治(ながはる)の三女として三次(みよし)で生を享けた阿久利4歳が、延宝4年(1676)春、播磨国赤穂藩5万3千石藩主・浅野長矩に嫁ぐべく、三好を旅立ち、江戸までの長旅を経て、江戸赤坂今井谷(いまいだに)の三次浅野家の下屋敷へ召し出されるところから、元禄14年(1701)3月のいわゆる播州赤穂事件で、幕命によって、阿久利が3月16日に鉄砲洲の赤穂藩上屋敷を出て、実家の三次浅野家下屋敷に向かうまでを描いた<忠臣蔵もの>歴史小説である。
 いうまでもなく、忠臣蔵源平合戦南北朝、戦国、幕末維新とともに日本史上の大ロマンの一つである。ロマンであるからには定説、異説が入り乱れ百花繚乱たる歴史文学的世界が築かれるのは必定であり、新たに参入する作家には新しい視点と解釈で<忠臣蔵もの>歴史小説をモノすることが求められる。
 既成の了解事情をくつがえし、新しい視点で史実の隙間をぬい、実相に迫る試みは今後ともつきることはないであろう。

 浅野内匠頭がなぜ刃傷に及んだかについては古来、乱心説、浅野家からの賄賂不足による強要説や赤穂塩の製法伝授をめぐる確執説、内匠頭の持病「つかえ」による突発説、さらには吉良上野介の内匠頭夫人への横恋慕説などがあるが、上野介に対する内匠頭の「遺恨」がいかなるものであったのか、事件の発端となる肝心かなめのことが謎に包まれていて結局不明のままである。
 阿久利を主人公とした佐々木は、四十七士ではなく、三次から阿久利に従って上京した養育係の家臣落合与左衛門(おちあいよざえもん)や侍女のお菊・おだいたちを細かく丁寧に描くことで、伝説の虚構を捨て、「忠臣蔵」に至る元禄という時代の雰囲気を描き出すことに成功している。

 佐々木が取り入れたものは互いに愛で結ばれた夫婦の情愛である。
 18年の結婚生活にて、夫婦には子が授からなかった。内匠頭は阿久利を愛し、側室を置こうとしない。大名家は世嗣(よつぎ)がないと改易(かいえき)の理由となり、お家断絶の憂き目にも会うのが幕府の定法であった。夫婦は断絶となるのを避けるべく、元禄8年12月に長矩の弟長広を養嗣子とする。
 何事もなく夫婦の時間がゆっくりと穏やかに流れる。
 阿久利が内匠頭のために琴を爪弾く。仲睦まじく幸せな日々を送っていた。
 波風と言えば、内匠頭には「つかえ」に似た、症状が重く高熱を発するという持病があったことと、「奉書(ほうしょ)火消(ひけし)」を命じられた内匠頭が、元禄11年の大火事で、鍛冶橋御門の屋敷を焼失した吉良上野介に、内匠頭が延焼を防いでくれなかったと逆恨みされたことくらいである。
 しかし、破滅の足音がひたひたと近づいていた。
 時代は元禄。大名の妻子に手を付ける犬公方5代将軍綱吉の治世下。綱吉に妻を差し出す者もいた。将軍綱吉の佞臣で元禄期の幕政を牛耳った柳沢吉保(やなぎさわよしやす)もそうした人物であった。そうした中で、内匠頭は二度目の勅使饗応役を拝命するのである。
 元禄14年3月12日の夜更けのこと、内匠頭が詰めている伝奏屋敷に、突然訪れた吉良上野介は「上様の御機嫌を取ったほうが良い」と「あること」を内匠頭にささやく。内匠頭が拒否すると、「せいぜい報われぬ役目に励まれよ」傲岸不遜な強欲爺の意地の悪い老人顔で嘯く。「饗応の役目で大恥をかかせ、目障りな赤穂浅野など潰してしまおう」と画策する吉良に同意して、吉良を贔屓にする吉保は「赤穂の浅野など容易に潰せる」表情を変えずに言う。
 阿久利と夜通し語り合った翌3月14日の朝、駕籠に乗る内匠頭は「楽しかったぞ」と、阿久利の手を握る。
 事件勃発後、事件が単純な「吉良との口論」からはじまった突発的発作事件ではなく、内匠頭の堪忍自重の末の事件であると知る阿久利は、「覚悟の上で、最後の夜を共に過ごしてくださいましたか」とふりかえる……。

 「忠臣蔵」は歴史小説家の看板を掲げる限り避けられないテーマなのであろう。歴史小説を書く作家はいずれ忠臣蔵を書くようだが、2003年にデビューし、またたく間に『浪人若さま 新見左近』、『公家武者 信平』、『若旦那隠密』など時代小説の人気シリーズ作品を有する佐々木裕一はいとも早々と「忠臣蔵もの」歴史小説を上梓するに至った。

 1967年、阿久利と同郷、広島県三次市出身の佐々木の「忠臣蔵」に対する作家的関心度の深さには並々ならぬものがあったのであろう。夫婦愛にめぐまれた阿久利の周囲の状況が事細かに、しかも、大上段に振りかざすことなく、あくまでも自然体で書かれているがゆえに、 “忠臣蔵の世界”をさらに味わい深いものにしている。歴史の風塵に埋もれた真相に迫るに正攻法で挑んだ興趣つきない快作であるといってよい。
 あの時代の女性たちは主導権をもちえず、自分の立場を自身で選べないことも多いが、阿久利が落飾したとはいえ、このまま実家の三好浅野家で、念仏三昧、不幸を歎いて生きてゆくとはおもえない。元禄15年(1702)12月14日の討ち入りに向けての今後の展開が描かれるであろう、続巻が楽しみである。
          (令和元年12月11日 雨宮由希夫 記)