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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十一回 将軍の涙

 天文十八年(1549)十一月。尾張の笠寺にて松平竹千代(後の徳川家康)と、今川に捕えられていた織田信広織田信長の腹違いの兄)の人質交換が行われました。
 尾張の末盛城では、織田家の家臣である平手政秀(上杉祥三)が、織田信秀(信長の父)(高橋克典)に人質交換の報告を行っていました。尾張一の弓の使い手といわれた信秀は、以前受けた傷の悪化から、弓を引ききることもできなくなっていました。信秀はいいます。
「信広があのざまで、信長も何を考えておるのかさっぱりわからん。信勝はまだ若い。子たちが頼りにならず、わしがこのようなありさまでは。今川に今、いくさを仕掛けられては勝ち目がない」
 一方、駿河今川義元の館には、竹千代が到着していました。義元(片岡愛之助)は竹千代に優しく声をかけ、食事を供します。竹千代はいいます。
「私は三河へ、いつ帰していただけるのでしょうか」
 義元の軍師である太原雪斎伊吹吾郎)が答えます。
「ご案じなさいますな。いずれお帰りいただきましょう。ただ三河は今、織田信秀に味方される方々、われらと共に豊かな国をつくりたいと申される方々に割れ、相争うておりまする。このままではいずれ三河は滅びる。われらは隣国として、それは見るに忍びない。間もなくわれらは、三河を毒す、悪(あ)しき織田勢を完膚なきまでに叩く所存。それまでのご辛抱じゃ」
 竹千代は顔を落とします。義元は雪斎に語気を強めていいます。
「年が明けたらいくさ支度じゃ。三河を救うためのいくさぞ」
 翌年、今川義元尾張の南部に攻め寄せ、次々と制圧していきます。これにより、織田信秀の非力ぶりが明らかとなります。信長と帰蝶の婚姻による、織田、斎藤の盟約は、迫り来る今川義元の脅威に、今にも崩れようとしていました。
 美濃の稲葉山城では、古来より美濃を支えてきた国衆を含めた評定が行われていました。国衆の一人である稲葉良通(村田雄浩)が斎藤道三(このときは利政)(本木雅弘)にいいます。
「盟約を結んだ以上、織田から頼まれれば、共に今川と戦わねばならんのです。そのおつもりは、あるのかどうかをうかがいたいのじゃ」
「わしはそのつもりであるが、いくさは一人ではできん」と、道三は答え、皆の顔を見回します。「むしろ皆に聞きたい。おのおの方は、今川と戦う覚悟はあるか」
 稲葉は稲刈りなどの理由をつけて、兵を出すことを拒みます。他の者も無言で稲葉に賛同する態度を示します。道三はいいます。
「織田が今川の手に落ちれば、次は美濃が餌食になる番じゃ。その時が来ても、皆は戦わぬのか」
「その時はわれらも刀を取りまする」
 という稲葉。織田のためには戦わない、美濃のためには戦う、ということなのでした。笑い出す道三。
「もうよい。皆さっさと村へ戻って稲刈りでもせい」
 と、道三は告げます。引き上げる道三に、光秀の叔父である明智光安(西村まさ彦)が付き従います。道三は光安に打ち明けます。
「織田の家老、平手政秀が、援軍をよこせと申してきた。急ぎ返答せねばならん」
 その使いとして、道三はすぐに光秀を思いつくのです。
 明智光秀長谷川博己)はしぶしぶと尾張那古野城に向かいます。
 光秀が到着した時、信長は家来たちと、角力を楽しんでいました。平手政秀が取り次ぎをしようとしても、あとで参る、という始末。平手政秀が光秀の相手をします。平手は愚痴るようにいいます。
「若殿は今のところ鉄砲以外は眼中にないご様子。先日も近江の国友村の鉄砲職人に数百もの鉄砲を注文なされ、職人を困惑させたそうです」
 平手は光秀に探りを入れるように話します。ついに光秀は正直にいわざるを得なくなります。
「わがあるじ斎藤利政は、織田信秀様に、援軍は送らぬとお決めになりました」
 平手は驚きます。光秀は頭を下げて謝るのです。平手は無言で部屋を後にします。残された光秀は帰蝶と話します。帰蝶はいいます。自分は人質であり、道三が裏切れば、はりつけになる。そこに角力を終えた信長が入ってきます。先ほどの話は平手から聞いていました。今川を押し返すのは難しいだろう、と信長はいい、くつろいだ様子で、帰蝶の膝枕に頭を乗せます。
「和議じゃな」と、信長はいいます。「刈谷城を渡すゆえ、いくさはここまでにしてくれと、今川に手を止めさせるほかあるまい」
 光秀は驚きます。
「それができましょうか」
 帰蝶も聞きます。
「誰が仲立ちを」
「それがわからん」
 と、信長は小声になります。光秀は思い出します。以前、美濃の守護家の内紛があり、京の将軍家のとりなしで収まったことがあった。帰蝶がいいます。光秀が京に行った折、将軍のそばに仕える者と、よしみを結んだのではなかったか。それを頼ってみてはどうだ。
 美濃に帰ってきた光秀は、将軍にとりなしをしてもらう案を道三に話します。道三は賛成しません。
「そなたの役目はここまでじゃ。ご苦労であった」
 光秀は食い下がります。
「それではあまりに。せめて頼芸様にお頼みし、将軍家におとりなしの議を願い出るのが、美濃の取るべき道かと」
 道三は目を見開いていいます。
「やりたければ勝手にやれ」
 光秀は道三の長男である斎藤高政(伊藤英明)と話をします。光秀は土岐頼芸(尾美としのり)のところへ、自分を連れて行ってくれるよう頼むのです。高政は嫌がります。
「頼む。会わせてくれたら、今後そなたの申すことは何でも聞く」
 と、光秀はいってしまうのです。
 高政の引き合わせで光秀は頼芸に会うことができます。尾張のいくさの件で、将軍家へ和議のとりなしを願えるかと、たずねる光秀。
「それはわしに文(ふみ)を書けということか」
 と、頼芸。
「使者を立てていただいてもよろしいかと。お許しがあらば、私が使者のお供をいたします」
 光秀が言うと、話が思わぬ方向に進みます。道三が頼芸を美濃から追い払い、自分が守護につこうとしている、と頼芸がいい出すのです。高政が頼芸にいいます。
「それがまことなら、私にも覚悟が」高政が頼芸にいいます。「私がお館様(頼芸)をお守りし、父、利政(道三)を」
「殺せるか」
 と、問う頼芸。うなずく高政。
「文を書こう。紙と筆を持ってまいれ」
 と、頼芸はいうのです。
 そのころ京では、細川春元と三好長慶による戦いが起こっていました。十三代将軍である足利義輝(向井理)は、近江に落ち延びることを余儀なくされます。京、近江一帯は、長慶による取り締まりが厳しく行われていました。
 光秀は将軍に会いにやってきていました。宿を断られた光秀に、声をかけてくるものがいます。その男こそが京でよしみを結んだ細川藤考(眞島秀和)でした。藤考はいいます。将軍は今、朽木に落ち延びている。自分は何とか将軍が京に戻れるよう、京と朽木を行き来している。
 光秀は藤考の案内のもと、朽木にたどり着きます。将軍義輝に拝謁(はいえつ)し、頼芸の文を渡すことに成功するのです。将軍義輝は、光秀が藤考にいった言葉を覚えていました。将軍は武家の統領であり、武士を一つにまとめ、世を平らかに治めるお方である。今、世は平らかではない。将軍が命じなければならない。争うなと。それを聞いて義輝は励まされたというのです。義輝は立ち上がり、雪のちらつく庭を眺めながらいいます。
「そなたの申す通りじゃ。いまだに世は平らかにならぬ。わしに力が足りぬゆえ、このわしもかかる地で、このありさまじゃ」
 将軍奉公衆が嘆きの言葉を出します。将軍義輝は続けます。義輝の父がいっていた、立派な征夷代将軍となれ。世を平らかにできるような。
「さすれば麒麟が来る。この世に麒麟が舞い降りると。わしは父上のその話が好きであった。この世に、誰も見たことのない麒麟という生き物がいる。穏やかな世をつくれるものだけが連れてこられる、不思議な生き物だという」将軍義輝は光秀を振り返ります。「わしは、その麒麟をまだ連れてくることができぬ。無念じゃ」
 そういって将軍義輝は嗚咽(おえつ)するのです。義輝は座に戻り、今川と織田について、両者に和議を命じることを約束するのです。