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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十二回 十兵衛の嫁

 天文二十年(1551)。近江から帰った明智十兵衛光秀(長谷川博己)は、気の晴れない様子で、薪を割っていました。苦しい立場に立つ、将軍足利義輝向井理)の言葉を思い出していたのです。
「この世に、誰も見たことのない麒麟という生き物がいる。わしは、その麒麟をまだ連れてくることができぬ。無念じゃ」
 光秀の叔父の明智光安(西村まさ彦)と光秀の母の薪(石川さゆり)は、光秀の嫁取りについて話していました。光安は息子の明智左馬助(間宮祥太郎)に、光秀を鷹狩りに連れ出すように命じます。妻木にも寄るようにと付け加えます。
 美濃の妻木では、光秀が馬から下りて休んでいました。鷹狩りに来た仲間とはぐれてしまったのです。そこへ幼なじみの熙子(ひろこ)(木村文乃)がやってきます。熙子は館に帰ろうとする光秀を送ってゆきます。その道中、光秀は切り出します。
「熙子殿、この十兵衛の嫁になりませぬか」
 幼い頃、光秀は熙子に、大きくなったらお嫁においで、といっていたのです。熙子もそれを覚えていました。今日は皆と、はぐれるべくしてはぐれた気もする、と光秀はいいます。
 尾張三河の国境(国境)で戦っていた織田信秀高橋克典)と、今川義元片岡愛之助)は、将軍足利義輝の仲立ちもあり、和議を結びました。その結果、今川方は、劣勢だった織田信秀から尾張に接した重要な拠点を手に入れます。
 尾張の末盛城。織田信秀の病は深くなっていました。信秀は織田信長染谷将太)とその弟の織田信勝木村了)の前でいいます。
「わしに万一のことがあったとき、この末盛城は、信勝に与える」
 信長にはこれまで通り、那古野城を任せる。力をつくせ、と告げます。信長は父、信秀に抗弁します。
那古野城でどう力をつくせとおおせですか。この末盛城ならば、三河に近く、今川をもにらみすえた城であり、力のつくし甲斐がございます。しかし那古野城は北の清洲城に近いというだけで、もはや主軸の城とはいいがたい」
 信秀は信長に、那古野城は大事な城だと告げます。そなたに家督を譲ろうと思って、大事な城を譲った、と述べます。信長は納得できません。信秀のもとから立ち去ります。
 信長は妻の帰蝶に話します。
「こは母上のたくらみぞ。いずれ家督も、わしではなく信勝に継がせようとする魂胆であろう。父上が病で気弱になっておられるのにつけ込んでのやり口じゃ」信長は座り込みます。「二年前、松平広忠の首を穫ったのも、こたび、今川との和議を平手にやらせたのもみな、父上がお喜びになると思うてやったのじゃ」信長は子供のようにすねた顔をします。「それを何一つお褒めにならぬ。ただただお叱りになるのじゃ。たわけとおおせられるのじゃ。なにゆえかわかるか。母上が不服を唱えられたからじゃ。父上は母上のいいなりじゃ」
 信長は声を上げて泣くのです。帰蝶は信長を置いて部屋を出ます。途中、廊下で信長の母、土田御前(壇れい)とすれ違います。土田御前は帰蝶にいいます。信秀が、医師の望月東庵(堺正章)を呼べといっている。双六がしたいそうだ。しかし帰蝶には呼び寄せることはできないであろうな。
 機長は寝込んでいる信秀の部屋を訪れます。信秀に呼びかけます。
「父上様の胸の内をお聞かせ願いたいのです。この織田家を継ぐのは、どちらのお子がふさわしいとお思いでしょうか。信長様と信勝様の、どちらでございますか」
 信秀は黙って首を振ります。帰蝶はあきらめません。
「お教え下さい。お教えくだされば、東庵先生を京から呼んで差し上げます。誰よりも早くお呼びいたします」
 帰蝶の言葉に微笑む信秀。帰蝶は信秀の枕元に進みます。
「お願いでございます。私は、尾張に命を預けに参ったおなごでございます。預けるお方がいかなるお方か、なんとしても知りとうございます。父上様にとって、信長様がどれほどのお方か、お教え願いとうございます」
 信秀は何か声を出すのです。帰蝶はその口元に耳を寄せます。
 帰蝶は信長のいる部屋に帰ってきます。そして信長に告げるのです。
「父上様はこうおおせられました。信長はわしの若いころに瓜二つじゃ。まるでおのれをみているようじゃと。良いところも、悪いところも。それゆえかわいいと。そう伝えよと。最後にこうおおせられました。尾張を任せる。強くなれと」
 一方、京。東庵の庵には、多くのけが人が運び込まれていました。若い医師が慌ただしく指示を出します。駒(門脇麦)も忙しく働いていました。丹波から三好の軍が入ってきて、またいくさが起っていたのです。東庵はいくさで傷ついた者からは金を受け取りません。しかし手伝ってくれる医師たちにお礼をしなければならず、薬代もかかります。東庵は金の工面に出かけたのでした。
 しかし東庵は闘鶏で金を稼ごうとして、大金をすってしまっていました。駒は尾張から来た文(ふみ)を東庵に見せます。帰蝶から来たその手紙には、尾張に来てくれれば、謝礼は望むがまま、と記されていました。東庵は行くことを決意します。それまでのお金を旅芸人の伊呂波太夫尾野真千子)が肩代わりしてくれるというのです。ただしお願いがあると伊呂波太夫はいいます。尾張に行ったあとに、駿河に行って欲しい。そこに友野次郎兵衛という豪商がいる。その子が病弱で、京から名医を呼んで欲しいと言われている。それが叶えば、謝礼は百貫だす。東庵は旅立ちの準備をします。駒も一緒に行くといいます。途中、美濃に寄って確かめてみたいことがあるというのです。子供の頃、自分を助けてくれたのが、明智家の誰だったのか知っておきたい。
 美濃の稲葉山城では斎藤道三(この時は利政)(本木雅弘)が土岐頼芸尾美としのり)から贈られた鷹を受け取っていました。鷹が道三に襲いかかります。それを守って近習が鷹の爪にかかります。鷹の爪には毒が塗られていたのです。近習は倒れます。
 明智城では、光安が結婚した光秀と熙子に祝いの言葉を述べていました。その時、稲葉山城から、直ちに登城するようにとののろしが上がっていたのでした。
 稲葉山城には、古くから美濃にいる国衆たちも勢揃いしました。鷹の爪に塗られ毒によって死んだ道三の近習が横たえられています。鷹は頼芸から贈られたものと道三は皆に説明します。そし道三は叫ぶのです。
「なにゆえわしが殺されなければならんのだ。わしはこの美濃のために、命をかけて働いてきたのじゃ」
 道三はいいます。土岐の内輪もめを収め、国衆の領地が他国に荒らされぬよう戦ってきた。年貢を低くおさえ、川の水を引いて土地を豊かにした。
「わしは許さん。わしの家臣に手をかけた土岐様をもはや守護とは思わぬ。ただの鷹好きのたわけじゃ。さような者をこの美濃に遊ばせておくわけにはいかぬ。」道三は宣言します。「土岐様と一戦交えるまでじゃ」道三は国衆たちを見すえます。「土岐様を敵と見なすことに異論のある者は、今、この場から立ち去れ」立ち去る者は誰もいません。道三は声低くいいます。「ではよいな。皆、心は一つじゃな。今日から鷺山に近づく者は裏切り者として成敗いたす。いずれいくさになるやもしれぬ。おのおの覚悟せよ」
 皆が引き上げていきます。光秀は道三の子である斎藤高政(伊藤英明)に話しかけられます。
「わしは土岐様を守る。父上と戦う。わしが立てば、稲葉たち(国衆)も従うと申しておる。いっしょにやろう。共に父上を倒すのじゃ」
 光秀の返事を待たず、高政は去って行きます。
 尾張那古野城帰蝶のもとへ駒が来ていました。駒は帰蝶から、光秀が結婚したことを知らされます。
 末盛城では、織田信秀が、東庵と双六をしようと待っていました。しかし東庵が信秀の前に出てみると、信秀は死んでいたのです。