日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第二十三回 義輝、夏の終わりに

 永禄七年(1564年)九月。京を中心に、機内に絶大な権力を誇った三好長慶がその生涯を閉じました。将軍足利義輝(向井理)は、復権をはかり、京は再び動乱の時代に入りました。

 明智光秀十兵衛(長谷川博己)は義輝にいいました。

「信長が上洛し、上様をお支え申すなら、大いに力になりましよう」

 その案に義輝は顔を輝かせたのでした。

「そなたに託す。織田信長を連れてきてくれ」

 そのころ、織田信長(染谷将太)は、美濃攻めの最中(さなか)にありました。戦いは三年にもわたっています。

 光秀は尾張小牧山城に信長を訪ねます。将軍義輝からの使いで光秀が来てことを、信長は聞いていました。作法にのっとり、光秀は信長に将軍からの内書を渡そうとします。

「すまぬ、後ほどいただこう」

 と、信長はいい出します。光秀が来た目的を信長は家老から聞いていました。内書の内容は上洛の件だと察するが、今はその話をしている余裕がない。いくさにてこずっているためだ。光秀はいいます。

「ご事情は上様も承知しておられます」光秀は駆け引きを試みます。「それは越後の上杉様も、甲斐の武田様もみな同様にございます。上洛して将軍家をお支えしようとする大名が皆無に等しく、かかる折こそ、信長様が先陣を切って上洛を果たされれば、必ずや……」

 しかし信長は駆け引きに乗ってきません。軍議を優先し、話の続きはあの者としてくれと言います。現れたのは奇妙な声を上げる男でした。

「まだ百人組の頭(かしら)じゃが、面白い奴じゃ」光秀を見ていいます。「使えるぞ」

 男は名乗ります。

木下藤吉郎(佐々木蔵之介)にござります」

 後の豊臣秀吉でした。

 藤吉郎は光秀と二人きりになると、京に奇妙な噂があるといい出します。

「恐れ多くも、将軍義輝様が、近々闇討ちされるという噂ですが」

闇討ちするのは亡くなられた三好長慶様の子とその取り巻きの衆だと、藤吉郎はいいます。気色ばむ光秀。

「なにゆえその者たちが闇討ちを」

 藤吉郎は答えます。

将軍様が幕府を勝手気ままに動かし、誰の諫言(かんげん)も聞き入れぬゆえまつりごとがとどこおり、皆、困っているというのです」

 光秀は藤吉郎の言葉をさえぎります。

「いや、それは違う。上様はそういうお方ではない。断じて違う」

「しかし将軍様を討つ手はずは、すでについていると」

 藤吉郎の情報源は、近江の大名、六角の家臣であるとのことでした。これも噂だが、と、断ってから藤吉郎はいいます。

「止めることが出来るのは三好長慶様のご家老であった、大和の松永久秀様ぐらいであろうとのことでございます」藤吉郎は笑い声をたてながら言います。「闇討ちを裏で糸を引いているのが、松永様ご自身だからというのです」

 大和(居間の奈良県)では、謎の僧侶(滝藤賢一)が人々に施しをしていました。その僧侶がどうしても気になる駒(門脇麦)は、僧侶のあとをつけます。そして駒は僧侶から思わぬ言葉を聞くのです。

「やはり麒麟が来る世にならねば」

 驚く駒。僧侶は駒に麒麟の説明をします。

「存じております」

 という駒。僧侶は打ち解けた様子で駒に話します。

「私の父上がな、よくおおせられていた。麒麟の来る世を作りたいと」

「お父上様が」

「父上はな、将軍であった。だが、ついにいくさを止めることは出来なかった。私の兄上も、今日まで……」

 そういいかけた僧侶は、怪しい侍たちを発見するのです。駒を連れて逃げる僧侶。無事に侍たちをまくことに成功するのです。僧侶は駒にいいます。

「驚かせてすまなかった。いろいろな事情があり、妙な者につけられたりする。もう案ずることはない」

 市を見て回る僧侶と駒。駒は踊りに誘われます。それをながめる僧侶。その僧侶に声をかける侍がいます。先ほどの者とは違います。

「こんなところで一人歩きは危のうございます。一条院までお送りいたします」

 僧侶はいいます。

「私に構うな。寺へは勝手に帰る」

 侍たちは幕府奉公衆でした。

「先ほどから、得体の知れぬ者たちがうろついております。ご一緒させていただきます」

 僧侶はいいます。

「そなたたちは兄上のお側(そば)衆ではないか。京に戻って兄上をお守りすればよかろう」

「上様は三淵たちがお守りしております。ともあれ寺へお戻りいただきとうございます」

 僧侶は侍たちと共に、駒の前から姿を消すのです。

 光秀は多聞山城を訪ねていました。案内されてきてみると、松永久秀吉田鋼太郎)は三つある瓶(かめ)のうち、二つを割っているところでした。光秀に気がつき、喜びの声を上げる松永。松永は今の行為を光秀に説明します。

「これは堺(さかい)の商人(あきんど)が持ち込んできた茶湯の壺だ。どこぞの田舎大名に、名器と称して高く売りつけたいのだが、同じ形の物が三つあってはありがたみに欠ける。そこでわしの目で一つを選び、残りは捨ててくれと頼まれたのじゃ。わしが名器といえば名器になるのじゃ」

 松永は笑い声をたてます。光秀が真剣な顔で切り出します。

「私が今日、参りましたのは」

 松永は光秀をさえぎります。

「物の値うちの話をしておる。物には、もともと値うちがある訳ではない。物の値うちは人が作るものじゃ。将軍の値うちもそうだ。人が決め、人が作っていく。人が将軍にふさわしいと思えば値うちは上がり、ふさわしくないと思えば値うちは下がる。下がれば」松永は壺の破片を持ちます。「壊したくなる」

 光秀がいいます。

「それゆえ将軍義輝様を討とうとたくらまれましたか」

「討ちはせん。都から追い払う。それだけじゃ」

 光秀は松永に詰め寄ります。

「なにゆえ」

「周りをよく見よ。義輝様を支えるために、いったいどの大名が上洛した。上杉も武田も朝倉も毛利も、誰一人として動かんではないか。幕府の身内の者でさえ、義輝様のご勝手ぶりにあきれ果てておる。三好長慶様がご存命の間は長慶様がまつりごとの要所を押さえてこられた。だがもはやそれもない。このままでは世は治まらんのだ」

 光秀はいいます。

「では松永様が長慶様に代わって、上様をお支えすればよろしいではありませんか」

「そうしてきた。だが、もはや疲れた。わしの息子も長慶様のご子息も、三好の一族も、皆、義輝様を除こうと動き出しておる。それを止める力は、わしにはない」

 松永は意外な人物を呼び出すのでした。それは光秀の盟友である細川藤孝眞島秀和)でした。細川は光秀にいいます。

「都の人心は、義輝様から離れてしまいました。この数年、幕府も見限る者が多く、私も都を離れ、次の将軍をお助けせねばと」

「次の将軍」

 光秀は聞き返します。

「やむなく」

 と、細川は答えるのです。

 京の二条御所に光秀は来ていました。将軍義輝と対面します。光秀は顔を上げられません。

尾張の織田も、上洛は無理か。やむを得ぬ。皆、いくさに忙しいのじゃ。もはや和議を命じても誰も応えぬ」義輝はつぶやくようにいいます。「夏は終わった。わしの夏は」

「上様」

 しかし光秀には、掛ける言葉が見つかりません。

「越前へ帰れ」と義輝はいいます。「短くはあったが、ようわしに仕えてくれた。礼をいうぞ。欲を言えば、もそっと早うに会いたかった。遅かった」義輝は光秀の手を取るのでした。「十兵衛。また会おう」

 駒は望月東庵の家の前で立ちすくんでいました。喧嘩をして東庵の家を飛び出してしまった駒は、戻りにくかったのです。しかし駒は茶を売る男から聞くのです。東庵の家に盗賊が入り、何もかも奪われ、東庵は腕さえ折られた。

 駒は慌てて家に入ります。そこへ伊呂波太夫がやってくるのです。駒と東庵の喧嘩の原因になった丸薬を、寺や神社が欲しがっているとの話をします。金が必要な東庵は、駒に丸薬作りを許します。

 光秀は越前の自分の家に戻ってきました。家族に歓迎される光秀。光秀は朝倉義景に会ってきていました。義景は光秀にいったのでした。国の外に振り回されるな。野心を持たず、この国にじっとしておれ。妻や子と。

「先ほど家の庭に立ったとき、そうかもしれん、と思うた」

 と、光秀は妻の熙子(木村文乃)にいうのでした。