日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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第9回日本歴史時代作家協会賞 選評

 第9回日本歴史時代作家協会賞 選評

 

三田誠広(審査委員長)

  歴史時代小説の年間最優秀作を選ぶ試みも今年で9回目を迎えた。今回は選考委員の意見が一致することが多く、短時間で選考を終えることができた。

・作品賞

 まずは作品賞から感想を述べる。木下昌輝『まむし三代記』が満場一致で受賞作と決まった。蝮といえば斎藤道三だが、この作品は道三の父の話から始まる。しかも作品の視点となる少年を設定して、読者は少年の目で、法蓮房という謎めいた僧と出会うことになる。この導入部が秀逸で読者は一気に戦国の世界に惹き込まれる。法蓮房は棒術の達人ではあるのだが、むしろ経済的な戦略で国を変革しようと企てるところがおもしろく、この展開が道三、義龍へと受け継がれていく。さらに物語の展開の途中に、時代を遡った応仁の乱の混乱の中で、廃墟となった寺院の瓦礫から壊れた仏像を盗み出す高丸という少年の話が挿入されるのだが、これが法蓮房の父親で、実は四代にわたる長大な物語だということが判明する。そしてその壊れた仏像から国のありようを変革する恐るべきものが生み出されるという、想像を絶した新解釈が展開される。従来の戦国物とは一線を画する新しい娯楽作品の誕生だと断じていいだろう。
 他の作品もそれぞれに魅力的で、歴史時代小説はいま黄金期を迎えているのではと頼もしく感じられた。赤神諒『空貝 村上水軍の神姫』は魅力的な闘う少女を描いたロマンチックな作品で、壮大な構想で歴史絵巻を描ききった快作だ。戦国時代に純愛を盛り込もうとした作者の野心的な試みを称賛したい。平谷美樹『大一揆』は文字どおり百姓一揆を描いた作品だが、時代を幕末に設定してあるので、一揆というものの新しい様相が見えてくる。剣豪小説とか歴史ファンタジーに比べれば地味なテーマだが、読んでいくとわくわくするような昂奮を覚えた。村木嵐『天下取』も丹念に描かれた歴史小説で登場人物の心情にリアリティーを感じて愉しめたが、あまりにも端正な作りでもう少し迫力が欲しいと感じた。どの作品も高いレベルにあったが、二作同時受賞にするには一長一短があってわずかに及ばなかった。

・新人賞

 新人賞は坂上泉『へぼ侍』が受賞と決まった。大阪の与力の家に生まれた若者が維新で没落して薬屋の手代をつとめているのだが、西南戦争の勃発で志願兵となる話だ。道場で鍛えた剣道は心得ているものの、サムライの時代はすでに終わっている。口の達者な主人公がパアスエイド(説得術)という新たな武器によって時代を切り拓いていく痛快な物語で、歴史的な有名人がさりげなく登場し、最後には西郷隆盛まで出てくるところが何とも愉快だ。歴史時代小説に新たな視点をもたらす痛快な作品だ。
 評者は加納則章『明治零年 サムライたちの天命』に注目した。幕末の加賀藩をめぐる物語だが、西郷隆盛などの有名人が脇役で登場するものの、これまであまり語られることのなかったプロットの展開が新鮮だった。かなり理屈っぽい作品で、武士とは何かということが繰り返し語られる。時として小説の流れを削ぐほどに理屈にこだわる姿勢に、歴史小説としての一つの新しい方向性を見せてもらったように感じた。杉山大二郎『嵐を呼ぶ男』は要するに織田信長の話なのだが、息もつかせぬほどにテンポよく語られる文体に達者なものを感じた。リーダブルな魅力的な作品で作者の今後が注目される。夏山かほる『新・紫式部日記』と佐藤雫『言の葉は、残りて』は、新人らしい初々しい筆致が魅力で、それぞれ平安中期、鎌倉中期という、描かれることの少ない時代を描いたところに新人らしい心意気を感じた。若い書き手なので今後に期待したい。

・文庫書下ろし賞

 文庫書き下ろし新人賞は二作が競ったがわずかな差で馳月基矢『姉上は麗しの名医』が受賞した。ライトノベルふうのタイトルにやや引き気味に読み始めたのだが、内容は華岡清洲の時代の麻酔術が絡んだ医学ミステリーのごときもので、細部の描写が秀逸で話の展開にリアリティーがあり、テンポよく主人公の姉の失踪事件が語られる。一つ一つの謎が解き明かされていき、ピンチに陥った姉も無事に脱出することになるのだが、このヒロインの女医が魅力的で、読み応えのある作品になっている。惜しくも賞を逸した稲田和浩『女の厄払い 千住のおひろ花便り』もヒロインの年増女が魅力的で、新人離れした安定した筆致で一気に読み進むことができるのだが、短篇連作の形式なので一冊読み終えての感動に乏しく、残念ながら二作受賞には到らなかった。
 今回は疫病の流行で思いがけずネットを用いた選考となったが、どの候補作も魅力的でいつまで語っても語り尽くせない感じがして、ネットの回線を切るのが惜しまれるほどだった。


菊池 仁(選考委員) 

・新人賞 

 今回は将来性を感じさせる力作が出揃った。特に夏山かほる『新・紫式部日記』と佐藤雫『言の葉、残りて』の二作は新人らし若い感性と意気込みが感じられて好感が持てた。しかし、その反面、幼さがあり、迫力に欠けているという欠陥も目立った。『新・紫式部日記』は解釈のオリジナリティを前面に打ち出していく力量が不足していた。『言の葉、残りて』は鎌倉草創期という複雑な時代をあえて題材とした点は評価するが、その政局を逆手に取って、若い夫婦の和歌を媒介とした魂の交感を主題とする手法が上手く生きていなかったのが残念である。 
 加納則章『明治零年 サムライたちの天命』は、幕末ものに新風を吹き込むという意気込みに満ちたもので、題材と主題に作者のセンスの鋭さを感じた。ただ問題は物語を引っ張る動線に「勅書の偽造」と西郷と大久保を持ってきたことである。使い古されたネタでこれが興を割いてしまった。杉山大二郎『嵐を呼ぶ男』は、読者層が広く興味を一番抱いている織田信長に新解釈を施し、固有の人物造形をすることを狙ったものと思う。作家としてのマーケッティングの鋭さを感じさせる。この試みは成功した。売れ筋一番の戦国ものに新たに参戦をする場合、現代に最もふさわしいのは戦国武将の生き様を〈救民救国〉で再構築することである。作者はそのために少年から青年時代の信長像に拘って描いている。「天下静謐」はそのためのコンセプトであり、ポリシーである。上手くまとまってはいるが、脇を固める登場人物に活力を感じないのが気になった。
 受賞作、坂上泉『へぼ侍』は前掲の二作と比較して際立ってよかったというわけではない。何が分けたかと言うと、主人公のキャラクターがオリジナリティに溢れ、彫りの深い造形が施されていたからである。へぼ及び侍というとらえ方に、明治維新が弱者を踏みつぶし、通り過ぎていく中で、どっこい生きているといったエネルギーを感じさせるものとして読めた。脇役もきちんと描き分けられ、生き生きと動いている姿を活写している。作者の目配りの巧さと優しい視線の勝利である。こういった素直で考え抜かれた時代小説を書き継いで欲しいと思った。

・文庫書き下ろし新人賞

 稲田和浩『女の厄払い 千住のおひろ花便り』は手慣れた筆でシリーズものの勘所を抑えた造りとなっている。筆力もあり、これからの活動も期待できると感じたが、同質化競争を切り開いていくパワーが、文庫書き下ろしの求めたい作風と言う事を考えると推せなかった。
 馳月基矢『姉上は麗しの名医』は若々しい感覚にあふれた作風が印象的である。名医である姉と弟の剣の若先生、幼馴染が定廻り同心という設定は、独創性はないが、読み手に安心感を与える温かさがある。このあたりが作者の得意とするところなのだろう。漫画チックなところやウエブ小説的な感覚が物語を支配しているが、軽妙さ爽快さが作風となっており、それが同質化競争を撥ね退けて回っていく力となっていくことに期待した。新しい読者層の開拓が求められているのだ。

・作品賞

 村木嵐『天下取』は、武田、今川、北条の三国同盟で政略結婚を余儀なくされた三人の姫の人生にスポットを当てた作品である。狙いは面白いと思った。戦国時代を象徴する三国同盟の意味に女性側の視点から照らすという試みは意義深い。残念ながら三人の姫の人間像の彫り込みの密度が薄く、描き切っていないという不満が残った。
 作品賞の常連で毎回意欲作を書いてきたは赤神諒『空貝 村上水軍の神姫』は、作者ならではの着想の鋭さを感じさせる。作者の戦国ものの特徴と面白さは、戦国絵巻の一コマを俯瞰から武将の生き様、地域特性、歴史に埋もれた事実等を鑑識し、ズームインして拾い出したところにある。今回は村上水軍をクローズアップし、村上水軍きっての武将・村上武吉につなげる物語を模索した結果だと推察できる。鮮やかなのは蝶番として悲恋、それをロミオとジュリエット的なドラマに仕立てたことである。現代の戯作者としての力量を改めて感じた。
 平谷美樹『大一揆』は、傑作『柳は萌ゆる』に続く盛岡藩ものである。圧政を強いる盛岡藩に抗して民百姓が立ち上がった。三閉伊一揆という幕末に起こった事実を元にフィクションを交えて再構築した力作である。一揆をめぐる群集劇を巧みな筆致でまとめ上げた。
 難をいうと一揆のみが持てる熱っぽさとうねりが希薄なことである。特に不満なのは最後の四行である。この四行こそ一揆ものが歴史を超える小説として意味を持ってくる。時代小説だけが書ける真実だと思っている。僭越だがこの四行が物語の冒頭であるべきだろう。ここに向かって時代に翻弄される民百姓はのろのろとした歩みでも進んでいくのだ。
 木下昌輝『まむし三代記』が満票で受賞作に輝いた。帯に〈従来の戦国史を根底から覆す瞠目の長編時代小説〉という惹句が書かれているのだが、まさにこの通りの作品に仕上がっている。
 冒頭の一ページを読むと、否応なく作者が張り巡らした蜘蛛の糸にからめとられていく。日ノ本すら破壊すると斎藤道三の最終兵器”国滅ぼし”とはいったい何なのか。これが狂言回しとなって群雄割拠する戦国に引きずり込まれていく。実はこれが〈救民救国〉の武器であるところに本書の面白さがある。着想の鋭さと奇想が支える展開から目が離せない。作者の底深い才能を感じさせる一作である。

・文庫書き下ろしシリーズ賞

 数多くある文学賞の中でも「文庫書き下ろしシリーズ賞」を設けているのは当協会だけである。出版点数が最も多く、熱心な読者に支えられているこのジャンルを、きちんと評価していこうというのが狙いである。
 受賞者は二人。一人はシリーズものを得意とし、マーケットの拡大と充実に貢献した作家で、現在も人気シリーズを抱え、健筆をふるっていること。もう一人はここ五年くらいにシリーズものを書き始め、新しさと将来性ある書き手を条件とした。
 稲葉稔は一九九四年に作家デビュー。当初は冒険ものやハードボイルドを手掛けていたが、二〇〇三年頃から時代小説に本格的に取り組み、数多くのヒットシリーズを送り出し、マーケットの拡大、充実に貢献してきた。
 受賞対象作品は、「隠密船頭」シリーズ (光文社文庫)と、「浪人奉行」シリーズ(双葉文庫)である。前者は元南町奉行の定廻り同心であったが、現在は船頭で生計を立てている沢村伝次郎が、南町奉行・筒井和泉守政憲直々の頼みで、右腕として隠密活動をし、事件を解決していくというもの。同シリーズは二十巻まで続き大人気を博した「剣客船頭」シリーズの後継シリーズで、構想も新たにスケールアップして登場したもの。
「浪人奉行」シリーズは題名のユニークさがそのまま売り物となっている。主人公・八雲兼四郎は凄腕の剣の遣い手であったが、ある事情から剣を封印し、麹町の裏小路で「いろは屋」という飲み屋を営んでいる。ところが思わぬ巡り合わせから、奉行所の手の届かない悪党相手に再び剣を取る。浪人奉行のいわれだ。設定に妙味があって面白いシリーズとなっている。
 躊躇なく神楽坂淳「うちの旦那が甘ちゃんで」シリーズを選んだ。着想の面白さと設定の巧さ、達者な語り口と三拍子そろったところが凄い。捕物帳、夫婦もの、料理に江戸文化と中身も濃い。これらの題材を軽妙なタッチで 仕上げてきたところが味噌である。シリーズもののマーケットで一番欠落している世界である。現在、第六巻まで刊行されているのを見ても人気の高さをうかがえる。「金四郎の妻ですが」シリーズ (祥伝社文庫)もいい出来となっている。漫画の原作を手掛けてきた底力が上手く回っているようだ。

・功労賞

 功労賞は時代小説業界に多大な貢献をしてきたことと、話題を提供した作家を対象としている。浅田次郎は、『蒼穹の昴』、『壬生義士伝』、『輪違屋糸里』、『憑神』、『黒書院の六兵衛』など、新作を刊行するたびに高い評価と人気を得てきた作家である。特に本年度は、『大名倒産』と大ベストセラーとなった『流人道中記』で、業界の話題を独り占めした感がある。文句なしの受賞と言えます。


・慰労賞 

 当協会の会員で強力な応援をしてくれていた誉田龍一氏が、今年三月九日に心不全のため逝去された。享年五十七歳。
 誉田氏は二〇〇六年『消えずの行灯』で小説推理新人賞を受賞。それ以降、シリーズものの優れた書き手として、多くの人気シリーズを世に送り出してきた。特に、『泣き虫先生、江戸にあらわる 手習い所純情控帳』(双葉文庫)をはじめとする「手習い所純情控帳」シリーズはシリーズ史に残る名品である。「よろず屋お市 深川事件帖」シリーズ2作(ハヤカワ時代ミステリー文庫)は得意のフィールドで伸び伸びと書かれているのが印象的であった。
 文庫書き下ろしシリーズに対する多大な貢献に対し、今回のみの「慰労賞」を設け、餞としたい。
 謹んでお悔やみを申し上げるとともに、お疲れ様でした。ありがとうございます!

 合掌

   非公開選考である功労賞・慰労賞については代表して菊池仁が選評執筆しております

 

雨宮由希夫(選考委員)

 賞の回数が旧に復して「第9回」となり、「歴史時代作家クラブ」の伝統を引き継げることになった最初の選評会はZoom会議にて行われたが、こうして、受賞作を世に出すことができたことは何より嬉しい。

・文庫書き下ろし新人賞

 馳月基矢さんの『姉上は麗しの名医』は、医者が自ら調合した薬で毒死するという奇妙な事件に関わり合うことになる女医者の真澄が主人公。その弟の清太郎、幼馴染みの八丁堀同心・彦馬。3人による「捕物帳」。母の病を治すことに必死な肥前国の小藩の世子の焦りが真澄をかどわかす。清国から流入した阿片を使っての新薬開発が事件の背後に。タイトルの意味からして、圧倒的に面白い。既にシリーズを予定しているかのような筆致。博覧強記は半端ではない。長崎県五島列島の出身で京大文学部卒。とてつもなくスケールの大きな新人作家の登場である。ご受賞おめでとうございます。

・新人賞

 受賞作となった坂上泉さんの『へぼ侍』は、西南戦争に参戦した4人の旧幕臣の物語。西南戦争そのものより、幕府崩壊に始まるその後の歳月をいかに生きたかを、戊辰戦争で父を亡くし大坂の商屋に丁稚奉公した若き主人公志方錬一郎を中心として描く。旧幕臣の怨みといったよくある視点ではなく、人の生き方のあやが絡み合うその手腕が素晴らしい。妻鈴との馴れ初め、西郷隆盛と邂逅する「夢」のシーン、犬養毅の人物造形もいい。感動的な作品。とても新人とは思えない力量に圧倒された。おそるべき新人の登場である。
 杉山大二郎さんの『嵐を呼ぶ男!』は信長の全生涯を描くのではなく、若き日の信長を描いている。歴史小説の激戦区になっている桶狭間の戦いも、本能寺の変もなし。しかしながら、語りつくされた感のある史材で、誰もが描かなかった「信長」を描いている。本作は作家にとって初めての歴史小説であり、しかも新人らしいバイタリティ溢れる作品である。他の選考委員から、この作品を積極的に推す声が乏しかったのは残念なことであった。本能寺の変で斃れるまでの『嵐を呼ぶ男!』の続編で、「作品賞」を目指してほしい。
 幕末維新ものの歴史小説といえば薩長土肥などの藩を舞台とするのが常だが、加納則章さんの『明治零年 サムライたちの天命』は百万石の雄藩であった加賀藩を主役としているところがまず珍しい。「三州割拠」の噂、「加賀、越中能登の三州にて前田家が朝廷方、旧幕方に与せず、独立国の宣言をする」との噂を耳にした西郷がその真相をただすべく、行動を開始する物語のスタートはなにやらサスペンス推理小説の趣がある。最後の加賀藩主の苦悩と矜持も丁寧に描写されている。「西郷と大久保」の造形の他、木戸、山県など明治の元勲たちの戊辰戦争時の群像劇としても刺激的で、以後の西南戦争までの明治の風景すら浮かび上がってくる。精密に練られた構図の中に見事に描き切った「明治零年」であるが、他の委員からは、詰め込みすぎとの指摘もあった。

 佐藤雫さんの『言の葉は、残りて』は12歳で13歳の源実朝と結婚した坊門信清の娘の信子を主人公とし、「言の葉の力は、武の力より無限」と確信したとする実朝の生涯を和歌と共に丹精込めて描いた。実朝が28歳で暗殺されるまでの15年、畠山氏や和田氏の粛清を通じて北条氏が執権として権力を握っていく裏切りと内乱の過程が実朝の正室の眼から無理なく描き出している。政子の妹阿波局のキャラクターも秀逸で新人らしからぬしたたかさが読みとれるが、やや、ファンタスティックすぎるシーンも多いところが難点で、歴史小説として観る際、気になった。
 夏山かおるさんの『新・紫式部日記』は藤原為時の娘藤式部が主人公である。権謀術数を駆使して貴族社会の頂点に登りつめた藤原道長はそれ故に心の闇を抱えた人だった。道長光源氏の栄華に自らを重ね、『源氏物語』は「自分」のことを書く物語とし、物語を書く藤式部が欲しかったとするのはいいとして、藤式部と道長は二人の間に生まれた子を一条天皇が彰子に産ませた子と入れ替える「天に背く大罪」を犯したとする造形ははたして読者を納得させ引き込むだけの物語性があるかとの疑問を拭えなかった。不完全燃焼を感じざるを得なかった。歴史時代小説としては、『言の葉は、残りて』同様、重量感が足りない。

 候補作5作品、いずれもそれぞれに持ち味と読み応えがあり、非常にレベルが高い。選考会は『へぼ侍』を受賞作とすることで比較的早い時間に決まった感があるが、2作品を受賞させてはいかがかと審議された。私個人の評価では、『へぼ侍』と『嵐を呼ぶ男』は甲乙つけがたかった。

・作品賞

 昨年同様、今年もレベルの高い作品が揃っており、しぼるのに苦労した。すべて素晴らしい作品で、どなたが受賞しても相応しいというか、候補作家全員に賞を差し上げたいと心底思った。
 受賞作となった木下昌輝さんの『まむし三代記』は斎藤道三を核とした斎藤家四代を描いている。斎藤道三は権謀術数の限りを尽くして一代で美濃国主に成り上がったとされるが、「ふたり道三」の最新説を踏まえ、小説に落とし込んでいる。多方面からの切り口が鮮やかで人間性を備えた道三像を浮かび上がらせ、道三の深層にまで立ち入ろうとしている。道三像をめぐって木下昌輝の思考の軌跡をまとめたものが本書である。本作は小説としての凄まじい破壊力を持った誠に端倪すべき作品であり、歴史時代小説界の麒麟児たる鬼才の面目躍如の作品である。受賞にふさわしい。おめでとうございます、木下さん。
 赤神諒さんの『空貝』は、瀬戸内の大山祗神社に伝わる姫・大祝(おおほうり)鶴姫が主人公。複雑な村上水軍の歴史を、滅びゆく大祝家側から描いた佳品である。時代は天文年間、瀬戸内の水軍と大内氏の抗争。姫を巡ってのお家騒動。男女の恋とロマンスと、史実からは少々飛躍する設定も含まれ、海洋冒険小説の一面もあるが、読んでいて一番楽しい作品であった。鶴姫の凛とした強さと美しさが魅力的だが、最終章で村上水軍村上武吉が「主人公」として登場しないと話が完結しないところが難点か。昨年の『酔象の流儀 朝倉盛衰記』に引き続き、今回は受賞を逃したが、間違いなく力量のある書き手である。
 平谷美樹さんの『大一揆』は嘉永6年(1853)の三閉伊(さんへい)一揆(いっき)で指導者のひとりとして活躍した三浦(み うら)命助(めいすけ)(1820~1864)を主人公とした、幕末の南部藩を舞台とした作品。嘉永6年(1853)といえば、まさしくペリー来航の年。かつて大佛(おさらぎ)次郎(じろう)は『天皇の世紀』第1巻「黒船渡来」の章に、「ペリー提督の黒船に人の注意が奪われている時期に、東北の一隅で、もしかすると黒船以上に大きな事件が起こっていた」と記している。幕藩体制の崩壊は外圧ばかりでなく、土地に根差した民百姓の地底から湧き上がる力によったことを、『大一揆』を紐解くことで味わうべく、一気読みした。大きな熱量に満ち満ちた作品である。悲劇的な死を遂げることになる命助は「地方」岩手では著名でも、歴史の表舞台に登場してこない、一般には馴染みの薄い人物といえる点が受賞から距離を置いたともいえる。昨年度の鳴神響一さんの『斗星、北天にあり』同様、「中央」(受賞)に押し上げられなかったことは選考委員として残念である

 村木嵐さんの『天下取』は武田信玄の娘で、北条氏政の妻となった春姫、織田信忠と仮祝言した松姫など武田家ゆかりの女人を主人公として描く女の戦国史である。女性の他、戦国を生きた戦国武将ひとりひとりの人物造形もじつに確かなもので、歴史の中から滲みだすものを引き出す作風にはいつもながら魅了されるが、全6編の短編集であるという点がマイナスとなった。読了した時に、何とも言えない不完全燃焼さが残った。惜しむらくは短編の枠組みを超えて、一つの物語として束ねられていない。女性を三国同盟の3人に絞るなどの構成に工夫が必要だったのでは。

「もう一作を、受賞作としよう」と臨んだ最終選考でも意見が割れた。作家の力量、可能性をみるに、作家たちは甲乙つけがたい。微差であった。同時受賞作として私は『大一揆』を推したが、説得がかなわず、返す返すも残念無念なことであった。

 

加藤 淳(選考委員)

  2012年に始まった歴史時代作家クラブ賞から数えて、今年は9回目。当会の名称を日本歴史時代作家協会と変えて昨年は新生第1回(通算第8回)としたが、今年から通算の回数を名乗ります。

・新人賞

 新人賞候補4作のうち、文句なしの面白さ、いわゆるページターナー(page turner)は坂上泉『へぼ侍』だった。読み出したらとまらない、というのは久しぶりの経験です。筆致が軽い。軽いけれど深い。大坂町奉行の与力の家に生まれた主人公は、明治維新後、商人として丁稚奉公をする。武士にして商人という二つの顔を持つ主人公が、明治10年西南戦争に出征、旧弊の武士とは違う商人的な知恵と論理で武士以上の働きをするカタルシス満載の小説である。
 同じように、新時代の狭間で武士とは何かを問う作品に、加納則章『明治零年』があった。この作品は、評論を無理やり小説の形にしたようなきらいがある。それだけに小説としての完成度は低いが、情熱は深かった。来たる明治新社会では、四民平等、文明開化を目指すには武士という身分が邪魔になる。それゆえ、戊辰戦争をなんとしても拡大化させて、官軍・賊軍を戦わせて武士の人口を減らす、というとんでもない企みがあった、という発想にはひどく共感した。荒削りではあっても新人賞にふさわしい実に大胆な発想だったのだが、作中のメインである「偽勅」問題、「独立割拠」が空回りした感がある。
 杉山大二郎『嵐を呼ぶ男!』は筆力、体力十分、これまでの信長と違う信長像を描こうというエネルギーに満ちていた。「大うつけ」といわれた信長を、同時代人には理解できない一段高い理想に燃えていたからという解釈には共感するが、作中に描かれる信長の理想に深みを感じることができなかった。

 佐藤雫『言の葉は、残りて』、夏山かほる『新・紫式部』が新人賞候補作にのぼったことはとても嬉しい。佐藤は小説すばる新人賞、夏山は日経小説大賞を受賞した作品である。前者は実朝とその妻、後者は紫式部と当時の為政者・平清盛という、政治的であり文学的な意欲作として高く評価したいが、ドラマ性に欠けていた。

・文庫書下ろし新人賞

 文庫書き下ろし新人賞の候補作は、今年は2作のみだった。2作だから受賞の確率は5割と安易そうだが、どうして、とても難しいのです。正直言って、私はどちらが受賞してもいいと思っていた。それだけ伯仲していたのです。馳月基矢『姉上は麗しの名医』を読んでびっくりした。装丁やタイトルの軽さを裏切るほどに人物設定がしっかりしている。江戸期の医学的描写もストーリー展開にも正直言って舌を巻いた。一方の稲田和浩『女の厄払い』の筆致は、これまでの小説のルールにとらわれない口語的な自由さを求めているように思えた。内容は古典的な人情もので、思わず涙ぐんでしまった。さてどうしたものか、と大いに悩まされた。

・作品賞

 作品賞は毎年最も選考に悩むところである。といいながら、今年は木下昌輝『まむし三代記』に満票で決定。木下氏は当会の新人賞を受賞している。まさに鬼才というべき作家で、私は密かに“時の魔術師”だと思っている。作品によって時の流れを逆流させたり、時系列を自在に操るのである。今回も各章に「蛇は自らを喰み、円環となる」という節を挟んで、最終章でまさにウロボロスのように第1章の冒頭に円環するという、子から孫へという三代記、いや四代記をリリカルに描いている。赤神諒『空貝』も才人ぶりを見せてくれた。戦国時代を舞台に情熱的な純愛物語に挑戦した著者の発想力、大胆さに脱帽する。
 平谷美樹『大一揆』は、百姓一揆という重苦しいテーマなのに息つく暇もなく読み切った。百姓の知恵と行動力が、旧態依然とした武士を打ち負かすところにカタルシスがある。藤沢周平『義民が駆ける』もそうだが、幕末に封建制が音もなく崩れゆくさまを描いて、『義民が駆ける』以上に面白く読んだ。村木嵐『天下取』も実に個性的な作品だった。殿方が起こした戦国乱世を、政治的な閨閥に利用される女性たちの視点で描いている。しかもすごいことに、敵同士でいつ破綻するかわからないのに、夫と妻は深い愛情でつながれている。このような作品が出てくるようになった歴史時代小説の幅広さに期待する。村木氏をはじめ佐藤雫氏、夏山かほる氏がどのような作品を世に出してくれるか、楽しみである。

 最後に、私の個人的なpage turner賞は、1位『へぼ侍』、2位『大一揆』であった。