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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第二十六回 三淵の奸計(かんけい)

 永禄十年(1567年)。越前の大大名、朝倉義景ユースケ・サンタマリア)がついに上洛を決意しました。

 一方、京は依然として、三好長慶の一族が支配し続けていました。その三好勢が担いだ四国阿波の足利義栄(よしひで)が、急遽十四第将軍つきました。ところが足利義栄は重い病を抱えていました。摂津の国にとどまり、上洛できずにいました。

 京の内裏では、関白の近衛前久本郷奏多)が二条春良(小薮千豊)に詰め寄られていました。近衛の推挙した足利義栄が京に上ってきそうもない。この不始末を招いた近衛は関白の座にとどまって良いのか。

 近衛は苦悩の表情で輿(こし)に揺られていました。そこで伊呂波太夫尾野真千子)がいるのを見つけるのです。近衛と太夫は、姉と弟のように育った仲でした。近衛は大夫に打ち明けます。二条春良は、近衛家が関白の座を独占しているのが気に入らない。二条は越前にいる足利義昭滝藤賢一)の元服の儀を行おうとしている。

 長く敦賀に留め置かれていた足利義昭が、一乗谷に招かれました。そこで義昭は元服を果たすのです。朝倉義景が烏帽子親となり、京から下ってきた、二条春良が見届けました。これで義昭は武士となり、新たな将軍となるべく三好勢への巻き返しの態勢が整いました。

 明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、諸国の情報を集めてきた明智左馬助(間宮祥太郎)と自宅で話していました。越後の上杉は動きそうも無い。近江の六角も無理だ。となると上洛ができるのは、朝倉と織田しかない。上洛をするということは、京の三好勢と戦うということです。そこへ客がやってきます。朝倉家の家臣である山崎吉家(榎本孝明)でした。義昭の元服を祝う席に、光秀にも出て欲しいと告げます。さらに山崎は語ります。

「朝倉には御一門衆があまたおられる。その方々が皆そろって義昭様のご上洛に付き従いたいと思われているわけではない。そのあたりを念頭に置かれ、明後日の宴に参じていただきたい」

 光秀は越前の街を見て回りました。刀鍛冶を訪ねてみると、盛んな様子は見られません。皆が暇で、家の畑仕事に戻ってしまったというのです。

 一条谷の朝倉館で宴が行われます。朝倉義景が皆にいいます。義昭の烏帽子親になったこと、義昭と共に上洛しようとしていること、すべてはこの嫡男、阿君丸(くまきりまる)が後押しをしてくれたおかげだ。阿君丸はいいます。

「私も京へ行ってみたい。お連れ下さいとお願いしました」

 そこへ意見を述べる者が現れます。義景のいとこである朝倉景鏡でした。義昭の元服と上洛は別の話なのではないか、といい出します。上洛とはすなわち三好一族とのいくさ。それに勝たねばならない。景鏡は光秀にいいます。

「そこなる明智殿は、近隣諸国の動きをよく調べておられると山崎がほめておった」景鏡は光秀に近づきます。「明智殿はどう思われる」

 朝倉義景も光秀に歩み寄ります。

「十兵衛。ありていに申すが良い。今日は無礼講じゃ」

 光秀は杯を置きます。

「景京様の仰せの通りかと」

 光秀はさらにいいます。いくさに向かう国というのは、武将や将兵が、槍、矢などはいうまでもなく、米、麦、豆などを買いあさり、物が市場からなくなるものだ。しかしこの国には物があふれかえっている。どこを見てもいくさに向かう気配など無い。

 朝倉義景は皆にいいます。

「いざとなれば、朝倉だけでも上洛してみせる」

 宴を抜けだし、一人、庭を見る光秀のもとへ、伊呂波太夫が近づいてきます。太夫はいいます。

「私は朝倉様をよく存じ上げておりますが、あのお方はこの一乗谷で、のほほんと和歌などを詠んでお暮らしになるのがお似合いなのです。幕府を支え、将軍家を支えるほどのご器量はありませぬ」大夫は杯に酒を注ぎます。「今日おいでのお方の中で、上洛を首尾良くすすめておゆきになれるのは、明智様なのではありませぬか」

 大夫は光秀に杯を渡し、話し続けます。

明智様は不思議なお方。亡き将軍義輝様も、斎藤道三様も、松永久秀様も気にとめ、何かと側へ置いておこうとされ、今もそのように」大夫と光秀は杯を干します。「そういうお方が、もう十年近くもこの越前に。そろそろ船出の潮時なのではありませぬか」

 光秀は庭に下ります。

「あいにく、船出の船が見つかりませぬ」

 大夫も下りてきます。

「その船の名は、すでにお分かりのはず。織田信長帰蝶様がおおせでしたよ。十兵衛が考え、信長様が動けば、かなうものなし、と。お二人で、上洛されればいいのですよ。上杉様も、朝倉様も、不要ではありませぬか」

 光秀は騎馬していました。決意したように馬を走らせます。

 光秀がやってきたのは、美濃の岐阜城でした。

 信長が驚いて立ち上がります。

「何、わし一人が義昭様を京へお連れするのか」

 光秀がいいます。

「朝倉殿は上洛を迷われ、義昭様を長々と種ヶ崎に留め置かれたお方。共に戦うに足るお方とは思えませぬ」

 信長は光秀の前に座り込みます。

「蝮の申した、大きな世か。京へ出て、大きな世をつくるのか」信長は光秀を見つめます。「よし、そなたの申す通りやってみよう。足利義昭様をこの美濃へお連れせよ」

 光秀ははっきりと返事をするのでした。

 越前の一乗谷の外れで、三淵藤英(谷原章介)たちと光秀は話していました。

「殿に美濃へ参られよと」

 そういったのは細川藤孝(眞嶋秀和)でした。

「朝倉様は頼りにならん。それはその通りじゃ」

 と三淵。細川がいいます。

「されどわが殿(足利義昭)が美濃へご動座されるとなると、上洛の覚悟をされたばかりの朝倉様の面目は丸つぶれ。ただではすみますまい」

 三淵は口調激しくいいます。

「いずれにせよ、朝倉様をとるのか、織田様をとるのか、という話じゃ。そういうことじゃな」

 三淵は光秀を振り返ります。

「織田様は腹をくくれば動きは速いお方。朝倉様はまだ一族の方々をまとめ切れてはおられぬご様子。共に動くには、無理があるかと」

 光秀の言葉に、一同は静まりかえります。口を切ったのは、足利義昭でした。

「私は、美濃へ行く。そなたを信じよう」

 と、光秀を見るのです。

 光秀は自宅に帰り、夜、妻の熙子(木村文乃)と話します。

「ついに、義昭様が美濃へ行くとおおせられた。近々、三淵様が朝倉様にそのことを申し上げるそうだ。恐らく、朝倉様はお怒りになると思う」

 熙子がいいます。

「十兵衛様もお叱りを受けますね」

「下手をすれば、罰せられるやも知れぬ。いずれにせよ、この越前は、そなたたちにも居心地がわろうなろう。そうなる前に、ここを引き払い、美濃へ戻ったらどうかと思う」

「十兵衛様は」

「わしは、信長様と共に、義昭様のご上洛を果たす」

左馬助にいってある。周りに気づかれぬよう、二人の娘を連れ、美濃へ向かえ。

「怖いか」

 と、光秀は妻に聞きます。首を振る熙子。

「いつか、このような日が、来ると思うておりました。十兵衛様が、ご上洛のお供を。きっと成就いたします。この子たちにもようやく、十兵衛様のふるさとを見せてやることができます。何も怖いことはありませぬ。嬉しいばかりでござります」

「そなたは」光秀は妻の手を握ります。「まことに、良き嫁御料だのう」

 三淵が密かに動いていました。義景のいとこである朝倉景鏡と密談します。

「願わくば、互いの行く末に悔いを残さぬよう、知恵を出し合えれば、幸と思う次第」

 朝倉館で朝餉の用意が行われていました。毒味役の老婆が、汁を飲んで苦しみ出すのです。その口をふさぐ女中。汁椀は朝倉義景の嫡男である阿君丸もとへ運ばれます。汁を飲む阿君丸。

 朝倉義景は阿君丸の死を知って嘆きの声を上げます。朝倉義景の上洛は中止になるのです。

 永禄十一年七月。足利義昭の一行は、越前国を出て、織田信長の待つ、美濃の国へ向かいました。もちろんその中に光秀の姿もありました。