大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三十一回 逃げよ信長
永禄十三年(1570年)四月。織田信長(染谷将太)は、諸国の兵を従え、朝倉義景の待ち受ける越前を目指しました。信長の呼びかけに応じて、三河の徳川家康(風間俊介)、摂津の池田勝正、大和の松永久秀(吉田鋼太郎)などが集結し、琵琶湖の西岸を北上し、若狭の国、佐柿にある国吉城に入りました。
「久々の大きないくさじゃ。血が騒ぐのう。この佐柿に入るまでの間にも、近隣の国衆や地侍たちが、手勢を率いて我も我もと参陣してきた。信長殿の名前がこの若狭にまでもとどろき渡っているということじゃ」
光秀は微笑みます。
「心強き限りにござります」
「やはり信長殿、これまでの大名とは違う。このわしがにらんだ通りじゃ」
武将たちが勢揃いし、やってくる信長に一斉にひれ伏します。
「我ら、これより越前へ向かう」信長は叫びます。「朝倉を討つ」
信長はさらに、東に位置する越前、敦賀(つるが)に兵を向けました。朝倉軍は防戦しますが、わずか二日で手筒山城と金ケ崎城を捨てます。信長は敦賀郡全域を占領したのです。
勢いに乗った信長は、背後を妹、市(いち)の嫁ぎ先である小谷城の浅井長政に守らせ、一気に一条谷の朝倉義景を討つ策を立てました。
酒の席を離れた光秀は、庭に徳川家康がたたずんでいるのを見つけます。家康は光秀に問います。
「我々武士は何のために戦うのでしょうか」
「それは」
「笑われるかも知れませぬが、私は、争いごとのない、いくさのない世をつくり、そのために戦うのだと、禅坊主の問答のようなことを時々本気で考えていることがあります」
「兄、信長殿に槍を向けることは、この長政の本意ではない。それだけは言うておきたかった。そなたの輿入れの折、信長殿は申された。我が浅井と長年のよしみを通じてきた越前朝倉には手は出さぬと。しかし此度(こたび)の越前攻め。万が一朝倉殿が討ち果たされるようなことがあれば、次はこの……」
市が立ち上がります。
「兄上はそのようなことは……」
「弟を己の都合で殺した男ぞ。市。もはやそなたは信長の妹ではない。この長政の妻じゃ。よいな。今宵(こよい)これより出陣いたす。見送りを」
敦賀の金ケ崎城に光秀のいとこである、明智左馬助(間宮祥太朗)が訪れます。軍議に参加している光秀に合図します。光秀は席を立ち、左馬助から畳んだ書面を受け取ります。
「まさか」
と、つぶやく光秀。光秀は軍議の席に戻り、信長に目配せします。信長も席を立ち、部屋に入って光秀と二人きりになります。光秀は報告します。
「近江の浅井長政、兵を挙げ、小谷城を出たとの知らせにございます」
信長は困惑します。
「わしは援軍など頼んではおらぬ。何が狙いじゃ。長政には近江にとどまり、南への備えを……」ここで信長は気付くのです。「まさか、わしを」
信長の言葉に光秀がうなずきます。
「なぜじゃ。なぜ長政が」
「理由は分かりませぬが、浅井の狙いが信長様にあることは明らか。一刻を争います。手立てを考えませぬと。このまま峠越えで一条谷に押しだし、一気に朝倉を潰すか。ここに陣を据え、浅井を迎え撃つか。しかし、いずれもいくさになれば、背後を突かれるのは必定。南北を浅井と朝倉の挟み撃ちにあえば、我らがいかな大軍といえども、勝ち目はございませぬ。事と次第では、お命、危のうございます。やはり信長様、一刻も早くここを」
「逃げよと申すか」
「ほかに道はなしと存じまする」
「わしは帝(みかど)にほめていただいた。当代一の武将だと」信長は激高し始めます。「そして託された。天下静謐(せいひつ)のため、励(はげ)めと」信長は叫びます。「逃げることなどできぬ。ただちに一乗谷へ攻め込む」
その信長の前に光秀が立ちふさがります。怒りにまかせて光秀を蹴りつける信長。光秀は倒れます。しかし立ち上がって、再び信長を阻止します。二人はしばらくにらみ合います。光秀は声を絞ります。
「帝がそのようにおおせになられたということは、信長様のお命、もはや信長様お一人のものではございませぬ。天下静謐という大任を果たされるまで、何としても生きていただかなければなりませぬ」光秀は声限りに叫びます。「織田信長は、死んではならんのです」光秀は床に額をつけて声を張り上げます。「お願い申し上げまする」
信長はゆっくりと向きを変えます。座り込んでつぶやくようにいいます。
「一人で考えたい」
光秀は信長を残して部屋を後にします。軍議の席に光秀は戻ってきます。そこに激しいうなり声が聞こえてくるのです。信長が涙を流して声を出していたのでした。やがて信長が皆の前にやってきて、座におさまります。信長は落ち着いた声を出し、浅井が兵を挙げたことを皆に説明します。動揺する武将たち。信長は一喝します。
「退(ひ)きいくさは、明智、その方らに任せる」信長は立ち上がります。「わしは、逃げる」
そう宣言して信長は皆の前から去って行くのでした。光秀は皆に呼びかけます。
「ご一同、迷うている暇はありませぬぞ。信長様には急ぎ、お立ち退きいただく。続いて本軍。采配は、柴田殿に」
「承知」
「私はこの金ケ崎に残り、時を稼ぎ、後を追います。おのおのお支度を」
駆け回る武将たちの中で、木下藤吉郎(佐々木蔵之介)は庭に膝をそろえて座り、光秀を待っていました。自分も殿(しんがり)に加わりたいというのです。信長の家臣たちは誰もが、藤吉郎をひとかどの武将と認めていないと語ります。光秀はいいます。
「殿の役目をご存じであろう。わずかな手勢で敵を食い止め、本軍を守る。危うき時にも味方の助けはない」光秀は一段下りて声を張ります。「命と引き換えになりますぞ」
藤吉郎は顔を上げます。
「死んで名が残るなら、藤吉郎、本望でござる」
信長は浅井の領地を避けながら、若狭街道を退却します。光秀と藤吉郎は本隊の最後尾に陣取り、追撃してくる朝倉、浅井軍を必死に打ち払います。
殿で疲れ果てた光秀は、左馬助に話しかけます。
「わしは今まで、なるべくいくさをせぬ。無用ないくさをさせぬ。そう思うてきた。しかし、此度(こたび)のいくさではっきりと分かった。そんな思いが通るほど、この世は甘くはない。高い志があったとしても、この現(うつつ)の世を動かす力がともなわねば、世は変えられぬ。いくさのない世をつくるために、今はいくさをせねばならぬ時なのだと。今は、いくさを重ねるしかないのだ」
京の妙覚寺に光秀が帰ってきました。途中、別々に行動した藤吉郎と無事を喜び合います。しかし藤吉郎は光秀に嘆くのです。
「誰も信じてくれませぬ。わしが、この藤吉郎が殿をつとめたことを。お前ごときに殿がつとまるわけがない。どうせどこかに身を隠し、頃合いを見て逃げ帰ったのであろうと」
それを聞いた光秀は怒ります。酒を飲んでいる柴田勝家たちの部屋に踏み込みます。
「木下殿は立派に殿をつとめられた。敵をあざむくため、二手に分かれ、京へ入る折には別々となったが、いくさ場での働き、実に見事であった。誰のおかげでその酒が飲めるとお思いか」
信長は寝所に引きこもったまま誰とも会わないということでした。光秀は信長に会いに行きます。信長は光秀を部屋に導き入れます。
「生きて戻ったか」
「信長様は無事にお帰りとうかがい、胸をなで下ろしました」
「殿、大儀であった」
信長は苦しんでいました。帰蝶から文(ふみ)が届き、いくさの勝敗はどうなったかと聞いてきています。御所にも行かなくてはなりません。帝に何といえばよいのか。光秀は座り直し、いいます。
「信長様。この十兵衛、此度(こたび)のいくさ、負けと思うてはおりませぬ。信長様が生きておいでです。生きておいでなら、次がある。次がある限り、やがて大きな国が作れましょう。大きな国ができれば、平穏が訪れ、きっとそこに、麒麟が来る」光秀は思い出すよう語ります。「追手から逃れ、この京に向けて夜通し馬を走らせおる時、ふと、その声を聞いたような気がいたしました」
「麒麟の声が、か。どのような」
「信長には、次がある、と」
信長は笑い出します。光秀も笑います。光秀はいいます。
「明日、二条城へおもむき、公方様へ、ご報告なされるのがよかろうと存じます。浅井の思わぬ裏切りに遭うても、三万という大軍をほぼ無傷で退いてみせた。その結束の強さは、信長様以外、誰もまねできぬと。そのことをしかと奏上なされませ。帝へも、帰蝶様へもご報告なされるのがよかろうかと。信長は生きて帰った。次がある。と」