大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三十六回 訣別(けつべつ)
元亀三年(1572年)、冬。明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、三条西実澄(石橋蓮司)の用人として、内裏に向かいました。光秀では廊下の途中で待たされます。光秀の耳に、花や春風について詠んだ歌が聞こえてきます。
実澄(さねずみ)は帝(みかど)に拝謁していました。
「今日は庭に、珍しき鳥が舞い降りております」
と、実澄は述べます。
「かの者が参っておるのか」
と、帝はたずねます。うなずく実澄。帝は御簾の間から、紙片を落とします。
紙片は光秀に届けられます。朕はこの詩の如く生きたいと思う。との文字がありました。光秀は思わず叫んでしまうのです。
「わたくしもそのように生きたく存じまする。さりながら、迷いながらの道でございます」
驚いたことに、それに応える声が聞こえてきたのです。
「目指すはいずこぞ」
光秀は思わず膝をつきます。
「穏やかな世でございます」
「その道は遠いな。朕も迷う。なれど、迷わずに歩もうではないか。明智十兵衛。その名を胸に留め置くぞよ」
感激の表情で、見えない帝に向かい、光秀は頭を下げるのでした。
光秀は自分の館に帰ってきます。柴田勝家(安藤政信)と佐久間信盛(金子ノブアキ)が訪ねてきていました。その座には木下藤吉郎もいたのです。光秀は信長から文(ふみ)を受け取っていました。大和の国で、松永久秀と筒井順慶が争っているため、出陣の備えをせよとの内容でした。柴田勝家が言います。
「やっかいな話じゃ。殿は、公方様の強いご意向ゆえ、松永を討つとおおせられ、我らに出陣を命じられたが、いつになく歯切れが悪うての」
木下藤吉郎が口を出します。
「そりゃあ、やる気がないからじゃ」
佐久間信盛は将軍義昭に会ってきていました。何としても松永の首を取れ、明智にも相談するように、といっていたというのです。藤吉郎が話し始めます。
「公方様は、ああ見えて油断のならぬお方じゃ。わしは、公方様が朝倉や浅井に密書を送り、上洛を促しておるのはつかんでおる。信長様が大和と河内に兵を送って、近江や美濃が手薄になったところで、朝倉たちに一気に信長様を攻めさせようとの魂胆とにらんでおりますがいかがか」
元亀二年から三年にかけ、大和の松永久秀は、筒井順慶ら、近隣の幕府方といくさを繰り広げていました。その松永に対し、足利義昭と幕府は、鎮圧に乗り出そうとしていました。
京の館で、光秀は月をながめてくつろいでいました。妻の熙子(木村文乃)がやって来ます。近江の坂本城がだいぶできあがったというのです。光秀は熙子に、城を見に行こうと提案します。
光秀と熙子は坂本城にやって来ます。その天守閣に上がるのです。光秀は説明します。この城の堀は外海に通じている。
「そなたと子供たちを船に乗せ、月見にこぎ出して行くのだ。湖の上で、子供たちに古き歌を教える」光秀は熙子を自分に向かせます。「必ず皆をここに呼び寄せる。人質として、そなたたちを京に残せと。いかに公方様でも、何とおおせになろうと、その義だけは飲めん」
熙子はいいます。
「この近江の国は、美濃の国と、京との、ちょうど中ほどでございましょうか。今、どちらに心を引かれておられますか」
光秀は眉根を寄せて首を振ります。
「どちらも大事なのだ。どちらも。ただ、今のままではすまぬやも知れぬ」
元亀三年(1572年)、春。幕府と織田の連合軍が河内の国に向けて出陣をしました。松永久秀と、松永に急接近してきた三好の一頭を討つための、大がかりな出陣でした。しかし織田信長は、このいくさに加わらず、河内に攻め込んだ連合軍も、松永久秀を取り逃がし、いくさを終えました。
その頃、甲斐の躑躅(つつじ)ケ崎館では、武田信玄(石橋凌)が家臣団を前にしていました。
「このところ、信長の動きが鈍い。公方様との足並みにも、乱れがある。その公方様は、わしに上洛せよと、矢の催促じゃ。出陣の機は熟したと思うが、どうじゃ」
家臣団は一斉に頭を下げるのでした。まずは浜松城の徳川家康を討つ、と信玄は宣言します。
その年の十月、信玄は京都に向かって、進撃を開始しました。
美濃の岐阜城で、織田信長(染谷将太)と光秀は会っていました。信長は話します。
「三日前、夢を見た。甲斐より、大入道が上洛し、わしを捕えて、公方様の前に突き出すのじゃ。公方様はこともなげに、耳と鼻とをそぎ落とし、五条の橋にさらせとおおせになる。そこで目が覚めた。恐ろしい夢じゃ。しかしこう思うた。近頃わしは、公方様に冷たく当たったかも知れぬ。そなたも目を通したであろう。公方様に送った、あの文(ふみ)を。いくつもの例を挙げて、公方様をお諫(いさ)めした。よく働いた家臣に、ほうびをやらず、おのれがかわいいと思う近習の者にのみ金品を与える。わしの許しも得ず、諸国に御内書を送り、寺社の領地を没収したり、お支えするこの信長も、面目が立たぬと」信長は続けます。「松永久秀を討てと命じられた折に、すかさず兵を出した。わしなりに気を遣うておるのじゃ。そう思わぬか」
「気をお遣いになるのであれば、親しきお大名にも、いま少しお気を遣われるべきかと。徳川家康殿の領地に、武田信玄が入り込んでいるとの知らせが入りました。武田勢は、二万以上の兵だと聞いております。家康殿の軍は、せいぜい七、八千。三千の援軍では、とうてい勝ち目はございますまい」
「仕方あるまい。こちらもぎりぎりでやっておる。越前の朝倉が、北近江に一万五千の兵を繰り出し、明日、わしも出陣する。家康を助けても、わしが負けたら元も子もあるまい」
信長は立ち去ろうとします。
「信長様には公方様がついておられます。そのお声一つで、機内の大名が馳せ参じましょう。しかし家康殿は違います。家康殿は信長様をうやまい、頼りにしておられます。我らも、家康殿にどれほど助けられたか分かりません。せめてあと三千、いや、二千でも構いません。援軍を」
「十兵衛。夢の話をしたであろう。公方様が、そうまで当てになるお方と思うか。信玄も、朝倉も、浅井も、皆、公方様が上洛を促しておられる。わしを追い落とすつもりか」
「さようなことは断じて。公方様をお支えしているのは、信長様であると、公方様もご存じのはず。決して追い落とすなど。もしさような動きがあれば、この十兵衛が食い止めてご覧に入れまする」
その場に徳川と信長の軍勢が、武田軍に大敗したとの報告がもたらされるのです。
光秀は、京の二条城にやって来ます。将軍義昭を前にしていました。義昭はいいます。
「わしは信長とのいくさを覚悟したのじゃ」
あっけにとられる光秀。義昭は、信長からの文を投げてよこします。
「信長がわしによこした、十七ケ条の意見書じゃ。罵詈雑言じゃ。帝への配慮が足りぬだの。将軍の立場を利用し、金銀をため込んで誠に評判悪(あ)しきゆえ、恥ずべきである。もはや我慢がならぬ。今や武田信玄が上洛の途上にある。朝倉ああ在が信玄に呼応して、近江で信長を挟み撃ちにすると伝えてきておる。徳川もすでに敗れ、松永も敵に回った。信長の命運は尽きた」
同席していた三淵藤英(谷原章介)が、光秀も将軍側につくよういいます。考え直すように請う光秀。義昭は目に涙を浮かべて宣言します。
「わしは信玄と共に戦う」そして光秀に呼びかけます。「信長から離れろ。わしのために」
「公方様」光秀は慟哭します。「それはできませぬ」