篤太夫(吉沢亮)は一橋家の財政建て直しに、自分の居場所を見つけていました。
長州攻めの指揮をとっていた将軍家茂(磯村勇斗)が、大阪城にて倒れてしまいます。慶喜(草彅剛)は家茂を見舞います。
「私はまだ死ねんのじゃ。今の徳川を残して死んでは、先の上様、またあの時、命をかけて私を立てた井伊に面目が立たん」
家茂は床から這い出ようとします。慶喜はそれを押しとどめようとしますが、家茂は慶喜をつかみ、体を起こそうとします。慶喜が家茂を抱き留める格好になりました。家茂は慶喜に訴えます。
「それだけではない。私は天子様の妹君を御代にいただきながら攘夷が果たせなかった。だからこそ、天子様の憎む長州だけは倒さねばならんのだ。あなたにその覚悟はあるか」
慶喜は家茂の体を支えます。
「先の上様や掃部頭(かもんのかみ)殿のお目は確かであった。ですから、必ずや、ご本復ののち、徳川をお守り下さい」
「私はずっと、あなたとこうして腹を割って話してみたかった」
家茂は危険な呼吸を始めます。医者が駆けつけ、家茂を床に戻します。この三日後、第十四代将軍徳川家茂は亡くなりました。
京の一橋邸に知らせがやって来ます。猪狩勝三郎(遠山俊也)は
「何、上様がみまかられた」
と、つい声をあげてしまうのです。篤太夫は小声で猪狩に聞きます。
「公方様はいまたお若く、お世継ぎもおられなかったはず。これから先、将軍家はどうなるのですか」
猪狩は篤太夫を見つめます。
「ひょっとすると、いや、ひょっとなどせずともほかに人はおらぬ。わが殿が、将軍になるやも知れぬ」
「殿、建白を」
猪狩たちがそれを止めようとします。篤太夫は叫びましす。
「殿、将軍家をお継ぎになってはなりませぬ。今の公儀は、いくら賢明な殿が一、二の修正を加えようが、倒壊を免れることはできませぬ」篤太夫は猪狩らを払いのけて、慶喜の前にひれ伏します。「そしてそうなれば、非難は必ずや殿のご一身に集まりましょう。かつてのそれがしのような、血の気の多いものが国中から集まり、殿を倒せ、倒せと立ち上がるに決まっておる。かように危ねえと分かっている道を、あえて進まれる理(ことわり)がどこにございましょうか」
「いいたいことはそれだけか」
慶喜は去って行くのでした。
江戸城では、和宮(かずのみや)(深川麻衣)が天璋院(上白石萌音)と話していました。
「慶喜が継げばよい、将軍など。将軍にさえならなければ、上様があれほどお苦しみになることはあらしゃれませなんだ。次は、次は慶喜が苦しめば良いのです」
慶喜のもとへ、幕府の老中たちが訪れていました。
「急ぎ、一橋様には、将軍ご相続の、ご決断をいただけねはなりません」
慶喜は穏やかにいいます。
「徳川の世は、もはや滅亡するよりないのかもしれぬ」
幕府の者たちは驚いて口々に声をたてます。老中の板倉勝静が前に出て慶喜にいいます。
「上様は病のなか、おっしゃられた。この先、政務を一橋様に委任し、ご自分は養生に専念したいと」
「もしその言がまことであるならば、私はこの先、私の思うように徳川に大鉈(おおなた)を振るうやもしれぬが、それでかまわんのだな」
慶喜の言葉に皆が頭を下げます。
数日後、慶喜が、徳川宗家を相続。次の将軍となることが事実上決まりました。
一橋家で働く者たちは、慶喜が将軍になることを知って浮かれていました。そこに原市之進(尾上寛之)がやって来て叱りつけます。
「おい、騒いでいる場合ではないぞ」原は皆の前に立ちます。「殿が御宗家を継いだからには、先の公方様に代わり、長州を征討するのもこのお家ということになる。われらはただちに大阪城に入り、長州を討つ」
原は各自の出陣の部署を決めてきていました。それを張り出します。成一郎(高良健吾)は俗事役と定められていました。戦う兵の世話をする係です。篤太夫は御用人手附となり、本営に入ります。大出世ではないか、と声をかけられます。
しかし、北九州で善戦していた幕府軍が、小倉城を失って逃げ出す事態となり、幕府の敗北は決定的となります。
「もはやここまでだ。引き際であろう」
家臣たちは歩き去る慶喜を引き止めようとします。しかし慶喜はいうのです。
「いまや天子様以外、誰もこのいくさを望んでおらんのだ。天子様にもお分かりいただけねばならぬ」
慶喜は和睦の勅命をもらうために、関白に取りなしを頼むよう命じます。長州に密書を送ることにします。
御所では孝明天皇が嘆いていました。
「しかし何も思うようにならぬ。国を閉ざすことも叶わず、長州を倒すこともできず」そして孝明天皇は、岩倉具視(山内圭哉)のことを思い出すのです。「岩倉には、朝廷を想うまことの心があった。後醍醐帝以来の力を取り戻すには、公儀を取り込むが良い、と教えてくれたのも岩倉じゃ」
その岩倉具視は、あばら屋で暮らしていました。そこに薩摩の大久保一蔵が訪ねてきています。岩倉はいいます。
「あいにくお上は、あんたんとこの国父様とちごうて、兵も金もなんにも持ってない。わしは、公儀をお上の踏み台にして、お上にそれに似合うお力をつけてさしあげたかった」
大久保が姿勢を正していいます。
「わが薩摩は、いや、長州もすでに幕府を捨て、天子様をいただく世をつくりたかち考えちょります」
岩倉は驚いて大久保の前に座ります。
「そうか。よういうてくだされた。今こそこの長いこと続いた武家の世を終わらせて、お上が王政復古を果たすのじゃ」
慶喜が徳川宗家を継いだことで、一橋家家臣の一部は、将軍家に召し抱えられる運びとなり、篤太夫や成一郎らは、一橋家を離れることになりました。
大阪の幕府陸軍奉行所に篤太夫と成一郎はいました。この書記官として働き始めたのです。
ここに謀反人の話が持ち込まれます。大沢というものが兵器鉄砲を多く整えているというのです。この大沢を捕縛するため、奉行の名代(みょうだい)を探し始めます。それに篤太夫が選ばれるのです。新撰組がその護衛にやって来ます。副長の土方歳三(町田啓太)の顔もありました。篤太夫は気圧されまいと腕を組んで見せます。土方は篤太夫に背中を見せて座ります。
「大沢が戻ればすぐに踏み込み、われらが引っ捕らえるゆえ、その上にてご自分のご使命を達せられよ」
「そりゃあいかん」篤太夫は土方に近づきます。「まずは先に、私が大沢に奉行の命(めい)を伝えるのが筋であろう。まだ罪があるかどうかも分からぬ者を、有無もいわさず縛り上げるは道理に外れておる。さような卑怯な振る舞いはできませぬ」
新撰組の一人があざけるような笑い声をたてます。土方は篤太夫を見上げます。
「立派なお説ではあるが、向こうが剣を振り上げてきたら何とされる」
「それならば、この渋沢にも腕はある」篤太夫は土方を見すえます。「さほどのこともお分かりにならねえなら、護衛などいらん。一人で出向きまする」
夜、篤太夫は新撰組と共に大沢の所にやって来ます。篤太夫は一人で門をくぐり、声をかけます。
「拙者、陸軍奉行支配調役、渋沢篤太夫と申す者。大沢殿とご面会いたしたい」
大沢が現れます。不審の筋があるゆえ、捕縛し糾問いたす、と篤太夫は宣言します。大沢は奥に下がります。それを追う篤太夫は、殺気だった多くの侍に囲まれることになるのです。侍たちは篤太夫に襲いかかります。一人奮戦する篤太夫。しかし多勢に無勢で、篤太夫は部屋の隅に追いつめられてしまいます。そこに新撰組が踏み込んでくるのです。土方は襲い来る侍たちを次々に斬り捨てていきます。大沢は捕縛され、連行されていきます。
「結局、働かせていただくことになりましたなあ」
という土方。
「もうちっと早く来るかと思ったぞ」
「早く来る」
強がるように篤太夫はいいます。
「おぬしらのお役目は、俺を守ることだい。俺が斬られでもすりゃあ、天下に轟(とどろ)く新撰組の面目が丸つぶれだ」
土方は篤太夫をほめるのです。
「しかし、先ほどの貴殿のお覚悟は、武士としてまことにごもっとものお説。この土方、心服いたした」
篤太夫は自分が武州の農民だったことを打ち明けます。自分は武家など合ってなかったのかもしれないとこぼします。土方は笑い、篤太夫の隣に腰を下ろします。そして自分も武州の薬売りだったことを白状するのです。二人は意気投合します。土方はいいます。
「武士となって国のために戦うのが目当てだった。おぬしと違って、後悔は少しもない。日の本のために、潔く命を捨てるその日まで、ひたすら前を向くのみだ」
二人は再会を約束して分かれるのでした。
江戸城では、小栗忠順(上野介)(武田真治)が、慶喜が将軍になることを嘆いていました。
「かくなる上は、われらは公儀を守るのみ。あの男を盾に、お家を守るしかなかろう」
そこへ入ってくる者がいて、パリの博覧会はどうする、と小栗にたずねます。
「仕方あるまい。一橋、いや、上様になられるお方に相談してみよう」
小栗からの文(ふみ)が、慶喜のもとに届きます。
「渋沢はどうしておる」
と、慶喜は家臣にたずねるのでした。