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大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第25回 篤太夫、帰国する

 明治元年(1868)、十月。パリを出発した篤太夫吉沢亮)一行の船は、横浜に到着します。民部公子(板垣李光人)は小舟に乗り換え、品川に向かいます。薩長の者たちに無礼な扱いをされる可能性のあるためです。

 横浜で下船する篤太夫は検査する薩摩の兵にしゃべりかけられます。

「かわいそうに。海ば越えて戻れば、主(あるじ)もすでにおらんとは。まさに浦島太郎ばい」

 篤太夫は黙っていました。

 篤太夫は横浜の宿には入り、日本を留守にしていた頃の出来事を聞くことになります。

 正月を過ぎてしばらく経ってから、慶喜(草彅剛)は江戸に戻ってきます。鳥羽、伏見で公儀は薩長に破れたのです。薩長軍は錦(にしき)の御旗(みはた)を掲げ、進軍していました。敵対すれば朝敵となります。慶喜はそれを恐れたのでした。 

 慶喜江戸城に戻るとすぐに、先の天子の妹であり、将軍家茂の妻であった静寛院宮(せいかんいんのみや)(和宮)に拝謁を願いましたが、出てきたのは天璋院天璋院)(上白石萌音)でした。

「静寛院宮は顔を合わせぬと申すのはもっともなこと。お逃げになられたとは何事じゃ」

 慶喜はいいます。

「しかしそれがしは、断じて朝廷に刃向かう気はございませぬ。どうかその心だけでも宮様にお伝えいたしたく」

 天璋院慶喜に近づきます。

「まっこて、こげんちゃちなお方じゃったとは。私はかつて父に、徳川の世のため、そなたを将軍後見に推(お)すよう申しつかって江戸へ参りました。その頃から、皆がそれほどいうにはどれほどご立派なお方かと、思いを馳(は)せておりましたが。そうですか。これが」天璋院は元のの座に戻ります。「そなたは、武士の統領として、潔(いさぎよ)くお腹を召されませ」

 その後慶喜は、上野寛永寺にて謹慎しました。江戸の城はいくさもなく、薩長軍に明け渡されました。小栗上野介(こうずけのすけ)(武田真治)は、捕えられ、首を切られました。

 上野には、多くの兵が慶喜を守ろうと集まっていました。皆が成一郎(高良健吾)に、指揮者になって欲しいと頼みます。成一郎が慶喜の側近であったからです。そこには血洗島にいたはずの尾高惇忠(田辺誠一)や、篤太夫の養子である平九郎の姿もありました。成一郎はその役を引き受けます。

「今や黙す時にあらず。家臣のわれらが身命を投げ打って、上様のご無念を晴らす」

 成一郎は一団を彰義隊(しょうぎたい)と名付けます。

「われら彰義隊はこの江戸で、命をかけて上様をお守りし、その真心を世に示すのだ」

 と、成一郎は宣言します。

 しかし慶喜は、江戸を出て、水戸に移ることを決めました。慶喜は見送りに集まった彰義隊に、言葉をかけることはありませんでした。

 その後、彰義隊は分裂し、振武(しんぶ)軍と名乗った成一郎たちは、秩父の山に移りました。そこで襲撃を受けるのです。平九郎は皆とはぐれ、抵抗もむなしく、官軍に撃ち倒されてしまうのでした。

 成一郎と惇忠は落ち延び、成一郎は函館に向かいました。

 篤太夫は、五稜郭にこもる成一郎に文(ふみ)を送ります。

「顔を合わせ、話ができるのを楽しみに帰国したところ、おぬしが函館に行ったと聞き、遺憾(いかん)千万だ。主(あるじ)もなく、残された烏合の衆がいくら集まろうとも、勝てるわけがない。こうなっては、もはや互いに生きて会うことは叶わぬだろう。潔く死を遂げろ」

 篤太夫は水戸に移る民部公子に会っていました。

「先日、天子様にお会いした」と、民部公子はいいます。「そして朝廷より、水戸に戻り次第、函館の榎本軍との戦いに兵を出せとの命を受けた」

「そんな」と、篤太夫は声を出します。「函館にいるのは、元は公儀の忠臣たち。それを、民部公子様に成敗せよとは」

「渋沢」と、民部公子は篤太夫を呼びます。「今一度頼む。この先も水戸で私を支えてほしい」

 篤太夫は考えた末、ついに頭を下げて承諾の返事をするのです。

「それにもまずは、御主君のご意志をうかがわねばと思っております」

「そうか。兄か」

「上様に、民部公子様ご帰国のご報告をいたしたいと存じます」

「私も兄に会いたいが、水戸を継いだ以上、朝敵に会うことは許されぬ。文(ふみ)を書くゆえ届けてくれ。そして必ず、兄の返事を私に届けて欲しい」

 篤太夫は数ヶ月かけて、旅の残務整理をしました。そこで為替紙幣が使われているのを目撃するのです。篤太夫に話しかけてくる老人がいます。

「あたしら三井やこの島田が為替方となって扱っておりますがね、これが、ちっとも信用がねえ。金もねえのに、御一新をしちまったもんで、いろいろ必死なんでござんすよ」

 老人は三井組番頭の三野村利左衛門でした。利左衛門は言い放ちます。

「まことのいくさはこれからざんす。わしら商人の戦いは」

 成一郎からの文が篤太夫に届きます。

「無事に帰国したとのこと。憧憬(どうけい)の至りだ。俺は今、おのれの全てを賭けて戦っている。命に替えて、徳川と上様をお守りする所存だ。お前は、上様の本当の心根を分かっておらぬ。徳川の家臣として、朝敵の汚名をすすぐことなく、この先どうして生きていけよう。俺は、俺の道を行く。もう会うこともなかろう。さらばだ」

 篤太夫は、六年ぶりに故郷、血洗島へと向かっていました。