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大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第29回 栄一、改正する

 渋谷栄一(吉沢亮)は大隈重信(大蔵孝二)に「改正掛(かいせいがかり)」を提案します。今、すでにある部署とは別に、大蔵省や外務省などの垣根を越え、広く日本に必要な物事を考え、決定事項を即実行できるようにしたい、と栄一は説明します。静岡藩から、さらに人材を召しかかえたい、とも要求します。急ぎ入り用なのは、経済や、外交や、技術の新しい知識を持つ者だが、今の新政府にはそういった人材がいない。伊藤博文(山崎育三郎)も大隈にいってくれます。

「わしはもう長州じゃ薩摩じゃいうくくりはどうでもええよ」伊藤は栄一の隣に座ります。「もう藩も藩主も無用と思うちょる。あげなもんがあるけ、よけいに手間も金もかかるんじゃ。年寄り連中のうだうだした話し合いも馬鹿らしい。一個も新しくない」

 大隈もいいます。

「確かに。公家や大名はだいぶ削られたとはいえ、あがん気長では何年たってもなんも変わらん」

 伊藤がいいます。

メリケンはいくつもの州が境(さかい)を超えて、ユナイテッド・ステイトっちゅうでっかい政府を開いたんじゃ。わしゃ感心した。しかるにいわんや、この日本が神より連綿と続く天子様をいただきながら、藩やら徳川やらにとらわれて、人心を一致できんのは、いよいよ恥ずかしい」 

「然(しか)り」と、栄一は叫ぶのです。「出自にかかわらず、人心一致し、新しき日本を打ち立てねばなりません」

 こうして、大隈重信伊藤博文の賛同を得て、明治二年(1869)十一月に改正掛が設置されます。栄一は大蔵省に勤めながらそれをまとめることになりました。

「納得できんのう」と声を出したのは岩国藩出身の玉之世覆(高木渉)でした。「なんで掛(かかり)をまとめるんが旧幕臣なんじゃ」

 静岡藩から杉浦(志尊淳)をはじめとする旧幕臣らがやってきます。栄一が議長となり、改正掛会議が始まります。

「さっそく始めたいが、ここにいる全員が、天子様に仕える者として、上下の別なく、闊達(かったつ)に意見を交わしたいと思っている。そのことは、どうかご理解いただきたい」

 と、栄一が述べます。この国に急ぎ要りようなものは何かと栄一は意見を求めます。

「第一は税のことじゃ」と、伊藤が発言します。「新政府はとにかく金がない。税を正しく確実に集めるすべを作らにゃならん」

「そんためには今のばらばらの貨幣(かへい)ばまとめんばならん」

 と、大隈がいいます。丈量。度量衡(どりょうこう)。駅逓(えきてい)。戸籍。殖産など、おのおのが主張しはじめ、会議は収拾がつかなくなっていきます。

「おおいいぞ、もっとだ。もっと来い」

 と、栄一はそれを喜ぶのでした。

 会議の後、玉之世覆らが大隈に掛け合います。あの会議はなんだ。自分たちが命をかけ、死ぬ思いで幕府を倒したというのに、なぜ幕臣などを。あんな男の下では金輪際働けない。そこへ栄一がやって来ます。栄一は男たちに囲まれてもひるみもしません。大隈に会議のまとめを報告すると、すぐに去って行きます。

「さてと、時が足んねえ」

 と、張り切った様子で、歩きながらつぶやくのです。

 栄一たち家族は、元旗本屋敷に引っ越します。栄一の娘のうたが、女中に水を持ってくるように命じます。それを見ていた千代が、うたをとがめます。

「うた。傲(おご)ってはなりませんよ。うたはお姫様でもなんでもねえ。百姓の娘ではありませんか。それがとっさまのご威光で、あのように立派な輿(こし)で箱根の山を越えておきながら、疲れたとは何事です」千代はうたの手を取ります。「私たちは、つらい思いを飲み込んで、お役につかれた父上を守り、支えるのが務めです。傲るような態度をとって、とっさまに恥をかかせてはなりません」

 うたは千代の言葉に、はっきりと返事をするのでした。

 栄一は改正掛で、次々と皆のアイデアを実行していきます。改正掛は、夜も大隈邸に集まり、意見を交わしました。そこで栄一は、大隈が日本の生糸についてこぼしているのを聞きます。驚いたことに大隈や杉浦などの元侍は、どのようにして絹ができるのかを全く知らなかったのです。養蚕にくわしい渋沢に、工場の設立が任されることになりました。

 しかしある日、改正掛に大久保利通(石丸幹二)が乗り込んでくるのです。大久保は大隈にいいます。

「おいが東京を離れちょった間に、太政官に十分に話し合うこともせず、ほんなこて勝手なことをしちょったようだな。しかも、それをやっちょっとは、旧幕臣とは、たまがった」

 大久保は改正掛が政府の和を乱すと怒っていたのでした。そこに栄一がいいます。

「しかし政府に金がないのは周知の事実。天子様の御世となって、二年が経ちましたが、税収は安定せず、頼みの太政官札は信用がうすい。わずか三年で瓦解した、建武(けんむ)の中興(ちゅうこう)の二の舞とならぬためにも、新政府の懐を守るのが肝要。我らはそのために粉骨砕身しておるのでございます」

「こい以上、出過ぎたまねはすな」

 と、大隈に言い捨てて、大久保は去って行きます。

 明治三年(1870)の春になります。栄一の父の市郎右衛門と母のゑいが、江戸の邸宅を訪ねてきます。尾高の家では、惇忠が養蚕に熱意をもって挑んでいました。武州の良い生糸で国を富ませたいと考えていたのでした。

 大隈が政府中枢から追い出されていまいます。大久保に、にらまれたためと考えられました。

 栄一の邸宅に、惇忠が訪ねてきます。

「いやあ、驚いたぞ。お前が新政府に出仕したと聞いて」

 惇忠はすぐ村に戻らなければならないといって立ち上がります。

「兄ぃも」栄一も立ち上がります。「新政府に来てくれないか」

「平九郎は新政府に殺されたんだ」振り向きもせずに惇忠はいいます。「首を切られ、さらされ、いまだ亡骸(なきがら)も見つからねえ」惇忠は栄一を振り返ります。「その政府に手を貸すなど、平九郎にどう顔向けしろというんだ。お前は良くても、俺にはそんなことはできねえ」

「俺たちだって」栄一の口調は静かです。「異人を焼き殺そうとしたじゃねえか。いくさは、一人ひとりは決して悪くねえ人間も、敵だと思い込めば簡単に憎み、無残に殺してやりてえという気持ちが生まれちまう。もう、侍の世はごめんだ。壊すんじゃねえ。つくるんだよ。俺は、平九郎に顔向けできなくても、できることをする。おのれの手で、この国を救えるんなら、なんだってやる」

 大隈の後釜に座ったのは、井上馨(副士誠治)という癖の強そうな人物でした。

「おぬしが渋沢か。くわしいことは大久保さんから聞いとる。この先」井上は栄一の肩をつかみます。「わしがおぬしの上役じゃ」

 井上は笑い声を上げるのでした。

 そして年が明け、明治四年(1871)。ついに改正掛の念願だった。郵便が開始されます。三日後に返事が届き、郵便制度が成功だったことが証明されるのでした。

 ある日、玉之世覆が栄一の席にやって来ます。

「認めとうなかったが、認めざるをえん。貴公は、仕事の速さにしろ、気概にしろ、実に得がたい徳川秘蔵の臣じゃ。今まで、無礼もあったかもしれんが、実に相済まぬと謝りに参った」玉之は頭を下げます。「「これからは力を合わせたい」

「それをわざわざ。ありがとうございます」

 栄一も頭を下げます。

「百姓上がりとみくびっちょったが、貴公の親族である尾高殿とて、才もあり、学もあり、登用するのにふさわしいお方じゃ」

 栄一が振り返ると、惇忠が立っていたのです。

 栄一は惇忠を製糸工場顧問のブリュナに引き合わせます。惇忠はブリュナと、しっかりとした握手を交わすのでした。

 栄一の知らないところで、大久保が話していました。

「改正掛は、つぶしてしまわねばなりもはん。国家の大事を、ほんの一握りの若手が勝手に立案し、勝手にすすめております。ほいでよかはずがありもはん」

 岩倉具視がいいます。

「それより、西郷はまだ出てけえへんのか。薩摩しかり、長州しかり、はあー、武士というのはこれほどまとまらへんものとはあきれたことや。それを思えば徳川はよくもまあ、あんなに長いことやっていたもんです」

「いんやあ、我らも必ずやまとまって見せます」

「いや、今度はわしも参りまひょ。これ以上ずるずるとまとまらへんかったら」岩倉は大久保を振り返ります。「お上(かみ)の世はまたつぶれてしまう」