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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第3回 挙兵は慎重に

 都に激震が走りました。平清盛が、後白河法皇を幽閉したのです。清盛は自分の孫を帝(みかど)に即位させました。安徳天皇です。この時、一歳と三ヶ月でした。

 その頃、伊豆では、頼朝(大泉洋)を婿に迎えた北条家に、都の不穏な気配が忍び寄っていました。

 治承四年(1180)。頼朝と引き離された八重(新垣結衣)は、伊東の家人(けにん)に嫁いでいました。その粗末な館は、鴨川を挟んで、北条館の向かいにありました。

 北条館に、山伏のいでたちをした男がたずねてきていました。頼朝の叔父である、源行家(ゆきいえ)(杉本哲太)です。行家はいいます。

「来たる六月、法王様の御子(みこ)、以仁王(もちひとおう)様が平家の世を正すため、挙兵される。諸国の源氏も、これに応じるよう。宮様は直々この行家を使者としてお選びあそばされた」

 行家は頼朝に令旨(りょうじ)を渡します。

 その夜、頼朝は北条の者たちと話します。頼朝の従者である安達盛長(平九郎)(野添善弘)が皆に説明します。以仁王源頼政(よりまさ)と挙兵する。頼政は源氏でありながら、平清盛に目をかけられている唯一の人物である。

 翌朝、頼朝は北条時政(ときまさ)(坂東彌十郎)に言い放ちます。

以仁王様の挙兵には加わらぬことにした。頼政卿では無理だ。人はついて来ん」

 頼朝は蔵で作業をする、北条義時(小栗旬)を訪ねます。

「何をしておる」

 と、声を掛けます。義時は答えます。

「領内の田植えの具合をまとめています」

「これは」

 と、頼朝は並べてある木簡(もっかん)の一つを手に取ります。

「どこの田に、どれだけ種もみを貸し与えたか、記しています」

 頼朝は外を見ながらいいます。

「挙兵はやめた。兵を挙げるからには、この手で清盛を討つ。わしが源氏の頭領として、采配(さいはい)を振るわねばならん」

頼政卿の下につけんと」

「物分かりがよいな」

 京から頼朝に知らせが来ます。一通目の日にちは、五月二十二日。二通目が五月二十六日です。一度に届くとは、都の混乱がうかがえます。頼朝は一通目の文(ふみ)を開きます。当時、頼朝に都の動静を伝えていたのは、朝廷の下級役人である三善康信(みよしやすのぶ)でした。康信は書いています。以仁王がついに兵を挙げた。平清盛はすぐに鎮圧の兵を送った。ところが、その大将軍であるはずの源頼政卿が、以仁王についたことで、軍勢は一気に勢いづいた。

 頼朝は二通目の文を開きます。康信は書いています。以仁王の謀反は鎮められた。頼政は自害、以仁王も奈良に逃げる途中で、落命した。

 大番役の勤めを終えた大庭景親(おおばかげちか)(國村隼)が、京から戻ってきました。伊東祐親(いとうすけちか)(浅野和之)をたずねます。大庭はいいます。

「伊豆に逃げた、頼政の縁者を、捕えるよう仰せつかった」

 祐親が聞きます。

「頼朝はどうなる」

 大庭は笑い声をたてます。

「源氏はもう終わった。いずれ成敗されるだろう。早々にあの男に見切りをつけておいて命拾いしたな」

 祐親が北条館にやって来て、頼朝と縁を切るように時政に告げます。

 その夜、時政は息子たちにそのことを話します。

「して、父上のお考えは」

 と、義時が聞きます。時政はいいます。

「ここで佐(すけ)殿(頼朝)を放り出したら、武士の名折れ。一度、お守りすると決めたからには、死なばもろともじゃ」

 義時の兄の宗時(片岡愛之助)がいいます。

「それでこそ父上」

「とはいうものの」穏やかに時政は話します。「波風は立てん方が良い。新しい目代(もくだい)の所へあいさつに参るぞ」

 時政と義時の父子は、伊豆の国衙(こくが)(役所)にやって来ました。出てきたのは目代ではなく、伊豆の実力者である堤信遠(つつみのぶとお)(吉見一豊)でした。

「この先も今までと変わりなく、お引き立てのほどを、お願い申し上げます」

 と、時政は述べます。義時が土産として、野菜を差し出します。堤は立ち上がり、その野菜を蹴り、踏みにじります。

「時政。おぬしも今回の謀反に、加わったのではないか」

「めっそうもない」

 という時政の顔に、堤は踏んだ野菜のカスをなすりつけます。

「少しでもその疑いあらば、そなたは打ち首」

 屈辱に顔をゆがませた二人は国衙を出ようとします。そこで義時は、箱に入れられた大量の木簡(もっかん)を目にするのでした。

 ある夜、頼朝の夢枕に後白河法皇が現れ、一日も早く助けてくれと訴えます。清盛の首をとり、平家の奴らを都から追いだしてくれと、頼朝の体を揺らすのです。

 都から文が届きます。清盛は以仁王からの令旨(りょうじ)を受け取った源氏すべてに、追討の兵を差し向けることに決めたというのです。これは三善康信が早とちりして書いたものでした。この時平家が追っていたのは、頼朝ではなく、頼政の残党のみでした。

 宗時は川辺にいました。人々に呼びかける坊さんを目撃します。

「日照りの後には何が来る。長雨じゃ。よって、来年は必ずや飢饉となる」謎の坊さんは話します。「食い物を独り占めにしているのは誰じゃ。平家じゃ。平家を許してはならんぞ」

 坊さんは平家の者らしい武者に突き飛ばされます。それを宗時が助けます。助けられた坊さんは分覚(市川猿之助)と名乗り、自分が頼朝の父である源義朝(みなもとのよしとも)と昵懇(じっこん)だったと話します。義朝のしゃれこうべを持ち歩いており、いつか頼朝に渡したいのだと語ります。

 北条政子が弟の義時にたずねます。

「もしいくさになったとして、佐(すけ)殿は勝てると思う」

 義時は親友の三浦義村(山本耕史)に相談します。

「どれだけの兵を集められるか、それに尽きる」

 と、三浦はいいます。義時は聞きます。

「何人くらい要る」

「波に乗れば、味方はどんどん増えてくる。大事なのは初戦だ。三百は欲しい所だな」

 義時は考え込み、

「ちょっと付き合ってくれ」

 と、三浦を誘います。

 三浦義村の父である三浦義澄(佐藤B作)が時政に会っていました。法王から頼朝に向けた密書を預かったというのです。時政は本気にせず、

「たぶん偽物です」

 と、ことわって、頼朝の従者の安達に渡します。

 義時は三浦義村国衙にやって来ていました。箱の中にある木簡(もっかん)を確かめます。

 義時は政子と共に、頼朝の前に出ます。義時が話そうとすると、兄の宗時が分覚を連れて入ってくるのです。しかし頼朝と安達は分覚を知っていました。どこぞで拾ったドクロを、頼朝の父のものだと偽り、高く売りつけようとしたというのです。分覚は安達に引きずられて追い返されます。引き上げ際、分覚はしゃれこうべの入った包みを投げ捨てます。宗時はいいます。

「首はまがいものかも知れません。しかし、あの者の声は、民の声なのです。皆、平家の横暴に苦しんでおるのです。源氏の再興を待ち望んでおるのです」

 頼朝は大声を上げます。

「わしはいくさをするつもりはない。なぜそれが分からぬ」

「それは」政子が立ち上がります。「殿の本心がそこにないゆえにございます。佐(すけ)殿は、戦いたくて、うずうずされておられるのです。でも踏ん切りがつかない。怖いのです。その時はもう目の前まで来ている。それでも立とうとしないのは、意気地がないから。座して死を待つおつもりですか」政子はしゃれこうべを包みからつかみ出します。「これには、平家と戦って死んでいった者たちの無念がこもっています。このドクロに誓って下さい。今こそ平家を倒し、この世を正すと」

 頼朝は政子にいいます。

「必ず勝てるという証(あかし)がない限り、兵を挙げることはできん」

 そこに義時が身を乗り出します。

「勝てます。このいくさ。挙兵されたとき、どのくらいの兵力となるか割り出してみたんです。味方となりそうな豪族を選び、国衙にあった木簡(もっかん)から、それぞれが納める米の量を調べ、民の数を推し量りました。民の数が分かれば、兵の数も分かります」

 義時は図面を開いて説明します。北条を主力とした三百。まずはこの初戦で勝つ。そうなれば、三浦、和田、土井、佐々木なども味方に付くはず。伊豆の十倍にはなる。つまりその数、三千。

「絵に描いた餅じゃ。いくさを起こす大義名分がなければ、人はついて来ん」嘆くように頼朝はいいます。「平家討伐を促す、法皇様の密書でもあればな」

 安達は時政から預かっていた、法皇からの密書を差し出します。頼朝はそれを読んでいいます。

法皇様がわしに、助けを求めて来られた」

 驚く宗時。義時は手を打っていいます。

「条件はそろいました」

「見たこともない大軍勢になりますね」

 と、政子もいいます。

 頼朝はドクロを手に取り、立ち上がります。

「どこのだれかは存ぜぬが、この命、おぬしに賭けよう」頼朝は宗時を振り返ります。「すぐにいくさの支度じゃ」