大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第8回 いざ、鎌倉
平清盛(松平健)が、声を荒げて息子の宗森(小泉孝太郎)にいいます。
「追討軍はまだ出立(しゅったつ)しておらんのか」
「明後日の朝、京を発つ手はずでございます」
清盛は立ち上がります。
「今まで何をしておった」
「旧例にのっとり、必勝の吉日を選んでおりました」
「勢いづいた軍勢は、日に日に大きくなっていくんじゃ。わが方の総勢は」
「およそ一万」
「少ない。我らは官軍ぞ。道中、その倍、集めさせよ」
一方、朝廷では、後白河法皇(西田敏行)に対して、側近の平友康(矢柴俊博)が告げていました。
「昨夜遅く、追討軍が京を発ちましてございます。さすがの頼朝もここまでかと」
「頼朝が勝つ手立てはないのですか」
と、法王の愛妾である丹後局(鈴木京香)がたずねます。平友康は地図を示して説明します。
「甲斐や信濃の源氏、これらと結べば、まだ勝ち目はありますが」
「それじゃ」
と、法王は顔を上げます。
「しかし」平友康はいいます。「互いに合力してはおらぬ様子」
丹後局が法王にいいます。
「頼朝は、おあきらめになってはいかがですか」
鎌倉に向かっている源義経(菅田将暉)は、道中、ウサギを射止めます。しかしそれは自分が仕留めたものだと、やってくる武者がいます。義経は提案します。
「こういうのはどうだ。どちらが遠くへ矢を飛ばせるか、飛ばせた方が、ウサギをもらう」
武者は承諾します。二人は並んで弓を構えます。武者が矢を放ちますが、義経は矢をつがえたままです。義経は向きを変えると、武者に向かって矢を放つのでした。
鎌倉を目指す頼朝の軍勢の中で、岡崎義実(たかお鷹)が北条義時(小栗旬)に話しかけてきます。自分は頼朝の父である義朝の館があった、亀ケ谷津に御堂を建てて、ずっと義朝の御霊をまつってきた。頼朝の御所は、亀が谷津にしてはもらえないだろうか。
義時は知らせを受けます。畠山重忠(中川大志)が降伏してきたというのです。和田義盛(横田栄司)などは気に入りません。
「いつまでもガタガタいってんじゃねえよ」と、いうのは上総広常(佐藤浩市)です。「俺たちは所詮、烏合の衆だ。いちいち思いを聞いてたら、いずれ立ちゆかなくなっちまうぞ。俺たちは頼朝を信じてここにいる。そうじゃねえのか。だったら奴に決めてもらおうじゃねえか。頼朝の考え、聞いて来いよ。俺たちはそれに従う」
義時は畠山を、頼朝の前に連れて行きます。
「嬉しく思うぞ」
と、頼朝。畠山はいいます。
「弓引いた過ちを悔い改め、恥を忍んで参陣つかまつりました」
「味方になろうという者は、大事にせねばなあ」頼朝は義時にいいます。「くれぐれも(畠山)重忠が窮屈な思いをせぬように」頼朝は向き直ります。「我らはこれより相模に入る。畠山重忠、おぬしに先陣を命ずる」
義時は甲斐へ行くよう、頼朝に命じられます。武田信義(八嶋智人)に会って、我らの味方になるよう説き伏せよ、とのことでした。
「実のところ」義時は苦り顔でいいます。「武田が味方になるとは思えません」
「いや、必ず乗ってくる」
と、頼朝は自信ありげに言い放ちます。
義時とその父、北条時政(坂東彌十郎)が会ってみると、武田は怒りの様子で、頼朝からの文(ふみ)を丸めて見せます。しかし義時が
「どうか我らに力をお貸し下さい」
と、頭を下げると、
「いいだろう」
と、あっさりいってのけるのです。頼朝への文を書くと、その場を去って行きます。
義時と時政は、待たされます。時政がいいます。
「信義の奴、待ってましたといわんばかりだったぞ」
義時が返答します。
「都から追討軍がやってくれば、真っ先にぶつかるのは自分だと、ようやく気付いたのではないでしょうか」
「なるほどなあ」
「佐(すけ)殿は、とっくにそれを見抜いておられた。やはりすごいお方です」
義時は頼朝に頼まれて、鎌倉に入った後のことを決めていました。皆をどこに住まわせるか。館の位置、大きさ、などです。
義時が一人、夜空を見上げていると、武田信義がやって来ます。
「頼朝はどうするつもりだ。追討軍を追い払えばそれで良いのか、それとも、京を目指すのか」
義時は答えます。
「佐(すけ)殿は、上洛して法王様をお助けし、清盛が壊した世の中を、あるべき姿に戻そうとお考えです」
武田は笑い出します。
「魂胆(こんたん)は見えておるわ。清盛に取って代わりたいだけであろう。大儀なぞない」
「佐(すけ)殿は、正しい政(まつりごと)が行われる世をつくろうとされておられます。私欲はございません」
「どうだか」
義時は頼朝のもとへ戻ってきました。頼朝は武田からの文を読みます。武田は兵を整え、鎌倉で合流する手はずになっていました。
「これで間違いなく勝てる」
と、頼朝はいいます。義時は去ろうとしますが、御所をどこにするかを話し合う声が聞こえ、戻って来ます。義時は岡崎義実に、亀ヶ谷津を本拠地にすることを頼まれていたのです。
「亀ヶ谷津はないな」と、頼朝はいいきります。「わしは、御所を京にも劣らぬ、大きくて、雅(みやび)なものにしたいのじゃ。亀ヶ谷津は狭い。ここはどうじゃ」頼朝は地図にて大倉の地を指します。「ここが良い」
「しかし、岡崎殿は」
と、義時は食い下がろうとします。
「御所は政(まつりごと)を行う要(かなめ)の場所。岡崎ごときの差し出口(さしでぐち)で決めるつもりはない。これはな、わしが豪族どもの言いなりにはならんことを示す良い機会じゃ」
10月6日。頼朝勢はついに鎌倉に入ります。石橋山で大敗を喫(きっ)してから、わずかひと月半のことでした。
相模の大庭景親(國村隼)の館に、頼朝の大軍が鎌倉に入ったとの知らせが届きます。総勢三万。大庭は自分たちだけで頼朝を討ち取ると決めていました。梶原景時(中村獅童)は、大庭に別れを告げ、立ち去ります。
伊東祐親(浅野和之)の館でも、撤退について話し合いが行われていました。しかし祐親は、頼朝勢を迎え撃つつもりでした。伊東祐清(竹財輝之助)が父の祐親を責めます。
「父上が平家の顔色をうかがい、八重(新垣結衣)との仲を裂いていなければこんなことには」
「出自の良さを鼻にかけ、罪人の身で我ら坂東武士を下に見る。あんな男にどうして愛娘(まなむすめ)をくれてやることができようか」
祐親は八重の夫である江間次郎(芹沢興人)に命じます。
「頼朝に決して八重を渡してはならん。攻め込まれたら、分かっておるな」
「かしこまりました」
と、江間は頭を下げるのでした。
義時は北条政子をはじめとする、北条の女たちを迎えに来ていました。しかし政子は頼朝に、ちゃんとした格好をして会いたいといいだします。
義時は梶原景時の館を訪ねます。梶原は女の衣装を用意することを請け合います。
「かたじけのうございます。梶原殿なら、敵方といえども、お力になって下さるのではと思っておりました」
「それは向こう見ずというもの。しかし、良い折であった。それがし、大庭殿とは、袂(たもと)を分かったところ」
「なんと」
「粗暴な男は苦手でな」
義時は決意して梶原に頭を下げます。
「ぜひ、我が軍にご加勢を」
「一度は、頼朝殿に刃を向けた身ゆえ」
「佐(すけ)殿は、降伏してきた者に寛大でおられます。ましてや梶原殿なら、喜んで受け入れてくれるはず。私が間を取り持ちます」
梶原は返答しませんでした。
政子は衆人が見守る中、頼朝に会います。頼朝は政子を抱きしめるのでした。
頼朝は政子を高台に案内します。鶴岡八幡宮を建立することを宣言します。
「八幡神は源氏の守り神。その威光をもってこの坂東をまとめ上げる。そして京に攻め込み、平家を滅ぼす」
伊東祐清が、平家に助けを求めに行こうとしたところを捕えられます。その口から、伊東祐親が戦って死ぬつもりだと聞かされます。義時は祖父である祐親と、八重を救出すべく出発するのでした。