頼朝(大泉洋)から鎌倉入りを拒否された義経(菅田将暉)は、京に戻っていました。義経は妻の里(三浦透子)を相手に酒を飲みます。里は自分まで帰れないことに文句をいいます。
「離縁して下さい」と、里はいいます。「あの静(しずか)(石橋静香)という女と一緒になればいいではないですか」
そこに頼朝や義経の叔父に当たる源行家(杉本哲太)が姿を見せるのです。行家はいいます。
「これ以上、頼朝の好きにさせてはならん。義仲と組んで、奴を討ち取ろうと思ったが、果たせなかった。おぬしならできる。鎌倉に攻め入って、頼朝の首をとれ」
義経はいいます。
「私は、兄上とは戦いたくない」
「頼朝は必ず攻めてくる。あれは我らを身内とは思うておらぬ。ここは先手を打つのだ、九郎。あやつに勝つにはそれよりほかはない」
鎌倉で義時(小栗旬)と共に書物の整理をしていた大江広元(栗原英雄)が顔を上げます。
「思いつきました。九郎殿を鎌倉に戻す良い策を。法皇様にお願いして、九郎殿を受領(ずりょう)にしていただきます」
義時は首をかしげます。
「今さらどこかの国の国司(こくし)というのは」
「肝心なのは、受領になれば、検非違使(けびいし)を兼任することができないということ」
「京に留まる理由がなくなる」
この策を聞いた頼朝はいいます。
「わしとて、このままでいいとは思っておらぬ。九郎に会って、いくさの労をねぎらってやりたい。あいつがおのれの非を認めて、素直に詫びてくれれば、いつでも許してやる」
義時がいいます。
「受領の件、ぜひ法皇様にお願いしてくださいませ」
頼朝はうなずきます。
「そうだ。いっそのこと、伊予守(いよのかみ)に推挙してやるか」
その内容を書いた文(ふみ)を京にいる義経は感激の表情で読みます。弁慶(佳久創)や静に叫びます。
「喜べ。兄上が、伊予守にしてくださる」
弁慶たちは理解できません。義経はいたずらっ子のような表情をします。
「お前ら、何も知らないんだな。こういうのは名前だけ。別に伊予で暮らさなくてもいいんだよ」
弁慶が聞きます。
「鎌倉へ帰るのですか」
「検非違使ではなくなるんだから、こっちにいることもない」
後白河法皇(西田敏行)は、公家たちと話していました。平知康(矢柴俊博)が発言します。
「頼朝め。ずいぶんとつけあがっておりますなあ」
後白河法皇がいいます。
「まあここは、つけあがらせてやろうではないか。九郎の武功は、伊予守こそふさわしい」
「かしこまりました。では、検非違使の任を解き、さっそく九郎義経を、伊予守に」
法皇はいいます。
「検非違使は、そのままで良い」
「未曾有(みぞう)のことにございますが」
「構わん」
義経は後白河法皇に呼び出されます。伊予守に任じられ、検非違使の兼任も命じられるのです。法皇がいいます。
「お前の忠義に応えるには、検非違使と受領、いずれかでは足らん。両方じゃ。これからも京の安寧(あんねい)を、守ってくれの」
鎌倉ではうめくように頼朝がいいます。
「どうやら、九郎に戻る気はないようだな」
義時が義経を弁護します。
「おそらく、法皇様のお考えでございましょう。九郎殿も断り切れなかったのでは」
「それが腹立つのだ。わしより法皇様をとるということではないか。もう勘弁ならん。帰ってこんでいい」頼朝は立ち上がって、文(ふみ)を叩きつけます。「顔も見とうないわ」
「このままでは、九郎殿と鎌倉殿は、いずれかならずぶつかります」
義時がいいます。
「鎌倉殿は、ご自分を武士たちの頂(いただき)とする、新しい世をおつくりになりたいのです。法皇様に気に入られ、いいなりの九郎殿は、その邪魔になりかねない」
「でも私には分かる」政子は義時を見すえます。「あの方は、心の内では九郎殿がいとおしくてたまらないのです。だから何とかしてあげたいの」
そこへ末妹、実衣(宮澤エマ)の夫である阿野全成(新納慎也)が案を話します。頼朝たちの父、義朝の菩提を弔うため、供養を行うことになっています。そこに義経を呼ぶのです。平家討伐を報告する供養ともなれば、義経も来ないわけにはいかない。政子は顔を輝かせます。
「良い考えではないですか」
義時も納得します。
「確かにそれなら、法皇様もお許しくださいましょう」
義時はこの案を、頼朝に報告に行きます。そこに、今まで京の情勢を知らせてくれていた三善康信(小林隆)がやって来ていました。義時は案を話します。
「それは、九郎が顔を出せば、亡き父も喜ばれるであろうが」
との頼朝の言葉を、大江広元が続けます。
「あのお方の後ろには、法皇様がいらっしゃいます」
三善康信がさらに続けます。
「法皇様には、鎌倉殿が九郎殿とぶつかることを、むしろ望んでおられる節がございます」
「なにゆえに」
と、義時は問います。三善が答えます。
「それが昔からあのお方のやり方と申しますか。大きな力が生まれると、必ずそれに抗(あらが)う力をつくろうとなさるのです」
そこへ、文覚(市川猿之助)やって来たという知らせが入るのです。
文覚は本物だという義朝のしゃれこうべを持ってきていました。義時が聞きます。
「今度こそ、本物であるという証(あかし)はあるのですか」
「ござらぬ。されど、真偽に何の意味が」文覚は声を張ります。「大事なのは、平家が滅んだこの年、源氏ゆかりのこの地で、鎌倉殿がご供養なさるということ。その場に、義朝殿とおぼしきドクロが届けられたこと。鎌倉殿が、本物だといわれれば、その説が、このドクロは、本物となるのじゃ」
頼朝は立ち上がり、しゃれこうべを手に取ります。それを置いて深く頭を下げます。
「父上、お帰りなさいませ」
義時がいいます。
「鎌倉殿。このことを九郎殿にお伝えします。必ずや供養にお越しになるはず」
頼朝はうなずくのでした。
京の義経の館では、正妻の里と愛人の静が争っていました。その二人を残し、義経はやって来た義時と会います。
「もちろん父上の供養だ。行きたくない訳がないだろう」
という義経に、義時は語ります。
「鎌倉殿も九郎殿に会いたいのです。膝をつき合わせてお話になれば、わだかまりは解けると信じております。義朝様のしゃれこうべ、その目でご覧になってください」
「供養の後は」
「むろん鎌倉に残り、鎌倉殿にお仕えを」
翌日、義経は、叔父の行家と話します。行家はまくしたてます。
「鎌倉へ入ればその日のうちに、捕えられ、首をはねられてしまうぞ。木曽義仲も、そのせがれも甲斐の武田も、頼朝の邪魔になった奴ら、皆、どうなった。おのれの身を守るためには、一族とて容赦はしない。あれはそういう男なのだ。なぜそれが分からんのだ」
義経は立ち上がります。
「これから院の御所へ行って、法皇様にお許しをいただいて参ります」
「それほどまでに、頼朝に会いたいか」
「会いとうございます。ぜひとも、供養に参列しとうございます」
「よかろう。行って参れ」
ここで法皇は死にかける演技をするのです。そうして義経を引き止めることに成功します。頼朝が清盛になられては困る。そのための九郎だ、と法皇はうそぶきます。
この頃、京の武士の間では、鎌倉を怖れ、義経を見限ろうとする者が出始めていました。土佐坊昌春たちもそんな一派でした。昌春は里の手引きで、義経の館にやってきます。里は義経を殺さないようにと、昌春に念を押します。静の命を奪うたくらみでした。義経は隠れていましたが、やがて見つかり、敵の刀を奪って戦います。弁慶など、義経の手の者が駆けつけ、昌春たちは撃退されます。
行家が義経にいいます。
「間違いない。鎌倉が送ってきた刺客だ」
「兄上が、私を殺そうと」
「ほかにそなたの命を狙う者がどこにいる」
「血を分けた兄弟ではないか」
「頼朝はおぬしが怖いのだ。源氏の棟梁の座を奪われるのが」
「私は、どうすれば」
「いずれまた、鎌倉の息のかかった奴らがやってくる。その前に手を打つ。挙兵するのだ」
後白河法皇が、義経たちに、頼朝追討の宣旨(せんじ)を出したのが、文治元年(1185)十月十八日でした。二十二日には、早馬が、義経挙兵を鎌倉に伝えました。頼朝は宣言します。
「これより、全軍で京に攻め上る」
しかし坂東武者たちは、義経を怖れ、戦いを躊躇(ちゅうちょ)します。そこへ三浦義村が立ち上がります。
「都へ攻め込みましょう。ここで立たねば、生涯、臆病者の誹(そし)りを受ける。坂東武者の名折れでござる。違うか」
義村に次々と賛同する者が現れ、京への出陣は決定されるのでした。義村には考えがありました。それを義時に打ち明けます。
「心配するな。俺の読みでは、いくさにはならん。九郎の奴は、戦わずして負ける。あいつは都ではたいそうな人気だが、肩を持っているのは、いくさに出なかった連中だ。命拾いした兵にしてみれば、無謀ないくさばかりの大将に、また付いていこうとは思わない」
十月二十九日。頼朝は軍勢を率いて、みずから出陣します。それは、決して義経を許さないという意思表示でした。
京で義経は嘆きます。
「なぜ兵が集まらない」
いらだちを隠そうともせずに行家が叫びます。
「お前のいくさに義がないからじゃ」
「叔父上」
と、義経は驚きます。
「挙兵はならぬと申したのに。お前を信じた、わしが愚かであった」
行家は姿を消します。後に行家は鎌倉方に捕まり、首をはねられます。
義経は京を離れ、いったん九州に逃げて再起を期すことにします。静に言い含めます。
「いつか必ず迎えに行く。もし鎌倉の奴らに捕まったら、私との関わりについて、決して口にするな。生きたければ、黙っていろ。よいな」
後白河法皇が公家たちを前にしています。
「頼朝と義経、どちらかが力を持ってしまっては、いかんのだ。わしが望んでいるのは鍔迫(つばぜ)り合い。なんで九郎義経、姿を消してしまったのかの」法皇は公家たちにいいます。「頼朝追討の宣旨は取り消しじゃ。改めて、頼朝に、義経追討の宣旨を与えなさい」
義経失踪の知らせを受け、頼朝は鎌倉へ引き返します。
頼朝は北条時政(坂東彌十郎)に、義経を探して捕えることを命じます。
「法皇様のお力をお借りしてな。お前に、法皇様と鎌倉との、橋渡しをしてもらいたいのよ」頼朝は言い重ねます。「舅(しゅうと)殿には、いざというときの胆力がある。法皇様と渡り合えるのは、舅殿だけじゃ」
時政は家族たちにこぼします。
「わしでないと駄目かな」
妻の、りく(宮沢りえ)がいいます。
「それだけ鎌倉殿に買われているということ。ありがたいではないですか」
「だけど、とんでもねえお役目だぜ」時政は弱音を吐きます。「おっかねえよ」
北条時政は、鎌倉武士初の、京都守護として、軍勢を率いて上洛します。院の御所で法皇を目の前にします。時政と義時は、義経を捕えるために、西国諸国を自分たちが治めることを求めます。
その夜、時政と義時の父子は、酒を酌み交わしていました。そこに義経が姿を現すのです。
「捕まえたければ捕まえるがいい。逃げるのにも飽きた」
「九郎義経は、九州へ逃げ落ちたと聞いておる。かようなところにいるはずはない。偽物であろう」
と、時政は宣言し、落ち着いて話しをします。
「兄上とのことを、今からなんとかならぬか」
という義経に、義時が語ります。
「ご存じないようですが、法皇様は、九郎殿追討の宣旨を出されました」
義経は驚き、息を吐きます。
「祈るような思いでここに来てみたが、無駄だったか」
奥州に帰ろうという義経に、義時はいいます。
「おやめなさい。九郎殿が奥州に入れば、必ずそこにいくさの火種が産まれます。いくさはもう、終わりにしましょう」
「いくさのない世で、私のような者はどうやって生きていけばよいのだ」
義経は去って行きます。時政は義時にいいます。
「まるで、平家を滅ぼすためだけに、生まれてこられたようなお方じゃな」