十三人の宿老たちが、訴訟についての評議をします。この結果を鎌倉殿(源頼家)に取り次ぐのです。常陸(ひたち)の御家人、大谷太郎と、その弟次郎の土地争いについて話し合われていました。太郎は、父親から受け継いだ所領の一部を、次郎が欲しがるのは不当といい、次郎は、死んだ父のいいつけで、自分が譲り受けたといっています。北条時政(坂東彌十郎)が述べます。
「次郎のいう、いいつけってのは、あれだろう、口約束だ。ほっといていいんじゃねえか。大谷の太郎はわしもよう知っとる。頼むよ」
「待て待て。それはどうだろうか。誰それを、良く知っているというだけで、そちらの肩を持つというのはいかがなものか」
三浦義澄(佐藤B作)が思い出します。
「そういえは、大谷の次郎の妻は、比企の出ではなかったか」
政(まつりごと)に私情をはさむな、と、時政がいい、評議は紛糾します。義時(小栗旬)が梶原景時(中村獅童)にささやきます。
「弱りましたね」
「どうも引っかかる。その土地で、ずっと米を作らせてきたのは、太郎ではなく、次郎のはずだ」
調べてみるとその通りでした。なぜ太郎は今になって、との声が上がります。義時が発言します。
「大谷太郎は、鎌倉殿が変られたのをいいことに、この機に乗じて、次郎の土地を奪おうとしているのではないでしょうか」
「新しい鎌倉殿につけ込むとは」
と、比企能員が声をあげます。
「いいがかりじゃ」
と、抗弁する時政。
「そこまで」と、梶原景時が声を放ちます。「よしみを重んじ、便宜(べんぎ)をはかるのは、政の妨(さまた)げになるので、以後、やめていただきたい」
梶原は宣言します。いま一度、双方の言葉を聞き、評議をやり直す。
「無駄な時でござった」
との台詞を吐き、梶原景時は去って行きます。
鎌倉殿を継いだ源頼家(金子大地)は、自分が選び出した六人の若い御家人たちにいいます。
「あいつらの魂胆は分かっておる。裁きを下すのはわしで、十三人は補佐役。そんなものは建前だ。補佐役なら、二、三人いれば足る話。寄ってたかって、わしをのけ者にするつもりだ」
正治元年六月。北条政子(小池栄子)を不幸が襲います。二女が闘病の末、亡くなったのです。頼朝が亡くなったまだ半年のことでした。
琵琶を習っている実衣(宮澤エマ)は、師の結城朝光(高橋侃)といい雰囲気です。夫の阿野全成(新納慎也)が嫉妬に苦しむほどに。その結城がいいだします。
「実は、私にも一つ悩みが」
「あら、うかがってしまおうかしら」
と、実衣は無理にも聞き出す態度です。
「実は、ちょうどこの間、ここで仁田殿と雑談をしていたのですが」
結城は、過去を話します。
弓を射ながら、結城は仁田にいいます。
「仁田殿はどう思われます」
仁田は訴えるようにいいます。
「これからです。鎌倉殿はまだお若い」
「宿老方に耳を貸さず、蹴鞠(しゅうきく)に興じるお姿は、とても鎌倉を率いるにふさわしいとは思えない」
「長い目で」
「頼朝様には、もっと生きていて欲しかった。忠臣は二君に仕えず」
結城に矢を渡していたのが善児(梶原善)だったのです。その翌日、結城は梶原に呼ばれます。
「鎌倉殿に対しての誹謗。聞き流すわけには参らぬ」
「お待ちください」
結城は、梶原に申し開きをしようとします。
「今の鎌倉殿を蔑(さげす)み、もっと頼朝様にお仕えしたかったとは何事か」
「戯れ言にございます」
梶原は「忠臣は二君に仕えず」の言葉を出して結城を追いつめます。唐(から)ではこの言葉を吐いて、命を断った者がいる。頼家に仕えるくらいなら、死んだ方がましか。不穏な振る舞いをすればどうなるか、皆に知らしめる。こうして結城は謹慎の身になったのでした。
若武者たちと廊下を渡る頼家に、義時の息子である頼時(坂口健太郎)が話しかけます。
「鎌倉殿。やはりお考え直しください」
「おぬしが指図することではない」
と、頼家は冷たく言い放ちます。
「人の道に反しております」
「うるさい」
頼家は歩き去ります。
頼時は梶原と話します。
「よう伝えてくれた」
と、梶原はいいます。
「鎌倉殿を、止めてください」
と、頼時は訴えます。
「お前の父を呼んでこい。急げ」
と、梶原は命じます。
安達盛長(野添義弘)とその息子の安達景盛(新名基浩)が、若武者たちを従えた頼家の前に座ります。頼家の要求は、景盛の妻を自分のものにすることでした。
「それだけはご勘弁を」
と、景盛は頭を下げます。頼家は安達盛長に、息子になんとかいうようにと促します。安達盛長は述べます。
「私は、頼朝様が伊豆に流されてきた時から、仕えて参りました。鎌倉殿はそのお子、異を唱えることなどもってのほか。しかしながら」安達盛長は声を張ります。「こればかりは承服する訳には参りません」
頼家は冷たい目で安達盛長を見すえます。
「わしに背くは、父に背くことぞ」
盛長はひるみません。
「力ずくで人の妻を奪ったとなれば、鎌倉殿の名に、傷がつきます。そのことを申し上げておるのです」
頼家は激昂します。
「家を焼き払われても良いのか」
「家を焼き払われようが、鎌倉を追われようが、たとえ首をはねられても、私の心は変りませぬ。お父上を悲しませてはなりませぬ」
頼家は苦笑を見せます。
「よう申した」
頼家は、若武者たちに、安達親子の首をはねるようにいいつけるのです。すると今まで黙って座っていた、梶原景時が口を開きます。
「お待ちくださりませ。これは大きな分かれ道にございます。このようなことで安達親子を討てば、必ず騒ぎになります。御家人たちが黙っておりません」
頼家は笑って見せます。
「面白いではないか」
そこへ北条政子と、義時がやってくるのです。政子は頼家の正面に立ちます。
「いいかげんに目を覚ましなさい」
頼家は辺りを見回します。
「誰が呼んだ。平三(景時)か」
政子は頼家に近づき、若武者たちにいいます。
「安達殿に手を触れてはなりません」
「口出しはしないでいただきたい」
という頼家を、政子は叱りつけます。
「自分のやっていることが分かっているのですか」
義時もいいます。
「恐れながら申し上げます。藤九郎(盛長)殿ほど、頼朝様や鎌倉殿に忠義の心を持つお方は、私は知りません。こんなことで首をはねるなど」義時は叫びます。「許されることではございませぬ」
政子もいいます。
「頭を冷やしなさい。頼家」
梶原景時は、文官たちに、結城朝光に死んでもらう、と宣言します。安達の一件以来、頼家は御家人たちの信用を損ねた。結城を見せしめにして、御家人たちを引き締める。
実衣は何とか結城を助けて欲しい、と訴えます。義時は親友の野村義村(山本耕史)に、梶原に御家人たちの気持ちを伝えて欲しい、と頼みます。弱いな、と三浦はいいます。人数を集めて訴状に名を連ね、鎌倉殿に処分を訴え出る。
野村は御家人たちをまわり、一筆を頼みます。北条時政も比企能員も名を連ねます。最終的に六十七人の数になります。
梶原景時に対する沙汰が行われます。頼家の前に梶原は座ります。宿老たちも居並んでいます。三善康信(小林隆)が述べます。調べによれば、結城朝光に謀反の疑いはない。頼家は御家人たちが名を連ねた書状を手に取ります。比企能員が述べます。
「梶原殿の行いは、目に余ります」
北条時政もいいます。
「断固たる御処分を下されるべきでございましょう」
頼家は梶原にいいます。
「いわれておるぞ、平三」
梶原は落ち着いた様子を見せています。
「すべては鎌倉殿がお決めになること」
義時が発言します。
「梶原殿は、鎌倉を守りたい一心であったはず。私欲はござらん」
「分からねえぜ」
頼家が梶原に呼びかけます。
「平三。申し開きしたけれはしてみよ」
「この梶原平三景時。恥じ入るところはただの一点もござらぬ」
頼家は梶原に対し、役目を解き、謹慎を申しつけます。
義時は謹慎となった梶原を訪ねます。梶原は話します。
「それがしのあやまちは、おのれを過信したこと。鎌倉殿と御家人たち、どちらも意のままに操れると思い込み、どちらからも疎(うと)まれた」
梶原は上皇から、誘いの書状が来ていることを義時に伝えます。
「いかがなされるおつもりですか」
と、義時は聞きます。
「鎌倉にいても先は見えた」
「いてもらわねば困ります」
「それがしはもはや」
冷徹な梶原が涙を流すのでした。
三浦義村が結城朝光にいいます。
「しばらく姿を隠せ。すべては、こちらの思い通りに進んだ。例のこと、くれぐれも、他言は無用で頼む。実衣殿に相談を持ちかけたのはあくまで、おぬしの一存」
三浦は結城に、砂金の袋らしいものを渡すのでした。立ち去ろうとする三浦に、結城がいいます。
「そんなに梶原殿が憎いですか」
三浦は答えます。
「別に。ただ、あいつにいられると何かと、話が進まないんでね」
京から梶原に、誘いのあったことが頼家の耳に入ります。梶原は流罪を命じられます。
正治二年正月。梶原景時は比企の館に押し入り、頼家の子である一幡を人質にとって立てこもります。義時は説得に訪れます。梶原が話します。
「刀は、斬り手によって、名刀にもなまくらにもなる。なまくらで終わりたくはなかった」
梶原は一幡を返します。比企の者たちが刀を構えます。梶原は流罪先に行くと叫びます。
「通して差し上げよ」
と、義時もいいます。梶原は、置き土産だ、といって善児を義時に差し出すのでした。去って行く梶原を見ながら、義時は息子の頼時にいいます。
「すぐに兵を整えよ。梶原殿は、必ず西へ向かわれる。東海道で討ち取る。分からぬのか。梶原殿は、華々しくいくさで死ぬおつもり。武士らしくな」