三浦義村(山本耕史)が、北条時政(坂東彌十郎)にいいます。たい
「畠山追討の、御下文(おんくだしぶみ)、拝見しました」
時政はうなずきます。
「これよりすべての御家人に送る」
「驚きました。なにゆえ畠山が鎌倉殿に反旗を」
「よう分からん。しかしあいつは今、武蔵で兵を整えておる。鎌倉殿をお守りするため、これより畠山一族を滅ぼす」
時政は手はずを述べます。畠山の息子の重保(杉田雷鱗)を、由比ヶ浜に誘い出す。三浦は待ち伏せして、それを捕える。息子を人質に取られれば、畠山重忠(中川大志)も観念するだろう。
「では、鎌倉殿はすでに畠山追討を、命じられたのか。どうしてそういうことになる」
時房はいいます。
「父上に押し切られたようで」
「次郎(畠山重忠)には、いくさをする気などない」
畠山重忠はすでに鎌倉に向かっていました。義時に、鎌倉殿と話をするようにと、説き伏せられたのです。
由比ヶ浜で、三浦義村は、畠山重保を捕えようとします。しかし抵抗されて殺してしまうのです。畠山重忠は、二股川の向こうに留まりました。そのまま進めば、すぐに鎌倉へ入れます。息子の死を知ったようでした。時政の妻の、りく(宮沢りえ)がいいます。
「すぐに兵を差し向けなさい」
義時は従いません。
「様子を見るべきです。このまま所領へ戻れば、兵を整え、いくさに応じるということ。しかしそうでなければ……」
りく、は義時の言葉をさえぎります。
「そこまで来ているのですよ。すぐに兵を出しなさい」
三浦義村がいいます。
「もしこのまま鎌倉に進めば、戦うつもりはないということだな」
義時が答えます。
「戦うには手勢が少なすぎる」
「向こうが、いくさをする気がねえのなら、戦ってもしょうがねえぞ、これは」
りく、が強くいいます。
「畠山は謀反人ですよ」
今まで黙っていた時房が口を切ります。
「母上。政範を失った無念はお察しします。だからといって、すべてを畠山殿に押しつけようというのは良くない」
りく、は時房に食ってかかります。
「そんなに私が憎いですか。憎いからそうやって、畠山の肩を持つ。政範がああいうことになって、いい気味だと腹の底で笑っているのだ」
そこへ畠山の手勢が、鶴ヶ峰に陣を敷いたとの知らせが入ります。鶴ヶ峰は敵を迎え撃つには絶好の高台です。三浦がいいます。
「今の手勢で戦うつもりか。腹をくくったようだな」
和田がいいます。
「あいつは死ぬ気だ」
りく、が皆を見回します。
「だったら、望みを叶えてあげましょう」
ここに至って時政が、りくに怒声を放つのです。
「それ以上、口をはさむな」時政は声を落とします。「腹をくくった兵が、どれだけ強いか、お前は知らんのだ」
三浦がいいます。
「こっちも本腰を入れるしかなさそうだな」
義時が時政の前に進み出ます。
「お願いがございます。私を、大将にしてはいただけないでしょうか」
時政はうなずくのでした。
北条政子(小池栄子)は、鎧(よろい)を身につけた義時と話します。
「畠山殿は、本当に謀反をたくらんでいたのですか」
義時はうめくようにいいます。
「父上がいっているに過ぎません」
「だったら」
「しかし、執権(しっけん)殿がそう申される以上、従うしかない。姉上、いずれ、腹を決めていただくことになるかもしれません」
「どういうことですか」
「政(まつりごと)を正しく導くことのできぬ者が上に立つ。あってはならないことです。その時は、誰かが正さねばなりません」
「何を考えているの。何をする気」
「これまでと同じことをするだけです」
義時の陣では、軍議が行われていました。畠山は見通しの良い丘の上にいます。攻め手の動きは丸見えです。和田義盛がいいます。
「次郎(畠山重忠)は、はなから逃げるつもりなんてない。暴れるだけ暴れて名を残す気なんだよ。死を怖れない兵は怖えぞ」
義時が立ち上がります。
「まずは次郎に会って、矛(ほこ)を収(おさ)めさせる」
三浦がいいます。
「収めるかな」
義時が言葉に力を込めます。
「望みは捨てん」
その役目を、和田義盛が買って出ます。
和田が畠山の陣にやって来ます。親しげに話します。
「お前もさ、いい歳なんだから、やけになってどうする」
畠山がいいます。
「やけではない。筋を通すだけです。今の鎌倉は、北条のやりたい放題。武蔵をわが物とし、息子には身に覚えのない罪を着せ、だまし討ちにした。私も小四郎(義時)殿の言葉を信じて、このざまだ」畠山は立ち上がって叫びます。「いくさなど誰がしたいと思うか」そして和田を振り返ります。「ここで退けば、畠山は北条に屈した臆病者として、そしりを受けます。最後の一人になるので戦いぬき、畠山の名を、歴史に刻むことにいたしました」
和田が訴えます。
「もうちょっと生きようぜ。楽しいこともあるぞ」
「もはや、今の鎌倉で生きるつもりはない。命を惜しんで泥水をすすっては、末代までの恥」
和田も説得をあきらめます。
「その心意気、あっぱれ。あとは正々堂々、いくさで決着をつけよう」
「手加減抜きで」
「武士なら当然よ」
和田義盛が義時の陣に帰ってきます。義時は皆に宣言します。
「これより謀反人、畠山次郎重忠(はたけやまのじろうしげただ)。討ち取る」
両軍が対峙(たいじ)します。畠山重忠が、かぶら矢を放ち、戦闘が開始されます。
畠山は義時の息子、泰時(坂口健太郎)に狙いをつけます。一騎、義時がそこに駆けつけるのです。畠山と義時は激しい戦いを繰り広げます。義時は馬上の畠山に飛びつき、地面にひきずり下ろします。刀も失い、両者は取っ組み合いになります。ついに畠山が馬乗りになり、義時に脇差しを突きつけます。しかし畠山は義時を殺しません。畠山は騎乗し、戦場を抜けていきます。顔に満足げな笑顔を浮かべていました。
いくさは夕方には終わりました。時政が鎌倉殿である、源実朝(みなもとのさねとも)(柿澤勇人)に報告します。
「畠山重忠の謀反、無事、鎮(しず)め申した」
実朝が聞きます。
「重忠は」
北条時房が報告します。手負いの所を討ち取られた。まもなく首がこちらに届く。実朝は精一杯の声を出します。
「ご苦労であった」
義時は、父の時政の前に畠山の首桶を置きます。うめくようにいいます。
「次郎(畠山)は、決して逃げようとしなかった。逃げるいわれがなかったからです。所領に戻って、兵を集めることもしなかった。戦ういわれがなかったからです」
「もういい」
と、時政が立ち上がります。義時は声を強めます。
「次郎がしたのは、ただ、おのれの誇りを守ることのみ」義時は首桶を持って時政に近づきます。「あらためていただきたい。あなたの目で。執権を続けていくのであれば、あなたは見るべきだ。父上」
時政は行ってしまうのでした。
義時は大江広元(栗原英雄)にいわれます。時政が強引すぎた。御家人たちのほとんどは、畠山に非がなかったことを察している。どうすれば良いのかと問う義時に、大江は、罪を他の者に押しつけることを提案します。時政の娘婿である稲毛重成(いなげのしげなり)(村上誠基)の名を上げます。
稲毛を殺すことを抗議する時房に、
「それで良いのだ」
と、義時はいい放ちます。稲毛を見殺しにしたとなれば、御家人たちの心は、時政からますます離れる。これぐらいしなければ、事は動かない。
稲毛は首をはねられます。義時は、畠山の残した所領の分配を、北条政子(小池栄子)にやらせようとします。政(まつりごと)が混乱すると辞退する政子に、義時はいいます。
「恐れながら、すでに混乱の極みでございます。今こそ、尼御台(あまみだい)のお力が必要なのです」
「それで事がおさまるのならば」
と、政子は承諾(しょうだく)します。政子は稲毛が時政に殺されたことをいいます。なぜ止めなかったのかと義時を責めます。義時はこともなげにいいます。
「私がそうするようにお勧(すす)めしたからです」義時は政子の前に座ります。「これで執権殿(時政)は、御家人たちの信を失いました。執権殿がおられる限り、鎌倉はいずれ立ちゆかなくなります。此度(こたび)のことは、父上に政(まつりごと)から退(しりぞ)いていただく、はじめの一歩。(稲毛)重成殿は、そのための捨て石」
「小四郎(義時)。恐ろしい人になりましたね」
「すべて、頼朝様に教えていただいたことです」
「父上を殺すなんていわないで」
「私の今があるのは、父上がおられたから。それを忘れたことはございません」
「その先は。あなたが執権になるのですか」
「私がなれば、そのために父を追いやったと思われます」
「わたくしが引き受けるしかなさそうですね」
「鎌倉殿が、十分にご成長なさるまでの間です」
義時は時政に名を連ねた紙を見せます。
「訴状に名を連ねた御家人の数は、梶原殿の時の比ではございません。少々、度が過ぎたようにございます」
時政はいいます。
「小四郎(義時)。わしをはめたな」
「ご安心下さい」義時は紙を破いて見せます。「これは、なかったことにいたします。あとは、われらで何とか。ただし、執権殿には、しばらくおとなしくしていただきます。執権殿が前に出れば出るほど、反発が強まるのです。どうか、慎(つつし)んでいただきたい」
「恩賞の沙汰は、やらせてもらうぞ」
との時政の言葉に、義時は首を振るのでした。
「すべて、ご自分のまかれた種とお考えください」
時政は大声を上げて笑い出します。
「やりおったな。見事じゃ」
七月八日。北条政子の計らいにより、勲功(くんこう)のあった御家人たちに、恩賞が与えられます。