日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 最終回 報いの時

 長沼宗政(清水伸)が三浦義村(山本耕史)に話しています。

「みんなやる気になっている。勝つかもしれないな」

 三浦がいいます。

「分からんぞ。今は盛り上がっているが、本気で上皇様と、戦うつもりがあるのか」

 二人は侍たちが話すのを聞きます。守りを固めるのが一番ではないか。京まで攻め込むのはどうかと思う。

「あれが本音だ。できれば皆、戦いたくないんだ」

 と、三浦は決めつけます。

 のえ(菊地凛子)、は父の二階行政(野仲イサオ)に叱責(しっせき)されます。

「どうして婿殿(むこどの)をお止めしなかった。このままでは朝敵だぞ」

 のえ、は鏡を見ながら、髪を梳(す)いています。

「良いではないですか。太郎(泰時)殿や次郎(朝時)殿に、いくさでもしものことがあればですよ、北条の跡取りは我が息子になるんですから」

「馬鹿者、その時は鎌倉が、灰になっておるわ」

 北条義時(よしとき)(小栗旬)たちが、朝廷と戦う戦略を練っています。早く兵を出さなければならないという大江広元(栗原英雄)に対して、御家人を集めるには時間がかかると泰時(やすとき)(坂口健太郎)が述べます。義時は自分が総大将になって、今すぐ兵を出すといい出します。結局、泰時が総大将になり、先陣を切って京に向かうことになります。泰時を入れて十八人で出発します。義時は泰時の肩を叩いていいます。

「鎌倉の命運、お前に託した」 

 いくさの準備をする侍たちの中で、長沼宗政が三浦義村に話しかけます。

「泰時が鎌倉を発(た)ったぞ」

 三浦はいいます。

「まあ、兵は二千も集まればいいところだろう」

「どうする」

「俺たちも出陣する。合流すると見せかけて、木曽川の手前で背後から攻め込む。泰時の首を手土産に、そのまま京へ入る」

 京に向かう泰時に次々と御家人が合流し、その数は一万を超えるまでになりました。

 京にいる後鳥羽上皇(尾上松也)に、義時からの書面が届けられます。十九万の軍勢を上洛(じょうらく)させるので、西国武士との合戦を、御簾(みす)の隅(すみ)からご覧あれ、と書かれています。後鳥羽上皇は、藤原秀康(ひでやす)(星智也)に、今すぐ動かせる兵はどれくらいか、とたずねます。一万余り、と藤原は答えます。後鳥羽上皇は、相手の十九万を、まやかしの数と決めつけます。

 六月五日。泰時率いる軍勢は、藤原秀康率いる官軍と、木曽(きそ)川で衝突します。圧倒的な兵力で官軍を打ち破りました。勢いに乗った泰時軍は、さらに京へ向かって進撃します。

 宇治(うじ)川は、京の最終防衛線です。官軍は、橋板を外し、ここを死守する構えを見せます。

 宇治の平等院で、泰時たちは策を練ります。いかだを作って兵を乗せ、向こう岸まで渡す方法が考えられます。

 いかだを使った渡河作戦が敢行されます。官軍から、おびただしい数の矢が放たれます。

「ひるむな。そのまま進め」

 と、泰時は兵たちに叫びます。犠牲を出しながらも、いかだは川を渡り切ります。官軍がそれを迎え撃ち、激闘が展開されます。乱戦の中で野村義村が長沼宗政にいいます。

「こりゃ勝つな」

「どうするんだ」

上皇様がご出陣されれば、いくさの流れは一気に変わる」

 その頃、後鳥羽上皇は慌てふためいていました。

「攻めてくるぞ。義時の首をとるだけでよかったのだ」

 後鳥羽上皇は、官軍の陣頭(じんとう)に立とうとします。しかし藤原兼子(かねこ)(シルビア・グラブ)に諭されて、あきらめるのです。

 勝利の祈願を行い、疲れて眠り込む北条政子(小池栄子)に、義時が話しかけます。

「姉上。宇治川を越えたわが軍は、ついに京に入りました。太郎(泰時)が、やってくれました」

「あの子はそういう子です」政子は義時を見上げます。「おめでとうございます」

「しかし、私はこれまでの歴史で、初めて朝廷を裁(さば)くことになります」

 北条時房(ときふさ)(瀬戸康史)が後鳥羽上皇に会うことになります。

上皇様。このような形でまたお会いするとは、無念です」

 後鳥羽上皇は、時房の言葉をさえぎります。

「此度(こたび)の大勝利、見事であった。私を担(かつ)ぎ上げて世を乱そうとした奸賊(かんぞく)どもを、よう滅ぼした」上皇は時房の前にしゃがみます。「義時には、そこのところ話しておいてくれ。お前が頼りぞ」

 鎌倉で義時が、あきれたような声を出します。

後白河法皇様も同じことを仰(おお)せだったな」

 大江広元がいいます。

「お許しになりますか」

 京で、後鳥羽上皇に、泰時が対します。

「わが父、北条義時より、上皇様に対し、沙汰(さた)が届きました。隠岐(おき)へお移りいただく。逆輿(さかごし)をもってお送りするものとする」

「待て、私は上皇なるぞ」

「期日は七月十三日。以上にござる」

 立ち去る泰時に上皇は言葉を浴びせます。

「このようなことをしてどうなるか思い知るがよい。幾(いく)たび生まれ変わっても呪ってやるわ。義時」

 上皇は頭をそり上げられ、逆輿に乗せられます。逆輿は、罪人が運ばれるときのしきたりで、屋根のようなものはついていません。後鳥羽上皇は、死ぬまで隠岐を離れることはありませんでした。

 義時は、泰時たち共に食事をしています。

「先のいくさの采配(さいはい)、見事だったそうだな」

「ありがとうございます」

 と、泰時はいいます。義時は泰時の態度を気にします。

「どうした。浮かない顔だな」

上皇様の件は、あれで良かったのですか」

「世の在(あ)り方が変わったことを、西の奴らに知らしめるのは、これしかなかった」

「しかし我らは、帝(みかど)のご一門を流罪にした、大悪人になってしまいました」

「大悪人になったのは私だ。お前たちではない。案ずるな」

 話しながら、義時は突然、杯を落とすのです。泰時が心配して聞きます。

「父上、どうしました」

 義時はそのまま倒れこむのでした。

 義時は、仕事の場に現れます。

「もう大丈夫なのですか」

 と、聞く泰時に、義時は答えます。

「歳をとるというのは、こういうことなのか」

 大江広元が報告します。京で、廃位された先の帝(みかど)を、復権させようとする動きが起こっている。これを許せば、上皇復権してしまう。義時がいいます。

「懲りぬ奴らよ」

 災いの芽は摘(つ)むのみ、と大江がいいます。そうしろ、と義時が命じます。しかし泰時が声を上げるのです。

「お待ちください。幼い先帝の命を奪うおつもりですか」

 義時はいいます。

「我らはこれまでもそうやって来た」

「父上は考えが古すぎます」

「何をいうか」

「そのような世ではないことが、どうしてわからないのですか。そのようなことは、断じて許されません。都(みやこ)のことは、私が決めます。父上は口出し無用。新しい世をつくるのは、私です」

 そう告げると、泰時は立ち去っていきます。残された義時は大江にいいます。

「きれいごとだけでは、政(まつりごと)は立ちゆかぬというのに。腹の立つ息子だ」

「先の帝(みかど)の件、いかがいたしますか」

「死んでもらうしかなかろう」

 運慶(うんけい)(相島一之)は、義時に頼まれていた像を完成させます。それは醜く、小さなものでした。義時はいいます。

「さんざん待たせた挙句、これは何だ」

 運慶はあざ笑います。

「今のお前に瓜二(うりふた)つよ」

 義時は像を斬ろうとして、倒れこむのでした。

 医者が見立てをし、義時に告げます。

「毒」

 毒消しを届けると述べ、医者は去っていきます。

 義時は妻の、のえ、にいいます。

「医者がいうには、誰かが毒を盛ったらしい」

「誰が盛ったのですか」

「お前だ」

「あら面白い」

「お前しか思い当たらぬ」

「あら、ばれちゃった」

「そんなに政村に家督を継がせたいか」

「当たり前でしょ」

「跡継ぎは太郎と決めておる」

「そう思っているのはあなただけ。北条義時の嫡男(ちゃくなん)は政村です」

「馬鹿を申せ」

「八重は、頼朝様と戦った伊東の娘。比奈は、北条が滅ぼした比企の出。そんなおなごたちが生んだ子が、どうして後を継げるのですか」

 義時は笑い声を立てます。

「もっと早く、お前の本性を見抜くべきだった」

「あなたには無理。私のことなど、少しも見ていなかったから。だからこんなことになったのよ」

「執権が妻に毒を盛られたとなれば、威信(いしん)に傷がつく。離縁はせぬ。だが、二度と私の前に現れるな。出ていけ」

「もちろんそうさせていただきます。息子が跡を継げないなら、ここにいる甲斐もございませんし。死に際(ぎわ)は、大好きなお姉さまに看取(みと)ってもらいなさい」

「行け」

「そうだ。私に頼まれ、毒を手に入れてくださったのは、あなたの、無二(むに)の友、三浦平六(義村)殿よ。夫に死んでほしいと相談を持ち掛けたら、すぐに用意してくださいました。頼りになるお方だわ」

 夜、義時は三浦と向かい合って座ります。

「まあ、一杯やってくれ」と、三浦の椀に義時は注ぎます。「のえ、が体に効く薬を用意してくれてな。それを酒で割って飲むとうまい」

「俺はいい。元気がありあまっている。普通の酒にするよ」

「一口だけでも飲んでみろ」

「いや、いい」

「長沼宗政が白状したぞ。また裏切るつもりだったらしいな」

「そうか。耳に入ったか」

「お前という男は」

「もし裏切っていたら、こっちは負けていた。つまり勝ったのは俺のおかげ。そういうふうに考えてみたらどうだろう」

「飲まないのか」

「匂いが気に入らん」

「濃くしすぎたかな。うまいぞ。それとも、ほかに飲めない訳でもあるのか」

「では、いただくとしよう」

 と、野村は一気に飲み干します。

「俺が死んで、執権になろうと思ったか」

「まあそんなところだ」

「お前には務まらん」

「お前にできたことが、俺にできないわけがない。俺はすべてにおいてお前に勝(まさ)っている。子供のころからだ。頭は切れる、見栄えはいい、剣の腕前も俺の方が上だ。お前は何をやっても不器用で、のろまで。そんなお前が今じゃ天下の執権。俺はといえば、結局、一介(いっかい)の御家人にすぎん。世の中不公平だよな。いつか、越えてやる、お前を越えて、越えて……いかん、口の中がしびれてきやがった。これだけ聞けば満足か」

「良く打ち明けてくれた。礼に俺も打ち明ける。これはただの酒だ。毒は入っておらん」

「ほんとだ、しゃべれる。俺の負けだ」

「平六、この先も太郎(泰時)を助けてやってくれ」

「まだ俺を信じるのか」

「お前は今、一度死んだ」

 三浦は義時の前に座り直します。

「これから先も、北条は三浦が支える」

「頼んだ」

 泰時は文書を記しています。ところどころに訂正の跡が見られます。泰時は妻の初(福地桃子)を呼び止めます。

「見てくれ。書いてみた。御家人たちの中には、学のない者たちもおり、彼らにも読めるようなやさしい言葉で、武士が守るべき定めを書き記そうと思う」

 初は笑います。

「まじめ」

「何が悪い」

「悪いとはいってない。えらい、といっています」

「初めてほめられた」

 と、泰時は嬉しそうにするのでした。

 やがて泰時は、江戸時代まで影響を及ぼす法を制定します。御成敗式目(ごせいばいしきもく)です。これにより、泰時が政治を行う間は、鎌倉で御家人の粛清は、一切起こりませんでした。

 義時は衰弱しています。政子が義時にいいます。

「たまに考えるの。この先の人は、わたくしたちのことをどう思うのか。あなたは上皇様を島流しにした大悪人。わたくしは身内を追いやって、尼将軍に上り詰めた稀代(きだい)の悪女」

「それはいいすぎでしょう」

「でもそれでいいの。わたくしたちは、頼朝様から鎌倉を受け継ぎ、次へつないだ。これからは争いのない世がやってくる。だからどう思われようが気にしない」 

「姉上は、たいしたお人だ」

「そう思わないと、やってられないから」

「それにしても、血が流れすぎました。頼朝様が亡くなってから何人が死んでいったか」義時はその名前を挙げていきます。「これだけで十三。そりゃ、顔も悪くなる。姉上、今日はすこぶる体が悪い。あそこに薬があります。取っていただけませんか。医者にいわれました。今度、体が動かなくなったら、その薬を飲むように、と。私にはまだやらねばならぬことがある。隠岐上皇様の血を引く帝(みかど)が、返り咲こうとしている。何とかしなくては」

「まだ手を汚すつもりですか」

「この世の怒りと呪いをすべて抱えて、私は地獄へもっていく。太郎(泰時)のためです。私の名が、汚れる分だけ、北条泰時の名が輝く」

「そんなことしなくても、太郎はきちんと新しい鎌倉をつくってくれるわ」

「薬を」

「わたくしたちも、長く生きすぎたのかもしれない」

 そういって政子は薬を床に流すのです。

「姉上」

「さみしい思いはさせません。私もそう遠くないうちにそちらへ行きます」

「私はまだ死ねん」

 と、泰時は、こぼれた薬をなめとろうとします。すかさず政子がそれを拭(ふ)き取るのです。

「太郎は賢い子。頼朝様やあなたができなかったことを、あの子が成し遂げてくれます。北条泰時を信じましょう。賢い八重さんの息子」

 義時は息も絶え絶えにいいます。

「確かにあれを見ていると、八重を思い出すことが」

「でもね、もっと似ている人がいます。あなたよ」

「姉上。あれを太郎に」

 義時が指さした先には、頼朝が持っていた、小さな観音像がありました。

「必ず渡します」

 義時は息絶えるのです。政子は泣きながらいいます。

「ご苦労様でした。小四郎」