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『映画に溺れて』第145回 世にも面白い男の一生 桂春団治

第145回 世にも面白い男の一生 桂春団治

平成二十年七月(2008)
神保町 神保町シアター

 

 松竹新喜劇の演目に『桂春団治』があり、長谷川幸延原作の小説を館直志が戯曲化したもので、館直志とは渋谷天外(先代)のペンネームである。渋谷天外著『わが喜劇』(三一書房)に戯曲が掲載されており、松竹新喜劇による初演は終戦の翌年の昭和二十六年となっている。
 舞台では何度も繰り返し上演され、私は昭和六十二年、新橋演舞場で観劇した。主演は藤山寛美であった。
 映画化は昭和三十一年『世にも面白い男の一生 桂春団治』のタイトル、舞台同様に渋谷天外が脚色している。主演は森繁久彌、『夫婦善哉』の一年後であり、淡島千景田中春男や田村楽太がそのまま出ている。
 主人公の初代桂春団治は明治末から昭和初期まで活躍した実在の人気落語家であった。春団治が森繁で女房のおたまが淡島千景、しっかりものの女房と駄目男というのも大阪ドラマ『夫婦善哉』に通じる。
 春団治に入れあげて店を潰す大店の後家が高峰三枝子春団治にころっとだまされる素人娘が八千草薫、そして春団治専属の人力車夫(今なら自家用車の雇われ運転手)が『夫婦善哉』でてんぷらを揚げていた田村楽太。
 エンタツアチャコで一世を風靡した横山エンタツが最後に医者の役でちらっと出ていた。エンタツは軍医の息子だったそうで、そのエンタツの息子が吉本新喜劇で人気のあった花紀京
 映画の出来でいうと、このあと藤山寛美主演、マキノ雅弘監督の東映版のほうがいいのだが、私としては、好きな森繁が出ているだけでうれしい。こんな珍しい作品を上映してくれた神保町シアターにも感謝である。

 

世にも面白い男の一生 桂春団治
1956
監督:木村恵吾
主演:森繁久弥淡島千景高峰三枝子八千草薫、田村楽太、田中春男浮世亭歌楽、西川ヒノデ

 

『映画に溺れて』第144回 夫婦善哉

第144回 夫婦善哉

昭和五十六年十一月(1981)
池袋 文芸坐

 

 森繁久彌が好きなのだ、私は。森繁主演の『夫婦善哉』は学生時代にTVで観て、その後、池袋文芸坐、京橋フィルムセンター、小平市ルネこだいら京都文化博物館と繰り返し観ており、何度観ても楽しめる。私が大阪生まれで、今は失われてしまった昔の大阪が好きだから、よけいにひかれるのだろう。
 原作は織田作之助の小説、舞台は戦前の大阪。根性ドラマや毒々しい吉本タレントがTVでもてはやされる以前の古き良き大阪が描かれている。昔の大阪は万事がやわらかく上品な都会だったのだ。
 船場の大きな化粧品屋、今ならさしずめ大手化粧品会社、その長男の柳吉が芸者と駆け落ちし、妻子を捨てる。生活感や生活能力とは無縁のだらしない男で、これを淡島千景ふんする芸者の蝶子が支える。
 病弱だった本妻が死んで、今度は妹の夫である養子の山茶花究が店を継ぐことになり、あてにしていた親の遺産も手に入らず、相変わらずふらふらと生きていく。
「おばはん、たよりにしてまっせ」ラストシーン、法善寺横町でのせりふ。
 どうしようもなく駄目な男だが、これを森繁が演じると、不思議と全然憎めない。駄目さがかえって魅力にもなるという不思議な味わいなのだ。
 品のいい商家の人たちはこんな風にしゃべっていたのだろう。そう思わせるきれいな大阪弁上方落語の古典作品にだけ残っているようななつかしい大阪弁。朝の連続TVドラマでは決して耳にできない大阪弁。そんな大阪弁を聴きながらどっぷりと入り込める映画である。淡島千景が大阪出身でもないのに、とても大阪弁がうまいのは宝塚にいたせいか。
 森繁は社長シリーズもいいが、やはり『夫婦善哉』は繰り返して観たくなる。

 

夫婦善哉
1955
監督:豊田四郎
出演:森繁久弥淡島千景司葉子浪花千栄子山茶花究田中春男、万代峰子、田村楽太

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第32回 独裁者

 水泳総監督の田畑政治阿部サダヲ)が全種目制覇を目標に挑んだロサンゼルス・オリンピック。すべておいて勝利することは出来ませんでしたが、日本は金、銀、銅合わせて十八個のメダルを獲得し、大活躍を見せました。
 帰国した選手たちは人々から熱狂的に迎えられます。日比谷公園で行われた大市民歓迎会に招かれたのですが、その控え室で事件は起こりました。東京市長の永田秀治郎(イッセー尾形)が前畑秀子上白石萌歌)に声をかけます。
「あなた、なぜ金メダルを穫ってこなかったんだね」あっけにとられる前畑。永田は続けます。「たったひとかきだよ。たった十分の一秒の差で二着になったそうじゃないか。なぜ一着じゃないんだね」
 それを聞いた田畑は怒ります。
「だったらあんたが泳いでみればいい」田畑は永田に詰め寄ります。「前畑君は苦しんで、苦しんでもぎ取ったんだ、銀メダルを。その上、十分の一秒縮めて金メダルを穫れだと。そんなことがよく言えるな」
 田畑を止めに入るかに見えた大日本体育協会会長の岸清一(岩松了)も言います。
「永田さん。これはたたえる会じゃないのかね。選手の健闘を」謝る永田にかまわず岸は続けます。「いいか、国を背負って戦っている者は、選手も、我々役員も、命がけなんだよ」
 永田は、申し訳なかったと前畑に謝ります。その上で言うのです。
「ただね、期待してたのはね、私だけじゃないんだ。全国民がね、君を応援してたんだよ。だから、悔しいんだよ。わかってくれ」
 その言葉を裏付けるように、寄宿舎へ帰ると、前畑に対し、全国から激励の手紙が山ほど届いていました。「悔しい」「四年後のベルリンでは金メダルを」。まるで自分が泳いで負けたような内容でした。前畑は悩みます。
「わからへん。どないしたらええんよ」
 チームメイトの小島一枝(佐々木ありさ)が言います。
「あのつらい練習を、あと四年続けても、勝てる保証ないないもんな」
 前畑は驚きます。
「四年もって、うち二十二よ。女でそんな歳まで泳ぐなんて阿呆よ。そやなかったらカッパや。カッパの秀ちゃんやわ」
 前畑は手紙の束をベッドにたたきつけるのです。同じくチームメイトの松澤初穂(木竜麻生)が慰めます。
「そやけど自分の人生やもの。最後は自分で決めなね」
 そんな前畑を心配し、死んだ父と母が夢枕に立ったのです。二人は声をそろえて言います。
「あと十分の一秒やったのにな」
 前畑は父と母に聞きます。自分は悔しいのだろうか。それさえ前畑はわからない状態でした。母が言います。
「いったんやり始めたことは、途中、やめたらあかん」
「銀メダルって途中なん」
 と、聞く前畑。それにうなずく父と母。
 目覚めた前畑は決意します。
「やらな」
 誰もいないプールに行って水をかぶる前畑。悔しい、悔しい、と叫び続けます。その叫びは、勝つんだ、穫るんだ、に変わっていきます。そして
「金メダル」
 と声を上げて水に飛び込むのです。
 銀座にある大日本体育協会(体協)本部では、協会主事の野口源三郎永山絢斗)と田畑が卓球をしながら話していました。
「なんか違う気がするんだよなあ」
 と、田畑は言います。日本人がスポーツに関心を持ち、熱狂するのはいいことだ。しかしなんか違和感を覚える。
「ぜいたくな悩みだなあ」と、野口は言います。「金栗さんや私の時代の悩みは、日本人がスポーツの意義を理解してくれないことだった。かけっこごときで洋行するのかと、国も民衆も鼻で笑った。スポーツで国を明るくするなんて、俺たちにそんな力があるなんて思いもしなかった。それを成し遂げたんだ」そして野口は田畑の手を握り言うのです。「ありがとう」
 そこへ会長の岸清一がやってきます。天皇陛下に拝謁し、ロサンゼルス・オリンピックの成果を報告し、ドイツがオリンピックを返上するだろうから、東京でオリンピックが開かれるだろう、という見通しを述べてきたところでした。
 しかし岸会長の読みは甘かったのです。ドイツのヒトラーは首相に就任すると、前言をひるがえし、ベルリンでオリンピックをすることにしたのでした。
「話が違うじゃないか」
 と、陸上総監督の山本忠興に当たり散らす岸会長。申し訳ございません、と、謝る山本。
「なんなんだよ、ヒトラーは」
 岸会長は怒りが治まりません。山本が説明します。ナチスの宣伝将、ゲッペルスの助言によるもので、オリンピックを利用してドイツを世界の一流国として認知させるのがねらいのようだ。そしてオリンピックの東京招致に力を尽くしていた東京市長の永田秀治郎は、部下の汚職の責任をとらされ、辞任してしまいました。
 体協に新しい人物が現れます。嘉納治五郎役所広司)の弟子で元国際連盟事務次長の杉村陽太郎(加藤雅也)です。
 昭和八年(1933)の二月。にジュネーブで行われた国際連盟総会にて、満州事変に関して世界各国から糾弾された日本は、国連を脱退しました。これによって杉村も職を失うこととなりました。
 体協の席で杉村は発言します。
「日本が国際社会で孤立しつつある今、オリンピックの東京招致は名誉挽回の好機です」
 ベルリンの次の最有力候補地ローマは、イタリアの独裁者ムッソリーニが指揮をとり、巨大なスタジアムを完成しつつありました。日本は満州事変を世界中から非難され、国連を脱退。東京オリンピックの可能性は低いと言わざるを得ませんでした。
 朝日新聞社では、夜になってから田畑がオリンピックの回顧録を書き始めていました。その田畑に夜食を差し入れてくれる女性がいたのです。それが毎日続くので、お返しに田畑はロスの思い出話を語ります。しかし彼女は全く楽しそうではないのです。それなのに田畑が社を出るまで帰ろうとしません。酒井菊江(麻生久美子)という名でした。
 田畑はお見合いをすることになっていました。それを断ろうと考えます。写真もろくに見ていないのでした。断ることを上司の緒方竹虎リリー・フランキー)に告げてから、お見合いの写真を見てみます。それは酒井菊江その人でした。緒方が菊江と話すところに割り込む田畑。
「結婚しよう」
 と、菊江に言います。
 こうして田畑は酒井菊江と結婚することになったのです。社内で祝福を受ける二人。その余興で出てきたのが、後の古今亭志ん生である美濃部孝蔵でした。酒に酔っています。孝蔵はお座敷や結婚式の余興などで、どうにか食えるようになっていました。師匠連中や売れっ子が嫌がって出ないラジオにも、たびたび出演するようにもなっていました。
 嘉納治五郎はウィーンで開かれたIOC総会に出席します。
 体協の岸会長はぜんそくの発作で入院していました。その岸の元に、杉村が朗報を持って訪れます。ベルリンの次のオリンピック候補地が、東京、ローマ、ヘルシンキにほぼ絞られたというのです。二年後にノルウェーの首都、オスローでのIOC総会で投票が行われます。岸はその総会でのスピーチを頼まれます。
 しかしそれを果たすことなく岸会長は亡くなってしまうのです。
 翌年にアテネで開かれたIOC総会に出席して帰国した嘉納は、いつになく悲観的でした。
「このままでは東京は、はなはだ望み薄であると言わざるをえん」
 ローマの設備は整いつつありました。大理石の競技場は完成間近で、道路の整備も進んでいます。新しい東京市長牛塚虎太郎(きたろう)が体協の席で発言します。
「やはりムッソリーニが。独裁者がいると仕事が早いね」
 田畑は意見を聞かれ、しゃべり始めます。
「誰のためのオリンピックか、って話じゃんねー。ムッソリーニヒトラーもいないんだから日本には」田畑はしゃべり続けます。「何期待してるの、オリンピックに。ただのお祭りですよ。走って泳いで騒いで、それでおしまい。平和だよねえ。政治がどうの軍がどうの国がどうの。違う、違う。簡単に考えましょうよ」
 それを聞いて思いついたのか、嘉納が言います。
「譲ってもらうって言うのはどうだ」あっけにとられる皆。「ムッソリーニにオリンピックを」嘉納は続けます。「そら簡単にはいかない。そらムッソリーニも一生懸命だ。だが、直接会って、理由を話して、譲ってくださいって頼んだら、案外譲ってくれんじゃないかな」
 これに対して、杉村が意外にも賛同します。
ムッソリーニ口説き落とせば、大逆転できる」
 嘉納は大乗り気です。
「よし決まった。ムッソリーニに直談判だ」
 そして嘉納は田畑に命じます。日本の魅力を世界に伝える写真集を作れ、と。嘉納は説明します。
「これまでヨーロッパを巡ってつくづく思い知らされた。彼らは日本を知らない。言葉も通じない。だから、目に訴えるんだよ。日本の魅力をふんだんに盛り込んだ写真集を作って、IOC委員に配るんだよ。ここでオリンピックやりたいなあって、その気にさせるんだよ」
 田畑は仲間たちと懸命に編集作業を行います。そして完成した写真集には、神宮競技場、神宮プールはもちろんのこと、富士山や京都など、景勝地の写真もありました。
 写真集は嘉納にほめられます。
「これさえあれば鬼に金棒。まずローマにおもむき、ムッソリーニを説得し……」
 と言いかけて立ち上がった嘉納は、うめき声をもらすのです。写真集を手から落とします。

 

『映画に溺れて』第143回 みみずく説法

第143回 みみずく説法

平成四年三月(1992)
三軒茶屋 スタジオams

 

 勝新太郎はさすがに名優で、関東出身なのに『悪名』で主演、八尾の朝吉という人物の大阪弁は見事だった。原作は今東光。明治生まれの小説家であり、僧侶であり、国会議員にもなっている。
 大阪河内の八尾を舞台にした今東光の自伝的作品が『みみずく説法』で、主役の和尚を演じるのが、うれしいことに森繁久彌だった。
 森繁には『夫婦善哉』など軽妙な大阪弁を駆使する役柄もたくさんあるが、これは関西生まれの強みであろう。関西出身の俳優は、東京弁大阪弁も両方上手に使える人が多い。
 この映画には八尾の朝吉も脇役で登場し、演じるは勝新太郎ならぬ曾我廼家明蝶。その他、ブラシ業者に山茶花究、その妻に酒井光子、その娘に司葉子、よそ者の成金に田中春男、飲み屋の女将に乙羽信子司葉子の恋人に藤木悠、みんな関西言語圏の出身者。当然のごとく、大阪弁の名人浪花千栄子も出ている。たしか松竹新喜劇の若手だった小島秀哉も出ていたように思う。
 東京弁を話すのは和尚の妻の中村たつと、東京の雑誌編集者横山道代のふたりだけ。
 勝新の『悪名』シリーズ以前の曽我廼家明蝶の朝吉は決してごろつきの無法者ではなく、いかにも河内にいそうな好人物で、微笑ましい。
 それにしても、昔の作品を見るにつけ、森繁はなんていい役者だったんだろうと感嘆せずにはいられない。

 

みみずく説法
1958
監督:久松静児
出演:森繁久彌司葉子乙羽信子山茶花究田中春男藤木悠、中村たつ、浪花千栄子酒井光子横山道代、浜村純、曽我廼家明蝶曽我廼家五郎

『映画に溺れて』第142回 悪名

第142回 悪名

平成十二年五月(2000)
千石 三百人劇場

 私が大阪府八尾高校へ入学したとき、社会科の先生が嘆いておられた。今東光のおかげで河内の悪いイメージが全国に広まったと。人気流行作家今東光が描いた河内人はみな無学で下品、ケチで好色、気が荒く喧嘩っ早い。小説だから、たしかに誇張はあるだろう。みんながみんなそうではなかろうが、実は私の周囲にもそういう人は何人もいたのである。今東光が住職をしていた終戦直後の農村部ならなおさらのことだ。
『悪名』の主人公朝吉は、今東光の住職時代に交流のあった実在のならず者がモデルといわれる。映画は大ヒットした。勝新太郎演じる八尾の朝吉は『座頭市』や『兵隊やくざ』と並ぶ勝新の当たり役となり、シリーズ化される。
 朝吉はどの組にも属さない一匹狼のならず者である。よその村の娘お千代と駆け落ちし、松島遊郭の女郎琴糸といい仲になり、料理屋の女中お絹と結婚。三流やくざ組織の下っ端、モートルの貞を弟分にし、足抜けに失敗して島に売りとばされた琴糸を救いに行く。
 勝新太郎のやんちゃな魅力溢れる映画だが、関東出身の勝新が正確な関西のアクセントでたんかを切ると、大阪生まれの私は妙にうれしくなる。関西出身でない俳優が使う大阪弁は不自然で、語彙もアクセントもでたらめな場合が多く、映画のリアリティを著しく損ねるが、勝新はさすがに名優である。名前は差し控えるが、そこそこ売れていながら、大阪人や京都人を演じて、耳をふさぎたくなるような無茶苦茶な関西弁を平気しゃべる俳優がけっこういるのだ。
 弟分であり、相棒であるモートルの貞の田宮二郎。関西人だけあって、大阪の剽軽なチンピラを軽妙に演じる。モートルの貞は第二作の『続・悪名』で命を落とすが、人気シリーズとなったため、田宮は貞の弟の清二の役で第三作以降も登場、ずっと勝新の朝吉を支え、コンビは全十六作まで続く。
 八尾の朝吉は、実は同じ今東光原作の映画『みみずく説法』にも登場する。朝吉親分を演じるのは勝新ではなく曾我廼家明蝶だった。

 

悪名
1961
監督:田中徳三
出演:勝新太郎田宮二郎中村玉緒、中田康子、水谷八重子浪花千栄子、阿井美千子、倉田マユミ、藤原礼子、若杉曜子、高橋とよ、山茶花究

頼迅庵の歴史エッセイ14

14 柳生久通のキャリア(8)【補遺】

前回で「江戸の北町奉行柳生主膳正久通について」は、終わりますと宣言しましたが、一つだけ忘れていたものがあります。それは長谷川平蔵宣以との比較です。そのため、補遺として追加したいと思います。
ちなみに、あくまでも「北町奉行柳生主膳正久通」については終わりです。日を改めて、「勘定奉行柳生主膳正久通」について書くつもりです。史料の捜索や読み込みを行っていますので、もうしばらくお待ち願います。

さて、閑話休題――。長谷川平蔵宣以(以下「平蔵」と略します。)についてです。
平蔵が火付盗賊改(以下「火盗改」と略します。)に任じられたのは、天明7年9月19日のことです。柳生久通が北町奉行を拝命したのが、天明7年9月27日ですから、ほとんど同時期といってよいでしょう。ただし、このときの平蔵は、同じ火盗改でも、「当分加役」という臨時職のようなものでした。
火盗改は、「幕府の軍事職制の一つである先手頭の兼任」(注1)です。先手組は、役料1,500石で若年寄配下。弓組と鉄砲組とがあり、与力・同心を率いました。江戸城本丸諸門の警衛を司り、将軍他行の際の警固にもあたりました。当然、番方の役職になります。この頭のうち一人が、火盗改という江戸市中の防火と警察の任にあたったのです。本役または定加役といいましたが、冬期の間だけもう一人任命されました。これを当分加役といったのです。その勤務状況を見て、やがて本役を仰せつかる者が多かったようです。

当分加役とはいえ、平蔵の勤務評価が高かったことは、12で見ました。
「加役の長谷川平蔵は勤め方宜しきに付き、先だって御褒美下され候へ」(注2)
 平蔵は、天明8年4月28日に当分加役を免ぜられ、同年10月2日に本役を命じられます。9月10日に久通は、勘定奉行に転じていますので、ほぼ入れ替わりといって良いかと思いますが、このときは平蔵を町奉行にという噂はありません。当分加役でしたから当然のことだと思います。

 ですが、本役になってからも平蔵の人気は高まる一方でした。その故か否かは分かりませんが、どうやら平蔵が、町奉行への昇進を望んでいたというのです。『鬼平と出世』から見てみましょう。
 寛政3年12月20日に北町奉行の初鹿野河内守が亡くなります。このとき後任に名前が上がったのが平蔵だったようです。江戸で最も人気があり、盗賊追捕の功績も高く、かつ、人足寄場設立に尽力し、人足寄場取扱を兼任して軌道に乗せていますので、実績は十分といっても良いでしょう。
 ですが、このときは小田切土佐守直年という人物が、大坂町奉行から任じられ、平蔵は無念の涙を呑みました。寛政元年9月7日も池田筑後守に掠われており、これで2回目ということになります。(注3)

 では、なぜ平蔵は町奉行になれなかったのでしょうか。その理由を「スタンドプレーの多い平蔵は、上司や同僚のうけがあまりよくなく、冷や飯を食わされた」(注3)と山本氏は述べています。江戸の庶民や部下には評判がよかったが、上司の受けが良くなかったため江戸の町奉行になれなかったというのが、『鬼平と出世』のトーンですが、果たしてそうでしょうか。

例によって、『家譜』から、平蔵のキャリアを見てみましょう。
 明和5年12月5日:将軍家治へ拝謁
 安永2年9月8日:父宣雄の遺跡を継ぐ
 同 3年4月13日:西の丸御書院番士(番入り)
 同 4年11月11日:進物の事を役す
 天明4年12月8日:西の丸御徒頭(役料1,000石)へ昇進
 同 6年7月26日:御先(手)弓頭(1,500石)へ昇進
 同 7年9月19日:盗賊追捕の役(火付盗賊改)~同8年4月28日【当分加役】
 同 8年10月2日:再び火付盗賊改【本役】
 寛政7年5月16日:盗賊追捕の役(火付盗賊改)を辞す
 同      19日:死去(年50)

 平蔵のキャリアを見て気付くことは、番方の経験しかないということです。役方の経験のない者をいかに評判が良いとはいえ、旗本の最高ポストの一つである町奉行に抜擢するでしょうか。
確かに町奉行は警察や裁判の仕事もありますが、それ以上に民政が重要です。キャリアを見れば一目瞭然で、平蔵の経験不足は明らかです。人事を担当する者としては慎重にならざるを得ないでしょう。上司の受けが良くなかったために町奉行になれなかったというのは、単なる風説に過ぎないと思って良さそうです。

 では、どうすれば町奉行の目があったのでしょうか。先手弓頭からいったん地方奉行に転出し、そこから下三奉行や勘定奉行を経て町奉行へ(あるいは直接)昇進ということであれば文句のつけようもありません。
寛政7年に亡くなるまで地方奉行転任の話はなかったのでしょうか。それとも人足寄場の御用に掛かりきりで時期を逃してしまったのでしょうか。

平蔵は寛政7年5月に火付盗賊改を辞していますが、これば病を得てのようです。辞去して直ぐに亡くなっています。年50はまだ働き盛りです。
人足寄場を軌道に乗せた実績を見れば、決して民政に不安があったとは思われません。もう少し長生きしていれば、あるいは地方奉行転任もあり得たかもしれません。
残念でならないと思うのは、当時の江戸市民だけではなかったでしょう。


(注1)『旗本たちの昇進競争-鬼平と出世-』(山本博文、角川文庫)、以下『鬼平と出世』と略します。
(注2)『よしの冊子』130ページ
(注3)『鬼平と出世』53ページ

『映画に溺れて』第141回 白い巨塔

第141回 白い巨塔

令和元年七月(2019)
池袋 新文芸坐

 

 一九六〇年代の大阪の大学病院。助教授の財前五郎は天才的な外科医として病院の内外から注目を集めており、三月で退官する第一外科の東教授の後任と目されていた。野心家の財前は言う。教授が大名なら医局員は足軽助教授は足軽頭。教授と助教授とでは天と地ほど違う。なんとしてでも教授になってやる。
 が、東教授は財前の自信過剰で傲岸不遜な態度、週刊誌などへの売名行為を嫌い、学外の優秀な医師を次期教授に推薦しようと画策する。
 東教授の動きを察知した財前は産婦人科医院を経営する義父を通じて医師会に働きかけ、学内で力のある医学部長の鵜飼教授を味方に引き入れる。義父は言う。「なんぼや。なんぼあったら教授になれるねん」
 次期教授の決定は医学部の教授三十一人の投票により行われるので、現金が飛び交い、教授たちは力関係や将来のポストなど、情実に動かされる。医師としての能力なら一番だが、人間性に欠ける財前が果たして教授になれるのか。
 教授選挙で浮足立つ財前が同期で友人の里見助教授から第一内科の癌患者を委託され手術する。誠実で患者を第一に考える里見の意見を無視して、事前の検査をせずに執刀する。手術そのものは見事に成功しているが、その後、患者の容態が悪化し死亡する。患者への処置ははたして正しかったのか。患者側から訴えられ、誤診かどうかの裁判となる。
 原作が山崎豊子の小説であり、大阪が舞台なので、登場人物の大半は関西人という設定である。
 当時の大阪のインテリは公的な場所では関西訛りの標準語、私的な場所ではくだけた大阪弁を話す。田宮二郎の言葉の使い分けが実にリアルで完璧なのだ。
 脇を固めるのが当時の新劇の名優ぞろい。こんなにも豪華な配役が可能であった六十年代。すばらしい時代であった。

 

白い巨塔
1966
監督:山本薩夫
出演:田宮二郎東野英治郎小沢栄太郎加藤嘉田村高廣、下絛正巳、船越英二滝沢修加藤武高原駿雄、石山健二郎、長谷川待子、藤村志保小川真由美清水将夫鈴木瑞穂