日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第449回 フリー・ガイ

第449回 フリー・ガイ

 

令和三年八月(2021)

立川 シネマシティ2

 

 フリーシティの銀行員ガイの一日は判で押したように規則正しい。朝、ベッドで目覚め、飼っている金魚に挨拶し、青いシャツに着替えて、出勤前にいつものコーヒーショップでいつものコーヒーを買う。同じ銀行の警備員バディと道々話しながら職場に入り、窓口業務に就くと、いつもながら銀行強盗に襲われ、床にうつぶせになり、顔を踏まれる。毎日が同じ繰り返しであるが、そのことに疑問を抱くことはない。

 実のところ、フリーシティは仮想現実の世界なのだ。プレイヤーがサングラスの犯罪者になってやりたい放題の悪事を楽しむコンピューターゲームであり、盗んだり暴力をふるったりすれば、それが得点として加算され、使用武器や戦闘能力が増大する。ガイはコンピューターでプログラムされた背景キャラクターに過ぎなかった。

 ゲーム「フリーシティ」は現実世界でミリーとキーズが共同開発した思考するAIが活用されている。ゲーム会社の社長アントワンはそれを認めず、ミリーはプレイヤーとして、ゲームの世界に入り込み、隠された盗作の証拠を探し求めている。

 ある日、フリーシティのガイはバディと道を歩きながら、路上で理想の女性を見つけ、規則正しい日常から逸脱して、あとを追ってしまう。モロトフガールと名乗るサングラスの女性こそ、ゲーム内に隠された謎を探すミリーのアバターだった。

 モロトフガールに恋したガイは彼女に協力するため、銀行業務はそっちのけで大奮闘。ゲーム上に新しく現れた青シャツのヒーロー、ガイの活躍で「フリーシティ」の人気が高まり、アントワンはこのプレイヤーを突き止めるよう社員に命じる。

 アントワンの下で雑用係に甘んじていたキーズは青シャツのヒーローがプレイヤーのアバターではなく、背景キャラクターが自ら思考し行動していることを知る。しかも恋まで。これこそ、自分とミリーが共同開発した考えるAIをアントワンが盗用した証拠だった。

 考えるAIは日進月歩で開発され、様々な分野で活用されている。いつかAIが人類と対立する時代がくれば、『ターミネーター』や『マトリックス』は現実になるだろう。

 

フリー・ガイ/Free Guy

2021 アメリカ/公開2021

監督:ショーン・レビ

出演:ライアン・レイノルズ、ジョディ・カマー、リル・レル・ハウリー、タイカ・ワイティティ、ジョー・キーリー、ウトカルシュ・アンブドゥカル

 

 

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第26回 篤太夫、駿府で励む

 明治元年も暮れになります。篤太夫吉沢亮)は駿府藩庁にいました。

「渋沢篤太夫に、駿府藩の、勘定組頭を申しつける」

 といったのは、駿府藩中老の大久保一翁(いちおう)(木場勝己)でした。

「いえ、お受けできません」

 と、篤太夫は断り、理由を語ります。自分は民部公子から頼まれ、慶喜の返書を受け取りに来ただけだ。駿府藩の家臣である平岡準がいいます。

「その御返書なら、当方から直(じか)に差し出すゆえ、そなたが持参する必要はなくなった」

「それは異な」篤太夫は納得できません。「民部公子は必ず届けよと仰せになられた。上様のご様子を直に聞きたいという兄弟の情さえ叶えていだけぬとは、なんたる非情」

 それについて大久保が説明します。これは慶喜の取り計らいだ。水戸は情勢不安定で、危険な場所だ。篤太夫が水戸に行けば、民部公子に重く用いられる。そうすれば必ず妬まれ、平岡円四郎のように斬られることが予想される。慶喜の心を知り、篤太夫は頭を下げます。

「それがしの思慮が足りず、お恥ずかしい限り。しかし」と、篤太夫は顔を上げるのです。「勘定組頭への仕官は、辞退させていただきたい。今や、駿府徳川家は七十万石の大名に過ぎず、そこに八百万石の頃からの家臣たちが、養って欲しいと押し寄せている。それがしは、一時(いっとき)でも幕臣としていただいた、百姓の矜持(きょうじ)として、録(ろく)をいただくことなく、この地で百姓か、あるいは商(あきな)いをして、心穏やかに、余生を過ごしたく存じます」

 篤はパリで一緒だった杉浦愛藏(志尊淳)と話をします。杉浦は今、学問所で漢学や洋学を教えているとのことでした。二人は大勢の武士たちが列を作っているのを見ます。杉浦はいいます。

「僕は洋行できたから良かった。録もなく、扶持(ふち)米で食いつないでいる元幕臣の方がずっと多い。駿府に流れてきたものの、空き家や馬小屋に泊まるほか無く、民からお泊まりさんと呼ばれ、厄介者扱いだそうだ」

 武士たちは金を受け取るために並んでいたのでした。篤太夫は列の中に、慶喜が将軍になる前からの家臣であり、篤太夫とも共に働いていた川村恵十郎(浪岡一喜)の姿を見つけます。そこへ大久保一翁と共にいた平岡順が、勘定組頭になるように熱心に口説いてきます。断る篤太夫でしたが、平岡の「太政官札」の言葉に反応します。

「その太政官札、見せてもらえますか」

 篤太夫は山と積まれた太政官札を前にします。平岡順がいいます。

「これだ。新政府が諸藩の財政を救うため、石高に応じて一石一両の割で各藩に貸し付けたのだ」

「いや、財政を救うというのは新政府とやらの建前で、これはただの借金です。もしうっかり使い、返すことができなければ駿府は破産しますぞ」

 と、いう篤太夫に、平岡順は、もう半分ほど使ってしまったといいます。篤太夫は驚きます。

「なんと、それだけ多くの金を使い、この先、駿府に金が入ってくる確かな見込みはあるのですか」

 平岡順はうなだれ、いいます。

「頼む渋沢、駿府を救ってくれ」

 篤太夫は多くの家臣たちと、商人たちの前で語ります。

「これ以上、藩の借金を増やさぬためにはこの先、太政官札はもう藩の費用とは思わず、別会計とされたほうがよい。そして、残りの二十五万両分の拝借金である太政官札を、この渋沢に預けていただきたい」篤太夫は、後ろに居並ぶ商人に近づきます。「それがしは、この駿府藩の預かり金と、ここにおられる商人の皆様の金をできるだけ多く集め、新しきこと、始めたいと思っております」篤太夫は、図面を皆の前に広げます。「西洋でいうところの、コンパニーを始めさせていただきたい」

 篤太夫は説明します。西洋では、商人は自分の金だけでなく、民から金を集めて商売をしている。一人ひとりの金は小さくても、集めれば大きな金になる。一人ひとりの力が小さくてできないことも、皆の力を合わせることでそれが可能になる。その商売が大きくなれば、利益が大きくなる。利益で貸借金を返納し、元手を出したものに、利が出た分の、配当金を支払う。ここで川村恵十郎が発言します。

「待て。我らに、商人と共に働けというのか」

 篤太夫は答えます。

「そうです。西洋では、商人と武士は共に働き……」

 篤太夫をさえぎり、家臣の一人がいいます。

「ふざけるな。さようなことができるか」

 他の家臣たちも同意します。商人の方もいいます。

「渋沢様、お言葉ではございますが、商人もなんとも懐が厳しく」

 家臣たちが去り、話はまとまりませんでした。

 篤太夫はその後も旧幕臣や商人らの説得を続け、ついに銀行と商社を兼ね備えた「商法会所」を設立するのです。

 篤太夫は東京に行くことにします。三井組事務所に番頭の三野村利左衛門(イッセー尾形)を訪ねます。

「ついては」と、篤太夫は切り出します。「三井が作られたというこの太政官札を、正金に替えていただけぬかと、ご相談に参りました」

 しかし三野村が用意した正金は、札の額面より二割も安かったのです。

「今はそれぐらいが相場でござんしょ」

 と、いってのける三野村。篤太夫は食い下がりますが、結局は引き下がるしかありませんでした。東京で干鰯(ほしか)や油かすなどを購入している時、篤太夫はザンギリ頭の男に話しかけられます。この辺りは荒っぽい官軍崩れが多い。新政府が官軍の兵に録を払えないため、商人や町人へのゆすり、たかりを黙認している、とのことでした。そして篤太夫は、その男が五代才助(ディーン・フジオカ)であることを知るのです。パリで公儀の一行を苦しめた薩摩の代表でした。しかし篤太夫は五代を見失ってしまいます。

 篤太夫駿府に妻子を呼び寄せます。篤太夫たちの暮らす部屋は、商法会書の中にありました。娘のうたは

「小せえ」と文句をいいます。「じいさまのとこのお蚕様のお部屋よりも小せえに」

 その後、三人は楽しく夕食をとるのでした。

 商法会所に入ろうとする武士に、篤太夫は刀を外すようにいいます。武士の一人が食ってかかります。

「なぜじゃ。なぜそれがしが商人の様な格好をせねばならぬ」

「私も商人です。それに、武士も商人も、上も下もない。むしろここでは、商人の皆さんの方が手練(てだ)れだ」篤太夫は今度は商人に向けて話します。「そしてあなた方も、商人だからと卑屈になられては困る。金だけ儲ければいいと、道理に背くようなことがあってはなりませぬ」

 商人の側から萩原四郎兵衛(田中要次)が話します。

「ほりゃほうだね。駿府にお武家様がたんとおいでになった際は、おいらも頭、抱えました。今まで以上に御用金を頼りにされちゃ、たまらんわと。ほいでも、合本(がっぽん)がええ塩梅(あんばい)に転がりゃ、きっと日本中がまねすることにならあ。おもろい。渋沢様。この茶問屋、萩原四郎兵衛。この先は、矜持をもって協力いたしまする」

 萩原が頭を下げ、商人たちも共に頭を下げるのでした。感激する篤太夫。武士たちの中にいた川村恵十郎が、刀に手をかけるのです。川村は篤太夫に近づき、二本の刀を渡すといいます。

「何から始めればよいのか教えよ」

 そして机の前に腰を下ろすのでした。他の武士たちも次々と刀を外していきます。篤太夫は宣言します。

「我ら駿府が、新しき商(あきな)いの、先駆けとなりましょう」

 こうして、篤太夫が手がけた商法会所は軌道に乗り、順調に利益を出すようになっていきました。

 一方、函館では、土方歳三(町田啓太)が、自分の髪を故郷の日野に届けるように命じていました。そこへ成一郎(高良健吾)がやって来ます。

「俺はこれ以上死に遅れるわけには行かぬ」土方がいいます。「この勢いでは遅かれ早かれ我らは負ける。だとすればせめて、新撰組の名に恥じぬよう潔く散り、胸を張って、あの世で共と酒を酌み交わしたい」

「それならば俺も」

 という成一郎を土方はさえぎります。

「おぬしの友は生きるといったぞ。おぬしも俺とは違う。生のにおいがする。おぬしは生きろ。生きて日の本の行く末を見届けよ。ひょっとすると、その方がよほどつらいかもしれぬ」

 土方は成一郎を落ち延びさせるのでした。

 この数日後、五稜郭が開城します。全ての徳川の戦いが終わったのでした。

 商法会所で一人そろばんをはじく川村を篤太夫は見つけます。

「函館が、降伏したと」

 と、篤太夫は知らせます。

「知っておる」川村は作業をやめません。「俺は、平岡様の命も守れず、いくさでも死に損ない、徳川に捧げられなかった命を持て余してここに来た。皆、そうだ。ただ録が欲しくて流れてきたのではない。徳川のために、何かできぬかと」

 築地の大隈邸では、函館陥落の知らせに、伊藤博文大隈重信などが喝采を上げていました。そこに五代才助が入って来ます。大隈は五代に、フランスから来た民部公子の旅館の賃料などの払い戻しの書類を見せます。大隈は新政府の国庫に入れようとしましたが、その一行の会計係が、民部公子のために徳川が出した金のため、全部駿府藩に引き渡すのが筋だといってきた、と述べます。その財務担当の名前は「渋沢」でした。五代は別の記事を確かめます。駿府藩の渋沢篤太夫は、民部公子の一行に随行した際、自分一個の才覚で四万両の利益を蓄え、この四万両を、駿府藩内に配布……。

「フランスで四万両の利ば蓄えた」

 と、大隈重信は仰天します。

「渋沢」

 と、五代はつぶやきます。

 

『映画に溺れて』第448回 レッド・ドラゴン

第448回 レッド・ドラゴン

 

平成十五年三月(2003)

所沢 シネセゾン所沢

 

羊たちの沈黙』がヒットし、続編の『ハンニバル』が作られ、そして『レッド・ドラゴン』である。これは続編というより『羊たちの沈黙』以前の物語となっている。

 FBI捜査官グレアムは犯罪心理学レクター博士に猟奇殺人事件の助言を求めるが、レクターこそが犯人だと気づき、その瞬間に刺され、自分も相手を拳銃で撃つ。グレアムもレクターも共に重症を負うが、回復したレクターは異常犯罪者を収監する精神病院へ。グレアムは辞職し、妻子と海辺でのんびり暮らしている。

 そこへかつての同僚クロフォードが訪ね、一家皆殺しの猟奇殺人についての助言を求める。五人家族の夫と子供たちが殺され、その死体の前で妻が強姦され惨殺される事件が二件、満月の夜に発生した。

 クロフォードに懇願されたグレアムは再び捜査に加わる。次の満月までに真相を究明しようとし、精神病院に隔離されているレクターに助言を求めるため再会する。レクターは自分を撃って逮捕したグレアムにどんな助言を与えるのか。

 大ヒットした二作に続いて、ハンニバル・レクターアンソニー・ホプキンスが演じ、グレアム捜査官にエドワード・ノートン、元同僚クロフォードにハーヴェイ・カイテル、無残に死ぬ記者がフィリップ・シーモア・ホフマン。そして猟奇殺人鬼にレイフ・ファインズ。名優たちの演技合戦が見ものである。

 実は『羊たちの沈黙』以前に『レッド・ドラゴン』は『刑事グラハム』というタイトルで映画化されていたが、たいして話題にならなかった。レクターがブライアン・コックス、犯人がトム・ヌーナン。同じ原作が予算や配役でこうも違うという見本として、両方見比べるのも面白いかもしれない。ブライアン・コックスもトム・ヌーナンも私は決して嫌いではないが、グラハム役のウィリアム・L・ピーターゼンが今ひとつだった。

レッド・ドラゴン』のラスト、精神病院のレクターを女性のFBI実習生が訪ねてくる。

 

レッド・ドラゴン/Red Dragon

2002 アメリカ/公開20

監督:ブレット・ラトナー

出演:アンソニー・ホプキンスエドワード・ノートンレイフ・ファインズハーヴェイ・カイテルエミリー・ワトソン、メアリ・ルイーズ・パーカー、フィリップ・シーモア・ホフマン、アンソニー・ヒールド

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第26回 篤太夫、再会する

 篤太夫吉沢亮)は、桑畑を抜けて、故郷の血洗島に帰ってきます。辻に長七郎(満島真之介)が座っていました。

「出迎えに来てくれたのか」

 と、篤太夫はたずねます。長七郎は笑い声をたて、いいます。

「どうした、その頭は」

 篤太夫も、髪の毛をさわりながら、複雑な表情で笑います。

「俺も変わっちまったが、日本も変わっちまった。なんと多くの命が奪われたんだ。まさか、平九郎が」篤太夫は声を荒げます。「俺はいったい何なんだ。幕府を倒そうとしたはずが、逆に幕府に仕え、あげく、幕府が倒され、世話になった者の多くが死に、離散し、いまはもう主(あるじ)もいねえ。喜作は今も……」

「相変わらずよくしゃべるのう」長七郎が篤太夫をさえぎります。「栄一、それを俺にいうか。悔しいのは俺だ。俺こそ何も成し遂げられなかった」

 篤太夫は長七郎に近づきます。

「そんなことねえ。俺も喜作もお前を追って、お前を目指して。横浜焼き討ちの時もお前の言葉がなければ、皆、死んでいた」

「だが、お前は生きておる」長七郎は立ち上がります。「生き残った者にはなすべき定めがあると、お前がいったんだ」

 ここで篤太夫は目を覚まします。長七郎とのやりとりは夢だったのです。篤太夫はまだ血洗島に着いていませんでした。

 篤太夫が血洗島に帰ってきます。辻に長七郎はいません。篤太夫は菜の花の咲き乱れる向こうに生家を見るのでした。篤太夫はつぶやきます。

「国破れて山河ありか。何もかも変わっちまったかと思ったら、ここはなんも変わらねえ」

 篤太夫の父の市郎右衛門(小林薫)は、待つことに我慢できず、篤太夫の妻の千代(橋本愛)と、子の、うた、共に道に出ます。市郎右衛門は、うたを抱き上げます。菜の花畑の向こうに篤太夫を認めたうたは、市郎右衛門にたずねます。

「あれはどこかのお殿様ですか」

 市郎右衛門は答えます。

「いや、うた。あれがお前のとっさまだ」

 うたは恥ずかしがって、市郎右衛門の方に顔をうずめるのでした。

 篤太夫が千代とうたに気がつきます。

「おいで」

 と、篤太夫はうたに向かって手を広げます。うたは千代の表情を確認した後、篤太夫の胸に飛び込んでいくのでした。篤太夫はうたを抱き上げます。やがて千代にいうのです。

「みっともねえか」 

「いいえ」千代は嗚咽しながらいいます。「お帰りなさいまし」

「ただいま」

 といい、篤太夫は千代とうたを抱きしめるのでした。家の方では女たちが歓迎の声をあげています。

 しかし篤太夫は歓迎ばかり受けたわけではなかったのです。篤太夫の妹のてい(藤野涼子)がいいます。

「なんだい、自分だけ、けえってきて。兄様が、平九郎さんを見立て養子になどしなければ、今頃、平九郎さんは、村で普通に暮らしてたんだに」

 市郎右衛門がいってくれます。

「おてい。それは栄一(篤太夫)もようく分かってる」

 篤太夫は尾高の家に行こうとします。しかし止められるのです。尾高の家には今、誰もいないというのです。先月、長七郎が亡くなっていたのでした。

 夜、篤太夫の話を聞きに、村の者たちが集まります。篤太夫は面白おかしく、パリで見てきたことなどを語るのです。

「何棟も連なった長屋にそれぞれ車輪が付いてて、それが蒸気機関の仕組みで黒い煙を吐きながら、鉄の道をダダダダダって進むんだ。壁一面には障子ではなく、透き通ったガラスがはめ込んである。あまりに透き通っているもんで、民部公子のお供の者が、何度も頭をぶつけておった」

 翌日、篤太夫に会いに、成一郎の妻である、よし(成海璃子)がたずねてきます。篤太夫はよしに、徳川方が五稜郭を攻め落としたことを知らせます。よしは喜びます。

「そうですか。よかった。では喜作(成一郎)さんたちは函館に新しい国を作れるんだいね」

 その成一郎(高良健吾)は土方歳三(町田啓太)と共に函館にいました。敵も治療するのかと医師の高松凌雲(細田善彦)に、いぶかしげにたずねます。

「怪我人に敵も味方も、富豪も貧乏人もない。私はそれを、もう一人の渋沢とパリで学んだ」

 凌雲は忙しげに治療しながら語るのでした。

 篤太夫は尾高の家を訪ねます。誰もいないはずのそこには、尾高惇忠(田辺誠一)がたたずんでいたのです。惇忠は篤太夫を避けるように、出て行こうとします。

「待ってくれ。兄ぃ」

 篤太夫は呼び止めます。

「俺とて、お前と話がしたい」惇忠は背中を向けたままいいます。「しかしもう、誰にもあわす顔がねえ。いくさで死ぬことも、忠義を尽くすこともできず、ひとりおめおめ生き残るとは」

 篤太夫は惇忠の言葉をさえぎります。

「いいや。兄ぃはいくさで死なねえで良かった。生きててくれて良かった。合わせる顔がねえのは俺だ。パリまで行ってようやく分かったんだ。銃や剣を手に、いくさをするんじゃねえ。畑を耕し、藍を売り、歌を詠み、皆で働いて励むことこそが、俺の戦い方だったんだ。ようやく気付いて、お千代にも、平九郎にも、とっさまにも、かっさまにも、本当に申し訳ねえ。俺は、この恥を胸に刻んで、今一度前に進みたい。生きている限り」

 篤太夫は泣き崩れるのでした。

 篤太夫は長七郎の出てきた夢を思い出していました。長七郎はいいます。

「さあ、前を向け、栄一。おれたちがかつて悲憤慷慨(ひふんこうがい)していたこの世は崩れたぞ。崩しっぱなしでどうする。この先こそが、おぬしの励み時だろう」

 篤太夫は答えます。

「そうだいな。そうだい。生きていれば、新しい世のためにできることはきっとある」

 篤太夫は笑い声をたてるのでした。

 篤太夫は姿勢を正して市郎右衛門に対します。

「喜作を追って、函館の軍に加わる気はありません。知り合いに、パリの知識があれば、新しい政府で勤め先があると勧められましたが、それも断りました。まずはすぐにでも、駿府で謹慎なさっている先の上様にごあいさつにうかがいたいと思っております。その先のことはまだ。商売を始めるか、百姓をするか、先の上様にお会いした後に、自身の方針を定める所存です」

 市郎右衛門は篤太夫に向き直ります。

「それでこそ俺の栄一だ。お前が、この家を出て行くとき俺は、あくまでも、道理は踏み外さず、真(まこと)を貫いてくれといったが、お前はそれを、きちんと守り通してくれた。おかげで俺は、お前の父親だと、胸張っていられる」

 篤太夫は市郎右衛門の前に包みを置きます。篤太夫は家を出るとき、市郎右衛門に百両をもらっていたのでした。おこがましいながら、その金額を「土産」として受け取って欲しい、と差し出したのです。

「せっかくのことだ。ありがたくいただいておこう」市郎右衛門は包みを受け取ります。「ただ、こうなったからにはこの金子は俺のものだ。俺の好き勝手に使わせてもらうで」市郎右衛門は立ち上がって、千代の前に包みを置きます。「お千代。お前は、六年もの間、つらいことにも耐え忍んで、実にまめやかにこの家のために尽くしてくれた。こんなことは、ふだん、恥ずかしくていえねえが、ずっとうれしく思ってた。これはその褒美と思って、取っといてくんない」

 栄一の母のゑい(和久井映見)もいいます。

「ずっとさびしかったんべ。なのに、ちっとも不服もいわねえで。よく耐えてくれたね」

「ありがとうございます」

 と、千代は涙を流して頭を下げるのでした。

 篤太夫は、慶喜のいる駿府に向かいました。幕府の直轄領だった駿府は、慶喜、そして江戸を追われた徳川家家臣たちの受け皿になっていたのです。

 篤太夫駿府藩庁にて、駿府藩中老の大久保一翁(いちおう)に述べます。

「拙者は、このたびの洋行の報告書と、民部公子のため買い求めた、物品調度の目録、そして費用の余り金、一万両でございます」

「一万両」

 と、大久保は聞き返します。篤太夫は続けます。

「また、こちらは、民部公子から、先の上様への御直書(じきしょ)でございます。上様にお目通りがかなわぬゆえ、これをお渡しし、お返事を、必ず水戸へ届けるようにと、申しつかりました」

 数日後、篤太夫慶喜のいる法台院に呼ばれました。部屋で待っていると寺の者らしい服装の男が入って来ます。それが慶喜(草彅剛)だったのです。慶喜を目の前にした篤太夫は感情があふれ出します。

「なぜ、こうなってしまわれたのか。政(まつりごと)の返上はともかく、鳥羽や伏見のいくさにしても、なんとか他に、手の打ちようが」

 慶喜は篤太夫をさえぎります。

「今さら過ぎ去ったことを、とやかく申しても、詮方(せんかた)ないことではないか。私は、そなたの嘆きを聞くために会ったのではない。そなたが、昭武(あきたけ)のフランスでの様子を、告げ知らせに来たと聞き、それで会おうと参ったのであるぞ」

 篤太夫はひれ伏します。打って変わって面白おかしく、パリでの出来事を語るのでした。慶喜は一通り聞くといいます。

「渋沢よ。万里の異国にあって、さぞ苦しく、骨を折ったことであろう。このたび、昭武がさわりなく帰国できたのも、ひとえにそなたのおかげだ。礼を申す」

 そういうと慶喜は篤太夫に向かって頭を下げるのでした。慶喜は部屋を出て行こうとします。

「上様」篤太夫は絞り出すような声を出すのです。「どんなにご無念だったことでございましょう」

 慶喜は何もいわずに去って行きます。篤太夫はいつまでもひれ伏し続けるのでした。

 

『映画に溺れて』第447回 羊たちの沈黙

第447回 羊たちの沈黙

平成三年十一月(1991)
池袋 文芸坐

 

 不気味な映画だった。おぞましい場面があるからぞっとするのではない。映像と音楽と俳優たちの演技で不気味な雰囲気を醸し出していた。
 ジョディ・フォスターふんするFBI実習生クラリスがランニングしている場面から、すでに不安をあおりたてるような始まりなのだ。
 被害者の女性が皮膚を剥がされた死体で発見されるという連続猟奇殺人事件。
 クラリスは上司クロフォードに呼び出され、事件の手がかりを得るために、異常犯罪の専門家に会いに行く。
 ハンニバル・レクター博士。ふんするはアンソニー・ホプキンス
 天才的な犯罪心理学者でありながら、殺人鬼であり人肉嗜食者であり、異常犯罪者を収容する特殊精神病院に隔離されている。
 古城の地下室を思わせるような監房にクラリスが降りて行く場面でぞくぞくする。そして、ガラス戸の向こうに拘束されたレクターが姿を現す。
 一見知的で温厚な紳士である人食いレクターは、彼女の服装や話し方から出身や階層までを推理する。彼はまったく意外なタイプのシャーロック・ホームズなのだ。
 レクターはクラリスを気に入り、彼女が示す手がかりに助言を与える。
 そんな最中に上院議員の娘が誘拐され、犯人は一連の猟奇殺人鬼だとわかる。
 出世主義者の病院長チルトン博士によって、レクターは地方の刑務所に移送される。
 クラリスはレクターの言葉にヒントを見つけ独自に犯人を追う。
 やがて、レクターはトリックを使って刑務所を脱出する。
 事件解決後、クラリスの表彰パーティの会場にレクターから祝いの電話がかかるラスト。レクターはこれから旧友と食事だからといって電話を切るが、彼の食事とは。
 レクター博士役でアカデミー主演男優賞を受賞したアンソニー・ホプキンス出世作であり、その後『ハンニバル』『レッド・ドラゴン』でもレクターを演じた。

 

羊たちの沈黙/The Silence of the Lambs
1991 アメリカ/公開1991
監督:ジョナサン・デミ
出演:ジョディ・フォスターアンソニー・ホプキンス、スコット・グレン、テッド・レビン、アンソニー・ヒールド

 

 

『映画に溺れて』第446回 キャラクター

第446回 キャラクター

 

令和三年六月(2021)

六本木 TOHOシネマズ六本木ヒルズ

 

 ホラー漫画を愛する青年がいる。山城圭吾は長年、著名な漫画家のアシスタントをしながら、なんとか独立して一本立ちしようと新人賞に応募し続けている。いつもいい線までいくのだが入選は一度もしていない。絵が抜群にうまく、ぱっと見てなんでもスケッチしてしまう。そんな才能の持ち主がなぜプロの漫画家としてデビューできないのか。

 ようやく面談が叶った人気雑誌の編集者に言われる。絵はよく描けているが、キャラクターが凡庸で、全然魅力がないと。彼自身、根が善人で優しすぎて凶悪な人間が描けないのだ。

 そんな山城がたまたま猟奇殺人の現場に出会う。一家四人をナイフで残忍に刺し殺し、死体をロープで椅子に縛り付けて、これ見よがしに展示したかのような恐ろしい情景である。逃げ去る犯人をちらっと目撃するが、警察での取り調べで、そのことは黙っている。そして、家に帰るなり、憑かれたように机に向かって描き始める。

 一年後、一家四人殺しの猟奇殺人を題材にした『34(さんじゅうし)』という作品が大ヒットし、山城圭吾は超売れっ子の漫画家となっている。主人公の殺人鬼の顔は、彼が一年前に目撃した犯人がモデルである。

 その後、前科者の変質者が犯人として逮捕され、事件は解決したかに思えたが、山城は気が気でない。彼が目撃した真犯人とは似ても似つかない中年男なのだ。案の定、第二の猟奇犯罪が発生する。山城の『34』に描かれた第二の一家四人殺しをそのまま再現したものだった。やがて彼の前に犯人が姿を現す。

 あれは山城先生と僕との合作ですよね。先生の『34』は大好きです。

 猟奇犯罪ものは配役がリアルでないとしらけるのだが、まったく見事である。山城圭吾役の菅田将暉、真相に迫る熱血刑事の小栗旬、そして不気味な犯人のFukase。これに加えて先輩刑事の中村獅童、編集者の中尾明慶もいい雰囲気。

 人気漫画の映画化が多いので、これもそうかと思ったら、オリジナルストーリーであるとのこと。仲のいい家族が次々に標的にされるのは『レッド・ドラゴン』を思わせる。

 

キャラクター

2021

監督:永井聡

出演:菅田将暉Fukase高畑充希中村獅童小栗旬中尾明慶松田洋治宮崎吐夢岡部たかし橋爪淳小島聖、見上愛、テイ龍進、小木茂光

 

書評『果ての海』

書名『果ての海』                    
著者 花房観音
発売 新潮社
発行年月日  2021年8月30日
定価  ¥1750E

 

果ての海

果ての海

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 花房観音の最新作『果ての海』は舞台を日本海側のわびしい町、主人公は京都文化圏を故郷とするという、花房作品のエキスを濃厚に取り入れた上に、サスペンスの要素も加わった意欲作である。
 物語は鶴野(つるの)圭子(けいこ)46歳が、ある年の10月に、埼玉県川口市内で同居する愛人・糸井(いとい)慎吾(しんご)55歳の死に直面するところから始まる。
圭子には「死ぬか」、「警察に出頭するか」の選択の他に、「逃げるか」というもう一つの選択肢があった。
 男運が悪く、不幸なシングルマザー、学歴も資格も才能もなくて、容姿にも自信の無い冴えない女である圭子は慎吾と内縁の関係にあり、娘灯(あか)里(り)と共に川口市内の駅から徒歩10分の慎吾の持ち家に住んでいた。慎吾に妻と3人の子供がいるのは当初からわかっていたことだった。「慎吾のおかげで暮らせているし、娘だって大学に行くことができた。だから、慎吾に嫌われ捨てられてはいけない」と、愛人の言いなりになることで生きてきた中年女であった。
 圭子はそんな自分が大嫌いだった。母親としても最低の自分を捨てて、生き直したい。だから逃げた。「逃げる」という選択を選んだのである。

 圭子の生まれた場所は若狭湾に面した京都府丹後の宮津市、父の故郷であった。 三歳まで日本海のそばで育った。三歳で両親が離婚したのだ。母の田舎の千葉で祖父母に世話になって育った。父親の輪郭さえ霧の彼方であり、故郷の記憶といえば広い空と青い海であり、海のある場所で暮らしたいと思っている。
 逃げるに際し、圭子は整形する。整形して顔は美しくなり、若返り、顔を変えて別人となる。ここに、出会い系のサイトで知り合った元ホストの若くて美しい男・「鈴木太郎」が登場する。鈴木と出逢ったのは事件の半年前というから、桜の季節か。得体の知れない人間の鈴木に圭子は整形を斡旋してもらい、逃亡の手助けを頼んだのだ。
 10月の終わり。逃げた先は「関西の奥座敷」といわれる北陸の芦原(あわら)温泉。
 事件発生から10日ほどが経っている。その間、圭子は新大久保当たりの安いビジネスホテルにでも潜んでいたのだろうか。娘灯里への連絡はどうしたのだろうか。
 整形して顔を変えた圭子は、温泉地でコンパニオンをしている。
 圭子は「倉田沙(くらたさ)世(よ) 43歳、東京生まれの東京育ち。若いときに結婚、専業主婦をしていたが、離婚して仕事を探している。バツイチ 子供はいない」との嘘の経歴で、芦原温泉の「花やぎ旅館」の住み込みの仲居となる。

 このように「あらすじ」を書き出すと、多くの読者は「松山ホステス殺害事件」の犯人・福田(ふくだ)和子(かずこ)を想起するであろう。和子は犯行後、1997年に逮捕されるまで、美容整形を繰り返しては顔を変え、偽名を使い逃走し、福井市金沢市などの全国のキャバレーを転々とする生活を送った。
 福田和子と圭子の違いは、福田の逃走劇が15年に及んだのに比し、圭子はわずか半年足らずで終わりを告げることである。
 仲居の圭子はやがて、「美人」を武器にスカウトされて、コンパニオンとなる。
 芦原で、東尋坊でと、ストリッパーのレイラとの出会いがある。圭子は自分と同い年のレイラという踊り子に惹かれる。「芦原の舞姫 雪レイラ嬢」は北陸で唯一残っているストリップ劇場「あわらミュージック劇場」で、女のすべてをさらけ出し、生きていることを見せつけて踊っている。レイラの舞台を見て、多くの人が感動したように圭子も感動する。したたかに生き抜く女の生き方に自分にないものを見出して感動したのだろう。北海道は道東の出身であるというレイラ。ストリッパーになる他に生きる術はなかったのか。互いの生い立ちからつらい体験までが赤裸々に語られることはないが、二人にはなぜかひかれあう運命的なものがあったのだろうか。
 レイラも圭子に好意を持ち、親切にしてくれる。越前海岸、永平寺でと、親密になっていく。が、圭子はレイラとの距離が縮まっていくことが怖い。自分は逃亡者であり、追われる身なのだ。いつまで逃げられるかわからないが、このままの生活が続けばいいと思っている。

 この世で唯一、「沙世」が「圭子」であることを知っている鈴木が死ぬ。鈴木は鶴野圭子を生き返らせてくれた、かけがえのない存在だった。圭子は鈴木のおかげで「急造の「美人」となり、別人を演じることで、生き直すことができたのである
 レイラの他に、登場人物で重要な役割を演じるのは、同じコンパニオンとして働くアカリこと片山聡子である。アカリは娘の灯里と同い年で、同じ名前という奇縁で結ばれている。圭子のコンパニオンとして最初の仕事は「70歳を超えた坊主6人の宴席」で、そのとき、コンビを組んだのがアカリであった。
 圭子には一人娘の灯里 23歳がいる。父親のいない子どもとして生まれ、今は逃亡犯の娘である。
 心の奥底にあつい人情がある芦原は居心地のいい場所だった。圭子はそんな芦原が好きだったか、どうしても人間関係のしがらみが生じてしまう。芦原に来てから接した人々には訳アリと察して同情するもの、下に見て、優越感に浸るものもいるが、「女を売る女」コンパニオン派遣の会社オーナーの咲村美加、圭子を採用した「上司」でしつこく誘いのLINEを送って来る“雇われ支配人”の和田、のように愛情と見せかけて支配しようとするものもいるのだった。
 自分は逃亡者だから、目立たぬように、厄介事に巻き込まれないように生きていくつもりだった圭子は、和田の誘いを断った3月にはすでに「逃げる」ことを決心していた。
 逃亡の旅。顔を変えて逃げる殺人事件の容疑者たる圭子は「京都から何処へ行こうか」と思案する。花房文学の起点は京都なのである。さて、「逃げて何処へ行く」。身寄りもなく、戻るべき実家もない。灯里は唯一の身寄りだが灯里を頼って戻れるはずもない。
 本書は8章構成。最終章の「8」では、ふたりの「あかり」が“母”を語る。
圭子にとって、結婚もせずに、ひとりで産んで育てた子どもだけは確かな存在だ。娘には何事も知らせずに逃げてきた自分は最低の母親であり、すまないという気持ちはある。逃亡中の圭子は灯里のインスタを検索して灯里はどうしているかと娘の状況を知ろうとする。
 一方、灯里は、あの母が、整形して顔を変え、温泉地でコンパニオンをしていたと聞かされて、想像もつかなかった母の姿に思いを致す……。アカリは「倉田沙世」から、「ひとりで生きていける人間になりなさい」と言われたことを思い出している……。
 主人公圭子の人間像と、意図せずとも「倉田沙世」に関心が向く登場人物たちの人物造形が秀逸でラストに至るまで目が離せない。
 人と人との出会いの面白さ、そして、出会いによる人間関係がもたらすしがらみが、行間から染み出す余韻となってこだまし、ラストまで関わっていく。
 鶴野圭子という中年女の数奇な逃走劇を辿ることにより作家が熱い思いを込めて描こうとしているものは、単なる男女の愛憎でも、母と娘の愛憎でもなく、家族とは何かでもない。人間存在の生きるとは何かである。
 東尋坊に佇み日本海を見つめる圭子と灯里の心象風景を、作家は次のように描写している。「逃げないといけないのかも。けれど、どこへ。断崖の向こうの深く青い海、この世の果ての美しい海、果ての海」(圭子)、「多くの人の死を呑みこんできた、深く青い海」(灯里)と。果ての海は“情”の海流であり、“故郷”への回路であることがわかる。書名『果ての海』の由来はここにある。

 

            (令和3年9月5日  雨宮由希夫 記) 

 

 

『映画に溺れて』第445回 プロミシング・ヤング・ウーマン

第445回 プロミシング・ヤング・ウーマン

令和三年七月(2021)
立川 キノシネマ立川

 

 凄惨な復讐劇でありながら、どことなくユーモラスで、方向が変わればラブコメディになっていたかもしれないと思わせる奇妙な味わいである。
 カサンドラ・トーマス、通称キャシーは両親と同居、昼間は知り合いのカフェで働き、夜は酒場でべろべろに酔いつぶれている。下心のある男が声をかけ、自宅に連れ込み、事に及ぼうとすると、「あんた、なにする気?」突然素面に戻って男をあわてさせる。酔ったふりをして男を愚弄する危険なゲームを彼女はなぜ続けているのか。
 十年前、キャシーは優秀な医学生で、幼馴染で親友のニーナも同じ医学部に通っていた。ある夜、学生たちのパーティで酔ったニーナがみんなの見ている前で男子学生に強姦される事件が起きる。大学側は将来有望な男子学生に瑕をつけるにしのびずと、ニーナの被害届を無視し、告訴も却下される。ニーナは自殺し、キャシーは大学を中退した。
 そんな彼女の前に当時の学友ライアンが現れる。たまたまカフェに寄っただけだが、十年ぶりに懐かしい会話を交わし、その後、デートに誘われる。当時の学友の近況が話題となり、ニーナを強姦し死に追いやった男子学生は、今では医者として成功し、近々金持ちの美人と結婚するという。キャシーの中で怒りが煮えたぎる。
 だが、ライアンと会うのは楽しい。小児科医となったライアンは他の男たちと違い、誠実で優しくユーモアのセンスがあり、キャシーはいつしか彼と愛し合い、家に招いて両親に紹介するまでになる。
 過去への復讐を忘れ、ライアンとの今のしあわせを選ぶべきか。揺れ動くキャシーにさらに新たな真実が突きつけられる。
 キャシーの本名がカサンドラ。この名前には意味がある。トロイの王女カサンドラアポロン神に愛され、予言の能力を与えられる。それゆえ、アポロンの心変わりが見えてしまい愛を拒絶する。怒ったアポロンは彼女の予言に条件を加える。予言は必ず当たるが、だれひとりそれを信じる者はいないと。

 

プロミシング・ヤング・ウーマン/Promising Young Woman
2020 アメリカ/公開2021
監督:エメラルド・フェネル
出演:キャリー・マリガン、ボー・バーナム、アリソン・ブリークランシー・ブラウン、ジェニファー・クーリッジ、ラバーン・コックス、コニー・ブリットン

 

頼迅庵の新書専門書レビュー13

 頼迅庵の新書専門書レビュー13


『地図で考える中世 ―交通と社会―』(榎原雅治、吉川弘文館

 

 

 歴史・時代小説を書くためには、その時代の景色や生活を理解する必要があります。日本の中世を舞台に、あるいは背景にした作品はそれほど多くありませんが、歴史学の分野では中世史の研究が活発になって多くの成果が蓄積されてきました。では、その頃の都市や交通はどうなっていたのでしょうか。「交通と社会」という副題を持つ本書は、そのことを考えるうえで興味深い専門書です。
 本書は、4部11章(序章を含む)と補論2つから成る367ページ(あとがきを含まず)に及ぶ専門書です。それぞれ関連はありますが、もともと独立した論文として発表されたものです。研究者ではない私には、単なる紹介しかできませんが、読んでいて様々な刺激を受けることとなりました。中世の人馬の動きや宿泊、旅館等に興味がある方は、ぜひどうぞ――。

 

 本書は「13世紀から16世紀半ばころまでの陸上交通の具体的な様子を検討することによって、中世日本社会の一端を垣間見ること」を目的としています。序章で「連釈之大事」という文書に注目しますが、これは中世の行商人である連雀商人(注1)に伝わった秘伝書で、そこには当時の小都市(注2)の構造を示した図があるのです。
 本書では、それを「宿立図」と再命名(注3)し、このような中世都市が実在したのかをまず検討しています。そこには、宿(小都市)の両端を阿弥陀と薬師で結界し、門外に旦過屋と風呂屋が描かれているのです。宿の大きさは360ヒロ(注4)、広さ12ヒロあると記されています。

 

 第1部第1章では、海道の近江国守山宿、柏原宿、尾張国下津宿(斯波氏の守護所)、萱津宿(中世東海道で最も賑わった宿の一つ)、遠江国見附宿(入り海で今之浦に面した湊町)、藤枝宿、相模国葦河宿、酒匂宿(鎌倉に最も近い宿)を昔の絵図や地図などから検討し、いずれも東海道に沿って伸びる軸線(町並み)を持っていること、阿弥陀如来薬師如来を本尊とする、あるいは所縁のある寺などがあることを論じています。宿立図にある構造と同じだということです。
 また、三河国矢作川西岸の矢作西宿(東宿は、鎌倉時代三河国の守護所)、豊川西岸の渡津宿、天竜川東岸の池田宿を検討します。これにより東海道が横断する河川には、その両岸に宿があり、町並みは東海道ではなく、渡るべき河川と平行し、東海道とは直交する形で存在していたことが分かります。当時、橋が架かっている河川は珍しく、多くは船で渡るか浅瀬を見つけて歩いて渡っていたようです。
 ただし、阿弥陀如来で結界された宿は、「尾張三河、相模では見いだせるが美濃では見いだせず、遠江で2例、駿河で1例のみ」でした。

 山陽道の宿では「宿立図」に「合致する事例は1つも見いだせない」ことから、第2章では、鎌倉街道上道((注5)以下「上道」と略します。)の宿を検討しています。
 阿弥陀と薬師を検出できる事例として、小野路宿(現町田市小野路)、関戸宿(現多摩市関戸)、久米川宿(現東村山市久米川町)、入間川宿(現狭山市入間川)、女影宿(日高市女影)、苦林宿・大類宿(入間郡毛呂山町川角・大類)、大蔵宿(比企郡嵐山町大蔵)、奈良梨宿(比企郡小川町奈良梨)、塚田宿・高見宿(本庄市赤浜・高見)、児玉宿(本庄市児玉町児玉)、板鼻宿安中市板鼻)を取り上げます。
 上道は東海道と同様あるいはそれ以上に「宿立図」の描く小都市の理想空間に合致する事例が多いようですが、上道の支線である下野線や川越街道では見いだせないようです。

 

 第3章では、三河国山中郷の土地台帳名寄帳や上州下室田の町割図の検討等を通じて中世の宿は、幹線道に沿って500~700メートルにわたって片側30軒程度の在家が並び、一軒の在家の敷地は、間口10~13間程度であったこと。それぞれの在家は、建物の周囲に作業庭をもっていたと推定しています。(注6)
 また、法隆寺僧快訓の日記(延徳2年(1490))によると、当時の「宿賃」が300文から800文であること、食事(「旅籠」というらしい)が供されていたこと、50~100文程度の「座敷賃」を支払っていたようです。本書では、座敷賃とは、庭の使用料(馬つなぎ等)ではないかと推測しています。

 第2部では、そうした宿を誰が作ったのか、中世社会の中にどう位置づくのかを検討しています。
 第1章では、室町期の旅ではしばしば寺院が宿泊所として利用されていたこと、小栗判官伝承から時衆やそれに共感した人々によって社会的弱者のための宿送りも中世社会に広がっていたこと等、時衆の活動と交通へのかかわりを検討し、時衆たちが交通路の物理的な構築、宿送り、宿泊施設の経営などに関わっていたとしています。
 また、播磨西部東大寺領矢野庄内(山陽道)の二木宿を取り上げ、小河(二木)氏は、その二木宿の長者で、交通・運輸にも関与していた地元の武士でもあり、それによってなした財を元手に荘民対象の金融、守護から人夫挑発があった場合の減員交渉や必要人員の雇用、荘園領主に対する年貢の代納など多様な活動を行っていたことを紹介しています。(注7)

 第2章では、鎌倉後期に始まった三河浄土真宗が、戦国期には東海道や矢作宿の水系を通じて、奥三河高原の谷々や、下流の平野部の村々に浸透していた様子を見ながら東海道の宿は、東西の陸路だけでなく、南北の水上交通の接点でもあったと結論づけています。

 第3章は中世の旅館等の概観です。事例等を検討し、それぞれ次のように述べています。
① 鎌倉時代には遊女自身による宿泊施設があり、宿泊を許すかどうかを判断していました。また、他の生業もあわせた者の影響する宿泊施設が並んでいたのです。
② 南北朝・室町期になると屋号をもった専業の旅館の存在が見られるようになり、奈良は転害大路や今小路、伊勢の宇治や山田(御師の経営、京都では三条や五条あたりに建ち並んでいました。また、馬を提供する旅館もあり、そのうえ、飛び込みだけでなく予約しておくシステムもあったようです。ちなみに、有馬の町には、二階建ての旅館が建ち並び、二階を客室とし、一階は家主の住居としていました。
③ 宿の長者同士の婚姻関係をともなった情報交換のネットワークがあり、それが強力な統治能力を欠いた地域でも円滑な陸上交通が可能な状況を生み出していました。つまり政治的に不安定な地域でも旅にそれほどの支障がなかったわけです。
④ 旅館は旅行者に宿泊場所や食事を提供するだけではなく、馬を所有し、近辺の住人に貸して馬借としての営業をさせるような活動も行っていました。
⑤ 宿から宿まで送夫、兵士をつけて送り届ける宿送りが、幕府の命令だけでなく礼銭を伴う依頼があれば、守護や被官たちによって宿送りの兵士が手配されたのではないかと述べています。さらに、兵士が山中やその入口で雇われ、そのまま鎌倉や京都の近傍まで護衛してきたことは十分考えられるし、それは当然、山賊とは裏腹の関係であったろうと述べています。つまり、安全に旅をするには、相応の通行料が必要だったというわけです。
⑥ 旅館は、また領主支配の拠点でもあったようです。

 第3部は、阿弥陀と薬師に加え、旦過と風呂を結界に持つ町場を検討していますが、読むと有馬温泉(当時は湯山宿)の繁栄に驚かされます。
  第1章では、旦過と湯屋について検討しています。旦過とは、本来禅宗寺院において、諸国を修行する僧が、宿泊するために設けられた施設のことです。(注8)
 本書では、瑞渓周鳳の『温泉行記』等の文献史料から摂津国の温泉町湯山(有馬)の宿の入口に無垢庵と呼ばれる旦過が存在したこと。併せて、「タンカ」が地名に生きる地として、①熊本・二本木、②小倉・旦過市場、③今津(福岡)、④姪浜(福岡)、⑤備前福岡、⑥海津(現滋賀県高島市)、⑦南部(現和歌山県みなべ町)、⑧名手市場(同紀の川市)、⑨下諏訪、⑩青柳(現長野県筑北市)を紹介しています。ただし、九州が圧倒的です。
 また、東海道や上道の宿とは、阿弥陀と薬師で結界していること、熊野修験や時衆の影響が認められる点は共通しながらも、上記の旦過のある町は、家々がまとまった(塊村)形態であり「宿立図」にある家々が並ぶ(軸線)形態とは異なっているといいます。
 旦過のある町は、塊村形態の小都市が港町だけでなく宿にまで及んでいることから、旦過、湯屋阿弥陀、薬師を配する思想のほうが、先により広く展開しており、後に鎌倉を中心とした幹道においても「宿立図」に定式化された宿町が整備されていったのでないかと推論しています。(注9)
 さらに、東海道や上道の宿町は、後の「連雀町」の分布範囲とおおむね一致しており、「宿立図」と関連深い連雀商人を城下町に定住させることができる政治権力を想定し、「宿立図」に基づく宿町の建設時期を鎌倉末から南北朝期までとしています。(注10)

 第2章では、都市空間の宗教性について展開しています。
 中世末期の連雀商人は、自分たちを修験者の子孫であると認識していたことから、香具師を取り上げます。そして、売薬と修験の関係を探り、熊野修験の思想に基づいてデザインされた都市空間が宗教性を帯びることによって、都市は交易や旅行者の止住に必要な平等原理によって律せられた場となりえたのだといいます。
 阿弥陀、薬師、旦過、風呂で結界された空間においては、人々が世俗の身分と関係なく行動することが保証されていたといい、交易都市においては、この原理が、そこを交易の場として成り立たせるために何よりも必要だったのではないか。西日本の港町にこの4つの表象で結界された場が目立つのは、そのためであろうと推論しています。
 ただ、「平等」の場は、平和な空間であることを意味せず、逆にそこは順番を争う喧嘩、騒擾と隣り合わせの場だったとも述べています。(注11)
 最後に、旦過は香具師の「たんかをきる」のたんかに通じるが、その語源はわからないといいながらも『日本隠語辞典』から「仁義と啖呵。雲水という行脚僧が寺々を回って、宿を乞う玄関先の口上が最初だといわれる。その口上が上手にできると、旦過(たんが)という泊まり部屋に通される。もし上手に口上が言えないと、ののしられて追い返される。これから「啖呵を切る」という言葉が生まれたという。これによれば、啖呵は旅宿の室名になる」という興味深い説を紹介しています。想像力を刺激される説です。(注12)

 第4部は東海道沿道地域の変遷と開発の関係を補論1は足利義教の富士紀行を補論2は摂津国山陽道の宿について検討していますが、長くなりましたので省略します。

 以上、今回はやや難しい専門書の紹介でしたが、中世の豊かな世界に興味を持っていただければ幸いです。そうした世界をもとに魅力的なキャラクターと豊饒な物語が生み出されることを期待して。

 

(注1)    『連釈之大事』の始めに「国相伝之事」として、「天竺ニテハ本釈ト名付ク三蔵法師玄奘大般若経をセヲイ給フニ(中略) 唐土ニテハ別釈とト名付ル事ハ善道和尚経をセヲイ給フニ(中略) 日本ニテハ連釈ト云フ事ハ(以下略)」とあって連釈について述べています。商品の入った千駄櫃を背負うことから、「連雀」をこの連釈に求めたものと思われます。
(注2)    中世の都市というと、京都、奈良、鎌倉、博多辺りを思い浮かべます。宿を小都市というとやや戸惑いますが、「都市的な場」に関する研究の延長で、宿などを小都市と呼んでいるようです。
(注3)    従来は「市立図」と呼んでいたそうです。
(注4)    「ヒロ」とは、人が左右に手を伸ばした長さのことをいいます。現在では、使う人はほとんどいないのではないでしょうか。
(注5)    「鎌倉街道」は近世になってからの呼称で、中世史料には「鎌倉道」「鎌倉大道」「武蔵道」などと書かれているようで、研究者間でもまだ確立した呼称とはなっていないようです。
(注6)    約600メートルが、360ヒロに相当するようです。
(注7)    日本昔話によく登場する「長者」とはどのような存在だったのか、私にはまだ具体的なイメージがつかめません。
(注8)    それが、いつしか本堂と独立して旅人の旅宿に開放され、やがて、俗家にも宿泊所として利用され、俗家の建立にかかるものも出てくるという新城常三氏の論を紹介しています。
(注9)    永和3年(1377)作成の三河国山中郷の土地台帳名寄帳では、馬五郎、孫三郎等○郎、左近二郎等△△○郎、弥七、願阿弥、重安尼、藤内入道等の名前がありますが、およそ300年後の寛文10年(1670)の上州下室田の町割図では、助左衛門、弥五左衛門等○(または○○)左衛門、治兵衛、多兵衛等○兵衛、藤右衛門、又右衛門等○右衛門、平蔵、七重郎等の名前があり、女性と思しき名前はありません。興味深い変化だと思います。
(注10)    西日本の塊村形態の小都市(宿)の存在 → 旦過、湯屋阿弥陀、薬師が共通していること → 宿には、旦過、湯屋阿弥陀、薬師を配するものである(という考え方の浸透) → 「宿立図」に定式化 → 鎌倉幕府や鎌倉府による建設、整備という流れになるのでしょうか。
(注11)    それゆえに、世俗の政治権力とは異なる権力(顔役等)の存在が、想定されるのではないでしょうか。
(注12)    股旅小説や仁侠映画で名高い「仁義をきる」ことが、禅宗(雲水)に淵源を持つと考えると日本における仏教の影響には、感慨深いものがあります。

『映画に溺れて』第444回 夏への扉 キミのいる未来へ

第444回 夏への扉 キミのいる未来へ

 

令和三年六月(2021)

新宿 新宿ピカデリー

 

 ロバート・A・ハインラインの『夏への扉』は一九五〇年代に書かれた時間SFで、人工冬眠とタイムマシンが題材となっており、今でもファンが多い。

 原作では一九七〇年と三十年後の二〇〇〇年が舞台になるのだが、これを日本に置き換えて、時代設定も現代に近い形でずらしている。

 一九九五年の日本、主人公の若き科学者高倉宗一郎は共同経営者の松下と恋人鈴に裏切られ、自分が開発した画期的なロボットの研究成果をすべて奪われる。

 世をはかなんで話題の人工冬眠請負会社に申し込む。が、思い直して松下の家に行くと、そこにいた鈴に陥れられ、結局人工冬眠で三十年後に目覚めることになる。

 時代は二〇二五年。

 目覚めた彼を世話するのが人間そっくりのロボット、その名もピート。宗一郎の飼い猫と同名であった。

 世の中の変化、自分を裏切った松下はすでにこの世になく、松下の会社も存在しない。三十年後の鈴はゴミ屋敷のような安アパートで醜い初老に変貌していた。

 宗一郎を慕っていた少女璃子は三十年前の事故で死亡したと知らされる。

 様々な記録を調べて、宗一郎は時空転移を研究している物理学者の遠井博士に面会すると、博士はすでに待ち構えており、完成したばかりのタイムマシンで宗一郎を三十年前に送り返す。過去に戻った宗一郎は自分を陥れた松下と鈴に復讐する。

 原作を現代の日本にうまく置き換え、無理なくわかりやすい設定になっている。

 藤木直人のロボットピートは味はあるが、特殊メイクなどでもう少しロボットらしくしたほうがよかったかもしれない。田口トモロヲの遠井博士は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のブラウン博士を思わせる。というか、そもそも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がハインラインの影響を強く受けているのだろう。あのパート2の二〇一五年はとっくに過ぎたが、この映画の二〇二五年の未来も、現実にはすぐに過ぎていく。

 

夏への扉 キミのいる未来へ

2021

監督:三木孝浩

出演:山崎賢人、清原果耶、藤木直人夏菜眞島秀和、浜野謙太、田口トモロヲ高梨臨原田泰造