日本歴史時代作家協会 公式ブログ

歴史時代小説を書く作家、時代物イラストレーター、時代物記事を書くライター、研究者などが集う会です。Welcome to Japan Historical Writers' Association! Don't hesitate to contact us!

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第19回 果たせぬ凱旋

 頼朝(大泉洋)から鎌倉入りを拒否された義経菅田将暉)は、京に戻っていました。義経は妻の里(三浦透子)を相手に酒を飲みます。里は自分まで帰れないことに文句をいいます。

「離縁して下さい」と、里はいいます。「あの静(しずか)(石橋静香)という女と一緒になればいいではないですか」

 そこに頼朝や義経の叔父に当たる源行家杉本哲太)が姿を見せるのです。行家はいいます。

「これ以上、頼朝の好きにさせてはならん。義仲と組んで、奴を討ち取ろうと思ったが、果たせなかった。おぬしならできる。鎌倉に攻め入って、頼朝の首をとれ」

 義経はいいます。

「私は、兄上とは戦いたくない」

「頼朝は必ず攻めてくる。あれは我らを身内とは思うておらぬ。ここは先手を打つのだ、九郎。あやつに勝つにはそれよりほかはない」

 鎌倉で義時(小栗旬)と共に書物の整理をしていた大江広元栗原英雄)が顔を上げます。

「思いつきました。九郎殿を鎌倉に戻す良い策を。法皇様にお願いして、九郎殿を受領(ずりょう)にしていただきます」

 義時は首をかしげます。

「今さらどこかの国の国司(こくし)というのは」

「肝心なのは、受領になれば、検非違使(けびいし)を兼任することができないということ」

「京に留まる理由がなくなる」

 この策を聞いた頼朝はいいます。

「わしとて、このままでいいとは思っておらぬ。九郎に会って、いくさの労をねぎらってやりたい。あいつがおのれの非を認めて、素直に詫びてくれれば、いつでも許してやる」

 義時がいいます。

「受領の件、ぜひ法皇様にお願いしてくださいませ」

 頼朝はうなずきます。

「そうだ。いっそのこと、伊予守(いよのかみ)に推挙してやるか」

 その内容を書いた文(ふみ)を京にいる義経は感激の表情で読みます。弁慶(佳久創)や静に叫びます。

「喜べ。兄上が、伊予守にしてくださる」

 弁慶たちは理解できません。義経はいたずらっ子のような表情をします。

「お前ら、何も知らないんだな。こういうのは名前だけ。別に伊予で暮らさなくてもいいんだよ」

 弁慶が聞きます。

「鎌倉へ帰るのですか」

検非違使ではなくなるんだから、こっちにいることもない」

 後白河法皇西田敏行)は、公家たちと話していました。平知康矢柴俊博)が発言します。

「頼朝め。ずいぶんとつけあがっておりますなあ」

 後白河法皇がいいます。

「まあここは、つけあがらせてやろうではないか。九郎の武功は、伊予守こそふさわしい」

 九条兼実田中直樹)がいいます。

「かしこまりました。では、検非違使の任を解き、さっそく九郎義経を、伊予守に」

 法皇はいいます。

検非違使は、そのままで良い」

「未曾有(みぞう)のことにございますが」

「構わん」

 義経後白河法皇に呼び出されます。伊予守に任じられ、検非違使の兼任も命じられるのです。法皇がいいます。

「お前の忠義に応えるには、検非違使と受領、いずれかでは足らん。両方じゃ。これからも京の安寧(あんねい)を、守ってくれの」

 鎌倉ではうめくように頼朝がいいます。

「どうやら、九郎に戻る気はないようだな」

 義時が義経を弁護します。

「おそらく、法皇様のお考えでございましょう。九郎殿も断り切れなかったのでは」

「それが腹立つのだ。わしより法皇様をとるということではないか。もう勘弁ならん。帰ってこんでいい」頼朝は立ち上がって、文(ふみ)を叩きつけます。「顔も見とうないわ」

 北条政子小池栄子)は、北条の一族を前に訴えます。

「このままでは、九郎殿と鎌倉殿は、いずれかならずぶつかります」

 義時がいいます。

「鎌倉殿は、ご自分を武士たちの頂(いただき)とする、新しい世をおつくりになりたいのです。法皇様に気に入られ、いいなりの九郎殿は、その邪魔になりかねない」

「でも私には分かる」政子は義時を見すえます。「あの方は、心の内では九郎殿がいとおしくてたまらないのです。だから何とかしてあげたいの」

 そこへ末妹、実衣(宮澤エマ)の夫である阿野全成新納慎也)が案を話します。頼朝たちの父、義朝の菩提を弔うため、供養を行うことになっています。そこに義経を呼ぶのです。平家討伐を報告する供養ともなれば、義経も来ないわけにはいかない。政子は顔を輝かせます。

「良い考えではないですか」

 義時も納得します。

「確かにそれなら、法皇様もお許しくださいましょう」

 義時はこの案を、頼朝に報告に行きます。そこに、今まで京の情勢を知らせてくれていた三善康信小林隆)がやって来ていました。義時は案を話します。

「それは、九郎が顔を出せば、亡き父も喜ばれるであろうが」

 との頼朝の言葉を、大江広元が続けます。

「あのお方の後ろには、法皇様がいらっしゃいます」

 三善康信がさらに続けます。

法皇様には、鎌倉殿が九郎殿とぶつかることを、むしろ望んでおられる節がございます」

「なにゆえに」

 と、義時は問います。三善が答えます。

「それが昔からあのお方のやり方と申しますか。大きな力が生まれると、必ずそれに抗(あらが)う力をつくろうとなさるのです」

 そこへ、文覚(市川猿之助)やって来たという知らせが入るのです。

 文覚は本物だという義朝のしゃれこうべを持ってきていました。義時が聞きます。

「今度こそ、本物であるという証(あかし)はあるのですか」

「ござらぬ。されど、真偽に何の意味が」文覚は声を張ります。「大事なのは、平家が滅んだこの年、源氏ゆかりのこの地で、鎌倉殿がご供養なさるということ。その場に、義朝殿とおぼしきドクロが届けられたこと。鎌倉殿が、本物だといわれれば、その説が、このドクロは、本物となるのじゃ」

 頼朝は立ち上がり、しゃれこうべを手に取ります。それを置いて深く頭を下げます。

「父上、お帰りなさいませ」

 義時がいいます。

「鎌倉殿。このことを九郎殿にお伝えします。必ずや供養にお越しになるはず」

 頼朝はうなずくのでした。

 京の義経の館では、正妻の里と愛人の静が争っていました。その二人を残し、義経はやって来た義時と会います。

「もちろん父上の供養だ。行きたくない訳がないだろう」

 という義経に、義時は語ります。

「鎌倉殿も九郎殿に会いたいのです。膝をつき合わせてお話になれば、わだかまりは解けると信じております。義朝様のしゃれこうべ、その目でご覧になってください」

「供養の後は」

「むろん鎌倉に残り、鎌倉殿にお仕えを」

 翌日、義経は、叔父の行家と話します。行家はまくしたてます。

「鎌倉へ入ればその日のうちに、捕えられ、首をはねられてしまうぞ。木曽義仲も、そのせがれも甲斐の武田も、頼朝の邪魔になった奴ら、皆、どうなった。おのれの身を守るためには、一族とて容赦はしない。あれはそういう男なのだ。なぜそれが分からんのだ」

 義経は立ち上がります。

「これから院の御所へ行って、法皇様にお許しをいただいて参ります」

 法皇は、ひれ伏す義経にいいます。

「それほどまでに、頼朝に会いたいか」

「会いとうございます。ぜひとも、供養に参列しとうございます」

「よかろう。行って参れ」

 ここで法皇は死にかける演技をするのです。そうして義経を引き止めることに成功します。頼朝が清盛になられては困る。そのための九郎だ、と法皇はうそぶきます。

 この頃、京の武士の間では、鎌倉を怖れ、義経を見限ろうとする者が出始めていました。土佐坊昌春たちもそんな一派でした。昌春は里の手引きで、義経の館にやってきます。里は義経を殺さないようにと、昌春に念を押します。静の命を奪うたくらみでした。義経は隠れていましたが、やがて見つかり、敵の刀を奪って戦います。弁慶など、義経の手の者が駆けつけ、昌春たちは撃退されます。

 行家が義経にいいます。

「間違いない。鎌倉が送ってきた刺客だ」

「兄上が、私を殺そうと」

「ほかにそなたの命を狙う者がどこにいる」

「血を分けた兄弟ではないか」

「頼朝はおぬしが怖いのだ。源氏の棟梁の座を奪われるのが」

「私は、どうすれば」

「いずれまた、鎌倉の息のかかった奴らがやってくる。その前に手を打つ。挙兵するのだ」

 後白河法皇が、義経たちに、頼朝追討の宣旨(せんじ)を出したのが、文治元年(1185)十月十八日でした。二十二日には、早馬が、義経挙兵を鎌倉に伝えました。頼朝は宣言します。

「これより、全軍で京に攻め上る」

 しかし坂東武者たちは、義経を怖れ、戦いを躊躇(ちゅうちょ)します。そこへ三浦義村が立ち上がります。

「都へ攻め込みましょう。ここで立たねば、生涯、臆病者の誹(そし)りを受ける。坂東武者の名折れでござる。違うか」

 義村に次々と賛同する者が現れ、京への出陣は決定されるのでした。義村には考えがありました。それを義時に打ち明けます。

「心配するな。俺の読みでは、いくさにはならん。九郎の奴は、戦わずして負ける。あいつは都ではたいそうな人気だが、肩を持っているのは、いくさに出なかった連中だ。命拾いした兵にしてみれば、無謀ないくさばかりの大将に、また付いていこうとは思わない」

 十月二十九日。頼朝は軍勢を率いて、みずから出陣します。それは、決して義経を許さないという意思表示でした。

 京で義経は嘆きます。

「なぜ兵が集まらない」

 いらだちを隠そうともせずに行家が叫びます。

「お前のいくさに義がないからじゃ」

「叔父上」 

 と、義経は驚きます。

「挙兵はならぬと申したのに。お前を信じた、わしが愚かであった」

 行家は姿を消します。後に行家は鎌倉方に捕まり、首をはねられます。

 義経は京を離れ、いったん九州に逃げて再起を期すことにします。静に言い含めます。

「いつか必ず迎えに行く。もし鎌倉の奴らに捕まったら、私との関わりについて、決して口にするな。生きたければ、黙っていろ。よいな」

 後白河法皇が公家たちを前にしています。

「頼朝と義経、どちらかが力を持ってしまっては、いかんのだ。わしが望んでいるのは鍔迫(つばぜ)り合い。なんで九郎義経、姿を消してしまったのかの」法皇は公家たちにいいます。「頼朝追討の宣旨は取り消しじゃ。改めて、頼朝に、義経追討の宣旨を与えなさい」

 義経失踪の知らせを受け、頼朝は鎌倉へ引き返します。

 頼朝は北条時政坂東彌十郎)に、義経を探して捕えることを命じます。

法皇様のお力をお借りしてな。お前に、法皇様と鎌倉との、橋渡しをしてもらいたいのよ」頼朝は言い重ねます。「舅(しゅうと)殿には、いざというときの胆力がある。法皇様と渡り合えるのは、舅殿だけじゃ」

 時政は家族たちにこぼします。

「わしでないと駄目かな」

 妻の、りく(宮沢りえ)がいいます。

「それだけ鎌倉殿に買われているということ。ありがたいではないですか」

「だけど、とんでもねえお役目だぜ」時政は弱音を吐きます。「おっかねえよ」

 北条時政は、鎌倉武士初の、京都守護として、軍勢を率いて上洛します。院の御所で法皇を目の前にします。時政と義時は、義経を捕えるために、西国諸国を自分たちが治めることを求めます。

 その夜、時政と義時の父子は、酒を酌み交わしていました。そこに義経が姿を現すのです。

「捕まえたければ捕まえるがいい。逃げるのにも飽きた」 

「九郎義経は、九州へ逃げ落ちたと聞いておる。かようなところにいるはずはない。偽物であろう」

 と、時政は宣言し、落ち着いて話しをします。

「兄上とのことを、今からなんとかならぬか」

 という義経に、義時が語ります。

「ご存じないようですが、法皇様は、九郎殿追討の宣旨を出されました」

 義経は驚き、息を吐きます。

「祈るような思いでここに来てみたが、無駄だったか」

 奥州に帰ろうという義経に、義時はいいます。

「おやめなさい。九郎殿が奥州に入れば、必ずそこにいくさの火種が産まれます。いくさはもう、終わりにしましょう」

「いくさのない世で、私のような者はどうやって生きていけばよいのだ」

 義経は去って行きます。時政は義時にいいます。

「まるで、平家を滅ぼすためだけに、生まれてこられたようなお方じゃな」

 

『映画に溺れて』第490回 否定と肯定

第490回 否定と肯定

平成二十九年九月(2017)
六本木 アスミックエース試写室

 

 人は誰しも失敗する。それを反省することで同じ過ちを繰り返さずに前に進めるのだ。歴史もまた同じである。過ちをなかったことにはできない。
 都合のいい事実だけを抜き出して、こねくりまわし、つなぎあわせてもっともらしい嘘をでっちあげるのは、詐欺の常套手段だが、偽史の世界でもよく使われる手口なのだ。
 第二次世界大戦は歴史上の事実である。ヒトラーは周囲の国々を侵略し、戦争によって多くの都市が破壊され、多くの人々が命を失った。そして強制収容所でのユダヤ人大虐殺、それは疑いようのない史実である。
 アメリカ在住のユダヤ系女性歴史学者デボラ・E・リップシュタット教授が『ホロコーストの真実』という本を出版し、その中でホロコーストはなかったと主張する否定論者を非難した。
 名指しで非難されたデヴィッド・アーヴィングは激怒し、リップシュタット教授の講演会に乗り込み、討論を挑んで拒否される。そこで出版社のペンギン出版とリップシュタット教授を名誉棄損で訴えた。自分がヒトラー信奉者の嘘つきと書かれたので、仕事がなくなったという理由で。
 もちろんアーヴィングは露骨な白人至上主義者であり、ホロコーストはなかったというインチキ本でネオナチに人気のある歴史捏造家である。どうせ売名行為の告訴なのだから、そんなのを相手にしても仕方がないと周囲に忠告されながら、気の強いリップシュタット教授は受けて立つ。だが、もしも彼女が有罪になれば、裁判所がホロコーストはなかったと認める結果になるのだ。
 したたかなエセ歴史家と戦って、果たして勝算はあるのか。
 リップシュタットにレイチェル・ワイズ、彼女の法廷弁護人にトム・ウィルキンソン弁護団のリーダーにアンドリュー・スコット、アーヴィングにティモシー・スポール。一流の英国演技人による実話の法廷劇である。

 

否定と肯定/Denial
2016 イギリス・アメリカ/公開2017
監督:ミック・ジャクソン
出演:レイチェル・ワイズトム・ウィルキンソンティモシー・スポールアンドリュー・スコット、ジャック・ロウデン、カレン・ピストリアス、アレックス・ジェニングス

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第18回 壇ノ浦で舞った男

 一ノ谷で破れた平家は、四国の屋島に逃げました。

 範頼軍は九州に渡り、筑前に攻め込みます。平家は逃げ道を断たれます。

 義経は海を渡り、平家軍に奇襲をかけます。不意を突かれた平家は、屋島を捨て、長門(ながと)の彦島に落ち延びていきます。

 鎌倉では、頼朝が文(ふみ)を読んでいました。顔を上げます。

「九郎(義経)がまた勝った」

 北条時政坂東彌十郎)がいいます。

「九郎殿の前に、敵なしでございますな」

 頼朝は苦り顔です。

「しかし強すぎる。あれはすぐに調子に乗る男だ。このまま勝ち進むと」

「何を心配しておられます」

 と、安達盛長(野添義弘)が聞きます。

「たとえば」頼朝は顔をしかめます。「次の鎌倉殿は、自分だと」

「まさか、そのような」

 時政は笑い声を上げます。

 元暦二年(1185)三月十四日、朝。壇ノ浦の戦いが始まります。

 範頼軍は船に乗っていません。敵の逃げ場をふさぐのが役目です。

 船団を率いる義経

「漕(こ)ぎ手を射殺(いころ)せ」

 との命令を出します。畠山重忠中川大志)が抗議します。

「漕ぎ手は兵ではござらん。殺してはなりませぬ」

「かまわん」

「末代までの笑いものになります」

「笑わせておけ」

 義経はみずからも弓をとって、漕ぎ手を狙います。そして敵の船に次々と飛び移り、斬りまくります。

 平家の大将である平宗盛小泉孝太郎)は

「もはや、これまで」

 と、つぶやきます。平家の船から神器を持った女官が、次々に海に身を投げていきます。幼い安徳天皇も、女官に抱かれて水に沈んでいくのでした。

 戦いは終わりました。範頼と共に睦にいた義時(小栗旬)は、流れ着いた死体の間を歩いていました。義経と行き会います。

「お見事にございました」

 と、義時は義経に頭を下げるのでした。義経は砂浜に座り込みます。

「策が当たったな。どうした。これはいくさだ。多少の犠牲はやむを得ん」

「多少でしょうか」

 と、責めるように義時はいいます。

「勝たねば意味がない。これまでに、討ち死にした者の命が、無駄になる。お前の兄も、いくさで死んだらしいな。無駄にならずに済んだぞ」

「兄は、平家に苦しめられる民のことを思っていました。果たして喜んでくれているのかどうか」

「私のいくさにケチをつけるか」

「そうではございませぬが」

「死んだ漕ぎ手は、丁重に葬ってやれ。義仲も死に、平家も滅んだ。この先、私は誰と戦えば良いのか」義経は義時の脇を抜けます。「私はいくさ場でしか、役に立たぬ」

 鎌倉の御所で、頼朝は政子のいる寝所に入ります。

「どうされました」

 と、政子は、顔をしかめた頼朝にたずねます。

「平家が滅んだ」

 と、頼朝は声を出します。政子は目を見開き、いうのです。

「おめでとうございます」

「九郎がやってくれた」頼朝は声をあげて泣くのです。「平家が滅んだ」

 政子は頼朝を抱きしめ、共に泣くのでした。

 京で義経は、後白河法皇西田敏行)から杯を賜(たまわ)ります。

「見事な働きであったの」

 と、法皇はご満悦です。義経は、思いついたように後ろに下がり、膝をそろえて座ります。

「宝剣のことは、まことに申し訳ございませぬ」

「いやあ、見つかる、見つかる」

「幼き帝(みかど)を、お救いすることもできず」

「死んだとは限らん。それより、九郎。獅子奮迅(ししふんじん)の働き、そなたの口からじかに聞きたいものだ」

 義経は破顔し、大きく答えます。

 梶原景時中村獅童)は、一足先に、鎌倉に帰ってきていました。頼朝に報告します。

「九郎殿は、いくさにかけては、神がかった強さを持っておられます。しかしながら、才走るあまり、人の情けというものを、ないがしろにされます。壇ノ浦で、船乗りを狙い撃ちしたのが良い例。一ノ谷における奇襲においても、急な崖(がけ)を馬と共に下りることを、皆に強いられました。勝利のためには」

 頼朝が口を挟みます。

「手を選ばぬと」

 安達盛長がいいます。

「しかし、九郎殿がおられたから、平家を滅ぼすことができたのも事実。都では、九郎殿の噂で、もちきりと聞いておりまする」

 梶原が発言します。

「鎌倉殿をさしおいて、平家の後(のち)は、九郎義経の世だと口にする者も」

 北条時政がいいます。

「九郎殿は強すぎるんじゃ。二、三度いくさに負けて痛い思いをすれば、もう一つ大きくなれるんだがなあ」

 頼朝は義経を呼び戻そうとします。しかしそれができないのです。義経検非違使に任じられ、都の治安を守っているからです。

 京の河原で、義経と義時が話しています。文(ふみ)を読み終えた義経がいいます。

「いくさに勝って、どうして兄上に怒られなければならない」

 義時がいいます。

「九郎殿が、力を持ちすぎるのを怖れておられるのでは」

「私は兄上の喜ぶ顔が見たいだ」

「分かっております。一日も早く、ご自分の口で、弁明なされるべきでございます」

 義経は鎌倉に帰れるよう、法皇に掛け合うことにします。後白河法皇がいいます。

「わしはの、側(そば)にいて欲しいのだ。鎌倉へ戻ったら、帰ってこないと」

「そんなことはございませぬ」

「いいや、絶対」

 ここで法皇の愛妾である丹後局鈴木京香)が知恵を出します。捕えられている平宗盛を頼朝に見せに鎌倉に連れて行くのです。そして検非違使として宗盛の首をはねるため、義経は京に戻ってくるという手はずです。

 鎌倉では頼朝が側近たちと話しています。義経検非違使をやめていないことに、頼朝は驚きます。また京へ戻るつもりであることが知られます。梶原景時がいいます。

「宗盛の首も、京へ連れ帰ってからはねるそうにございます。すべて法皇様と、九郎殿が示し合わせたこと。よほど九郎殿は気に入られているご様子。これでは、勘違いされても不思議はございませぬ。鎌倉殿の後を継ぐのは、自分だと思われたとしても」

 義時が口を挟みます。

「お待ちください。あの方に野心があるとはとても思えませぬ」

 梶原がいい放ちます。

「九郎殿を鎌倉に入れてはなりませぬ。何をたくらんでおるか分かりませぬ」

 義時が前に出ます。

「あり得ません」

 梶原が義時を見すえます。

「いい切れるか」

 頼朝がいいます。

「決めた。九郎には会わん。会うのは宗盛のみとする。九郎は、腰越で留め置け」

「会ってやってください」

 という義時に、頼朝はいい放ちます。

「奴を、決して御所に入れてはならん」

 頼朝が行ってから、義時は梶原と話します。

「梶原殿、あなたも分かっておられるはず。九郎殿は、鎌倉殿に会って話をしたいだけなのです」

 梶原がいいます。

「そなたも、いくさ場での九郎殿の様子を見たであろう。あのお方は、天に選ばれたお方。鎌倉殿も同じだ。お二人とも、おのれの信じた道を行くのに手を選ばん。そのようなお二人が、並び立つはずがない」

 義経一行は、鎌倉の西、腰越に到着しました。そこに北条時政が待っていたのです。

「どういうことだ」

 と、義経は時政を責めます。時政は一歩も引かない態度です。

「これよりはそれがしが警護の上、宗盛公を鎌倉へお連れ申す。九郎殿には、ここで待てというお沙汰(さた)」

「私は鎌倉に入れないのか」

「それが鎌倉殿のお考え」

 義経は自分の思いを、宗盛に書いてもらって頼朝に届けます。その文には頼朝の官職を知らないで書かれたと思われる一文が出てきます。これは義経が書いたものではないと、頼朝は怒ります。

「宗盛を連れて、とっとと京へ帰れと伝えよ」

 と、いい放つのでした。

 腰越にいる義経は、宗盛に息子を会わせる温情を見せます。義経は義時にいいます。

「私は決めた。この先、法皇様第一にお仕えする。京の都で、源氏の名に恥じぬように生きる。私は検非違使の丞、源九郎判官義経

 義経は以前、飢えていたときに芋を与えてくれた者に、大量の芋をごちそうするのです。

 

『映画に溺れて』第489回 戦場のピアニスト

第489回 戦場のピアニスト

平成十五年三月(2003)
渋谷 渋東シネタワー2

 ナチスドイツによるユダヤ人の迫害、大虐殺の事実は繰り返し映画化されているし、繰り返し語り継がれるべき題材である。
 さらに欲をいえば、シナリオが練られていて、演技がすばらしく、細部にわたって歴史がリアルに再現されていれば申し分ない。
 ポーランドの鬼才として注目され、ハリウッドに渡って『ローズマリーの赤ちゃん』『マクベス』『チャイナタウン』などを経て巨匠となったロマン・ポランスキー監督が描く『戦場のピアニスト』は、著名なピアニストであり作曲家であったウワディスワフ・シュピルマンの体験記を映画化したものだが、戦時下のワルシャワで少年時代を過ごしたユダヤポーランド人であるポランスキー自身の実体験をも重ね合わされた名作である。
 ワルシャワのラジオ局でピアノを演奏していたシュピルマンはドイツ軍の空襲により放送を中断させられる。ナチスの侵略が始まり、ユダヤ人たちはゲットーに押し込められ、やがて財産を没収されて、広場に集められる。強制収容所への移送である。
 ひとりの女性が将校に聞く。これからどこへ行くのですか。
 将校は黙って、銃を取り出しその女性の頭を撃ち抜く。余計な質問は許されないのだ。シュピルマンは家族とともに収容所行き輸送列車のある駅に向かって歩かされる。が、たまたま知り合いの警官に声をかけられ、ひとり行列から抜け出すのだ。
 戦時下での逃亡生活が始まる。支援者の手助けで隠れ家を転々とし、最後には音楽好きのドイツ人将校に匿われ、瓦礫の中で生き延びる。
 エンドロールの間、ずっと演奏されるピアノ。それが終り、ウワディスワフ・シュピルマンが客席に向かって頭を下げると、映画の中の客席から拍手と声援が送られ、映画館の客席と同化する。

 

戦場のピアニスト/The Pianist
2002 フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス/公開2003
監督:ロマン・ポランスキー
出演:エイドリアン・ブロディトーマス・クレッチマンフランク・フィンレイ、モーリン・リップマン、エド・ストッパード、ジェシカ・ケイト・マイヤー、ジュリア・レイナー、エミリア・フォックス、ヴァレンタイン・ペルカ、ルース・プラット

 

第三回「江戸歴史散歩」開催のお知らせ

新型コロナパンデミックを経験して3年目に突入しますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか? どんなに気をつけていても罹患するときには罹患する。100年ぶりに感染症が世界を席巻する今回の感染症の恐ろしさです。
しかしこれは人類が何度も経験し、生き残りをかけて克服してきた道かもしれません。
風邪でも癌でも感染症でも老衰でも、死ぬときは死ぬ。
自分が死んでも、感染症への抗体ができた人間は生き延び、人類は逞しく生き延びるでしょう。
そんなこんなで、「江戸歴史散歩」を企画しました。コロナ禍、互いに気をつけながら、
命を賭けて歴史散歩に参加しませんか!
以下、会員の森田健司氏が企画した歴史散歩コースです。
願わくは、命がけで歴史散歩をし、命がけで酒宴を行いたいものです。
 ↓(以下参照)参加希望者はご連絡ください。

■日時:22年6月4日(土)午後2時スタート
■集合場所:JR大森駅改札口
■コース:大森駅発→大森貝塚の碑→大森貝塚遺跡庭園→品川区立品川歴史館→大井の水神社→鈴ヶ森刑場跡地など
■所要時間:2時間15分程度。

※途中、品川歴史館でボランティア学芸員の解説を30分程度聞く予定です。
※品川歴史館の入場料は大人100円です。
※鈴ヶ森刑場はお七のほか、由井正雪の乱で捕縛された丸橋忠弥の終焉の地でもあります。
※終了後、17時ごろを目途に恒例の飲み会を開く予定です(費用は各自負担)。

参加希望者は事務局へ。詳細は会員宛一斉メール参照のこと

新聞切り抜き

 

『映画に溺れて』488回 顔のないヒトラーたち

第488回 顔のないヒトラーたち

平成二十七年九月(2015)
京橋 テアトル試写室

 

 私が高校生の頃、『戦争を知らない子供たち』というヒット曲があった。戦後生まれの世代が若者となり、平和の中で生きている。北山修作詞のフォークソングは一種の反戦歌だったと思う。そして当時の戦争を知らない若者たちは今では老人となり、為政者となり、世の中はキナ臭くなっている。
 ヒトラーが死に、第二次大戦が終結し、徐々に平和を取り戻しつつある一九五〇年代末の西ドイツ、新米検事のヨハンはある案件を持ち込まれる。戦時中にゲシュタポとしてアウシュビッツで多くのユダヤ人を殺害した男が経歴を隠して教師をしているらしい。調査すべきか上司に伺いを立てると、余計なことに首を突っ込むなと釘を刺される。
 多くのドイツ人たちは戦争中に異国ポーランドの収容所で何が行われていたか詳しくは知らず、戦後の若者はアウシュビッツという名さえ知らない。ほとんどのユダヤ人は殺され、死人に口なし。生き残った人たちは深く心に傷を負い、収容所のことを語りたがらない。ホロコーストに手を染めたナチスの残党は今では一般市民として安穏に暮らしている。政財界にもけっこういるのだ。だれも戦争中の犯罪など蒸し返したくない。
 ユダヤ人の検事総長バウアーの後押しで調査を始めたヨハンは、様々な妨害にあいながらもアウシュビッツからの生還者たちの証言を得る。幼い娘を惨殺された父親の証言、筆記していたヨハンの秘書が思わず声をつまらせ泣き崩れる。それほど悲惨な内容なのだ。徐々に証言者は増えるが、それだけではアウシュビッツの殺人者たちを裁くことはできない。証拠の多くは敗戦直前に破棄され隠蔽されている。
 一度は挫折し、検事を辞職するヨハンだったが、一九六三年、フランクフルトでアウシュビッツ裁判が開かれ、ホロコーストの実態が世界中に知られることになる。
 戦争を知らない世代でも映画で戦争を知ることはできる。

 

顔のないヒトラーたち/Im Labyrinth des Schweigens
2014 ドイツ/公開2015
監督:ジュリオ・リッチャレッリ
出演:アレクサンダー・フェーリング、フリーデリーケ・ベヒト、アンドレ・シマンスキ、ヨハン・フォン・ビューロー、ヨハネス・クリシュ、ゲルト・フォス、ロベルト・ハンガー=ビューラー、ハンシ・ヨクマン、ルーカス・ミコ

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第17回 助命と宿命

 源義経菅田将暉)は、後白河法皇西田敏行)に呼ばれ、一ノ谷の合戦についてほめられます。

 鎌倉では、頼朝が側近たちに話しています。

「義仲を討った今、片付けておかねばならぬことがある。一つは、甲斐の武田信義八嶋智人)。奴に、誰が源氏の棟梁か分からせてやる」

 大江広元栗原英雄)がいいます。

「武田殿は近々、嫡男、一条忠頼(前原滉)を伴って、こちらに参る由(よし)にございます」

「いずれ信義には消えてもらう。もう一つは、木曽のせがれ。あれにとってわしは父の敵(かたき)。義高(市川染五郎)が生きている限り、枕を高くして眠ることができぬ。小四郎」と、頼朝は義時にいいます。「お前に任せた。三日やろう。義高を討て」

 義時は義高を牢に閉じ込めます。

 義時に父の時政(坂東彌十郎)が話します。

「つらい役目をおおせつかったもんだなあ。上総介の一件で、鎌倉殿は腹をくくられた。あの方に逆らっては、この鎌倉で生きてはいけん」

 北条政子小池栄子)はこのことを聞き、頼朝に抗議します。

「命は助けるとおっしゃったではないですか」

「考えるといっただけだ」

「まだ年端のいかぬ子供です」

「わしのの父、義朝は、平家に殺された。その怒りの炎は、二十年以上経っても消えることがない。そしてわしは今、平家追討に、この身のすべてをかけておる。武士にとって、父を殺された恨みはそれほど深いのだ」

「義高もそうだとは限りません」

「あやつの恨みは必ず万寿にふりかかる」

 頼朝を説き伏せられなかった政子は、牢にいる義高に会いに行きます。政子は、義高を伊豆山権現に匿(かくま)ってもらうことを思いつきます。しかし義高はいうのです。

「御台所(みだいどころ)は一つ、考え違いをされております。私は鎌倉殿を決して許しはしない。機会さえあれば、軍勢を率いて鎌倉を襲い、あのお方の首をとるつもりでいます。そしてその時は」義高は義時を振り返ります。「小四郎殿。あなたの首も。あなたは父の思いを分かっていると思っていた。しかし何もしてくださらなかった。私を生かしておいても、皆さんのためにはなりません。こうなってしまった以上、一刻も早く、この首をとることをおすすめいたします」

 その頃、京では、義経後白河法皇より検非違使(けびいし)の役目を与えられていました。

「わしの思いを、形で示したかったのだ」後白河法皇は述べます。「検非違使になって、京の安寧(あんねい)を守ってくれ」

 義経には、頼朝からの任官推挙が出ていません。しかし後白河法皇はいうのです。

「頼朝は忘れて良い」

 頼朝は仲間たちのもとに戻ってきて、喜びを表現します。

法皇様は、私のことが大好きだとおおせられた。こうなったらどんどん偉くなって、いずれは清盛を超えてやる」

 任官の前祝いにと、法皇がよこした一人の白拍子に、義経は見とれるのでした。

 鎌倉では、捕えられた巴御前秋元才加)が、義時と会っていました。巴は女の格好をしています。

「義仲様より文(ふみ)を預かっております。義高様宛にございます。お渡し願いますでしょうか」

 義時は「無礼者」と、怒る巴にかまわず、文を広げて書いてあることを確かめます。

 義時は、牢いる義高に会いに行きます。

「木曽殿は、鎌倉殿を敵(かたき)と思うな、諭(さと)されておられます。これ以上、源氏どうしで争ってはならぬと」

 義時はしゃべり終えると、巴に合図します。巴が話します。

「義仲殿は申されました。自分が亡き後、平家討伐を成せるのは鎌倉殿しかいない。義高様には生きて、源氏の悲願成就を見届けてほしい、と」

 義高がいいます。

「父の思い、しかと受け止めた」義高は政子に呼びかけます。「御台所(みだいどころ)、私が間違っておりました。改めて、父の大きさを知ることができました」

 政子が問います。

「生き延びてくれますか」

 義高はうなずくのでした。

 義高を女人(にょにん)に化けさせて、御所を抜けることにします。その後、三浦義村山本耕史)の手引きで寺で一泊し、三浦から船で伊豆山権現に向かうことになります。

 武田信義八嶋智人)の率いる甲斐源氏。頼朝と義仲の対立の際には、頼朝側に付いていました。信義は嫡男の一条忠頼(前原滉)を伴い、頼朝に会いに来ていました。自分たちが法皇に恩賞をもらえないことに、抗議にやって来たのです。頼朝はとぼけます。

 頼朝を必ず潰してやると怒る信義に、息子の忠頼が情報をもたらします。義仲の息子の義高が、幽閉されているというのです。

「使えるな」

 と、信義は喜びます。

 信義は牢にいる義高に訴えます。

「わしらは、頼朝のやり方にはついていけんのだ。源氏どうしで力を合わせることがなぜできない」

 しかし義高は信義を責める口調です。

「武田殿の軍勢も、九郎殿に従って父と戦ったと聞いています」

 忠頼がいいます。

「鎌倉殿に強いられたのだ。共に頼朝を倒そう」

 信義が熱弁します。

「おぬしが立てば、散り散りになった信濃の者たちも戻ってくる。我が兵と合わせれば必ず勝てる」

 義高は信義たちに背を向けます。

「お断りします。父は、鎌倉殿を恨むなと書き残しました。お引き取りください」

 このことが頼朝の耳に入ってしまったのです。

「武田が義高と何の話を」 

「しばらく部屋から出てこなかったようです」

 と、義時が報告します。

「信義め、義高を連れて行く気か」

 と、頼朝はつぶやくようにいうのでした。

 政子たちは義高を女人の服に着替えさせ、牢から連れ出すことに成功します。危ない場面もありましたが、頼朝の古くからの側近である、安達盛長(野添義弘)も協力してくれます。曰く、

御家人たちの心がこれ以上、鎌倉殿から離れていってほしくはござらん」

 しかし夜には義高が逃げたことが露見するのです。頼朝は立ち上がり、命じます。

「義高を捕えるよう御家人たちに伝えよ。見つけた者には褒美(ほうび)をとらす」

「冠者殿(義高)は」

 と、恐る恐る義時が聞きます。

「見つけ次第、首をはねよ」

 義時は御家人たちが見当違いの西を探すように細工します。

 しかし寺に隠れていたはずの義高が逃げたのです。義時に文を残しています。

「小四郎殿。私はやはり、あなたを信じることができません。御台所から遠ざけた上で、私を殺す気ではないのですか。鎌倉は恐ろしいところです。私は、故郷(ふるさとの)の信濃で生きることにします」

 義高が逃亡した西の方角には、御家人たちがひしめいています。

 政子と、大姫が頼朝の所にやって来ます。大姫は自分の喉に刃物を突きつけ、義高を救ってくれるように迫ります。

「わしの負けじゃ」頼朝は義時にいいます。「捕まえても殺さぬよう、皆に伝えよ」

 しかし頼朝のもとへ、桶(おけ)を持った御家人が現れるのです。

 その夜、時政が、頼朝からという文を義時に渡します。時政はいいます。

「あのお方は試しておられる。お前を、いや、北条を」

 義時は立ち上がり、父の時政に文を突きつけます。

「これはできませぬ」

 時政がいいます。

「覚悟を決めるんじゃ。小四郎」

 翌朝、武田信義の嫡男である、一条忠頼が頼朝に呼び出されます。義時の手の者が、忠頼の背後に立ちます。義時が告げます。

「一条忠頼。源義高をそそのかし、鎌倉殿への謀反をたくらんだ。その咎(とが)によって、成敗いたす」

 忠頼の体に、刃が振り下ろされるのでした。

 義時は義高の首を持ってきた、御家人をも殺します。これにて事件は幕を閉じたのでした。

 武田信義は、義時に起請文(きしょうもん)を渡します。

「この武田信義、頼朝殿に弓引きつもりなど、微塵(みじん)もなかった。息子は死ぬことはなかったのだ」

 義時は静かにいいます。

「これは警告です。二度と、鎌倉殿と競い合おうなどと、お思いになりませぬよう」

 信義はいいます。

「お前たちはおかしい。狂っておる」

 義時が去った後、信義は床に崩れるのでした。

 

『映画に溺れて』第487回 ボン・ヴォヤージュ

第487回 ボン・ヴォヤージュ

平成十七年四月(2005)
飯田橋 ギンレイホール

 

 第二次大戦時のパリ陥落を背景にしたイザベル・アジャーニ主演のコメディ。厳しい戦時下が題材ながら、エスプリたっぷりのおしゃれなウェルメイドプレイになっており、これぞフランス喜劇である。
 ドイツ軍によるパリ陥落の直後。銀幕スターのヴィヴィアンヌはつきまとうパトロンを射殺し、その始末を幼なじみで昔の恋人だった小説家志望のオジェに頼む。が、発覚して彼は犯人として刑務所に。
 ヴィヴィアンヌはオジェを見捨てて、自分のファンの大臣ボーフォールとともにパリからボルドーに逃れる。
 オジェはヴィヴィアンヌに裏切られたことを悟り、空襲のどさくさにまぎれ、囚人ラウルと脱獄しボルドーへ。
 このふたりに物理学専攻の女子学生カミーユと彼女の師である教授が同行する。教授は秘密裡に原子爆弾を開発しているらしい。それを狙うのが英国のジャーナリストを装うドイツのスパイ。
 ボルドーの大混乱の中で登場人物たちが五目飯のように混ぜ合わされ、いい味になる。イザベル・アジャーニをはじめ、ジェラール・ドパルデュー、グレゴリ・デランジュール、ヴィルジニー・ルドワイヤンイヴァン・アタルピーター・コヨーテ、俳優たちもみな個性的。純情青年と大臣とスパイを手玉に取る悪女は果たして戦時下を乗り切るのか。
 ヴィヴィアンヌがわがままぶりを発揮し、無理やり乗せてもらう官房長官の車の後ろの席にいるのがシャルル・ドゴールというあたりもまた心憎い。戦争そのものは悲劇だが、その裏側で、こんな喜劇も繰り広げられていたのだろう。
 それにしても、イザベル・アジャーニはこの映画の当時五十歳手前。息子ほどの青年の恋人役を演じてまったく不自然さを感じさせない。というより、妖艶さが加わって、トリュフォーのアデルに出ていた二十歳の頃よりもずっと美しい。

 

ボン・ヴォヤージュ/Bon voyage
2003 フランス/公開2004
監督:ジャン=ポール・ラグノー
出演:イザベル・アジャーニジェラール・ドパルデュー、グレゴリ・デランジュール、ヴィルジニー・ルドワイヤンイヴァン・アタルピーター・コヨーテ

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第16回 伝説の幕開け

 義時(小栗旬)と八重(新垣結衣)の子に、頼朝(大泉洋)は「金剛」の名を贈ります。その席には義時の父、北条時政坂東彌十郎)の姿もありました。頼朝が時政にいいます。

「よう帰って来てくれた。おぬしが一向に戻ってくれんので、藤九郎(安達盛長)を遣(つか)わせたぞ」

「お手間を取らせました」

 と、時政。安達盛長(野添義弘)がいいます。

「やはり鎌倉に、北条殿はなくてはなりません」

「このたびのこと、一切を、小四郎(義時)から聞いております」

 頼朝がいいます。

「この先、御家人たちを束ねていけるのは、舅(しゅうと)殿しかおらんのだ」

 時政は頭を下げます。

「ありがたいお言葉。粉骨砕身、務めまする」

 帰りに、廊下を歩きながら、時政と義時は話します。

「鎌倉は変るな」

「あれ以来、御家人たちは、次は我が身と、すっかりおびえています」

 と、義時は上総広常が、殺された事件のことをいいます。

「しかも今度の一件で分かったことがある。誰かに落ち度があれば、その所領が自分のものになる」

御家人たちがなれ合うときは終わりました」

「だから戻って来たのよ」時政は柱を叩きます。「いつ誰に謀反の疑いを掛けられるか、分かったもんじゃねえ」

「これから、どうなっていくのでしょうか」

「わしにもさっぱりだが、北条が生き抜いていく手立てはただ一つ。源氏に取り入り、付き従う。これまで以上に。それしかないて」

 義時はうなずくのでした。

 御家人たちは義経菅田将暉)の兵と合流し、木曽義仲青木崇高)を討つことを命じられます。総大将は頼朝の弟である、源範頼迫田孝也)です。そしていくさ奉行には、上総広常を討った、梶原景時中村獅童)が任命されます。頼朝は鎌倉に残り、北から攻めてくるかもしれない、藤原秀衡に備えます。鎌倉には比企能員佐藤二朗)と、北条時政も残ります。大江広元栗原英雄)が御家人たちに伝えます。

「義仲を滅ぼせば義仲の所領を、平家を滅ぼせば平家の所領を、皆に分け与えると、鎌倉殿はおおせでございます」

 その言葉を聞いて御家人たちは張り切ります。

 鎌倉を出発した範頼の本軍は、墨俣(すのまた)で義経の先発隊と合流します。範頼の陣に梶原景時が座ると、和田義盛横田栄司)と土肥実平阿南健治)が立ち上がります。二人は上総広常を斬った梶原を、許すことができなかったのです。そこへ義経がやって来ます。

義経はすでに義仲軍と小競り合いをしていました。

 京の義仲の宿所にて、義仲の側近である今井兼平(町田悠宇)がいいます。

「鎌倉の本軍が近江に迫ってきております」

「我らと手を組むつもりはないのか」

 と、義仲は吐き捨てます。巴御前秋元才加)がいいます。

「残念ながら、すでに小競り合いが」

 義仲は巴を振り返ります。

「文(ふみ)を送れ。我らは盟約を結んだはずだ。共に平家を討とうと伝えよ」

 鎌倉軍の陣では、義経が地図を見ながら範頼にしゃべっていました。

「明日には近江。兄上はこのまま勢多を通り、正面から京へ攻め込んでください。私は南へ下って、宇治より京へ」

 梶原景時が坂東武者に配置を命じようとしますが、和田たちは聞きません。義時が思わずいいます。

「方々、大いくさの前に、仲間内のいさかいはやめていただきたい。梶原殿は、鎌倉殿の命で上総介殿を斬られたのです。恨むのなら、鎌倉殿を恨むのが筋。道理の分からぬ者は鎌倉へお帰り願いたい」

 そこへ義仲からの文が届きます。義経はそれを読み、激怒します。恐る恐る義時が聞きます。

「返事は何とします」

「文を持ってきた奴の首をはねて、送り返せ」

 という義経に梶原がいいます。

「使者を殺すのは武士の作法に反します」

 義経は梶原にいいます。

「義仲の頭に血を上らせるんだ。いくさは、平静さを失った方が負けだ」義経は歩きながらしゃべります。「そうか、義仲はまだ、我らを敵とは思っておらぬのか。敵ならば、兵の数を躍起となって知ろうとするが、今はまだ、それもつかんではいないと見た。小四郎」と義経は義時に呼びかけます。「我らの軍勢を一千と少なく偽って、噂を流せ」

 義仲のもとへ、使者の首が送り届けられます。今井兼平がうめくようにいいます。

「これが義経の答えです」

 義仲は立てかけてある弓を引き倒し、文机を投げ捨てて暴れます。巴御前がいいます。

「今すぐ、いくさの支度を」

 しかし義仲は、意外にも冷静でした。

「挑発に乗ってはならん。我らを挑発するということは、向こうに小細工があるということだ。攻め手を分ける気か」義仲は地図を出させます。「大手が勢多なら、からめ手は宇治」

 そこへ知らせが入るのです。義経率いる一団が、南へ下ったとのことでした。

「数は」

 と、義仲は聞きます。わすか一千とのことでした。頼朝は鎌倉に大半の兵を残したのか、と義仲は理解します。義仲は地図を持ち上げます。

「鎌倉方、恐るるに足らぬ。このいくさ、勝った」

 義経宇治川のほとりに兵を集結させます。物見にやって来た義仲は、その数が万を超えていることを確認するのです。義仲勢の倍以上です。義仲は京を捨てることを決意します。

 義経は、義仲勢が橋を壊し始めたのを見て、畠山重忠中川大志)に川を渡るように命じます。味方が派手な先陣争いを演じている隙に、背後に回り込もうというのです。

 京の院御所にやってきた義仲は、後白河法皇西田敏行)を探します。隠れる法皇にかまわず、義仲は声をあげます。

「本日をもって、この源義仲、この京の地を離れ、北陸へ戻りまする。力及ばず、平家追討を果たせずに、この地を去るのは、断腸の思い。いっそ法皇様を道連れに北陸へ、そう考えもしましたが、その策に義はござらん。義仲の果たせなかったこと、必ずや、頼朝が引き継いでくれると信じております。法皇様の御悲願成就。平家は滅び、三種の神器が無事戻られることを心よりお祈りたてまつる次第。最後にひと目、法皇様にお目通りしとうござったが、それもかなわぬは、この義仲の不徳のいたすところ。もう二度と、お会いすることはございますまい。これにてごめん」

 義仲は頭を下げると去って行きます。

 義仲は近江へ去り、宇治川を突破した鎌倉軍は、京へ入ります。

 義経たちは、後白河上皇に謁見します。

「もそっと近う」

 という法皇の言葉に、義経は階段を上ります。しばらく体を休めよという法皇の言葉に、義経はいいます。

「それはできません。九郎義経、これより義仲の首を落とし、その足で西へ向かって、平家を滅ぼしまする。休んでいる暇はございません」

 あっけにとられる後白河法皇でしたが、やがて笑い出します。

「よう申した」

 京を出た義仲は、近江に向かいますが、そこに範頼の軍勢が待ち構えていました。

 義仲は巴御前に、息子への文を託し、一人落ち延びるように命じます。わざと捕えられて鎌倉へ行け、というのです。

 義仲は自害する場所を探していました。義仲はいいます。

「やるだけのことはやった。何一つ悔いはない。一つだけ、心残りがあるとするならば」

 といいかけたところに、一本の矢が義仲の額に突き刺さるのでした。

 鎌倉にいる頼朝は、京から来る知らせに目を通していました。そのなかで、義経の文が簡潔に事実を伝えていました。義仲を討ち取った。北条時政たちは、

「おめでとうございます」

 と、声を合わせるのでした。

 京にある範頼の陣で、梶原景時が話していました。

「平家の軍勢は福原に集まっています。攻めるならば、東の生田口か西の一ノ谷。されど真っ向から攻めれば、こちらも大きな痛手をこうむるのは必定」

「ではどうする」

 と、範頼が聞きます。

「下から攻め入りまする」

「山を下るのか」

 と、土肥実平

「軍勢を二つに分け、蒲殿(範頼)が、生田口に攻める。敵を引き付けている間に、九郎殿は、山側から敵の脇腹を突く」

「いかが思われますか」

 と、義時が義経にたずねます。

「山から攻めるのはいい。あとは、駄目だな」義経は梶原を見すえます。「話にならない」

「訳をうかがいましょう」

 と、梶原。

「私の策だ」義経は地図の前に片膝を立てます。「まず、福原の北にある、三草山の平家方を攻める」

 梶原がいいます。

「それでは、山側から攻めるのを、相手に知らせるようなもの」

「意表をついて、山から攻める。そんなのは子供でも思いつく。ということは敵も思いつく。だったらいっそのこと、手の内を見せてやる」

「何のために」

 と、和田が質問します。

「全部説明させるのか」と、不機嫌そうな態度を義経はとります。「敵を散らすんだよ。今は東西を固めている軍勢が、北も守ることになるだろう。その上で、我々は裏をかく。予想外の所から攻める」

 梶原がたずねます。

「どこから攻めるおつもりか」

「考え中である」と、義経はいってのけます。「その時その場をこの目で見て、決める」

 皆が騒然とする中、梶原がいうのです。

「九郎殿が、正しゅうござる。すべて、理にかなっておりまする」

 一人夜空を見上げる梶原に、義時は話しかけます。

「先ほどは、ありがとうございました」

 梶原がいいます。

「九郎殿が申されたことは、本来ならば、わしから思いつくべきこと。その手前で止まってしまっていた自分が腹立たしい」

「いくさをするために生まれてきたお人です」

「いくさ神、八幡大菩薩の化身のようだ」

 そこに義経がやって来て、義時にいうのです。

法皇様に、文をお届けしろ。平家に対して、和議をお命じいただきたい。源氏とのいくさを避けるよう、法皇様にお指図いただく。明後日六日には、先方に伝わると嬉しい。我々は法皇様のお言葉は知らなかったことにして、七日に攻め込む。敵はすっかり油断している。こっちの勝ちだ」義経は義時を振り返ります。「だまし討ちの何が悪い」

 文を受け取った後白河法皇は乗り気になります。

「こういうことは大好きじゃあ」

 と、声に出すのです。

 三草山で平家軍に夜討ちをかけた義経勢は、福原に向かって、山中を進みます。梶原が策を話します。

鵯越(ひよどりごえ)。あそこならば、馬に乗って駆け下りることも可能でしょう」

 義経がいいます。

「なだらかなところを駆け下りても、出し抜くことにはならぬ」

 その先にある鉢伏山義経は注目します。あの山を降りる、と宣言します。まず馬を行かせ、その後に人が続きます。

 二月七日の早朝、義経は、七十騎の武者と共に、鉢伏山に到着します。

 福原の東、生田口で「一の谷の戦い」といわれる、源平合戦最大の攻防が始まります。

 油断した平家の本陣の背後から、義経たちが姿を現すのです。

 正面から攻めていた義時たちは、戦う義経の姿を見つけます。梶原がつぶやくようにいいます。

八幡大菩薩の化身じゃ」

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第15回 足固めの儀式

 源義経菅田将暉)は木曽義仲青木崇高)を討つために、近江国にまで来ていました。

 京で義経の軍勢が迫っていることを知った義仲は、後白河法皇西田敏行)を捕え、御所に火を放ちます。

 その頃、義時(小栗旬)は、父の北条時政坂東彌十郎)のところへ、八重(新垣結衣)との結婚のあいさつに訪れていました。義時はしばらく時政のところで、八重を預かってもらうことにします。

 御家人たちが集まって話しています。千葉常胤(岡本信人)が発言します。

「御所に攻め入り、頼朝の首をとる」

 三浦義澄(佐藤B作)が反対します。

「あまり手荒なことをしとうない」

 岡崎義実(たかお鷹)が声をあげます。

「わしらの本気を示すんじゃ」

 上総広常(佐藤浩市)がいいます。

「あるじを殺した奴に、人はついてこねえ。この坂東を、源氏から取り戻す。大事なのはそこじゃねえのか」

 結局、頼朝の嫡男である、万寿を連れ去り、これと引き換えに頼朝を出て行かせることにします。万寿は生まれてから五百日に、初めて立ったという「足固めの儀式」を行うことになります。これは計画のために文覚(市川猿之助)でっち上げた儀式でした。そこを狙うことにします。

 梶原景時中村獅童)が、話し合いの場を離れようとします。和田義盛横田栄司)に呼び止められるのです。梶原は、頼朝に通じていることを感づかれていたのです。梶原は厩(うまや)に閉じ込められることになります。

 五百日の儀式の当日になります。千葉常胤、岡崎義実、三浦義澄の三人は、木曽義仲の息子である、源義高(市川染五郎)と話をします。事が成った暁(あかつき)には、自分たちの旗頭になって欲しいと頼みます。

「しばらく時が欲しい」

 といって、義高は去って行きます。

 御殿で義時は、頼朝の側近たちに話します。

「本日、三浦殿を中心とした、大がかりな鹿狩りが催されるようです。万寿様のお祝いと、同じ日というのが気になります」

 頼朝の弟の範頼(迫田孝也)がたずねます。

「鹿狩りは見せかけというのか」

「鹿狩りと称せば、御家人が弓矢を携え集(つど)っていてもおかしくありません」

 義時は土肥実平阿南健治)から、謀反の企てを聞き出すのでした。

 集合した御家人たちに、千葉常胤が呼びかけます。 

八幡宮で儀式が始まった。終わる頃を見計らって、和田殿が軍勢を率いて押し寄せ、万寿様の身柄をおさえる。時を同じくして三浦勢は江ノ島へ向かい、全成(新納慎也)を捕える。仕上げは全軍で御所を囲み、頼朝に鎌倉を去るよう迫る」

 御家人たちが声をあげます。

 安達盛長(野添義弘)が頼朝に報告します。

「文覚の件、土肥殿の言葉、梶原殿の居所が分からないのが気になります。すべてが謀反の企てを示しております」

 頼朝は各所の守りを固めるように命じます。義時は抗議します。

「力と力がぶつかれば、鎌倉は火の海となります。まずは、話し合うことが肝要かと」

「話して分かる奴らか」

 と、比企能員佐藤二朗)がいいます。

「その時は、上総介(佐藤浩市)殿が力になってくれます」義時は大江広元栗原英雄)とうなずき合います。「上総介殿は、我らと通じております。あのお方と私で、必ずや御家人たちを説き伏せて見せます」

 頼朝が義時にいいます。

「必ず御家人たちを説き伏せよ。今、兵を引けば、すべてなかったことにしてやっても良い」

 儀式を終えた八幡宮に、御家人たちが押し寄せます。和田義盛が片膝を突いていいます。

「若君、一緒においでいただきましょう。御台所(みだいどころ)も」

 しかしここで木曽義仲の息子の義高が、刀を抜いて前に出るのです。

「万寿様は私がお守りいたします。あるじに刃を向ける者は、許すわけにはいかぬ」

 そこへ、手勢を率い、義時が駆けつけるのです。

「お待ちください。すでにたくらみは暴かれました。御所は守りを固めております。刀を納められよ。これ以上の争いは無駄でございます」義時は和田に呼びかけます。「石橋山の戦いに敗れ、先がないところまで追いつめられた時、あなたはいわれた。我らは源氏のために戦っているのではない。これからは坂東武者の意地にかけて、平家を倒すのだと」

 木曽義仲法皇を人質に、京を手中に治めた、との情報に、和田の心は動きます。そういうことならばいたしかたない、と、皆に刀を収めるようにいうのです。

「小四郎、よう気張った」

 と、義時をほめさえします。

 義時は御家人の集合する中に乗り込みます。

「無駄死にするだけです」

 上総広常が発言してくれます。

「これまでということだな、小四郎」

「無念じゃ」

 と、千葉が座り込み、脇差しを抜き出します。

「よさねえかじいさん」

 と、上総広常が止めます。千葉は聞きません。

「すべてわしが考えたこと、わし一人の首でおさめる」

 三浦義村山本耕史)が千葉の脇差しを取りあげます。義時が話します。

「鎌倉殿は、兵を引けばすべて許すとおおせられました。御家人あってのご自分であることを、よく分かっておいでです」

 上総広常がいいます。

「あとは小四郎に任せよう。そうと決まったら、解散だ」

 頼朝は今回の乱に加わった者たちの名を見て、改めて驚きます。

「こんなにおるのか」

 比企能員がいいます。

「奴らは御所に攻め寄せるつもりだったのだぞ。厳罰に処さねば、示しがつきませぬ」

 義時が発言します。

「考えがあります。平家を倒した暁には、その所領を御家人たちに分配すると約束なさるのです。皆、我先にといくさに向かうはず」

 大江広元がいいます。

「しかしながら、やはり御家人たちが何一つおとがめなしというのでは、示しが付きません」

「それもそうだ」

 と、頼朝が同意します。

「この際、誰か一人に見せしめとして罪を負わせるというのはいかがでしょう」

「誰かに死んでもらうと」

 義時が抗議します。

「お待ちください。一人を選んで首をはねるなど、馬鹿げております」

「やはりあの男しかおらんだろう」 

 と、頼朝がいいます。大江がその名を口にします。

上総介広常殿」

 義時はあっけにとられます。実は頼朝は、上総広常を排除する機会をうかがっていたのです。あえて謀反に加担させ、責めを負わせる。頼朝は今回の事件を利用したのでした。御家人たちを御所に集め、皆の前で斬り捨てることにします。討ち手に梶原景時を選びます。

 御所に御家人たちが集められます。梶原景時は、上総広常をすごろくに誘います。上総がよそ見をした瞬間、梶原は、息子が持つ刀を抜き出して斬りつけます。皆が驚く中、梶原が呼ばわります。

上総介広常は、法皇様、並びに、鎌倉殿にたてついた大悪人なり。御所に攻め入り、鎌倉殿を亡きものにせんとたくらんだ。その咎(とが)によって、ここに成敗いたす」

 上総介は、一刀では死にませんでした。義時に声を掛け、頼朝の前に膝を突きます。上総介は、梶原に背中から貫かれるのでした。頼朝は皆に宣言します。

「謀反人、上総介広常を成敗した。残党を討ち、その所領は一堂に分け与えよう。西にはさらに多くの所領がある。義仲を討ち、平家を討ち、おのれの力で我が物にせよ。今こそ天下草創(そうそう)の時」頼朝は御家人たちを見回します。「わしに逆らう者は何人(なんぴと)も許さん。肝に銘じよ」

 御家人たちは声をあげるのでした。

 義時は、父、時政の館にやって来ます。預けていた妻の八重が、子を産んでいました。