日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第427回 ハスラー

第427回 ハスラー

平成二十三年十月(2011)
府中 TOHOシネマズ府中

 

 若い頃、ビリヤードに夢中になったことがある。ローテーションゲームでポケットに十五個の玉を落としていく快感。西武線江古田駅近くに友人がいて、駅前にあったビリヤード場に彼とよく通ったものだ。その場所が周防正行監督の『shall we ダンス?』に出てきたときは懐かしかった。
 映画館でなかなか出会えなかったポール・ニューマン主演の『ハスラー』を午前十時の映画祭で観られたときはうれしかった。
 ある町の酒場にふたりの男が立ち寄る。近くの町で会議があり、通りかかったセールスマン。ビリヤード台があるのを見つけ、時間つぶしに勝負。若いほうがさんざん負けて、酒をあおり、熱くなっている。そして、絶対ありえないような難しい玉をポケットに落とす。
 ついてたな、偶然だよ。と年配の男。いや、偶然じゃない、何度でも入れてみせるぜ、と若い男。ありえない、できる。じゃあ、賭けよう。もちろん、玉は入らず、若い男は金を取られる。
 もう一度やろう、今度は百ドルだ。
 明日は朝から会議だぞ。いい加減にしろ、と年配の男。すると、店のバーテンが、俺が乗ったぞ。年配の男が呆れて出て行く。しばらくして、若いほうが膨れた財布を手ににやにやしながら。このふたり、プロの勝負師だったのだ。
 ポール・ニューマンふんする「早業エディ」、不敗の名人ファッツに勝負を挑み、三十時間ぶっ通しで玉を突き続け、最後には冷静な名人に手痛くやられる。彼の腕を見込んだギャンブラーの手配で富豪と一騎打ち。大金を得ても愛する女性を失う。やがて、再びファッツに挑戦するが。
 エディのポール・ニューマン、二枚目であり、しかもすばらしい演技力である。
 八十年代の後半に続編『ハスラー2』が作られ、にわかにビリヤードブーム。当然ながら長続きせず、ブーム以前からあったビリヤード場までが姿を消してしまった。

 

ハスラー/The Hustler
1961 アメリカ/公開1962
監督:ロバート・ロッセン
出演:ポール・ニューマン、ジャッキー・グリーソン、パイパー・ローリー、ジョージ・C・スコット、マイロン・マコーミック

 

『映画に溺れて』第426回 白と黒

第426回 白と黒

平成十三年六月(2001)

京橋 フィルムセンター

 

 犯罪物、推理物の面白さは、最後に意外な犯人が用意されていて、あっと驚かされ大満足となるのだが、この映画は犯行の場面で始まる。

 弁護士会の会長夫人が浮気相手の若手弁護士、浜野に痴話喧嘩の果て、腰紐で首を締められる。いきなり犯人がわかってしまって、さて、どう展開するのか。

 お手伝いが戻ってくると、夫人が死んでいるので、警察に知らせる。夫の弁護士会会長は関西の会議で留守。浜野が夫人を訪ねていたことはお手伝いから知れているので、刑事はさっそく浜野を問い詰める。根っからの悪人でない浜野は刑事の前でしどろもどろ、そこへ突然、犯人が捕まったという知らせが入る。

 脇田という前科者が逮捕され、弁護士宅の宝石を所持しており、現場にも指紋が残されていることから、夫人殺しの犯人として起訴される。

 そこで登場するのが検事の落合。脇田は動かぬ証拠のある窃盗については認めたものの、夫人殺しについては白を切り続ける。強盗の前科があり、状況証拠から見ても犯人にまず間違いない。検事は粘り強く追い詰め、胸の病気で将来に絶望しているこの男、最後には根負けして、殺人も認めてしまう。

 いよいよ裁判となり、弁護を買って出たのが、驚いたことに被害者の夫の弁護士会会長。彼は死刑廃止論者で、自分の主義を通すためにもこの犯人を弁護するといい、その助手として浜野が選ばれる。

 容疑者が犯行を認めたので、浜野は動揺している。無実の人間が死刑になろうとしているのだ。良心の呵責に耐えらず、つい落合検事の前で不審な言動を洩らしてしまう。それに疑念を抱いた落合検事は……。

 橋本忍の見事な脚本に思わず唸った。ひょっとして『真実の行方』の原作者ウィリアム・ディールはこの日本映画を観ていたのだろうか。

 

白と黒 1963

監督:堀川弘通

出演:小林桂樹仲代達矢淡島千景乙羽信子大空真弓千田是也小沢栄太郎西村晃山茶花究三島雅夫、井川比佐志、東野英治郎、浜村純、永井智雄、菅井きん野村昭子

西山ガラシャさん新刊

新刊「徳川家康とお亀の方」

会員・西山ガラシャさん原作の歴史漫画が発売となりました。

読者の皆様、よろしくお願いいたします。

 

 

『映画に溺れて』第425回 shall we ダンス?(1996)

第425回 shall we ダンス?(1996)

平成八年七月(1996)
池袋 文芸坐

 

 リチャード・ギア主演のハリウッドリメイク版もよく出来ているが、やはりなんといってもオリジナル『shall we ダンス?』がいいのだ。
 この映画のヒットで中高年層に社交ダンスが流行したとのこと。
 主人公杉山正平は大企業の中間管理職を勤めるサラリーマン、郊外に小さいながらも家を買い、妻と娘も過不足なく、仕事も問題ない。
 ある日、駅のホームから駅前の社交ダンス教室の窓が見えて、美しい女性が外を眺めているのに思わず見惚れる。次の日も。また次の日も。
 そして正平は何日か迷った末、とうとう教室の門を叩くのだ。
 教室の窓辺にいた岸川舞は経営者の娘で、教室を手伝っている。正平はしばらくして、彼女を食事に誘い、手ひどく断られる。そこで奮起して、ダンスを上達するためレッスンに精を出す。
 妻の昌子は夫の秘密めいた素振りから浮気でもしているのかと疑い、興信所の探偵を雇うが、ダンスとわかり驚く。
 動機は不純な下心であっても、正平はやがてダンスに熱中し、上達し、とうとう競技大会へ。
 配役も私好み。杉山正平が役所広司。窓辺の乙女岸川舞が草刈民代。初心者クラスのレッスンを受け持つ先生が草村礼子。妻昌子が原日出子。探偵が柄本明。教室のレッスン仲間が徳井優田口浩正。会社の同僚のダンスマニアが竹中直人。正平と大会に出場する教室古参の中年女性が渡辺えり子。個性派ぞろいである。
 探偵の興信所に『フォローミー』のポスターがあり、にんまり。
 いささか個人的なことで恐縮だが、私は若い頃、西武池袋線江古田駅前にあるビリヤード場にしょっちゅう通っていた。この映画を観たとき、あっと思った。ダンス教室として使われている場所、なんとあのビリヤード場ではないか。

 

shall we ダンス?
1996
監督:周防正行
出演:役所広司草刈民代竹中直人渡辺えり子草村礼子柄本明徳井優田口浩正原日出子森山周一郎本木雅弘清水美砂上田耕一、宮坂ひろし

 

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第23回 篤太夫と最後の将軍

 パリにいる幕府の使節団に、フランスからの六百万ドルの借款(しゃっかん)が消滅したとの知らせが入ります。同時にパリに来ていた薩摩が風聞を流し、幕府の信用が落としめられたためです。問題は民部公子(徳川昭武)(板垣李光人)が諸国へあいさつ回りするための十万ドルをどうするかということです。

「いや、策はある」外国奉行支配の田辺太一(山中聡)がいいます。「民部公子の名義で為替(かわせ)を発行し、買い取らせた先から日本の公儀に対し、取り立てさせる」

 フランスが駄目でも、オランダの貿易商社や、イギリスのオリエンタルバンクなら応じてくれる。その交渉を、篤太夫吉沢亮)が引き受けるのです。

 当面の費用をなんとか調達した昭武一行は、条約を結んだ諸国への旅に出発しました。スイスのベルンにて、外国奉行の栗本鋤雲(池内万作)と合流します。なぜわざわざ来たのかとの問いに、栗本は答えます。

「薩摩めに落とされた、公儀の信用を取り戻しに来たに決まっておりまする」栗本は一行の顔を見回します。「私は上様より、日本は公儀のものであることを示す弁明を持参した。借款もやり直さねばならぬ。あの借款は、公儀の命運を握る金だ」栗本は振り返ります。「杉浦は今後の方針を仰ぐために先に帰国せよ。渋沢。これは小栗様より預かってきた為替だ。公儀は金のない中、こたびの旅も中止にせよとのことであったが、諸国の信用を失わぬためにも、この為替を使って至極簡素に旅を続けよ。おぬしに任せたぞ」

 と、栗本は篤太夫を見つめるのでした。。

 日本では慶喜の側近である原市之進(尾上寛之)が斬られます。下手人は直参の二人でした。慶喜(草彅剛)は嘆きます。

「なぜだ。なぜわたしの大事なものを次々と奪う」

 血洗島では平九郎(岡田健史)が正式に篤太夫の養子となります。しばらく直参として江戸に暮らすことになります。平九郎は栄一の妹、てい(藤野涼子)、と結婚の約束をするのでした。

 京では岩倉具視山内圭哉)が大久保一蔵(石丸幹二)に図面を見せていました。

「これがあれば、いくさになっても心配あらしまへん」

 大久保が聞きます。

「こいは、錦(にしき)の御旗(みはた)」

「そうです。この御旗も源平から足利の頃までいろいろありますよって、生地を大和錦に紅白緞子で、ぱーっと。目切ったらそれでよろしい。けちったらあかん」などと岩倉は話します。「まつりごとを朝廷に返すはもちろんのこと、徳川を払わねばとてもとても、真の王政復古とはいえしまへん」

 大久保がいいます。

「わが薩摩や、長州と芸州は、王政復古の大業のため、国を投げ打ち、悪逆徳川を討ち払う所存でごわすが、土佐などはまだ、内部でもめちょります」

「はあ、その間に徳川が勢いとり戻したらどないする」

「そげんなる前にどうか、一刻も早う倒幕の宣旨(せんじ)をいただきとうございもす」

 伏見の薩摩藩邸に、おびただしい武器が運び込まれています。

「いくさじゃ」

 と、西郷吉之助(博多華丸)がつぶやいています。西郷は天璋院様御守衛という名目で浪人を集め、きたるべき時に備えていました。

 慶喜は一人で碁を打ちながらつぶやいています。

「このままではいつ薩摩が兵を起こすか分からぬ。いまだ借款はならず、陸海軍も整わぬ中、このまま後手に回り、いくさとなれば、必ず長州征討のような負けいくさとなろう。いっそ、朝廷にまつりごとをお返しするか。さすれば薩摩は、振り上げた拳を下ろす場所を失う。五百年まつりごとから離れている朝廷に力がないのは明らか。こうなればまだ公儀に見込みがある」

 慶応三年(1867)十月十二日。二条城にて、慶喜は政権を帝(みかど)に返すことを宣言します。

 江戸城では小栗忠順(上野介)(武田真治)が話していました。

「大政の奉還は、公儀の滅亡を急がせるもの」皆が騒ぎます。「さような議論より、この公儀未曾有の危機に際し、まずはまつりごとを一刻も早く取り戻すのが急務でございまする。すみやかに江戸より軍を上京させ、薩長、土佐、芸州など、公儀に刃向かう者らに兵端を開かせ、その機に乗じて、天子様の周囲から奴らを一掃し、その巣窟を滅ぼすのです」

 江戸城では大奥でも混乱が起っていました。自害して果てようというものが出ていたのです。天璋院上白石萌音)に喉に突きつけた刃を押さえられた歌橋はいいます。

「この世はもう、終わったも同じでございまする。奥に関わったものとして、生きてこの先を見とうはございませぬ」歌橋は泣き崩れます。「慶喜が、徳川を殺したのです」

 あばら屋で洗濯板を使う岩倉具視が、大久保一蔵にいいます。

慶喜というのはえらい男や。せっかく蟄居(ちっきょ)のわしが、あっちに手紙を出し、こっちにこっそり足を運んでと、えらい思いして倒幕の密勅をひねり出したというのに、先手を打ってくるとはな」

 大久保がいいます。

「大政を奉還しても結局、朝廷は、先のことが決まるまで、将軍職はこれまで通りと申しております。こげんなことでは、ないも変わらん」

 そこへ岩倉に文(ふみ)が届きます。蟄居が解かれたとの内容でした。岩倉は喜び、張り切ります。

 パリでは、各国歴訪を終えた昭武たちが、留学生活に入りました。教師となるのは、陸軍中佐ヴィレットです。民部公子に見合った帝王学を学ばせるようにと、ナポレオン三世より遣わされたのでした。ヴィレットは 民部公子をはじめ皆が、髷(まげ)を落とし、刀を外し、洋服を着ることを要求します。水戸藩士たちはヴィレットに凄みますが

「そのような格好では何も学べない」

 と、叱りつけられます。

「郷に入れば郷に従えじゃ」

 と、栗本鋤雲もいいます。篤太夫はこの成り行きを面白がっている様子でした。

 篤太夫は軍人のヴィレットと銀行のオーナーのエラールが親しげに話しているのを目撃します。

「商人(あきんど)と身分の高い武士が、まるで友のように話をするとは」

 エラールは答えます。

「フランスでは役人も軍人も商人も同じです」

 篤太夫はベルギーで国王自らが、民部公子に鉄を売り込んできたことを思い出します。

「そうか。異国がどこか風通しいいのはこのせいか。日の本では、民はいくら賢くてもお上の思し召し次第。なかったことでも『うん』とうなずかされ、サギをカラスだと無理な押しつけをされることは良くある。ここにはそれはねえ。皆が同じ場に立ち、皆がそれぞれ国のために励んでおる。そうだい、本来これこそが真(まこと)のはずだ。身分などに関わりなく、誰もが、その力を生かせる場で励むべきだと。こうでなくてはならねえ。鉄道や、水道やガスもニュースペーパーもだが、この理(ことわり)こそ、日の本に移さねば」

 水戸藩士三人はフランスの生活になじめず、外国方の向山、田辺らと共に日本に帰ることになります。

 慶応三年(1868)十二月九日。京の御所に公家たちが入ろうとすると、薩摩兵に制止されます。薩摩の西郷ら、反幕府勢力がついに動き出したのです。朝廷を一気に支配下に置こうという、クーデターの始まりでした。そして王政復古が宣言されるのです。

 その夜、国の方針を立てるための小御所会議が開かれました。

慶喜公がこの席に見えんな」前土佐藩主、山内容堂が発言します。「このたびの一件は、実に陰険なところが多いき。ことに王政復古の始めにあたり、兵で御所の門を固めるとは、もってのほか。そもそも二百年このかた、天下を無事に治めてきたのは、徳川の功績ではないかね。慶喜公は、祖先から受け継いだ将軍職をも投げ打って、大政を奉還された。慶喜公が優れた人物いうことは、もう天下に知られておる。会議をするなら、ここに呼ばんでどうするのじゃ」

 松平春獄要潤)も同意します。

「この場に、その主たる位置に付くべき慶喜公がおられぬのは解(げ)せん。また、徳川宗家のご領地を、返還せよとの命も、的外れに思える」

 会議は紛糾します。会議の間に大久保と話す岩倉に、西郷が話しかけてきます。

「こいはいっといくさをせんな」

 岩倉がいいます。

「向こうが戦おうともしてへんのに、こっちがいくさを仕掛けたんでは道理が立たしまへん」

 西郷は不敵な笑みを浮かべます。

「いくさがしたくなかちゅうなら、したくなるようにすっだけじゃあ」

 大阪城にいる慶喜のもとへ、成一郎(高良健吾)が報告に訪れます。

「三日前、江戸城二の丸が放火されたとのこと。薩摩が、奥におられる天璋院様を奪うために、仕組んだこととの風説でございます」

 慶喜はいいます。

「いや、これは罠だ。動いてはならぬ」

 他にも知らせを持ってくる者がいます。

「庄内を先鋒とする諸兵が、薩摩屋敷を砲撃。ただちにいくさと相成りましてございます」

「戦端を切ったのか」慶喜はつぶやくようにいいます。「何が起っても、耐えろと申したのに。耐えて待ちさえすれば時は来ると」

 慶喜重臣たちの前に出ます。

「薩摩を討つべし」

 重臣たちは口々にそれを述べるのでした。

 

 

『映画に溺れて』第424回 Shall We Dance?(2004)

第424回 Shall We Dance?(2004)

平成十七年六月(2005)
新宿 新宿スカラ2

 

 リチャード・ギアはよほどシカゴの弁護士に縁があるのだろうか。『真実の行方』『シカゴ』に続いてもう一本、やはりシカゴの弁護士役があるのだ。
 ただし、やり手の悪徳弁護士ではなく、遺言作成専門の雇われ弁護士。真面目で温厚な小市民である。
 この弁護士が電車で帰宅途中、ある駅前のビルにあるダンス教室の窓に美女を見て、ふらっと電車を降り、そのまま教室に入門。ダンスを始めるという話。
 周防正行監督の『shall we ダンス?』のハリウッドリメイク版である。
 オリジナルの役所広司は普通の会社員だったが、この設定をシカゴの弁護士に変えたところに、『シカゴ』や『真実の行方』との因縁を感じるのは私だけか。
 日本版オリジナルも大好きだが、ハリウッド版はこれはこれでとても面白い。日本版とほとんど同じ展開ながら、完全にアメリカ映画になっており、全然違和感がないのだ。これはもともと周防監督のオリジナルがハリウッドのコメディのようにお洒落で洗練されているからだろう。
 哀愁漂う役所広司と違って、リチャード・ギアはかっこ良すぎて普通のサラリーマンには見えないので弁護士なのか。
 ジェニファー・ロペスはダンス教室の娘ではなくて、雇われている講師。オリジナルの草刈民代は清楚なイメージだが、ロペスはヒスパニックで肉食系である。
 スーザン・サランドン演じる妻はデパートの洋服売り場の管理職。ダンスマニアの同僚がスタンリー・トゥッチ、探偵がリチャード・ジェンキンズ。
 細かい点はいくつか違うが、大筋は同じ。かつて、日本人は外国の製品を器用に真似して新商品を開発するのが上手な国民だ、などと揶揄されたこともあったが、逆に日本映画が外国で評判になってリメイクされるのはうれしい限りである。

 

Shall We Dance?/Shall We Dance?
2004 アメリカ/公開2005
監督:ピーター・チェルソム
出演:リチャード・ギアジェニファー・ロペススーザン・サランドンスタンリー・トゥッチ、リチャード・ジェンキンズ

 

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第22回 篤太夫、パリへ

 慶応三年(1867)。篤太夫吉沢亮)はパリへ向かう船に乗っていました。船酔いで苦しむ篤太夫に、水を差し出す者がいます。日本語を操る外国人に、篤太夫は驚きます。アレクサンダー・シーボルトでした。帰国のために同船していましたが、パリまで通辞の役をしてくれることになったのでした。

 篤太夫は船中での食事に驚きますが、パンやコーヒーも抵抗なく受け入れていきます。

 篤太夫たちの乗った船はインド洋を過ぎ、スエズ運河が建設中のため、汽車に乗り換え、地中海へ。そして五十五日目、ついにパリに到着するのです。

 篤太夫は荷物を背負い、階段を登っていきます。スエズ運河のことを感心してしゃべっていました。階段を上りきると、そこは展望台でした。パリの街並みを一望することができたのです。篤太夫は言葉を失い

「これがパリ」

 と、やっと声を発するのでした。

 徳川昭武(坂垣李光人)ら幕府の使節一行は、パリのグランドホテルに投宿します。

 外国奉行である向山一履(岡崎諦)は、フランスの聖職者らしき人物に、日本語で話しかけられます。カション神父でした。

「なぜシーボルトがいる。フランス政府からは、私が正式な通訳をするようにいわれています」

 向山は、カションの胸にかかっている十字架を見て、

キリシタンめ」

 とつぶやくのです。釈明するよう向山はいいます。道中、シーボルトの好意に助けられた。しばらく同行してもらいたいと考えている。カション神父はフランス語でつぶやくのです。

「あいつはイギリス側だぞ」

 昭武の側に付いている三人の水戸藩士は、コーヒーを持ってきた給仕を怒鳴りつけます。昭武に無礼があってはならじと、ピリピリしているのです。なんとか篤太夫の取りなしでその場は治まります。

 篤太夫たちは万国博覧会の見学に出かけました。巨大な車輪が回っています。シーボルトが一行に説明します。

蒸気機関はイギリスで発明され、そこから世界が一気に変わりました」

「船も鉄道も、この力で動いてんのかい」

 と、篤太夫は感心します。篤太夫と医師の高松凌雲(細田善彦)は、次々と人々が入っていく小部屋を見つけます。

「なんだいこの、窮屈そうな箱は」

 篤太夫はいぶかしみます。

「行ってみよう」

 と、凌雲が誘います。篤太夫たちが乗り込むと、入り口の格子が閉められるのです。

「なぜ閉める。まるで牢屋じゃねえか」

 と、篤太夫は動揺します。小部屋は蒸気の力で上昇していきます。エレベーターだったのです。エレベーターは最上階に到着します。さらに階段を登り、篤太夫は博覧会場の屋根に出ます。篤太夫は笑い声を上げ、座り込んでしまいます。

「参った」と大声で叫ぶのです。「物産会どころか、何日かけても見きれねえ品ばかりだ。にもかかわらず、ちっぽけな俺は言葉も通じず、その品々を見定める目も、考える頭すらねえや」篤太夫は再び笑います。「夢の中にいるみてえだ」

 栄一たちは博覧会場の日本の展示場にやって来ます。日の丸が多数立てられ、歓迎されていることがうかがわれます。しかし隣に琉球と書いた展示場があったのです。中には薩摩の工芸品が並べてありました。そして島津家の旗が掲げられていたのです。そこにモンブランと名乗るフランス人が声をかけくるのです。

 幕府の外国奉行支配組頭の田辺太一(山中聡)らは、薩摩藩家老の岩下佐次右衛門と談判します。薩摩側の席にモンブランもいます。田辺は怒りを押さえ切れない様子で述べます。

「薩摩殿が、琉球国王と称し、その名義で薩摩の品々を出品なされているのは、いかなる理由か。日の丸という日本の旗をないがしろにし、薩摩の紋を国の旗として用いておられる。これは、日本に背いた独立と取ってよろしいのか」

「まさか」驚いたように岩下はいい、笑い声をたてます。「薩摩の出品は琉球王国博覧会委員長のモンブラン殿が、万事一手に為されたことで」岩下は真顔になります。「モンブラン殿に聞いて下され」

ムッシュ田辺」モンブランはフランス語でいいます。「あなたは以前、私の申し出をお断りになられた。幕府の方の皆さんはそうです。貿易も万博も助けたかった。しかし、五代は違いました」

 薩摩の五代才助(ディーン・フジオカ)は、モンブランに全面的に任せたのでした。

「もうよい」テーブル叩いて田辺は立ち上がります。「何としても、琉球という二文字を取っていただかなくてはならない。それに琉球王国として掲げたあの薩摩の旗だ。薩摩の旗は外し、日の本の旗の下にすべての品を並べよ。出品者の琉球国王には大君という表記にしてもらわねばならぬ」

「いやあ」とぼけた表情で岩下も立ち上がります。「困るう。薩摩が出品すっ形でなければ、承服できん」

 モンブランがいいます。

琉球王国ではなく、薩摩太守にしましょう」

 それで田辺は納得します。モンブランは話をまとめます。

「では日本の出品は、全て日の丸の旗のもとに置き、幕府の品には大君グーヴェルヌマン。薩摩の品には薩摩太守グーヴェルヌマン。いいですね」

 日本の展示の様子は、新聞記事となって伝えられました。その記事によると、日本は一つの国家ではなく、連邦国であると記されています。幕府一行の中の通辞が、それを伝えます。

「日本の物産は、大君グーヴェルヌマンと、薩摩太守グーヴェルヌマンが出品している」

 グーヴェルヌマンの意味を、篤太夫に杉浦愛藏(志尊淳)が説明します。それは「政府」と訳されるのでした。通辞が続けます。

「つまり将軍とは、日本の中の有力な一大名に過ぎず、薩摩太守や他の大名と同じように、一つの領主である」

 外国奉行の向山一覆は怒ります。

「将軍と大名が同格とは、どういうことだ」

 杉浦が新聞を訳します。

「日本は連邦国。将軍の政府は、その中でもやや広く、やや力があるに過ぎないことが分かった」

 田辺は叫びます。

「公儀をおとしめる、薩摩とモンブランの策略だ」

 その頃、シーボルトは密かに手紙を書いていました。

「イギリス外務省、外務次官殿。幕府一行には、怪しまれることなく動いていますのでご安心下さい。すでに薩摩はモンブランを雇い、幕府にダメージを与えています」

 シーボルトは新聞を手に取り、つぶやくのでした。

「面白いことになりそうだ」

 大君は日本の皇帝ではない、のフランス新聞の見出しを篤太夫は噛みしめます。

 こうした中、昭武は、チュルリー宮殿にて、ナボレンオ三世との謁見の儀式に臨みました。これは徳川将軍の権威を世界に示すまたとない機会でした。まだ幼さの残る昭武は、ナポレオン三世の前で威厳を持って慶喜の親書を読みあげ、将軍の名代としての任務を立派に果たすのでした。

 日本では、慶喜がフランス公使のロッシュと会っていました。ロッシュは話します。

「もし日本の生糸をフランスに最優先で売るとお約束いただければ、わがフランスはお望みのものは何でもご用立ていたします」ロッシュは慶喜を持ち上げます。「大君、あなたは輝ける特別なお方だ。イギリスなど恐れることはない。ナポレオン三世のようにおやりなさい」

 慶喜は各国公使と接見します。兵庫の開港と、大阪に市場を開くことを宣言するのでした。この席でイギリスのパークスはアーネスト・サトウと密かに話します。

「パリのシーボルトはどうしている」

「万事うまくいっていると連絡がありました」

 パークスはいいます。

「しかし慶喜は今までの徳川とは違う」

 サトウも応じます。

「もしかすると徳川は持ち直すかもしれません」

 ロッシュの助言を得て、次々に改革を進める慶喜に対し、薩摩の島津久光はかつての参与会議のメンバーを集め、政治の主導権を奪おうとします。慶喜は久光たちを写真に撮ってやり、集まりをうやむやにしてしまいます。久光の企ては慶喜の前に崩れ、以降薩摩は倒幕へと急速に舵を切るのでした。

 パリでは、使節団の滞在費用がかさみはじめ、経費節約の必要に迫られていました。篤太夫は杉浦たちと暮らすためにアパルトマンを見つけます。昭武のための住居も見つけますが、通辞の山内文治郎は、値切ることに拒否反応を見せるのです。篤太夫は杉浦たちにこぼします。

「侍ってのは金に頓着がなさ過ぎる。倹約など考えもせず、フランス人にいわれればいわれるだけの金をホイホイと出し、むしろそれを美徳と思っている所すらある」

 篤太夫は、家賃を値下げしてもらうことに成功し、昭武たちが引っ越す手はずを整えました。しかし昭武に付いている水戸藩士たちが怒り出すのです。民部公子様をこんなしみったれたところにお住みさせるのか、と。

「待て」と昭武が声を出します。「兄上がお住まいになるところよりずっと立派ではないか。私にはもったいないくらいだ。ここで良い」昭武は篤太夫を振り返ります。「渋沢、ご苦労であった」

 篤太夫たちは、忙しい公務の合間を縫って、パリの街を見物に出かけました。篤太夫と医師の凌雲が心を引かれたのは「廃兵院」でした。カション神父が説明します。

「戦争で傷を負い、動けなくなった兵士たちの治療のために暮らすところ」

「しかし暮らしや治療のお金は」

 と、篤太夫が質問します。

「金は国が出します。国のための戦いで怪我をした兵士の面倒を見るのですから、当たり前のことだ」

 国の金で治療とは、と篤太夫は衝撃を受けます。凌雲も感銘を受けた様子でした。

 舞踏会の席で、上杉は、江戸から金が届かないことを篤太夫に打ち明けます。持っている費用は尽きようとしています。

 薩摩の地で、五代才助が話しています。

「パリ、モンブランの働きで、フランス政府と、幕府の結びつきは切れもした。こいで、大阪の商人を使っての幕府のカンパニーのはかりごとも潰れもんそ」

 大久保一蔵がいいます。

「じゃっどん、慶喜は、おいの思うちょった以上に頭が切る。そんまつりごとがあたかも東照大権現様の再生のようじゃと」

「頭はあっても、金がなければまつりごとは動きもはん」

 江戸城では栗本鋤雲(池内満作)が小栗忠順(上野介)(武田真治)に語っています。

「上様は一大名に過ぎぬという風聞が巻き起こり、このままでは借款はおりぬと、ロッシュ殿があせっておる」

「まさか、薩摩がそこまでするとは」

「急ぎ手を打たねば、公儀はもちろん、パリの民部公子のお立場が危うい」

 篤太夫はそろばんをはじいていました。そこに杉浦が「大変だ」とやってくるのです。

「フランスから、わが国への六百万ドルの借款は、消滅した」

 

 

書評『シャムのサムライ 山田長政』

書名『シャムのサムライ 山田長政』                
著者名 幡 大介
発売 実業之日本社
発行年月日  2021年5月25日
定価  ¥2400E

 

 

 海外に雄飛した一世の英傑、異国で出世した山田長政(1590?~1630)の真の姿を浮かび上がらせようとした本作品は600頁を超す超大作、しかも書下ろしの歴史小説である。
 沼津藩主の駕籠かきに過ぎなかった一人の青年が、シャム(現在のタイ)に渡り、日本人が傭兵として存在していたアユタヤ王朝で兵馬の権を握り、傭兵隊長、最終的には官吏の世界の頂点に登りつめるなどの立身出世をとげ、王朝内の王位継承問題にまきこまれ、悲劇的な最期を遂げた。
 戦前の国家思想は南進政策を正当化するためのプロパガンダとして、長政の「海外雄飛」を最大限に利用した。「雄飛=侵略」であったが、それを糊塗するがために、 
「長政=南方進出の先駆者・英雄」と喧伝した。 
 敗戦後、長政を扱うことはタブー視されていたが、遠藤周作中津文彦白石一郎ら多くの作家が南進論から離れた真の長政評価を試みている。作家たちは自由に想像力の翼を広げ、各自の世界の中に「山田長政」を展開しているのである。

 実在の山田長政がアユタヤ王朝で頭角を現すまでの数年間は信頼できる史料の空白時代であり、長政がアユタヤの日本人町の3代目の頭領となった年についても諸説ある。そもそも長政の素性はよくわからず、出生年、出生地、出国までの事情がきわめて不分明なのであるが、日本近世外交交渉史の泰斗・岩生成一は「不身持で身のおきどころなく、密航してシャムについた駿河の人」(『日本の歴史14 鎖国』1966年刊)と断じている。幕府が開かれ、社会秩序が軌道に乗りつつある日本は長政のような青年にとって住みづらく、海外に新天地を求めるべく朱印船に乗り、かくして日本を出国したという推理は妥当なものである。

 長政が3代目の頭領となったのは元和3年(1617)であるとする説が有力である。では、なぜ、長政は渡航後数年で頭領になれたのか。
 幡(ばん)大介(だいすけ)による本作は先行する作品とどう違うか。本作の特色は二つある。一つは「長政と幕閣要人のつながり」、一つは「シャム女との結婚」である。この2点を軸とした卓抜した構想力と歴史観で、作者は長政がいかに海外で雄飛したかを物語っている。
 長政と幕閣要人のつながりついては、幕府の朱印管理者である井上正就(まさなり)(1577~1628) の人物造形が注目されよう。
 朱印船は秀吉の時代から実施されていたが、国の貿易船制度としての朱印船制度を布いたのは家康で、関ヶ原の戦いの翌年の慶長6年(1601)、家康はフィリピンをはじめ東南アジアの国々へその旨を通告している。のっぴきならないキリシタン問題を抱えていたのは秀吉と同様だが、西国大名の強大化を恐れた家康は南蛮貿易を幕府の独占とし、宗教と貿易の分離を意図した。が、秀忠、家光らの後継者たちは家康の遠大な意図を十二分に察することができなかった。
 徳川初期の諸勢力の錯綜する関係の中に、井上正就と家康の後胤とも伝えられる幕閣の重鎮・土井利勝の対立が朱印船制度を核として描かれている。
 長政が何かの関係で「シャム国の王妃」と関係したことは確かなことのようである。
遠藤周作は『王国への道』(1981年刊)で、「ヨターティプ姫」を、白石一郎は『風雲児』(1994年刊)で、「シャム国王の娘チアン」を造形しているが、本作では「長政の妻で、長男オインの母」としての「タンヤラット」が登場する。タンヤラットは
「王族とは名ばかりの末葉、王家の元侍女」だが、彼女の存在なくしては、長政の栄達は有り得なかったとしている。長政はタンヤラットの肉体の門をくぐることによって、シャムの風俗や風習を身につけていくとの観点は先行作品には無い。
 長政がソンタム王(在位1611~28)に重宝されたのは、日本人町の頭領であるとともに、アユタヤ王朝の日本人義勇兵の頭領であったためだが、寛永5年(1628)ソンタム王が死去するや、長政の運命は暗転する。王の死の2年後の寛永7年(1630) 長政は謀殺されるのである。
 長政の悲劇の本質は、幕府が禁海政策に向かっていた時代に生きたことであろう。
長政の存在が日本で知らされ、シャム使節が来朝したのは元和7年(1621)であるが、同年、幕府は日本人傭兵と武器の輸出を全面的に禁止するとともに、日本人の外国船に便乗しての海外渡航を禁じているのである。何という運命のいたずらであろうか。
長政は国外のシャムに在って、徳川体制の固まる当時の時代状況、宗教と貿易の分離に失敗した二代将軍秀忠のもとで禁教と鎖国が進むことを冷静に見つめていたことであろう。

 戦国末期から江戸初期にかけて、多くの日本人(一説には10万人を超えるとも)が東南アジア諸国渡航し、土着して日本人町をつくった。寛永10年(1632)第一回の鎖国令が発布されるまでの約半世紀は日本人の海外進出のエネルギーが噴出した活発な時代〈大航海時代〉と観ることができるが、その仇花的な存在が長政なのである。
 アユタヤの日本人町には商人と牢人の二種類の日本人、牢人の多くは関ヶ原牢人とキリシタン牢人であった。彼らは日本を追われてアユタヤに流れ着き、ようやく平穏な暮らしを手に入れようとした。本作の登場人物「奴隷のヨゾウ」もその一人である。はじめ長政を無視、敵愾心すら抱いていたヨゾウがやがて長政に心服して、絶望の淵から生きる望みを新たに「真田(さなだ)左衛門佐信繁(さえもんのすけのぶしげ)が馬廻 山浦与惣右衛門(よぞうえもん)」と名乗るシーンは感動的である。
 長政の死後まもなく、日本の鎖国によって、朱印船貿易も廃止され、日本人町も消えていく。
 寛永12年(1635)の鎖国令によって、日本人の海外渡航はもちろんのこと海外在留日本人の帰国が禁止された。一枚の紙きれで、当時、どれだけの日本人が国外に取り残されたのか。棄民として放置された彼らは時と共に消滅していく運命に晒された。待ち受けているのは異国の辺土に骨をうずめ卒塔婆の山をなすことだけだった。
 長政の生涯を照らし出すとともに、歴史の闇に打ち捨てられた人々が浮かび上がる歴史小説でもある。
 江戸時代初期の歴史を背景に、大航海時代のアジアおよび欧州事情、戦国末期の日本の国内事情など多面的な側面から考察し、全く新しい山田長政像をもたらした本作は、現在、未完のままとなっている『真田合戦記』(2015~17年刊)、第24回(2018年度)中山義秀文学賞の候補作『騎虎の将 太田道灌』(2018年刊)とともに、歴史小説家・幡大介の代表作のひとつに数え上げられるであろう名作である。

 今、ǸHKのBSで好評放映中の『大富豪同心』の原作者である幡はすぐれた時代小説家であるが、彼の本領は歴史小説にある。『大富豪同心』をたのしみつつ、『シャムのサムライ 山田長政』を紐解いていただきたい。

             (令和3年7月8日 雨宮由希夫 記)

『映画に溺れて』第423回 真実の行方

第423回 真実の行方 

平成九年二月(1997)
池袋 文芸坐

『シカゴ』で悪徳弁護士を演じたリチャード・ギア、やはり『真実の行方』でもシカゴの弁護士役で主演している。
 報酬目当てで卑劣な犯罪者の依頼を受け、無実を勝ち取る敏腕弁護士ベイル。
 大司教が殺害され、現場にいた血まみれの青年アーロンが逮捕される。地方出身の無教養で貧しい青年だが、見るからに純真無垢。事件を知ったベイルは無報酬で弁護を名乗り出る。状況証拠ではアーロンはあらゆる面で不利だが、これを無罪にすれば名が上がるとの目論見である。
 担当検事のジャネットはかつてベイルと恋仲だったが、金儲けのためになりふりかまわず汚い弁護を引き受けるベイルが今回は売名のための無報酬と知って嫌悪し、厳しく対立する。
 アーロンには事件の記憶がない。これも不利な条件のひとつだが、ただ、アーロンの証言では現場に第三者がいたらしい。
 殺された大司教の身辺を洗うと、土地開発に投資していながら、信者の支持を得るため、開発反対に寝返ったことがわかる。
 死体はむごたらしく切り刻まれており、犯人はアーロンではなく、土地開発派の送り込んだプロの仕業だろうか。
 最初は功名心のために引き受けた弁護だったが、ベイルはだんだん内気でおどおどしているアーロンの心優しい面に惹かれ、なんとか無実を証明しようとする。そして、大司教の裏の顔に行きつくのだが。
 ラストの衝撃の快感を楽しむには、映画鑑賞の前にインターネットなどに書かれた詳しいあらすじは決して読むべきではない。と思える傑作である。
 アーロンを演じたエドワード・ノートンの名演技、これが出世作となる。

真実の行方/Primal Fear
1996 アメリカ/公開1996
監督:グレゴリー・ホブリット
出演:リチャード・ギアローラ・リニーエドワード・ノートンフランシス・マクドーマンドジョン・マホーニー

大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第21回 篤太夫、遠き道へ

 篤太夫(吉沢亮)は、慶喜(草彅剛)の側近である、原市之進(尾上寛之)に会っていました。

「内々の話であるが」原は膝を進めます。「きたる卯の年、フランスのパリにて、博覧会という催しが開かれる。なんでも、西洋東洋の万国が、おのれの国の自慢の物産を持ち寄り、これはいい、あれはいいなどと品定めをする会だそうだ」篤太夫が話し出しますが、原は無視して続けます。「その会に、わが国も初めて公に参加することとなった」

「それはご英断でございます」篤太夫は頭を下げます。「まあ確かに、異国には優れた品もありますが、日の本とて優れたものは存分にございますので、それを夷狄に見せつける好機」

 篤太夫がなかなか話し終わらないので、いらついた原は扇子で膝を打って見せます。

「話を最後まで聞け。その博覧会には、国の威信をかけ、各国の王族が集まる。それゆえ、フランスは我が国からも王族を送るよう求めておる。天子様は異国に行くなどもってのほかゆえ、上様の弟君の民部公子(徳川昭武)をお送りすることとなった。民部公子は、会津松平家にご養子に入られることになっていたが、このたび上様のご意向により、清水家をご相続された。これほどの身分のお方が国を出るのは初めてのこと。しかし、お付きの水戸の者が反対し、行くなら三十人は付いて参るといいだす始末。どうにか数を減らしたが、異人と見れば斬ってかかるような連中ばかりだ。それゆえ、上様が内々におっしゃられたのだ。渋沢であれば公儀との間を取り持つのに適任ではないかと。つまり、おぬしに頼みたいのは、一行の一員としてパリへ参ることだ」

 原はよく考えてから返事をするように篤太夫にいいます。しかし篤太夫は胸を押さえ、驚きながらも

「参ります」

 と、即答するのです。いぶかしむ原に、篤太夫は自分の気持ちを説明します。

「それがしは今、まことに胸がぐるぐるとしております。詰まっちまった道に、思わぬ一条の光が差し、ぐるぐるした、ああ、おかしろくてたまらねえんでございます」

 後日、篤太夫大目付の永井尚志から帳面を受け取り、説明を受けます。異国に出る際には、公儀から旅費を前貸しする。帰国したらそれぞれ、何にいくら使用したかを報告し、篤太夫が勘定を仕上げなければならない。通辞や医師なども同行する。永井は篤太夫に「見立て養子」のことも説明します。家を断絶させないために、先に跡継ぎを決めておかねばならない。

 孝明天皇の強い希望もあり、慶喜は、第十五代将軍の座に着きました。

 その数日後、孝明天皇崩御します。

 慶喜の聞こえないところで家臣たちが話します。

「ここからが朝廷と一丸となり、公儀を盛り上げる好機だったと申しますのに」

 まもなく睦仁(むつひと)親王(後の明治天皇)が位を継ぐ。その後ろについているのは、以前追い出された、公儀に歯向かう公家ばかりだ。

 慶応三年(1867)。二条城に篤太夫は来ていました。ひれ伏して慶喜の到来を待ちます。

「おもてを上げよ」

 と、慶喜にいわれてその姿を見、篤太夫は驚くのです。慶喜はなんとフランスの軍服を着ていたのです。慶喜ナポレオン三世から送られたものだと説明します。慶喜は弟の昭武(あきたけ)(板垣李光人)に篤太夫を紹介します。慶喜は昭武に五つの心得を話します。

一、会が終わった後、イギリス、オランダ、プロシアなどの各国を訪れ、その地の者にあいさつをすること。

二、それが終われば、フランスにて、学問を修めること。三年から五年。まだ足りぬ時は、さらに長く学んでも構わない。

三、学んでいる間は、師を必ず重んじよ。

四、もしも日の本に、常ならぬ事変が起きたと風聞を耳にすることがあっても、決してみだりに動かぬこと。

五、このたびの渡欧の一行は、一和に円満につとめること。

 慶喜は篤太夫と話すために人払いをします。二人きりになると打ち解けた様子で慶喜はいうのです。

「どうする。もう将軍になってしまった」慶喜は表情を引き締めます。「内外多難の今、かように重き荷を負っても、もはや私の力などでは及ばぬことも分かりきっておる。ゆえに行く末は、欧州にて、じかに広き見よう見知った、若き人材に将軍の座を継がせたい。それにはあの昭武がふさわしい」

「まさかそのようなお考えだったとは」

「それより問題は、昭武が一人前となって戻るまで、私が公儀を潰さずにおられるかどうかだ。しかしこうなった以上、私も易々と潰されるわけには参らぬ」

 翌日、昭武の一行は京を出発し、船で横浜に到着しました。神奈川奉行所にて、篤太夫は昭武にあいさつする小栗忠順(上野介)(武田真治)の姿を目にします。そしてフランス公使のロッシュが昭武と握手をする様子を目撃するのです。

「何と馴れ馴れしい」

 篤太夫は欧州のあいさつに驚くのでした。篤太夫は外国方の杉浦愛蔵(志尊淳)に、福沢諭吉や福地源一郎らを紹介されます。

 篤太夫は小栗から、今回の欧州行きの大きな目的が、六百万ドルの借款(しゃっかん)だと聞かされます。小栗は篤太夫にこぼします。

「公儀については、五年はおろか、三年先、一年先も分からん」小栗は世界地図を見ます。「私がメリケンに行ったのは六年前だ。公用の後、いろいろと見学をしたが、驚いたのは造船所だ。蒸気機関の仕掛けで、重い鉄の骨組みや木の板が軽々と持ち上げられ、巨大な船を造っていた」小栗は懐から何やら取り出します。「ネジだ。船も蒸気機関も、ネジにより組み立てられている。このネジまでもが、メリケンでは機械によって驚くべき早さで作られていた。我が国は、何も勝てぬのだと知った。しかし心意気だけは負ける訳にはいかん。今すぐにでも、日本にあのような造船所をつくらねばと思った。今さら造船所ができたところで、その時分に公儀がどうなっておるかは分からん。しかし、いつか公儀のしたことが日本の役に立ち、徳川のおかげで助かったといわれるなら、それもお家の名誉となろう。おぬしなら、嫌いな異国からでも多くのことを学べよう。無事に戻れば、共に励もうぞ」

 篤太夫は杉浦に江戸行きの許可をもらいます。成一郎(高良健吾)に会うためです。しかし成一郎は、役目を終えて、京に戻ったと聞かされます。篤太夫は長七郎(真島真之介)を見舞うために、小石川の代官所を訪れます。そこで成一郎と出会うのです。成一郎は長七郎と面会するために代官所に通い続けていたのでした。再会を喜ぶ二人。篤太夫は成一郎にフランス行きのことを話します。説明しようにもうまく言葉が出てきません。

「ちっと、訳が分からねえ」

 成一郎がいいます。

「俺も訳が分からねえ。しかしこの先はきっと、もっと訳の分からねえところに、飛び込むことになるんだ」

「おめえ、ちっとわくわくしてねえか」

「わくわくなどしてねえ」篤太夫は距離を取るように立ち上がります。「日の本のために行くんだ。三年から五年は戻ってこられねえ。あさってには船が出るから、故郷には文(ふみ)で知らせるしかねえが、お前にはその前に何としても会っておきたかった。長七郎もだ。ずっと顔を見てねえ」

 そこへ二人に、代官所から声がかかるのです。

「今宵はよろしきようです」

 長七郎と会うことが許されました。二人は長七郎の牢の前にやって来ます。長七郎は嘆きます。

「ここは、生きたまんま死んでるみてえだ。捨てるべきだった命を、捨てることのできねえまま、今宵もこうして月を思い浮かべるしかねえ」

 長七郎と会った後、二人はそばを食べます。長七郎のことを話し、成一郎はこれからもなるべく顔を見に行くといいます。

「しかし、おめえがそのような公儀の大事な一行に加わるとはのう」

 と、成一郎。

「ただ、いくつかしんぺえ事が残っとる。一つは、見立て養子のことだい。俺は、市太郎を亡くしたから、息子がいねえ。そこでだ。尾高の平九郎を見立て養子にできねえかと思うんだが、どう思う」

 篤太夫の養子になれば、幕臣ということになります。成一郎はいいます。

「俺も、兄ぃや平九郎を徳川に呼びたいと思っておった」

 そのことを成一郎が故郷に行って話してくれるといいます。しかし篤太夫はほかにも心配事があるのでした。

「おめえも知っての通り、お千代はあの器量良しだ。なっから女盛りでもある。その女を、おのれの都合でなげー間、ほったらかしにして。もしやお千代は今頃」

 それを聞いて成一郎は笑い出すのです。お千代にはくれぐれも節操を守れと俺から伝えておいてやる、と成一郎は請け負うのでした。

 一月十一日、篤太夫は横浜からアルフェー号に乗り込んでいました。船内を見て回ります。荷物を置いた後、篤太夫は船の舳先に立ちます。幼い頃、岡部の陣屋に忍び込んだことを思い出していました。牢にいた砲術家高島秋帆が嘆くようにいうのです。

「このままでは、この国は終わる。誰かが守らなくてはな」

 少年の篤太夫は力強くいいます。

「俺が守ってやんべえ。この国を」