日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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明治一五一年 第13回

失われた足を失われた眼が覗いている
静まり返った光の内側を過っていく
人があり呼ばれる掌のくぼみは
いまだに終わらない繰り返される末後
の風景だから人知れずに躓く
明治の四十五年の死んだ人の影たちを踏み
そばからまた始まるいくつかの
記憶をちがう記憶につなげるために
失われた踝を失われた指が撫ぜている
複数に吹いているかすかな低い呻き
が漂いうすい人の影たちは聳え
大正の十五年の死んだ人の影たちを踏み
積み重ねる声のうろへとだれかが囁く
場所から零れだす水辺を孕む
ならば刹那の温みを誰かの倒れた痕
の暗がりから解き放つ手触りの
失われた踵を失われた土が触れている
昭和の六十四年の死んだ人の影たちを踏み
いつまでも届かない掌の片側の
膨らみが違う意識の深奥に彷徨うと
放たれたそばから流れ落ちる知られぬ
悲しみであるから静かに注ぐ
埋葬すらできないさざ波は幾重も
平成の三十一年の死んだ人の影たち踏み
連なり朽ちることもないまま掠め
失われた指を失われた空が舐めている
長く会えない名前をいくつもの足が
踏みつづけ地の下の脈拍は弱り
消える背中の果てに覆われ沈みいく
令和の死んでいく人の影たち踏み
小さな種子の中心にまで根差す
感触の切り口として爪弾かれる裸形
がいまも口開くならば柔らかな
失われた爪に失われた血が膿んでいる

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第二十回 家康への文

 永禄三年〈1560年〉。駿府。駒(門脇文)は商人から、近々大きないくさがあるとの話を聞きます。
「また、いくさですか」
 と、駒はつぶやきます。
 越前では、浪人の明智光秀十兵衛(長谷川博己)が寺で、子供たちに教えていました。授業を終えて家に帰ると、光秀のいとこである明智左馬助(間宮祥太郎)が尾張から戻った所でした。光秀には娘が生まれています。左馬助の所に行こうとする光秀を、妻の熙子(ひろこ)(木村文乃)が呼び止めます。左馬助に湯漬けを出そうと思ったのだが、もう米がない、というのです。
 光秀は左馬助から報告を聞きます。今川義元が勢いを強め、尾張との国境の主だった城が、次々に今川に取り込まれているとのことでした。
「この大高城がくせものだな」
 と、光秀はいいます。
三河の兵で守りを固めております」
 と、左馬助。
「今川は尾張といくさをする時、必ず三河の兵を先陣につける」光秀は図面を見ながら立ち上がります。「となると、いくさは近いぞ。今、戦えば、尾張は危ない」
 夕暮れ時、光秀は思いつきます。
「左馬助。すまぬが、もう一度、尾張に足を運んでくれぬか」光秀は深刻な顔です。「今川と五分(ごぶ)に戦う手立てだが。帰蝶様に文(ふみ)を書くゆえ、渡してほしいのだ」
 そのころ、駿河では、今川義元が家臣たちに尾張に攻め込むべきかどうかをたずねていました。賛同する家臣たち。尾張を落とせば今川は、日の本(ひのもと)一の大大名となる、と家臣の一人がいいます。
 医者の望月東庵(堺正章)は、若い徳川家康(このころは松平元康)(風間俊介)と、将棋を指していました。場所は駿府(すんぷ)の智源院です。そこへ東庵の助手の駒と、家康の祖母である源応尼(真野響子)がやってきます。駒は灸(きゅう)の腕をたいそう上げたとのことでした。家康は尾張にいくさに行くことを東庵に打ち明けます。黙り込む東庵。駒が次の家に行くといって、部屋を後にします。家康も別れを告げて去っていくのです。残された東庵と源応尼は話します。
「先鋒を任され、織田信長勢の真っただ中に送り込まれるそうです」源応尼は話します。「三河の者は長らく、今川様の支配を受けてきて、尾張との戦いともなると、必ず、矢面(やおもて)に立たされます。自分の孫ゆえ、面倒を見ろと今川様に命じられておるが、やるせないかぎりじゃ」
 駒とともに、家康は歩いていました。
「館に帰っても家臣たちがいくさの話ばかりでつまらん」
 と、家康はいいます。
「いくさですから、いたしかたありませんね」
 という駒。
「いたしかたない。三河を今川様に返していただくまでは、いたしかたない。父上は亡くなり、母上は織田方の実家に帰され、私とおばば様はここで人質として置かれ。なにもかもいたしかたないのだ。されどな」家康は駒を振り返ります。「時々投げ出しとうなる。このまま寄り道を続けて、あれもこれも」
 駒はこれから、不思議な人にお灸をおこないに行くといいます。頭痛、腹痛、打ち身、何にでも効く丸薬をつくっている者だというのです。
「それを信じる人がいて、いくさの前にお守り代わりに買(こ)うていく人が多いのだそうです」駒はいいます。「何にでも効く薬など、この世にあるとは思いませぬが。効くと信じる人には、お守り代わりにはなるのかも知れませぬ」
「そのような薬があるのなら、誰でも心を動かされよう」家康は深刻な顔です。「私も、生きて帰れるのなら信じてみようかと」
 家康は駒からその丸薬を分けてもらうのです。
「それで元康(家康)様がご無事に帰るのなら、私も信じてみます」
 駒はいいます。
「これは駒殿からもろうたお守りじゃ」家康は駒を見つめます。「必ず生きて返って参る」
 駒はその言葉に深く頭を下げるのです。
 東庵は今川義元と会っていました。東庵は家康はここ数年、将棋を指す仲だそうだな、と義元は聞いてきます。
「万が一、元康(家康)が尾張に寝返れば、我が身が危うい。元康は、信ずるに足る若者と思うが、どうじゃ」
 その義元の言葉、東庵は答えます。
「元康様は、裏表(うらおもて)のないお方。殿がご案じになるようなお方ではないと存じます」
「よう申した」
 義元は満足します。
 永禄三年五月。今川義元は二万五千の軍勢を率いて、尾張を目指しました。
 尾張清洲城では、軍議が行われていました。しかし家臣が発言するのを織田信長(染谷将太)は聞いていません。居並ぶ家臣の間を歩いて部屋から出てしまいます。信長は、出かけようとする帰蝶を見つけます。帰蝶は熱田宮に行こうとしていました。帰蝶は信長も共に来るようにと誘います。勝てぬまでも、負けぬ手立てを考えなければ、と帰蝶はいいます。
「熱田に松平竹千代(家康)の母君、於大(おだい)殿と、叔父の水野殿がおいでになるのです」
 帰蝶は歩き出し、信奈かがそれを追います。
「そなたが呼んだのか」
 と、問う信長。
「殿の御名をお借りして文(ふみ)で」
 歩きながら帰蝶は答えます。
「誰に知恵をつけられた」
 と訪ねる信長。帰蝶は答えません。
「察しはつくがな」
 と、信長はつぶやきます。
 光秀は朝倉の城で、鉄砲を撃って見せていました。仕官を求めにやってきていたのでした。別の日に改めて光秀がやってきてみると、朝倉義景は蹴鞠(けまり)に興じていました。光秀は憤慨(ふんがい)します。家に帰ると左馬助にいいます。
「わしは、かような国に身をゆだねようとは思わぬ。今、尾張織田信長は、大一番のいくさに向かっているのだ」光秀は叫び出します。「にもかかわらずわしはこの国で何をしておる」
 光秀は左馬助に命じます。
「そなた、尾張への抜け道を見つけたと申しておったな。わしを案内(あない)せよ」
 熱田では、信長と帰蝶が、家康の母である於大の方と、その兄の水野信元に会っていました。於大の方は家康と十六年、会っていないということでした。信長は於大の方にいいます。
「わしが元康(家康)殿なら、十六年会わずとも、二十年会わずとも、名を聞けば胸を刺される。母は、母じゃ」
 於大の方は、すでに家康に当てた文(ふみ)を書いてきていました。その内容を信長に告げます。
「もはや道ですれちごうても、我が子とわからぬ、愚かな母であるが、このいくさで、我が子が命を落としたと聞けば、身も世もなく泣くであろう」
 水野はこの文をすぐに家康に届けると信長にいいます。
「だだし、ひとつ、お願いの義がごさりまする。以後、尾張は、三河の国に野心は持たぬと、必ず三河の者は三河に戻すと、お約束いただきとうござる。元康も、それなら納得いたしましょう」
 信長は水野にいいます。
「わかった。約束しよう」
 水野は障子の向こうにいた者に於大の方の文を託します。それは薬屋で働いていたはずの菊丸(岡村隆史)でした。
 五月十六日。今川義元は、本隊の兵と共に、三河岡崎城に入ります。先鋒の徳川家康は、翌十七日、尾張に入ります。
 信長は側近と今川勢の道筋について話していました。地図において予想される地点には「桶狭間」の文字が記されてありました。
 家康は大高城に入城します。休もうと一人になったとき、庭に何者かいることに気づくのです。菊丸でした。家康は菊丸を春次と呼び、部屋に導き入れるのです。菊丸は於大の方の記した文を家康に差し出します。それを読み始めて家康は顔をゆがめます。
「このいくさは勝っても負けてもよきことは何もない。互いが傷つくばかりで。それゆえ、いくさから身を引きなされ。母はひたすら元康殿に会いたい。穏やかに、何事もなく、ほかに何も望まぬとも」
 家康は読んで涙をすすります。
「これが母上の」
 菊丸がいいます。
「殿、これは、三河の者すべての願いでございます。今川を利するいくさに、お味方なされますな。今川ある限り、三河は、百代の後も日が当たりませぬ。私は、この日のために、殿にお仕えして参りました。なにとぞ、今川をお討ちください。織田につき、今川勢を退け、三河を、再び三河のものに、戻していただきとうございます。どうか」
 その頃、光秀は左馬助と共に、尾張への道を急いでいました。

 

『映画に溺れて』第372回 モダン・タイムス

第372回 モダン・タイムス

昭和四十七年十一月(1972)
大阪 梅田 阪急プラザ劇場

 

 赤狩りでハリウッドを逃れスイスで暮らすチャールズ・チャップリンに、一九七二年、アメリカのアカデミー賞名誉賞が贈られた。
 その年、東宝系の映画館では「ビバ・チャップリン」と題したチャップリンを讃える特集が組まれ、有名作品が次々とロードショー公開され、その第一作が『モダン・タイムス』だった。
 チャップリンといえばチョビ髭に山高帽、ステッキにドタ靴、その風貌はもちろん子供の頃からよく知っていた。しかし、映画館でのチャップリン、しかも長編を観るのは、私はこれが最初だった。
 大工場のベルトコンベアの前で作業する労働者チャップリン。常にスパナでネジを締めているので、丸いものがあると女性の洋服のボタンさえスパナで締めようとする。
 工場では能率化をはかるため、労働者が食事するのを機械仕掛けにして、チャップリンを実験台に使うが、機械のスピードが速すぎて、むちゃくちゃに。
 とうとうチャップリンは異常をきたし、解雇されて浮浪者となる。
 工事現場へ向かうトラックが道に赤い旗を落とす。チャップリンは拾って、おおい、落ちたよと旗を振って合図すると、いきなり後ろに労働者のデモ行進。先頭で赤旗を振っていたので首謀者として逮捕される。といったギャグに大笑い。
 そしてレストランで『ティティナ』を歌う有名な場面である。
 多数のサイレント映画に出演し、トーキー時代になってもサイレントにこだわったチャップリンが、この映画で初めて歌ったのだ。
 わかりやすい大衆的な笑いの奥底に、権力や体制に対する皮肉や怒りが込められていて、大好きな一本である。
 このあと「ビバ・チャップリン」では『街の灯』『独裁者』『ライムライト』『殺人狂時代』など、次々と公開された。大劇場の大画面で観たチャップリン映画、忘れられない。

モダン・タイムス/Modern Times
1936 アメリカ/公開1938
監督:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリンポーレット・ゴダード、ヘンリー・バーグマン、チェスター・コンクリン、アラン・ガルシア

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十九回 信長を暗殺せよ

 結果的に弟の信勝を殺すことになった織田信長染谷将太)は、母の土田御前(壇れい)からひどくなじられます。信長は妻の帰蝶川口春奈)にこぼします。
「わしは父も、弟も、母も失った」
 永禄元年(1558)。斎藤道三の死から二年がたちました。この年、近江の朽木に戦火を逃れていた将軍足利義輝向井理)は、三好長慶と和睦し、五年ぶりに京に戻ってきました。
 その頃、明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、越前にて、仕官することもなく浪人暮らしをしていました。近所の子供たちに学問を教えています。光秀の評判は上々でした。光秀に教わると、読み書きはもちろん、行儀作法も身につくと親たちが口をそろえているということでした。
 光秀は朝倉義景ユースケ・サンタマリア)に呼び出されます。義景の育てた鷹を見せられるのです。
「そちに頼みがある」と義景は切り出します。「京へ行ってきてくれ」
 いぶかる光秀にかまわず、義景は続けます。
「公方様(将軍)が、京へ戻られたことは聞いておるか」義景は部屋に入ります。「三好と和睦したそうじゃ。めでたいことゆえ、諸大名にあいさつに参れと上洛(じょうらく)をお求めになっておられる。わしにも書状が届いたが、わざわざ京まで出向いて、火中の栗を拾うこともあるまい。面倒なことに巻き込まれるのはごめんじゃ」
「それで、わたしに」
 光秀は低い声を出します。
「この鷹を献上するのだ。公方様は、たいそう鷹狩りがお好きなようなのでなあ。それで、しばらく様子見じゃ」
 家に帰ってきた光秀は、妻の熙子(ひろこ)(木村文乃)に、京に行って将軍に会うことになったことを話します。熙子はいいます。
「それで、先ほどからうれしそうなお顔を」
 光秀はうなずきます。
「義輝様は立派な志(こころざし)をお持ちの方だ。将軍が戻られ、京の様子もきっと変わったであろう」
 熙子の様子が変です。心配する光秀。実は熙子は妊娠していたのです。
「でかした」
 と、熙子を抱きしめる光秀。光秀は母に子供ができたことを大声で伝えるのでした。
 京に着いた光秀は、将軍義輝に会うために、正装して待っていました。将軍奉公衆の三淵藤英(谷原章介)と細川藤孝眞島秀和)の兄弟に会います。再会を喜び合う三人。光秀は朝倉義景からの献上品である鷹を二人に見せます。礼をいってから三淵が話し出します。
「それにしても朝倉殿が上洛されなかったのは残念であった。京では様々な争いが起っておる。それを穏やかに治めるためにも、諸大名に上洛を求めているのだが、応じた大名は少ない」
 光秀は細川から、尾張織田信長殿がまもなく上洛することを聞きます。
 三淵が光秀にいいます。将軍が能を見ることになっている。光秀も同道いたすように。光秀は感激の様子を見せます。
 能を見るために出発する将軍義輝に、三淵は光秀を紹介します。
「覚えておるぞ」と義輝は光秀に話しかけます。「朽木で会(お)うたな」
 その時から九年の歳月がたっていました。
 能の行われる二条の館に来てみると、光秀は、斎藤道三の息子である斎藤高政(この時は義龍)(伊藤英明)とすれ違うことになるのです。高政は光秀をにらみつけます。「次、会(お)うた時は、そなたの首をはねる」といっていた高政でした。
 能が終了した後、細川と光秀は二人で話します。そして光秀は、信長の命を高政が狙っていることを知るのです。将軍に高政と話してもらうことはできないかとたずねる光秀。
「今の上様には、おさえるお力はありませぬ」
 苦り切った顔で細川は答えます。今でも京で力を持っているのは、三好長慶なのだといいます。
「しかし、何か手を打たねば」
 悲壮な声で光秀はいいます。驚く細川。
「なにゆえ、十兵衛殿はそこまで信長殿を」
 十兵衛は信長と道三が対面したときのことを話します。
「やすやすと死なせたくはないお方です」
 と、光秀はいいます。
「では、松永久秀吉田鋼太郎)殿に相談されてみては」と、細川は提案します。「今、京を治めているのは実のところ、松永殿ゆえ」
 光秀は松永久秀の屋敷に行ってみるのでした。松永は光秀を歓迎します。光秀は松永にひどく気に入られていたのです。松永と会うのは十一年ぶりでした。当時、三好長慶が襲われる事件があり、光秀がそれを助けていたのでした。
「そなたには借りがあるな」
 と、松永はいいます。光秀は姿勢を正します。
「恐れながら、その借りをお返しいただくわけには参りませぬか」
 その頃、織田信長は、尾張平定の報告のため、初めての上洛途中にありました。
 松永は斎藤高政の滞在先を訪ねます。
「斎藤殿に、お願いの義があり、まかり越しました」
 と、松永は切り出します。京の治安を守ることに手を貸して欲しいと話します。実は不穏な動きがあると、松永は高政に近づきます。高政の耳元で松永はいうのです。
「上洛している織田信長殿を、何者かが狙(ねろ)うているということでございます。何かご存じか」
 とぼけた顔で松永は聞きます。
「いや」
 と、顔を背ける高政。松永は高政の正面に座ります。
「公方様がお戻りになったというのに、かような狼藉(ろうぜき)は言語道断。厳しく取り締まねばなりません。斎藤殿は近く将軍家の要職に就くと聞いております。ならば京の安寧(あんねい)を守るのも、将軍家にお仕えする者の役目かと存じます」
 松永は光秀が待っているところに帰ってきます。
「これで貸し借りなしだな」
 光秀は松永に礼をいうのでした。そして松永はいうのです。
「斎藤殿がおぬしを呼んでおるぞ。話があるそうだ」
 光秀は高政のもとに向かいます。
松永久秀を担ぎ上げるとは、考えたな」高政は見抜いていました。「おぬしは道を誤ったな。わしに素直に従ごうておれば、今頃、美濃で要職についておった」高政は鼻で笑います。「今や浪人の身か」
 光秀はいいます。
「悔いてはおらぬ」
「強がるな。わしはいずれ尾張を飲み込み、美濃を大きく、豊かな国にするつもりじゃ。それはわし一人ではできぬ。助けがいる」高政は姿勢を正します。「どうだ、もう一度考え直し、わしに仕えてみぬか。手を貸せ」
「断る」と、光秀はいいます。「今さらおぬしに仕える気はない」
 高政は、光秀が相変わらず頑固だと笑います。光秀は以前の親友をいぶかります。
「いったいどうした。次に会(お)うたら、わしの首をはねると申していたおぬしが」
 高政は答えます。
「今まで血を流しすぎた。弟を殺し、父を殺し。わしに従う者はあまたおるが、ただわしを恐れ、表向きそうしているに過ぎぬ。腹の中では何を企んでおるのか、わかったものではない」
 高政は哀れみを請うような視線を光秀に向けます。斎藤義龍(高政)はこの二年後、病によりこの世を去ることになるのです。
 織田信長が将軍義輝に謁見します。
「わしに何かして欲しいことはあるか」
 と、将軍軍に訪ねられた信長は語りはじめます。駿河の今川が美濃の斎藤と手を組み、今にも尾張に攻め込もうとしている。兵を引くよう、命じて欲しい。義輝は承諾します。信長に今川より上の官職を授けようとします。信長は率直な質問をします。
「それで、今川は引き下がりましょうか」
 夜、光秀は松永久秀と会っていました。信長が昼間、松永を訪ねてきたことを聞きます。あれは妙な男だと松永は感想を口にします。冗談をいっているのか本気なのかよくわからない。あれはいったいどういう男なのだ、と光秀に聞きます。
「松永様はいかが思われましたか」
 と、光秀は逆に聞きます。
「まあ、うつけだとは聞いておる。確かにうつけかも知れんが、ただのうつけではないな」
 との松永の言葉を聞いて、光秀はうなずきます。
「亡き道三様は、信長様から目を離すなとおおせられました」光秀はいいます。「道三様は、信長様のことを買っておられました」
将軍様にも目通りしたらしいが」松永は笑い出します。「がっかりしたと申しておった。もはや将軍家は当てにできんと」

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十八回 越前へ

 弘治二年(1556年)。斎藤道三(本木雅弘)とその嫡男である斎藤高政(伊藤英明)によるいくさが行われました。明智光秀十兵衛(長谷川博己)は叔父の明智光安(西村まさ彦)と共に、道三方についていました。
 いくさは道三の敗北に終わります。明智の城に戻ってきた光安は、光秀に明智のあるじの座を譲るといいます。光安の命令は、光秀が落ちのびることでした。
明智家のあるじとして、再び城を持つ身になってもらいたい」
 光秀は尾張を目指そうとします。そこに尾張から旅をしてきた駒(門脇麦)と菊丸(岡村隆史)がたどり着くのです。高政が尾張に続く道に関を作り、行くのは難しいと知らせます。
「手薄なのは北です」
 と、告げる菊丸。
「わかった」
 と、光秀は答えます。光秀は母や妻を従えます。一行の中には、光安の息子、明智左馬之助(間宮祥太郎)もいました。光安に光秀とともに落ち延びるよう命じられたのです。燃える明智の城を見つめながら光秀はいいます。
「行きましょう」
 そして城に向かって頭を下げるのです。
 一行は山道を行きます。そこで僧兵を従えた女性に出会います。伊呂波太夫(尾野真千子)でした。尾張帰蝶に光秀を助けるように頼まれて来たのでした。
「もはや逃げ道は一つしかありません。越前に参りましょう」
 と、太夫はいいます。
 伊呂波太夫の案内で、一行は空き家で夜を過ごすことにします。
 ここで菊丸は一行と別れることになります。菊丸は光秀に、駒に対する伝言を託します。
「わしはどこまでもついていきたかったと」
 光秀の妻、熙子(木村文乃)は駒に、なぜ自分たちを助けてくれるのかとたずねます。駒は答えます。以前、美濃にいるとき、明智の人々に良くしてもらった。それにある人のことも気にかかっている。その人は自分の命の恩人だ。三歳の時、いくさで焼けた家の中から自分を救い出してくれた。
「その方は、私に麒麟のことを話してくれました」駒は熙子にを説明します。「麒麟というのは、いくさのない、穏やかに国にやってくる不思議な生き物だそうです。そういって、いくさが怖いと泣く私を慰めてくれたのです。いくさは必ず終わる。麒麟を連れてくる人が、必ず現れるといって」
 話を聞いていた光秀の母の牧(石川さゆり)は、駒の腕に、やけどの傷があるかどうか聞きます。確かに傷はあったのです。牧は駒の腕つかんでうなずきます。
「亡き夫、光綱様が話してくださいました。土岐様のおそばについて、京にのぼる折、火事に遭うたと。燃え盛る家の中、小さな女の子を救い出し、旅の一座の者たちに預けたと」
 駒は涙を流します。
「光綱様が亡くなられた」
 お会いしたかった、と駒は瞼(まぶた)を閉じます。涙を流す駒を牧は抱きしめるのでした。
 光秀の一行は、北の越前へと落ち延びました。朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)の治める越前は、畿内を中心とする勢力争いをよそに、確かな繁栄を築いていました。
 伊呂波太夫の手引きにより、朝倉館にて、光秀は朝倉義景と対面します。朝倉義景と伊呂波大夫には、何か因縁がありそうなのです。近衛の姫君の名が出ます。近衛家は摂政、関白に任ぜられる名門の公家です。太夫はいいます。
「この芸人風情が、近衛家育ったなどと、ゆめゆめ申すでない、と、私に申されたお方様でござりましょうか」
 近衛の姫のものまね物まねがうまいと、義景は笑い出します。太夫は義景に子ができぬといい出します。近衛家から探りを入れるようにいわれて来たのか、と義景は大夫にたずねます。
「まさか。この家出娘に探らせるほど、近衛家も落ちぶれてはおられますまい」
 ここでやっと義景は光秀を認識します。太夫がいいます。
明智様を、この越前におかくまいいただきたいのです」
 義景は気の進まない様子。余計な争いに巻き込まれたくはないといいます。しかしこのまま美濃に帰すわけにもいかない。義景は光秀の滞在を許可します。義景は光秀に金(かね)をくれるといいます。今日の米代にも困っているはずだ、と。しかし光秀はいうのです。
「いただけません」光秀はさらにいいます。「いただく理由がございません」
 露骨に不興げな表情を義景は見せます。
 ここなら空いていると光秀が皆を連れてきたのは、長く人が住んでいなかったようなあばら家でした。天井に大きな穴すら開いています。掃除をする箒も、煮焚きするため薪もありません。駒が質屋に行くといい出します。質草として、光秀は駒に数珠を渡すのです。
「それは父上の大切な」
 と、牧がいい出します。
「持って行ってくれ」
 と、光秀は数珠を駒に押しつけるのです。熙子は駒に同行を申し出ます。
 質屋にて、熙子は自分の帯と引き換えに金を得ました。光秀の数珠は渡さなかったのです。
 妻の熙子と駒が質屋に行っているころ、光秀は母の牧と話していました。
「私はいくさが好きではありません。勝っても負けても、いくさはいくさでしかない。いくさにおもむくことは、武士の定めと思うておりました。田もおこさず、畑も耕さない、武士の生き方なのだと思うて。されど、負けてすべてを失うてみると、己の無力さだけが残るのです」
 牧はいいます。
「十兵衛。そなたの父上は、わたくしにおおせになったことがあります。人には浮き沈みがある。武士には勝ち負けがある。沈んだ時にどう生きるか、負けた時にどう耐えるか。その時、その者の値打ちが決まる、と」
 光秀は幼いころ、父に馬に乗せてもらって聞いた話を思い出します。
「十兵衛。馬は誇り高き生き物ぞ。勝っても負けても、己の力の限り、走る。遠くへ。それが己れの役目と知っておるのじゃ。われらもそうでありたい。誇り高く」
 駒は伊呂波大夫と共に帰ることになります。
 斎藤道三の死は、尾張の情勢にも大きな変化をもたらしました。かねてより信長(染谷将太)に不満を抱く者たちがうごめき始めたのでした。信長の弟、信勝(木村了)に謀反の兆しがあると、信勝の家臣である柴田勝家(この時は権六)(安藤政信)が知らせに来たのです。
 帰蝶(川口春奈)は信長に、信勝に会えといいます。顔を見て、どうすれば良いか決めればよい。
 数日後、信長が病気と聞いた信勝がやってきます。信勝は土産を持ってきました。霊験あらたかな湧き水だと述べます。万病を鎮めるというので、兄上にどうかと思い、譲り受けてきたのだといいます。
「病というのは偽りじゃ」
 と、信長は綿入れを脱ぎます。驚く信勝。
「そなたを呼び寄せ、討ち果たすために偽りを申した」信長は平然といいます。「しかしそなたの顔を見て、その気は失せた。そなたを殺せば、母上がお嘆きになる。母上の悲しむ顔を見とうはないのじゃ」
 信長は母にかわいがられてきた信勝に嫉妬していたことを述べます。しかし信勝もいいます。自分も信長に嫉妬していた。いつも信長は、自分より先を走っていた。いくさに勝ち、国を治め、自分がしたいと思うことをすべて成し遂げてきた。
「それゆえ、高政と手を結んだか」
 信長のその言葉に、信勝は答えられません。信長は平然としゃべりながらも、涙を流しています。
「信勝、そなた、これを飲め」
 信長は信勝の持ってきた土産の水のことをいいます。信勝は信長に許しを請うのです。しかし信長は許しません。家臣たちに戸口を閉めさせ、信勝に飲むことを強要します。
 夕暮れになります。信長の前で、信勝は倒れていました。信長はいいます。
「信勝、愚か者」

 

書評『大江戸けったい長屋ーぬけ弁天の菊之助』

書名『大江戸けったい長屋――ぬけ弁天の菊之助
著者 沖田正午
発売 二見書房
発行年月日  2020年5月25日
定価  ¥658E

 

 舞台の「けったい長屋」とは、浅草諏訪町の裏長屋「宗右衛門(そえもん)長屋」のこと。けったいなほどにお人好しで人情味溢れる人々、12世帯の貧乏人が寄り合う長屋の故にその名がついた。
 8年前の安政2年(1855)10月の世にいう安政(あんせい)の大地震で長屋が潰れ、大家が圧死。高太郎の父孝三郎が買い取り再建し、以来「宗右衛門長屋」とした。大家は20歳前後の若い材木商、高太郎(こうたろう)である。同じ町内の蔵前通りに材木屋『頓堀屋』を構えている高太郎が、江戸生まれながら上方弁で通しているには訳がある。大坂から江戸にきて材木屋を開業した三代前の先祖が、家訓として江戸言葉を禁止したためである。
 けったいなほどにお人好しの長屋の住人、その筆頭が本多菊之助(ほんだきくのすけ)で、本書の主人公である。時代小説は主人公の人物造形がいのちだが、菊之助のあり様には惹き付けられる。本姓を名乗らず「ぬけ弁天の菊之助」を称している菊之助天保9年(1838)生まれの25歳。身の丈5尺4寸ほど。顔容姿は細面ながら、内面は剛の者。正義感が強く、人からものを頼まれたらいやとは言えない性格の持主。背中に弁天様の彫り物を入れ、普段でも女物の長襦袢、小派手な柄の小袖を着込み、無頼の傾奇者(かぶきもの)を気取っている遊び人だが、その素性は「徳川四天王」の一人、天下三名槍蜻蛉切(とんぼぎり)」で名高い本多平八郎(ほんだへいはちろう)忠勝(ただかつ)の末裔で、本家から枝分かれした実家は牛込の通称抜弁天(ぬけべんてん)厳嶋(いつくしま)神社の別当寺・二尊院(にそんいん)(現・廃寺)近くにある。5千石の大身旗本・本多家の四男坊として生まれた菊之助が「ぬけ弁天の菊之助」を名乗るのは、幼馴染みの抜弁天様から名を借りた、とするのである。

 物語のはじまりの「第1話 ぬけ弁天の菊之助」から見ていきたい。
 文久3年(1863)のある日ある朝。大家の高太郎が営む材木屋『頓堀屋』の戸口に、奇妙な書き付けが挟み込まれている。書き付けには拙い文字で「けったいながやに火をつけられるのがいやなら五十両、いや十両でいいから金をだせ」と記されていた。
 朝早く、高太郎は自らの営む長屋に赴き、頼りがいのある菊之助に、相談をもちかける。菊之助が喧嘩は強いし張ったりも効く、かなり骨太の男で、頼りがいがあると、高太郎は知っていたのである。
 同じ長屋の住人大工の政吉(まさきち)の仕業かと思われた。女房お玉20歳と二人住まいの政吉23歳はまもなく子どもが生まれるというのに、博奕に負けて借金、大工道具を形(かた)にとられる。その上、仕事をしくじり、十両の借財を背負った政吉は困り果て、博奕で勝って穴埋めしようと、「賭場で十両作れねぇか」と、同じけったい長屋に住む博奕打ちの銀次郎(ぎんじろう)に相談したことが分かる。
 銀次郎は博奕打ちといっても壺振り師で、手目(てめ)博奕の名人。菊之助と同じ年の生まれで、気が合う。菊之助同様、これまた、お節介、頼まれたら断れない人の好さが売りものの、けったいな男なのである。かくして、銀次郎と菊之助が政吉の為というよりは、ぶざまな亭主を持った哀れな女房お玉のため、生まれて来る子のため立ち上がる。安部川町の本行寺の庫裏で三島一家の盆が立つ、と銀次郎から知らされた菊之助は弁天小僧仕込みの女形に成りきり、三島一家が仕切る賭場に乗り込む。二人つるんでの賭場荒らしがはじまるのである。
 もし手目を張ったことがばれたら、賭場から生きて帰れないことを二人は知っている。相手はまともな答えが通じる輩ではないのだ。のっぴきならないことは、三島一家の貸元・玄吉(げんきち)、今戸川の友蔵(ともぞう)の二人の親分を出しに使い、嘘をついたことであり、命をとるか取られるかのやり取りが繰り広げられる。単に同じ長屋に住むということだけで何の縁もゆかりもない大工夫婦のために、一肌脱ぐどころかたった一つしかない命を投げ出すという菊之助のヤクザの親分の気概を凌駕する活躍があって「事件」はめでたく終焉するが、クライマックスシーンはまさに土壇場で、読者は首筋に大粒の冷汗を流さずにはおられない。
「第二話 じょそっ娘館(こやかた)」は長屋の住人が寝静まった夜四ツ近くに引っ越してきた表具師一家が、「第三話 けったいな和歌」は、すった財布を持ち主に戻すことで東北のさる藩の殿様の命を救う女巾着(きんちゃっ)切(き)りお亀が、「第四話 賭け将棋の男」は政吉が再登場するが、身元不明の幼い兄妹豊吉(とよきち)お春(はる)が主人公である。
「文庫書き下ろし時代小説」のジャンルの一つに、剣客や同心が江戸市中で起こる事件を解決していく〈捕物帖もの〉があるが、本書の主人公は剣客でも同心でもない、旗本の四男坊である。しかも、時代背景は「激動の時代。茶屋にも異国の文化が押し寄せている」「異国に踏み込まれ、国の中では、尊王攘夷だ、公武合体だと騒いでいるが、どのみち、幕府はもうすぐ潰れる」とあるように、文久3年、維新前夜の日本なのである。

 沖田の描く旗本四男坊は武家を捨てた元旗本で戦国期を彷彿させる傾奇者なのである。戦国時代ならいざ知らず幕末に傾奇者を演じる元旗本を登場させる構想は秀逸で奇抜きわまる。
 幕藩体制下、家督は長子相続と定められていた旗本の次男以下に生まれた者の生きる道など知れていた。菊之助は15歳(嘉永6年)の元服を過ぎたころから脇道にそれる。11歳のとき鴉の鋭い嘴で脳天をつつかれ傷が禿となって残るという、少年期に受けた小さな出来事が元凶となり、人の嘲笑が何よりも屈辱となり心の負担となった。20歳(安政5年)にして屋敷を追い出され、浅草の町屋に移り住む。別の箇所では「武士がいやで家を飛び出し」とある。「追い出された」のと「飛び出した」のではかなりの意味の違いがあるが、菊之助が生家を出た後の事情は「第二話 じょそっ娘館」に詳しい。
 気骨ある菊之助は本多の家名を捨ててより、その姓を名乗ったことは一度もない。本多の連枝は大名旗本に数多く、「本多」の名を出せば生きるに易しかったが、あえて苦難の道を選んだのだ。続巻で、やがて、長屋の住人たちに、菊之助の素性が明らかになる日も来るのであろう。その時、亭主の褌を洗いながら井戸端会議に興ずる長屋の女房達がどのような顔をするか見ものである。
 本書のキーワードは言うまでもなく「けったい」である。関西弁で「けったいな人」とは「ちょっと風変わりな人」の意で、「けったい」自体に好き嫌いの判断はないが、作家は「けったいな時代」というべき維新前夜における人間模様をまさに「けったい」の一文字に織り込み、人間の孤独や愛を実に巧みに活写している。
 作家の沖田(おきだ)正午(しょうご)は昭和24年10月、現さいたま市中央区生まれ。2006年、『丁半小僧武吉伝』(幻冬舎文庫)で作家デュー。57歳のデビューは決して早くない。むしろ遅咲きというべきであろう。「沖田節」と云われる作者自身の叙情が行間から惻惻と伝わってくる。人生の機微を知り尽くした沖田正午の小説の世界は豊饒で桁外れに面白い。
               (令和2年5月15日  雨宮由希夫 記)

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十七回 長良川の対決

 弘治二年(1556年)春。斎藤道三本木雅弘)は大桑城を出、南の鶴山に向かいました。嫡男の高政(伊藤英明)と戦うためでした。
 明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、叔父の光安(西村まさ彦)に合流し、道三方について戦うつもりでした。
 尾張清洲城では、織田信長染谷将太)が落ち着きません。帰蝶にいいます。
「むざむざ見殺しにするつもりか」
 帰蝶川口春奈)は振り向きもしません。
「負けとわかったいくさに巻き込まれるのは、愚かというもの」
 いくさはやり用だという信長に対して、帰蝶はいいます。
「たった二千の兵で。兄は一万二千の兵を集めたと申します」
「わしは行くぞ。鶴山へ行く。親父殿を助ける」信長は帰蝶をのぞき込みます。「親父殿にはいくさの借りがあるのじゃ。助けてみせるぞ」
 信長が立ち去ると、帰蝶は記していた紙を握りしめます。
「皆、愚か者じゃ」
 長良川の北岸に道三は陣を築きました。南岸には高政の陣があります。
 高政は先陣の次に、自分が行くといい出します。国衆の稲葉良通(村田雄浩)がいいます。
「敵とはいえ、向こう岸にいる面々は、昨日まで酒を酌み交わした仲じゃ。殿のお顔を拝すれば、皆、早々に降参する」稲葉は高政を振り返ります。「で、道三殿の始末はいかがいたします」
 高政は答えます。
「殺すな。生け捕りせよ」
 稲葉がさりげなくいいます。
「親殺しは外聞が悪うございますからなあ」
 高政は稲葉をにらみつけるのでした。織田信長が国境(くにざかい)に来ています。高政は早く勝負をつけなければなりませんでした。
 いくさは早朝に始まりました。川の中で激しい戦いが繰り広げられます。
 光秀は道三の陣に向かおうとしていました。しかし戦いは激しさを増しており、光秀は容易に進めません。
 戦いは一進一退の攻防を繰り返していましたが、高政がみずから大軍を率いて押し寄せると、勝敗は決定的なものとなります。
 霧に紛れて一騎、道三が高政の前に現れます。高政に一騎打ちを申し出ます。高政は兵に周囲を囲ませた上で、一騎打ちを受けます。互いに馬を下り、槍で戦う二人。つばぜり合いの状態になり、高政は叫びます。
「負けを認めよ。命までは取らぬ。わが軍門にくだれ」
 道三は静かにいいます。
「己を偽り、人をあざむく者の軍門にはくだらぬ」
 高政は吠えます。
「誰が己を偽った」
「ならば聞く。そなたの父の名を申せ」
 二人は離れ、間合いを取ります。高政は槍を地に突いて叫びます。
「わが父は、土岐頼芸様。土岐源氏の頭領ぞ」
 道三は笑い出します。
「我が子よ。高政よ。この後に及んでまだ己を飾ろうとするか」道三は兵たちを見回します。「その口で皆をあざむき、この美濃をかすめ取るのか。おぞましき我が子。醜き高政」
「黙れ」
 と、思わず叫ぶ高政。
「そなたの父は、この斎藤道三じゃ」道三はいい切ります。「成り上がり者の、道三じゃ」
「討て。この者を討て」
 と、命令する高政。兵たちが迫ります。
「高政」
 と叫び、突撃する道三。しかし兵にその脇腹を刺されるのです。おぼつかぬ足取りで、道三は高政に近づきます。そして高政に抱きつくのです。
「我が子、高政。愚か者。勝ったのは道三じゃ」
 そういって首の数珠を引きちぎり、道三は崩れ落ちるのでした。高政も目に涙を浮かべます。兵たちの鬨(とき)の声にも会わせることをしません。そこに光秀がやってきます。光秀は道三の遺骸を見て呆然となります。高政は光秀を責めます。自分の所に来ず、道三に味方した。しかし今一度、機会を与えるといいます。自分の所に来て、まつりごとを助けろ。そうすれば今度のあやまちは忘れる。光秀は聞きます。道三は高政の父親ではなかったのか。自分の父は土岐頼芸だと言い張る高政。光秀はいいます。
「わしは、土岐頼芸様にお会いして、一度たりとも立派なお方と思うたことはない。しかし道三様は立派な主君であった。己への誇りがおありであった。揺るぎなき誇りだ」光秀は高政を振り返ります。「土岐様にもおぬしにもないものだ。わしはそなたには与(くみ)せぬ。それが答えだ」
 高政はいいます。
「次、会(お)うた時には、そなたの首をはねる。明智城は即刻攻め落とす。覚悟せよ」
 光秀はきびすを返します。片膝(ひざ)を突いて、道三に礼をするのでした。
 明智城は、いくさ支度をしています。光秀は叔父の光安に会います。光安は光秀を無理矢理、上座に座らせようとします。
「わしは今日、この場で、明智家のあるじの座を、そなたに譲りたい」
 光安は自分の座っていた場所に光秀を座らせます。この城もまもなく、高政の軍に攻められる、と光安はいいます。敵は三千。こちらには三百しかいない。戦ったとしても、いずれ皆、討ち死にする。
「我らが討たれれば、明智家は途絶える。わしはそなたの父上から、家督を継いだ折、ゆく末そなた立て、明智家の血は決して絶やさぬと約束した」光安は光秀に明智家の旗印を渡します。「これはそなたの父上の声と思って聞け。いったん城を離れ、逃げよ。逃げて、逃げて、生き延びよ。明智家のあるじとして、再び城を持つ身になってもらいたい。そなたには、それがやれる」
 光秀は聞きます。自分は逃げるとして、皆は、(藤田)伝吾(徳重聡)たちはどうなるのか。光安はいいます。伝吾たちはもともと農民だ。刀を捨て、田畑を耕せば、高政も斬り捨てはしない。その時、敵が押し寄せてきている、という知らせが入るのです。光安はこの城の最後を見届け、後を追う、と光秀を促します。光秀は光安と抱き合い、自分の館に戻るのでした。
 光秀の館では、皆が戦い準備をしていました。光秀が城に行かぬというのを聞き、母の牧(石川さゆり)は驚きます。
「逃げまする」と、光秀は宣言します。「それか叔父上のご命令です。落ち延びよと」
 伝吾たちが村人を連れてやってきます。お別れをいいたいというので、連れてきたというのです。伝吾がいいます。
「今日(こんにち)まで、長々とお世話になりました」皆も頭を下げます。「わたくしも、村の者も、何もお助けできず、口惜しい限りでございます」
 村人たちが泣き出します。伝吾は続けます。
「お供をして、お守りしたくとも、田や畑は持って歩けませぬ。ご一緒にと思うても、できませぬ」
「かたじけない。そう申してくれるだけで」光秀は皆にいいます。「我ら明智家こそ、長きにわたり、皆に支えてもらい、世話になり。それが、こうして出て行くことになろうとは。無念というよりほかは」
光秀は思わず伝吾の所に座って、その肩を持ちます。
「伝吾。すまぬ。無念じゃ」
 と、頭を下げるのです。光秀は立ち上がって皆にいいます。
「皆のこころざしはまことにありがたい。だが、早々に立ち帰れ。皆、達者でおれよ。また会おう。また会おうぞ」
 皆が帰ろうとすると、光秀の母の牧が、ここを動かぬといいだします。ここで死ねれば本望、と。伝吾が戻ってきていいます。
「大事な、田や畑や、山や川や」伝吾は無理に笑顔を作ります。「この先、十年、二十年、皆で守っていこうと思っておりまする。いつの日か、お方様が、またお戻りになられたとき、何も変わらず、この先も、村はあります。それを、また見ていただくために、今日は、旅に出てくださりませ」
 伝吾は牧に笑いかけるのでした。
 敵の声が聞こえてきます。光秀の館の門には、火矢が打ち込まれます。山の方を光秀が見てみると、明智の城が燃えているのが見えるのでした。

 

書評『武士の流儀(三)』

書名『武士の流儀(三)』
著者 稲葉念
発売 文藝春秋
発行年月日  2020年4月10日 
定価  ¥680E

武士の流儀(三) (文春文庫)

武士の流儀(三) (文春文庫)

  • 作者:稔, 稲葉
  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: 文庫
 

 

 江戸の人々の人情の機微、息遣いまで聞こえてくる余韻。「優しさ」は生半可な優しさではない。自己を厳しく律しているからこそにじみ出る優しさが全編にあふれる。行きつくところは平易でなじみやすい文章力であるが、江戸の世界に惹きこまれるように遊んだ。

『武士の流儀』は2019年6月にスタート。本作は第三巻目である。
 主人公の桜木(さくらぎ)清兵衛(せいべえ)は52歳、元は北御番所(ごばんしょ)の風烈廻(ふうれつまわ)り与力ですでに隠居の身である。北町奉行所のことを当時の人々は北御番所と呼んだ。また風烈廻り与力の役儀は火事を防ぐことを第一とするという。
 清兵衛の父・清三郎(せいざぶろう)は文化2年(1805)他界し、倅・真之(しんの)介(すけ)は23歳、北町奉行所(奉行は榊原主計頭忠之)の当番方与力である、とあるから、将軍家(いえ)斉(なり)の治世下の江戸が舞台背景である。
 清兵衛が50歳の若さで隠居したにはある事情があった。当時、死病であった労咳とされ、それで御番所から身を引いたのだが、医者の誤診で咳気(気管支炎)と判った。が、今更隠居を取り下げるわけにはいかない。家督と八丁堀の組屋敷を倅に譲り、今は妻の安江と鉄砲(てっぽう)洲(てっぽうず)の本湊町(ほんみなとちょう)に移り住んでいる。妻と二人暮らし隠居の身は池波正太郎の『剣客商売』の秋山小兵衛を連想させる。
若隠居生活を送る清兵衛は暇をつぶすのに往生している。妻と朝から晩まで顔を突き合わせていれば、諍いも生じる。終日一緒にいることに息苦しさを感じるのは当然で、われわれ現代人と同様である。

「日々是好日」、平穏が一番と思って日々を過ごす。何か趣味でもと思い、俳句を一ひねりするもその才能なしと自覚するや、勢い、外に出て町を歩く他ない。清兵衛の性格は人一倍正義感が強く、曲がったことが大嫌い。照れ屋であり、お節介なほどに世話好きでもある。「弱き者、困っている者には慈悲の心をもって接するのが武士の習いである」を信条としている。書名はこの信条に由来するのか。本シリーズは「事件」の展開を〈捕物帖もの〉のようにひたすら追うのではなく、とりとめのない日常の中で、外歩きをする清兵衛が市井の揉め事に首を突っ込み「事件」と遭遇するという舞台装置での展開である。
 退屈しのぎの町歩きだから、歩く範囲は限られる。小網町、本所亀沢町、真福寺、江戸橋、一石橋などなど江戸の町、橋が数多く登場。良質な時代小説にはまると、読者はいつしか小説に登場してくる町名や大名家の下屋敷などの位置を確認したくなるものだが、私もいつしか江戸の古地図を片手に現代の場所を確認するという作業に没入していた。

 本巻第四章の「別れの涙」を読み解きたい。
 その朝、清兵衛は木挽町一丁目から紀伊国橋を渡った時、「銀さん……」と声をかけられる。お節との30年ぶりの再会であった。若い頃は、花村(はなむら)銀蔵(ぎんぞう)という二つ名で浅草界隈をならした清兵衛であるが、その頃、お節は浅草並木町の「白浪」という小料理屋の女主だった。花村銀蔵の清兵衛は岡場所の女に惚れられ、逃げ回ったこともある(第1巻)ところは池波の『鬼平犯科帳』の「本所の鐵(てつ)」を彷彿させるが、お節は、清兵衛にとってどんな昔の女であったのか。「亭主に死なれたが、小金を残してくれた。倅が孝行者で助かっている」「今日はこれから手伝いにいかなきゃいけない店がある」と一人語りするお節。幸せそうに暮らしていると聞いて、清兵衛は安心するが、一方に、「本当は銀さんに口説かれたかったのよ」と打ち明けたお節の声に思わずにやける清兵衛がいる。
 お節が手伝いにいく店、木梚町の「狸」の女主おたえ(………)は、お節が店をたたむ少し前までお節の店を手伝っていた。清兵衛は隠居の身で、稼ぎもなく、夜な夜な小料理屋に酒を呑みに行く余裕はないが、若い頃の自分を知るお節とは愛嬌もあり客あしらいがうまいおたえの女ふたりのいる店は「居心地の良い店」となり足しげく足を運ぶ。安江には隠し事はできないので、お節のことを話すも、安江は焼けぼっ杭に火でもついたかと女の嫉妬まじりに受け流す。
 ほどなく、「狸」からお節が消えた。おたえに商売のイロハを教えたお節は、もう教えることはないと太鼓判を捺しつつ、身を引いたというのだ。
 九尺三間の小さな店「狸」は出来の悪い亭主と別れたおたえが小金を溜めてたちあげた小料理屋である。お節がいなくなってしばらくしたある日。その日の仕事を終え、店を閉めて、帰ろうとしたとき、「やっと探したぜ」と5年前に別れた元の夫の吉松35歳があらわれる。「事件」の発生である。
 おたえは大工の吉松とは2、3年は夫婦仲良くやっていたが、酒と博打が好きな吉松の家庭内暴力に耐えかね、親戚と相談して離縁。悪夢のような生き地獄の日々から脱したのだった。
「なかなかいい店だな、一杯もらおうか」「一杯だけですよ」。
 昔別れた亭主がいつも店をしまう時間を見計らってやってくる。強引に押し入って、「三行半(みくだりはん)をだしてねえから、いまでもおめえはおれの女房だ」と抱きすくめ、肉置きのよい尻をつかむ。ひとしきり乱暴した後には、ご機嫌を取るように、土下座して、「一からやり直す、頼むから元のさやに納まってくれ」泣きつく。「もう来ないでくれ」とその日の売上の入った財布を叩きつけるようにわたしたこともあるが、吉松はよりを戻したいとあの手この手でしつこく迫る。
 贔屓の客もつき始めた。繁昌しはじめた店。「せっかく一人でやっていけると思ったのに、お節さん……どうすればいいの、助けて」我が身に降りかかる不幸を嘆き、おたえはちいさな嗚咽を漏らす。吉松の呪縛から逃れられたと安心しきっていただけに、不安はいや増すばかりだ。
 思い余ったおたえは相談したいことありと元与力の清兵衛にすがりつく。
 清兵衛はいかにして、おたえの「事件」を解決したか。清兵衛が風烈廻りだったころの手先であった粂次(くめじ)が清兵衛の意を受けて活躍する。元は質の悪い与太者だったが清兵衛のお蔭でまともな人間に立ちかえったという粂次は清兵衛の周囲を影のように彩る常連の一人として今後も登場すると思われる。
 清兵衛の策が功を奏し、吉松を厄介払いすることができ、おたえの「事件」がやっとかたづいた時、おたえの店に、お節が現れる。
 表題に「別れの涙」とあるように、〈市井もの〉の人情話が末尾を語る。
 行徳の塩問屋の後添いになるときまり別れに来たお節を清兵衛は温かく包み込む。清兵衛は知っていた。お節が亡くなった亭主の借金を返すために、どれだけ苦労したか。長男の行状の悪さにどれだけ振り回されたかを。
「礼などいらぬさ」清兵衛のこの一言に、二人の女が泣く。読者も泣く。
 南八丁堀5丁目の外れに架かる稲荷橋南詰にある甘味処「やなぎ」の看板娘おいとはシリーズの冒頭から登場する。清兵衛は人当たりの良いふっくらした顔にいつも笑みを浮かべている町娘おいとと会うと、特別感情というのではなく、心が和むのを隠せない。おいとも常連のひとりとなろう。

 清兵衛は時代小説にしばしば登場する難事件をわけなく解決してしまうヒーロー的な与力ではない。人生の機微を知り、与力時代から培った知恵と勘を働かせ、自らの意志と正義を敢然と貫き、責任ある温情で「事件」を斬る。
 花村(はなむら)銀蔵(ぎんぞう)こと桜木(さくらぎ)清(せい)兵衛(べえ)。新たな時代小説のヒーローの今後の活躍が愉しみである。
             (令和2年5月8日 雨宮由希夫 記)

 

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十六回 大きな国

 弘治元年(1555年)、秋。斎藤道三本木雅弘)は二人の息子を失いました。殺害したのは嫡男(ちゃくなん)の高政(伊藤英明)でした。道三は直ちに稲葉山城を出て、美濃の北にある大桑城に向かいました。国を二分するいくさの前触れでした。
 明智荘では、明智光安(西村まさ彦)が、光秀(長谷川博己)を前に苦悩していました。いくさになってもおかしくはない。われらはどちらについたら良いのか。大桑城の道三か。稲葉山城の高政か。光秀はいいます。そうならぬよう手を尽くすしかない。
「私を尾張に行かせてください。いくさになるかならぬかは、信長様、いや、帰蝶様しだいかもしれませぬ」
 光秀は尾張清洲城を訪ね、帰蝶川口春奈)に面会します。
「今日は誰の使いで参った」と、帰蝶は光秀に聞きます。「孫四郎を殺した、高政殿の使いか」
 高政の使いなら、帰蝶は会わないだろう、という光秀に対し
「いや、会(お)うてののしってやるのじゃ。弟たちを元通りにして返せ。高政殿にそう申し伝えよ、と。憎きは高政。もはや兄とは思わぬ」
 それに対して光秀はいうのです。
「高政様も高政様なれど、高政様をそこに追い込んだのは、帰蝶様ではありませんか」光秀は穏やかに話します。「孫四郎様に、高政様に変わって家督を継げと、密かに後押しをされ、われら明智の者も味方につくはずなどと、高政様に敵対するよう様々に言い含められた」光秀は座り直します。「こたびのことで、高政様にお怒りを覚えられるのはやむを得ません。しかしだからと申して、道三様の後押しをし、高政様とのいくさをもくろまれるのはおやめください。美濃のことは美濃にお任せいただき、外からの手出しはおひかえ願いたいのです」
 帰蝶はいいます。
「そうは参らぬ。この尾張は、海に開けておる。手を組めば諸国とのあきないも盛んになり、美濃も豊かになる。父上はそう思われて織田と手を組まれた。しかし高政殿は違う。信長様と手を切り、あろうことか殿を敵視する」
 信長は隣の部屋でこのやりとりを聞いていました。光秀が帰った後、信長は帰蝶にいいます。
「わしが美濃に放った間者どもの知らせでは、親父殿(道三)はいくさのために兵を集めても、せいぜい二千から三千。高政殿は多くの国衆を味方につけ、一万以上の兵になるそうじゃ。親父殿がいくらいくさ上手でも、その数の差ではまず勝てぬ」
 信長も今は動けません。敵に背後を突かれる恐れがあるからです。信長は帰蝶に向き直ります。
「親父殿は、今、いくさをなさるべきではない。明智の申す通りじゃ。まず、御身を守られることが肝要ぞ」
 帰蝶は信長のもとを去り、城の者にいいます。
「そなた、旅の一座の伊呂波太夫を覚えているか。今、どこにいるか調べてもらいたい。急ぎじゃ」
 光秀が稲葉山城に来てみると、道三が使っていた天守閣から、にぎやかな声が聞こえてきます。光秀の叔父の光安が高政や国衆たちの前で、おどけた舞を踊っていたのです。光秀は高政に目で合図をします。高政は宴を抜け出します。光秀と武器庫で話をします。
尾張へ行ったそうだな」
 と、高政は切り出します。
帰蝶様にお会いして参りました」
 光秀はいいます。
「どういう話をした」
「美濃の国に、手をお出しにならぬようにと申し上げました」
 高政は光秀をほめようともしません。光安の話をし出します。明智の荘を引き続き領地として安堵(あんど)してもらえるかとたずねてきた。しかし高政は領地変えを考えていました。美濃は国衆がおのおのの田畑を抱え込み、どれほどの石高があるのかわからない。国を新たにし、大きな力を持つためには、すべてを明らかにし、領地の洗い直しをやることが肝要だ。光秀には今の領地を出て、もっと良いと土地を与えてやるといいます。
 光秀が館に戻ってみると、光安の息子、明智左馬助(間宮祥太郎)がやってきます。
「大桑城からの知らせでございます。道三様が高政様と一戦交えるお覚悟をされ、志(こころざし)を同じゅうする者は大桑城へ参集せよとのこと」
 光秀は光安の様子を聞きます。左馬助は、光安が様子がいつもと違い、尋常ではないといいます。光秀は急いで光安のもとに向かうのです。
 光秀がたどり着いてみると、光安は大事にしていたウグイスをカゴから逃がしてやるところでした。光安は領地のことを聞いていました。
「兄上からお預かりしたこの領地を、守れそうにない」光安は涙声です。「わしが非力ゆえ、手を尽くしたが、そなたにも、牧(光秀の母)(石川さゆり)殿にも、面目がない。美濃が新しい国になるという。それも良かろう。しかし、あの高政ごときに、わしの命を預けようとはゆめゆめ思わぬ」光安は激高して立ち上がります。「わしは大桑城に行く。道三様のためなら、心置きなく、ひと踊りできる。行かしてもらうぞ」
 光秀は光安の前に立ちふさがります。
「お待ちください。大桑城に兵は集まりませぬ。道三様は勝てませぬ。無駄な踊りとなりますぞ」光秀は体勢を低くします。「事は、明智家の存亡に関わりまする。これはわが父の声とおぼしめし、ご決断の猶予を願います」
 光秀は二日待ってくれと頼みます。
 光秀は大桑城に向かいます。仏壇を前にする道三と話します。
「ご出陣をお止めするため参りました」
 道三は声に力なくいいます。帰蝶が奇妙な女をよこした。隣国越前に話をつけ、逃げ道を用意したので、ついてきてくれといっている。いくさをしても勝てないといっている。
「わしはこの鎧(よろい)を脱ぐ気はない。そういって追い返した」
 そういう道三に対して、光秀はいいます。
「今、勝ち負けは申しませぬ。ただ、いくさとなれば国が割れ、国衆どうしの殺しあいとなります。それだけは何としても」
 道三は光秀を振り返ります。
「高政はのう、わしがまことの父親だとわかっておる。されど、土岐頼芸様が父だといいふらし、己もそうありたいと思うてきた。高政は人をあざむき、みずからを飾ろうとしたのだ。十兵衛(光秀)。人の上に立つ者は、正直でなくてはならぬ。いつわりを申す者は、必ず人をあざむく。そして、国をあざむく。決して国は穏やかにならぬ」
 道三は語ります。自分は老いぼれた。もはやこれまでと、家督を譲ろうと思った。しかし
「譲る相手を間違えた。間違えは正さなくてはならん」道三は声を上げます。「皆の者、ついて来い。城より打って出る」
 兵たちが集まってきます。道三は槍を手に、爽やかな表情を見せます。
「十兵衛。わしの父親は山城国から来た油売りで、美濃に居着き大(だい)を成した。わしによう申しておった。美濃も尾張もない。皆、一つになれば良い。近江も大和も。さすれば豊かな大きな国となる。誰も手出しができぬ。わし一代ではできなかったが、お前がそれをやれ、と」朝日が道三を照らし出します。「わしも美濃一国で終わった。しかしあの信長という男はおもしろいぞ。あの男から目を離すな。信長となら、そなたやれるやもしれん。大きな国をつくるのじゃ。誰も手出しのできぬ、大きな国を。さらばじゃ」
 道三は庭を駆けていきます。
 明智荘に帰ってみると、光秀は家臣の藤田伝吾(徳重聡)から、光安が道三の陣に向かったことを知らされます。光安は「武士の意地」といっていたのでした。伝吾は、自分たちも光秀の命令次第で、いつでも立てるように準備している、といいます。
「わしは行かん」と、光秀はいいます。「道三様の陣にも、高政様の陣にも」
 光秀は部屋に戻ります。妻の熙子(ひろこ)(木村文乃)がいいます。
「皆、すでに覚悟を。後は、十兵衛様のお心のままに
 光秀はしばし考えていました。床の間に立てかけてある鉄砲を手に取ります。構えてみます。
「熙子」
 と、光秀は叫びます。鎧の用意をさせるように命じます。立ち上がって光秀は大声を上げます。
「いくさじゃ。いくさに参る」
 鎧を身にまとった家臣たちが集まってきます。いくさ支度の光秀は皆の前に立ちます。
「叔父上の後を追う。敵は」光秀は空を見上げます。「高政様」

 

明治一五一年 第12回

明治一五一年 第12回

いくつかの背骨を
拾うためつづく並木は
いくつかの不明の
内にまだ洗われていく
人たちの歩く道筋の彼方
明治元年の帰らない
には深深とした
逃げいく足が
平坦にならされ静かになる
風向きに弱まる土
に重なりつづく痛みだ
明治二十八年の帰らない
と揺らぐ多くの影が誰かの
夢の中に集う
感触に響く違う乱雑が
呼ばれる耳の深さ
水辺にも記憶する在りし日
明治三十八年の帰らない
の残光を放つ
積み重なる悲しみ
は終りのない言伝なら
はるかな道の先で無数の
人も繋がり並ぶ
大正九年の帰らない
いくつかの心音が足元の
囁きにも響けば
いくつかの断ち切れた
名残の触感を繋ぐ
もう知らない人
大正十二年の帰らない
の朽ちかけた掌の内側が
飛び散りきらめく
無数の命の欠片を零す
留まる嘆息が緩やかに漂う
今日の日付か
昭和二十年の帰らない
と長く洗われていく弱まる
面影は届かず
さらに遠くから
低く聞こえくる声や足や
細胞がひそかに
平成十一年の帰らない
方方に拡散する終わらぬ
一瞬にさらされる
巻き戻される鮮やかな
末期を断つために
高い青空の滲みを望む
令和二年の帰らない