日本歴史時代作家協会 公式ブログ

歴史時代小説を書く作家、時代物イラストレーター、時代物記事を書くライター、研究者などが集う会です。Welcome to Japan Historical Writers' Association! Don't hesitate to contact us!

『映画に溺れて』第402回 まぼろしの市街戦

第402回 まぼろしの市街戦

 

昭和五十三年四月(1978)

大阪 中之島 SABホール

 

『マラー/サド』と二本立てで観たのが『まぼろしの市街戦』だった。どちらも精神病院が題材になっている。こんな組み合わせを考える上映会の主催者、よほどの映画好きなのだろう。

 第一次大戦中のフランスの小さな村。占拠していたドイツ軍が撤退する際、巨大な時限爆弾を仕掛ける。間もなく進攻してくるであろう英軍を村ごと吹き飛ばすために。村人はすべて逃げ去り、精神病院の患者と巡業中だったサーカスの動物だけが取り残される。

 だれもいなくなった村で、病院から抜け出した患者たちはそこらじゅうの店に勝手に入り込み、好きな衣装に着替えて、それぞれが侯爵や将軍や娼館のマダムなどになりきって遊んでいる。

 いち早くレジスタンスから爆弾の情報をつかんだ英軍は、爆弾解除を若い通信兵チャールズに命じる。伝書鳩とともに村に単身乗り込んだチャールズを患者たちは王様に仕立てて、歓迎する。爆弾の場所を知るレジスタンスはドイツ兵に射殺されたあとで、爆破の刻限はだんだんと迫る。

 患者のひとりである綱渡りの踊り子コクリコとチャールズは仲良くなり、患者たちによる結婚パーティが繰り広げられる。

 そんな中、チャールズは間一髪で爆弾を発見し、危機を救って、英軍を呼び寄せる。英軍の一隊は患者たちを本物の侯爵や将軍と思い込み、いっしょになってお祭り騒ぎ。

 が、最後には英独の合戦で殺し合う。患者たちは遊びは終わったとばかり、病院へと帰っていく。戦争の狂気よりは精神病院の患者たちがよほどまともという皮肉な結末。

 撤退するドイツ兵のひとり、ちょび髭の男がアドルフと呼ばれていて、演じたのが監督のフィリップ・ド・ブロカ本人だった。

 

まぼろしの市街戦/Le Roi de Cœur

1966 フランス/公開1967

監督:フィリップ・ド・ブロカ

出演:アラン・ベイツジュヌヴィエーヴ・ビジョルドジャン=クロード・ブリアリ、フランソワーズ・クリストフ、ピエール・ブラッスールジュリアン・ギオマール、ミシェル・セロー、ミシュリーヌ・プレール

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三十四回 焼討ちの代償

 元亀二年(1571年)九月。織田信長染谷将太)は、比叡山延暦寺を攻め、僧侶やそこで暮らす人々を、男女の区別なくことごとく殺戮しました。明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、比叡山の事実上の主(あるじ)である覚恕(春風亭小朝)を取り逃がしたことを知らされます。家臣の柴田勝家安藤政信)から

「坊主どもはことごとく討ち果たしましたぞ。もはや比叡山は死に絶えたも同然」

 との報告を受けた信長は、皆に鬨(とき)の声を上げさせます。光秀は布に包まれた首が積まれた場所にやって来ます。すると信長に声を掛けられるのです。

「此度(こたび)の勝ちは、そなたに負う所、大(だい)じゃ」

 と、比叡山周辺の滋賀郡を、光秀に褒美として与えることを伝えるのでした。二万石の領地です。

 京の二条城では、将軍足利義昭滝藤賢一)が摂津晴門片岡鶴太郎)を前にしていました。

「信長は何をしでかすか分からぬ男ぞ。これを見て、京の者がなんというか分かるか。幕府は、信長のいいなりで、叡山滅亡の片棒をかついだ。仏法の灯りが消え、世に闇が訪れるのは、幕府が無能ゆえとな」

 と、悲鳴を上げるように義昭はいいます。摂津は提言します。

「この際はっきりと、織田との関わりを断つべきかと存じます」

「どのようにして」

「今、大和の国では、筒井順慶駿河太郎)殿が、松永久秀吉田鋼太郎)とにらみおうておられます。筒井殿は公方様の分身のようなお方。松永の後ろ盾は織田信長。この両者のいくさが始まるとき、幕府は筒井殿に援軍を送ればよろしいのです。松永は必ず織田に助けを求めましょう。となればいくさの内実は、幕府と織田のぶつかり合いとなり、互いの立場がはっきりいたします」摂津はさらに語ります。「織田が幕府の敵と分かれば、近隣の大名たちが馳せ参じましょう。皆、田舎大名には頭を下げたくありませぬ。いくさは所詮、数を集めた者が勝つ」

 義昭は声を出すことができません。

 光秀は京にある自分の館に戻っていました。そこで娘のたまが市場へ出かけたと知らされます。

 たまは藤田伝吾(徳重聡)を共に、京の街を歩いていました。珍しい鳥に心を奪われます。しかし突然飛んできた石つぶてに、たまは傷を受けるのです。群衆の中に、叫ぶ者たちが見えます。

明智光秀。鬼。比叡のお山で、何人殺した」

 叫ぶ男たちは、さらに石を投げつけてくるのです。伝吾は近くにいる医者を尋ね、望月東庵の名を聞きます。

 光秀は街を走り、東庵の所にやって来ます。たまの傷の様子を見て、光秀はいいます。

「悪いのは、父だ。父が叡山でいくさをしたからだ。この都には、身内を失った者もあまたいよう。皆、気が立っておる。そうさせたのは父だ。そなたをそのような目にあわせたのも、父だ。謝る」

 東庵の医院で、光秀は駒から、将軍義昭が信長から離れようとしていることを聞きます。幕府は筒井順慶の後ろ盾として、松永といくさを始めるとことになるかもしれない。義昭がそのようになるかも知れないといったというのです。やがて義昭と信長が敵として向き合うことになるのではないか。

「それがまことなら。それは止めねば」

 という光秀。筒井順慶は、京にいるはずでした。光秀は順慶の宿所を訪れます。順慶はいいます。

「わたくしは信長様を敵にするつもりはありません」

 しかし松永を放っておく訳にはいかないとも話します。光秀は提案します。堺へ寄って今井宗久陣内孝則)のもとで茶を飲むのはどうか。順慶はそれを承諾します。

 堺の今井宗久の屋敷に順慶と光秀はやって来ます。宗久は二人を案内しながらしゃべります。

明智様がお話しをされたいというお方も、昨日からこちらへ逗留され、この上においででございます」宗久は二階の部屋を見つめます。「いかがいたしましょう」

 光秀は宗久にいいます。

「茶をいただく前にお会いしておきたい」

「筒井様もご一緒に」

 と、宗久はたずねます。順慶が返答する前に光秀がいいます。

「二階に松永様がおられます。しばしお話しなさりませぬか」

「よろしい」

 と、順慶はうなずくのです。

 松永と順慶はとても打ち解ける様子はありません。松永は階段に光秀を呼び出します。

「わしにどうしろというのだ」

 と、訴える松永。

「筒井様とのいくさをやめていただきたいのです。お分かりでしょう。公方様と信長様の立場が」

 松永は納得しません。

「大和でなくてはいけませんか」光秀は切り出します。「近江はいかがか。私が信長様から拝領した滋賀は良いところです。お譲りいたします。石高は二万石。それでいかがでございましょう」

 松永はあっけにとられます。松永は腰を下ろし、光秀にも階段に座るようにいいます。

「よいか。わしはな、信長殿が公方様と上洛されて以来、あの二人は永くは保つまいと思うておる。おぬしがいくら案じようとも、二人はいずれ必ず袂(たもと)をわかつ」

「それでは困るのです」

 という光秀。

「信長殿は何でも壊してしまうお方だ。だが公方様は守ろうとする。古きもの、仏、家柄。あの二人はまるで水と油ほどにも違う。わしは信長殿が好きだが、比叡山をああまでしろと命じられれば二の足を踏むだろう。神仏を、あそこまで焼き滅ぼすほどの図太さは、わしにはない。あれが天下を穫っていたら」

「それは、私も」光秀は手で顔をおおいます。「松永様と同じでございます。あのいくさのやり方は、私には」

「だが、信長殿を尾張から引っ張り出し、ここまで動かしてきたのはそなたではないか。比叡山のことは心が痛むが、あれをやらねば世は変わらん。おぬしはそう思うておる。違うか。所詮、信長殿とおぬしは根がひとつ。公方様とは相容れぬ者たちだ。いつか必ず、公方様と争うときが来る。わしはそう思うておる」

 松永は一人、階段を降ります。呼び止める光秀。

「だが、滋賀の領地をわしによこすというそなたの心意気は了としよう。筒井とのいくさ、一旦、手を止めても良い」

 美濃の岐阜城にて、光秀は信長に報告します。松永が和議に応じたことを信長は喜びます。実は信長は、筒井側に立って、松永を討つつもりでした。

「仕方があるまい。松永側に立って、公方様と角突き合わせることになれば、都に荒波が立つ。それでは御所におわす帝(みかど)の、御心(みこころ)を悩まし奉(たてまつ)ることになる。それはまずい」

「公方様のご意向にそうため、ではないのですか」

「ちがう」信長は書を閉じ、光秀に向き直ります。「公方様のいわれることは、いちいち的外れじゃ。相手にしておれぬ。それを思えば、帝のおおせになることは、万事重く、胸に届くお言葉じゃ」

「また、御所へ参られたと、聞きました」

「うむ。比叡山のいくさの奏上のためにな」

「帝はあのいくさを何と」

「叡山の座主(ざす)、覚恕は我が弟であり、誠にいたましきいくさであったが、やむを得まいとおおせられた。それで都に、末永く安寧(あんねい)がもたらせるなら、よしとしよう。この後(のち)も、天下静謐(せいひつ)のため、励むようにと」

「お褒めをたまわったのでございますか」

「そうだ。最後にこうおおせられた。大儀であった。頼みにしておると」

 信長は笑い声をあげるのでした。

 京の内裏では帝と望月東庵が碁を指していました。帝がいいます。

「昨日、関白が参り、世に流れている噂を聞かせてくれた。朕(ちん)が、織田信長を使うて、叡山から覚恕を追い払うたのではないかと、戯れ言にいいなす者があるという」

「不埒(ふらち)千万な戯れ言でございますな」

 と、東庵。

「あるいはそうかもしれぬと、関白にいうてやった。関白はあきれて、信長は荒々しき者ゆえ、あまりお近づけににならめ方が良いのでは、と苦言を呈して帰って行った。なれど、信長のほかに誰があの覚恕を叡山から追い払うことができたであろう。覚恕は僧侶でありながら、有り余る富と武具で大名を従え、この都を我が物にせんとしたではないか」

 京のはるか東に、甲斐の国があります。そこに覚恕が逃げ込んできていたのです。

比叡山のいたましき有様。つぶさに聞き及んでおります。信長は、仏法の火を消した鬼じゃ。覚恕様。憎き信長を、この信玄が、討ち滅ぼしてご覧に入れまする」

 武田信玄はそういって覚恕に頭を下げるのでした。

 

『映画に溺れて』第401回 マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺

第401回 マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺

昭和五十三年四月(1978)
大阪 中之島 SABホール

 

 長いタイトルの映画は『博士の異常な愛情』やウディ・アレンの『SEXのすべて』などいくつかあるが、中でも略称『マラー/サド』の元のタイトル、あまり長すぎて落語の寿限無を思わず連想してしまう。原作はペーター・ヴァイスの戯曲でドイツ語で書かれているが、背景はフランス革命後のフランス。それを英国のロイヤルシェイクスピア劇団が英語で上演し、演出家ピーター・ブルックが舞台そのままに映画化したのがこの作品である。
 サディズムの語源ともなったサド侯爵。貴族でありながら、不道徳な行いによってバスティーユの牢獄に入っていたため、フランス革命ではギロチンにもかけられず、その後はナポレオンによってシャラントンの精神病院に死ぬまで幽閉される。文学者サドの作品の大半は、牢獄と精神病院で書かれた。
ペーター・ヴァイスの劇はタイトルそのまま、精神病院内でサドが戯曲を書いて患者たちに上演させたという史実に基づいている。革命の指導者のひとりジャン=ポール・マラーが皮膚病で自宅療養中、訪ねて来た美女シャルロット・コルデーに浴槽で暗殺される場面。これをサド侯爵自ら演出している設定である。
出演は舞台同様にロイヤルシェイクスピア劇団の俳優。サドを演じたパトリック・マギーは『時計じかけのオレンジ』で通り魔マルコム・マクダウェル一味に妻を強姦される作家だった。マラーのイアン・リチャードソンは『ラ・マンチャの男』の神父をはじめ、TV版のシャーロック・ホームズも演じている。コルデー役のグレンダ・ジャクソンは私の好きな英国コメディ『ウィークエンド・ラブ』でジョージ・シーガルの相手役だった。まさにシェイクスピア俳優たちによる精神病院の革命劇である。

 

マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺/he Persecution and Assassination of Jean-Paul Marat as Performed by the Inmates of the Asylum of Charenton Under the Direction of the Marquis de Sade
1967 イギリス/公開1968
監督:ピーター・ブルック
出演:パトリック・マギー、イアン・リチャードソン、グレンダ・ジャクソン

 

 

尊王攘夷と洋式兵学展

尊王攘夷と洋式兵学展』開催のお知らせ

 

「展示物はすべて15年以上にわたって洋式兵学の研究をしていた個人の所有物です。

基本、一般向けに公開される事はない物になります」……との事です。詳細は画像参照のこと。

開催場所:深谷駅市民ギャラリー2

日時:令和2年12月17日~令和2年12月28日

   午前9時~19時30分(22日と28日は午後5時閉館)

料金:大人480円

主催:幕末軍事史研究会寄居支部

後援:深谷市 渋沢平九郎プロジェクト実行委員会

f:id:rekishijidaisakka:20201123091115j:plain

尊王攘夷と洋式兵学

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三十三回 比叡山に棲(す)む魔物

 元亀元年(1570年)十一月。朝倉義景ユースケ・サンタマリア)と浅井長政は、信長を討つために延暦寺の助けを得て、比叡山に陣を敷きました。さらに西には三好の一党と本願寺。南には六角と一向宗に囲まれ、信長は孤立し、窮地に立たされていました。

 織田信長染谷将太)は家臣たちと話していました。叡山の僧兵には地の利がある。叡山は御仏の山であり、そこへ攻め上るとなると。と、家臣たちも消極的です。そこに列席していた明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、密かに知らせを受け取ります。浅井長政の家臣、山崎義家(榎本孝明)が、光秀の書いた文(ふみ)に対し、すぐに会いたいとの返事をよこしたのでした。

 比叡山延暦寺に光秀はやってきます。山崎は朝倉義景の元へ光秀を案内します。義景は光秀を前にして話し始めます。

「昔、美濃の国を追い出され、越前へ来た若侍がおった。妙な男で、公方様に気に入られ、どこぞの田舎大名を巻き込み、上洛まで果たした。今では、幕府もこの男の顔色をうかがうほどの大物じゃという。出世をしたものは、昔、世話になった者に恩を返すというが、仁義も礼も廃れた今の世では、望むべくもないか」

 光秀はいいます。

「今日はそのご恩をお返ししたく、山を登って参りました」

「おお、どう返す」

「この、長くつらいいくさを穏やかに終わらせ、両軍が無事に、己の国へ帰れるよう、心血を注ぐ覚悟で参りました」

「つらいのは八方塞がりのおぬしらであり、わしはこうして穏やかに茶を飲んでおる。そなたの手を借りるほど困ってはおらん」

「ではなにゆえ、わたくしに会うてみようと思われましたか。越前はそろそろ雪が降りましょう。雪がつもれば、身動きならぬのが越前。山を越え、一乗谷のお館へ、お帰りになるのは相当難儀でございましょう。山崎様もそれを案じておられるはず。雪にはばまれるとなれば、二万あまりの兵を、春までこの山中で養わねばなりませぬ。それも又ご負担が過ぎるというもの。それやこれやを考え合わせれば、もはやこのいくさ、潮時ではございませぬか」

 そこへ叡山のあるじである覚恕(春風亭小朝)の通る様子が聞こえてきます。朝倉義景は光秀を導き、覚如の姿を見せるのです。覚恕は様式化された行列の中で、高い輿に揺られていました。覚恕が通り過ぎ、朝倉義景は戻ろうとします。その途中で光秀に述べます。

「わしはな、越前で勢いを伸ばしてきた一向宗徒たちと長年戦こうて、一つだけ分かったことがある。お経を唱える者とのいくさに勝ち目はないということじゃ。踏み潰しても、地の底からいくらでもわいてくる虫のようなものだからだ。この叡山も同じじゃ。手強いぞ。信長に伝えよ。このいくさを止めたくば、覚恕様にひざまずけと」

 光秀は義景を呼び止めていいます。

「お願いでございます。わたくしを覚恕様にお引き合わせいただけませぬか。じきじきに目通りし、どうひざまずけば良いか、お聞きしとうございます」

 その夜、光秀は覚恕を前にします。覚恕は多数の女官に囲まれていました。実は覚恕は、帝(みかど)の弟だったのです。覚恕は兄に対して、容姿を含めて、激しい劣等感を持っていたのでした。覚恕はいいます。

「わしは、ここへ来ておのれに言い聞かせた。美しきものに生涯、頭(こうべ)を垂れて生きるのか。それはやめよう。わしは、金を持とう。力を持とう。金と力があれば、みなわしに頭(こうべ)を下げる」覚恕は笑い出します。「その通りになった。今、都の者たちはわしに頭(こうべ)を下げる。金を貸せ。領地を貸せ。商いをさせてくれ」

 覚恕は美しいものに勝ったと思ったのでした。覚恕は目を上げて響くような声を出します。

「それを、織田信長めが次々とかすめ取っていく。領地。金も。あの都は、わしの都じゃ。返せ」覚恕は叫びます。「わしに返せ」

 信長と朝倉、浅井勢のいくさが、比叡山で膠着(こうちゃく)状態にあるのを見、反信長の勢力が、信長へ包囲網を一気に狭めてきました。伊勢の一向宗門徒が、本願寺本山の命を受け、尾張に攻め込んできます。

 尾張が危ないと、信長は戻ろうとします。それを止める光秀。信長は思いつくのです。

「帝(みかど)だな。帝に使いを出すか」

 京の御所では、帝(坂東玉三郎)が医師の望月東庵(堺正章)と囲碁を指していました。帝は幼いころから体か弱く、先帝が名医と名高い東庵を呼んで通わせていたのでした。帝は東庵にいいます。

「信長が弟の覚恕と和睦したいと申し出てまいった」帝は覚恕の胸の内を知っていました。「おのれの力を誇示し、兄に頭を下げさせたい。覚恕の胸にあるのは、それだけであろう。覚恕は叡山で有り余る富を蓄えていながら、この御所の破れた屋根板一枚、直そうと申し出て参ったことはなかった。山では酒にひたり、女色におぼれ、双六、闘鶏にうつつを抜かしておるという。無残な弟じゃ」

 囲碁で東庵を負かし、帝はいいます。

「信長を、助けてやろうぞ」帝は東庵を見つめます。「覚恕は、貧しい公家たちに金子(きんす)を貸し、それと引き換えに領地を奪ってきた。公家たちの、苦しみはいかばかりか。これは、朕と弟の戦いやもしれぬ」

 この年の十二月、帝は関白を近江に向かわせ、織田、朝倉、浅井、並びに延暦寺に対し、和睦を促す勅命を伝えました。織田信長が、延暦寺や朝倉勢の要求を呑むという条件のもとに、双方は陣を引き払いました。

 京の二条城で、光秀は摂津晴門(片岡鶴太郎)と会います。いくさが終わったと話す摂津に、光秀は笑い出します。

「いくさが終わった」光秀は摂津を振り返ります。「信長様のいくさはまだまだ終わってはおりませぬぞ。今、こうして摂津殿がここにおられる。叡山のあるじも無傷のままで、古く、悪(あ)しきものがそのまま残っておるとは。それを倒さねば新しき都はつくれぬ。よっていくさは続けなければならぬ。お分かりか」

 元亀二年(1571年)。信長は伊勢、近江の一向一揆軍と戦った後、再び比叡山のふもとに兵を結集させます。朝倉、浅井の背後にいる叡山の勢力を討つためでした。信長が皆にいいます。

「此度(こたび)のいくさは、叡山を潰すいくさじゃ。叡山こそ、都をむしばむ諸悪の元。僧兵や雇われ兵、山に巣くうもの、すべてのものを討ち果たせ。出陣じゃ」

 織田軍の急襲を受け、比叡山延暦寺は修羅場と化しました。光秀も戦場にいました。女子供を逃がすように命令を出すのでした。

 

『映画に溺れて』第400回 スタア誕生(1954)

第400回 スタア誕生(1954)

平成九年一月(1997)
国立 国立市公民館

 

 ウィリアム・A・ウェルマン監督、ジャネット・ゲイナー主演の一九三七年『スタア誕生』は、その後繰り返しリメイクされている。最初のリメイクは一九五四年、ジュディ・ガーランド主演のミュージカル版で、当時ガーランドは三十二歳だった。
 小さなバンドのコーラス歌手エスターが、映画スターのノーマン・メインに見出され、撮影所に入り、チャンスを与えられてスターとなる。そしてノーマンと結婚。その頃から、彼はアルコール依存症が悪化して、仕事はなくなる。反対にエスターの人気は鰻昇り。ついにミュージカル映画アカデミー賞を受賞する。授賞式にノーマンは酔って現れ、観衆に向かって仕事をくれと哀願する。
 依存症治療の施設に入り、酒を抜いて退院してきたとたん、ノーマンはかつての広報担当マネージャーと喧嘩してまた酒を飲み、泥酔して警察に留置される。警察から夫を引き取り家に戻ったエスターは、訪ねてきたプロデューサーに女優を辞めて夫の面倒を見ると語る。それを聞いていたノーマン、明るい顔で、これからは健康的に生きることにする、一泳ぎして来ると言い、ガウンを脱ぎ捨て、海に入って溺死する。事故を装った自殺。この場面はウディ・アレンの『ボギー俺も男だ』でトニー・ロバーツがそっくりに演じていた。
 夫を亡くしたエスターが最後に慈善興行に出て、自分の名を著名な芸名ではなく「ミセス・ノーマン・メイン」と名乗る場面が印象深い。
 ジュディ・ガーランドは結局、この野心作で現実のアカデミー賞を取れず、失意のままに映画界から消えていく。この年の主演女優賞は『喝采』のグレース・ケリーだった。
 その後のガーランドの行く末は『ジュディ 虹の彼方に』に興味深く描かれており、ジュディを演じたレネー・ゼルウィガーはアカデミー主演女優賞に輝き、ジュディが逃したオスカーを手にすることになる。
 リメイクはその後、バーブラ・ストライサンドの『スター誕生』、レディ・ガガの『アリー スター誕生』と続き、いずれも好評である。

 

スタア誕生/A Star is Born
1954 アメリカ/公開1955
監督:ジョージ・キューカー
出演:ジュディ・ガーランド、ジェームズ・メイソン、ジャック・カーソン、チャールズ・ビックフォード、トミー・ヌーナン、ルーシー・マーロー、アマンダ・ブレイク

『映画に溺れて』第399回 殺人狂時代(1947)

第399回 殺人狂時代(1947)

平成二十五年十月(2013)
新橋 新橋文化

 

 山高帽にチョビ髭、竹のステッキという独特の放浪紳士スタイルを捨て、チャップリンが戦後、最初に作った映画が『殺人狂時代』である。自作自演で演じるのはフランスに実在した犯罪者、長年勤めた銀行を不況でクビにされたヴェルドゥ氏。
 妻子を養うために始めた仕事が、結婚詐欺と殺人だった。
 小金を溜め込んでいる初老の女性に近づき、結婚し、殺して全財産を奪う。死体を見つからないよう処理して、また次の女性に近づくというくり返し。もちろん、チャップリン映画なので、ドタバタ喜劇になっている。
 ヴェルドゥ氏は温厚で親切で好感のもてる紳士だが、女性を騙して顔色ひとつ変えずに殺し、自分に疑惑を抱く刑事も殺す。何の罪悪感もなく、仕事として。
 殺した女性の口座から引き出した大金を機械のように素早く正確に数える仕草、なるほど元銀行員。やがて逮捕され、裁判となるが、そこで有名な言葉を残す。
 ひとり殺せば犯罪者だが、百万人殺せば英雄だ。
 よくある犯罪映画の場合、連続猟奇殺人鬼は、邪悪な怪物として描かれ、ヒーローによって退治され、観客はすかっとするのだが、チャップリンの『殺人狂時代』はそれらの映画とは全然違う。
 アイヒマン裁判を描いた『ハンナ・アーレント』を思い出した。真面目で感じのいいナチス幹部がお役所仕事として、何の感情も抱かずに、能率的に大量のユダヤ人を虐殺したのに通じる。たしかに戦争では、殺した敵の人数が多ければ多いほど英雄なのだ。これぞ悪の凡庸さというべきか。

 

殺人狂時代/Monsieur Verdoux
1947 アメリカ/公開1952
監督:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリン、マーサ・レイ、イソベル・エルソム、マーガレット・ホフマン、マリリン・ナッシュ、マージョリー・ベネット、メイディ・コレル、チャールズ・エヴァンズ

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三十二回 反撃の二百挺

 元亀元年(1570年)四月。織田信長染谷将太)率いる軍勢は、越前、金ケ崎から京へ逃げ帰りました。信長の敗北でした。

 二条城の将軍足利義昭滝藤賢一)のもとへ、明智光秀十兵衛(長谷川博己)は呼び出されます。信長に会う前に話を聞いておきたいということでした。信長の敗北に落胆する義昭に、光秀は言い切ります。

「引き分けでございます」

 光秀はにこやかな様子で話します。なぜ戦場に義昭がいないのかと思った。義昭がいてくれたら、浅井も裏切らなかったろう。朝倉もひるんだだろう。

「二年前、公方様(義輝)と信長様は、世を平らかに治めるため、上洛なさいました。我らは敵が誰であれ、心を一つにして戦い、良き世をつくりたい。その一心でいくさに参ったのです。しかしそこに、公方様のお姿がない。都で、高みの見物をなされている」光秀は表情を引き締めます。「これは、誠に恐れ多きお願いと存じまするが、次のいくさには、ぜひ、ぜひ、公方様にもお出ましいただきとうございます。公方様の御旗が立てば、幾万の兵の力の力を得たも同然。そのことをよく、よく、胸にお刻みいただきとうござりまする」

 光秀が京にある館に戻ってみると、家族が越してきていました。喜ぶ光秀。光秀は妻の熙子(木村文乃)にいうのです。

「熙子。これからはここが我が家ぞ。わしはここでそなたたちを守ってみせる。都を守り、天下を鎮め、ここを守る」

 光秀は木下藤吉郎佐々木蔵之介)と共に、堺にやってきました。今井宗久陣内孝則)に会い、鉄砲の買い付けを行おうとしていたのでした。

 信長の求める鉄砲の数は三百。しかし今井宗久に断られてしまいます。その日の朝、ある人に、二百五十挺の鉄砲を売ることを約束してしまったというのです。その人物の名を宗久は商いの秘密だと教えてくれません。

 光秀と藤吉郎の泊まる宿に、一枚の紙が届けられます。二人は宗久に茶会に誘われていました。その参加者の名前をあらかじめ知らせてくれたのです。商売上の秘密は洩らせないが、茶会に集まる顔ぶれなら教えられる、というわけです。鉄砲を買いそうなのは、筒井順慶(駿河太郎)だと光秀は目星をつけます。厄介な相手だと、光秀は藤吉郎に話します。筒井順慶松永久秀と大和の国を争っている男でした。

 顕本寺にて茶会が開かれます。

「また皆様お揃いになりませぬので、この部屋にて、しばしお待ちくださりませ」

 と、今井宗久筒井順慶を、光秀と藤吉郎のいる所に案内するのです。順慶は僧のいでたちをした人物でした。そこに順慶に促されて駒(門脇麦)が入ってくるのです。光秀は交渉を開始します。難航する話し合いに、駒が助け舟を出してくれるのです。

「そのかわり」

 と順啓は条件を持ち出します。駒に将軍義昭に引き合わせてもらいたいというのです。光秀には、信長に会わせてくれるようにと求めます。光秀はこれを飲み、鉄砲二百挺の入手に成功するのでした。

 金ヶ崎の敗北からおよそ二か月後、信長は徳川家康(風間俊介)と共に、近江に出撃し、朝倉、浅井の両軍と戦いました。姉川の戦いです。兵力に勝る、織田、徳川両軍は、敵を切り崩し、朝倉、浅井軍は、おのおのの城に逃げ帰りました。勝ち鬨(かちどき)を上げる信長。

 信長のいくさは続きます。戦場になんと足利義昭がやってくるのです。信長がいいます。

「此度(こたび)は、かたじけなくも、公方様の参陣を仰ぎ、一同勇み立ち、必勝の思いを新たにいたしております」

 京では駒が、望月東庵(堺正章)が庭に銭を埋めようとしているのを見つけます。また家を焼かれた時の用心だというのです。織田信長が摂津で苦戦をしていると、東庵は駒に告げます。駒は信じられません。足利義昭も参戦している。負けるわけはない。東庵は説明します。摂津には一向宗といって、教理の教えに従って戦えば、極楽に行けるという者たちの総本山、本願寺がある。朝倉も京へ向かって出陣したらしい。

 実際に信長は各勢力に包囲された形になり、窮地に陥っていました。

 信長は光秀にいいます。なぜ比叡山の坊主どもは朝倉たちをかくまうのだ。浅井もどうしてこのいくさに関わろうとする。光秀は答えます。

「信長様は、比叡山から多くを奪い、朝倉、浅井は、多くを与えるからだと」

 何をだ、と信長は光秀に聞きます。

「つまるところ、金(かね)ではありませぬか」

 そのころ比叡山延暦寺に、朝倉義景がやってきていました。三枚の金貨を差し出します。

「私に織田信長を討つ力をお貸し下れば、必ずや天下を平定し、畿内のお好みの地を、領地として差し上げると。この比叡山のすべての屋根を、黄金(こがね)色に葺き替えてごらんに入れまする」

 

『映画に溺れて』第398回 殺人狂時代(1967)

第398回 殺人狂時代(1967)

平成二年十二月(1990)
池袋 文芸坐

 

 池袋文芸坐2での岡本喜八特集では、ずいぶんといろんな喜八映画を堪能したが、『ああ爆弾』と並んで忘れられないのが仲代達矢主演の『殺人狂時代』で、これもまた客席は爆笑の渦であった。
 とある精神病院、天本英世ふんする院長はかつてドイツへ留学していたことがあり、当時の友人でゲシュタポの生き残りであるドイツ人の訪問を受ける。ここは表向きは精神病院だが、患者を殺人マシンに育成して、殺しを請け負う犯罪組織「人口調節審議会」なのである。院長はおそらくドイツ時代に生体実験などに手を染めていたのだろう。
 元ゲシュタポは手元の電話帳から適当に三人の名前を選び出し、三日以内に殺せるかどうかをテストする。間もなく二人の死体が病院に運び込まれるが、もうひとりがなかなか仕留められない。
 場面は変わって薄汚いアパート。ほとんど壊れかけた中古車に乗ってひとりの風采のあがらない三十男が帰宅する。牛乳瓶の底のような眼鏡、よれよれの背広、ぼさぼさの頭髪に、むさ苦しい無精髭。大学で犯罪心理学を教える助教授。ふんするは仲代達矢
 助教授は極度の近眼で、部屋に「人口調節審議会」から差し向けられた殺し屋がいるのにも気づかず、インスタントラーメンを食べようとして、ぬらりくらり、偶然にも殺し屋を殺してしまうことに。
 助教授はたまたま知り合った団玲子の婦人記者と砂塚秀夫のチンピラをともなって、次から次へと襲いかかる殺し屋たちを逆にやっつけ、ついに、本拠地の病院へ乗り込み、院長と対決。
 若い頃の仲代のおとぼけぶりに大笑い。黒澤の『乱』あたりから、目を剥いてのシリアスな大芝居ばかりが目立つようになったが、この『殺人狂時代』の軽妙な演技、コメディアンとしても最高だった。

 

殺人狂時代
1967
監督:岡本喜八
出演:仲代達矢、団令子、砂塚秀夫、天本英世江原達怡、川口敦子、沢村いき雄、二瓶正也

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第三十一回 逃げよ信長

 永禄十三年(1570年)四月。織田信長染谷将太)は、諸国の兵を従え、朝倉義景の待ち受ける越前を目指しました。信長の呼びかけに応じて、三河徳川家康風間俊介)、摂津の池田勝正、大和の松永久秀吉田鋼太郎)などが集結し、琵琶湖の西岸を北上し、若狭の国、佐柿にある国吉城に入りました。

 松永久秀明智光秀十兵衛(長谷川博己)に声を掛けてきます。

「久々の大きないくさじゃ。血が騒ぐのう。この佐柿に入るまでの間にも、近隣の国衆や地侍たちが、手勢を率いて我も我もと参陣してきた。信長殿の名前がこの若狭にまでもとどろき渡っているということじゃ」

 光秀は微笑みます。

「心強き限りにござります」

「やはり信長殿、これまでの大名とは違う。このわしがにらんだ通りじゃ」

 武将たちが勢揃いし、やってくる信長に一斉にひれ伏します。

「我ら、これより越前へ向かう」信長は叫びます。「朝倉を討つ」

 信長はさらに、東に位置する越前、敦賀(つるが)に兵を向けました。朝倉軍は防戦しますが、わずか二日で手筒山城と金ケ崎城を捨てます。信長は敦賀郡全域を占領したのです。

 勢いに乗った信長は、背後を妹、市(いち)の嫁ぎ先である小谷城浅井長政に守らせ、一気に一条谷の朝倉義景を討つ策を立てました。

 酒の席を離れた光秀は、庭に徳川家康がたたずんでいるのを見つけます。家康は光秀に問います。

「我々武士は何のために戦うのでしょうか」

「それは」

「笑われるかも知れませぬが、私は、争いごとのない、いくさのない世をつくり、そのために戦うのだと、禅坊主の問答のようなことを時々本気で考えていることがあります」

 近江の小谷城では、浅井長政が妻の市に話していました。

「兄、信長殿に槍を向けることは、この長政の本意ではない。それだけは言うておきたかった。そなたの輿入れの折、信長殿は申された。我が浅井と長年のよしみを通じてきた越前朝倉には手は出さぬと。しかし此度(こたび)の越前攻め。万が一朝倉殿が討ち果たされるようなことがあれば、次はこの……」

 市が立ち上がります。

「兄上はそのようなことは……」

「弟を己の都合で殺した男ぞ。市。もはやそなたは信長の妹ではない。この長政の妻じゃ。よいな。今宵(こよい)これより出陣いたす。見送りを」

 敦賀の金ケ崎城に光秀のいとこである、明智左馬助間宮祥太朗)が訪れます。軍議に参加している光秀に合図します。光秀は席を立ち、左馬助から畳んだ書面を受け取ります。

「まさか」

 と、つぶやく光秀。光秀は軍議の席に戻り、信長に目配せします。信長も席を立ち、部屋に入って光秀と二人きりになります。光秀は報告します。

「近江の浅井長政、兵を挙げ、小谷城を出たとの知らせにございます」

 信長は困惑します。

「わしは援軍など頼んではおらぬ。何が狙いじゃ。長政には近江にとどまり、南への備えを……」ここで信長は気付くのです。「まさか、わしを」

 信長の言葉に光秀がうなずきます。

「なぜじゃ。なぜ長政が」

「理由は分かりませぬが、浅井の狙いが信長様にあることは明らか。一刻を争います。手立てを考えませぬと。このまま峠越えで一条谷に押しだし、一気に朝倉を潰すか。ここに陣を据え、浅井を迎え撃つか。しかし、いずれもいくさになれば、背後を突かれるのは必定。南北を浅井と朝倉の挟み撃ちにあえば、我らがいかな大軍といえども、勝ち目はございませぬ。事と次第では、お命、危のうございます。やはり信長様、一刻も早くここを」

「逃げよと申すか」

「ほかに道はなしと存じまする」

「わしは帝(みかど)にほめていただいた。当代一の武将だと」信長は激高し始めます。「そして託された。天下静謐(せいひつ)のため、励(はげ)めと」信長は叫びます。「逃げることなどできぬ。ただちに一乗谷へ攻め込む」

 その信長の前に光秀が立ちふさがります。怒りにまかせて光秀を蹴りつける信長。光秀は倒れます。しかし立ち上がって、再び信長を阻止します。二人はしばらくにらみ合います。光秀は声を絞ります。

「帝がそのようにおおせになられたということは、信長様のお命、もはや信長様お一人のものではございませぬ。天下静謐という大任を果たされるまで、何としても生きていただかなければなりませぬ」光秀は声限りに叫びます。「織田信長は、死んではならんのです」光秀は床に額をつけて声を張り上げます。「お願い申し上げまする」

 信長はゆっくりと向きを変えます。座り込んでつぶやくようにいいます。

「一人で考えたい」

 光秀は信長を残して部屋を後にします。軍議の席に光秀は戻ってきます。そこに激しいうなり声が聞こえてくるのです。信長が涙を流して声を出していたのでした。やがて信長が皆の前にやってきて、座におさまります。信長は落ち着いた声を出し、浅井が兵を挙げたことを皆に説明します。動揺する武将たち。信長は一喝します。

「退(ひ)きいくさは、明智、その方らに任せる」信長は立ち上がります。「わしは、逃げる」

 そう宣言して信長は皆の前から去って行くのでした。光秀は皆に呼びかけます。

「ご一同、迷うている暇はありませぬぞ。信長様には急ぎ、お立ち退きいただく。続いて本軍。采配は、柴田殿に」

「承知」

 柴田勝家安藤政信)は返事をします。

「私はこの金ケ崎に残り、時を稼ぎ、後を追います。おのおのお支度を」

 駆け回る武将たちの中で、木下藤吉郎佐々木蔵之介)は庭に膝をそろえて座り、光秀を待っていました。自分も殿(しんがり)に加わりたいというのです。信長の家臣たちは誰もが、藤吉郎をひとかどの武将と認めていないと語ります。光秀はいいます。

「殿の役目をご存じであろう。わずかな手勢で敵を食い止め、本軍を守る。危うき時にも味方の助けはない」光秀は一段下りて声を張ります。「命と引き換えになりますぞ」

 藤吉郎は顔を上げます。

「死んで名が残るなら、藤吉郎、本望でござる」

 信長は浅井の領地を避けながら、若狭街道を退却します。光秀と藤吉郎は本隊の最後尾に陣取り、追撃してくる朝倉、浅井軍を必死に打ち払います。

 殿で疲れ果てた光秀は、左馬助に話しかけます。

「わしは今まで、なるべくいくさをせぬ。無用ないくさをさせぬ。そう思うてきた。しかし、此度(こたび)のいくさではっきりと分かった。そんな思いが通るほど、この世は甘くはない。高い志があったとしても、この現(うつつ)の世を動かす力がともなわねば、世は変えられぬ。いくさのない世をつくるために、今はいくさをせねばならぬ時なのだと。今は、いくさを重ねるしかないのだ」

 京の妙覚寺に光秀が帰ってきました。途中、別々に行動した藤吉郎と無事を喜び合います。しかし藤吉郎は光秀に嘆くのです。

「誰も信じてくれませぬ。わしが、この藤吉郎が殿をつとめたことを。お前ごときに殿がつとまるわけがない。どうせどこかに身を隠し、頃合いを見て逃げ帰ったのであろうと」

 それを聞いた光秀は怒ります。酒を飲んでいる柴田勝家たちの部屋に踏み込みます。

「木下殿は立派に殿をつとめられた。敵をあざむくため、二手に分かれ、京へ入る折には別々となったが、いくさ場での働き、実に見事であった。誰のおかげでその酒が飲めるとお思いか」

 信長は寝所に引きこもったまま誰とも会わないということでした。光秀は信長に会いに行きます。信長は光秀を部屋に導き入れます。

「生きて戻ったか」

「信長様は無事にお帰りとうかがい、胸をなで下ろしました」

「殿、大儀であった」

 信長は苦しんでいました。帰蝶から文(ふみ)が届き、いくさの勝敗はどうなったかと聞いてきています。御所にも行かなくてはなりません。帝に何といえばよいのか。光秀は座り直し、いいます。

「信長様。この十兵衛、此度(こたび)のいくさ、負けと思うてはおりませぬ。信長様が生きておいでです。生きておいでなら、次がある。次がある限り、やがて大きな国が作れましょう。大きな国ができれば、平穏が訪れ、きっとそこに、麒麟が来る」光秀は思い出すよう語ります。「追手から逃れ、この京に向けて夜通し馬を走らせおる時、ふと、その声を聞いたような気がいたしました」

麒麟の声が、か。どのような」

「信長には、次がある、と」

 信長は笑い出します。光秀も笑います。光秀はいいます。

「明日、二条城へおもむき、公方様へ、ご報告なされるのがよかろうと存じます。浅井の思わぬ裏切りに遭うても、三万という大軍をほぼ無傷で退いてみせた。その結束の強さは、信長様以外、誰もまねできぬと。そのことをしかと奏上なされませ。帝へも、帰蝶様へもご報告なされるのがよかろうかと。信長は生きて帰った。次がある。と」