日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第249回 フォロー・ミー

第249回 フォロー・ミー

昭和四十九年四月(1974)
大阪 中之島 SABホール

 周防正行監督『Shall We ダンス』で、柄本明ふんする探偵の事務所に『フォロー・ミー』のポスターがさりげなく貼られていた。
 ピーター・シェーファーの戯曲『他人の目』の映画化で、舞台劇ではほとんど探偵の事務所だけだが、映画はカメラがロンドン中の街並みを動き回って素晴らしい。
 生真面目な英国紳士の会計士が、ウェイトレスをしていたアメリカ娘と結婚する。愛情はあるが、趣味も性格も全然合わず、いつしか倦怠期。
 しょっちゅう外出する妻が浮気しているのではないかと疑い、会計士は私立探偵に素行調査を依頼する。白いコートの探偵が依頼人の妻を尾行して、ロンドン中を歩き回る。
 妻は退屈な夫との仲がしっくりいかなくて、寂しさをまぎらわすため、毎日ロンドン中をあてもなく散歩しているだけなのだが、ふと気がつく。だれかが自分のあとをつけている。
 やがて、妻はこの自分のあとをついて回る白いコートの謎の男と一言も口をきかないまま心を通わせる。
 妻の役が若い頃のミア・ファーロー。探偵が『屋根の上のバイオリン弾き』のトポル。ロンドンの風景もさることながら、絶妙のキャスティングだった。主題歌もヒットした。
 今でも覚えている場面。ハマープロ風の怪奇映画を観ようとする彼女を、無言のままラブロマンスの上映館へ誘導する白いコートの男。
 かつて千石に三百人劇場という小さな劇場があり、劇団昴が一九八〇年代の後半、『他人の目』を上演したので観劇したが、舞台には映画とはまた違った味わいがあった。原題のパブリックアイは私立探偵を意味する。

 

フォロー・ミー/The Public Eye
1972 アメリカ/公開1973
監督:キャロル・リード
出演:ミア・ファーロー、トポル、マイケル・ジェイストン

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第46回 炎のランナー

 昭和39年(1964)。オリンピック開催の年です。東京は上を下への大騒ぎ。なにしろ新幹線も首都高も完成していません。
 田畑政治阿部サダヲ)が組織委員会を去って、一年半が経ちました。近頃は田畑の家に、東京オリンピック組織委員会の面々が訪れなくなっていました。今の田畑は一週間も家の外に出ない始末。しかし事務総長だった頃の田畑の秘書である岩田幸彰(松坂桃李)と、組織委員会の一員である大島鎌吉(平原テツ)が田畑の家にやってくるのです。大島がいいます。
「見つけましたよ。聖火リレー。最終ランナーの候補」
 岩田が書類を取り出して見せます。酒井義則(井之脇 海)。早稲田大学の一年生。出身地は広島。そして昭和二十年8月6日生まれ。なんと彼は原爆が落ちた日に広島で生まれたのです。
 日本での聖火リレーは沖縄から始まります。ルートは決まりましたが、アメリカからの国旗掲揚の許可が下りていません。当時、沖縄はアメリカの占領下にあったのです。日の丸の掲揚は祝日のみとされていました。政府はアメリカの機嫌を損ねるのを恐れて、交渉さえしようとしません。
 田畑は大阪に来て、「日紡貝塚」の女子バレーボールチームの練習を見ていました。「ウマ」こと主将の河西昌枝(安藤サクラ)がいません。監督の大松博文徳井義実)に訪ねたところ、父親が危篤で山梨に帰っているとのこと。しかし河西はユニフォーム姿で姿を現すのです。お父さんは、と聞く大松に。
「会いました」
 と、答える河西。スパイクを受けるポジションにつき、大松に
「お願いします」
 と、叫ぶのです。スパイクを打ち込みながら「帰れ」と叱る大松。河西は従いません。
「オリンピックのせいや
 と、吐き捨てる大松。それに対して河西はいうのです。
「バレーボールは続けます。でも、やめたくなったら、オリンピックの前日でもやめます」
 他の選手「私も」「私も」と次々に同意するのです。
 その頃、落語家、志ん生の弟子である五りんは、志ん生の娘の美津子(小泉今日子)と会っていました。五りんは、志ん生との二人会をすっぽかし、一年以上も姿をくらましていたのです。
「あんた結局、何がやりたいの」
 と、美津子に聞かれ、五りんは答えます。
「マラソン、かな」
 五りんの父親は金栗四三中村勘九郎)の弟子のマラソン選手。祖母は女子スポーツの先駆者でした。自分は走る家系だというのです。そして美津子は五りんのガールフレンド、知恵(川栄李奈)が妊娠しているのを目撃します。出産予定日は10月10日。オリンピックの開会式の日です。
 開会式まで84日と迫った7月18日。オリンピック担当大臣に河野一郎桐谷健太)が就任します。河野は元朝日新聞の記者で、田畑の同僚だった男です。
 組織委員会では事務総長となった与謝野秀に大島が聖火の最終ランナーについて話していました。
「19年の時を経て、聖火を掲げ、国立競技場を走るんです」
 与謝野は都知事東龍太郎(松重 豊)にどう思うかをたずねます。
「私はいいと思います。ただ政府がなんというか」
「そこなんだよ」と、与謝野。「反戦というメッセージは大事だが、原爆は政治色が強すぎる」
 自宅でその報告を聞く田畑。岩田も報告します。
「過去の戦争を蒸し返すようなことは、アメリカの心証を悪くする恐れがあるのでは、と」
 田畑は興奮していいます。
「誰のオリンピック。アメリカ、違う、そう、東京。日本人のオリンピックじゃんねー」
 沖縄の日の丸問題はどうなったかと聞く田畑。政府はアメリカとそれについて交渉する予定はないそうです、との答えが返ってきます。
「もうがまんならんぞ」
 田畑は着替えを始めます。ズボンをはき、ワイシャツを羽織ります。そして妻のも持ってきたキュウリをかじると出て行くのです。
 田畑は組織委員会に入ってきました。会議の真っ最中です。そこで大声を上げるのです。
「やい、組織委員会日章旗を今すぐ用意しろ。俺が沖縄まで持っていく。沖縄で、日の丸を振って聖火を迎える。これは島民の願い。最重要事項。政府がなんといおうとやれ。それから、聖火リレーの最終ランナーは早稲田の坂井義則君を走らせるべきだ」田畑は政治家たちの前に立ちます。「アメリカにおもねって、原爆への憎しみを口にしえない者は、世界平和に背を向ける卑怯者だ」
 田畑はそれだけいうと、会議室をあとにしようとします。都知事の東が呼び止めます。
「またいつでもいらしてください。席はご用意します」
 と、田畑に頭を下げるのです。見ると、オリンピック担当大臣の河野も黙認する様子でした。
 開会式まであと61日と迫りました。記者たちが坂井義則を連れ出し、聖火の前で写真を撮ります。それが新聞に掲載され、坂井の聖火最終ランナーの案は、決定されたも同然になります。
 その新聞を食い入るようにながめる人物がいました。71歳の金栗四三です。金栗は亡き嘉納治五郎役所広司)に、聖火の最終ランナーを頼まれていたのです。
「先生、すんません。約束ば、果たせませんでした」
 と、嘉納のモニュメントに向かって頭を下げるのです。
 開会式まで50日と迫ります。ついに聖火リレーが始まります。聖火は採火式が行われたアテネを出発します。アジア各国11の都市を経由し、東京を目指します。
 田畑は自宅にて、アメリカとの交渉をジャーナリストの平沢和重(星野 源)に頼んでいました。平沢は断ります。沖縄に日の丸を四日間も掲げるなんて許可するわけがない。下手に交渉したら、やぶ蛇ですよ。
「やぶ蛇」
 と、岩田が聞き返します。
「認めろというから、認めないという話になる。そういうときは事後承諾。しれーっとやっちゃうわけです」
 田畑は沖縄に飛びます。六百枚の日の丸をかき集め、聖火の到着を出迎えます。日本国内の聖火リレーが始まります。第一走者の宮城勇が沖縄の道を力強く駆けていきます。
 開幕まで一ヶ月となります。聖火は沖縄から、鹿児島、宮崎、青森、千歳へと分かれ、四つのルートで東京を目指します。
 田畑は平気な顔で組織委員会に出入りするようになっていました。当面の問題は航空自衛隊のアクロバット・チーム、ブルーインパルス。東京の上空に五輪のしるしを描いてみせると豪語したにも関わらず、訓練がうまくいっていません。
 さらにコンゴかやっとエントリーしてきたのです。国旗も国歌も間に合わないというのです。
 田畑は、各国のVIPの接待を担当するコンパニオンの一人になっていた娘から、ボランティア通訳の女性(川島海荷)を選手村に連れて行って欲しいと頼まれます。田畑は選手村にやってきて歓声を上げます。田畑の努力により、米軍から買い入れた代々木ワシントン・ハイツです。もう完成していました。およそ六千人の選手がここで寝食を共にするのです。通訳の大河原やす子に黒人の二人組がついてきて離れません。それはコンゴからやってきた陸上の選手だとわかりました。最も遅くエントリーしてきたコンゴが、最も早くやってきたのです。選手村の食堂にて、コンゴの選手は箸で食べようとするのです。練習してきた、と二人はいいます。
 組織委員会コンゴの選手は歓迎を受けます。コンゴの国歌が吹奏楽団によって演奏されます。選手たちは歌い始めるのです。
 羽田から浜松町へモノレールが開通。東海道新幹線首都高速の一部が開通。開会式の9日前です。
 四つのルートに別れて、日本中を走ってきた聖火は、皇居の前で、再び一つになります。これが最終ランナーの手で、国立競技場に灯されるのです。
 そして開会式前日。雨が降り始めるのです。田畑はバー「ローズ」に逃げ込みます。テレビの天気予報でも、翌日は雨ということになっています。ママ(薬師丸ひろ子)が、明日の天気を占います。田畑は嫌がります。「ローズ」のママの占いが当たったことなどないのです。タロットカードには天気の絵柄が並びます。ママはいいます。
「雨。豪雨と出てるわ」
「本当か」
 と、確認する田畑。ママは続けます。
「世界中の雨雲を全部、東京に持ってきちゃたような、曇天よ」

 

 

『映画に溺れて』第248回 ソルジャーボーイ

第248回 ソルジャーボーイ

昭和四十七年十月(1972)
大阪 難波 南街シネマ

 

 私が高校生の時に観た『ソルジャーブルー』は騎兵隊によるインディアンの大虐殺を描いて、当時泥沼化していたベトナム戦争を批判しているが、後味は悪かった。
 その翌年に公開されたのが『ソルジャーボーイ』で、題名が『ソルジャーブルー』に似ており、やはりベトナム反戦がテーマである。『ソルジャーブルー』ほど話題にもならず、あまりヒットしなかった。四人の青年の膝に全裸の女性が笑って寝そべっているポスターに惹かれて、私は封切り時に観ている。
 ジョー・ドン・ベイカー以下四人のベトナム帰りの若者が、故郷に帰ってもだれも温かく迎えてくれない。中年男たちは「俺たちは朝鮮から簡単に引き下がらなかったぞ」などと言って、若者を馬鹿にする。
 彼らは四人で力を合わせて牧場を開こうと、中古車に荷物を積み込んで西を目指す。このトランクの中の荷物が問題なのだが。
 軽い青春ロードムービーのように物語は進行して、ある町に若者たちは到着する。
 閉鎖的な町で、よそものを受け入れず、四人はいやがらせをされる。『イージーライダー』のヒッピーは田舎の親父にあっけなく撃ち殺されておしまいだったが、この四人はそうはならない。彼らは訓練された優秀な兵士だった。
 四人は町の連中の仕打ちにとうとう逆上する。いきなり車のトランクから荷物、ベトナムから持ち帰った武器を取り出し、号令を掛け合いながら、この無礼で排他的な町を徹底攻撃するのだ。ベトナムでやっていたように。四人にとって、このアメリカの田舎町はベトコンの村と区別がつかなくなっていた。
 ただの青春映画かと思っていたので、このラストには震え上がった。
 ジョー・ドン・ベイカーは、その後、007シリーズの悪役などやっていた。

 

ソルジャーボーイ/Welcome Home, Soldier Boys
1972 アメリカ/公開1972
監督:リチャード・コンプトン
出演:ジョー・ドン・ベイカー、ポール・コスロ、アラン・ビント、エリオット・ストリート、ビリー・グリーン・ブッシュ、ジェフリー・ルイス

『映画に溺れて』第247回 小さな巨人

第247回 小さな巨人

昭和五十年七月(1975)
大阪 中之島 SABホール

 一九六〇年代末から七〇年代初期、マカロニウエスタンは別にしても、アメリカの西部劇にけっこう異色作が多かったように思う。反体制的なニューシネマの風潮も強く、タカ派ジョン・ウェインが悪者のインディアンをバンバン撃ち殺す時代は終わっていた。ベトナム戦争当時、米軍による無差別殺戮を西部劇に置き換えたのが『ソルジャーブルー』で、騎兵隊が女子供だけの村を襲って殺戮強姦を繰り広げ、大勝利宣言するという悪夢のような作品、後味が悪かった。
 そこへいくと、同じインディアンを描いていても、ダスティン・ホフマン主演の『小さな巨人』は適度なユーモアもあり好感がもてる。
 開拓民の一家がインディアンに襲われ、白人の幼い少年が部族に連れて行かれてインディアンとして育つ。
 肌の色が違うので周囲からは馬鹿にされるが、小柄で勇気があり「小さな巨人」の名をもらう。やがて騎兵隊との戦闘の最中、彼が白人であることがわかり、白人社会に戻る。ならず者のワイルド・ビル・ヒコックと親しくなったり、生き別れの姉と再会してガンマンとして腕を磨いたりするが、再びインディアン社会に戻って、今度は部族の女性と結婚し、しあわせな家庭を作る。
 ところが、彼の留守中にカスター将軍率いる第七騎兵隊が村を襲い、妻子は無残に殺される。絶望の後に放浪し、次に彼が選んだ道は第七騎兵隊のガイドだった。この世からインディアンを完全に撲滅しようとするカスター将軍の狂気はヒトラーに重なる。
 第七騎兵隊全滅の陰には、部隊を不利な位置に導いた無名のガイドの存在があったという話。百歳を越える老人が歴史家のインタビューに応えて語る波瀾万丈の物語、これもまた、一種のアメリカ流ほら話であろう。

 

小さな巨人/Little Big Man
1971 アメリカ/公開1971
監督:アーサー・ペン
出演:ダスティン・ホフマンフェイ・ダナウェイ、マーチン・バルサ

 

『日本中世史、大好き!』第1回

第1回「中古念流」について

 いきなり私事で恐縮ですが、この度幻冬舎グループ主催の「時代小説コンテスト」で大賞を受賞しました。
 https://www.gentosha-book.com/contest19/era/
 来年、電子書籍化されますので、お読みいただければありがたいです。

 

 さて、今回の受賞を契機に筆名を「平野周」と改めて活動をすることとしました。そのため、今後は平野周として歴史エッセイ、新書専門書レビューを発表していきますので、よろしくお願いします。
私は小学生の頃から歴史、特に日本の中世史が好きでしたので、タイトルもそのまま『日本中世史、大好き!』としました。

 さて、閑話休題―――。
 頼迅庵の歴史エッセイ『江戸の北町奉行柳生主膳正久通 』で、私は柳生久通を「柳生新陰流の達人」と書きましたが、どれくらい強かったかは、実は分かりません。他流との試合結果が分からないからです。
 しかしながら、西の丸近侍の士に剣術を指南したこと、将軍家治、世嗣家基の相手(実質的な指南)をしたことを考え合わせると「柳生新陰流の達人」といっても良いのではないかと思います。
 柳生新陰流は、柳生石舟斎宗厳に始まる剣の流派です。柳生新陰流又は柳生流は俗称で、正しくは「新陰流」といいます。
 新陰流の元祖は、上野の国人だった上泉伊勢守信綱(秀綱)で、信綱から道統を受け継いだのが柳生宗厳なのです。その後、宗厳の五男宗矩が、徳川家康に仕えて大和国柳生で一万石の大名になるなど活躍したことから、柳生新陰流又は柳生流と呼ぶようになったと思われます。
 ちなみに、『正伝・新陰流』(柳生厳長、以下「正伝」と略します。)によれば、新陰流の道統は、柳生宗厳から嫡孫兵庫助利厳に伝えられたそうです。利厳は尾州尾張)柳生の開祖とされている人物です。従って、新陰流の正統は、尾張柳生ということになります。この尾張柳生に対し、江戸の新陰流を「柳生新陰流」と称したともいわれています。(注1)
 同じく「正伝」には、「伝書篇」の章に上泉信綱の自筆相伝書として「新影流 影目録」が収められています。原文は漢文です。その中に「凡そ兵法は梵漢和の三国に亘ってこれ有り」から始まり、漢(中国)は元明で断絶したが、我が国においては、伊弉諾尊伊弉冉尊より伝えられ、
「有上古流中古念流新当流亦復有陰流其外不勝計予究諸流奥源於陰流別抽出奇妙号新陰流」とあります。
これを「正伝」では、
「上古の流有り 中古念流 新当流 亦また陰流 有り 其の外は計(はか)るにたえず 予は 諸流の奥源を究め 陰流において 別に奇妙を抽出して新陰流を号す」(250~251ページ)
と、読み下しています。

 ここで述べられている「念流」「新当流」「陰流」を我が国の剣術の三大源流と呼びます。しかしながら、なぜ念流のみ「中古念流」となっているのでしょうか。他の二つと異なり、なぜ「中古」がついているのでしょうか。普通に考えれば、念流の道統が絶えたからと考えられます。しかし、この当時念流の道統は、細々とではありますが受け継がれていました。
 念流とは、我が国で初めて流派を称した兵法です。始祖は念大慈恩(慈音)といい、禅宗の僧侶です。出家する前の名は、相馬四郎義元といい、上総国の相馬一族の小領主でした。それがなぜ念流という流派を創出したかは、次の機会に譲りますが、念流の伝系を示すと以下のようになります。
 念大慈恩――赤松三首座慈三――小笠原東泉坊甲明――小笠原新次郎氏綱――備前守氏景――左衛門尉氏重――友松兵庫頭氏宗(友松清三入道偽庵)――樋口又七郎定次
 樋口家は、木曽義仲四天王の一人樋口次郎兼光を祖とする信濃国の住人でした。その子孫である太郎兼重が、念大和尚に学んで念流を子孫に伝えます。
 兼重から三代目新左衛門高重の代に、上野国吾嬬郡小宿村に移り、関東管領上杉顕定に仕えます。後、樋口新左衛門高重のとき関東管領山内上杉顕定に仕えます。明応9年(1500)同国多胡郡馬庭村に移ります。
 高重までは念流を伝えていましたが、柏原肥前守盛重に新当流を学び、念流ではなく新当流を伝えていくことになります。高重は永正10年(1513)八十九歳で亡くなりますので、この後の伝系は間違いなく新当流です。
 その四代目の定次のとき、友松偽庵に念流を学び、ここから再び念流を伝えていくこととなります。この流れを馬庭念流といい、現在も群馬県馬庭の地で念流を伝えておられます。
 定次は天正19年(1591)に目録、文禄4年(1595)に皆伝を受けたとされています。
 上泉信綱は、上野国の国人で上泉城主でした。信綱は上州一揆の盟主である箕輪城の長野家に仕え武田信玄と争い、永禄6年(1563)に降伏します。その後新陰流流布のため廻国したのは周知の通りです。(注2)
 従って、信綱が上州の国人として健在であった頃の念流は、友松偽庵が細々と伝系を伝えるのみであったため、信綱は念流とせず、あえて中古念流としたものと思われます。偽庵自身も念流ではなく、未来記念流を名乗っていたとも言われており、念大の正統を伝える念流は、すでに滅んでいたのかもしれません。
 しかしながら、念大創始の念流は、その後の日本の剣術の流れに大きな足跡を残すこととなります。

 最後に、上泉信綱の流派の正式名称は、「新陰流」なのか「新影流」なのかという問題がありますが、正伝は「流儀の真體―真諦(さとり)を指すときは、「新陰流」、形象または軽く流名を呼称するときは、「新影流」と、流祖・伊勢守信綱がハッキリと区別していた」(63ページ)からであると主張しています。柳生宗厳14代の孫柳生厳長氏ゆえに敬重すべきと思われます。

 

(注1)『増補大改訂 武芸流派大事典』(綿谷雪・山田忠史編、東京コピイ出版部)に「柳生新陰流」の流派名は無く、「柳生新影流」は、柳生宗厳の弟子柳生松右衛門家信から福岡藩において伝承されたものとなっています。
(注2)最近は、永禄9年(1566)説が有力です。

【参考文献】
『正伝・新陰流』(柳生厳長、島津書房)
『剣豪100選』(綿谷雪秋田書店
『源流剣法平法史考』(森田栄、NGS)

『映画に溺れて』第246回 北国の帝王

第246回 北国の帝王

昭和四十九年八月(1974)
大阪 難波 南街文化

 

 学生の頃、ロバート・アルドリッチ監督の『北国の帝王』を初めて観て、わあ、こんなのもありなんだな、と思ってしまった。ハリウッド映画なのに美男美女が出て来ないし、勧善懲悪でもない。主演の二人も名優とはいえ、華やかなスターではない。実に変な映画なのだ。
 一九三〇年代の不況時代、国中に失業者があふれている。職を求めて各地をさまよう浮浪者はホーボーと呼ばれ、広いアメリカを貨物列車に無賃乗車して移動する。その中で伝説のホーボー、北国の帝王と呼ばれるタダ乗りの名人がリー・マーヴィン
 ホーボーたちのタダ乗りを許さず、阻止し、走る列車からハンマーで叩き落とす鬼車掌がアーネスト・ボーグナイン
 簡単に言えばこの映画、タダ乗りホーボーと鬼車掌との対決がすべてである。それがまた、たまらなく面白いのだが。
 鬼車掌シャックの勤務する十九号列車にはホーボーたちは近寄らない。何人叩き落とされ命を失ったことか。その十九号に帝王のエースが挑戦する。
 ホーボーたちはエースのタダ乗りが成功するか、なけなしの金を賭けている。
 クライマックスは全速力で走る列車の屋根の上で帝王と鬼車掌の命を賭けた男の戦い。アクション映画はたいてい善玉と悪玉が戦うのだが、この映画はいったいどっちが悪玉だろうか。
 もちろん、リー・マーヴィンの演じる帝王エースが主役であり、憎々しい面構えでホーボーたちを容赦なく殺して平気な鬼車掌ボーグナインは敵役である。
 が、車掌が無賃乗車を取り締まるのは、やりすぎにせよ仕事熱心なだけで、ホーボーは社会の底辺で生きる弱者だが、鉄道会社にとっては無法者でもある。
 いずれにせよ、タダ乗りと車掌の対決だけでここまで見せるアルドリッチはすごい。

 

北国の帝王/Emperor of the North
1973 アメリカ/公開1973
監督:ロバート・アルドリッチ
出演:リー・マーヴィンアーネスト・ボーグナインキース・キャラダイン、チャールズ・タイナー

『映画に溺れて』第245回 ロンゲスト・ヤード

第245回 ロンゲスト・ヤード

昭和五十年八月(1975)
大阪 梅田 三番街シネマ2

 バート・レイノルズ主演の代表作といえば、ジョン・ブアマン監督の『脱出』を思い浮かべる人は多いだろう。が、私はこっち『ロンゲスト・ヤード』が好きである。タフで女にもてるというレイノルズらしい役柄。
 かつてフットボールの名選手だったポールは、今では酒びたりで、ガールフレンドといさかいを起こし、彼女の高級車を勝手に乗り回してパトカーとカーチェイス、車の窃盗や飲酒運転などの罪が重なり刑務所行きとなる。
 刑務所長は大のフットボール好きで、著名なプレイヤーのポールを大喜びで迎え入れ、看守で構成する自分のチームの指導を依頼する。
 囚人の中から使えそうな者を選び、ポールに囚人チームを作らせ、看守チームの練習台として対戦させようというのだ。選手として選ばれた囚人は優遇され、試合となれば罰則なしで看守をぶちのめせる。凶悪犯たちが志願して人数はそろうが、素人なのでもちろん簡単にはいかず、いよいよ公開試合となる。
 ところが、囚人たち、本番で思わぬ力を発揮し、看守チームを追いつめる。熟練の看守チームが素人の囚人チームに負ければ、所長の立場はない。そこで密かに裏取引。もしも囚人チームが勝つようなら、殺人のぬれぎぬを着せ、一生刑務所から出さないぞ。結局、この所長、スポーツマンシップとは縁のない見栄っ張りの俗物だった。さて、試合の結果は。
 刑務所長役のエディ・アルバートは若い頃、『ローマの休日』でカメラマンを演じていた。
 二〇〇五年に、三十年ぶりにアダム・サンドラー主演でリメイク。こちらはコメディ色が濃厚だが、老囚人の役でバート・レイノルズが出ていて、うれしくなった。まさかあれから三十年、ずっと刑務所に入っていたわけでもなかろうが。

 

ロンゲスト・ヤード/The Longest Yard
1974 アメリカ/公開1975
監督:ロバート・アルドリッチ
出演:バート・レイノルズエディ・アルバートマイケル・コンラッド、ジム・ハンプトン、リチャード・キールエド・ローター

 

『映画に溺れて』第244回 デス・レース2000年

第244回 デス・レース2000年

平成二十九年八月(2017)
新宿 シネマカリテ

スパルタカス』や『グラディエーター』に描かれるように、古代ローマの昔から、人は娯楽として死の格闘を楽しんでいた。現代でもスポーツ観戦、プロレスやボクシングやカーレースに熱中する人は多い。
 私は生のスポーツにはそれほど関心ないのだが、アクション映画は大好きで、古代ローマの観衆に通じるのかも知れない。
デス・レース2000年』は一九七七年の公開だが、当時はこんな作品があったことを知らず、その後、観た人から面白いという話は聞いていたので、ぜひとも観たいと思っていたが、なかなか機会がなかった。
 平成の世になり、ジェイソン・ステイサム主演でリメイクの『デス・レース』が公開された。近未来、犯罪は増加する一方。民営化された刑務所では、収益を上げる方法として、凶悪犯に死のレースをやらせて、TVで放送し視聴率を稼ぐ。『バトルランナー』に近い内容だった。
 そして、ようやくオリジナルの『デス・レース2000年』が新宿のシネマカリテでリバイバル公開された。これがリメイクとは全然違うのだ。
 近未来の西暦二〇〇〇年。大統領の推奨で五組のレーサーがスピードと殺人を競うという人気レースが開催される。レース中、路上でうろうろしている通行人を轢き殺すと点数が加算され、レーサーたちは隙あらば、お互いの命を狙いあい、殺せば殺すほど高得点になるという究極のゲーム。超B級低予算のブラックユーモアである。
 主演はデヴィッド・キャラダイン、悪役に無名時代のシルヴェスター・スタローン。CGのない時代の特撮は味わい深く懐かしい。お金をかけてスターを集めたリメイクよりも、やっぱり元祖のほうがずっと面白いのだ。製作はロジャー・コーマン、さすがコーマン帝国
 一九七五年にはずっと未来であった二〇〇〇年、いつしか過去になってしまった。

 

デス・レース2000年/Death Race 2000
1975 アメリカ/公開1977
監督:ポール・バーテル
出演:デヴィッド・キャラダイン、シモーネ・グリフェス、シルヴェスター・スタローン、メアリー・ウォロノフ、ロバータ・コリンズ、マーティン・コーヴ

『映画に溺れて』第243回 バトルランナー

第243回 バトルランナー

昭和六十二年十二月(1987)
大阪 難波 南街文化

ターミネーター』で一躍売れっ子となったシュワルツェネッガー、一九八〇年代後半から次々とアクション映画に主演している。中でも私が好きなのがリチャード・バックマンことスティーブン・キング原作の『バトルランナー』である。
 近未来の二〇一七年。国民は政府にしめつけられ、TVだけが唯一の娯楽。人気番組『ランニングマン』は刑務所から凶悪犯をひとり選び、地下の競技場で人気スターのハンターたちがこれを追い詰め、退治して喝采を浴びるという生番組。凶悪犯が無事に逃げおおせてゴールに至れば、賞金を貰って無罪放免となる。が、ほとんどは途中でなぶり殺し。
 獲物が弱すぎると殺戮ショーは盛り上がらない。そこで選ばれたのが市民虐殺を命じる上司に反抗して無実の罪で投獄されている元警官のベン。
 番組プロデューサーで司会も兼ねるお笑い芸人デーモン・キリアン、押し付けがましく軽薄で図々しい権力者。
 元警官のベンは大量殺人鬼として紹介され、正義のハンターがこの悪人を退治し、その悲惨な最期をみんなで楽しむ、そのはずだった。
 ところが、シュワルツェネッガーなのである。簡単にはやっつけられず、反撃して、ハンターの息の根を止めてしまう。スタジオ内の客席は水を打ったように静まりかえり、そこへ二番手のハンターがまた颯爽と登場し、ベンと対決。これもまた、返り討ち。予期せぬなりゆきに司会者は大あわて。観衆はいつしか、ハンターよりも無敵の殺人鬼シュワルツェネッガーを応援しているのだ。次々と現れるハンターをいかに倒していくか。そして、下劣な司会者がくりだす汚い手。
 当時からアメリカのTV番組は大衆をあおる偉そうな人気司会者によって成り立っていたのだろうか。思えば、今の日本のバラエティも似たようなものだ。

 

バトルランナー/The Running Man
1987 アメリカ/公開1987
監督:ポール・マイケル・グレイザー
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、マリア・コンチータ・アロンゾ、リチャード・ドーソン、ジェシー・ベンチュラ、ヤフェット・コットー

 

『映画に溺れて』第242回 ターミネーター

第242回 ターミネーター

昭和六十三年八月(1988)
三鷹 三鷹オスカー

 

 最初の『ターミネーター』を観たのは公開から三年後、三鷹オスカーの三本立てで、あとの二本は忘れもしない『ブレードランナー』と『ロボコップ』だった。今では信じられないほど贅沢な、夢のような映画館があったのだ。
ターミネーター』はアーノルド・シュワルツェネッガーが大スターになるきっかけであり、ジェームズ・キャメロン監督をSF映画の巨匠に押し上げた。
 核戦争で人類の大半が死滅した二〇二九年、世界を支配するコンピュータ軍と生き残りの人間軍が戦っている。人間側の指導者ジョン・コナーの働きで戦況が不利になったコンピュータ「スカイネット」は、タイムマシンで一九八四年に殺人ロボットターミネーターを送り込み、ジョン・コナーの母親になる予定のサラ・コナーを抹殺しようとする。母親が死ねば、息子のジョンは生まれない。
 それを察知したジョンは若き日の自分の母を守るため、部下のカイル・リースを同じ一九八四年にタイムスリップさせる。サラを殺そうとする最強のロボットと、未来から来た兵士の戦い。
 いきなり変な男が現れて、あなたを守るために二〇二九年からやって来たなんて言われても、女子学生のサラはわけがわからない。が、現実にターミネーターに襲われると、いっしょに逃げ回るしかなく、やがてサラとカイルの間に恋が芽生える。
 この無敵のターミネーターシュワルツェネッガーなのだ。あの体格、あの顔つき、まさに人間離れしたロボットそのもの。カイルの反撃で体の一部が損傷し、機械むき出しで追ってくる殺人機は、『ウエストワールド』のユル・ブリンナーを思わせる。
 未来のタイムマシンはどういうわけか、肉体しか転送できず、ターミネーターもカイルも全裸で一九八四年の路上に現れる。『ターミネーター』はヒットし、シリーズ化され、次々と続編が作られた。未来から長身美女の女ロボットや女兵士が現代に送られてくる場面も、やはり初回を踏襲して全裸である。一瞬だが。

 

ターミネーター/The Terminator
1984 アメリカ/公開1985
監督:ジェームズ・キャメロン
出演:アーノルド・シュワルツェネッガーマイケル・ビーンリンダ・ハミルトン、ポール・ウィンフィールド、ランス・ヘンリクセン