日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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頼迅庵の歴史エッセイ9

柳生久通のキャリア(3)

 佐野善左衛門の田沼意知への刃傷事件の続きです。この事件は興味深いので、もうしばらくお付き合い願います。
 殿中での刃傷事件が3月24日、その時の疵がもとで田沼意知が亡くなったのが26日明け方のこと。となると、善左衛門にはかなり重い処分が下される、と思われがちですが、下された処分は切腹でした。切腹は武士にとって名誉とされていますので、少し意外な感じもします。(ただし、佐野家は改易で、500石は没収です。)
これは、大目付大屋遠江守昌富、町奉行曲淵甲斐守景漸等により、善左衛門の刃傷は、当人の乱心によるものとされたからでしょう。とはいえ、乱心者に切腹が可能なのでしょうか。

 善左衛門は、揚座敷の番所庭で切腹しますが、「営中刃傷記」によると、「少も臆したる体もこれ無く」潔かったと書かれています。このとき28歳でした。ただし、「木太刀切腹」といって、実際に小刀で腹を切るのではなく、首をのべたところを介錯人高木伊助(北町奉行所同心)が首をはねたようです。切腹はなかったようで、これなら、乱心者として扱い、かつ切腹ということで善左衛門の武士としての顔も立つというわけです。粋な計らいだと思います。
ちなみに、乱心として扱ったのは、田沼意知への配慮もあったと思われます。意知は殿中ということもあり脇差を抜いていません。そのため疵を負って逃げるわけですが、殿中とはいえ武士としての振舞いとしてはどうか、ということです。
双方の顔を立てるため、こうした場合は、乱心として扱うのが慣例でもあったようです。(注1)

善左衛門の辞世の歌は、
 “卯の花の 盛りもまたで 死手の旅 道しるべをと 山時鳥”
 菩提所は、浅草本願寺中神田山徳本寺です。
「御用立つべき人を、不慮なることにて切腹に及び候事と、誠に天下挙げて、佐野氏の死を惜しむ事なり」とありますので、善左衛門への同情は大きかったようです。事件の翌月には、米価が一時的に下落したことから、「世直し大明神」とあがめられ、「その葬られた浅草徳本寺が参詣人で引きもきらなかった」(注2)といわれています。
 なお切腹の際、検使の目付は、柳生久通ではなく、山川下総守貞幹でした。

 とはいえ、幕府の執政でもある若年寄が、刃傷により死亡したのですから幕府の処分は厳しいものでした。
執政(老中、若年寄)が退出する場合、中之間を通りますので、中之間詰めの留守居番、小普請奉行等はもとより、町奉行勘定奉行等も中之間に控えて見送る決まりがあったのでしょうか。事件はその中之間で起きてしまい、誰も防げなかったことから、
・目付井上図書頭、安藤郷右衛門、末吉善左衛門は差控え
・同じく目付跡部大膳、松平多宮は免職のうえ寄合入り、かつ、差控え
となります。差控えとは、現在でいう自宅謹慎です。
ちなみに、同じ目付でありながら処分が分かれたのはなぜでしょうか。「営中刃傷記」の処分申渡しを比較してみましょう。まず、井上・安藤・末吉は、事件が起きた際、「出会いそうらえ」と叫んだだけで、目前を抜き身を持って刃傷に及んだ佐野善左衛門を止めることもせず、ただおろおろしていただけのようで、「お役柄の義、別して不心懸」と判断されました。
それに対して跡部・松平は、抜き身を持って桔梗の間の方へ行く佐野善左衛門を追いかけたのですが、実際に抱き留めたのは二人より離れた松平対馬守であり、「その方ども同近く罷り候ゆえ、いかようとも取り鎮め方これあるべきのところ手間取り」とありますので、ただ佐野善左衛門を追いかけただけで、「出会いそうらえ」という声も出さず、離れていた松平対馬守が抱き留めるまで何もしなかったようで、それが「お役柄別して不心懸」と判断されたようです。
こうしてみると、声に出して知らせるというパフォーマンスは、無駄ではないようです。少なくとも自宅謹慎と免職の上自宅謹慎という懲戒処分の差は大きいでしょう。
参考までに、3人のその後は、


・井上図書頭(正富)は、天明5年9月に普請奉行
・安藤郷右衛門(雅徳)は、天明7年2月に作事奉行
・末吉善左衛門(利隆)は、天明7年3月に長崎奉行


に、それぞれご栄転となっています。(注3)

さらに、田沼意知と同役の、
若年寄酒井石見守、太田備後守、米倉丹後守は、将軍へのお目通り差控え
大目付久松筑前守、牧野大隅守は差控え
町奉行山村信濃守、勘定奉行桑原伊予守・久世丹後守、作事奉行柘植長門守、普請奉行青山但馬守、小普請奉行村上甲斐守、小普請支配中坊金蔵、新番頭飯田能登守、留守居番堀内膳たちも、中之間に居たのだから何かできることがあっただろうに(何をしていたんだ)という思し召し(たぶん将軍家治)が聞こえてきたことから、差控えの伺いを差し出しますが、即刻差控えに及ばずと言い渡されています。(これだけの者が差控えとなれば、幕府の機能がストップしてしまいますから当然ですが、跡部・松平が気の毒に思えてなりません。責任はいつの世も中間管理職に厳しいものなのでしょうか。)
 さて、御番所に居た善左衛門と同役の蜷川相模守組の新番士万年六三郎、猪飼五郎兵衛、田沢伝左衛門、白井主税の4人の処分も厳しいものでした。4人は、善左衛門を止めなかったということで、新番を免ぜられて小普請入りとなっています。組全員の連帯責任ということでしょうか。
 なお、上記の寄合、小普請とは、無役の旗本の家格を表します。3,000石以上は寄合、3,000石以下が小普請となります。

 ところで、処分を受けて寄合入りした松平多宮は、諱を恒隆といいます。「多宮」とは珍しい通称(仮名)ですので、おそらく「東百官(あずまひゃっかん)」にあるかと思って調べてみました(注4)が、「丹宮(たみや)」しか見あたりませんでした。ただ、読みからして丹宮の変形と思ってよさそうです。
 この「東百官」とは、詳細は省きますが、丹下左膳、清水一学、榊原伊織の「左膳」「一学」「伊織」が該当し、百官というくらいですから他にもたくさんありました。歴史時代小説で、通称のネーミングに困ったら、ここからチョイスするのも有りでしょう。(かつてはよく見受けられました。)

 また、表坊主たちも「不心懸の至りに候、右の段、急度申し渡し」されています。現代でいう口頭注意といったところでしょうか。
そんな中、一人だけ松平対馬守だけは、200石の加増となっています。最初に抱き留めた功を認められたものでしょう。
その後、松平対馬守(忠郷)は、大目付(役料3,000石、芙蓉之間詰め)から天明7年8月に旗奉行(役料2,000石、菊之間詰め)に異動していますが、他の関係者と比べて、少し合点のいかない人事です。何か事情があったものでしょうか。(注2)

 ちなみに柳生久通ですが、「お咎めのお沙汰及ばざる」つまりお咎めなし、以後も念入りに勤めよ、となったようです。
 久通は天明5年7月に小普請奉行(定員2名)に栄転となりますが、同役はあの村上甲斐守でした。

注1 「日本の歴史18(幕藩制の苦悶)」北島正元、中央公論社
注2  同上、「田沼意次」(藤田覚ミネルヴァ書房
注3 「大日本近世史料 柳営補任」一~三
注4 「国史大辞典」吉川弘文館
   以前ご紹介した安部式部の「式部」や白井主税の「主税」という通称は、「百官名」といいます。マンガドラえもんの「えもん」は「右衛門」のことです。通称(仮名)や諱(実名)については、いつか詳しく書きたいと思っています。

書評『龍の袖』

書名『龍の袖』
著者名 藤原緋沙子
発売 徳間書店
発行年月日  2019年7月
定価  ¥未定

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 坂本龍馬には関わりを持った多くの女がいたが、「妻」として「室」として、墓石に刻まれている女性が二人いた。お龍と千葉佐那(ちばさな)である。龍馬がお龍と仮祝言していたことも承知で、龍馬の死後も「許婚」であると公言していたという千葉佐那とはどのような女性であったのか。

 『龍の袖』と題された藤原緋沙子の歴史小説は、龍馬を愛し、幕末維新の動乱の時代を生きた龍馬の許婚・千葉佐那(ちばさな)を主人公とし、ふたりの出会いから別れ、そして流転の晩年まで、佐那の愛と運命を描いている。
 物語は安政3年(1856)5月、千葉道場の女剣士・佐那19歳が広尾の伊達宇和島藩下屋敷で、伊達家の姫君・正姫(藩主伊達宗城の娘)の薙刀指南をしている光景にはじまる。物語はまた、16歳の佐那が初めて龍馬と会った時から書き始め、つい先ごろまで書きつけていたとされる「三冊の日記」を佐那自身がひもとく形で語られる。
 嘉永6年(1853)すなわち、ペリーの率いる黒船四艘が浦賀沖に現れた年の4月に、龍馬は江戸に出て、北辰一刀流開祖千葉周作実弟定吉(さだきち)の経営する京橋桶町の千葉道場に入門し、定吉の次女・佐那と知り合う。時に佐那は「まるで幼馴染みと一緒にいるようなそんな親しみを覚えて、慌てる」。運命の出会いであった。

 二人が婚約した時期は明確ではないが、物語では、「安政5年(1858) 佐那21歳の夏」としている。佐那は「龍馬さんが戻って来るまでに、龍馬さまの着物を縫って待っている」と龍馬に告げる。維新後、華族女学校(学習院女子部)に舎監として勤務した佐那が女学生に「坂本龍馬の許嫁でした」と見せて語ったという形見の紋付の袖については諸説がある。龍馬が千葉家に婚約の証として渡したとする説もある一方で、父の定吉が結婚のために準備すべく仕立てたものとする説がある。が、本書では、佐那自らが「桔梗紋入りの、絹地を黒く染めた袷の袖」を手縫いしたものであるとする。ともあれ、書名となった『龍の袖』は婚約の証であり、「私の人生は、この袖に翻弄され、この袖に泣き、この袖に守られてきた」とあるように、その後の佐那の生き方を決定づける。
 安政5年は安政の大獄の年である。この年の1月、師の定吉から「北辰一刀流薙刀兵法皆伝」を授けられた龍馬は9月に土佐に帰国している。
 安政7年(1860)3月3日 桜田門外の変
 その後、二人が再会するのは文久2年(1862)。3月 脱藩して土佐を離れた龍馬は、8月に江戸に到着し、千葉道場に寄宿している。すでに25歳になっている愛娘・佐那を案じて定吉は「そなたは、佐那のことをどのように考えているのだ」131頁と龍馬に詰め寄るが、龍馬は「脱藩の身なれば」と平身低頭するばかりで、二人の関係が進展した気配はない。
 文久から元治、慶応へ。将軍不在の江戸から、政局の中心は完全に京都へと移っている。文久2年以後、龍馬が江戸に立ち寄ることはあるが(龍馬最後の江戸入りは元治元年6月のこと)、「許婚」の佐那との仲は疎遠にならないにしても濃密に進行する気配はなかったようだ。
 元治元年(1864)は7月19日 禁門の変、8月下関戦争、11月長州征討。
 元治元年2月、再度脱藩した龍馬は5月、京都で楢崎龍(お龍)と出会い、8月1日にはお龍と内祝言を挙げている。「仮祝言」という事実から、恋多き龍馬自身が「妻」「生涯の伴侶」と認めたのは、京女のお龍だけだったとする見方もあるが、作家は、龍馬と親しい京都の商人弥治郎に、「龍馬さまは無責任な約束などはしない人」と言わしめ、「約束した佐那にすまないという気持ちがあるのは間違いなかった。……内祝言とはいえ、これで龍馬は、すっかりお龍にからめとられてしまったのだ。……龍馬の寝床に自ら身を投じていったのはお龍に決まっている」と記している。

 慶応2年(1866年)1月、薩長同盟が成立。同盟がなった翌日の1月23日夜、龍馬は寺田屋で伏見町奉行の捕吏に襲撃され、負傷する(寺田屋遭難)。龍馬はお龍を伴い京都を離れ、薩摩の霧島温泉で長期療養逗留。「日本で初めての新婚旅行」とされるものだが、龍馬はどんな心境でお龍と旅をしていたのだろうか。「許婚」佐那との事実上の訣別を龍馬自身に意識させた旅ではなかったのか。龍馬の体も心もすでに佐那の元を離れてしまっていたのではないか。
 定吉・重太郎父子には龍馬を北辰一刀流千葉道場の一員として迎えたいという気持ちがあったのは確かであろう。千葉家は龍馬を自分の下に引き留めておきたかったにちがいない。長州征討に従軍するなど、京と江戸を往復していた重太郎は龍馬がお龍という「妾」を伴って九州に行ったこと、そのお龍が私こそ龍馬の「妻」だと胸を張っていたことも知っていた。が、このことを妹の佐那には告げるわけにはいかない。龍馬がいずれ妹を「妻」にしてくれる筈と信じていたから、と物語られる。
 慶応3年(1867)11月15日、龍馬は京都の近江屋で暗殺される。
 佐那は龍馬の死を知ったのちも、一生独身で通したとするのが通説であったが、佐那が元鳥取藩士・山口菊次郎と結婚していたとの新たな有力説がある。本作はこれに拠り、明治7年(1874)春、横浜に移住していた佐那は、山口菊次郎と所帯を持つ。龍馬を亡くして希望を失い、藁をもつかむ思いで結婚した佐那であったが、菊次郎には幻滅し、やがて離婚している。以後、結婚の事実そのものを否定し、一切語らなかったとする。
 最晩年は千住の地に「千葉灸治院」を建て家伝の灸を生業とした佐那は、明治29年(1896)10月15日、59歳の生涯を閉じている。お龍は佐那逝去の10年後、明治39年(1906)1月15日、66歳で没している。

 佐那の墓は、生前、灸治を通じて親交のあった甲府の自由民権家小田切謙明の妻・豊次によって、甲府市の清運寺に建てられた。その墓には「坂本龍馬室」という文字が彫られている。豊次は 「許婚」というよりも「妻」でありたいと願った佐那の想いを込めて「室」と刻んだのだろう。
 一方、お龍と30年連れ添った西村松兵衛は自らの「妻」西村ツルのために、「阪本龍馬之妻龍子之墓」という墓を作った。
 夫婦の形とは何か。夫婦には二人にしかわからない愛の形がある。

 作家は、佐那を実の姉妹のように愛する正姫が自らの意思で伴侶を選ぶことのできない大名同士の結婚に身を委ねて短い一生を終えたことや、龍馬を慕う、「人斬り以蔵」こと土佐藩郷士岡田以蔵と居酒屋の女の交情を描くことによって、「結婚はかなわなかった」佐那と龍馬の愛の形を描いている。
 お龍と佐那には共通点がある。突然、永別の日が訪れたこと。不遇の晩年を再婚の夫と送ったこと。どれほど龍馬が自分を愛してくれたかを胸に秘め、終生、龍馬の「妻」であったことを誇りに、ひっそりと生きたことなど。そして、お龍も佐那も「明治維新」の犠牲者であったということである。

 最近の龍馬研究では、あくまでも武力討伐によって幕府権力を奪取するという西郷隆盛板垣退助らの武力倒幕派に対して、龍馬がいかにして平和裏に幕府専制を解消させて新しい政治機構をつくるかに腐心していたとする見方が多いが、龍馬が目指していた夢、志とは何であったか。定吉が龍馬の死を佐那に告げ、「佐幕派の中にも勤王派の中にも、龍馬がいては邪魔だと思う者がいたのだ。……佐那、龍馬は男一人が一生を掛けてもできぬような働きをした男だぞ。婿には過ぎた男だった」と語るシーンがある。佐那と龍馬の二人の恋の行方とともに、時代を駆け抜けた風雲児・龍馬の人間像がいかに描かれているかも、小説の読みどころとなっている。
 龍馬の生まれた土佐・高知県に生まれ、佐那の眠る甲府市にほど近い山梨県笛吹市に居住する作家にして、はじめて紡ぎだすことができた物語である。
          (令和元年6月15日 雨宮由希夫 記)

『映画に溺れて』第75回 ドラえもん のび太のパラレル西遊記

第75回 ドラえもん のび太のパラレル西遊記

平成四年七月(1992)
池袋 テアトル池袋

 

 夏目雅子三蔵法師以来、日本で作られた西遊記はろくなものがない。原作の背景もなにもなく、ただ女三蔵が猿や河童を引き連れて妖怪退治の旅を続けるという、まるで水戸黄門漫遊記西遊記に置きかえただけの幼稚な子供だましである。
 そんな中で唯一まともなのがドラえもんの劇場版『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』だ。
 ドラえもんは未来から来た猫型ロボットで、胸のポケットから出した万能の道具でのび太の夢をかなえてくれる。
 小学校の学芸会で西遊記を演じることになり、三蔵は女子のしずかちゃんである。ここでも女が三蔵法師か。がっかりと思ったが、いやいや、その後の展開が面白い。
 のび太たちはタイムマシンで実際に唐の時代の中国に行くが、そこには孫悟空は存在しない。そこでドラえもんの立体ゲーム機でのび太孫悟空に変身、ゲームの妖怪たちと戦うことになる。
 やがてゲーム機を唐に放置したまま、現代に戻ってくると、家にも学校にも妖怪がうようよ。スイッチを切り忘れたため、ゲーム機から出てきた牛魔王ら妖怪が、史実の玄奘三蔵を食い、人類は滅ぼされ、二十世紀は妖怪の支配するパラレルワールドになっていた。
 ドラえもんのび太たちは再び過去に戻って、食われる前の実在の玄奘と協力しながら、妖怪たちを退治する。その際、のび太孫悟空となるのだ。もちろん、現実の玄奘は女子ではなく、たくましい大男の唐僧であった。
 西遊記を題材にしながら、時間SFの面白さもあり、幼稚な学芸会の三蔵は女だが、史実ではちゃんと男であると主張している。私にはうれしい一本である。

 

ドラえもん のび太のパラレル西遊記
1988
監督:芝山努
アニメーション(声)大山のぶ代小原乃梨子野村道子たてかべ和也肝付兼太

 

『映画に溺れて』第74回 西遊記

第74回 西遊記

昭和三十五年(1960)
大阪 長瀬 長瀬東映

 

 学齢に達する前にかなりの映画を映画館で観ているはずなのに、ほとんど特定できない。小学校高学年になってからはタイトルも内容もだいたいは憶えているのだが。
 東映動画の『西遊記』は小学一年生で祖母と観た。この映画の記憶が鮮明なのは、その後、TVで繰り返し放映されたからだろう。
 石から生まれた石猿が猿族の王となり、寿命を克服するため仙人のもとで仙術を身につけ、斉天大聖となって天界の神々と戦い、釈迦如来の掌から飛び出せずに岩山に閉じ込められる前半。
 三蔵法師の弟子となり、天竺を目指し、猪八戒沙悟浄と出会い、最後は火焔山で牛魔王と決戦する後半。
 悟空誕生から天界を騒がせるまでが丁寧に描かれているのは、さすが原案が手塚治虫だけのことはある。
 しかもミュージカルとして、猿たちや妖怪たちが歌って踊るのだ。
 大人になってから名画座エノケン三木のり平西遊記も観たが、やはり東映動画が一番よくできていると思う。
 なにしろ、沙悟浄は河童ではないし、三蔵法師もちゃんと男である。
 沙悟浄は天界で罪を犯した天帝の側近、捲簾大将が下界の大河に追放されて水怪となったもので、そもそも中国に河童など存在しない。ましてや、唐から天竺までの長旅を果たした史実の玄奘三蔵がかよわい女であるわけがないのだ。
 昭和五十三年にTVの西遊記夏目雅子三蔵法師を演じて以後、日本で作られる西遊記の三蔵はほとんど女優が演じるようになった。これは異常だし嘆かわしいことである。それ以前の西遊記はTVも映画も三蔵は男の俳優が演じている。当然ながら。
 三蔵法師は女だと本気で信じている人たちが映画界や演劇界に実際にいて、びっくりしたことがある。私は女の三蔵なんて、絶対にいやだ。
 せめて東映動画の『西遊記』ぐらいは観て勉強してほしい、と切に願う。

 

西遊記
1960
監督:薮下泰司、原案;手塚治虫、脚本:植草圭之助
アニメーション

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第23回 大地

 富江(黒島結菜)ら東京府立第二高等女学校(通称・竹早)の生徒たちは、教師の金栗四三(中村勘九郎)を辞めさせまいと、教室に立てこもります。
 四三を辞めさせようとしている、富江の父、大作(板尾創路)の主張ははっきりしています。女は運動などしないで良い。よって、運動をさせている教員はクビ。
 竹早の教師シマ(杉咲花)は大作にかみつきます。女の体は、男が思っているほどヤワではない。医者である大作は、医学的見地から女の体は運動に適していないと主張します。
「それは鍛えていないからです」
 というシマ。
「どんなに鍛えても、男にはかなわん」
 と叫ぶ大作。
「だったら証明してもらいましょう」というシマ。「競争してもらいます。お父さんと」
 富江と大作に走り比べをさせようというのです。受けて立つ大作。
「私が勝ったら、金栗先生をクビにしないでくれますか」
 富江のその条件を飲む大作。夜の校舎で、富江と大作の走り比べは行われます。華麗に走る富江、大作がドタドタとそれを追いかける展開になります。富江がゴールに飛び込みます。大作はゴールまで行かず激高。
「もう一回だ。もう一回やらせろ」
 大作は叫びます。その挑戦を受ける富江。今度は大作は、たすき掛けをし、本気を見せます。しかし結果は大作の完敗。競争は六回行われましたが、大作は一度も勝つことができませんでした。
富江、お前いつの間に」
 と娘を指さす大作。
「鍛えてますから」
 と、シマが答えます。こうして四三は辞職を免れたのでした。
 ミルクホールで四三とシマ、嘉納治五郎(役所広司)は会っていました。嘉納は夢である神宮競技場を、この夏に完成させるところまでこぎ着けていたのです。祝福する四三。これで東京でオリンピックを開催する準備は万端だ、と嘉納は言い放ちます。
 四三はシマを神宮競技場に誘います。その日は嘉納が二人を案内することになっていたのです。しかしシマには先約がありました。生徒たちと共に、オペラ「雄蝶婦人」を見に行くことになっていたのです。場所は浅草十二階(凌雲閣)。四三もオペラに誘われますが、当然のことながら嘉納との約束を優先します。
 四三は嘉納と神宮競技場を見て回ります。メインスタジアムに一万五千人、芝生席に四万人。計五万五千人が収容できます。
「本当に造ってしまわれたんですね」
 と感心する四三。四三はコースを走って見せます。その頃シマは、浅草十二階から双眼鏡で神宮競技場を見ていました。嘉納は四三に、自分は百五十歳まで生きる気がする、と言います。あっけにとられる四三。それくらい生きなければ、追いつかないという意味だ、嘉納は説明します。
「ここが完成したらすぐ、東京でオリンピックを開催する。だが、それが最終目標ではない。私が愛してやまない柔道を、世界の隅々にまで広めるんだ。それにはどう考えても百五十歳まで生きなくちゃいかん。その頃には地球は、火星と交通しているかもしれない。そうなれば火星人にも柔道をたたき込まねばならん」。
 一方、後の古今亭志ん生である美濃部孝蔵(山本未來)。一回目の夜逃げを終えて、新居に落ち着いていました。外へ出ようと草履に片足を引っかけたところで揺れが始まったのです。関東大震災です。妻はここが安全とタンスの陰に隠れます。孝蔵はこのままでは東京中の酒が、地面に吸われてしまうぞ、と言う奇妙な考えにとりつかれます。揺れの中を酒屋に向かうのです。帰ってきた孝蔵を妻のおりん(夏帆)が仁王立ちになって迎えます。酒と女房どっちが大事なんだい。
「それは女房に決まってんじゃねえかよ」
 と、答える孝蔵。おりんは孝蔵に妊娠したことを打ち明けるのです。
 揺れがおさまり、四三は下宿の播磨屋に帰ってきました。播磨屋の皆は無事でした。播磨屋にはシマの息子「りく」が預けられていたのです。
 日が落ちてくると東京の街が火に包まれている様子が見えてきます。浅草から日本橋、芝の方まですっかり燃えてしまっています。南風に乗って、火の手は広がり続け、二日かけて、東京のほとんどを焼き尽くしてしまいました。
 四三は夜の東京をシマを探して回ります。そこで大作と出会い、けが人の手当をする富江に会います。富江はシマに会っていないと言います。オペラを見るために、十二階で待ち合わせしていたが、行き着けなかったと。
 浅草のシンボル十二階(凌雲閣は)八階のところで折れ、残りの部分もすっかり焼けていました。
 朝になり、四三はシマの夫の増野(柄本佑)と街を探し回っていました。増野は播磨屋から、息子の「りく」を引き取ってきていました。あきらめないように増野を励ます四三。しかし増野は泣き崩れます。
 1964年の古今亭志ん生(ビートたけし)。関東大震災の噺を高座で披露し、帰ってきました。謎の多い弟子の五りんに、志ん生の娘の美津子(小泉今日子)が問います。あんたのところは地震大丈夫だった。五りんは
「ばあちゃんが被災したみたいです」
 と言います。五りんは祖母の写真を志ん生と美津子に見せます。それはシマが結婚するときに、仲人の四三夫妻と撮ったものでした。五りんはシマの孫だったのです。そしてシマは関東大震災で亡くなっていました。

 

『映画に溺れて』第73回 猿の惑星・創世記

第73回 猿の惑星・創世記

平成二十三年十月(2011)
大泉 Tジョイ大泉

 

 一九六八年の最初の『猿の惑星』は、メイキャップがすごかった。ロディ・マクドゥール、キム・ハンター、モーリス・エバンスといった名優たちが、特殊メイクで猿の顔になり、演技する。だから、体格は人間だし、顔は人間よりもかなり大きい。それが気にならないくらいに、猿役の俳優の演技がすばらしかった。
 二〇一一年に始まった新シリーズの猿は特殊メイクではない。コンピュータグラフィックスの技術で、本物そっくりのチンパンジーやゴリラそのものを描き、俳優が演技した顔だけを組み込んでいる。猿に限らず、動物、怪獣、乗り物、景色、群衆、なんでもCGでできてしまう。進化したのは猿ではなく、映像技術だった。
 というわけで『猿の惑星・創世記』は、最初のシリーズを踏まえながらも、別のストーリーになっている。
 アフリカのジャングルで捕縛されるチンパンジー。大手製薬会社がアルツハイマーの治療薬の開発に類人猿を使って効果を実験している。研究所で一匹の雌のチンパンジーが賢くなる。人間にも効き目があることがわかり、会社は薬の実用化に踏み切る。高齢化社会認知症がこれで解消できるわけだ。
 雌のチンパンジーは子猿を産んで死亡。製薬会社の研究員がその子猿をシーザーと名付けて育てるが、これが母猿よりもさらに賢くて、人語をしゃべることがわかる。
 ところが、普及した治療薬の効果は一時的で、副作用によって大量の人類が死滅する。逆に猿たちはどんどん賢くなっていく。
 最初のシリーズでは未来からきた知的チンパンジーの子供シーザーが暴動を起こし、猿が天下を取るのだが、アルツハイマーの治療薬で猿たちが賢くなるほうが、はるかに説得力があった。
 この新シリーズは『新世紀』『聖戦記』と続き、猿たちもまた人類同様に戦争を始めて、終わるのだ。次の世はジョナサン・スウィフト風の知的な馬の惑星になるのだろうか。

 

猿の惑星・創世記/Rise of the Planet of the Apes
2011 アメリカ/公開2011
監督:ルパート・ワイアット
出演:ジェームズ・フランコアンディ・サーキスフリーダ・ピントー、ジョン・リスゴー

『映画に溺れて』第72回 新・猿の惑星

第72回 新・猿の惑星

昭和四十六年八月(1971)
大阪 難波 南街劇場

 

猿の惑星』は大ヒットとなり、次々と続編が作られた。私は『続・猿の惑星』だけは深夜TVでの鑑賞だが、あとはティム・バートン版も新シリーズもすべて劇場で観ている。
 第三作の『新・猿の惑星』は第一作でロディ・マクドゥールとキム・ハンターが演じたチンパンジーの科学者夫婦が主役である。
 現代のアメリカに宇宙船が戻ってくる。扉が開き、宇宙服を着た三人の人物。出迎えの兵士が敬礼する中で、ヘルメットを取ると、そこには猿の顔が。
 未来の地球が最終兵器の爆発で消滅する寸前、テイラーの乗ってきた宇宙船を修理し、三匹のチンパンジー科学者が脱出、一九七〇年代の地球にやってきたのだ。
 最初の宇宙船は時空を超えて未来へ行ったのではない。長い時間をかけて宇宙空間を移動し、その間、飛行士は人工冬眠状態にあった。だが、今回は同じ宇宙船が過去へとタイムスリップする。いったいどういうわけか。などと考え込んではいけない。そういう話なのだ。そこさえ目をつぶれば、先へ進める。
 三匹のチンパンジーは、現代のアメリカで苦難にあう。テイラーたちが『猿の惑星』第一作で逃げ回ったように。
 やがて、チンパンジーの夫婦に赤ん坊が生まれるが、アメリカ人科学者は、この猿が人類の未来にとって危険だというので、抹殺しようとする。
 そして次の『猿の惑星征服』『最後の猿の惑星』へと物語は続くのだ。正直言って、だんだんつまらなくなっていく。
 未来から来た知的な猿が生んだ子猿が、将来の地球を猿の世界に変えてしまう。そこへテイラーたちが不時着し、地球は滅び、その寸前にチンパンジーの科学者夫婦が脱出、過去へとタイムスリップする。時間の繰り返しで、話が発展しない。
 メイキャップだけはすごかったけれど。

 

新・猿の惑星/Escape from the Planet of the Apes
1971 アメリカ/公開1971
監督:ドン・テイラー
出演:ロディ・マクドウォール、キム・ハンター、ブラッドフォード・ディルマン、エリック・ブリーデン、ナタリー・トランディ、サル・ミネオ、ウィリアム・ウィンダム