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頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー15

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー15

江戸幕府御家人」(戸森麻衣子、東京堂出版

 

 藤沢周平が、「黒い縄」(『別冊文藝春秋』121号)で、第68回直木賞候補となったとき、選考委員の村上元三が、
「背広に丁髷を乗せたような作品で、会話にも現代語がやたらに出てくる。現代語がいけないというのではないが、不自然さを感じさせるところ、やはり作者の不用意であろう」(注)
 と、評している有名な話があります。
 第68回とは、昭和47年(1972年)下半期で、今から30年以上前のことです。氏は次の第69回で見事に直木賞を受賞するのですが、その後も海坂藩の中間管理職、平サラリーマンとでもいうべき下級藩士(剣の腕は確かですが)を描き続けました。そのため、サラリーマン層の圧倒的な支持を得たように思います。
 しかしながら、平成9年(1997年)に氏が亡くなって後は、そのような作品は出ていない気がします。(葉室麟の西国の藩を舞台にした作品は、少し藤沢周平とは異なる気がするのは私だけでしょうか。)
 藤沢周平は、海坂藩というどちらかといえば、現在のローカル企業の中間管理職、平サラリーマンを主人公としましたが、幕府すなわち中央官庁の平公務員を主人公に発表された作品がありました。青木文平の「半席」「励み場」がそれです。ただ残念ながら、氏は物語に執着しない作風のためか、興味あるテーマが変化したのか、長続きしなかったように思います。
 とはいえ、氏の描いた御家人の世界は、ノンキャリア公務員ばかりでなく中小企業、大企業の平サラリーマンに通じる世界があるように思われます。
 特に御家人については、その実態がよく掴めず、リアルさを追求しようとすればするほど限界がありましたが、最近、御家人についても研究が進み、少しずつ実態がわかるようになってきました。本作もそのような貴重な専門書の一つです。
 歴史は英雄、豪傑が造ってきたものではなく、名も無き民衆の営為によりできあがったものだとは、民衆史の立場ですが、なにもそのように畏まらなくとも、私たちは今を生きて、過去の似たような境遇にいた人物がどのように暮らしてきたのか、に興味をたくましくするものではないでしょうか。
 今まで描けなかった(描かなかった)御家人の豊穣な世界を創造(想像)することは、小説を書く書かないにかかわらず楽しいもののように思います。
 ちなみに、本作の帯には「職務・生活・身分から実態を探る」とあります。462ページとボリュームがありますが、まずは、興味のある役職から読んでみてはいかがでしょうか。
(文中、敬称を省略しました。)

(注) 『直木賞のすべて』(https://prizesworld.com/naoki/ichiran/ichiran61-80.htm#list068)より引用(大元は、『オール讀物』昭和48年(1973年)4月号掲載の選評)

『映画に溺れて』第552回 異動辞令は音楽隊!

第552回 異動辞令は音楽隊!

令和四年八月(2022)
立川 TOHOシネマズ立川立飛

 

 阿部寛主演の異色刑事ものである。地方都市で独り暮らしの老人を狙った悪質で残忍な連続強盗事件が発生する。役場から老人に向けて犯罪防止の電話がかかる。家庭内に大金や貴重品がある場合は危険なので、きちんと保管しているかどうかとの問い合わせなのだ。
 それに答えた直後、老人宅に宅配便を装った強盗団が侵入し、老人に重傷を負わせて金品を奪う。つまり役場からの電話は犯罪組織からの偽電話だった。
 事件解決のなかなか進まない警察内部で、捜査一課の成瀬刑事は現場経験が豊富であり、犯人グループとの接触の疑いある若者の住居に侵入し、これを強引に締め上げて、犯行を白状させようとする。規則にとらわれない成瀬のはみ出しぶりは、まるでクリント・イーストウッドの暴力刑事ダーティハリーを思わせる。
 令状も取らずチームワークを無視する成瀬に対して署内からも不満の声があがり、日頃の反抗的な態度に怒りを覚えた県警本部長の五十嵐は、成瀬を呼び出し、捜査一課を解任し、異動を命じる。
 その異動先が驚いたことに山の教会を拠点とした警察音楽隊なのだ。少年時代、村祭りで太鼓を叩いていた成瀬は、音楽隊のドラムを担当することになる。音楽隊ブラスバンドのメンバーは犯罪現場とは無縁の交通巡査やパトロール警官たちで、捜査一課から離れた成瀬は落ち込む。
 高校生である成瀬の娘は仕事一筋で家庭を顧みない父を憎んでいたが、高校の学園祭では音楽グループに属しており、警察音楽隊に異動した父に少し興味を持つ。
 成瀬は演奏会などで隊員たちと心を開き、だんだんと音楽が好きになるが、町では連続強盗事件は終わらず、音楽隊のファンの上品な老婦人が強盗団に襲われ、命を落とす。怒り狂った成瀬は、果たして音楽隊員でありながら、強盗団を追い詰めることができるのか。
 強盗団の被害に遭う老婦人がかつて昼メロのヒロインだった長内美那子である。成瀬の母が倍賞美津子、五十嵐本部長が光石研、音楽隊の先輩が渋川清彦と脇にはベテランが揃う。

 

異動辞令は音楽隊!
2022
監督:内田英治
出演:阿部寛清野菜名磯村勇斗高杉真宙、板橋駿谷、モトーラ世理奈、見上愛、岡部たかし、渋川清彦、酒向芳、六平直政光石研倍賞美津子、長内美那子

 

書評『友よ』

書名『友よ』               
著者 赤神諒
発売 PHP研究所
発行年月日  2022年12月21日
定価  ¥2100E

 

 

「一領具足」と呼ばれる半農半士を主力とした軍を率い、四国に覇をとなえた長宗我部(ちょうそがべ)元親(もとちか)を主人公にした小説は司馬遼太郎『夏草の賦』(1968)、宮地佐一郎『長宗我部元親』(1997)、天野純希『南海の翼―長宗我部元親正伝』(2010)など数多いが、その子・信親(のぶちか)を主人公にした小説は珍しい。

 天正3年(1575)夏、土佐一国を統一した元親は10月、信長に使者を送り、四国征討のことをつげ、かつ嫡男弥三郎の烏帽子親となってくれるよう依頼。弥三郎は信長から偏諱の「信」を拝領して「信親」を名乗る。
 信親は六尺一寸(約1.85m)堂々たる体躯の持ち主で、武勇にすぐれ、人望のある、やさしい心根の好青年で、長宗我部の跡継ぎとして将来を嘱望された人物であったという。その生涯を本書の著者は「土佐の深山幽谷から湧き出ずる清流の如く濁りがなく研きたての刃のように清冽」(118頁)と描く。

 本書は第一部「石清川」、第二部「中富川」、第三部「戸次川」の三部構成。
 第一部は土佐の御曹司信親の初陣から天正7年8月の波川(はかわ)の乱までを描く。

 天正6年12月、讃岐藤目城の戦いが信親の初陣。讃岐方の守将新目弾(にいめだん)正(じょう)以下500名が城を枕に殉じ、土佐方も700名が命を落とす凄惨極まりない戦いであった。「信親も戦いに明け暮れる人生を覚悟していた。だが、戦場がかくも過酷な修羅場だとは思わなかった」(69頁)。
 また、敵将新目弾正は信親にとって生涯忘れ得ぬ将となった。「われらは故郷を守るために集い、友として戦っただけだ」(66頁)との敵将新目弾正の言葉に信親は限りない衝撃を受けるのである。本書書名の由来はここにある。
 波川の乱は主筋に当たる土佐の名門・一条家の軛(くびき)から完全に放たれるべく元親が仕組んだ謀略であった。信親の叔父に当たる波川清宗の謀反をでっちあげた元親を信親は非難する。元親と信親は仲睦まじい父子で言い争う姿を家臣団の誰もが見たことがなかった。「今回が初めての父子の軋轢」(178頁)であった。

 天正9年(1581) に元親は四国全土の統一に成功しているが、第二部「中富川」はその翌年の天正10年5月から天正13年7月までが舞台背景。
 かつて元親は信長より、「四国の儀は元親手柄次第に切取りへ」の朱印状を貰い受けていたが、石山本願寺を屈服させ天下布武をほぼ手中にした信長は元親の四国統一の野望を目障りと感じ、手のひらを返して対四国政策を変更する。
 若き信親が信長をどう観ていたか。作家は信親が「俺が四国の乱世を、次に全国の乱世を終わらせてやる」(169頁)との自負を持ち、「もう戦をせずに済むのなら、信長に天下を取らせればいい。大事なのは乱世の終焉だ」と考えていた(99頁)とする。
 一方、信長は元親との約束を反故にするどころか、天正10年(1582)元親討伐の軍をおこす。が、6月2日、本能寺の変が勃発。元親は間一髪危機を免れる。
 元親は畿内の政治空白に乗じて再び勢力拡大を図る。8月28日、宿敵であった十河存(そごう)保(ながやす)を中富川の戦いで破って、阿波の大半を支配下に置く。
 信長の死を奇貨として信長の後継者となった幸運児・羽柴秀吉の天下統一への速度は信長のそれを上回るほどに速かった。

 天正13年(1585)春、元親は伊予を平定し、四国の覇者となるが、この時すでに秀吉は元親征伐を宣言していたのだ。6月、秀吉は雲霞の如き十数万の大軍を派遣。元親は抗戦するも各地で敗北を続け、終に7月25日、秀吉の軍門に降る。阿波・讃岐・伊予を没収されて土佐一国のみを安堵されたものの、星霜十年をかけて成し遂げた四国平定はこの時烏有に帰したのである。     

 第三部は運命の「戸次(へつぎ)川」である。 
 秀吉に降伏し、土佐一国に封じ込められ、豊臣大名となった元親は秀吉の九州征伐に駆り出される。天正14年(1586)12月の豊後戸次川の戦いは島津攻めの前哨戦だが、元親は信親とともに従軍する。
 敵は精強で鳴る島津勢3万に対し、秀吉軍先発隊の四国勢は6千にすぎない。しかも友軍の仙石秀久十河存保は「昨日の敵」で長宗我部との間には深く暗い怨恨があった。彼らは「攻撃すべし」と元親を挑発。秀吉という虎の威を借りる軍監・仙石秀久の独断で強行される。仙石はまんまと島津の釣り野伏せ(つりのぶせ)の計略に嵌る。仙石は負け戦と知るやいち早く戦場を離脱するが、全滅に近い乱戦の中、信親率いる長宗我部勢と十河存保率いる十河勢は最後まで留まる。12月13日、信親は22歳の若さで討死。
 信親が必敗必死の戦場に踏みとどまり、なぜ最後の一兵まで戦ったのかは謎であるが、作家は守るべき者のために駆け抜けた信親の信念を読み取り、「長宗我部を生かし、土佐の皆を守るため」(411頁)信親は死を賭して戦ったとする。
 後継者として期待し家督を譲る予定であった嫡男に先立たれた元親の悲痛。信親の死が元親の晩年を狂わせた。それまで、長宗我部家は家臣の言に対し、真摯に耳を傾ける名君元親の下、家臣団の強い団結を誇っていた(119頁)が、人が変わったように落ち込んだ元親もと分裂する。後継者問題で元親は次男、3男をさしおいて、偏愛する4男で末子の盛親の後継を強行し、これに反対した家臣を血の粛清で弾圧するのである。
 信親の悲劇は長宗我部家がたどる運命を予見するかの如くであった。盛親 は関ヶ原では西軍に与して改易され、大坂の陣では豊臣方として大坂城に入城するが落城後、捕らえられ処刑され、長宗我部家は断絶。だがこれらは後の物語である。本書は信親の死で終わっている。

 作家はこれまで『酔象の流儀 朝倉盛衰記』の 山崎(やまざき)吉家(よしいえ)、『仁王の本領』の杉浦玄任など、強い信念で己の道を貫いた実在の人物を描いてきた。マイナーな、ポピュラーでない、いささか馴染みの薄い人物に光を当て戦国小説に独自の境地を切り開いてきた。本書もこの系列に位置する作品である。
 信親には川を愛し、「川は人の世に似ている」と語るように何でも川に譬える癖があり、つねに隣人を「友よ」と呼びかける。血縁であっても平気で裏切られる乱世に、友情なるものを信じ、家臣はもちろん領民、挙句は敵までを魅了し、「友」として取り込み、人を動かしていく不思議な力を持つ人物が土佐の御曹司であるとして、作家は信親を造形している。
 本作は戦国末期の土佐という具体的な時代を背景としながら、「友」と「川」をキーワードとして描いた創作性豊かな歴史小説である。
 史実をベースにしながら、一方、作家は本作を一つの戦国青春群像劇として展開させている。群像の一人が新目弾正であり、信親が愛した女「るい」である。るいの身の毛のよだつような素性を描き切ることにより、清冽な信親の生きざまとともに元親のおどろおどろしい謀略を具現化させている。優れた作家というものは史実とフィクションを見事に融合させ、これほどまでに豊かな想像力を駆使して自在に歴史の断面を切り取ることができるものなのか。仁淀川四万十川、土佐の川は土佐の峻険な四国山脈から湧き出し、雄大な海・土佐湾に注ぐ。川をキーワードの一つにしたことも作家の炯眼である。

                 (令和5年2月8日 雨宮 由希夫)

書評『一睡の夢』共同通信掲載

『一睡の夢』 評 雨宮由希夫                 

 

 

 副題に「家康と淀殿」とあるように、戦国
の世を生き抜いた二人を主人公とし、豊臣
家が滅亡した大坂の陣の真相を活写した歴史
小説の大作だ。   
 最大の読みどころは慶長五年(一六〇〇)の
関ヶ原の戦いの勝利で覇権を握った徳川家康
が、豊臣家と秀吉の側室であった淀殿を追い
詰めていく慶長十年代の政局を、丹念かつ緻
密に描くところであろう。家康は「関ヶ原
の二年半後には征夷大将軍の宣下を受けるが、
徳川将軍家」を揺るぎないものにすべく、
短期間で将軍職を息子の秀忠に譲るとともに
、頼りない秀忠を叱咤激励するという、した
たかな戦略をすすめていた。一方、誇りを貫
くばかりの淀殿は、家康への臣従よりも死を
選ぶとの壮絶な道を突き進む。戦略は家康の
老衰死を待つのみだ。
 事の次第があまりにも有名な「方広寺
銘事件」を経て、慶長一九・二〇年の大坂冬
・夏の陣へ。
 織田信長と秀吉の二人と比べて凡庸な家康
は、凡庸だからこそ忍耐強く乱世を生き抜き、
天下をとることは「一睡の夢」と知りつつも
覇者となった 。筆者は、そんな読み応え抜
群の新しい「家康像」を造形している。
 秀吉の正妻の北政所と、跡継ぎ秀頼の生母
淀殿は「糟糠の妻と愛人」であり、宿命の
確執があったとするのが通説であったが、近
年のめざましい史学の研究成果を踏まえて、
「二人の正妻」である淀殿北政所が豊臣存
続ためにひそかに連携していたと物語られて
いる。
 戦国の世を生き抜いた実在の人間を深く洞
察し、その実像に迫った本作は、関ヶ原の戦
いをダイナミックに活写した直近作『天下大
乱』同様、史実と定説さらに新説を吟味した
上で、自らの解釈を導き出すことを信条とす
歴史小説家、伊東潤の本領発揮の佳品であ
会心作である。

『映画に溺れて』第551回 カレンダーガール

第551回 カレンダーガール

平成六年九月(1994)
高田馬場 早稲田松竹

 

 英国ヨークシャー州の町で、白血病医療に寄付するため、婦人会に属する中年や初老の女性たちが自らモデルとなりヌードカレンダーを作って販売した事実を映画化した『カレンダー・ガールズ』はその後、演劇となり、日本で公開されたものを観劇した。
 実は観劇時、ほぼ同じタイトルのアメリカの青春映画『カレンダーガール』があったことを思い出したのだ。カレンダーガールとは水着やヌードのカレンダーに登場するピンナップガールのことである。
 一九六〇年代初頭、アメリカの田舎町に住むロイ、ネッド、スコットの三人は子供の頃から仲良し三人組で、そろそろ大人になろうとしている。
 母親が駆け落ちし、ボクシングジムのトレーナーの父とふたり暮らしのロイは、地元のごろつきの使い走りをしているツッパリ青年。
 死んだ父の玩具店を継ぐことになったネッドは純情青年。
 片足の不自由なスコットは真面目青年で映画館の映写技師を目指している。
 現状に不満なロイは軍隊へ志願することになり、入隊を前にネッドとスコットを誘い、三人で記念にハリウッドへ遊びに行き、憧れのアイドルスター、マリリン・モンローに会う計画を立てる。ロイの叔父は売れない俳優だが、冷戦時代なので核シェルターのセールスで荒稼ぎしており、ハリウッドでいい暮らしをしている。三人はそこへ転がりこんで、なんとかモンローに会う手立てを考え、とうとう、ロイがモンロー本人とデートする約束を取りつける。
 だが、彼はその権利をネッドに譲る。ロイにとって、モンローは自分と父親を捨てて出ていった母親のイメージが強かったのだろう。ネッドは憧れのモンローとデートし、三人は田舎に帰り、ロイは父親と和解して軍隊に入り、善良なスコットは映写技師となり幼なじみと結婚し、ネッドは都会の大学へ行く。

 

カレンダーガール/Calendar Girl
1993 アメリカ/公開1994
監督:ジョン・ホワイトセル
出演:ジェイソン・プリーストリー、ジェリー・オコンネル、ガブリエル・オールズ、ジョー・パントリアーノ、スティーブ・レイルズバック、カート・フラー、スティーブン・トボロウスキー

 

『映画に溺れて』第550回 ベティ・ペイジ

第550回 ベティ・ペイジ

平成二十年四月(2008)
飯田橋 ギンレイホール

 マリリン・モンローはスターとして売り出す前、ヌードモデルをしており、映画『ノーマ・ジーンとマリリン』に、そのあたりのことが描かれている。
 一九五〇年代は、さほど性が開放的ではなく、そんな時代に水着モデル、下着モデル、果てはヌードや緊縛写真まで撮った実在の女性ベティ・ペイジが主人公となるのが、グレッチェン・モル主演の『ベティ・ペイジ』である。
 最初の場面、小さなアダルト向けの書店、そこにひとりの客がおどおどしながら入ってくる。他の客も男ばかり。水着や下着の雑誌をちらちら眺めているのを横目にして、男は恥ずかしそうに気後れしながら、レジの店員にささやく。
「あのー、もっと変わったの、ないかな」
「なんですか」とけげんそうな店員。
「たとえば、編み上げタイツでハイヒールのやつとか」
 心得て、そっと引き出しから出す店員。
「わあ、すごい。こんなのもっとある」
「ええ、倉庫にたくさんありますよ」
 少女時代のベティ。彼女が結婚に失敗し、都会に出て、女優を目指しながら、モデルになり、水着からどんどんエスカレートしていく半生。まるでドキュメンタリーのように当時の性風俗の再現がよくできている。ベティはモンローのような女優にはなれなかったが、ピンナップの女王として売れ、ある日、ぷっつりと姿を消す。
 芸能界に憧れて、都会に出てきて、性風俗業界に入っていく女性は、昔も今もたくさんいたのだろう。中には娼婦になったり、客に惨殺されたり。そのあたりの暗部を描いているのがブライアン・デパルマ監督の『ブラックダリア』だった。実在のベティ・ペイジはエロ映画にも出演し、二〇〇八年に八十五歳で亡くなったとのこと。

ベティ・ペイジ/The Notorious Bettie Page
2006 アメリカ/公開2007
監督:メアリー・ハロン
出演:グレッチェン・モル、クリス・バウアー、ジャレット・ハリス、デヴィッド・ストラザーンリリ・テイラー

 

『映画に溺れて』第549回 クイズ・ショウ

第549回 クイズ・ショウ

平成七年四月(1995)
日比谷 みゆき座

 

 私が子供の頃、家にはTVが一台しかなく、夕食時などは家族そろって、つけっぱなしのTV番組を見ていた。その頃、多かったのが各種のクイズ番組だった。偉そうな司会者が解答者の席に並んだ著名な芸能人や文化人たちの珍解答をこきおろす。
 あまり賢そうにも見えない芸人が難問に次々正解を出すと、わが茶の間では母がはしたない喝采を下品に叫ぶ。私はなによりもそれが嫌でたまらなかった。母のようなTVを盲信する愚劣な視聴者が増えると視聴率は上がる。私は子供ながら、そのクイズ番組に胡散臭さを感じていたのだ。
 そんな一九五〇年代のアメリカのTVクイズ番組の内幕を描いたのが、ロバート・レッドフォード監督の『クイズ・ショウ』である。
 クイズ番組で勝ち続けるユダヤ系の庶民ハービーは、ディレクターに呼ばれ、チャンピオンとしてマンネリになったから、わざと答えを間違えるよう要請され、番組を下ろされる。新チャンピオンに選ばれたのが名門の大学講師チャールズ。美男のチャールズには非常に難しいクイズの答えが予め教えられており、次々にすらすら答えて、スターとなり、雑誌の表紙を飾り、大学でも講師から助教授に推薦される。
 ゴミのように番組から捨てられ、不満を持ったハービーはユダヤ系の若手弁護士グッドウィンに内幕を暴露する。
 グッドウィンは番組の歴代のチャンピオンに会い、彼らの中に答えを教えられた証拠を持つ男を見つけ、徐々にチャールズや番組プロデューサーを追い詰めて行く。チャールズにも良心があり、委員会で番組が仕組まれたことを告白する。その潔さに拍手が起こるが、彼は番組を下ろされ、大学からも追放される運命となる。
 が、TVそのものは本質が作りものの嘘なのだということになり、スポンサーもTV局も追及されることなく、そのTVの欺瞞と嘘臭さが現代の日本でもまだ続いているのだ。

 

クイズ・ショウ/Quiz Show
1994 アメリカ/公開1995
監督:ロバート・レッドフォード
出演:ジョン・タトゥーロレイフ・ファインズ、ロブ・モロー、ポール・スコフィールド、デヴィッド・ペイマー、ハンク・アザリア、クリストファー・マクドナルド、エリザベス・ウィルソン、ミラ・ソルヴィノ、ヨハン・カルロ、マーティン・スコセッシ

 

『映画に溺れて』第548回 十二人の怒れる男

第548回 十二人の怒れる男

平成八年九月(1996)
有楽町 シネラセット

十二人の怒れる男』は最初、レジナルド・ローズの脚本によるTVドラマとして一九五〇年代半ばにアメリカで放送された。
 それが話題作となり、シドニー・ルメット監督、ヘンリー・フォンダ主演で映画化される。
 私がこの映画を観たのは最初の封切りから三十七年後、有楽町の駅前にあったシネラセットである。レジナルド・ローズの脚本は劇書房から額田やえ子の翻訳で出ていたので、映画より先に読んではいた。
 十二人の陪審員を演じる俳優たちが、どのひとりを取っても見せてくれる。個性というのは決してあざとく派手なスタンドプレーではなく、地道な計算によるものだとわかる。これだけ地味な人たちを集めて、飽きさせないのだからすごい。
 不良少年による父親殺しの裁判。証人もいて、状況証拠もそろっている。少年は犯行時間には映画館にいたと言うが、立証できない。
 少年は否認し続け、情状酌量の余地はなく、有罪になれば死刑は確実である。
 そこで十二人の陪審員による審議だが、誰が見ても有罪だと思われるので、挙手の投票で決めることになる。みんなが有罪に手を揚げるが、ひとりヘンリー・フォンダが無罪に投票。全員一致でなければ評決はできない。たぶん有罪かも知れないが、確信の持てない部分があり、人の命を五分で決めずに、もっと話し合いたいとフォンダは主張する。で、結局、最後には全員一致で無罪となるのだが、この暑苦しい密室で行われる話し合いの面白いこと。十二人の人物を巧みに描き分けた作者の功績は大きい。
 日本でも舞台劇として上演されて、その後、筒井康隆の『十二人の浮かれる男』や三谷幸喜の『12人の優しい日本人』などの作品も生まれた。

 

十二人の怒れる男/12 Angry Men
1957 アメリカ/公開1959
監督:シドニー・ルメット
出演:ヘンリー・フォンダ、リー・J・コッブ、エド・ベグリー、E・G・マーシャル、ジャック・ウォーデンマーティン・バルサム、ジョン・フィードラー、ジャック・クラッグマン、エドワード・ビンズ、ジョセフ・スウィニー、ジョージ・ヴォスコヴェク、ロバート・ウェバー

 

『映画に溺れて』第547回 遊びの時間は終らない

第547回 遊びの時間は終らない

平成四年四月(1992)
池袋 文芸坐

 

 本木雅弘はかつてシブがき隊に属するアイドルだったが、その後ベテラン俳優として『おくりびと』などで風格ある演技を見せるようになった。
 私が最初に観た本木の映画が『遊びの時間は終らない』であり、当時二十代半ばで堂々たる主演俳優であった。
 最初の場面、若い男が銀行強盗の計画を綿密に練っている。彼は交番勤務の警官だとわかる。つまり、現役警察官によるシリアスな犯罪映画であろうか。そう思わせて、実は違うのだ。
 地方都市の警察署が地元の銀行を舞台に本格的な防犯訓練を行なうのだが、その犯人役に指名されたのが本木ふんする若い平田巡査なのだ。真面目な好青年ながら、少々融通のきかないタイプである。訓練は型通りの段取りではなく、打ち合わせなしで、実際の事件と同じように対処し、警察の力を市民に誇示しようというものである。
 リアルなぶっつけ本番で、地元のTV局が生中継する。銀行員はすべて本物の行員で、客は警察官が演じる。そこへ平田巡査ふんする強盗が乗り込んで、これをエリートの警部補が取り押さえるという場面が想定されている。
 ところが用意周到な犯人像を作り上げた平田巡査は、客を装って逮捕に来た警部補をあっけなく射殺する。つまり隙を見て銃を向け、口で「バン」と言うのだ。警部補は役割通り、首から死体と書かれたプラカードを下げ、その場に横たわる。銀行員と客は「拘束」のプラカードをさげ隅に集められ、銀行における強盗の立てこもり事件へと発展するのだ。
 思わぬなりゆきにTV局は大喜びで、実況を続ける。いきりたった警察側は、威信をかけて強盗に対処するが、融通のきかない強盗役の平田巡査は手強く、事件はどんどんエスカレートする。さて、この防犯訓練、どういう結末を迎えるのだろう。犯人役の平田巡査は警官隊の包囲網を無事に突破できるのか。

 

遊びの時間は終らない
1991
監督:萩庭貞明
出演:本木雅弘石橋蓮司西川忠志伊藤真美原田大二郎萩原流行斎藤晴彦

 

書評『鬼女』

書名『鬼女』
著者 鳴海 風
発売 早川書房
発行日 2022年9月25日
定価  本体2900円(税別)

 

 大岡昇平に「母成(ぼなり)峠の思い出」という戊辰戦争の本質を突いた短いが味わい深いエッセイ(『太陽』昭和52年6月号所収)がある。

 「私の戊辰戦争への興味は、結局のところ敗れた者への同情、判官びいきから出ている。一方、慶応争間からの薩長の討幕方針には、胸糞が悪くなるような、強権主義、謀略主義がある。それに対する、慶喜のずるかしこい身の処し方も不愉快である。その後の東北諸藩の討伐は、最初からきまっていたといえる。北越河井継之助が長州に一泡吹かせたけれど、結局そこまでであった。多くの形だけの抵抗、裏切りがでる。あらゆる人間的弱さが露呈する。
  戊辰戦争全体はなんともいえず悲しい。その一語に尽きると思う。」

 “朝敵”とされた会津藩主松平(まつだいら)容保(かたもり)は、国許に帰って謹慎し、謝罪を申し出たにも拘らず、薩長政権はそれを無視して、容保の斬首、会津若松の開城、領地没収の三点を要求して譲らず、会津藩を徹底抗戦の途へと追い込む。東北諸藩による列藩同盟は仙台・米沢両藩の主導で、当初、会津藩救済を目的として結成された。しかし、白河口の戦いに敗れてからは奥羽越列藩同盟は崩壊したも同然の状態となり「母成峠」を迎えるのである。

 本書の主人公というべきは作家が造形した会津藩士木本(きもと)新兵衛(しんべえ)の妻・利代(りよ)で、物語のスタートは文久2年(1862) 3月半ばの会津若松である。その2年前の万延元年(1860)には江戸で「桜田門外の変」が起きている。
 その後の幕末維新史を知る後世の我々から見れば、その時すでに尋常一様ではない空気がすでに日本全土を覆い尽くしていると思いがちだが、本書に描き出される会津は幕末の風雲など無縁とばかりにのびやかで、初代藩主保科正之(ほしなまさゆき)の文武にわたる厳しい教えを愚直に守る会津藩独特の風習などが丹念に記述されている。また、作者は蘆名氏、伊達氏、上杉氏、蒲生氏、保科氏らが統治した戦国期の会津の変遷、会津の尋常ならざる歴史への奥行きの深さをも記している。あたかも幕末の会津の悲劇は戦国の会津に起因するかのごとくに。

 さて、本書に立ち戻る。利代(32歳)には一人息子で木本家の跡取り息子の駿(しゅん)(10歳)がある。利代の務めは会津藩の藩校日新館(にっしんかん)入学を目前に控える駿を、強靭な身体を持ち文武両道にすぐる夫新兵衛同様の立派な会津武士に育てることである。姑の多江(66歳)は木本家が槍一筋でご奉公してき家柄であることを誇りにしている。いまや楽隠居の身の舅の三郎右衛門(69歳)はかつて勘定頭を務めていたことから、藩財政に明るいが、このころは物忘れが目立つようになった。
 会津武士にとって武芸と素読が最も大切であると思う利代の悩みは駿が素読に身が入らず数学に興味を示していることである。そうこうしているうちに物語は急展開。「生きている間に戰などないだろう」と思っている木本家の人々の周囲に、「会津の悲劇」は忍びよる。その年のうちの12月24日に、「後戻りできない運命の職務」(90頁)である京都守護職に就任した(というか、させられた)藩主松平容保は上洛する。
 夫が容保に従って京へ行くこととなって、視界に駿しかなかった利代は「何をしにいつまで行くのだろうか」とはじめて不吉な想像に駆られる。やがて新兵衛は藩の極秘の任務を帯びているのだとわかるのだが。
 木本家も京を中心とする時代の流れの中に巻き込まれていく。一方、会津戊辰戦争に欠かせない、実在の人物たる西郷頼母(さいごうたのも)、梶原平馬山川大蔵佐川官兵衛、横山主税(よこやまちから)といった会津藩の上層部の面々がそれぞれの局面において登場するが、木本家の関わりの中、駿が「理想の会津武士」として憧れる人物は文武両道に秀でる横山主税である(331頁)。歴史上の横山主税は 5月1日の「白河城の戦い」で戦死してしまう。22歳の若さであった。若年寄の横山主税は副総督として出陣。会津の総督は家老に復帰したばかりの西郷頼母であった。

 この物語ではまた、横山主税が横浜のフランス語学校を通じて、勘定奉行小栗上野介忠順を知り、忠順が悲劇の死を遂げたときには会津に落ち延びてきた小栗上野介の奥方を横山家に引取ったとしている。
 慶應4年1月3日の「鳥羽伏見の戦い」から、会津城下が戦火に包まれる日まで長い時間を必要とはしなかった。
 利代は京大坂で起きていることがとてつもなく大きな事件だとは知らなかったし、依然として過去の出来事にしか感じられなかった。「まさか、そういった時代の流れが、ある日突然、自分と駿のいる時間と場所に追いついてくるとは」(264頁)。  
 藩主松平容保の謹慎――。木本家の人々は謹慎する理由が分からない。
「父上、戦うべきです。朝敵の誹りを受けたままでは、新しい時代を迎えたくはありません」と駿は父を鼓舞する。成長した駿の姿を目の当たりにした利代は、武家の母としての信念というより意地を通さねばと覚悟する。耄碌の症状が顕著になってきた優しい舅も老骨に鞭打って「こうなれば戦うしかあるまい。会津武士らしく」と立ち上がる。15歳以上60歳以下の家臣全員に対する登城命令が出され、駿は16歳と17歳で組織された白虎隊に配属される。白虎隊の本来的な役割は容保の護衛であったが、「ご老公」(容保)の楯になるどころか、前線で戦うことになる。

 駿の初陣は官賊を懲らしめるこの時であった。暇乞いする駿に、利代は「行ってらっしゃい。本当に死ぬ覚悟はできましたか」と声をかける。
 駿を送り出したら次は女の戦である。利代自身も薙刀の達人であり、会津若松は女たちで守るしかない。
 会津戦争は一カ月に及び、若松城下は戦火に包まれ、焼け野原となり、「其の悲惨凄愴の光景、名状すべからず」(『会津戊辰戦争史』)。
 利代は新兵衛と駿の安否を尋ねるべく、城下を彷徨(さまよ)い歩く中に,一人の農民に出会う。毎日を懸命に生き、武士の世を支えながら、否応なく戦いに巻き込まれたその農夫は利代が死ねと言って息子を送り出したことを知るや、「あんた、本当に母親か。鬼女ではないのか」と唖然とする。
 利代は自答する。「良人と同じ優れた武士に育て上げること。しかしそれは何のためだったか。誇りこそが最後の寄り道であるとした舅も姑も死んだ。駿は白虎隊として戦い死んだ。戦って死ぬと決意したはずの自分は生きている。なぜだ」と。

 会津戦争は婦女子や白虎隊として戦った若者など少年兵が多数戦闘に参加した点が特徴的である。また、戦争に巻き込まれて殺害された農夫の数も夥しいとの説がある。
ある一つの東北戊辰戦争を活写した歴史小説『鬼女』は〈勝者の歴史〉に対する無条件降伏でもなく、〈勝者の歴史〉に対して〈敗者の美学〉でもって異を唱えるのでもない。また民衆史観に迎合しているわけでもない。作家は恐るべき流血を伴った戊辰の内乱という歴史的な事実について、如何なる変更も加えず、戊辰戦争の時代と会津に生きた人々の「なんともいえず悲しい」実態を描いている。

         (令和5年1月18日  雨宮由希夫 記)