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書評『新中国論 台湾・香港と習近平体制』

評書 名   『新中国論  台湾・香港と習近平体制』
著 者   野嶋 剛
発行所   平凡社
発行年月日 2022年5月13日
定 価    ¥960E

 今年、「高度な自治」を約束させた香港の「一国二制度」が50年間の折り返し点を迎えた。当初から「主権」と「治権」の境界の曖昧さ、矛盾が指摘され、その実行が危ぶまれたが、やがて中国は香港の返還を決めた1984年の中英共同声明を「歴史上の文書であり、現実的な意義はない」とあからさまに否定。ついに「一国二制度」は露と消えた。中国にとって「歴史」は体制の道具に過ぎない。中国は国際的な孤立を何とも思わぬ異形の国家と成り果てた。
 日米安保体制を容認し、対日賠償請求を放棄した周恩来尖閣諸島には触れないとしたが、台湾だけは譲らなかった。台湾併合はアジアの盟主をめざす中国にとって「天下総仕上げ」の一大イベントなのである。台湾有事は日本有事であり、日中間で戦争状態になった場合、あらゆる局面で日本の不利であるが、「台湾問題」でも、最悪のシナリオを想定しておかねばならない。
 中国の脅威をどの国、どの地域よりも感じてきた台湾、香港。台湾と香港で起きている事態は日本人にとって決して他人事ではない。
 本書はその台湾・香港を通じて、「中国という国家の本質」を深く知るべく、気鋭のジャーナリスト・野嶋(のじま) 剛(つよし)によってものされた。

 著者の提言はきわめて明快である。当然ながら、異論も反論もあるだろうが、この夏この時、是非、多くの人々に読んで欲しい“この一冊の本”である。
 著者の野嶋 剛は68年、福岡市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。1992年朝日新聞社入社、2016年4月新聞社を退社後は台湾、香港、中国問題などのルポや評論を精力的に発表している。

 著者の問題意識がはっきりしていて分かり易く読みやすい。
 中国はなぜ台湾と香港に対して、一切の妥協を拒むばかりの強硬な行動をとるのか、香港が中国化され、米国が台湾関与を強めている新冷戦の転換期の今こそ、台湾や香港に関する「中国の思考方法」の分析こそ重要であると説き、分析のための最初の一歩は、「大きな中国」と「小さな日本」という関係性に自らを落とし込むことだとする著者の思考・視点は独創的である。
 中国が人民公社の解体に始まる「改革開放政策」を開始してから、すでに40年余りが過ぎた。目覚ましい躍進を続ける一方で、軍事力増強をはかり、主権も領土も一歩たりとも譲らない「大きな中国」に対して、「小さな日本」は隣人であるが故に、拒否反応と脅威を感じるとともに、大方の日本人がこんなはずではなかったと後悔しているのも現実ではあるまいか。
 米国はイデオロギーや価値観の違いを認めつつ、中国との「共存」を摸索し、中国の実態を知らずに中国への接近を始めた。キッシンジャーニクソンが中国を見誤ったと同様に、アメリカにはない中国文明への憧憬、幻想がある日本も同様に中国を見誤った。
 80年代の中国では「日本の今日は中国の明日、日本を中国近代化のモデル」にしようという「向日本学習(日本に学べ)」の考えが支配的だったが、90年代の江沢民の時代になって「歴史問題」が急速に深刻化した。中国は、近代百年の中で日本から受けた屈辱の恨みを晴らし、アジアの覇者となることのみが国内の不満を抑え、共産党政権の正当性を保持する唯一の道だと思い定めた。そうした独善的な歴史観を振りかざして、日本に謝罪を要求してきた。
 いったい戦後77年間の「日中友好」とは何であったか。日本の外交はひたすら謝罪を繰り返すばかりか、国民の血税をただ金として中国にばら撒いた。中国は日本の政府開発援助(ODA)最大の受益者であったのである。
 ふりかえってみるに、2001年の中国のWTO世界貿易機関)加盟が情報公開、法制度の整備につながり、「人治」から「法治」へと政治システムの転換を促す可能性があると期待されたが、残念ながら、中国はそうした民主化の道を選ばなかった。それどころか、中国は2010年を境に、「東アジア共同体」構想を放棄し、「中華文明の復興」「大中華圏」構想を掲げて大国主義へと突き進みはじめた。背景にはアジアの盟主となることのみが国内の不満を抑え、共産党政権の正当性を保持する唯一の道だと思い定めた中国共産党の政策により偏狭なナショナリズムが台頭して「大国意識」が生まれたことである。
 中国は江沢民胡錦濤国家主席が二代続けて、「歴史問題」に軸足を置いた激しい反日政策をとったが、胡錦濤まで「鄧小平の時代」は続いたとする著者が、「習近平の時代」がはじまった2012年以降、香港情勢は悪化の一途をたどったとし、2020年末に、香港人の頭越し、北京の主導で導入された「香港国家安全維持法(国安法)」の制定をひときわ重要視するのは当然である。著者は歯に衣着せず述べる。「その前の江沢民胡錦濤体制で、香港情勢が良かったとは言い切れないが、少なくとも、それなりにうまく回っていたのではないだろうか。香港市民がはっきりと対立面に動いたのは、《香港の現実をちゃんと見つめる能力のない》習近平体制になってからのことである」と。

 台湾政策について著者は2016年が分水嶺で、「平和的統一」から「武力行使」をちらつかせる「習近平スタイル」に切り替えたとする。朝日新聞社シンガポール支局長や台北支局長などを歴任し、つぶさに中国を見つめた著者ならではの卓見である。思えば、2016年は台湾では蔡英文が総統に就任し、香港では立法会選挙で民主派や本土派が大きく議席を伸ばした年であった。
 総体としての台湾・香港について、「国安法以降、台湾と香港は完全に分断され、別世界となった」と著者は観るが、では、別世界となった台湾・香港の今後をいかに展望するかには、「台湾化」と「香港化」という概念で整理する。台湾化とは、中国と本質的には合流せず、一線を画して生き続けること。香港化とは、中国に飲み込まれ、その影響下に置かれ。日々北京の意向に服従するしかない状況に置かれることであると。

 では、日本の未来はどうなるか。結局のところ、「大きな中国」の現在のありようが続く限り、「小さな日本」の我々には、香港のように飲みこまれる「香港化」と、リスクを承知で自立の道を歩んでいく「台湾化」の二つしか、究極的には選べない、という現実が突きつけられている、と著者は観る。まさしく、著者の指摘通り、「価値観を共有する」米国などとの同盟・連携を強化し「対中包囲網」に加わらざるを得ないところへ日本人はすでに追い込まれていることを自認すべきであろう。
 本書より教えられたことは傍観者で終わってはならないとの著者の誡めである。私は著者の言う「かつて中国を支持した人々、中国を好きだった人々」のひとりであった。「中国は強大になっても、絶対に覇権を求めない」とかつての「人民中国」は非同盟を掲げて第三世界の連帯を謳いあげ、「人民中国」に理想を求める人の共感を得たものだが、そうした人々の多くが「人民中国」の四文字になんらの希望も光明も見出せなくなった、有体に言えば「中国嫌い」になったきっかけの一つは1989年の天安門事件に対する北京政府の決着のつけ方を見てのことであろう。

「中国はこの3年間に起きたことを改めて振り返ってほしい。世界がどれほど中国に失望し、中国から離反し、中国と距離を置こうとしているか」の今後の展望の図示、提言からも、著者の切実な問題意識、著者の立つ位置の確かさが読みとれるが、私は、なにより著者の冷静かつ柔軟な思考に恐れ入り、好き嫌いではなく、一個の日本人としてまさに中国に正面から向き合わねばならないことを知らされた。
 民間人としてできることは限られているが、中国はどのような世界をつくりたいと思い、そこでどのような役割を果たそうとしているのか、日中両国民はこれらのことを語りあう、互いに異文化であることを認識したうえで価値観の相対化をはかる、それしか日中の衝突を避ける道はないのではないかと思う。

         (令和4年7月8日  雨宮由希夫 記)

 

【略年譜】

1984年 中英共同声明
1988年 李登輝 総統に就任(~2000年)し、民主化を推進
1989年6月4日 天安門事件
1992年10月 日中国交正常化20周年を記念した天皇の初の訪中
1/18~2/21「社会主義市場経済」を提唱した鄧小平の「南巡講話」
2月 領海法(中華人民共和国領海及び接続水域法)を制定、
尖閣諸島を中国の領土とする」と一方的に宣言
1995年 この年を境に江沢民を中核とする集団指導体制になる
1996年  台湾海峡危機
     李登輝 総統直接選挙を台湾において初めて実施
日米安保再定義
11月 宋強他『ノーと言える中国』
1997年2/19 鄧小平 没(1904~)
7月 香港返還。「一国二制度」が始まる
1998年 江沢民 国家元首としてはじめて日本を訪問
1999年 李登輝 「二国論」を公表
2000年  陳水扁、総統に当選(台湾、民主化を経て初の政権交代を成し遂げる)
4月 石原都知事 「シュピューゲル」のインタビュー
2001年 1月9日 戴國煇 没
李登輝元総統の訪日に中国の反発抗議
年末 中國のWTO加盟 決まる
2002年11月 胡錦涛 総書記に選出される
2003年春  胡錦涛政権発足
9月 西安にて日本人留学生寸劇事件
2005年3月 台湾に向けての「反国家分裂法」を中国が制定
      4月 中国各地で猛烈な反日暴動・デモ
       中国は在外公館への破壊行為への謝罪要求を拒否
      8月18日 中ソ 一万人の大規模軍事演習
      10月17日 小泉首相 靖国神社の秋の例大祭に参拝
2006年 このころ 日中関係は国交回復以来、最悪で「氷河期」にあると言われた。
      8月15日 小泉首相 靖国神社参拝
      9月26日 安倍普三 日本国首相に就任、翌月 訪中
2007年1月9日 防衛庁 省に昇格
  春 温家宝首相 来日
      9月26日 福田康夫内閣成立
2008年8月  北京オリンピック開催
この年 歴史上初めてアジアで日中の「二強時代」を迎える
      3月 台湾総統選挙 国民党系候補の馬英九 勝利、総統に就任
      12月 劉暁波 「08憲章」起草、発表
2010年  上海万博
3月 尖閣諸島が含まれる南シナ海を「核心的利益」に加える
劉暁波 ノーベル平和賞を受賞
2011年 中華民国百年、辛亥革命より百年の年
2012年  日中国交正常化40周年の記念の年
新年を台北で過ごした。
9月 日本政府「尖閣国有化」の宣言
「和諧(調和のある)社会」実現を掲げた胡錦涛温家宝体制おわる
11月 習近平が総書記に就任(習近平体制のはじまり)
2014年3月18日~23日 台湾でヒマワリ運動(中台サービス貿易に反対する学生たちが立法院を占拠)
     秋 香港で民主化要求の雨傘運動
     11月 オバマ米大統領 訪中
2016年5月 台湾 民進党蔡英文 初の女性総統の誕生
香港の書店関係者が中国に連行される
春 日本の書店の店頭には、中国経済の崩壊を告げる本が平積み

2019年1月 習近平が台湾政策「習五点」を発表
      米中新冷戦が本格化
2020年6月30日 全人代で香港国家安全維持法案(国安法)可決(香港人の頭越し、北京の主導で導入される)
2021年6月 リンゴ日報 廃刊
     10月 香港「電影(映画)検閲条例」の改正案を可決
     12月 安倍元首相「台湾有事は日本有事」と発言
2022年7月 香港「一国二制度」25年、「中国化」すすむ