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書評「私が愛したサムライの娘」

書名『私が愛したサムライの娘』  著者 鳴神響一

発売 角川春樹事務所  2014年10月8日発行  ¥1500E

 

 物語の主要舞台は八代将軍徳川治世下の長崎。尾張徳川家に仕える甲賀・忍者のは七代尾張藩主・徳川の密命を帯びて長崎の出島に潜入する。丸山遊郭太夫・と名を変えた雪野の任務は出島蘭館の医師・ヘンドリックを彼女自身の肉体で籠絡することにあった。

運命的に出会った雪野とヘンドリック。やがて二人は互いに惹かれあい恋に落ちてゆく……。

以上が大まかなストーリー展開であるが、この時代小説は作家による周到かつ実に興味深い構想のもとで描かれている。

まず、この小説はジャンル的には〈忍者もの〉時代小説と位置付けられるであろう。忍びとは文字通り人としての感情を耐え忍んで生きるものと教わって育った雪野。忍びとして生を享けた女は忍びとして生き忍びとして死ぬのが忍者の掟であるが、雪野は愛に目覚め、真実の愛を知ってしまった。運命を受け入れて与えられた場所で精いっぱい生きようと思っていた雪野の心が揺れ動く。〈忍者もの〉時代小説の面白さの一つは主人公の超人的な忍者としての活躍にあるが、一途な女忍びの哀しみと虚しさ、運命の変転を観るのも、また一つの面白さである。

しかし、本書の醍醐味は「忍者」のみにとどまるものではない。「吉宗・宗春の時代」と「長崎」を組み合わせて題材にしたことが本書を魅力ある作品に仕上げた最大要因である。一般には大岡忠相との名コンビで〈名君〉とされる吉宗に対し、吉原での遊蕩生活など不羈奔放に生きたという宗春。幕府と尾張藩の確執と争いを背景とし、宿命のライバルとしての二人を対比して多くの小説が書かれてきたが、本書では「長崎」が絡んでくるところが出色である。

「長崎」は古来より対外交易の窓口としてまた架け橋として大きな役割を果たしてきた。江戸時代、天領としての長崎は鎖国政策下において異国との交易を許された貿易都市であり、来日した異国人相手の遊興都市でもあった。長崎の丸山遊郭は江戸の吉原、亰の島原など日本の他の地域の遊郭と較べて決定的な違いがあった。娼妓を異国人に提供する性格を帯びた長崎の丸山には「唐人行」「阿蘭陀行」「日本行」の名称がある遊女が存在した。〈奉公対象〉別に特定の名称で呼ばれた彼女たちと異人たちの交感が長崎独特の艶めかしい光景とエキゾチックな風景を生みだしたのである。また、一口に「長崎」といっても、江戸初期と江戸中期、幕末では長崎の面相はそれぞれ異なることはいうまでもない。「唐人行」はやがて「からゆきさん」となり、幕末明治の「洋妾」(ラシャメン)に引き継がれる。なおかつ、近世における長崎は多くの悲劇を生み出した漂流者の受け入れ窓口であったことも忘れてはならない。

「吉宗・宗春」「長崎」に加え、「忍者」「遊女」「漂流者」「異国人」のキーワードが軸となっている本書は、キーワード各自単独で時代小説が自在に描ける要素が渾然と溶け合い〈蜃気楼〉的世界を創り上げている。

「異国人」のヘンドリックは阿蘭陀人医師として登場するが、物語の進展で、丸山遊郭太夫・滿汐が女忍び望月雪野の仮の姿であるのと同様に、出島蘭館の上外科医は仮の姿で、実はエスパーニャの情報将校で諜報員であると知れる。

ヘンドリックは滿汐の正体が尾張の忍者と知って衝撃をうける。一方、最初から遊妓として近づいた滿汐はやがて太夫としての擬態、忍びとしての忍辱、武士の娘としての誇り一切が剥がれ落ちていくのを感じる。互いに仮の姿であることを明かした二人は一対の生ある男女として互いを受け入れる……。

読者は、自分の血統をひた隠しにして日本に潜入した異国人として、この小説の時代から凡そ90年後の文政6年(1823)に、出島阿蘭陀商館付医師として来日し、日本人女性との間に女児(楠本イネ)を生したドイツ人シーボルトをヘンドリックに重ね合わせることができるであろう。

 この時代小説は単なる女忍びの物語ではなく、日本とイスパニアの諜報員同士のラブストーリーという形を取った異文化交流の物語として読める。

「漂流者」の嘉兵衛は伊丹の酒を積んで摂津北浜を船出して江戸を目指すも、遠州御前崎の沖合で大嵐に遭い漂流遭難したの沖船頭。やっとの思いで帰還した嘉兵衛は国禁を犯すものとして捕らえられ、公儀目付方の手で葬り去られようとするが、宗春に救われる。宗春にとって嘉兵衛は海外事情に明るい貴重な人材であり、己れの野望実現のために必要であった……。

「宗春」は八代将軍吉宗の時代に政権転覆を狙った尾張藩主として、「吉宗」は海外侵攻の意図を抱く将軍として描かれる。「世を治めるには誰もが愉しみ、生き生きと暮らす世を目指すほかにはない」と常に人の情を治世の要と考える宗春は質素倹約、質実剛健を標語とするばかりの吉宗による享保の改革の限界を痛感している。その上に、吉宗が海外侵攻の意図を抱いていることを察知するにいたり、宗春は「あんな男にこの国を任せておくわけにはゆかぬ。あまりにも窮屈な治世でこの国を疲弊させ続ける将軍家を弑する」と明言する。

かくして、幕府転覆を謀る徳川宗春の野望はオランダ商館医師・ヘンドリックに対し、驚くべき計画を持ちかける……。

作家による独自の宗春像は鮮烈である。宗春は尾張一国ではなく、日本という国を見据えていた為政者であるとし、「享保17年(1732)の時点で、宗春ははっきりと公儀転覆の考えを持っていたと思われる」とした上で、「仮に宗春が九代将軍となり国政に才覚をふるっていれば、江戸時代後期の歴史は大きく変わっていたはずである。あるいは、明治維新を待たずして、日本は近代国家への足取りを辿っていたかもしれない」と述べている。泰平の世に武力でもって天下を狙うなど時代錯誤も甚だしいとの批判もあろうが、このくだりは〈歴史エッセイ〉として留め置きたい。

時代小説における独自の人物造形に成功した「宗春」には雪野とヘンドリックにも勝る主役級の存在感がある。宗春との出会いが言葉も通じ合えない男女の遊興から始まった二人の運命をかえることになるのだから、それは当然のことであるともいえる。幕府転覆を謀る尾張藩主・徳川宗春に仕え暗躍した忍びたちの運命は、宗春の失脚によって文字通り運命づけられてしまうが、とりわけ、宗春の大望を実現するため己を捨てて戦った雪野の運命やいかに?

日本人の海外渡航が公式に解禁されるのは慶応2年(1866)のことであるが、鎖国時代下において、国禁を犯して、唐天竺南蛮に流れ出ていった長崎の遊女がいないはずはない。彼女たちの生き様を雪野の出国に重ね合わせたい。

鳴神響一は1962年東京都生まれ。デビュー作の本作で第6回角川春樹小説賞(選考委員 北方謙三今野敏角川春樹)を受賞。受賞時のタイトルは「蜃気楼の如く」であったという。鎖国下における日本とスペインの交渉など皆無に近いとするのが歴史の常識であろうが、蜃気楼のごとく確かにあったと作家は言いたいのであろうか。構想の斬新さ、奥行の深さ、人物を見つめ歴史をとらえる目の確かさを持った大型新人の登場に拍手喝采したい。

 (平成26年12月5日  雨宮由希夫 記) 

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