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書評『十三の海鳴り』

書名『十三の海鳴り』
著者 安部龍太郎
発売 集英社

発行年月日  2019年10月30日
定価   ¥2000E

蝦夷太平記 十三の海鳴り

蝦夷太平記 十三の海鳴り

 


 作家安部龍太郎が生まれ育った福岡県八女郡の山間部は後醍醐天皇の皇子・懐良(かねよし)親王を奉じて九州の南朝方が最後の拠点としたところであるという。
 安部には自身のルーツやアイデンティティに関わる時代の南北朝を舞台とする二作がある。文庫化にあたり、1冊目の佐々木(ささき)道誉(どうよ)と楠木(くすのき)正成(まさしげ)を描いた『道誉(どうよ)と正成(まさしげ)』(2009年)は「婆娑羅太平記」、2冊目の新田義貞を主人公とした『義貞(よしさだ)の旗』(2015年)は「士道太平記」のサブタイトルが冠せられた。
『道誉と正成』『義貞の旗』に続く安部版「太平記」の第三弾となる本書『十三(とさ)の海鳴り』は、別名は「蝦夷太平記」とし、正成や義貞のように一般によく知られた武将ではないが、津軽十三湊(とさみなと)の安藤(あんどう)季兼(すえかね)なる実在の人物に光を与え、勃興期の奥州南朝を描いている。
 平安末期、奥州藤原氏陸奥、出羽の両国を支配するようになると、前九年の役で敗れた安倍(あべ)貞任(さだとう)の後裔を自称した安藤氏が代官に任じられ、津軽海峡を挟む青森県北部と北海道道南を包み込んだ広範囲な地域を収めるようになり、西の浜の十三湊や外の浜の油川湊を拠点として、蝦夷地から若狭にかけての日本海交易及び中国大陸や沿海州方面との北方交易を行った。

 源頼朝(みなもとのよりとも)が奥州藤原氏を滅ぼした後は、鎌倉幕府の有力御家人陸奥留守職(るすしょく)として勢力を張ったが、執権北条(ほうじょう)義時(よしとき)は奥州安倍氏奥州藤原氏の流れをくむ蝦夷の王である安藤氏を温存し、北条得宗家の被官として蝦夷(えぞ)管領(かんれい)に任じ、津軽及び宇曾利(うそり)(箱館の古名)を中心とした蝦夷地の支配を任せた。
 二つの安藤家がある。「西の浜」の安藤又太郎家と「外の浜」の安藤五郎家である。初めは「外の浜」の安藤五郎家が蝦夷管領であったが、文永5年(1268)に津軽蝦夷地で反乱がおこり、五郎家の当主が討死。北条得宗家は蝦夷管領の職を安藤五郎家から取り上げ、「西の浜」の安藤又太郎家に与えた。以来、これを奪い返すのが、「外の浜」の安藤五郎家の悲願となっている。
 文永5年の乱より56年後の正中元年(1324)。その年の10月初めには、大塔宮(だいとうのみや)護良(もりなが)親王(しんのう)(17歳)一行が十三湊を訪れている。時に、主人公の安藤新九郎季兼(すえかね)は「西の浜」の安藤又太郎家の三男(19歳)で、身の丈6尺3寸(約190センチ)の巨漢である。新九郎の二人の兄の季政(すえまさ)、季治(すえはる)は正妻の子だが、三男の新九郎は側室の子である。父の安藤又太郎季長(すえなが)は十三湊の安藤十郎季広(すえひろ)(季長の従弟)に新九郎の養育を任せたまま、3人目の息子などこの世にいないかのように、一切の連絡を取らない。
 ある日、新九郎は父とは名ばかりで、顔さえ見たことがなかった父に、父の本拠の折曾(おりそ)の関(深浦町関)に来いと呼びつけられる。安藤家の拠点のひとつ出羽の能代(のしろ)でアイヌが反乱を起こし、異母兄の安藤季治を殺したという。父の命令は、季長の名代として能代へ出向き、反乱を鎮圧せよとのこと。安藤惣領家(本家)すなわち蝦夷管領家の当主である父季長の命は絶対であろうが、新九郎は出羽攻めを断る。
 天候に対して、天才的なひらめきがあり、人の悪意や嘘を感じたときの常として、鼻の奥がきな臭い痛みを感じるという新九郎の人物造形が絶妙である。新九郎は父の言葉に嘘を感じたのである。自由奔放な人物として描かれる新九郎は父と距離を置き、沈着冷静に事を運ぶ。なぜ出羽の領民と出羽アイヌたちが反乱を起こしたのか、その原因を突き止めなければ出陣できないと、新九郎は渡島アイヌの村を訪ねる。そこで、何者かが出羽アイヌに紛れ込み、毒矢で季治を殺したこと、一揆を扇動した者がいることを知る。反乱の背後に「外の浜」の安藤五郎季久(季治の義父にあたる)の影が見えてくる。
 嫡流をめぐって対立する安藤家の内紛を醒めた目で見ている新九郎だが、かくして、両安藤家を巻き込んだ上に、幕府か朝廷かという問題が複雑に絡み合った津軽の大乱に巻き込まれていく。鎌倉時代末期の元弘の乱(1331年)の直前に津軽半島の十三湊で起きたこの大乱が鎌倉幕府崩壊のきっかけとなった「安藤氏の乱」と呼ばれるものである。
 今上(後醍醐天皇)方で蝦夷管領家の当主安藤又太郎季長は「俘囚の長」たる安倍氏の血に誇りを持ち、「もともと奥州は我々蝦夷(えみし)の土地」とし、「幕府を倒したら、宮さま(大塔宮)の名代として奥州管領になり、日の本将軍として奥州全域と蝦夷地に君臨する。これこそ奥州安倍氏の末裔である我らの、先祖代々の悲願なのじゃ」と、奥州藤原氏の頃に築かれた蝦夷の王国の伝統の上に、「北の王国を打ち立てたい」と夢見る。一方、「外の浜」の五郎季久は幕府方だが、新九郎に季治の許婚者だった娘の照手(てるて)を娶ってくれと懇願する。加えて、渡島アイヌの族長エコヌムケの娘イアンパヌと新九郎との愛の行方も目が離せない。作家の蝦夷を見る眼差しは「和人対アイヌ」のような単純な図式ではない。
 大塔宮護良親王南北朝の抗争の中で謀殺された悲劇の皇子であるが、安部版太平記では、楠木正成新田義貞、安藤新九郎の三人がともに心酔するカリスマ性がある皇子として登場する。本書においては、大塔宮が「神刀」を手にするエピソードが描かれ、日本神話の倭(やまと)建(たける)命(のみこと)を彷彿させる。
 南北朝時代の背景には、中世日本の経済構造の劇的な変化、農本主義から貨幣経済の“重商主義”への変化があった。出羽の能代で反乱が起こったように、西国でも反乱が起こったが、その原因は幕府が徳政令を乱発し、守護や地頭、御家人の所領を鎌倉初期の状態に戻そうとしたこと。これに対し、楠木正成名和長年に代表される「悪党」と呼ばれた商業的武士団が自力で所領を守るべく、幕府の徳政令を否定し、討幕へと突き進み、やがて建武の新政となる、とするのが作家独自の歴史的解釈ある。
 類希な動乱の世。中央にあって、自らの夢や理想を貫こうとして生きた男たちが正成であり道与であるに対し、本書の主人公は、津軽という辺境にあって、同様に夢と信義に生きた。北畠(きたばたけ)顕家(あきいえ)が活躍するであろう今後の奥州南朝物語の続編を期待したい。
 余談ながら。安東愛季(あんどうちかすえ)(1539~1587)は戦国期において、今の秋田県の大部分を支配した奥羽戦国の群雄の一人である。鳴神響一の歴史小説『斗星、北天にあり』(徳間書店 2018年)は蝦夷管領安藤氏の末裔である安東愛季の一代記である。さらに、高橋克彦の『炎立つ』(日本放送出版協会 1992~1994年)は奥州藤原四代の壮大な物語である。『炎立つ』、『十三の海鳴り』、『斗星、北天にあり』の三冊を順に併せ読めば、誇り高き東北の中世・近世前期の歴史600年が眺望できる。
        (令和元年12月14日 雨宮由希夫 記)