日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第10回 シャンハイヌーン

第10回 シャンハイヌーン

平成十三年一月(2001)
新橋 新橋文化

 

 私の学生時代、『燃えよドラゴン』が大ヒットし、様々なカンフー映画が作られたのだが、中国人のカンフーの名手がアメリカに渡って悪人と対決するイタリア製の『荒野のドラゴン』という異色の便乗西部劇もあった。掌を鍛えて、弾丸を手で受け止めるという場面を真面目にやっていて、にやりとしたものだ。
 同じカンフー西部劇でもジャッキー・チェンがやると、さすがに面白い。過去の西部劇の有名な場面をパロディ的に盛り込んでいて、ユーモアもたっぷりだ。

 時代は十九世紀の清朝末期。皇帝の姫が家庭教師に唆されて家出し、アメリカへ渡る。皇室に身代金要求の手紙が届き、近衛兵が選ばれて救出に渡米するが、選ばれなかったジャッキー・チェンの雑役係も姫への好意から同行することに。
 一方、アメリカの西部。列車を狙うオーウェン・ウィルソンの強盗一味。これは『明日に向かって撃て』のポール・ニューマンの場面の真似か。列車内での展開は『レッドサン』と同じ。襲われるのが日本の侍ではなく、中国の使者と近衛兵という違いだけ。使者は強盗に殺され、ジャッキーだけ近衛兵たちと別れて、強盗を追う。酒場でウィルソンと出会い、姫の救出に協力させるあたりは三船とブロンソンの出会い。マカロニウエスタンリー・ヴァン・クリーフそっくりの連邦保安官ザンダー・バークレーが絡んだり、縛り首の縄を銃で撃って助けるとか、西部劇によくあるパターンが次々と出てきて、最後は教会での決闘。

 中国人を主役にしたハリウッド製の西部コメディの珍品で、タイトルの『シャンハイヌーン』は名作『真昼の決闘(ハイヌーン)』をもじったもの。
 この映画には続編『シャンハイナイト』があって、今度はジャッキーとオーウェンが十九世紀末のロンドンでシャーロック・ホームズばりの事件に巻き込まれるというもので、こちらも楽しい。

 

シャンハイヌーン/Shanghai Noon
2000 アメリカ/公開2000
監督:トム・ダイ
出演:ジャッキー・チェンオーウェン・ウィルソンルーシー・リュー

 

『映画に溺れて』第9回 荒野の渡世人

第9回 荒野の渡世人

平成十八年五月(2006)
浅草 浅草名画座

 

 三船敏郎の武士が活躍する西部劇『レッドサン』は公開当時、大変な話題になった。共演がチャールズ・ブロンソンアラン・ドロン。監督がテレンス・ヤング
 幕府の使節が列車でアメリカの荒野を行く。これを列車強盗が襲い、献上の名刀が奪われる。主人の命で使節団の侍、三船敏郎が刀を取り戻すために強盗団を追うというもので、設定は面白いのだが、期待があまりに大きすぎて、ちょっと残念。
 実は『レッドサン』以前に日本人が主人公の西部劇がある。六十年代末、東映任侠映画で大スターだった高倉健が主演。その名も『荒野の渡世人

 中学生のとき、この映画の予告編だけ観て、ずっと観たいと思い続けていたのを、ようやく浅草の三本立て映画館で観られたときはうれしかった。
 当時はイタリア製作のマカロニウエスタン全盛の時代で、うどんウエスタンが登場してもおかしくないが、それにしても、高倉健の西部劇とは。
 私が観る前に予想したのは、明治初頭の日本の侠客がアメリカに渡ってガンマンとなり、ドスと拳銃でならず者たちと対決するといったストーリー。

 ところが、荒野を暴走する駅馬車の場面から始まるごく普通の典型的な西部劇で、両親を殺された若者の成長と復讐と決闘の物語だった。

 設定は幕末に咸臨丸で渡米した使節の武士が病気でアメリカに残り、白人女性と結婚して西部で開拓者となっているというもの。だから高倉健の役は日本のヤクザではなく、志村喬の武士とアメリカ人女性との混血で、アメリカ育ちのハーフ。
 この高倉健扮するケンが両親を通りすがりの駅馬車強盗一味に殺され、ひとり生き残って連中を探し出し、復讐をとげるという内容。武士の魂は流れているが、外見は完全な西部のガンマンという設定なのだ。考えれば不思議な映画で、この珍しい作品を上映してくれた今はなき浅草の映画館に感謝する次第。

 

荒野の渡世人
1968
監督:佐藤純弥
出演:高倉健志村喬、ケネス・グッドレッド

『映画に溺れて』第8回 さらば荒野

第8回 さらば荒野

 

昭和四十六年九月(1971)
大阪 難波 南街劇場

 

 西部劇のタイトルには「荒野」がつくものがけっこう多い。『荒野の七人』『荒野の決闘』『荒野の用心棒』『荒野のストレンジャー』などなど。
『さらば荒野』を観たのは、高校三年のとき、日曜日で映画館は立ち見の満席だった。一番うしろで背伸びしながら観たのに、映画が面白くて、あまり苦にならなかった。若かったのだ、私も。

 金持ちの農園主たちが集まって、バッファロー狩りに行く準備。最新式の望遠レンズ付き長距離ライフルをみんなで試そうというのだ。
 一方、ならず者の一味。首領は今の生活に嫌気がさしている。こんな境遇にあるのは、自分に学がないからだ。読み書きを覚えて、真人間になりたい。そんな願望から、町の小学校の女教師を拉致して、読み書きを習おうとする。根がならず者なので、やることが乱暴で無茶苦茶なのだ。

 さて、いよいよバッファロー狩りに出発という農園主たちのもとに、リーダー格の奥さんがさらわれたとの連絡が入る。小学校の先生は、実はリーダー格の夫人によるボランティアだった。農園主たちは、狩りの行き先をさらわれた夫人の救出に変更し、そして追いつく。
 高性能長距離ライフルで、見えない場所から、ならず者をひとりひとり撃ち殺すハンティングパーティ。相手が誘拐犯とはいえ、殺人をゲームのように楽しむさまは、かなり卑劣で、権力者の傲慢さそのもの。
 ならず者たちは、見えない敵に脅え、逃げ回り、次々と殺されながら、やがて反撃する。いつしか首領と女教師の間に愛情が芽生えていた。

 首領がオリバー・リード、農園主がジーン・ハックマン、さらわれる妻がキャンディス・バーゲン。当時はゴージャスな美女だった。

 

さらば荒野/The Hunting Party
1970 アメリカ/公開1971
監督:ドン・メドフォード
出演:オリバー・リード、キャンディス・バーゲンジーン・ハックマン

 

頼迅庵の歴史エッセイ2

2 (江戸)町奉行勘定奉行、そして柳生久通

 

 東大名誉教授藤田覚氏の「勘定奉行の江戸時代」(ちくま新書)によれば、町奉行所は「御番所」といわれ、「長である町奉行は『御頭』などと呼ばれていた」(12ページ)といいます。続けて氏は同著で、
勘定奉行は、旗本が就任するポストとして実質的には最上位にある。しかし、勘定奉行を経て町奉行に就任する者は多いが、その逆、すなわち町奉行を経て勘定奉行に就任する者はいない(なお、町奉行勘定奉行を兼任した例はあるが、その逆はない)。つまり、幕府の役職上の格式としては、町奉行勘定奉行より上位だった。」(13ページ)
と、断言しておられます。

 確かに勘定奉行から町奉行へ異動(わざと「異動」という表現を使います。)する者は多いのですが、町奉行から勘定奉行へ異動した者がいないかというとそうではないのです。原則があれば例外があるというところでしょうか。柳生久通がまさにそうなのです。

 久通は、天明7年9月27日に北町奉行に異動となりました。43歳という働き盛りです。ところが、翌天明8年9月10日に勘定奉行に異動となるのです。わずか1年の在任期間でした。このことを藤田氏が知らないはずはないので、おそらく例外中の例外ということになるのだろうと思われます。
 久通は小普請奉行から町奉行に異動しているのですが、これは2階級特進みたいな人事、つまり抜擢人事なので、それ故1年で勘定奉行に再異動させたのかも知れません。バランスを取るための人事というところでしょうか。

 町奉行から勘定奉行へのダイレクトな異動は、私が確認できた限りでは久通だけですが、間に別な役職を噛ませて勘定奉行に異動となった人物に曲淵甲斐守景漸という人がいます。
 景漸は天明7年6月1日に北町奉行から西の丸留守居に異動し、翌天明8年4月6日に小普請組支配に再異動し、久通の後を追うように同年11月24日に勘定奉行に異動しています。ちなみに留守居又は西の丸留守居は、俗に言う上がりポストで、閑職と認識されていたようです。
 景漸は閑職からやりがいのあるポストに見事に復活したわけですが、その理由を東大史料編纂所教授の山本博文氏は、著書「武士の時代」(角川新書)で「ほかに能力のある役人が少なかったのか」あるいは「もと町奉行の経験は貴重だった」(115ページ)のだろうかと述べています。景漸は能吏だったようです。

 江戸時代の役職の転変を今日でいうキャリア形成の観点から再構成すると面白いかもしれませんね。私は現在、そんな小説を構想中です。(試しに今度の雑誌『大衆文芸』に発表の予定です。)

『映画に溺れて』第7回 犬が島

第7回 犬が島

平成三十年十月(2018)
飯田橋 ギンレイホール

 

 外国人が日本に抱くイメージ、神社、侍、相撲、寿司、歌舞伎、俳句、太鼓。それらを随所に散りばめた不思議な映画である。ベースは桃太郎の鬼ケ島だろうか。
 アメリカのウェス・アンダーソン監督によるコマ撮りアニメ。レイ・ハリーハウゼンの『アルゴ探検隊の大冒険』は実写とコマ撮りの組み合わせだったが、この『犬ヶ島』は全編コマ撮りアニメーション。

 舞台は近未来の日本。架空の都市メカ崎。犬の伝染病が蔓延し、独裁者小林市長は、犬は諸悪の根源であると主張して、市民を扇動。法のもとに、すべての犬を廃墟のゴミ島に追放する。市長の甥で養子の少年アタリが愛犬のスポッツを探しにゴミ島に渡り、島の生存犬たちがこれに協力する。
 タイトルは英語と日本語が併記され、各場面では漢字や仮名があふれ、アタリは日本語をしゃべるが、犬たちの会話はすべて英語。
 音楽は邦楽風で、ゴミの島でアタリと犬が決意する場面では『七人の侍』のテーマ曲が流れる。
 もともと犬嫌いの市長が大企業や闇社会と手を結んで、良識派の教授を暗殺し、選挙で再選、ゴミ島の犬全滅を謀る。

 犬たちがそれぞれ個性的で表情豊か。従順なペットやマスコットたちの中で、一匹だけ孤高のノラ犬チーフ。
 犬たちの声を担当するのも名優たち。それに引きかえ人間は紋切り型で魅力なし。
 ポップアートっぽい動く絵本といった趣だが、独裁者による犬の殲滅、ベルトコンベアで送り込んだ犬たちを機械的に処理するあたり、まさにナチスホロコーストの戯画化に違いない。

 

犬ヶ島/Isle of Dogs
2018 アメリカ・ドイツ/公開2018
監督:ウェス・アンダーソン
アニメーション(声)コーユー・ランキン、リーヴ・シュレイバーブライアン・クランストン

『映画に溺れて』第6回 続・夕陽のガンマン

第6回 続・夕陽のガンマン

昭和四十二年十二月(1967)
大阪 上本町 上六映劇

 

 私が初めてひとりで映画館に行ったのは、高校に入学してからで、それまでは父か、あるいは祖母と観に行った。祖母は子供向きのディズニー作品にも連れて行ってくれたが、洋画好きの父は、自分の観たい作品に私を同行させることも多く、中には子供にはあまり理解できないような大人向きの映画もあった。タイトルは思い出せないが、きわどいラブシーンの出て来る映画もあった。

 父と最後に観た映画がマカロニウエスタンの『続・夕陽のガンマン』で、中学二年の冬休み、大晦日である。中学生の私でも、これはけっこう楽しめた。
 アメリカの南北戦争が背景で、いいやつ、悪いやつ、汚いやつの三者が隠された軍資金をめぐって、争うというもの。
 いいやつが名無しのクリント・イーストウッド、悪いやつが『夕陽のガンマン』では善玉の大佐だったリー・ヴァン・クリーフ、汚いやつが『荒野の七人』で山賊の親分だったイーライ・ウォラック。もちろん、それを知るのは後になってから。 今でも印象に残っている場面。向こうから兵士の一団がやってくる。灰色の軍服が南軍で青が北軍アウトローたちはどっちつかずの賞金稼ぎだが、灰色の軍団を見て、とっさに南軍側の死体から軍服をはぎとって身にまとい、一団を迎えいれる。と、兵士たち、砂ぼこりを払うと軍服は青の北軍だった。これには笑った。

 『用心棒』の三船敏郎は『椿三十郎』『座頭市と用心棒』、さらに稲垣浩監督の『待ち伏せ』でも同じような素浪人を演じたが、イーストウッドもまた、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』まで同様の名無しのガンマンでポンチョの衣装も同じであった。ただし、物語は三作ともつながってはおらず、『続・夕陽のガンマン』は『夕陽のガンマン』の続編ではない。
 この映画の主題曲は有名で、他の映画でもときどき、使われている。

 

続・夕陽のガンマン/Il buono, il brutto, il cattivo
1966 イタリア/公開1967
監督:セルジオ・レオーネ
出演:クリント・イーストウッドリー・ヴァン・クリーフイーライ・ウォラック

頼迅庵の歴史エッセイ1

1 江戸の北町奉行柳生主膳正久通について

 

 江戸町奉行といえば、真っ先に名前が出てくるのは、大岡越前守忠相、そして遠山左衛門尉景元でしょうか。どちらも小説やドラマでおなじみですね。私は小さい頃、陣出達郎の作品を読んでいるので、どちらかというと「金さん」こと遠山景元の方が好きです。
 次に名前が出てくるのは誰でしょう。多くの人は、根岸肥前守鎮衛ではないでしょうか。『耳袋』という著作も有名ですしね。この3人がベストスリーで、すぐに名前が挙がりますが、では、その次といったら、なかなか名前が出てこないのではないでしょうか。

 私は4番目に柳生主膳正久通を上げます。数年前から興味を持っていて、小説に書きたいと思っている人物です。しばらくは中世と並行して、柳生久通について投稿していきます。
 この人の特徴を一言で表すと「柳生心陰流の達人」ということです。苗字が「柳生」なので当然のことではありますが。ただ、大和国柳生で1万石の大名たる柳生家と血のつながりはありません。

 本姓は村田といいます。徳川家宣に仕えて剣術の相手をした十郎右衛門久辰が、家宣が将軍になるとそのまま仕えて、柳生家当主備前守俊方より与えられて「柳生」を称したのです。正徳2年のことです。この時は300俵の扶持米取りでした。
 この久辰が、久通の曾祖父になります。ですので、久辰の流れを「村田柳生氏」ともいいます。

 祖父播磨守久寿は、徳川家治の剣術の相手をしています。加増されて禄高600石になったのは、この久寿のときです。

 父主水久隆は34歳という若さで亡くなっています。久寿よりも早かったようです。そのため、久通が祖父の遺領を継ぐ形で家督を相続しています。

 久通は西の丸近侍の人達に剣術を指南し、将軍家治の嫡子家基の剣術の相手を務めています。『寛政重修諸家譜』では、家宣や家治の剣術の相手をしたという表現になっていますが、おそらく実態は指南だったのでしょう。貴人ですので、「相手を命じられた」ということになると思われます。

 柳生久通と村田柳生氏の概略は以上の通りです。では、柳生久通とはどんな人だったのでしょうか。
それは次回から、おいおいと――。

『映画に溺れて』第5回 不知火検校

第5回  不知火検校

平成十一年三月(1999)
調布 文化会館たづくり

 

 盲目の居合の達人座頭市勝新太郎の当たり役だが、その前にも盲人の役を演じている。江戸時代の藪原検校を題材にしたピカレスク『不知火検校』である。
 江戸時代、盲人は幕府の庇護を受け、琴や鍼、灸、按摩などを職業として、高利の金貸しも公認され、検校、別当、勾当、座頭の位階が設けられて、一番上の検校には大名並の格式があった。
 主人公の杉の市は盲人ながら生まれついての極悪人。幼い頃から悪知恵が働き、長じては鈴ヶ森で旅人を殺して金を奪ったり、次々と女を手込めにしたり、盗賊たちをも顎で使い、悪の限りを尽くし、とうとう師匠の検校を悪仲間に殺させて、自分は二代目不知火検校となる。将軍家姫君の療治を依頼されるほどの頂点に上りつめるが、最後は天罰が下る。
 この悪党を、勝新太郎は実に活き活きと演じている。凶悪でありながらも、どことなくへらへらして愛嬌もある。後の『座頭市』『悪名』『兵隊やくざ』など、アウトロー役の出発点がこれなのだ。
 無頼で型破りな人物を多く演じていて、私生活でも役柄同様の奔放な面が広まっているが、やはり天性の俳優だった。『不知火検校』の盲人の所作、悪人のふてぶてしさ、そのリアリティは尋常ではない。恐ろしいまでの役作りである。
 清楚で純情な旗本の奥方を言葉たくみに無理やり犯すあたりの狡猾さ。その奥方を演じた中村玉緒こそ、後の勝新太郎夫人である。
『不知火検校』の戯曲は宇野信夫によるものだが、もとの藪原検校は歌舞伎、落語、講談の題材になった悪人で、後に井上ひさしも『藪原検校』を舞台で上演している。

 

不知火検校
1960
監督:森一生
出演:勝新太郎中村玉緒、近藤美恵子、鶴見丈二、丹羽又三郎