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『映画に溺れて』第370回 アウトブレイク

第370回 アウトブレイク

平成七年九月(1995)
池袋 文芸坐

 

 未知の伝染病が広がって、人がばたばたと死んでいく。という映画はいくつかある。マイケル・クライトン原作の『アンドロメダ…』は宇宙から帰還したカプセルに付着していた病原体があっという間にアメリカの田舎町を死の世界に変えるというものだった。
 ダスティン・ホフマン主演の『アウトブレイク』もリアルで怖い。
 アフリカで恐ろしい伝染病が発生し、ひとつの村が全滅する。未経験の若い医者が現地でのあまりにひどい現状に吐き気を催すが、防疫服を着ているために吐けない。それでも服を脱いで吐いてしまうファーストシーン。
 その地域で捕獲された猿がアメリカに密輸入され、ある町のペットショップで売られるのだが、その直後から、死の病が町を襲う。
 悪性の伝染病が進化し、空気感染の特徴が加わり、あっという間に広がるのだ。映画館で咳をするカップルがいて、たちまち集団感染。軍隊が町を鉄条網で囲み、他の地域への感染を防ぐため、銃を持った兵士が住民をひとりも外へ出さないよう監視する。発症したら家族から引き離されて、軍の車で隔離場所へ。そこからはだれも生きて帰れない。
 ダスティン・ホフマンふんする軍の予防医の大佐と、彼と離婚して民間の防疫施設に勤める元妻。二人が喧嘩したり協力したりしながら、この伝染病に取り組む。
 大佐の同僚で優秀で論理的な軍医が大量の感染者を不眠不休で治療する途中、疲れ切ってうっかりと自分の防疫服に瑕をつけ、空気感染してしまう場面。ああ、こんなこともあるだろう。この軍医を演じたのがケビン・スペイシーだった。今いずこ。
 細菌兵器への利用を考える悪役の将軍がドナルド・サザーランド
 シリアスな設定でかなりリアリティもあるのだが、最後は免疫のある猿を捕まえて血清を作り、病気が治まるなど、御都合主義も目立つ。現実は残念ながら、映画のようにはうまくいかない。

 

アウトブレイク/Outbreak
1995 アメリカ/公開1995
監督:ウォルフガング・ペーターゼン
出演:ダスティン・ホフマンレネ・ルッソモーガン・フリーマンケビン・スペイシーキューバ・グッディング・Jrドナルド・サザーランドパトリック・デンプシー

 

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十四回 聖徳寺の会見

 天文二十二年(1553年)二月。斎藤道三(この時は利政)(本木雅弘)は織田信長染谷将太)のやってくるのを盗み見ていました。信長の顔を知っている明智光秀十兵衛(長谷川博己)に、彼がやってきたら自分の肩を叩くように命じます。三百の鉄砲を持った兵のあとから、信長はやってきます。奇抜な庶民の服を身につけて、馬に乗っています。信長は道三が盗み見ていることを気づいているようでした。道三の隠れている小屋を見つめて笑顔を見せます。さすがの道三も困惑し、光秀にいいます。
「寺へ行くぞ。あの男の正体が見えぬ。奇妙な婿殿じゃ」
 聖徳寺では家臣を引き連れた道三が信長を待っています。信長はなかなかやってきません。道三は立ち上がって歩き出す始末。信長は正装に衣装を整え、一人で道三のもとにやってきます。礼儀正しく振る舞い、道三の向かいに腰を下ろしてていねいなあいさつをします。信長は話します。
「今日、わたくしが、山城守(やましろのかみ)様に目通りいたすのを最も喜んだのは、帰蝶でござります。また、最も困り果てたのも、帰蝶でござります」
 道三は問います。
帰蝶が何を困り果てたのじゃ」
 信長はおどけたようにいいます。
「わたくしが、山城守様に、討ち取られてしまうのではと」
 座が沈黙します。声を出せる者は誰もいません。道三はいいます。信長は三百の鉄砲を持った兵を連れてきている。それだけの備えをしている信長をどうやって討ち取れるのか。信長はいいます。あれはただの寄せ集めで、帰蝶が道三に侮(あなど)られることがないよう用意した。
「今日のわたくしは、帰蝶の手の上で踊る、尾張一のたわけでございます」
 それを聞いて道三を笑い出します。
「それならばたわけじゃ」
 と、家臣たちを振り返ります。共に笑う家臣たち。道三は問います。この大事な席に、誰も連れてこなかったのはどういうわけなのか。たわけなら重臣たちに守ってもらわなければならないのではないか。信長は二人の若者を招き入れます。
「この両名、尾張の小さき村から出て参った、土豪の三男坊。四男坊。すなわち、家を継げぬ食いはぐれ者にござります」信長の目は鋭くなります。「されど、いくさとなれば無類の働きをいたし、一騎当千の強者(つわもの)でござります。食いはぐれ者は、失うものがござりませぬ。戦こうて家をつくり、国をつくり、新しき世をつくる。その気構えだけで戦いまする。父、信秀がよう申しておりました。織田家は、さしたる家柄ではない。もとは越前の片田舎で、神主をやっていたとか。柴家の家来であったとか。それが、尾張に出てきてのし上がった、成り上がり者じゃと。よろず、おのれであらたにつくるほかない。それをやった男が美濃にもおる。そういう男は手強いぞ、と。家柄も血筋もない。鉄砲は、百姓でも撃てる。その鉄砲は、金で買える。これからは、いくさも世の中もどんどん変わりましょう。われらも変わらねば」
 そういって信長をわずかに微笑むのです。道三はいいます。
「信長殿はたわけじゃが、見事なたわけじゃ」
 それは褒め言葉なのかと聞く信長に、帰って誰かに聞いたらいいという道三。場が和み、道三が笑い、信長が笑います。
 光秀は帰ってその顛末(てんまつ)を母の牧(石川さゆり)に報告します。妻の熙子(ひろこ)(木村文乃)もやってきて、心配していたことを告げます。牧は織田といくさになって、帰蝶が帰ってきてこの家にやってきたら、大変なことになるといいだします。いぶかる光秀。妻の熙子が答えます。
帰蝶様は十兵衛(光秀)のことがお好きですからね。昔から妻木でもよく母が申していました。帰蝶様がいつも明智の荘においでになるのは、十兵衛様に会いたいからだと」
 光秀はしどろもどろになってしまいます。
 駿河の街に、医者の望月東庵(堺正章)と、その助手の駒(門脇麦)が歩いていました。当てにしていたお金がもらえなかったとこぼす駒。東庵は駒が薬を買い忘れたことを指摘します。慌てて薬を買いに戻る駒。駒はそこで菊丸(岡村隆史)に出会うのです。菊丸と歩いていると、荷物を背負った男が乱暴をされているのに行き会います。よそものがここで商売をしたいなら、それ相応のあいさつをしろ、といわれています。乱暴されていたのは、以前、駒が出会っていた藤吉郎(のちの豊臣秀吉)(佐々木蔵之介)でした。藤吉郎はいいます。
「どこへ行ってもああいうやからがいるんだ。場所代を払えだの、手間賃を納めろだの。人が働いた上前をはねてのうのうと暮らしてやがる。わしはな」と、藤吉郎は駒にいいます。「ああいう奴を許さん。いつかきっと懲らしめてやる。字を読めるようになって、出世して、このかたきをとってみせる。必ず」
 藤吉郎は駒に薬を塗ってもらうのでした。
 臨済寺では、望月東庵が今川義元の軍師である大原雪斎(伊吹吾郎)に治療を施していました。自分はどれほどもつかと東庵に訪ねる雪斎。自分をあと二年生かして欲しい、と頼みます。
「二年あれば、尾張の織田を討ち果たせる。織田信秀は消えたが、跡継ぎの信長は油断がならぬ。うつけ者と噂されたが、美濃の蝮(まむし)は娘を与えた。あれを滅ぼしておかねば、駿河の者は枕を高くして眠れん。織田を潰すのが、わしに課せられた仕事だ」
 今川軍は織田方の緒川城を攻略するため、その隣に村木砦を築きました。緒川城は孤立したため、信長の助けを求めました。信長は尾張の内紛のため、身動きがとれません。そこで斎藤道三に信長の居城である那古野城を守って欲しいと求めました。
 道三は稲葉山城に、光秀の叔父である明智光安(西村まさ彦)と光秀を呼んでいました。二人の前で道三は、那古野城に援軍を送ることを宣言します。そこへ道三の側室の子である、斎藤高政(伊藤英明)がやってきます。国衆の稲葉良通(村田雄浩)を従えていました。高政は道三を問い詰めます。
「うつけ者の信長を助け、今川と戦うおつもりですか」
 稲葉も同意しかねると発言します。道三はいいます。
「口惜しいが、信長を甘く見ると、そなたも稲葉も、皆、信長にひれ伏す時が来るぞ。今はまだ若い。しかし信長の若さの裏に、したたかで無垢(むく)で、底知れぬ野心が見える。まるで昔のわしを見るようだ」
 高政は目を伏せます。
「さほどに、信長を気に入られましたか」
 気に入ったと笑顔を見せる道三。
「援軍を送らねば、明らかに信長は不利になる。見殺しにせよと申すか」道三は立ち上がります。「敵は今川じゃ。その今川に、信長が立ち向かおうとしておる。放っておけるか。わしはやる。わしは誰がなんといおうと、援軍を出す」
 道三は光安と共に、その場を去るのです。稲葉が高政にいいます。
「もはやぐずぐずできません。高政様が家督を継ぎ、まつりごとを執(と)るべきじゃ。このままでは国衆が治まらぬ」
 高政がいいます。
「わしが家督を継げば、国衆はついてくるか」
「わしが請け負う」と、答える稲葉。「急ぎ国衆を集め、家督を譲れと殿に迫るほかない」
 村木砦の戦いにおいて、織田信長の鉄砲隊が、今川軍に向かって火を噴きます。信長がいくさで、初めて鉄砲を使いました。鉄砲を使い、用意周到に攻め込んだ信長の軍勢が、砦から、今川勢を一掃しました。
 高政が母の深芳野を訪ねてみると、その姿が見えません。手分けして母を探す高政。深芳野は川縁に倒れ、死んでいました。
 夜に道三は深芳野の遺体と対面します。嘆き悲しむ道三。
「わしは心の底から芳野を大事に思うて、慈しんできたのじゃ」
 それに対して高政が声を荒げます。
「では、なにゆえ母上の望みを絶たれた」
 高政は母が自分を守護代につくことを望んでいたといいます。
「わしは、そなたに継がせるつもりじゃと、芳野に申したはず」
 高政は道三に迫ります。では今、誓ってくれ。母の望みを叶えると。自分に家督を継がせると。道三はついにいいます。
「よかろう。家督を、そなたに」

『映画に溺れて』第367~369回 ジュディ 虹の彼方に、他

第367回 ジュディ 虹の彼方に

令和二年三月(2020)
新宿歌舞伎町 TOHOシネマズ新宿

  ハリウッドのMGMスタジオで十代の無名の少女ジュディはプロデューサーのルイス・B・メイヤーに言われる。この壁の向こうに何があるか、わかるかね?
 そこには映画という別世界、完成したばかりの『オズの魔法使』のセットがあり、エメラルドの都があった。少女はドロシー役に抜擢され、一躍世界的な大スターとなる。
 三十年の月日が流れ、時代は一九六〇年代の後半、中年となったジュディ・ガーランドは酒と薬に溺れ、映画界での仕事を失い、子連れで細々とクラブを回って歌っている。が、わずかなギャラでは部屋代も満足に払えず、ホテルを転々とする。
 そんな彼女に舞い込んだのが、ロンドンでのショー。子供を元夫に預けて単身ロンドンへ。映画界から遠ざかっていても、スターとしての名声はまだまだ忘れられていない。
 このロンドンでのショーのステージが実に見事なのだ。
 薬で不安を抑え、スタッフをはらはらさせながら、長年のキャリアで培った実力がここぞとばかりに発揮される。が、トラウマのようにところどころ挿入される少女時代のハリウッドのエピソード。不眠不休、薬漬けでの撮影は重労働であり、ルイス・B・メイヤーの威圧的な目が常に光っていた。撮影所内でのミッキー・ルーニーとのデートやプラスチックの模造ケーキの誕生パーティは現実とはほど遠い。今のジュディはそれらの過去の積み重ねによって作られたスターでもあるのだ。
 ジュディ・ガーランドが憑依したかのごとき、レネー・ゼルウィガーの迫真の演技と熱唱。ゼルウィガーのガーランドぶりを見るだけでも、この映画は値打ちがある。
 名曲『虹の彼方に』はどこで歌われるのだろうかと待ち構えていたら、なるほど、うまい演出である。

ジュディ 虹の彼方に/Judy
2019 イギリス/公開2020
監督:ルパート・グールド
出演:レネー・ゼルウィガージェシー・バックリー、フィン・ウィットロック、ルーファス・シーウェルマイケル・ガンボン


第368回 オズの魔法使

昭和五十四年五月(1979)
新宿歌舞伎町 アートビレッジ

 私が映画『オズの魔法使』を最初に観たのはTV放映だが、その後、歌舞伎町の小さなスペースで『雨に唄えば』と二本立てで観ることができた。すばらしいミュージカルの組み合わせ、今でも忘れられない。
 最初の場面は白黒で始まる。あれ、カラーと思ったら、白黒映画だったのか。観ていると、竜巻でドロシーがオズの世界へ家ごと飛ばされて、マンチキンたちとの出会い。そこでいきなりカラーになるという演出。戦前の映画でカラーは『風と共に去りぬ』『スタア誕生』『ロビン・フッドの冒険』ぐらいしか私は観ていない。あとディズニーアニメもカラーだったか。
 主題歌の『虹の彼方に』は大好きだが、ドロシーがかかしとライオンとブリキのきこりを従えて、歌って踊りながらエメラルドの道を進む場面、今でもあの歌声が耳に残っている。
 頭の中身が藁屑なので、賢くなりたいかかし。臆病だから勇気が欲しいライオン。人間らしい感情を取り戻したいブリキのきこり。彼らの望みを叶えるオズの魔法使いの正体。空飛ぶ猿の軍団や悪い魔女との戦いも見せ場だった。
 ライマン・フランク・ボームの原作は映画を観るよりも前にハヤカワ文庫版で読んでいたが、映画はこれを忠実にミュージカル化していて、子供から大人まで万人に楽しめる作品になっている。
 ステュアート・カミンスキーの探偵小説、一九四〇年代のハリウッドを舞台にしたトビー・ピータースのシリーズは『ロビン・フッドに鉛の玉を』から『吸血鬼に手を出すな』まで五冊翻訳されている。毎回、撮影所で事件が起こり、依頼人は当時の映画人。スタイルはチャンドラーやハメットの小説に出てきそうなハードボイルド。このシリーズの第二作『虹の彼方の殺人』の依頼人が『オズの魔法使』で一躍スターになったジュディ・ガーランドという設定で、事件はまるで、オズの物語に重ねられたように展開するので、ミステリ好きの方はどうぞ。

オズの魔法使/The Wizard of Oz
1939 アメリカ/公開1954
監督:ヴィクター・フレミング
出演:ジュディ・ガーランド、フランク・モーガンレイ・ボルジャー、バート・ラア、ジャック・ハリイ、ビリー・バークマーガレット・ハミルトン


第369回 オズ はじまりの戦い

平成二十五年四月(2013)
吉祥寺 吉祥寺オデオン

 ライマン・フランク・ボームの児童文学『オズの魔法使』はベストセラーとなり、次々と続編が書かれた。映画もジュディ・ガーランド主演のあと、一九八五年に後日談の『オズ』がディズニーで作られたが、印象は薄かった。
 そして、ドロシーが竜巻に遭う以前のオズの物語を描いた『オズ はじまりの戦い』が再びディズニーで。
オズの魔法使』ではカンザスの農家の場面はモノクロ映像、ドロシーがオズの世界に入りこむと、当時はまだ珍しい総天然色の世界が広がったのだが。
 今回の主人公は、巡業サーカスの手品師。奇術の腕はまずまず、軽薄でうそつきで女たらし。発明王エジソンに憧れ、いつかそれらの技術を応用し、フーディニのような偉大な魔術師になりたいと口では言いながらも、冴えない日々を送っている。サーカスの怪力男の女房に手を出したのがばれ、血相変えた大男に追われて、飛び乗った気球が折からの竜巻に巻き込まれ。と、ここまでがスタンダードサイズのモノクロ映像。
 気球の落ちた場所は見たこともない不思議な世界。ここで画面がワイドになり、カラーとなり、さらに3Dとなって、魔法の世界を見せる、まさに映像の魔法。
 空から落ちてきた手品師は純情な魔女セオドラと出会う。ここオズの国では、王が悪い魔女に殺され、新しい王になるために空から偉大な魔法使いが舞い降りるという伝説があった。セオドラはこの手品師を王となるべき魔法使いと思い込み、エメラルドの都に案内する。王不在のオズの国を治めるセオドラの姉エヴァノラは、未知の空から来た手品師に頼むのだ。闇の森の悪い魔女グリンダを殺し、王になってほしいと。
 魔力を持たないただの三流手品師、彼はいかにして、悪い魔女を倒し、オズの大王になるのか。西の魔女や東の魔女となる彼女たちのちょっと悲しい運命も描かれている。とにかく映像はすごかった。さすがサム・ライミ監督。

オズ はじまりの戦い/Oz: The Great and Powerful
2013 アメリカ/公開2013
監督:サム・ライミ
出演:ジェームズ・フランコミラ・クニスレイチェル・ワイズミシェル・ウィリアムズザック・ブラフ、ビル・コッブス、ジョーイ・キング、トニー・コックス、アビゲイル・スペンサー、ブルース・キャンベル

 

『映画に溺れて』第366回 生きる

第366回 生きる

昭和五十四年四月(1979)
池袋 テアトル池袋

 

 毎日休まず一年三百六十五日、好きな映画のことを書き綴った『映画に溺れて』も、今後は少し減速し、ゆるりゆるりと風の向くまま気の向くまま、思いついたときに。
 浜の真砂は尽きるとも世に映画のネタは尽きまじ。実生活でも映画に耽溺する人生、まだまだ続く。というわけで、さっそく三百六十六回めは黒澤明監督の『生きる』から。

 志村喬ふんする市役所の市民課長。勤続三十年、無遅刻無欠勤の記録。仕事は書類に判を押すだけ。どぶ川が悪臭を放ち大量の蚊が発生して困るので、なんとかしてほしいと陳情の地域住民。あっさりと、土木課へ行くよう指示する。いわゆるたらい回し。若い女性職員が課長につけたあだ名がミイラ。市役所で地位を守るためには、特別なことは何もしないのが一番なのだ。
 この渡辺課長がある日、自分が胃癌で余命半年と知る。さて、息子にも打ち明けられず、悩み、苦しみ、役所を無断欠勤。そしてあるきっかけから、自分にも、まだ何かできることがあるはずだと気づく。彼が決心する場面にたまたま学生たちの誕生パーティで流れる歌がハッピバースデイトゥーユー。ミイラのごとき渡辺課長がここで新しく生まれ変わったのだ。
 久しぶりに出勤して、自分の机の上に積み上げられた書類の山から一枚取り上げる。どぶ川に苦しむ地域住民の陳情書。これだっと飛び出して行く渡辺課長。
 そこでいきなりお通夜。課長のお通夜に集まる市役所の職員たち。どぶ川が立派な児童公園に再生されたのは、死んだ市民課長の奔走のおかげらしい。が、助役や公園課長ら幹部職員の手前、市民課の連中はだれも渡辺の功績を讃えられない。そこへ地域のおかみさんたちがお参りに来て、渡辺の遺影の前で泣き崩れる。しらけてそそくさと帰る助役以下、幹部たち。残った職員の間で、あの渡辺さんが、どうして急に人が変わって、どぶ川を公園にするために奮闘努力したのかが話題に出て、公園ができるまでの回想場面。
 この映画、何度観ても、うまいと唸ってしまう。見事な脚本の作り方。そして俳優たち。どの役の人も、ほんとうにひとりひとりリアル。
 主演の志村喬、市民課職員の藤原釜足千秋実田中春男、左卜伝、小田切みき日守新一、みんな市役所の職員そのものに見える。助役の中村伸郎、息子の金子信雄、兄の小堀誠、兄嫁の浦辺粂子、無頼作家の伊藤雄之助宮口精二加東大介がやくざの役でちらっと出ていたり、若い医者が木村功だったり。ああ、この人たちは七人の侍ではないか。どぶ川に苦しむ地域住民の若い主婦が菅井きん。出演者ひとりひとりを見ているだけでうれしくなる。

 

生きる
1952
監督:黒澤明
出演:志村喬小田切みき金子信雄、関京子、藤原釜足田中春男、左卜伝、千秋実日守新一中村伸郎伊藤雄之助宮口精二加東大介清水将夫木村功浦辺粂子、小堀誠、菅井きん南美江

 

頼迅庵の新書専門書レビュー11

『なぜ武士は生まれたのか』(本郷和人、文春文庫)

 

 本書はNHK放送で人気の「さかのぼり日本史」の四回分(2011年12月6日、13日、20日、27日)を文庫化したものです。それぞれ一回分が1章を成しており、

1. 足利義満日本国王」の権力 1392年(明徳3年)
2. 足利尊氏「京都」に挑む 1336年(建武3年)
3. 北条時頼万民等知への目覚め 1253年(建長5年)
4. 源頼朝「東国」が生んだ新時代 1180年(治承4年)

の4章に分かれています。

 始めタイトルを読んで、私は誤解してしまいました。そのタイトルのように、武士の発生について書かれたものだと思ったのです。ですが、4章のタイトルを見れば分かるように違いました。
 あるいは、「さかのぼり日本史」と銘打っていますので、最後は武士の発生に行き着くのかも知れません。武士の発生は、未だに謎の部分が多く、よく分かっていませんので、著者の見解に注目したいところです。

 本書は、それぞれ時代のターニングポイントとなった時点を取り上げており、第1章の明徳3年という年は、南北朝の合一が成った年です。
 なぜ、この年がターニングポイントかというと、これによって足利義満が「天皇という存在を初めて乗りこえることに成功した武士」だからです、これによって、「日本の実際の政治権力は、この義満の時代から明治維新にいたるまでの約五百年間、武士が握ることになります。」(14ページ)
 天皇家が二つに割れることにより相対的にその権威が低下し、それにより各地で武士たちが、納税を拒否したり、公家の土地を収奪したりするようになります。公家は貧しくなり、その地位も低下し、公家と武士の地位の逆転が起きてきます。
 武士の頂点である征夷大将軍足利義満は、そんな公家たちを庇護するようになります。それはなぜかというと、義満は「当時の国家秩序を守るという意識があった」からだと著者はいいます。(19ページ)
 義満は武家のトップである征夷大将軍ですが、公家の世界においてもトップを目指します。そのような将軍は今までいませんでした。今までは朝廷や公家とは一定の距離を保ってきたのです。

 では義満は、どのようにして公家のトップを目指したのでしょうか。本書からその流れを見てみましょう。
 応安6年(1373) 従四位下、参議・左中将 義満16歳で公卿の仲間入り
(公卿の位階は三位以上ですが、官職は参議以上です。)

永和元年(1375) 従三位 義満18歳
永和4年(1379) 従二位、権大納言 義満21歳
康暦2年(1380) 従一位
永徳元年(1381) 内大臣
永徳2年(1382) 左大臣
永徳3年(1383) 准三后宣下(太皇太后、皇太后、皇后に准ずる意の称号、皇族と
同待遇になったということになります。)

 以後義満は、それまでの公家のトップである摂関家儀礼に準じた行動を取るよ
うになります。
 この頃から、公家は義満を主君に対するように接していくようになり、公武の両
権力を統一的に支配する最高権力者=「室町殿」と呼ぶようになります。(25ページ)
 そして、応永元年(1394)には、太政大臣となって位人臣を極めることとなるので
す。

 また、義満は天皇の「祭祀権」「課税権」を自らのものとします。(26~28ページ)
 そして義満は、南北朝の合一を成し遂げることによって、「改めて朝廷や天皇を凌駕する権力への高みへと到達した」(30ページ)のです。
 さらに「日本国王」と名乗って明へ朝貢したということは、「外交権」についても天皇から奪ったということになります。(34ページ)

 さて、ここまできて、一頃話題に上った義満の皇位簒奪計画説(自分は太上天皇となり子の義嗣を皇位に就けようとしていたという田中義成説、義満自らが天皇になろうとしたという説)を著者は否定します。(36~38ページ)
 義満が天皇を廃して自らが天皇になった場合、「全国の武士が果たしてどういう行動に出たか、全く読めない」、要するにそんな危険なことをするわけがないというのです。(38ページ)
 では、どうしたか。武士は「政権を担当(独占)し、天皇を実質的に上回る権力を保持して」おり「それは、戦国時代から江戸時代を通じて変わ」らず、「近現代に至っても、その構造は変わっていない」。(38ページ)
 つまり「象徴天皇制」を形成したのが義満だという著者の結論です。
 そして、なぜ武士がそこまでになったのか、その経緯を足利尊氏、北条時賴、源頼朝という順に遡りながら見ていくのが本書のテーマといえるでしょう。

 全体で144ページほどの文庫本です。文章は読みやすく、論旨の展開も平易で分かりやすいです。特別な知識もいりません。思わず歴史って面白いなあ、中世の歴史って興味深いなあ、と感じていただける本だと思います。

書評『大一揆』

署名「大一揆
著者 平谷(ひらや)美樹(よしき)
発売 株式会社KADOKAWA
発行年月日  2020年3月28日
定価   本体1800円(税別)

大一揆

大一揆

  • 作者:平谷 美樹
  • 発売日: 2020/03/28
  • メディア: 単行本
 

  嘉永6年(1853)の三閉伊(さんへい)一揆(いっき)(いわゆる仙台越訴(おっそ))は陸奥国盛岡藩(南部氏(なんぶし))、20万石)の三閉伊地方(三陸沿岸の野田通(のだどおり)、宮古通(みやこどおり)、大槌通(おおつちとおり))の農民、漁民らが蜂起、先祖伝来の土地を捨て、隣国仙台藩伊達氏領(だてしりょう)へ越境、逃散。年貢米減免などといった単純なものではなく、全領民が一致して藩政改革を要求し、それが実行されたという稀有な一揆、まさしく大一揆であった。

 著者にはすでに、この一揆を主題のひとつとした歴史小説『柳は萌ゆる』(実業之日本社 2018年)がある。『柳は萌ゆる』が維新の動乱に敢然と立ち向かった盛岡藩の若き加判役(家老)・楢山(ならやま)佐渡(さど)(1831~1869)を主人公とし、武士の立場からこの一揆を描いているのに対し、本書はこの一揆で、45人の頭人(とうにん)(指導者)のひとりとして活躍した大槌通(おおつちとおり)栗林村(くりばやしむら)(現釜石市栗林)の三浦命助(めいすけ)(1820~1864)を主人公とし、一揆収束に至るまでを描いた歴史小説である。
 命助は栗林村の肝煎の家に生まれ、荷駄商いを主生業としていた。一揆嘉永6年3月、北方の野田通から始まるが、34歳の命助は当初からの参加者ではなく、「百姓が勝つ一揆をおこさなければ、三閉伊はいつまでも藩の食い物にされ続ける」と一揆衆と距離を置いていた。

 幕末の盛岡藩天明以来度重なる凶作、飢饉に見舞われた上に、蝦夷地警備の役を幕命にて課せられ、藩財政は窮乏。時の藩主南部(なんぶ)利済(としただ)(38代 信濃守)は過重な農民収奪を行った。貧困と重税に不満を爆発させた百姓は頻繁に一揆をおこし、藩はその都度その要求を呑むものの簡単に反故にすることを繰り返していた。天保7年(1836)の盛岡南方一揆(仙台越訴)や弘化4年(1847)の南部三閉伊一揆 (遠野強訴)の苦い経験を踏まえ、過去の失敗の轍を踏まないことを命助は念じていた。
 嘉永6年の一揆衆は「小○」(困る=我々は困っている、の意味)と書いた幟(のぼり)旗を押し立て、三陸海岸筋を南下、日ごとにその数を増し、6月5日に釜石に集合した一揆の人数は約1万6千余人にも達した。命助の姿は大群の動きのなかに没入していて容易には浮かんでこないのだが、作家は、意を決して一揆衆に加わるや、「小本(おもと)の親爺(おどう)」こと弥五兵衛(やごへえ)(遠野強訴の総指揮者)の遺志を継ぎ、野田通の田野畑村の多助(たすけ)(畠山太助)らと共に、一揆成功のために知力の限りを尽くした命助の立つ位置を巧みに描き出している。
 惣代45人の一人になる以前の命助の動きは権之助(けんのすけ)との確執を通じて、活写される。野田通朽木村(くつきむら)の肝煎(きもいり)・権之助は命助を軽んじ新参者扱いとし、時には藩の密偵ではないかとさえ疑い、「おれに命じられたことだけをやっていればいい」と嘯く。
 栗林村の中でさえ第一人者とはいえなかった命助が大槌通の第一人者となり三閉伊一揆の重立頭人(おもだつとうにん)のひとりに一挙に浮上してくるのは、篠倉峠(ささくらとうげ)を越えて仙台領最北の村・唐丹(とうに)(現釜石市唐丹町)に着いた時である。命助は権之助の命令を無視して「我らは、三閉伊を仙台領にしていただきたく存じます」と突如言い出すのである。三閉伊通の百姓を仙台領民として受け入れ、三閉伊通を仙台領か、もしできなければ幕府直轄地にしてほしいとの要求は元々、仙台藩を動かすための口実に過ぎなかったが、領土拡大という餌をぶら下げて、仙台藩を一気に巻き込もうという目論見であった。

 かくして、公儀と仙台藩の関与と監視を引き出すとともに、盛岡藩に対して、在地駐在の役人ではなく、「交渉のできる方」すなわち盛岡藩の正式な交渉役を引き出そうとした。命助が望んだのは民百姓も侍も共に身を削って財政難を乗り切るという考え方を持つ、南部弥六郎(なんぶやろくろう)と楢山佐渡(ならやまさど)であったが、両者とも利済に罷免され謹慎中であった(『柳は萌ゆる』には、謹慎中の楢山佐渡が命助を訪ねるシーンがある)。
 一揆衆の要求には南部利(とし)義(とも)(39代 甲斐守)の復位も要求された。このように、盛岡藩を根本から否定する要求を行いつつ、一揆衆が役人らと膝を交えて盛岡藩の藩政の改革を話し合う場を作り上げようとした命助ら越境した一揆の指導者のとった戦術は巧みであった。彼らは仙台藩に強要されたとはいえ惣代45人を選出し、唐丹村に残留させて、一揆百姓らを帰国させる。命助ら45人の惣代は百数十日の間、仙台領にとどまり、仙台藩を介して、領民の窮状を訴え続けたのである。

 この時期がもっともつらい時期ではなかったか。盛岡藩の正式な交渉役の登場もなく、三閉伊の一揆衆は心を一つにしなければならない時期に、彼らは一枚岩ではなかった。命助は思う。「古の陸奥の国、各地の豪族が一枚岩となれなかったために、中央の攻勢に耐えきれず、滅ぼされてしまった。陸奥の国には何か呪い、為政者が巧妙に陸奥の国の人々の結束を壊す仕掛けでもあるのか」と。この場面は岩手出身の作家平谷美樹の本領がさりげなくにじみ出る感動のシーンである。『火怨』や『炎立つ』など阿弖流為(あてるい)や安倍氏(あべし)、奥州藤原氏らを主人公とした東北のクロニクルを歴史小説としている高橋克彦の小説作法の伝統が脈々と息づいている。

 命助の立つ位置を明らかにさせるべく、作家は「小野新十郎」と「たせ」の二人の人物を造形しているところも読みどころである(「権之助」も想像の人物であろう)。
一揆の指揮者の中には、農民の抵抗に共鳴するだけでなく、一揆に参加する武士らしき姿も見えたという。小野新十郎(おのしんじゅうろう)は盛岡藩の元勘定方で、利済に諫言(かんげん)し疎まれ出奔した武士という造形である。
 一揆衆は数に物を言わせて、村々を騒がせ、各家を廻って強引に一揆衆を増やしていった。男手のない家でも容赦せず、女子供や年寄りまで無理やりに引き込んだ。田野畑村のたせは去年夫を亡くしたばかりの寡婦であり、やむなく一揆に加わり、飯炊き女として45人に付き従う。烏合の衆に堕しがちな一揆衆の姿を冷静に目つめ、時には歯に衣着せずに命助に文句を言う姿は爽やかである。

 物語は10月20日、南部藩が利義の復帰以外の一揆の要求すべてを受け入れ、また一揆指導者一切咎無しの一札を下したところで終わっている。
 11月に帰村した三浦命助は一揆の指導者として断罪されることはなかったが、翌安政元年(1854)7月、村方騒動にまきこまれて出奔するも捕らえられ、文久4年(1864)3月獄死している。悲劇的な死を遂げた命助のその後は本書では語られず、『柳は萌ゆる』にて語られている。
 嘉永6年(1853)といえば、まさしくペリー来航の年。かつて大佛(おさらぎ)次郎(じろう)は『天皇の世紀』第1巻(朝日新聞社 1969年)「黒船渡来」の章に、「ペリー提督の黒船に人の注意が奪われている時期に、東北の一隅で、もしかすると黒船以上に大きな事件が起こっていた」と記している。幕藩体制の崩壊は外圧ばかりでなく、土地に根差した民百姓の地底から湧き上がる力によったことを、平谷美樹の『大一揆』を紐解くことで味わいたい。


            (令和2年4月12日  雨宮由希夫 記)

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十三回 帰蝶のはかりごと

 天文二十一年(1552年)。明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、思い悩んでいました。土岐頼芸と一戦交えると宣言した斎藤道三(この時は利政)(本木雅弘)。その息子、斎藤高政(伊藤英明)は光秀にいっていました。
「わしは土岐様を守る。父上と戦う」
 そして共に道三を倒すことを光秀に求めてきていたのです。
 光秀は道三に会いに行き、述べます。
「頼芸様は美濃の守護。源氏の血を引く国の柱と、皆、うやもうて参りました。そのお方と戦えと命じられて、喜ぶ者はわずかでございます」
「それがどうした」
 と、道三が問います。
「私も、大いに迷うて困り果てております」そして光秀はいうのです。「土岐様に味方して、殿と一戦交えるべきかどうかを」
「わしと戦うのか」
 さすがの道三も顔をゆがませます。
「戦いたくはござりません。私の叔父、光安(西村まさ彦)は、まぎれもなく殿の味方ゆえ、私は叔父と戦うことにもなりましょう。思うだに恐ろしきいくさとなります。私だけではない。多くのなじみの国衆が、敵と味方に分かれ、殺し合うのです。どちらが勝っても、恨みは残り、美濃は決して、一つにはなりませぬ」
 道三は光秀にいうのです。
「いくさはせぬ。始めからいくさをするつもりなどない」道三は立ち上がります。「いくさはせぬがこの国は出て行ってもらう。そなたも存じておろう。尾張ではついに織田信秀が死によった。これから何が起きるかわかったものではない。美濃の守護などという役にもたたぬお守り札をさっさと捨てて、みずからの足で歩かねば、この先生き抜くことはできぬ。美濃の国衆にはその覚悟が足りん。それゆえ一戦交えると活を入れたまでじゃ」道三は話題を変えます。「実はそなたにやってもらいたいことがある。わしは鉄砲組をつくろうと思う。鉄砲を三十挺ほどそろえ、組の鉄砲指南をそなたに頼みたいのじゃ」
 その頃、鷺山の土岐頼芸の館では、すがすがしい笑顔で頼芸(尾美としのり)が空をながめていました。これから鷹狩りに出かけようとしている所でした。そこへ転がるように鷹匠がやってきます。
「お館様の鷹が」
 頼芸は鷹の飼育部屋に入っていきます。すべての鷹が殺されていたのです。そこへ道三の息子、斎藤高政がやってきます。高政は頼芸に述べます。
「恐れ多いことながら、わが父、利政(道三)が、お館様と一戦交えると申し、国衆を結集させんと企てております。われらは稲葉殿、安藤殿など有力な国衆と力を合わせ、お館様を総大将として仰ぎ、ここに陣をはるべく、はせ参じました」
 頼芸は力の抜けきった様子です。
「さようか。頼もしい限りじゃ。ここを我が城と思い、忠義を尽くせ」
 高政がさらに述べようとするのを聞かず、頼芸は歩き出します。そして独り言のようにいうのです。
「わしはここを出る」
 場面は変わり、夜。道三は高政の母である深芳野(南果歩)の部屋にいました。その戸を高政が勢いよく開けます。
「鷺山に行ったそうだな。しかしお館様はさっさと逃げていかれた。行き先は近江の六角殿の所と聞いておる」道三はからかうようにいいます。「そなたは置き去りにされた哀れな忠義者か」
「そうさせたのは」高政は叫びます。「お前ではないか」
「お前? 言葉は刃物ぞ。気をつけて使え」
「申し訳ござりませぬ」高政は部屋に入ってきます。「置き去りにされた忠義者ゆえ、正気を失うております」
「それしきのことで失うとは、ずいぶん安物の正気じゃな」
 高政は激高して叫びます。
「まことの父上を失うたのじゃ。この高政には、もはや父上がおらんのじゃ。その口惜しさが、おわかりになるまい」
 道三は笑い出します。
「異なことを申す」道三は立ち上がります。「まことの父はここにおるではないか。そなたの父は、わしじゃ」
「この高政のまことの父は」
 と、言いかけたところで、悲鳴を上げるように深芳野が制します。
「血迷うでない。そなたの父上はここにおわす利政様じゃ」深芳野は高政を叩きます。「謝るのじゃ。詫びるのじゃ。お父上に詫びるのじゃ」
「そろそろ家督を譲ろうかと思っておったが、暇出しじゃの」
 そう吐き捨てて道三は去って行くのです。
 三河、近江の国境付近では、医師の望月東庵(堺正章)とその助手の駒(門脇麦)が旅の疲れを癒やしていました。大金の入る当てがある駿河に向かおうとしていたのです。
 織田信秀の死を好機と捉えた駿河の今川は、尾張に攻め入らんと、浜名の湖畔を進軍していました。その行軍の様子を見守る東庵と駒。二人はおかしな男にであいます。
「これ、何と書いてあるのだ」
 と、本を見せて駒に訪ねるのです。それは藤吉郎、後の豊臣秀吉でした。駒は本を読んで聞かせるのです。文字は読めないものの、藤吉郎はその意味をたちまち理解してしまうのです。織田や今川の情勢もよく知っている様子でした。
 尾張那古野城織田信長染谷将太)が帰ってきます。清洲の城のまわりを焼き払ってきたと帰蝶川口春奈)に語ります。信秀が亡くなったと知るや、織田の身内たちがいくさを仕掛けてきていたのです。着替えて茶を喫する信長に、帰蝶は文(ふみ)を渡します。道三が信長に対面したいといってきていたのでした。信長は、殺されるかもしれないこの対面を断ろうとします。帰蝶が言います。
「断れば、臆したとみられ、和睦の義は消え失せまするぞ。私は美濃へ戻らねばなりませぬが、よろしゅうございますか」
 夜になります。信長は帰蝶の膝枕で横になっています。帰蝶は、信長から聞いていた旅芸人のことを確かめます。伊呂波太夫尾野真千子)のことでした。紀伊の根来(ねごろ)衆や、あちこちの国衆と縁が深いため、信長の父、信秀は兵が足りぬ時、太夫に雇い兵を集めさせていました。根来の雇い兵は、鉄砲を使う者もいます。
 翌日、帰蝶は伊呂波太夫を訪ねます。いくさのための兵をすぐに集めるすべを持っていることを確認します。高くつく、という太夫の前に、帰蝶は砂金の袋を次々と落としていくのでした。
 光秀は道三に呼び出されます。道三は信長に会いに行くとを話します。その供をすることを光秀に命じるのです。光秀が信長を知っているからです。
「万が一、別のものが参れば、ただちに見抜けよう」
 と、道三はいいます。実は光秀が来る前、信長の身内である清洲城の織田彦小五郎の家臣が来ていたのでした。道三と手を結びたい。それゆえ、信長を殺さぬかと、いってきていたのです。光秀が聞きます。
「殿は、どうお答えになりましたか」
「婿殿に、会(お)うてみてからじゃと」
 信長と道三の会う日がやってきました。決められた場所は聖徳寺です。信長は帰蝶が用意した衣装に着替えます。
「これで聖徳寺に行くのか。いつも通りではないか」
 帰蝶はいいます。
「これは、父上と私のいくさじゃ」
 道三は聖徳寺の近くで信長を待ち伏せしていました。光秀にいいます。信長の顔を見たら自分の肩を叩け。
「見て、つまらぬ奴だと思うたら、わしは寺に遅れて入る。連れてきた八百の兵に寺を取り囲ませ、信長の様子次第で事を決する」
 いよいよ織田勢がやってきます。道三は目を見開きます。三百もの鉄砲を持った兵が行列を作っていたのです。馬に乗った信長の姿が見えてきます。奇抜な身なりの、庶民の衣装を身に着けていたのです。

大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十二回 十兵衛の嫁

 天文二十年(1551)。近江から帰った明智十兵衛光秀(長谷川博己)は、気の晴れない様子で、薪を割っていました。苦しい立場に立つ、将軍足利義輝向井理)の言葉を思い出していたのです。
「この世に、誰も見たことのない麒麟という生き物がいる。わしは、その麒麟をまだ連れてくることができぬ。無念じゃ」
 光秀の叔父の明智光安(西村まさ彦)と光秀の母の薪(石川さゆり)は、光秀の嫁取りについて話していました。光安は息子の明智左馬助(間宮祥太郎)に、光秀を鷹狩りに連れ出すように命じます。妻木にも寄るようにと付け加えます。
 美濃の妻木では、光秀が馬から下りて休んでいました。鷹狩りに来た仲間とはぐれてしまったのです。そこへ幼なじみの熙子(ひろこ)(木村文乃)がやってきます。熙子は館に帰ろうとする光秀を送ってゆきます。その道中、光秀は切り出します。
「熙子殿、この十兵衛の嫁になりませぬか」
 幼い頃、光秀は熙子に、大きくなったらお嫁においで、といっていたのです。熙子もそれを覚えていました。今日は皆と、はぐれるべくしてはぐれた気もする、と光秀はいいます。
 尾張三河の国境(国境)で戦っていた織田信秀高橋克典)と、今川義元片岡愛之助)は、将軍足利義輝の仲立ちもあり、和議を結びました。その結果、今川方は、劣勢だった織田信秀から尾張に接した重要な拠点を手に入れます。
 尾張の末盛城。織田信秀の病は深くなっていました。信秀は織田信長染谷将太)とその弟の織田信勝木村了)の前でいいます。
「わしに万一のことがあったとき、この末盛城は、信勝に与える」
 信長にはこれまで通り、那古野城を任せる。力をつくせ、と告げます。信長は父、信秀に抗弁します。
那古野城でどう力をつくせとおおせですか。この末盛城ならば、三河に近く、今川をもにらみすえた城であり、力のつくし甲斐がございます。しかし那古野城は北の清洲城に近いというだけで、もはや主軸の城とはいいがたい」
 信秀は信長に、那古野城は大事な城だと告げます。そなたに家督を譲ろうと思って、大事な城を譲った、と述べます。信長は納得できません。信秀のもとから立ち去ります。
 信長は妻の帰蝶に話します。
「こは母上のたくらみぞ。いずれ家督も、わしではなく信勝に継がせようとする魂胆であろう。父上が病で気弱になっておられるのにつけ込んでのやり口じゃ」信長は座り込みます。「二年前、松平広忠の首を穫ったのも、こたび、今川との和議を平手にやらせたのもみな、父上がお喜びになると思うてやったのじゃ」信長は子供のようにすねた顔をします。「それを何一つお褒めにならぬ。ただただお叱りになるのじゃ。たわけとおおせられるのじゃ。なにゆえかわかるか。母上が不服を唱えられたからじゃ。父上は母上のいいなりじゃ」
 信長は声を上げて泣くのです。帰蝶は信長を置いて部屋を出ます。途中、廊下で信長の母、土田御前(壇れい)とすれ違います。土田御前は帰蝶にいいます。信秀が、医師の望月東庵(堺正章)を呼べといっている。双六がしたいそうだ。しかし帰蝶には呼び寄せることはできないであろうな。
 機長は寝込んでいる信秀の部屋を訪れます。信秀に呼びかけます。
「父上様の胸の内をお聞かせ願いたいのです。この織田家を継ぐのは、どちらのお子がふさわしいとお思いでしょうか。信長様と信勝様の、どちらでございますか」
 信秀は黙って首を振ります。帰蝶はあきらめません。
「お教え下さい。お教えくだされば、東庵先生を京から呼んで差し上げます。誰よりも早くお呼びいたします」
 帰蝶の言葉に微笑む信秀。帰蝶は信秀の枕元に進みます。
「お願いでございます。私は、尾張に命を預けに参ったおなごでございます。預けるお方がいかなるお方か、なんとしても知りとうございます。父上様にとって、信長様がどれほどのお方か、お教え願いとうございます」
 信秀は何か声を出すのです。帰蝶はその口元に耳を寄せます。
 帰蝶は信長のいる部屋に帰ってきます。そして信長に告げるのです。
「父上様はこうおおせられました。信長はわしの若いころに瓜二つじゃ。まるでおのれをみているようじゃと。良いところも、悪いところも。それゆえかわいいと。そう伝えよと。最後にこうおおせられました。尾張を任せる。強くなれと」
 一方、京。東庵の庵には、多くのけが人が運び込まれていました。若い医師が慌ただしく指示を出します。駒(門脇麦)も忙しく働いていました。丹波から三好の軍が入ってきて、またいくさが起っていたのです。東庵はいくさで傷ついた者からは金を受け取りません。しかし手伝ってくれる医師たちにお礼をしなければならず、薬代もかかります。東庵は金の工面に出かけたのでした。
 しかし東庵は闘鶏で金を稼ごうとして、大金をすってしまっていました。駒は尾張から来た文(ふみ)を東庵に見せます。帰蝶から来たその手紙には、尾張に来てくれれば、謝礼は望むがまま、と記されていました。東庵は行くことを決意します。それまでのお金を旅芸人の伊呂波太夫尾野真千子)が肩代わりしてくれるというのです。ただしお願いがあると伊呂波太夫はいいます。尾張に行ったあとに、駿河に行って欲しい。そこに友野次郎兵衛という豪商がいる。その子が病弱で、京から名医を呼んで欲しいと言われている。それが叶えば、謝礼は百貫だす。東庵は旅立ちの準備をします。駒も一緒に行くといいます。途中、美濃に寄って確かめてみたいことがあるというのです。子供の頃、自分を助けてくれたのが、明智家の誰だったのか知っておきたい。
 美濃の稲葉山城では斎藤道三(この時は利政)(本木雅弘)が土岐頼芸尾美としのり)から贈られた鷹を受け取っていました。鷹が道三に襲いかかります。それを守って近習が鷹の爪にかかります。鷹の爪には毒が塗られていたのです。近習は倒れます。
 明智城では、光安が結婚した光秀と熙子に祝いの言葉を述べていました。その時、稲葉山城から、直ちに登城するようにとののろしが上がっていたのでした。
 稲葉山城には、古くから美濃にいる国衆たちも勢揃いしました。鷹の爪に塗られ毒によって死んだ道三の近習が横たえられています。鷹は頼芸から贈られたものと道三は皆に説明します。そし道三は叫ぶのです。
「なにゆえわしが殺されなければならんのだ。わしはこの美濃のために、命をかけて働いてきたのじゃ」
 道三はいいます。土岐の内輪もめを収め、国衆の領地が他国に荒らされぬよう戦ってきた。年貢を低くおさえ、川の水を引いて土地を豊かにした。
「わしは許さん。わしの家臣に手をかけた土岐様をもはや守護とは思わぬ。ただの鷹好きのたわけじゃ。さような者をこの美濃に遊ばせておくわけにはいかぬ。」道三は宣言します。「土岐様と一戦交えるまでじゃ」道三は国衆たちを見すえます。「土岐様を敵と見なすことに異論のある者は、今、この場から立ち去れ」立ち去る者は誰もいません。道三は声低くいいます。「ではよいな。皆、心は一つじゃな。今日から鷺山に近づく者は裏切り者として成敗いたす。いずれいくさになるやもしれぬ。おのおの覚悟せよ」
 皆が引き上げていきます。光秀は道三の子である斎藤高政(伊藤英明)に話しかけられます。
「わしは土岐様を守る。父上と戦う。わしが立てば、稲葉たち(国衆)も従うと申しておる。いっしょにやろう。共に父上を倒すのじゃ」
 光秀の返事を待たず、高政は去って行きます。
 尾張那古野城帰蝶のもとへ駒が来ていました。駒は帰蝶から、光秀が結婚したことを知らされます。
 末盛城では、織田信秀が、東庵と双六をしようと待っていました。しかし東庵が信秀の前に出てみると、信秀は死んでいたのです。

『映画に溺れて』一年三百六十五本を終えて

『映画に溺れて』一年三百六十五本を終えて

 

 平成三十一年の四月、日本歴史時代作家協会が発足。それにともなって、公式ホームページを開設するにあたり、なにか映画のこと書いてみませんかとのお話があった。
 歴史時代小説の作家が中心の会なので、時代劇映画について書いてみようかと最初に考えた。好きな時代劇はたくさんある。名作時代劇とその原作小説の対比などを詳しく解説したらどうだろうか。いや、しかし、私には長い解説を書く根気がない。
 そこで思いついたのが、時代劇に限らず好きな映画のことをなんでもかんでも書く。映画は子供のころから観続けており、題材は無数にある。ジャンルにこだわらず、新作、旧作、名作、珍作、片っ端から筋書き、感想、出演者、原作、背景、観た映画館の思い出など、作品に関連して浮かんだことを書けばいい。八百字以内に設定すれば、毎日でも書ける。実際に続けてみると、それほど簡単にはいかず、けっこう苦心もしたが。
 もうひとつ縛りをつけたのが、すべて映画館で観た作品。今は映画館に足を運ばずとも、家でもどこでも手軽に映画が観られる世の中である。TV放送、レンタルDVD、インターネット、スマートホン、なんでもありである。DVDやインターネットで巻き戻したりストップしながら観た映画の感想を、SNSで丹念に書き綴る映画ファンも多い。だが便利な反面、安直に観た映画は、私の場合さほど心に残らない。
 時間をかけて映画館まで行き、大画面で見知らぬ観客と感動を共有する。情報誌片手に遠くの町まで電車で出かけ、映画館のある商店街で入った喫茶店や古本屋が鮮明に記憶に残っていたり。あるいは友人といっしょに観て、終了後にビールを飲みながら喧嘩ごしで意見を戦わせた思い出。結婚し子供が生まれ、家族で観たアニメーション。映画は単なる情報ではない。いつ、どの場所で、だれと観たかまでが含まれるのだ。私は映画ファンであると同時に映画館ファンでもある。

 一年三百六十五日、なんとか続きました。毎日更新の手続きをしていただいた日本歴史時代作家協会ホームページ担当の響由布子さんには心より感謝いたします。
 好きな映画はまだまだたくさんあり、今後は毎日更新ではなく、思いついたときに週に一本でも二本でも、少しずつ書き足していければと。響さん、そのときはまた、よろしくお願いいたします。


                    日本歴史時代作家協会会員 飯島一次

 

作品リスト 第1回~第365回
 全部好きな作品である。
 この一年、この場をお借りして、いろんな映画を紹介してきた。子供の頃に祖母と観た映画から、つい最近試写室で観た映画まで。
 映画史上に残る名作、世紀の駄作、話題作やヒット作、まったく世間に知られていない無名の作品まで、好きな作品、気になる作品、個人的に忘れられない作品ばかり。
 年代も国籍も様々、戦前のものから先月公開の新作まで。コメディ、アクション、SF、時代劇、西部劇、ミュージカル、アニメーション、ドキュメンタリー、シネマ歌舞伎、短編特集、自主映画。
 そして、ひとつ自慢できるのは、これらをすべて映画館(公共ホールや地域の公民館、映画会社の試写室も含む)で観ていること。それゆえ何年の何月にどこで観たかも記しておいた。映画館は大切な思い出の場所でもあるから。ああ、今はもうなくなってしまった映画館のなんと多いことか。
 還暦過ぎて、私の映画鑑賞人生にいい思い出ができたと、素晴らしい機会を与えてくださった日本歴史時代作家協会に感謝する次第である。
 以下にこの一年間に紹介した作品のタイトルを列記する。どれをとっても、全部好きな一本である。

第1回 七人の侍
第2回 荒野の七人/The Magnificent Seven
第3回 椿三十郎
第4回 座頭市と用心棒
第5回 不知火検校
第6回 続・夕陽のガンマン/Il buono, il brutto, il cattivo
第7回 犬ヶ島/Isle of Dogs
第8回 さらば荒野/The Hunting Party
第9回 荒野の渡世人
第10回 シャンハイヌーン/Shanghai Noon
第11回 大魔人
第12回 キングコング対ゴジラ
第13回 ゴジラ
第14回 ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃
第15回 マタンゴ
第16回 キングコング/King Kong
第17回 シンクロナイズドモンスター/Colossal
第18回 花のお江戸の無責任
第19回 クレージーだよ奇想天外
第20回 森の石松鬼より恐い
第21回 グリーンブック/Green Book
第22回 夜の大捜査線/In the Heat of the Night
第23回 ブラックライダー/Buck and the Preacher
第24回 ジャンゴ 繋がれざる者Django Unchained
第25回 ヤコペッティの残酷大陸/Uncle Tom
第26回 男はつらいよ
第27回 男はつらいよ 寅次郎春の夢
第28回 運が良けりゃ
第29回 幕末太陽伝
第30回 羽織の大将

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