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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十三回 帰蝶のはかりごと

 天文二十一年(1552年)。明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、思い悩んでいました。土岐頼芸と一戦交えると宣言した斎藤道三(この時は利政)(本木雅弘)。その息子、斎藤高政(伊藤英明)は光秀にいっていました。
「わしは土岐様を守る。父上と戦う」
 そして共に道三を倒すことを光秀に求めてきていたのです。
 光秀は道三に会いに行き、述べます。
「頼芸様は美濃の守護。源氏の血を引く国の柱と、皆、うやもうて参りました。そのお方と戦えと命じられて、喜ぶ者はわずかでございます」
「それがどうした」
 と、道三が問います。
「私も、大いに迷うて困り果てております」そして光秀はいうのです。「土岐様に味方して、殿と一戦交えるべきかどうかを」
「わしと戦うのか」
 さすがの道三も顔をゆがませます。
「戦いたくはござりません。私の叔父、光安(西村まさ彦)は、まぎれもなく殿の味方ゆえ、私は叔父と戦うことにもなりましょう。思うだに恐ろしきいくさとなります。私だけではない。多くのなじみの国衆が、敵と味方に分かれ、殺し合うのです。どちらが勝っても、恨みは残り、美濃は決して、一つにはなりませぬ」
 道三は光秀にいうのです。
「いくさはせぬ。始めからいくさをするつもりなどない」道三は立ち上がります。「いくさはせぬがこの国は出て行ってもらう。そなたも存じておろう。尾張ではついに織田信秀が死によった。これから何が起きるかわかったものではない。美濃の守護などという役にもたたぬお守り札をさっさと捨てて、みずからの足で歩かねば、この先生き抜くことはできぬ。美濃の国衆にはその覚悟が足りん。それゆえ一戦交えると活を入れたまでじゃ」道三は話題を変えます。「実はそなたにやってもらいたいことがある。わしは鉄砲組をつくろうと思う。鉄砲を三十挺ほどそろえ、組の鉄砲指南をそなたに頼みたいのじゃ」
 その頃、鷺山の土岐頼芸の館では、すがすがしい笑顔で頼芸(尾美としのり)が空をながめていました。これから鷹狩りに出かけようとしている所でした。そこへ転がるように鷹匠がやってきます。
「お館様の鷹が」
 頼芸は鷹の飼育部屋に入っていきます。すべての鷹が殺されていたのです。そこへ道三の息子、斎藤高政がやってきます。高政は頼芸に述べます。
「恐れ多いことながら、わが父、利政(道三)が、お館様と一戦交えると申し、国衆を結集させんと企てております。われらは稲葉殿、安藤殿など有力な国衆と力を合わせ、お館様を総大将として仰ぎ、ここに陣をはるべく、はせ参じました」
 頼芸は力の抜けきった様子です。
「さようか。頼もしい限りじゃ。ここを我が城と思い、忠義を尽くせ」
 高政がさらに述べようとするのを聞かず、頼芸は歩き出します。そして独り言のようにいうのです。
「わしはここを出る」
 場面は変わり、夜。道三は高政の母である深芳野(南果歩)の部屋にいました。その戸を高政が勢いよく開けます。
「鷺山に行ったそうだな。しかしお館様はさっさと逃げていかれた。行き先は近江の六角殿の所と聞いておる」道三はからかうようにいいます。「そなたは置き去りにされた哀れな忠義者か」
「そうさせたのは」高政は叫びます。「お前ではないか」
「お前? 言葉は刃物ぞ。気をつけて使え」
「申し訳ござりませぬ」高政は部屋に入ってきます。「置き去りにされた忠義者ゆえ、正気を失うております」
「それしきのことで失うとは、ずいぶん安物の正気じゃな」
 高政は激高して叫びます。
「まことの父上を失うたのじゃ。この高政には、もはや父上がおらんのじゃ。その口惜しさが、おわかりになるまい」
 道三は笑い出します。
「異なことを申す」道三は立ち上がります。「まことの父はここにおるではないか。そなたの父は、わしじゃ」
「この高政のまことの父は」
 と、言いかけたところで、悲鳴を上げるように深芳野が制します。
「血迷うでない。そなたの父上はここにおわす利政様じゃ」深芳野は高政を叩きます。「謝るのじゃ。詫びるのじゃ。お父上に詫びるのじゃ」
「そろそろ家督を譲ろうかと思っておったが、暇出しじゃの」
 そう吐き捨てて道三は去って行くのです。
 三河、近江の国境付近では、医師の望月東庵(堺正章)とその助手の駒(門脇麦)が旅の疲れを癒やしていました。大金の入る当てがある駿河に向かおうとしていたのです。
 織田信秀の死を好機と捉えた駿河の今川は、尾張に攻め入らんと、浜名の湖畔を進軍していました。その行軍の様子を見守る東庵と駒。二人はおかしな男にであいます。
「これ、何と書いてあるのだ」
 と、本を見せて駒に訪ねるのです。それは藤吉郎、後の豊臣秀吉でした。駒は本を読んで聞かせるのです。文字は読めないものの、藤吉郎はその意味をたちまち理解してしまうのです。織田や今川の情勢もよく知っている様子でした。
 尾張那古野城織田信長染谷将太)が帰ってきます。清洲の城のまわりを焼き払ってきたと帰蝶川口春奈)に語ります。信秀が亡くなったと知るや、織田の身内たちがいくさを仕掛けてきていたのです。着替えて茶を喫する信長に、帰蝶は文(ふみ)を渡します。道三が信長に対面したいといってきていたのでした。信長は、殺されるかもしれないこの対面を断ろうとします。帰蝶が言います。
「断れば、臆したとみられ、和睦の義は消え失せまするぞ。私は美濃へ戻らねばなりませぬが、よろしゅうございますか」
 夜になります。信長は帰蝶の膝枕で横になっています。帰蝶は、信長から聞いていた旅芸人のことを確かめます。伊呂波太夫尾野真千子)のことでした。紀伊の根来(ねごろ)衆や、あちこちの国衆と縁が深いため、信長の父、信秀は兵が足りぬ時、太夫に雇い兵を集めさせていました。根来の雇い兵は、鉄砲を使う者もいます。
 翌日、帰蝶は伊呂波太夫を訪ねます。いくさのための兵をすぐに集めるすべを持っていることを確認します。高くつく、という太夫の前に、帰蝶は砂金の袋を次々と落としていくのでした。
 光秀は道三に呼び出されます。道三は信長に会いに行くとを話します。その供をすることを光秀に命じるのです。光秀が信長を知っているからです。
「万が一、別のものが参れば、ただちに見抜けよう」
 と、道三はいいます。実は光秀が来る前、信長の身内である清洲城の織田彦小五郎の家臣が来ていたのでした。道三と手を結びたい。それゆえ、信長を殺さぬかと、いってきていたのです。光秀が聞きます。
「殿は、どうお答えになりましたか」
「婿殿に、会(お)うてみてからじゃと」
 信長と道三の会う日がやってきました。決められた場所は聖徳寺です。信長は帰蝶が用意した衣装に着替えます。
「これで聖徳寺に行くのか。いつも通りではないか」
 帰蝶はいいます。
「これは、父上と私のいくさじゃ」
 道三は聖徳寺の近くで信長を待ち伏せしていました。光秀にいいます。信長の顔を見たら自分の肩を叩け。
「見て、つまらぬ奴だと思うたら、わしは寺に遅れて入る。連れてきた八百の兵に寺を取り囲ませ、信長の様子次第で事を決する」
 いよいよ織田勢がやってきます。道三は目を見開きます。三百もの鉄砲を持った兵が行列を作っていたのです。馬に乗った信長の姿が見えてきます。奇抜な身なりの、庶民の衣装を身に着けていたのです。