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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十七回 長良川の対決

 弘治二年(1556年)春。斎藤道三本木雅弘)は大桑城を出、南の鶴山に向かいました。嫡男の高政(伊藤英明)と戦うためでした。
 明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、叔父の光安(西村まさ彦)に合流し、道三方について戦うつもりでした。
 尾張清洲城では、織田信長染谷将太)が落ち着きません。帰蝶にいいます。
「むざむざ見殺しにするつもりか」
 帰蝶川口春奈)は振り向きもしません。
「負けとわかったいくさに巻き込まれるのは、愚かというもの」
 いくさはやり用だという信長に対して、帰蝶はいいます。
「たった二千の兵で。兄は一万二千の兵を集めたと申します」
「わしは行くぞ。鶴山へ行く。親父殿を助ける」信長は帰蝶をのぞき込みます。「親父殿にはいくさの借りがあるのじゃ。助けてみせるぞ」
 信長が立ち去ると、帰蝶は記していた紙を握りしめます。
「皆、愚か者じゃ」
 長良川の北岸に道三は陣を築きました。南岸には高政の陣があります。
 高政は先陣の次に、自分が行くといい出します。国衆の稲葉良通(村田雄浩)がいいます。
「敵とはいえ、向こう岸にいる面々は、昨日まで酒を酌み交わした仲じゃ。殿のお顔を拝すれば、皆、早々に降参する」稲葉は高政を振り返ります。「で、道三殿の始末はいかがいたします」
 高政は答えます。
「殺すな。生け捕りせよ」
 稲葉がさりげなくいいます。
「親殺しは外聞が悪うございますからなあ」
 高政は稲葉をにらみつけるのでした。織田信長が国境(くにざかい)に来ています。高政は早く勝負をつけなければなりませんでした。
 いくさは早朝に始まりました。川の中で激しい戦いが繰り広げられます。
 光秀は道三の陣に向かおうとしていました。しかし戦いは激しさを増しており、光秀は容易に進めません。
 戦いは一進一退の攻防を繰り返していましたが、高政がみずから大軍を率いて押し寄せると、勝敗は決定的なものとなります。
 霧に紛れて一騎、道三が高政の前に現れます。高政に一騎打ちを申し出ます。高政は兵に周囲を囲ませた上で、一騎打ちを受けます。互いに馬を下り、槍で戦う二人。つばぜり合いの状態になり、高政は叫びます。
「負けを認めよ。命までは取らぬ。わが軍門にくだれ」
 道三は静かにいいます。
「己を偽り、人をあざむく者の軍門にはくだらぬ」
 高政は吠えます。
「誰が己を偽った」
「ならば聞く。そなたの父の名を申せ」
 二人は離れ、間合いを取ります。高政は槍を地に突いて叫びます。
「わが父は、土岐頼芸様。土岐源氏の頭領ぞ」
 道三は笑い出します。
「我が子よ。高政よ。この後に及んでまだ己を飾ろうとするか」道三は兵たちを見回します。「その口で皆をあざむき、この美濃をかすめ取るのか。おぞましき我が子。醜き高政」
「黙れ」
 と、思わず叫ぶ高政。
「そなたの父は、この斎藤道三じゃ」道三はいい切ります。「成り上がり者の、道三じゃ」
「討て。この者を討て」
 と、命令する高政。兵たちが迫ります。
「高政」
 と叫び、突撃する道三。しかし兵にその脇腹を刺されるのです。おぼつかぬ足取りで、道三は高政に近づきます。そして高政に抱きつくのです。
「我が子、高政。愚か者。勝ったのは道三じゃ」
 そういって首の数珠を引きちぎり、道三は崩れ落ちるのでした。高政も目に涙を浮かべます。兵たちの鬨(とき)の声にも会わせることをしません。そこに光秀がやってきます。光秀は道三の遺骸を見て呆然となります。高政は光秀を責めます。自分の所に来ず、道三に味方した。しかし今一度、機会を与えるといいます。自分の所に来て、まつりごとを助けろ。そうすれば今度のあやまちは忘れる。光秀は聞きます。道三は高政の父親ではなかったのか。自分の父は土岐頼芸だと言い張る高政。光秀はいいます。
「わしは、土岐頼芸様にお会いして、一度たりとも立派なお方と思うたことはない。しかし道三様は立派な主君であった。己への誇りがおありであった。揺るぎなき誇りだ」光秀は高政を振り返ります。「土岐様にもおぬしにもないものだ。わしはそなたには与(くみ)せぬ。それが答えだ」
 高政はいいます。
「次、会(お)うた時には、そなたの首をはねる。明智城は即刻攻め落とす。覚悟せよ」
 光秀はきびすを返します。片膝(ひざ)を突いて、道三に礼をするのでした。
 明智城は、いくさ支度をしています。光秀は叔父の光安に会います。光安は光秀を無理矢理、上座に座らせようとします。
「わしは今日、この場で、明智家のあるじの座を、そなたに譲りたい」
 光安は自分の座っていた場所に光秀を座らせます。この城もまもなく、高政の軍に攻められる、と光安はいいます。敵は三千。こちらには三百しかいない。戦ったとしても、いずれ皆、討ち死にする。
「我らが討たれれば、明智家は途絶える。わしはそなたの父上から、家督を継いだ折、ゆく末そなた立て、明智家の血は決して絶やさぬと約束した」光安は光秀に明智家の旗印を渡します。「これはそなたの父上の声と思って聞け。いったん城を離れ、逃げよ。逃げて、逃げて、生き延びよ。明智家のあるじとして、再び城を持つ身になってもらいたい。そなたには、それがやれる」
 光秀は聞きます。自分は逃げるとして、皆は、(藤田)伝吾(徳重聡)たちはどうなるのか。光安はいいます。伝吾たちはもともと農民だ。刀を捨て、田畑を耕せば、高政も斬り捨てはしない。その時、敵が押し寄せてきている、という知らせが入るのです。光安はこの城の最後を見届け、後を追う、と光秀を促します。光秀は光安と抱き合い、自分の館に戻るのでした。
 光秀の館では、皆が戦い準備をしていました。光秀が城に行かぬというのを聞き、母の牧(石川さゆり)は驚きます。
「逃げまする」と、光秀は宣言します。「それか叔父上のご命令です。落ち延びよと」
 伝吾たちが村人を連れてやってきます。お別れをいいたいというので、連れてきたというのです。伝吾がいいます。
「今日(こんにち)まで、長々とお世話になりました」皆も頭を下げます。「わたくしも、村の者も、何もお助けできず、口惜しい限りでございます」
 村人たちが泣き出します。伝吾は続けます。
「お供をして、お守りしたくとも、田や畑は持って歩けませぬ。ご一緒にと思うても、できませぬ」
「かたじけない。そう申してくれるだけで」光秀は皆にいいます。「我ら明智家こそ、長きにわたり、皆に支えてもらい、世話になり。それが、こうして出て行くことになろうとは。無念というよりほかは」
光秀は思わず伝吾の所に座って、その肩を持ちます。
「伝吾。すまぬ。無念じゃ」
 と、頭を下げるのです。光秀は立ち上がって皆にいいます。
「皆のこころざしはまことにありがたい。だが、早々に立ち帰れ。皆、達者でおれよ。また会おう。また会おうぞ」
 皆が帰ろうとすると、光秀の母の牧が、ここを動かぬといいだします。ここで死ねれば本望、と。伝吾が戻ってきていいます。
「大事な、田や畑や、山や川や」伝吾は無理に笑顔を作ります。「この先、十年、二十年、皆で守っていこうと思っておりまする。いつの日か、お方様が、またお戻りになられたとき、何も変わらず、この先も、村はあります。それを、また見ていただくために、今日は、旅に出てくださりませ」
 伝吾は牧に笑いかけるのでした。
 敵の声が聞こえてきます。光秀の館の門には、火矢が打ち込まれます。山の方を光秀が見てみると、明智の城が燃えているのが見えるのでした。