日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 最終回 本能寺の変

 天正十年(1582年)、五月。安土桃山城で、家康をもてなす饗応(きょうおう)が行われました。饗応役を勤めた明智光秀十兵衛(長谷川博己)に対し、織田信長染谷将太)は激怒します。皆の前で光秀を足蹴にしてみせるのです。

「饗応役を解く」

 と、信長は光秀にいいわたします。

 光秀は一人、怒りと屈辱に震えていました。そこに意外なことに、機嫌の良い様子で、信長が入ってくるのです。

「あれこれいうたが気にするな。家康が、あの場でどう出るか、様子を見ておきたかったんじゃ。招かれる者がそなたを饗応役に名指しするなど、礼を失しておる。それを思い知らせてやった。それよりもそなたには一刻も早う西国へ行ってもらいたい」信長は地図を持ってこさせます。「そなたの軍は船で備後(びんご)の鞆(とも)へ向かえ」信長は扇子で地図を突きます。「鞆にいる足利義昭を殺せ。毛利がいくさの大義名分としておるのは、おのれの手の内に足利がいるからじゃ。将軍がいる限り、わしのいくさは終わらぬ。そのことがよう分かった」

 光秀は京の館に帰ってきます。出迎えに出た明智左馬之助(間宮祥太郎)から、細川藤孝眞島秀和)が京に来ていることを知らされます。藤孝に会いたいという光秀。

 藤孝は公家たちと蹴鞠(けまり)を行っていました。近衛前久本郷奏多)に呼び止められます。前久はいいます。

「聞いたか。安土で、徳川家康の饗応役を、明智が解かれたそうじゃ。不調法があったというが、まわりの目では、すでに信長殿と明智の間には、隙間風が吹いておるという」

「さようでございましたか」

松永久秀佐久間信盛の例もある。万が一、信長殿が明智を斬り捨て、事を構えるとなったら、そなたはたちまち、どちらにつく」

「そうならぬ事を祈るほかありませぬ」

 前久は伊呂波大夫(尾野真千子)のもとを訪れます。

「へえ、明智様はそんなひどい仕打ちをお受けになったのですか」

 と、大夫。

明智はよく我慢をしていると、皆、噂しているそうじゃ。いつ信長殿に背いてもおかしくないと」

「背けばいいのですよ」

「気楽におっしゃいますがね、信長殿に刃向こうて、勝った者はひとりもいないのですよ」

「そんなことをいっていたら、世の中、何も変わらないじゃありませんか」

「仕方がありますまい」

「私は、明智様に背いて欲しい。信長様に勝って欲しい」

 光秀は安土での饗応の後、信長と話したことを思い出していました。

「わたくしに、将軍を」

 信長はにこやかです。

「そなたと、いくさのない世をつくろうと話したのはいつのことじゃ。十年前か、十五年前か。そなたと二人で、延々といくさをしてきた。将軍を討てば、それが終わる」

 光秀は声を絞り出します。

「わたくしには、将軍は、討てませぬ」

 細川藤孝がやって来て、光秀は現実に引き戻されます。光秀は藤孝にいいます。

「此度(こたび)の毛利攻めには、信長様も直々(じきじきに)にご出陣なされるため、近々上洛され、本能寺で、万端手はずをつけられる」

「出陣は来月四日とうかがいました」

「それゆえ、我ら丹波の軍勢は、上様のお下知あり次第、西国へ向かうこととなる」

「つかぬ事をうかがうが」と藤孝は体を揺らします。「上様は毛利攻めとともに、備後の鞆におられる公方様と幕府の残党を、一掃したいとのご意向がおありとのこと。上様より、お下知はございましたか」

「お下知はあったが、わたくしはお断り申した」今度は光秀が聞く番です。「以前、藤孝殿は、上様のゆきすぎを、お止めする折は、私も声をそろえて申し上げる覚悟があるといわれた。今でもそのお覚悟がおありか」

「覚悟とは、どれほどの覚悟でございましょう」

「覚悟には、果てはありませぬ」

 帰り道で藤孝は家臣に命じます。

「急ぎ備中の羽柴殿に使いを出せ。何も起らぬ事を願うが、あるかもしれんと伝えよ」

 その場を通り過ぎる行商人がいました。徳川家康に仕える忍び、菊丸(岡村隆史)だったのです。

 近衛前久は帝(みかど)に拝謁にやって来ていました。帝が前久に確かめます。

「織田と明智が、さほどの仲となったのか」

 前久は答えます。

「はっ。今日、参内(さんだい)いたしましたのは、双方が朝廷に、力をお貸しいただきたいと願い出たとき、お上はどちらをお選び遊ばされるか、御意をうけたまりたく」

「花を見、川を渡り、おのれの行くべき所へ行く者を、ただただ、見守るだけぞ」

 天正十年五月。光秀は、本拠地の丹波に入りました。愛宕山の寺にて、光秀は再び思い出していました。信長の妻の帰蝶がいっていました。

「毒を盛る。信長様に。今の信長様をつくったのは父上であり、そなたなのじゃ。その信長様が一人歩きを始められ、思わぬ仕儀となった。よろず、つくった者が、その始末を為すほかあるまい。違うか」

 饗応の後、信長と話したことも頭に浮かびます。

「わしを変えたのは、いくさか。違う。乱れた世を変え、大きな世をつくれとわしの背中を押したのは誰じゃ。そなたであろう。そなたがわしを変えたのじゃ。今さらわしは引かぬ。そなたが将軍を討たぬというのなら、わしがやる。わしがひとりで、大きな国をつくり、世を平らかにし、帝さえもひれ伏す、万上(ばんじょう)の主(あるじ)となる」

 五月二九日。信長は、安土からわずかな供を引き連れ、宿所の本能寺に入りました。

 丹波亀山城では、光秀が家臣である明智左馬之助、藤田伝吾(徳重聡)、斎藤利三須賀貴匡)の三人を前にしていました。光秀は話し出します。

「われらは備中へは行かぬ。京へ向かう」

「京のいずこへ参ります」

 と、訪ねる利三に対し、光秀は答えます。

「本能寺」光秀は立ち上がります。「わが敵は、本能寺にある。その名は、織田信長と申す。信長様を討ち、心ある者と手を携え、世を平らかにしていく。それがわが役目と思い至った」光秀は刀を抜き、三人の前に置きます。「誰でも良い。わしが間違うておると思うなら、この太刀で、わしの首をはねよ。今すぐはねよ」

 それに対して伝吾がいいます。

「殿、皆、思うところは同じでございまするぞ」

 三人は頭を下げ、同意の意思を示すのでした。

 文(ふみ)を書いている光秀のもとへ、誰かがやって来ます。

「左馬之助か」

 と、光秀は問いますが、現れたのは菊丸でした。

「今、わが殿は堺におられますが、私はお側付を解かれ、以後、十兵衛様をお守りするように命じられて参りました」

 光秀は書き上がったばかりの文を持って立ち上がります。

「此度(こたび)、わしが向かうところがどこであるか存じておるか」

「おおよそは」

「わしは、このいくさは所詮、おのれ一人のいくさだと思うておる。ただ、このいくさに勝った後、何としても家康殿のお力添えをいただき、共に天下を治めたい。二百年も、三百年も穏やかな世が続く政(まつりごと)を行うてみたいのだ」

「はい」

「もし、わしが、このいくさに破れても、後を頼みたいと、そうもお伝えしてくれ」光秀は菊丸の側にしゃがみます。「今、堺におられるのは危ういやもしれん。急ぎ三河にお戻りになるのが良い。菊丸もここから去れ」光秀は菊丸の肩に手を置きます。「新しき世になった折、また会おうぞ」

 光秀は家康宛の文を菊丸に渡すのでした。

 六月一日、夜。明智光秀の軍勢は亀山城を出発しました。

 備中の羽柴秀吉の本陣では、秀吉が細川藤孝からの文を読んでいました。家臣の黒田官兵衛にいいます。

明智様が、信長様に刃向かう恐れがあるという」秀吉は声を張ります。「やれば良いのじゃ。明智様が上様を、やれば、おもしろい」

 秀吉は官兵衛に、毛利など相手にしている場合ではないと話します。さっさと片づけて帰り支度をするようにと命じます。秀吉は一人いいます。

明智様が、天下をぐるりと回してくれるわい」

 天正十年六月二日早暁。光秀の軍勢が本能寺を取り囲みます。光秀は太刀を抜き放ち、

「かかれ」

 と叫びます。応える家臣たち。本能寺に兵が流れ込みます。

 外の騒ぎに信長は目を覚まします。寝間着姿のまま廊下を歩くと、森蘭丸(板垣瑞正)が駆けつけてきて、軍勢が取り囲んでいることを知らせます。水色桔梗(ききょう)の旗印から明智光秀かと思われると述べます。信長たちのもとへ無数の矢が飛来します。信長は肩に傷を受けます。寝室に避難した信長はうめくようにいいます。

「十兵衛。そなたが。そうか」信長は笑い声を立てます。「十兵衛か」信長は笑いながら目に涙をためます。「であれば、是非もなし」

 信長は槍を持って打ち掛かる者たちを倒していきます。弓を持って光秀の武将を貫きます。ついに力尽きた信長は、蘭丸を連れて奥へ引き上げるのです。

「わしはここで死ぬ。蘭丸、ここに火をつけよ。わしの首は誰にも渡さぬ。火をつけよ。わしを焼き尽くせ」

 本能寺の外にいる光秀たちは、火の手が上がるのを目にします。場所は奥書院かと思われました。光秀の胸に信長との思い出が去来します。同じく信長も光秀のことを思い出していました。

 望月東庵(堺正章)の治療院に伊呂波大夫がやってきて、本能寺でいくさの行われていることを知らせます。駒(門脇麦)は着物の膝を握りしめます。

 光秀は本能寺の焼け落ちた場所にいました。すでに火は消えています。信長の死体は見つかりませんでした。光秀は引き上げようとします。馬に乗る光秀に、伊呂波大夫が声をかけてくるのです。

「きっとこうなると思っていましたよ。帝もきっと、お喜びでしょう。明智様なら、美しい都を取り戻してくださる」

「美しい都。それは約束する。駒殿に伝えてもらえるか。必ず、麒麟が来る世にしてみせると」光秀は宙を見すえます。「麒麟は、この明智十兵衛光秀が、必ず呼んでみせると」

 光秀の一行は大夫の前から去って行きます。

 この日、明智光秀は天下を取りました。本能寺の変は、人々を驚愕させ、時代を一変させました。織田家家臣筆頭の柴田勝家は、遠い戦地で身動きが取れず、なすすべがありませんでした。光秀の有力な味方と思われていた武将たちは、一斉に沈黙しました。徳川家康は次の事態に備えるために、三河へ走りました。しかし光秀の天下はここまででした。六月十三日、西国から思わぬ早さで戻ってきた羽柴秀吉が、立ちふさがったのでした。光秀は敗れます。世の動きは、一気に早まりました。

 本能寺の変から三年がたちました。駒は備後の鞆にいる足利義昭を訪ねていました。そこで義昭に、光秀が生きているという噂があることを話します。義昭は笑って相手にしません。

 市場を行く駒は、見知った後ろ姿を見つけるのです。

「十兵衛様」

 と駆け寄りますが、光秀はもういません。駒は人混みをかき分けて走り、ついに袋小路に行き着きます。そこに人の姿はありませんでした。